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特集 住民を巻き込むにぎわい再生
タブー乗り越え共同浴場を復元内藤廣氏が仕掛けた「まちづくり塾」が山代温泉再生のきっかけに
富山県
福井県
石川県
金沢小松空港
国道8号
北陸本線山代温泉
28 NIKKEI ARCHITECTURE 2012-11-25
内藤廣氏が10年以上、街づくりに関
わってきた石川県・山代温泉で、街の
核である総湯(共同浴場)が生まれ変
わった。総湯建て替えはタブー視さ
れていたが、内藤氏と住民の議論が
きっかけとなって乗り越えた。
老朽化した鉄筋コンクリート(RC)造の総湯を明治時代の木造(古総湯)に戻し、隣接する旅館跡地に新しい総湯を建てる──。街ぐるみで老舗温泉の中心部を再生するプロジェクトに、建築家で東京大学名誉教授の内藤廣氏は10年以上関わってきた。街づくりの舞台は、石川県南部にある加賀温泉郷の1つ、山代温泉だ。 新たな総湯は2009年8月、復元した古総湯は10年10月にそれぞれオープンした。古総湯の周辺を指す「湯
ゆ
の曲が わ
輪」の整備も11年2月までに完了した。ピンコロ敷きの道路は、イベント時に広場として使える。温泉情緒あふれる風景が、山代に戻ってきた。 総湯利用者数は、08年度の約36万人(旧総湯)から10年度は約63万人(新総湯)へと約75%増加。11年度も約61万人をキープしている。観光客の利用が増えたことが利用者数を押し上げている。
「街を何とかしてほしい」
話は10年以上前に遡る。「足を運ぶたびに、温泉旅館の灯が1つずつ消えていく。そんな状態だった」。
山代温泉古総湯(写真中央)と総湯(写真右)。古総湯の復元設計は文化財保存計画協会、総湯の設計は内藤廣建築設計事務所、街路のデザインはナグモデザイン事務所。古総湯の周りは古くから「湯の曲輪(ゆのがわ)」と呼ばれ、広場としての機能を有していた。建物と街路の一体的なデザインで、街の核を再生した(34ページまでの写真:特記以外は吉田 誠)
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左:ライトアップされた古総湯。2階には休憩所が設けられ、約6mの高さの四方から湯の曲輪を見下ろすことができる右:古総湯の浴室。明治期の建物と同じく、シャワーや蛇口はない。ステンドグラスやタイルは、古写真などを基に復元したもの
湯の曲輪を浴衣姿で歩く観光客。整備後、総湯の入場者数は年間で約27万人も増加した。写真奥に新築した総湯が見える
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当時の山代温泉の様子を、内藤氏はこう振り返る。 山代温泉は1300年の歴史を持つ北陸最大級の温泉街。しかし、バブル経済崩壊後の観光客の落ち込みは激しかった。大規模な設備投資で大型化した旅館は、相次いで財務状況が悪化して廃業。内藤氏が山代温泉と関わるようになったのは、観光客減少が街全体に暗い影を落としていた時期だった。 共通の知人に紹介され、加賀市前市長である大
おおさ か
幸甚氏と会ったのが、山代温泉との関わりの始まりだった。大幸氏から「街を何とかしてほしい」と言われ、何度か足を運ぶうちに、住民や商店街との付き合いが増えていった。 街と関わるなかで内藤氏が仲間に引き込んだのが、デザイナーの南雲勝志氏(ナグモデザイン事務所代表、東京都渋谷区)だ。内藤氏とは宮崎県日向市などの街づくりに共に関わってきた。南雲氏は住民と何度も街を歩き回り、観光客が歩きやすいルートづくりや案
内サインの検討を続けた。 内藤氏と南雲氏は、04年度に加賀市が設けた「山代温泉再生グランドデザイン戦略会議」のアドバイザーに2人そろって就任。内藤氏がこの会議で提案したのが「まちづくり塾」だった。2人が講師となり、住民や温泉旅館のメンバーが車座になって徹底的に互いの意見を言い合う場だ(写真1-1)。
タブー化された街のシンボル
しかし、まちづくり塾は当初、うまく機能しなかった。内藤氏は当時の様子を「まるで要求集会だった」と振り返る。ある住民はコンベンションセンターが必要だと訴え、違う住民は広い駐車場を求めた。住民らは「講師なのだから落としどころを示せ」と内藤氏を突き上げた。職種を超えた議論がそれまでなかった結果であり、住民の危機感の裏返しでもあった。 話が進まない最大の問題点は、「街の中心に位置し、シンボルである総湯の建て替えがタブーだった
ことだ」(内藤氏)。総湯とは、住民や観光客が有料で利用できる共同浴場のこと(写真1-2)。山代温泉は、街の中心に総湯があり、そこから道路が放射状に延びる特徴的な町割りを持つ。江戸時代から、総湯は四角い広場の中心にあった。広場は「湯の曲輪」と呼ばれ、周りにはぐるりと旅館が立ち並んでいた(図1-1、写真1-3)。 総湯は何度も建て替えられたが位置は江戸時代のままで、湯の曲輪は道路として今に引き継がれている。しかし、まちづくり塾が開かれていた当時の総湯はRC造で大型化しており、歴史的な景観とはほど遠いものだった。 南雲氏は「誰もが、総湯や湯の曲輪の再生なくして山代の再生はないと心の中では思っていた。でも口には出さなかった」と話す。
