イスラーム法と政治 - toyo universityイスラーム法と政治 71 hal ehwal...

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68 イスラーム法と政治 マレーシアにおける一夫多(ポリガミー)をめぐる論争から 1 桑 原 尚 子 はじめに イスラーム復興運動の高まりとともに、シャリーア(Shari _ `ah)は、マレーシアにおける政 治上の争点となった。そこにおける論点は、シャリーアの意義及び国家法としての適用であり、 とりわけイスラーム国家の概念、ハッド刑(hudu _ d)、棄教、ジェンダー及び家族法へムスリ ム(イスラーム教徒)の関心が向けられてきた。なかでも激しい論争が繰り広げられてきた一 夫多妻(polygamy)は、その擁護者からイスラームの最後の砦とみなされてきたのも事実で ある。 多くのムスリム諸国において法・司法制度の近代化は、シャリーアの適用領域を家族及び一 部の宗教的事項へ限定し、ときに、シャリーアと西欧法との「混合法(hybrid law)」を実体 法及び手続法において創出することとなった。結果として、これらムスリム諸国においてイス ラーム法適用を求める者達にとって家族法は、守るべき最後の砦となったと言っても過言では ない。それ故、家族法から生じる諸問題が公的空間において議論され、これまで、タラーク(talaq(夫の専断的な裁判外離婚)、女性の離婚権、監護権や一夫多妻が論争の的となってきた。これ らの論争からは、イスラーム法学の下での保護者・扶養者(qawwa _ m)の概念と、そこから派 生する夫の扶養義務・妻の従順義務という夫婦の対価的な権利義務関係に基づいた伝統的な婚 姻制度を現代に適合させるにあたっての葛藤が看取される。そこにおいて国家は、シャリーア の法典化だけでなく、近代のシャリーア司法制度の構築、イスラーム行政機構創設やシャリー ア司法を担う法曹の養成などにおいても極めて重要な役割を果たしてきた。 そこで、本稿では、現代のムスリム諸国においてシャリーアに基づく法・司法制度を国家が どのように構築してきたかを把握するために、マレーシアにおける一夫多妻をめぐる論争を取 り上げる。第 1 節においてマレーシアにおけるイスラーム及びイスラーム法の特徴を明らかに した上で、第 2 節ではシャリーアの近代化に果たした国家の役割についてマハティール政権の 1 本稿は、科学研究費補助金・基盤 C(平成 24 年度~26 年度)「イスラーム離婚法制の比較法的研究:マ レーシア、モロッコ、エジプト、アラブ首長国連邦を中心として」〔課題番号 24530016〕の研究成果の一 部である。なお、本稿は、Naoko Kuwahara (2013) Shari `a in Law and Politics: Polygamy Debate in Malaysia高知短期大学『社会科学論集』第 103 号、PP.29-58 の一部を和訳したものである。

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  • 68

    イスラーム法と政治

    ―マレーシアにおける一夫多(ポリガミー)をめぐる論争から1

    桑 原 尚 子

    はじめに

    イスラーム復興運動の高まりとともに、シャリーア(Shari_

    `ah)は、マレーシアにおける政

    治上の争点となった。そこにおける論点は、シャリーアの意義及び国家法としての適用であり、

    とりわけイスラーム国家の概念、ハッド刑(hudu_

    d)、棄教、ジェンダー及び家族法へムスリ

    ム(イスラーム教徒)の関心が向けられてきた。なかでも激しい論争が繰り広げられてきた一

    夫多妻(polygamy)は、その擁護者からイスラームの最後の砦とみなされてきたのも事実で

    ある。

    多くのムスリム諸国において法・司法制度の近代化は、シャリーアの適用領域を家族及び一

    部の宗教的事項へ限定し、ときに、シャリーアと西欧法との「混合法(hybrid law)」を実体

    法及び手続法において創出することとなった。結果として、これらムスリム諸国においてイス

    ラーム法適用を求める者達にとって家族法は、守るべき最後の砦となったと言っても過言では

    ない。それ故、家族法から生じる諸問題が公的空間において議論され、これまで、タラーク(talaq)

    (夫の専断的な裁判外離婚)、女性の離婚権、監護権や一夫多妻が論争の的となってきた。これ

    らの論争からは、イスラーム法学の下での保護者・扶養者(qawwa_

    m)の概念と、そこから派

    生する夫の扶養義務・妻の従順義務という夫婦の対価的な権利義務関係に基づいた伝統的な婚

    姻制度を現代に適合させるにあたっての葛藤が看取される。そこにおいて国家は、シャリーア

    の法典化だけでなく、近代のシャリーア司法制度の構築、イスラーム行政機構創設やシャリー

    ア司法を担う法曹の養成などにおいても極めて重要な役割を果たしてきた。 そこで、本稿では、現代のムスリム諸国においてシャリーアに基づく法・司法制度を国家が

    どのように構築してきたかを把握するために、マレーシアにおける一夫多妻をめぐる論争を取

    り上げる。第 1節においてマレーシアにおけるイスラーム及びイスラーム法の特徴を明らかに

    した上で、第 2節ではシャリーアの近代化に果たした国家の役割についてマハティール政権の 1 本稿は、科学研究費補助金・基盤 C(平成 24年度~26年度)「イスラーム離婚法制の比較法的研究:マレーシア、モロッコ、エジプト、アラブ首長国連邦を中心として」〔課題番号 24530016〕の研究成果の一部である。なお、本稿は、Naoko Kuwahara (2013) “Shari

    `a in Law and Politics: Polygamy Debate in Malaysia” 高知短期大学『社会科学論集』第 103号、PP.29-58の一部を和訳したものである。

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    下で本格的に開始された「イスラーム化政策」の内容と範囲を検討する。第 3節では、イスラ

