安全教育トピックスheidi king氏とahrqのjim...

8
講義だけでは伝わりにくい 「チーム」の学び ―本日は,チームSTEPPSをめぐる日本の現 状を俯瞰しつつ,今,種田先生が感じておら れること,そして今後の展望などをお聞かせ 願いたいと思います。 現在,「チームSTEPPS」という言葉自体 は,医療安全に携わる方を中心として,国内 の医療従事者に広くに知られるようになりま した。しかし,そのプログラムが目的とする ところや,全体像の理解となると,まだ十分 とは言い切れない状況も一部にあるように拝 見しておりますし,場合によっては,断片的 な情報が独り歩きすることで誤解が生じかね ない懸念もあるように感じます。 ともあれ,興味を抱いた方がチームSTEPPS について学びたいと思った時に,情報を得る こと自体は,それほど難しくない状況が整っ ているかと思いますが,その点はいかがで しょうか? 種田憲一郎氏(以下,敬称略) :そもそもア メリカにおいてチームSTEPPSというプログ ラムは,国民の税金で開発され,教材も無償 で配布され,かつ普及に当たって連邦政府が 無償で指導者を養成するなど,国の事業とし て取り組まれています。それを日本で普及・ 活用する際にも,当初から私は,日本におい ても無償で提供できる仕組みを作りたいと考 えてきました。 具体的には,医療安全に関心のある企業と 共同して,研修テキストとなる記事や冊子を 作成する,また教材を開発する,ただし一緒 に作った記事やプロダクトは著作権フリーに して,無償で配布していただく,といったこ とですね。 また,チームSTEPPSのビデオ教材も各種 ありますが,そちらはWEBサイトなどで講 師へ提供し,講師を通じて研修会に参加した 方々にも使っていただける形を取っていま す。今後は,より多くの方に活用していただ けるよう工夫していきたいと考えています。 アメリカ側とも定期的に電話会議などを行っ ていますが,チームSTEPPSは公共の利益 に資するためのプログラムであり,営利目的 や特定の個人や団体の利益のために利用され ることをアメリカ側は憂慮しているので,十 分な配慮が必要です。 特集 キーワードは「チーム医療」「安全文化の醸成」 安全教育トピックス チーム STEPPS 日本における 導入の現状と課題 「まずSBAR導入」の危険性,気づきを得る研修を 種田憲一郎 Kenichiro_TANEDA 国立保健医療科学院 医療・福祉サービス研究部 上席主任研究官(WHO西太平洋地域事務局 患者安全専門官) 米国AHRQ TeamSTEPPS Master Trainer 日本国内におけるチームSTEPPSの普及は,2007年ごろから米国DoDの Heidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受 け,国立保健医療科学院の研修卒業生を中心に,医療安全・チーム医療 に取り組む仲間たち,在日米軍の医療機関とも協働した活動となり,WHO 西太平洋地域の国々でも推進されつつある。 推進者・実践者に聴く 種田氏 種田氏 Battle氏 Battle氏 Heidi氏 Heidi氏 8 病院安全教育 Vol.1 No.1

Upload: others

Post on 18-Mar-2021

2 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

講義だけでは伝わりにくい 「チーム」の学び

―本日は,チームSTEPPSをめぐる日本の現状を俯瞰しつつ,今,種田先生が感じておられること,そして今後の展望などをお聞かせ願いたいと思います。 現在,「チームSTEPPS」という言葉自体は,医療安全に携わる方を中心として,国内の医療従事者に広くに知られるようになりました。しかし,そのプログラムが目的とするところや,全体像の理解となると,まだ十分とは言い切れない状況も一部にあるように拝見しておりますし,場合によっては,断片的な情報が独り歩きすることで誤解が生じかねない懸念もあるように感じます。 ともあれ,興味を抱いた方がチームSTEPPSについて学びたいと思った時に,情報を得ること自体は,それほど難しくない状況が整っているかと思いますが,その点はいかがでしょうか?種田憲一郎氏(以下,敬称略):そもそもア