失われた歴史的景観
なぜ総湯がタブーなのか。これには、山代温泉特有の事情がある。加賀市は、1958年に山代町を含む
古総湯の位置にあった旧総湯。RC造で敷地いっぱいに建っていたため、ゆったりとした湯の曲輪の雰囲気はなかった(写真:文化財保存計画協会)
内藤廣氏の呼びかけで、住民を集めてまちづくり塾を開いた。初めての会合の閉会後、内藤氏は参加した住民から「旅館の人たちと議論する場がこれまではなかった」と声を掛けられた
写真1-2 旧総湯はRC造写真1-1 車座になって開いた「まちづくり塾」 (写真:内藤廣建築設計事務所)
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特集 住民を巻き込むにぎわい再生
明治時代の総湯。にぎわいがあり、2階の休憩室には多くの人が見える(写真:加賀市)
1852年の温泉寺縁起図には、当時の湯の曲輪が描かれている。中心に総湯があり、四角い広場を囲むように旅館が並ぶ(資料:加賀市)
図1-1 1800年代の湯の曲輪 写真1-3 明治時代の総湯
9町村が合併して誕生した。ただし、山代町は合併に当たり、町が所有・管理していた温泉に関わる施設などを加賀市に引き継がず、「山代温泉財産区」に移管した。 財産区とは地方自治法が規定する「特別地方公共団体」の1つ。財産区民である旧山代町エリアの住民は、他の住民よりも総湯に安く入浴できるなどの権利を有する。 総湯がタブー視されていた理由の1つはこの仕組みにあった。加賀
市は、同じ自治体の一種である山代温泉財産区の所有施設に対して財源を拠出できない。つまり総湯の建て替え費用は、財産区自らが捻出しなければならなかった。 一方で、財産区が積み立てていた基金は6000万円程度。議論は以前からあったものの、住民負担で建て替える案はまちづくり塾が始まる数年前に頓挫していた。 グランドデザイン戦略会議で会長を務めた吉田眞啓氏(山代温泉
旅館協同組合理事長)は「財源がないのに議論しても、トラブルになるだけだと思っていた」と話す。 まちづくり塾に毎回のように参加していた髙間斉氏(髙間時計店代表)は、「財産区は、利権を持った『地域エゴの固まり』のようなもの。よそ者が触れるなという雰囲気があったかもしれない」とも言う。よそ者とは内藤氏や南雲氏のほか、加賀市も含まれる。
動き出した湯の曲輪再生
車座で議論してきたまちづくり塾の4、5回目でのこと。内藤氏と南雲氏によれば、「それは突然の出来事だった」。参加者の1人が手を挙げ「これからは総湯の建て替えを議論しよう」と声を張った。この日のまちづくり塾に参加していた中道一成氏(べにや無何有社長)は、「今やらないともうできない。そんな思いが参加者全員に湧き上がっていた」と言い、こう続ける。「内藤さんたちは、参加者から出る
写真1-4 総湯は古総湯の脇役
写真中央が総湯。右に見える古総湯に対して目立ち過ぎないように、屋根の割り方や瓦の色などに気を使った。景観になじむように、タンクも木材で囲った
総湯
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「意見に『正しい、間違っている』とは言わない。だから、自分たちでこの街をどうしたいかを考えなければならなかった」 「この発言で街づくりが動き出した」と内藤氏は言う。まちづくり塾の意見などを基にグランドデザイン戦略会議がまとめた報告書では、木造の総湯に建て替える案を盛り込んだ。 中道氏も指摘するように、この間、内藤氏や南雲氏が現実的なアイデアを提案したわけではない。では、2人がもたらしたものは何だったのか。髙間氏は「他の街のエピソードを披露してくれること
街並みを再生した湯の曲輪の周辺。登録有形文化財である旅館など、歴史ある建物が残されていたが、なかには大きな看板によって風格ある外観が隠されてしまっていたものもあった。補助金などを活用して、建物の修景も進めた(資料:文化財保存計画協会)
:高層建物:高層建物:高層建物:高層建物:高層建物:高層建物:戦前築:戦前築:戦前築:戦前築:戦前築:戦後築:戦後築:戦後築:戦後築:戦後築:新築:新築:新築:新築:拠点施設:拠点施設:拠点施設:拠点施設:拠点施設:拠点施設:街並み再生:街並み再生:街並み再生:街並み再生:街並み再生:街並み再生:街並み再生
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総湯総湯総湯総湯総湯総湯
はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂はづちを楽堂
温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り温泉通り