    ームの文脈でのジェンダー平等という観点から進歩的改革と称される 1980年代のイスラーム

    家族法改革を考察する。第 4 節及び第 5 節では、1980 年代のイスラーム家族法改革への反動

    と 2000年代のイスラーム家族法改正の動きを追う。第 6節では、一夫多妻をめぐるマレーシ

    アの議論状況を整理する。

    1. マレーシアにおけるイスラームとイスラーム法の特徴

    マレーシア連邦憲法第 3条は、イスラームが国教であることを明定している。同条は、ムス

    リムの宗教儀式に則って公的行事における宗教的部分を執り行うよう参加者へ強制しうる、と

    いう意味である(Sheridan and Glove 2004: 32)。エジプトなどと異なり、国家法がシャリーア

    に従うべきこと、あるいはシャリーアが国家法の法源であることをマレーシア連邦憲法は定め

    ていない。

    マレーシアは 13の州と連邦直轄領(クアラルンプール、プトラジャヤ、ラブアン)から成

    る連邦国家である。マレーシア連邦憲法第 9附則は、イスラームが各州の専権事項であること

    を定めている。州は、家事、宗教的事項、一部の刑事事件並びにシャリーア裁判所の組織及び

    手続に関するイスラーム法について、立法権、行政権及び司法権を有する。連邦直轄領を除い

    てシャリーア裁判所は州の裁判所であり、これら州の裁判所を統一する連邦のシャリーア裁判

    所はなく、それ故、後述のような「法廷地漁り」の問題が生じている。1988 年の憲法改正に

    よって新たに設けられた第 121(1A)条は、ムスリムとムスリムでない者が当事者である場合や

    イスラーム法と世俗法が交錯する諸問題について、シャリーア裁判所と通常裁判所の間で管轄

    権をめぐる争いを引き起こしている(Lee 2012: 313)。マラッカ州、ペナン州、サラワク州及

    びサバ州を除く州には州王(Sultan)がおり、彼らは州の宗教たるイスラームの長であり、宗

    教的事項を規律する州法を制定する権限を有する2。

    連邦憲法第 160条において、マレー人は「イスラームの宗教を信仰し、日常的にマレー語を

    話し、マレー慣習に従う者」と定義され、民族と宗教が分かち難いことも、マレーシアにおけ

    るイスラームの特徴である。さらに、連邦憲法第 153条は、民族的にも宗教的なマレーシアに

    おいて、マレー人とサバ州及びサラワク州の先住民へのアファーマティブアクションの根拠と

    なっている。

    2 例えば、スランゴール州憲法第 48条第 1項など。

  • 〈法〉の移転と変容

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    2. イスラーム及びイスラーム法の制度化

    1980 年代から、マハティール政権は、イスラームとイスラーム法の制度化を主導した。そ

    のころまでには、体の線を隠すような服装が好まれるようになったり、社会生活での男女の接

    触が以前よりも少なくなったり、アラビア語の単語を話し言葉に織り込むようになったり、ハ

    ラール食品(イスラーム法において合法な食品)への意識が高まったりといったイスラーム復

    興の兆候がマレーシアのムスリム社会において顕著になっていた(Muzaffar 1987: 3, 4)。マレ

    ーシアにおけるイスラーム復興は、グローバルなイスラーム復興だけでなく、国内の都市化や、

    マレー人を支持基盤とする統一マレー国民組織(UMNO: United Malays National

    Organization)と汎マレーシア・イスラーム党(PAS: Parti Islam Se-Malaysia)の政争に人々が

    辟易していた、といった国内的要因にも起因するものであった(Muzaffar 1987: 13-26; Liow

    2009: 33-37; Nagata 1984: 81-85)。

    もっとも、マレーシアにおけるイスラーム復興は、主として大学生グループが主導したダク

    ワ運動に由来する社会現象として始まったのであった(Liow 2009: 34, 44)。地元の人々は、「イ

    スラームの理想」を追求する、またはそれを抱く「風潮、活動、考え及び団体の集合体」を指

    す言葉として、緩やかに「ダクワ運動」の用語を用いていた(Nagata 1984: 81)。様々なダク

    ワ運動に共通の特徴は、ダクワ運動の参加者又は集団が宗教、政治又は社会のエリートではな

    かったという点にあった(Ibid)。

    イスラーム復興運動の高まりはマレーシア政治へも影響を与えた。ダクワ運動からのイスラ

    ーム化要求に応えて、マレー人政党の統一マレー国民組織及び汎マレーシア・イスラーム党は、

    「真正な」イスラーム及び「真正な」イスラーム法をめぐる論争へと突入したのだった。1981

    年にマハティール政権が誕生すると、マハティール首相は、イスラーム化政策への「お墨付き」

    を得るべくダクワ運動の著名な指導者であったアンワール・イブラヒムを自らの政権へ取り込

    み、イスラーム及びイスラーム法の制度化という一連のイスラーム化政策を遂行していった。

    イスラーム及びイスラーム法の近代化と同時に経済成長を追求する同政権の下で遂行された

    イスラーム化政策は、同国におけるイスラームに関する言説を管理すべく、注意深く戦略的に

    策定されたものであった。

    イスラーム化政策へのお墨付きを得るためにマハティール政権は、イスラーム化政策を策定

    及び遂行するための知を提供するイスラーム開発庁(JAKIM: Jabatan Kemajuan Islam Malaysia)

    やイスラーム理解研究所(IKIM: Institut Kefahaman Islam Malaysia)といった機関を設置した

    (Liow 2009: 48)。イスラーム開発庁の前身である首相府の下にあったイスラーム部(Bahagian

  • イスラーム法と政治

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    Hal Ehwal Islam、通称「Pusat Islam」)は3、その権限を連邦直轄領だけでなく、州へも及ぼす