メリカにおいてチームSTEPPSというプログ

ラムは,国民の税金で開発され,教材も無償

で配布され,かつ普及に当たって連邦政府が

無償で指導者を養成するなど,国の事業とし

て取り組まれています。それを日本で普及・

活用する際にも,当初から私は,日本におい

ても無償で提供できる仕組みを作りたいと考

えてきました。

 具体的には,医療安全に関心のある企業と

共同して,研修テキストとなる記事や冊子を

作成する,また教材を開発する,ただし一緒

に作った記事やプロダクトは著作権フリーに

して,無償で配布していただく,といったこ

とですね。

 また,チームSTEPPSのビデオ教材も各種

ありますが,そちらはWEBサイトなどで講

師へ提供し,講師を通じて研修会に参加した

方々にも使っていただける形を取っていま

す。今後は,より多くの方に活用していただ

けるよう工夫していきたいと考えています。

アメリカ側とも定期的に電話会議などを行っ

ていますが,チームSTEPPSは公共の利益

に資するためのプログラムであり,営利目的

や特定の個人や団体の利益のために利用され

ることをアメリカ側は憂慮しているので,十

分な配慮が必要です。

特集1

キーワードは「チーム医療」「安全文化の醸成」安全教育トピックス

チームSTEPPS日本における導入の現状と課題「̶まずSBAR導入」の危険性,気づきを得る研修を

ス テ ッ プ ス 種田憲一郎氏 Kenichiro_TANEDA国立保健医療科学院 医療・福祉サービス研究部上席主任研究官(WHO西太平洋地域事務局 患者安全専門官)米国AHRQ TeamSTEPPS Master Trainer

日本国内におけるチームSTEPPSの普及は,2007年ごろから米国DoDのHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受け,国立保健医療科学院の研修卒業生を中心に,医療安全・チーム医療に取り組む仲間たち,在日米軍の医療機関とも協働した活動となり,WHO西太平洋地域の国々でも推進されつつある。

推進者・実践者に聴く!

種田氏種田氏

Battle氏Battle氏

Heidi氏Heidi氏

8 病院安全教育 Vol.1 No.1

Page 2: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

―今後,チームSTEPPSの普及に伴い,さまざまな形・場所で学習の機会が提供されていくと思います。その際,チームSTEPPSを効果的に学ぶ上で大事なことは何でしょうか?種田:チーム医療にかかわる学習は,講義だ

けでは特に伝わりにくいものです。私自身

は,研修する際に「一緒に考えましょう」と

メッセージを発信し,参加者の皆さんにとっ

て気づきを得る“体験の機会”を提供するこ

とを基本に考えています。

 皆さんがそれまでの臨床経験から学んだこ

とを持ち寄り,気づきを得て,お互いに共有

する。また,チームについての研究に基づき,

皆さんの経験を裏づけ,エビデンスを提供す

る。それがチームSTEPPSの研修のあり方

だと思っています。

 例えば,新しい医学や看護の知識・技術を

学ぶようなテーマであれば,気づきを得るよ

りも,講義を聴いて知識を吸収する割合が高

くなるでしょう。しかしチーム医療に関する

研修は,すでに医療現場で仕事をし,経験を

積んでいる方が,“チーム”という概念を意

識してはいないけれど日々体験していること

を,あらためて研修の中で振り返ることで,

より深く実感し,同時にさまざまな研究やエ

ビデンスを知ることで,さらに新たな学びを

得ます。チームSTEPPSというプログラムは,

チームにかかわる研究をしっかりレビューし,

評価し,その上で体系的に構築されています

から,チームの協働のあり方について,体系

的,効率的,効果的に学ぶことができます。

 逆に,チーム医療について一方的な講義を

聴いても,職場へ持ち帰り活用することは難

しいでしょう。自分の中で,気づきや,スト

ンと腑に落ちるところがないと,実務に活か

せないし,職場の仲間にもうまく伝えられな

いでしょう。これまで何十年もチーム医療の

必要性が説かれてきましたから,「今さらチー

ム医療? リーダーシップ? コミュニケー

ション?」と思う人もいるかもしれません。

あるテーマで議論し,そこで体験し,気づき

を得ると,実はその研修内容をそのまま各自

の組織へ持ち帰り,仲間に伝えることができ

て,普及にも繋がると考えています。

場所・設備がない中での 演習の工夫例

―その際,読者が院内で研修を設けることを想定すると,受講者の人数やスペースなどの制約により,体験型の学習機会を設定する難しさもあるのではないかと想像しますが,いかがでしょうか?種田:そこは工夫が必要です。いくつか具体

例を紹介しましょう。

 私も時々,数百名を対象にシアター形式や

スクール形式での研修をご依頼いただきます。

物理的にグループ研修をできる条件ではあり

ません。しかし,それでも私はチーム医療や

チームSTEPPSは講義では伝わらないと思っ

ていますから,工夫を重ねてきました。

 例えば,「…魔法の杖があります。その杖

を使うと1つだけ願いが叶えられます。皆さ

んがご自分の職場の安全や医療の質を向上す

るために,1つだけ叶えたいことは,どんな

ことですか?」と問いかけます。300名規模

の研修でも実施しましたが,まずお一人ずつ

考えを書いてもらい,次に隣の人と交換して

もらいます。そこで2人が共有できて,お互

いの気づきが生まれます。さらに,別な隣の

人と交換してもらいます。すると結果として

4~5名とグループワークができるのです。

これは“議論の雪だるま”という教育のテク

ニックですが,このように工夫をすれば,従

来であれば制約があって難しいと思われてい

た状況でも,演習が可能になります。私はで

きると思っているし,事実やってきました。

9病院安全教育 Vol.1 No.1

Page 3: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

 ほかにも,こんな方法を試みています。い

すが固定された階段教室のような場所で300

名全員がグループワークをすることはできま

せん。それでも通常は,舞台や踊り場などの

空間がありますよね? そこに長机を置き,

6~7名のグループを作ります。会場の広さ

にもよりますが,5~10組ほどのグループが

出来上がります。その人たちに演習をしても

らい,会場内の残りの人たちに観てもらいま

す。遠いですが,結構雰囲気は伝わります。

設備が許せば,ビデオカメラでグループの様

子を撮影し,スクリーンに大きく映す方法も

あります。

 また,参加者が1つの教室に入りきらない

時に,私の映像と音声を別の教室で流し,そ

ちらの教室でも限られたスペースに机を置い

てグループワークをしたりします。そういう

形でチーム医療の研修をするのと,講義だけ

でやるのとでは,まったく違います。

―なるほど,それは素晴らしい試みですね。発想を転換すれば,さまざまな形でグループワークの可能性を検討することが可能なのですね。種田:確かに,物理的な制限やコストの問題