    ようになった。イスラームに関する事項について連邦憲法は連邦直轄領を除きそれが州の専権

    事項であることを定めているが、連邦政府は、同イスラーム部を通じて、州へ介入したのであ

    った。すなわち、同イスラーム部は、各州のイスラーム法に関する制定法の齟齬を減じるべく

    これら制定法の統一を促したのだった(Lindsey and Steiner 2012: 92)。さらに、ムフティー

    庁のようなイスラームに関する行政機関も設置され、連邦政府主導で国内のイスラームに関す

    る行政の標準化が図られた。

    連邦レベルでのイスラーム法・司法部門を制度化するために、カディ裁判所が三審制のシャ

    リーア裁判所へ再編成されて首相府イスラーム部の管理下から独立し、シャリーア司法庁

    (JKSM: Jabatan Kehakiman Syariah Malaysia)が創設された。シャリーア裁判所制度を担う法曹

    も、通常裁判所の法曹に倣った教育制度の導入によって近代化され、例えばシャリーア法曹の

    ための学位プログラムが、1983 年設立の国際イスラーム大学(IIUM: International Islamic

    University Malaysia)に設けられた。

    1980 年代以降のイスラーム法の変動は、イスラーム及びイスラーム法の制度化と格上げに

    特徴づけられる。それ以前は、各州がイスラームに関してそれほど精緻でない立法をしていた。

    例えば、首都クアラルンプールに隣接するスランゴール州におけるイスラームに関する主要な

    法律は、1952年ムスリム法施行法(Administrative Muslim Law Enactment 1952)であり、

    全 180条から成る同法は、宗教評議会(Majlis Agama Islam)やイスラーム宗教庁(Jabatan Agama

    Islam)といった行政機関、カディ裁判所組織、訴訟手続、寄進(wakf)、宗教税(zakat)、婚

    姻・離婚、宗教上の犯罪について定めていた。1980年代及び 1990年代になると、スランゴー

    ル州も他の州と同じように、1984年イスラーム家族法(Islamic Family Law Enactment 1984)

    や 1994年イスラーム法施行法(Administration of Islamic Law Enactment 1994)をはじめと

    する、より詳細な内容を定める法律を制定するようになった。

    3. イスラーム家族法改革

    1970年代後半から 1980年代中頃にかけて、シャリーア専門家及び法務省(Department of

    Attorney General)法律家から成る連邦政府の委員会は、国内のイスラーム家族法の統一を図

    るべくイスラーム家族法のモデル法を起草した。他方、汎マレーシア・イスラーム党の強い支

    持基盤たるクランタン州においても、独自の家族法が起草された。連邦モデルとクランタン州

    3 1997年に、首相府下のイスラーム部は、連邦レベルでのイスラーム行政を掌る機関へ昇格され、イスラームに関する知識を提供するシンクタンクの役目も担うようになった。

  • 〈法〉の移転と変容

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    モデルというイスラーム家族法に関する二つのモデル法が導入された結果、連邦政府はイスラ

    ーム家族法の統一に失敗し、国内のイスラーム家族法に関する立法は連邦モデルとクランタン

    モデルに従う州にそれぞれ分断された(Horowitz 1994: 267-269)。

    このような状況下で 1987年 4月 29日に施行された連邦直轄領・イスラーム家族法(Islamic

    Family Law Act (Federal Territories) 1984。以下「IFLA」と称す)は、イスラームの文脈での

    ジェンダー平等に向けて大きく前進した法律であった。なかでも、もっとも重要な改革は、夫

    の専断的な離婚(talaq)及び一夫多妻について行われた。それまで専断的かつ裁判外での離婚

    が夫に認められていたが、同法の下では、裁判離婚とされた(第 47条)。もっとも、裁判外の

    離婚宣言が無効か否かについて同法は明定するものではなかった。イスラーム法学において夫

    は 4人まで妻を有することが認められているが、IFLAは、一夫多妻についてシャリーア裁判

    所の許可を要することを定めた。一夫多妻に関する審理へは妻の出席が必要とされ、これを認

    めるか否かについてシャリーア裁判所が勘案すべき事項が定められ、一夫多妻の要件が厳格に

    規定されることとなった(第 23条第 1項、第 4項)。すなわち、シャリーア裁判所は、次に掲

    げる要件が満たされる場合に、夫へ一夫多妻の許可を与えることができるとされた(第 23条

    第 4項)。

    (a) 妻の側の不妊、虚弱体質、夫婦関係に肉体的に不向きであること、夫婦の権利回復を

    故意に拒むこと又は精神疾患といった事情に鑑みて請求される婚姻が公平かつ必要であ

    ること

    (b) 原告がシャリーアの準則(Hukum Syara’)4が求めるように妻、将来の被扶養者を含む

    被扶養者を扶養できること

    (c) 原告がシャリーアの準則が求めるようにすべての妻を平等に扱いうること

    (d) 一夫多妻が妻にとってシャリーアが定める虐待(darar syarie)とならないこと

    (e) 一夫多妻が、直接にも間接にも、妻及び被扶養者が現在享受している生活水準を下げ

    ないこと

    旧法たるスランゴール州 1952年ムスリム法施行法(連邦直轄領が創設されると同法は連邦

    直轄領へも適用されることとなった)が一夫多妻の要件について何ら規定を有しなかったこと

    に比べると、IFLAは、イスラーム法学が前提とする家父長制の家族モデルたる扶養者として

    の夫とそれに従順な妻というジェンダーに基づいた権利義務の範囲内で、一夫多妻を制限する 4 「シャリーアの準則(Hukum Syara’)」とは、ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイー派及びハンバリー派のスンナ派に従ったイスラーム法をいう(IFLA第 2条)。

  • イスラーム法と政治

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    実体法上のルールと手続法上のルールを定めたものであったといえる5。

    IFLAは一夫多妻についてより厳格な要件を課すものであり、ヌグリ・スンビラン州6、パハ

    ン州7、ペナン州8、プルリス州9、サバ州10及びスランゴール州11もこれに倣った。マラッカ州12

    及びサラワク州13は基本的には IFLAに倣ったが、論争を巻き起こした IFLA第 23条第 4項(e)