はあります。たくさんコストを投じれば,よ

り贅沢な研修ができるかもしれません。けれ

ども,工夫次第で,制限のある中でもできる

ことが,まだまだあると私は思っています。

誰もが“成人教育”という言葉・概念は知っ

ていますが,どう実践するか,資源・設備の

限られた条件の中でどうするかという点は,

もっと工夫のしようがあります。

 私も,最初は「どれだけやれるかな?」と

思いました。でも,あえて主催者側にもチャ

レンジしてもらいました。結果として,ある

程度何とかなります。医療安全の教育では,

年2回の全職員を対象とした研修が求められ

ています。しかし多くの病院では,スペース

も限られているため,講義が中心ですよね。

私も時々,そういう場に呼んでいただき全職

員の研修をしますが,先ほど話したような方

法でやるのです。すると,みんな楽しく,今

までの研修以上に学んだり考えたり気づいた

りしていることが感想からわかります。それ

は参加した職員だけでなく,主催している医

療安全委員会のメンバーや管理者の方たちに

も「あ,こんなことができるんだ!」とヒン

トになるようです。

―このお話は,現場で研修を担当する方々にとっても大事なヒントであり,朗報ですね。あらためて研修企画の在り方を考えさせられる思いがします。

医療安全を契機とした 医療システムの問い直し

種田:現場の皆さんは,医師向け看護師向け

といった職種別の研修はパッとイメージが浮

かびます。けれども医療安全に関しては,職

種横断的に全職員が学ぶことが求められま

す。その点では,徐々に工夫がなされるよう

になってきましたが,さらに今後は医療安全

のテーマに限らず,全職種に共通のテーマを

設けて,先述のような方法で議論することも

可能だろうと思います。

 医療事故は多くの場合,システムに問題が

あり,チームとして機能しなかった最悪のケー

スです。そこを入り口として,今あらためて

医療において,さらには福祉の現場も含めて

「私たちは本当にチームとして機能できている

か?」「チームとして機能するためにはどう

したらよいか?」というテーマが顕在化し,

問い直されているわけです。

 私自身も,かつて医師として臨床で働いて

いた時には,チームやシステムとしての概念

は,あまり念頭になかったと思います。まず

は「目の前の患者さんに対して個人でベスト

10 病院安全教育 Vol.1 No.1

Page 4: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

を尽くせばよい」というのが,多くの医療者

の思いではないでしょうか。もちろん間違い

ではありません。しかし実質上,一人でやれ

ることは限られています。

 例えば,医師は診断して処方箋を書きます

が,薬を用意するのは薬剤師であり,そのあ

とケアするのは看護師だったりします。さら

に言えば,患者さんが地域へ戻って生活する

に当たり,それを支えるためにヘルパーやい

ろいろな人たちがかかわります。そのような

「システムの中で私たちは自分の役割を果た

しているのだ」という認識・理解は,おそら

く医療事故が顕在化し,医療安全が大きく取

り上げられるようになって,初めて考える機

会をもらったように思います。

 今まさに「医療・福祉におけるチームとは

何だろう?」「私たちは,患者さんと一緒に

何ができるのだろう?」と再考・再検討する

よい機会だと思っています。

東日本大震災や 原発事故からの学び

種田:話は少し本題とずれるかもしれません

が,現在,日本において安全を考える時,東

日本大震災や原発事故の問題を抜きには語れ

ないでしょう。医療安全にかかわる立場から

も,考えさせられることがたくさんあります。

 大前提として,当たり前のことですが「安

全はない」という事実を突きつけられました。

当初,原子力発電にかかわっていた人たちは,

「これ以上安全なものはない」「ほぼ100%安

全である」というほどの発言をされていまし

たが,そうではないことがわかりました。当

然ながら医療現場にも100%の安全はありま

せん。ビジネスであれ,どのような分野であ

れ,リスクフリーは存在しません。あるのは

リスクだけです。けれども,どれだけ低いリ

スクであれば,私たちが安全と考えて許容し,

医療・福祉サービスを受けられるか,という

ことだと思います。

 また,チームという概念とのかかわりで言

えば,津波からの避難にも多くの教訓があり

ます。東日本大震災の津波で,巻き込まれて

お亡くなりになった方々と,無事に避難できた

方々がいました。あらかじめ訓練していたとお

り,定められた避難場所に避難したにもかかわ

らず助からなかった方々がいる一方で,「ここ

にいては危ない」と感じた人が,その気づきを

皆で共有し,もっと高い場所へ避難して助かっ

ています。これはまさに,個人の気づきを活か

して,チームとしていかにして助け合えるかと

いう1つの大きな学びではないかと思います。

 資源が限られ,かつ複雑な医療現場におい

て,100%安全なシステムは作れません。「で

きるだけ安全なシステム」を目指しつつ,そ

こでカバーしきれない部分を,万が一に備え

て担保しようとするところでも,チームの概

念が必要になるのです。つまり,個人として

の気づきを,チームとしてどう活かせるかと

いうことです。

 チームの概念にも,さまざまな研究があり,

いろいろなモデルがあります。その中でチー

ムSTEPPSは,トレーニング・プログラムと

して非常によく研究されており,皆にうまく

伝わるよう,シンプルでありながら必要十分

な情報が整理され,かつメッセージの伝え方

が工夫されています。何かを伝える時には,た

とえ正確であっても,複雑であったり理解が難

しかったりするものは,うまく伝わりません。

 そのため,伝え方も工夫されたチーム

STEPPSを学んだ方々の多くが,日本や他の

諸外国でも「これはおもしろい。自分たちの

役に立つかもしれない」「今まで私たちが,感

じていたこと,気づいていたこと,けれどもあ

まり取り組んでこなかった課題を,何とかし

てくれそうだ」と注目を集めているわけです。

11病院安全教育 Vol.1 No.1

Page 5: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

「まずSBARから導入しよう」 とする風潮

―おっしゃるとおり,期待感と関心が高まっている印象を受けています。ただ,1つ懸念を覚える点があります。現在,チームSTEPPSに関心を持った医療現場において,とりわけSBARだけが単体で取り入れられる傾向があるように見受けられます。チームSTEPPSの概念を理解した上で,戦略的な意図があってSBARを手始めに導入する場合もあるかもしれませんが,もし,これがSBARの断片的な独り歩きを招くのだとしたら,いささか心配な気もしますが,この点についてはどう感じておられますか?種田:確かにそうした傾向があるようです。

特に看護師の方たちが,SBARだけを取り出

して,関心を持って取り組み始めている印象

はあります。けれども,結果として「うまく

いきません。どうしましょう」と相談を受け

ることがしばしばあります。

 なぜSBARだけが突出して関心を集めてい

るのでしょう? さまざまな理由,きっかけ

を想像できるところもあり,看護師の方々の

気持ちはよくわかるような気もします。例え

ば,医師とのコミュニケーションに困ってい

たところへ,効率的・効果的にチーム医療を

実践する1つのコミュニケーションツールと

してSBARが紹介され,歓迎されたのではな

いでしょうか。

 私がSBARを最初に紹介したのは4~5年

前になると思いますが,国立保健医療科学院

でやっていたチームSTEPPS研修の取り組み

を紹介する中で,チームSTEPPS全体のこと

と共に,それを実践する1つのツールとして

SBARなどのこともお伝えしました(参考:

http://www.medsafe.net/contents/recent/­

141teamstepps.html)。その際,具体的な事

例を通じて強調した部分でもあるのですが,

SBARの最も重要なポイントはA(As­sess­

ment:評価,アセスメント)とR(Rec­om­

men­da­tion­and­Request:提案,要求)なので

す。勇気を持って自分の評価・提案をきちん

と相手に伝える,ということです。

 その時に例示したのは,マスコミ報道を記

憶しておられる方も多いと思いますが,脳内

出血を起こした妊婦さんが救急搬送先の医療

機関から受け入れ拒否された事例です。一医

療機関内のコミュニケーションの問題ではな

く,医療機関を越えた患者さんの搬送・連携

に関するコミュニケーションがうまくいって

おらず,そこに欠けていたのは患者さんのア

セスメントと提案がされなかったことが原因

ではないでしょうか,という例として紹介し

ました。そして,医療機関同士が連携するた

めのコミュニケーションがうまくいかなけれ

ば,いくら病院の数を増やしても問題は解消

しないのではないでしょうか? というのが,

その時のメッセージの1つでした。

 SBARだけを取り出して導入しようとしても

うまくいかなかった例は,日本だけでなくアメ

リカにもあるようです。そこでツールの活用に

ついて,「チームに求められる全体的な概念を

理解した上で,それを実践するツールとして

SBARや各種のツールを用いることが重要」と

いうメッセージを皆さんにお伝えするよう努めて

きましたし,一緒にチームSTEPPSを指導し

ている講師の方々にもお願いをしてきました。

SBARだけを導入して 失敗する理由

種田:チームSTEPPSの全体像を理解した

上で,「まずSBARからやってみましょう」と

いうのはよいと思います。けれども,チーム

として求められることの全体像を理解しない

ままSBARだけに取り組むと,やはり失敗し

12 病院安全教育 Vol.1 No.1

Page 6: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

ていることが多いようです。

 失敗する理由は,いろいろあると思います。

例えば,看護師だけがSBARに熱心で,そのコ

ミュニケーションの相手が医師の際に,医師

にはSBARの主旨が理解されないまま,看護

師だけがSBARを使って一生懸命に発信して

も,必ずしも受け入れてもらえません。SBAR

の背景にあるチームの協働であるとか,患者

さんの安全を優先するために勇気を持って自

分の評価・提案を伝えるということに対して,

そもそも相手側の理解がないので,むしろ看

護師からの評価・提案に対して医師は批難す

るかもしれません。医師ばかりでなく,若い

看護師が勇気を持って自分の評価・提案を先

輩看護師に伝えた場合にも,相手にチーム

STEPPSの全体像が共有されていないとした

ら,やはりうまくいかないことがあるでしょう。

 特に,SBARに関していつもお願いしてい

るのは,「患者さんの安全を優先するための,

チームとして協働するためのツールです。そ

れを理解した上で,間違ってもよいから,勇

気を出して伝えた評価・提案が誤っていた時

には,決して責めるのではなく,改善・学習の

機会として指導してほしい」ということです。

 また,SBARは有効なツールだと思います

が,しかし“SBARだけを取り出した研修”