    に相当する条文は設けなかった。論争が生じた別の条文たる IFLA第 23条第 4項(a)に相当す

    る条文を設けなかった点を除いて、クダー州も基本的に IFLAに倣った。他方、クランタン州・

    イスラーム家族法14は、「カディ裁判所の書面による許可がなれば、男性は、複婚できない」

    と定めるにとどまり、許可を与えるか否かに際して勘案すべき要件を何ら定めていなかった。

    ペラ州15及びトレンガヌ州16が、クランタン州・イスラーム家族法に倣った。

    一夫多妻の要件に違いがあるとはいえ、IFLAもクランタン州イスラーム家族法も、裁判所

    の許可のない複婚についてはその登録を認めないと定める点では共通していた。もっとも、こ

    れら法律が、裁判所の許可はないがイスラーム法学の定める要件を満たす一夫多妻を無効とす

    るか否かについては、判然としなかった。

    連邦直轄領モデルに倣った一夫多妻に対する制限に従って、Aisha bte Abdul Rauf v Wan

    Mohd Yusof bin Wan Othman事件17においてスランゴール州上訴委員会は、一夫多妻の要件に

    ついて進歩的な見解を示した。本件で、夫(原告、被上訴人)はスランゴール州 1984年イス

    ラーム家族法第 23条に基づく一夫多妻の許可をシャリーア下級裁判所へ請求したところ、同

    裁判所は、夫が妻の性的必要並びに妻及び妻となる予定の者の物質的必要を満たす能力を有す

    ること、夫が二番目の妻と婚姻しない場合には姦通(zina)を犯すおそれが生じることを理由

    5 もっとも、スランゴール州 1952 年ムスリム法施行に一夫多妻の規定がないとはいえ、許可なしに一夫多妻婚を締結できることを意味するわけではない。1950年代にスランゴール州宗務評議会の長を務めた父を持つマハティール元首相の妻は、同評議会が「一夫多妻を望む男性は第一夫人の合意を得なければならないとのルールを導入した」と述べている。New Straits Times, “Dr Siti Hasmah ‘saddened’ by polygamy ruling” (Oct 28, 1996). 6 Section 23 of Islamic Family Law Enactment (Negeri Sembilan No.7 of 1983). 7 Section 23 of Islamic Family Law Enactment (Pahang No.3 of 1987). 8 Section 23 of Islamic Family Law Enactment (Penang No.2 of 1985). 9 Section 23 of Islamic Family Law Enactment (Perlis No.4 of 1992). 10 Section 23 of Islamic Family Law Enactment (Sabah No.15 of 1992). 11 Section 23 of Islamic Family Law Enactment (Selangor No.4 of 1984). 12 Section 19 of Islamic Family Law Enactment (Malacca No.8 of 1983). 13 Section 21 of Islamic Family Law Enactment (Sarawak No.5 of 1991). 14 Section 19 of Islamic Family Law Enactment (Kelantan No.1 of 1983). 15 Section 21 of Islamic Family Law Enactment (Perak No.13 of 1984). 16 Section 21 of Islamic Family Law Enactment (Terengganu No.12 of 1985). 17 [1990] 3 MLJ lx.

  • 〈法〉の移転と変容

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    に、夫の請求を認めた。

    上訴委員会は妻(被告、上訴人)の訴えを認め、次を理由に、第 1審判決を棄却した。すな

    わち、第 23条第 4項が定める一夫多妻の要件は等しく重要であり、それぞれについて勘案せ

    ねばならないにもかかわらず、第 1審では、第 23条第 4項(b)が定める経済力に関する要件し

    か考慮せず、しかも夫の陳述をそのまま採用した、というのが第 1の理由である。第 2の理由

    は、請求された婚姻が公平かつ必要であるという証拠も、一夫多妻の許可が与えられた場合に

    夫が複数の妻を等しく扱うという証拠も提出されなかった、というものであった。

    第 1審及び上訴審においては、一夫多妻に対する二つの異なる見解が示された。すなわち、

    第 1審は、夫に経済力がある場合には一夫多妻を認めるというマレーシアの宗教関係者の多数

    が支持する見解に従った。クルアーンの女人の章第 3節の中の「女を二人なり三人なり、ある

    いは四人娶れ。もし妻を公平にあつかいかねることを心配するなら、一人だけを娶っておけ」

    という文言に依拠して、第 1審の裁判官は、「ここでいう公平とは、食物及び飲料における公

    平、住居における公平、衣服における公平、そして夜を共に過ごすことにおける公平」をいう、

    と述べた18。一夫多妻の「必要」の意義について第 1審の裁判官は、ブハーリーのハディース

    へ言及した上で、「妻の物質的及び性的必要を満たすことができ、かつ婚姻しなければ姦通罪

    又は誤りを犯してしまう危険が存する場合は、〔婚姻することが:訳者挿入〕男性の義務であ

    るとしている」とのイスラーム法学の見解を支持した19。

    他方、上訴委員会は、第1審が採った多数説には従わなかった。Hamka教授著『Tafsir Al-Azhar』

    に依拠して、イスラーム家族法第 23条第 4項の課す要件がクルアーンに反するという見解に

    異議を唱え、次のように述べた。

    「…(前略)… 女人の章第 3節は、全体の意味を把握すべきであり、同節の最初や最後だ

    けを取り上げるべきではない。全体の意味を把握すれば、同節の第 1文は夫に一夫多妻を認め

    ているが、第 2文が妻達を公平に扱うことができない場合は一夫多妻を禁止していることは明

    白である。イスラームは、一夫多妻を認めているが、食物、住居、衣服、性交といった目に見

    える事項だけでなくその他の事項についても完全な平等を達成することで、公平をすべての妻

    へもたらす義務を〔夫に:訳者挿入〕課している。一夫多妻を望むが平等な扱いができず、全

    ての妻へ義務を果たすことができそうにない者の場合は、不公平をもたらすことは禁じられ、

    それはイスラーム上の禁止(ハラーム)となるので、女人の章第 3節において神が命じるよう

    に、その者の一夫多妻は禁止される。すでに述べたように、〔IFLA:訳者挿入〕第 23 条第 4 18 [1990] 3 MLJ lxi. 19 Ibid.

  • イスラーム法と政治

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    項が定める要件は、聖なるクルアーンが求めるように、一夫多妻における妻達への正義を保障

    するためにある。第 23 条第 4 項の趣旨は一夫多妻を廃止することにあるのではない。第 23

    条第 4項は、ムスリムの家族における正義が達成されることを求めて設けられた規定なのだ。」

    また、上訴委員会は、ブハーリーのハディースが妻の物質的及び性的必要を満たすことがで

    き、かつ姦通罪又は誤りを犯す恐れがある場合に未婚の青年に対して婚姻を義務と課している

    と述べ、第 1審の解釈に異を唱えた。

    4. イスラーム家族法改革に対する反動

    上訴委員会判決の Aishah bte Abdul Rauf v Wan Mohd Yusof bin Wan Othman事件に対する激

    しい批判にみられるように、一夫多妻に対する制限は、マレーシアのマレー人社会にとっては

    行き過ぎないしイスラームの伝統からの逸脱とも受け止められた結果、1980 年代のイスラー

    ム家族法改革に対する反動が IFLA改正として現れることとなった。

    1994年 IFLA改正法(1994年 9月 9日施行)20は、IFLAに違反して裁判所の許可なく締結

    した一夫多妻婚であっても「当該婚姻がシャリーアの準則に従って有効であれば」、裁判所が

    これを登録できることを定めた。同改正法は、裁判所の許可なく締結した一夫多妻婚であって

    も、IFLAの定める要件を満たして裁判所の許可を得た一夫多妻婚と同じ効果を生じることを

    公式に認めることとなった21。また、同改正法は、裁判所の許可なく締結した一夫多妻婚が「シ

    ャリーアの準則」に従って有効か否かを判断する裁量を裁判所へ与えた。さらに、同改正法は、

    「請求された婚姻が、直接にも間接にも、現在の妻及び被扶養者の生活水準を下げないこと」

    の立証責任を夫に課していた第 23条第 4項(e)を削除した。この改正は、新たな妻の存在は必

    然的に現在の妻及び被扶養者の生活水準に影響するが故に、第 23条第 4項(e)が定める要件は

    男性が裁判所から許可を得ることを不可能にするという一部の宗教学者の見解に従ったもの

    である、と指摘されている(Zainah 2008: 277)。

    また、同改正法は、夫の権利を拡大することにつながった。裁判所の許可を得ない夫の離婚

    宣言による裁判外離婚ついて、当該離婚がシャリーアの準則に従って有効であると裁判所が判

    断すれば、裁判所はこれを認めることができることが明定された(第 55A条)。そして、同改

    正法は、改正前には妻だけに認めらていたファサフ(fasakh)の形式による婚姻解消を、妻の

    20 Islamic Family Law (Federal Territories)(Amendment) Act 1994 [Act A902]. 21 ただし、裁判所の許可なく複婚を締結した者は、1,000 リンギを超えない罰金刑、6 ヶ月を超えない拘禁刑又はその両方を科される(IFLA第 123条)。

  • 〈法〉の移転と変容

    76

    性的不能を原因とする場合に夫にも認めることとした(第 52条第 1A項)。結果として、妻の

    性的不能を原因とするファサフにおいては、夫の離婚宣言で成立する離婚と異なり、妻への慰

    謝料(mut’ah)及び待婚期間中の扶養料支払いから夫を免除することとなった。

    このような 1980年代のイスラーム家族法改革に対する反動は、連邦直轄領に限ったもので

    はなかった。例えば、スランゴール州においては、1994年 IFLA改正法施行前に、IFLA第 23

    条第 1項及び第 4項(e)に相当する条文を削除していたのである22。

    1994年の IFLA改正後、ムスリム女性の権利を主張する SIS(Sisters in Islam)及び女性法

    律家協会(Association of Women Lawyers)は共同で、改正を目的として、「一夫多妻に関す

    るイスラーム家族法改革(Reform of the Islamic Family Law on Polygamy)」についてのメモ

    ランダムをマハティール首相(当時)へ提出した。SISは、かかる提案がシャリーアに基づく

    ものであることを強調して、提案の趣旨が「一夫多妻に関する法令は、クルアーンが述べるよ

    うに、女性及び子へ公平をもたらすことを」保証することにある、と述べた23。

    5. 2005 年 IFLA 改正法案をめぐる論争

    Aishah bte Abdul Rauf v Wan Mohd Yusof bin Wan Othman事件の結末が示すように、法廷地漁

    りがマレーシアにおいては深刻な問題として取り上げられるようになった。一夫多妻婚の許可

    を裁判所から得られなかった男女が、クランタン州やトレンガヌ州のような一夫多妻の要件の

    緩い州で婚姻締結する事例がいくつか指摘されるようになっていた24。クランタン州及やトレ

    ンガヌ州に加えて、南部タイも、簡易な一夫多妻婚の締結を望む男女にとっては人気の地であ

    った。政府関係者はこのような法廷地漁りを憂慮し、国内におけるイスラーム家族法の統一性

    の欠如がかかる事態を招く要因となっているとみなした。かような状況下で、南部タイに隣接

    するプルリス州が一夫多妻の要件を大幅に緩和したのであるが、同州政府関係者は、緩やかな

    一夫多妻の要件は南タイまで行っていたマレーシア人男女にとって魅力的であり、一夫多妻の

    要件緩和こそが法廷地漁りの問題を解決するとの見解を示したのであった(Raihanah 2007:

    21-22)。

    2000 年代には、国内におけるイスラーム法の統一と標準化に向けて、新たなイスラーム家

    22 Selangor, Islamic Family Law (Amendment) Enactment 1988 (Enactment No.6 of 1988). 1984年イスラーム家族法は、同改正後の 1989 年 1 月 1 日に施行されたため、削除された第 23 条第 1 項及び第 4 項(e)はスランゴール州で適用されることはなかった。 23 http://www.sistersinislam.org.my/news.php?item.610.8 24 New Straits Times, “When the family law provisions backfire” (June 26, 1995).