で求められているのは,チームとしての協働

ではなくて,評価・提案ができる個人として

の知識・スキルの向上なのです。例えば,「看

護師として,より適切な患者さんの評価と提

案をしてください」「医師に対してうまく報

告ができるように,看護師としての判断技術

を高めましょう」という話になるわけです。

けれども,チームSTEPPSの中で私たちが求

められているのは,チームとしての協働なの

です。個人中心からチーム志向へのパラダイ

ムシフトは,チームSTEPPSが提案する重要

なメッセージの1つです。

 例えば,サッカーなどのチームスポーツで

あれば,選手一人ひとりが体力をつけ,自分

の技術を磨き,個人技を高めるトレーニング

をします。そして同時に,チームとしての練

習をします。医療現場も同じだろうと思いま

す。医師は医師として,看護師は看護師とし

て,薬剤師は薬剤師として,臨床工学技士は

臨床工学技士として,医療事務は医療事務と

して,それぞれの教育課程で個人に求められ

る知識やスキルを学んできます。でも現場で

は,チームとして働くのです。ところが,チー

ムとしてどうやって働いたらよいかというト

レーニングを,私たちはしてきていないので

す。それで本当に現場でチームとして協働で

きるでしょうか。やはり難しいのではないで

しょうか。その結果,最悪の場合が医療事故

という形で現れてしまうわけです。

 それでも多くの場合,日常の現場がつつが

なく回っているのは,おそらく皆さんが個人

の臨床経験や社会経験をとおして他者と協働

するためにどうすればよいかを経験上学んで

いて,うまく実践しているからだと思います。

その意味では,チームSTEPPSの中で提案さ

れていることを,無意識ながらすでに実践し

ている方々もいると思います。しかし一方で,

「どうしてこういう人が私たちと一緒に働い

ているのだろう?」と感じることがあって,

必ずしも皆が協働できていない,そこに大き

な問題があるわけです。つまり,個人の経験

に頼る限り,チームとしての協働ができる人

とできない人が混在しているということです。

 あらためて申し上げますが,チームSTEPPS

の中で述べられていることは,皆さんが経験に

照らして「そう。これは重要だよね」と思うこ

と,すでに実践していることが多いのだろうと

思います。それらを含めていろいろなチームに

関する研究がレビューされて,体系化され,エ

ビデンスとして,国や文化を越えて共通する,

13病院安全教育 Vol.1 No.1

Page 7: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

チームの協働に必要なエッセンスとして紹介さ

れているのが,チームSTEPPSというプログラ

ムです。これを一部の方だけが実践しているの

ではなく,「皆が同じようにできるようになり

ましょう」という提案だと私は思っています。

 ですから,すでに経験から学び実践してい

る方々には,チームSTEPPSに提案されるエ

ビデンスに照らして,その重要性を再認識し,

今後は意識的に,自信を持って実践・普及し

ていただくことが求められます。他方,新人

や臨床経験の少ない方々については,従来で

あれば,各自が失敗をしながら経験を積む中

でチームとしての協働のあり方を学ぶまで待っ

ていたところを,これからはチームSTEPPS

を活用して体系的にチームとしての協働の仕

方を学び,早い段階から実践する。そこがす

ごく重要なところだと思っています。

―すでに自分が持っている内的資源を,単なる経験則としてではなく,エビデンスに基づいて肯定的に評価できる,だから自信を持って取り組んでいけるという点は,とても勇気づけられることですね。

最も効果的で,最も実践され ないディブリーフィング

―「まずSBAR導入」の問題点に言及していただきましたが,逆に,チームSTEPPSの全体像をきちんと理解しているという前提で,「まずこのツールから導入してみると効果的」というものはありますか?種田:アメリカの去年の総会でも言われてい