  • イスラーム法と政治

    77

    族法が連邦直轄領とトレンガヌ州を除くすべての州で制定された25。スランゴール州立法府は、

    2003年 4月 28日に 2003年イスラーム家族法を採択した。同法の一夫多妻に関する規定は、

    次の点を除いて、旧法たる 1989年改正後の 1984年イスラーム家族法にほぼ倣ったものであっ

    た。まず、一夫多妻の要件の一つが、請求される婚姻が「公平かつ必要」から「公平又は必要」

    であることへと緩和された。第二に、一夫多妻婚の審理へ現在の妻だけでなく妻となる者及び

    その婚姻後見人(wali)の出席も要することとなった。第三に、夫婦の一方から請求のある場

    合において裁判所へ夫婦財産(harta sepencarian)の分与を命じる権限を与える財産に関する

    条項が新たに加えられた(第 23条第 10項(b))。この夫婦財産の制度は、マレー・アダット(慣

    習)に由来するものであり、マレーシアではシャリーアの一部として認められている。例えば、

    IFLA第 2条では、夫婦財産について、「シャリーアの準則に従って婚姻期間中に夫婦が共同で

    取得した財産」と定義している。 「公平かつ必要」から「公平又は必要」への一夫多妻婚要件の緩和及び財産に関する規定の

    新設は、女性の権利を声高に主張する団体たる SIS からの厳しい批判を招いた。SIS は、「第

    23 条の財産に関する新たな規定は、新たな妻と婚姻する前に現在の妻との間の夫婦財産に対

    する夫の分与請求を認めるものであり」、「複数の女性との婚姻を望む男性は経済的にそれが可

    能であるべきだ」、と批判した26。SIS は、また、「伝統的な法によれば、ムスリムの女性は、

    夫に対する扶養請求権を有する一方で、自らの財産については彼女だけが権利を有する」とも

    指摘した27。マスメディアへ声明を発表する一方で、女性法律家協会などの女性の権利擁護団

    体と共同で、スランゴール州政府、女性・家族・開発大臣、首相府法務担当へ、「2003年スラ

    ンゴール州イスラーム家族法案と 1984年スランゴール州イスラーム家族法の比較に関するメ

    モランダム(Memorandum Perbandingan Rang Undang-Undang Keluarga Islam [Negeri Selangor]

    25 Johor, Islamic Family Law Enactment 2003 (Enactment No.17 of 2003); Kedah, Islamic Family Law Enactment 2008 (Enactment No.11 of 2008); Kelantan, Islamic Family Law Enactment 2002 (Enactment No.6 of 2002); Malacca, Islamic Family Law Enactment 2002 (Enactment No.12 of 2002); Negeri Sembilan, Islamic Family Law Enactment 2003 (Enactment No.11 of 2003); Pahang, Islamic Family Law Enactment 2005 (Enactment No.3 of 2005); Penang, Islamic Family Law Enactment 2004 (Enactment No.3 of 2004); Perak, Islamic Family Law Enactment 2004 (Enactment No.6 of 2004); Perlis, Islamic Family Law Enactment 2006 (Enactment No.7 of 2006); Sabah, Islamic Family Law Enactment 2004 (Enactment No.8 of 2004); Sarawak, Islamic Family Law Ordinance 2001 (Chapter 43); Selangor, Islamic Family Law Enactment 2003 (Enactment No.2 of 2003). 26 New Sunday Times, “Selangor Family Law Enactment discriminates against women”, (May 18, 2003). 27 Sunday Mail, “Women’s groups unhappy with changes” (May 18, 2003).

  • 〈法〉の移転と変容

    78

    2003 dengan Enakmen Undang-Undang Keluarga Islam [Negeri Selangor] 1984)を提出した28。ス

    ランゴール州首相は州宗教局(Jais Jabatan Agama Islam Selangor)、ムフティー局(Mufti

    Department)及びスランゴール州法律顧問に対して SIS が提出したコメント及び提案の検討

    を命じた29。しかしながら、結局、スランゴール州の 2003年イスラーム家族法は、SISのコメ

    ントも提案も反映することなく、2004年 1月 1日に施行された。

    連邦直轄領においても、イスラーム開発庁主導で進められた国内のイスラーム法に関する制

    定法統一に基づいて、2005 年 IFLA 改正法案(Bill of Islamic Family Law (Federal

    Territories)(Amendment) 2005)が下院(Dewan Rakyat)と上院(Dewan Negara)で 2005年 9

    月 26日と同年 12月 22日にそれぞれ採択された。同改正法案は、スランゴール州 2003年イス

    ラーム家族法と同じ規定を IFLAへ移植するものであった。同改正法案は、男性へさらなる権

    限を与える一方で女性からいくつかの権限を奪うものだ、という批判を女性団体から招き、ス

    ランゴール州 2003年イスラーム家族法のときと同じ論点が再び提起された。2005年 IFLA改

    正法案は国会を通過したものの、SIS、マレーシア・ウラマー協会(Persatuan Ulamak Malaysia)、

    イスラーム・ダクワ基金(Islamic Dakwah Foundation)、マレーシア・イスラーム青年運動

    (ABIM: Angkan Belia Islam Malaysia)、 マレーシア改革協会(JIM: Jemaah Islah Malaysia)など

    リベラル派から保守派までを含む関係諸機関の話し合いが政府によって組織された。結局、同

    改正法は、さらなる検討を要するとされ、その施行が棚上げされたのだった。

    6. 一夫多妻をめぐる議論状況

    マレーシアでは、イスラームに関する事項は、棄教やイスラーム国家の概念をめぐる論争の

    ように他の民族の利益を侵害しない限り、マレー人の間で議論されるのが常である。それ故、

    本節においては、マレー人の間における一夫多妻をめぐる議論に焦点を当てることとする。も

    っとも、2005年 IFLA改正法案における一夫多妻をめぐってはマレー人だけでなく、民族横断

    的な女性団体や主に華人を支持基盤とする野党の人民行動党(DAP :Democratic Action Party)

    などの間でも議論となった。

    (1) 統一マレー国民組織

    下院及び上院の統一マレー国民組織党員で 2005 年 IFLA 改正法案に対して反対票を投じた

    28 Sunday Mail, “Women’s Groups unhappy with change” (May 18, 2003), New Straits Times, “State departments and legal advisor to study SIS comments on law” (May 21, 2003). 29 New Straits Times, “State departments and legal advisor to study SIS comments on law” (May 21, 2003).

  • イスラーム法と政治

    79

    議員はいなかったが、同法案における一夫多妻の規定に関する議論は同党を二分した。12 の

    女性団体の連合たるイスラームにおける女性の権利連合(Coalition of Women’s Right in Islam)

    が 2003年 5月に一夫一妻キャンペーンを開始したとき、与党統一マレー国民組織が率いる連

    邦政府は、当時の首相代理の妻が同キャンペーンの舞台に登場することで、その支持を表明し

    たようにみえた。同キャンペーンは、統一マレー国民組織が与党の座にあるプルリス州政府が、

    既婚者ムスリム男性が南部タイで一夫多妻婚を締結するのを抑止する名目で一夫多妻の要件

    を緩和する動きに触発されて組織されたものであった30。

    下院における 2005 年 IFLA 改正法案に関する非公開の議論で、多くの男性議員は同法案が

    ムスリム男性の一夫多妻婚を困難とすることを理由に留保を表明した、と報じられている。と

    りわけ、婚姻前の財産分与を目的として、現在の妻、複婚の相手方及び婚姻後見人の訴訟への

    出席を要件とする点に、批判が集まった。ある統一マレー国民組織の男性議員は、「多くの男

    性はこのような状況に直面するほど勇気がない」し、「彼らは、第一夫人にトラウマを経験さ

    せたくないないだろう、あるいは義父に会うのを恥じるだろう」、そして「彼らは結局罪深い

    生活を送ることになろう」と述べた、という。別の統一マレー国民組織の男性議員は、「一夫

    多妻の実践が非常に難しくなるなら、カップルは婚姻締結のためにタイへ駆け落ちするだろう」

    と述べた、とされる。他方、これら男性議員の発言に対して、統一マレー国民組織の女性議員

    は、「男性が一夫多妻を実践したいならば、彼らはすべてのことに喜んで直面すべきである」

    と述べ、「なぜ簡単な逃げ道を選び、罪深い生活を送り、あるいは婚姻締結のために国境へ逃

    げるのか」と問いかけた、とされる31。さらに、人民行動党の議員と見解を同じくしつつ、財

    産分与に関する規定について、主婦の中には、夫の給与額や資産について知らない者もいるし、

    あるいは「財産分与請求しないよう脅されるかもしれない」ことを理由に、同規定が主婦へ望

    ましからぬ影響を与えることとなろうと指摘した、という32。通常の法案審議とは異なる党内

    における批判にもかかわらず、首相府宗務担当大臣は、下院において 1票の反対票もなく、2005

    年 IFLA改正法を通過させた33。

    2005年 IFLA改正法案は、2005年 12月には上院へ上程された。19人の全ての女性議員は、

    ジェンダー平等のための共同行動団体(Joint Action Group of Gender Equality)のメモラン

    ダムに付された法案取り下げと見直しを求めて上院議長へ提出された書簡に署名した。その提

    案には、一夫多妻の要件の一つを「公平かつ必要」から「公平又は必要」へ改正した規定、夫 30 プルリス政府の動きについては、“Streamline Islamic family law”, New Straits Times, (Jan 4 2003)を参照。 31 New Straits Times, “Male MPs express reservations” (September 23, 2005) and “Marrying right” (September 24, 2013). 32 New Straits Times, “Islamic Family Law Act passed” (September 27, 2013). 33 Ibid.

  • 〈法〉の移転と変容

    80

    が現在の妻の財産分与を請求しうることを暗示する規定及び夫の一夫多妻婚の請求に際して

    扶養か夫婦財産の分与かの選択を迫る規定についての見直しが含まれていた34。16名の統一マ

    レー国民組織女性上院議員は 2005 年 IFLA 改正法案に反対していたようであるが、首相府の

    議会担当大臣に命じられて結局は賛成票を投じたのであった35。

    (2) JAKIM

    JAKIM発行の「一夫多妻は制限付きで必要(Polygamy is a Conditional Necessity)」によ

    れば36、クルアーン、ハディース及びイスラーム法学に基づいて、(1)夫が妻を扶養できるこ

    と、(2)夫がすべての妻に公平であること、という一夫多妻についての二つの要件が示されて

    いる。(2)の要件は、夫が住居の提供、夜を過ごすこと及び旅行について公平でなければなら

    ないことを意味する、という。マレーシアのイスラーム家族法が定める一夫多妻の規定の趣旨

    は、一夫多妻の禁止がシャリーアに反するが故にそれを禁止することではなく、「男性が一夫

    多妻を濫用するのを防ぐことにある」と述べている37。それ故、IFLA 第 123 条は、裁判所の

    事前の許可なく一夫多妻婚を実践する男性に対して罰則を科すのだ、と強調する。また、IFLA

    第 128条は、妻を公平に扱わなかった夫に対して罰則を科している、とも指摘している。

    (3) 汎マレーシア・イスラーム党

    汎マレーシア・イスラーム党はイスラーム政党であり、彼らのシャリーア解釈に基づいてジ

    ェンダーについて、統一マレー国民戦線よりも保守的な見解を示してきた。先述のように、汎

    マレーシア・イスラーム党と統一マレー国民組織は、イスラームがマレー人有権者を引き付け

    る重要な要素であると考え、真正なイスラーム及び真正なイスラーム法をめぐる論争を繰り広

    げてきた。汎マレーシア・イスラーム党のムスリム女性部(Dewan Muslimat)は、2005年 IFLA

    改正法案が、とりわけ一夫多妻、離婚、扶養、監護権及び財産分与に関して女性を不利にする

    ものだと主張して、同法案を批判した。議会担当者も同法案がイスラーム法にもシャリーアの

    目的にも従っていないと批判した38。しかしながら、汎マレーシア・イスラーム党は法案を批

    34 New Straits Times, “Women senators to debate Bill in Parliament today” (December 22, 2005). 35 New Straits Times, “Grudging nod from 16” (December 23, 2005). One of the female senators said that “there were many male Senators who practiced polygamy and had no qualms admitting it”. Ibid. 36 JAKIM, Poligami Suatu Keharusan Bersyarat [Polygamy is a Conditional Necessity], http://www.islam.gov.my/sites/default/files/5.poligamippuu.pdf 37 Ibid, p.8. 38 Harakah Daily, “Undang-Undang Keluarga Islam pinda, implikasi kepada wanita” [Islamic Family Law