たことですが,チームとしてうまくやるため

に最も効果的であるにもかかわらず,最も実

践されていないのは,ディブリーフィング

(振り返り)です。何かを終えた時,皆で集

まり「何がうまくいき,改善点は何か,次に

何ができるか」という基本的な振り返りが,

ほとんどの医療現場で実施されていません。

 ほとんどの現場で,事前に業務の打ち合わ

せ(ブリーフィング)はしています。でも,

一通り業務が終わった後の振り返りをしてい

ないです。私の個人的な経験から言ってもそ

うです。「ああ終わった,よかった」で帰っ

てしまいます(笑)。

 もちろん,そこにはいろいろな理由があり

ます。看護業務を例に取れば,日勤の時間帯

には各自の役割があり,その業務を時間内に

終えるのに苦労しており,記録作業も含めて

その終わり方がバラバラです。とりあえず自分

の役割を終えたら早く帰りたい気持ちもあるで

しょう。そんな中で「全員,手を止めて,一緒

に振り返りをしましょう」と時間的にタイミン

グを合わせるのは難しいこともあるでしょう。

 でも,この振り返りをやっている病院は少

ないですが,あります。先輩看護師が「あと

○分で終わらせましょう」と後輩看護師を助

けて,皆が手を止めて1日の振り返りをして

いるようです。WHOが提案する『手術安全

チェックリスト』の中にもブリーフィングが

あり,手術直前のタイムアウトがあり,そし

て終わった後のディブリーフィングが重要な

要素として入っています。

 チームとしてのディブリーフィングは,今

まで私たちがあまりやってこなかったところ

です。昼間に生じたうまくいかなかったこと

を,そのまま準夜・深夜に引きずることもあ

りますから,きちんと振り返りをして共有し

ておくことが大事です。自分の役割を果たす

だけで精一杯だとしても,せめて4~5分の

振り返りをすることで,改善点を見つけられ

るだけでなく,よくできたことも認めてあげ

れば,次の実践のモチベーションにもつな

がっていきます。ですから,チームとしてう

まく協働するために,あえて1つだけ挙げる

とするなら,まず取り組んでほしいと思うの

が,このディブリーフィングなのです。

14 病院安全教育 Vol.1 No.1

Page 8: 安全教育トピックスHeidi King氏とAHRQのJim Battle氏の協力を得て,国立保健医療科学院 において開始された。その後,ミネソタ大学Karyn Baum教授の支援も受

日米協働による “チームSTEPPS Japan”の構想

―それでは最後に,今後の展望をお聞かせください。種田:すでにチームSTEPPSを一緒に学んで

いただいた方が,結構な数になっています。今後

は,私自身よりもその方たちに,いろいろな場で

教育研修や指導をしていただくこと,そのための

継続した支援を提供していくことが,実質的な

普及の上で重要になってくると思っています。

 こうした教育すべてに当てはまることですが,

学んだ人たちが,次に自分が指導する立場にな

ることで,知識やスキルが深められ定着してい

きます。指導する中で学びが浅かった部分に気

づいたり,新たな疑問が出てきたりしますから,

そこを常に指導者の間でコミュニケーションを

取ってフォローしていくことが,指導の質を担

保しつつ適切に普及するために重要だと思って

います。一度の講義中心の研修だけを受講し

て,指導者として認定することは不適切です。

 そのためにも,“チームSTEPPS­Japan”

というような,日本でチームSTEPPSをよ

りよく指導し実践するためのコアとなる組織

を,既にある指導者のネットワークを基盤に

して作っていく予定です。これは現在,アメ

リカとも相談していて,米国AHRQおよび国

防省の関係者を含めてサポーターになっても

らう方向で,おおむね快い返事を得ています。

 また,日本の特徴的な事情として,在日米

軍がありますが,そこにはアメリカの医療施

設があって,随分前からチームSTEPPSに取

り組んでいます。日本人の職員も結構いるので

すが,その方たちに日本語でチームSTEPPS

を指導してほしいというリクエストも以前か

らあります。もう3年になると思いますが,

私に依頼があり,日本人の研修医にチーム

STEPPSを教えに行ったこともありますし,

アメリカ人のスタッフに対して指導者の養成

を一緒に行ったこともあります。逆に,在日

米軍の方に,日本のシンポジウムで講演をお

願いすることも最近ありました。

 在日米軍があるという特殊な状況の中では,

日本とアメリカという2つの国が,もっと協

力して日本語でチームSTEPPSの指導に当た

ることが,相互にとって価値のある活動だと

思っています。実際,軍の病院では対応でき

ない患者さんを,時々日本の病院に紹介する

ことがあります。医療機関の間で患者さんの

引き継ぎをする際にチームとしての協働が必

要になりますから,そこでチームSTEPPSの

ような概念が共有されていれば,より適切な

引き継ぎができて,より適切なケアを患者さ

んに提供することにもつながるでしょう。

 いずれにしても,日本におけるチームSTEPPS

普及の窓口,拠所,コーディネーションを担

うグループのようなものを,アメリカ側にも

認めていただいた上で,立ち上げる準備をし

ているところです。

(注:内容は私個人の意見であり,私の所属する組織を代表する意見ではありません。また公共の利益に資する目的で無報酬で協力しています。)

―本日は貴重なお話をありがとうございました。(取材・文責 1グループ:東京事務所 市川芳嗣)

15病院安全教育 Vol.1 No.1