  • イスラーム法と政治

    81

    判したものの、SISや野党の人民正義党(PKR: Parti Keadilan Rakyat)のような法案修正に関

    するメモランダムなどは提出しなかったようである。

    いずれにせよ、汎マレーシア・イスラーム党は、SISやAishah bte Abdul Rauf v Wan Mohd Yusof

    bin Wan Othman事件において示した上訴委員会の見解のような一夫多妻についてのリベラル

    な解釈には強く反対した。例えば、汎マレーシア・イスラーム党ムスリム女性部は、イスラー

    ム系NGOの女性部と連携して、2003年にイスラームにおける女性の権利連帯(Coalition of

    Women’s Right in Islam)が展開した一夫一妻キャンペーンに反対した(Maznah 2006: 101)。

    2004 年から 2008 年の期間を除いて 1999 年から汎マレーシア・イスラーム党が州議会の多数

    派を占めてきたトレンガヌ州だけが、これまでのところ、裁判所から一夫多妻の許可を得るた

    めの要件を明定していない。トレンガヌ州イスラーム家族法施行法第 21条は39、「いかなる男

    性も複婚してはならない。但し、シャリーア裁判所裁判官の書面による許可のある場合を除く。」

    と定めるにすぎない。

    (4) SIS

    2003年の一夫一妻キャンペーンにおいて、SISも加わったイスラームにおける女性の権利連

    帯は、自らの見解について、(1)一夫一妻はシャリーアの準則にしたがうものである、(2)一

    夫多妻は極めて例外的な事情の存する場合に限られる、(3)一夫一妻はイスラームにおける理

    想的な状態である、そして(4)一夫多妻の下で生きられない女性には離婚の選択肢が与えら

    れる、と表明した。また、SISは、注意深く「我々は一夫多妻の廃止を求めているのではない」

    とも述べた。クルアーンの女人の章第 3節中の「もし妻を公平にあつかいかねることを心配す

    るなら、一人だけを、娶っておけ」を引用して、SISは、一夫多妻が極めて例外的な事情の存

    する場合に限って許されることを主張した。そして、ハディースに依拠して、夫が別の女性と

    婚姻締結した場合には、現在の妻には離婚を選択する権利が与えられるべき、との見解を示し

    た40。しかしながら、一夫一妻キャンペーンは国内においてそれほど支持を得ることはなく、

    マレーシア・イスラーム青年運動の女性部、マレーシア改革協会の女性部や汎マレーシア・イ

    スラーム党女性部といったムスリム女性の団体はこれに反対した(Maznah 2006: 101)。2005

    amendment implying for women] (December 27, 2005). 39 Enactment No.12 of 1985. 40 一夫一妻キャンペーンにおける SISの一夫多妻に関する見解については、“Campaign for Monogamy; By the Coalition on Women’s Rights in Islam (16 March 2003)” [http://www.sisterinislam.org.my/ print.php?news.833] and “Monogamy is NOT against Islam (18 March 2003)” [http://www.sisterinislam. org.my/print.php?news.832]を参照。

  • 〈法〉の移転と変容

    82

    年 IFLA改正法の議会通過後、ジェンダー平等のための共同行動団体の一員として SISは、政

    府に同法案の取り下げと見直しを促した。2005年 IFLA 改正法案に関する論争の後から、SIS

    は、ムスリム家族法、とりわけモロッコのムスリム家族法に関する比較の重要性を主張するよ

    うになったように思われる。

    おわりに

    一夫多妻についてのマレーシアの論争は、シャリーアの成文化が選択的かつ交渉の産物であ

    ることを示している。

    IFLAは一夫多妻について進歩的な見解を採用した。すなわち、IFLAは、いかなる男性も裁

    判所の事前許可なく一夫多妻婚を締結してはならない、かかる許可のない婚姻についてその登

    録をしてはならないとし、裁判所が一夫多妻婚の許可を与えるための満たすべき要件を定めた

    のである(もっともこのうちの要件の一つは 1994年改正で削除された)。Aisha bte Abdul Rauf

    v Wan Mohd Yusof bin Wan Othman事件でスランゴール州上訴委員会は、これらすべての要件

    が満たされ、それぞれ証明されるべきであるとの解釈を示した。上訴委員会が採った見解は、

    妻を扶養できる夫はその経済力についての簡単な陳述があれば一夫多妻婚を締結できるとの

    支配的見解から脱却することを示していた。また、Aisha bte Abdul Rauf v Wan Mohd Yusof bin

    Wan Othman事件及び一夫多妻をめぐる論争は、クルアーンの同一の法源から一夫多妻につい

    て異なる解釈が存することを明らかにし、シャリーアの法典化が選択的であることの例を示し

    てもいる。

    国内におけるイスラーム法に関する制定法の統一という名の下で実施された 2000年代にお

    けるイスラーム家族法の導入は、旧法の一夫多妻の要件の一部を緩和する一方で、新たに一夫

    多妻の相手方女性及びその婚姻後見人が一夫多妻婚請求の審理へ出席することを求め、そして

    新たに財産に関する条項を追加するものであった。イスラーム法に関する制定法の統一へ向け

    た動きに応じて 2005 年に国会へ上程された IFLA 改正法案は、女性の権利擁護団体から激し

    い批判を招いた。これら女性の権利擁護団体は、一夫多妻の要件の緩和及び財産に関する条項

    の追加に対して懸念を表明したのだった。このことは、2005年 IFLA改正法案が定めるジェン

    ダーについてのパラドックスを示していよう。財産に関する条項において批判の的となったの

    は、妻が扶養又は財産分与のいずれかを選択せねばならず、そして夫も財産分与請求できる点

    であった。SIS は、「イスラーム法の下において」妻は扶養請求権及び財産分与請求権のいず

    れも行使でき、「『当事者』という選択的なジェンダー・ニュートラルな言葉は夫が妻に対して

  • イスラーム法と政治

    83

    財産分与請求するのを可能にする」、として批判を繰り広げたのである41。

    さて、IFLA1994年改正法、2000年代の全国的なイスラーム法改正、そして論争の末に 2005

    年 IFLA改正法の施行が棚上げとなったことは、どのように国家が人々からの要求と制定の目

    的に応じてシャリーアに基づく法律を定めているか、換言すると、シャリーアの成文化が交渉

    の産物であることの例を示している。統一マレー国民組織に率いられる連邦政府は、そのイス

    ラーム化政策によってイスラームに関する言説を管理するだけでなく、利益関係者の要求へプ

    ラグマティックに応えてきたといえよう。

    一夫多妻についての論争は、現代におけるイスラームに関する言説やシャリーアの法典化が、

    もはや、伝統的な権威だけに独占されるものでないことを明らかにしている。すなわち、ムフ

    ティー(mufti_

    )やウラマー(‘ulama_

    ’)といった伝統的なイスラーム法学者だけが、イスラームに関する言説を支配する状況にはもはやない。また、2000 年代における国内のイスラーム

    に関する制定法の統一に向けたシャリーアの成文化は、連邦政府が強力にイスラーム法の統一

    化を図ったという点において、州におけるイスラームの長たる州王へ付与された権限を侵食す

    る結果ともなった。

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