湯の華商店街通り
湯の華商店街通り
湯の華商店街通り
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源泉公園源泉公園源泉公園源泉公園源泉公園
湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪湯の曲輪
古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯古総湯
あけぼの通り
あけぼの通り
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あけぼの通り
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あけぼの通り
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観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂観音堂
薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院薬王院
薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り薬王院通り
図1-2 温泉街の中心である湯の曲輪の再生
平面図 1/1,000
で外から新鮮な空気を入れてくれた」と言い、吉田氏は「誰の意見にも耳を傾けてくれることで、議論のしやすい雰囲気が生まれた」と語る。山代に必要だったのは理論的な指導ではなく、地元が1つになるためのきっかけ。それを担ったのがまちづくり塾だった。
廃業旅館を市が購入
グランドデザイン戦略会議の後を受け、06年に立ち上がった総湯再生委員会でも会長に就いた吉田氏に、内藤氏は「建て替えるなら昔の総湯に復元すべきだ」とアドバイスした。山代の「核」を復元
し、街全体を蘇生させるという案に、吉田氏は「我々には全くなかったアイデア。素晴らしい案だと思った」と話す。内藤氏が自分のアイデアを口にするまで、5年以上が経過していた。 ただし、議論は緒に就いたばかり。財産区の問題が解決されたわけではなく、それ以外の課題も山積みだった。復元すれば浴室は小さくなり、共同浴場としての機能が満たされなくなる。建て替え期間に住民が利用する代替浴場の建設も必要だった。 こうした問題の解決に動いたのは、内藤氏らではなく地元だった。
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特集 住民を巻き込むにぎわい再生
古総湯復元の議論を進めている最中の06年4月、湯の曲輪に隣接する旅館である吉野屋が廃業した。旅館組合や財産区、区長会などの意見をまとめ、加賀市に吉野屋の敷地を購入してほしいと要望した。「仕組みづくりは地元にしかできない」。このとき、リーダーシップを
発揮したのは吉田氏だった。 廃業した吉野屋の敷地を確保すれば、復元する古総湯と新しい総湯を別個に整備できるので、収容力不足は解消する。隣の敷地に新総湯を整備し、その後で総湯を解体すれば、代替浴場も必要ない。 地元の要望を受けて、加賀市は
吉野屋の敷地購入と、その敷地での新総湯建設を決定。市は新総湯の設計を内藤廣建築設計事務所に依頼した。こうして、古総湯と新総湯の建設が決まった。古総湯はにぎわいのあった明治期の姿に復元することになった(上の囲み参照)。
山代温泉総湯は、何度も増築や建て替えを繰り返してきた。復元することが決まった後、収集資料や地元での議論を踏まえて、1886年(明治19年)に建て替えた際の姿に復元することが決まった。木造寄棟2階建てで4面同じ意匠のシンボル性の高い建物だ(写真1-5)。 明治期の総湯に関する資料は、モノクロの写真や絵図などが残っていた。まずは古写真を解析し、梁間や桁行の柱ピッチ、屋根の勾配などを求めた。
柱位置で悩んだ明治期への復元
1階と2階で柱の位置が違う
しかし、構造上の問題点が判明した。写真から求めた2階の柱を垂直に下ろすと、1階浴室の隅に柱が現れるはずだったが、明治中期の絵図には描かれていない。復元設計を担当した文化財保存計画協会代表の矢野和之氏は、「当時の一般的な工法では、柱は1階から貫通していたはず。そのほうが構造も合理的だ。一方で絵図を信じないわけにもいかなかった」と話す。
ヒントになったのは大正時代の資料だった。2階の休憩所は閉鎖されており後に撤去された可能性が高かった。「無理のある構造を採用していた可能性がある」(矢野氏) 矢野氏は資料や写真を基に、1階と2階の柱は別だったと結論付けた。大断面の梁を組み、その上に2階の柱を載せた。矢野氏は、「復元には理詰めで解けないものもある。可能な限り同時期の類例を探し、当時の技術などから推測することが必要だ」と話す。
土間土間土間土間土間土間土間土間土間土間土間土間
座敷座敷座敷座敷座敷座敷座敷
南浴室南浴室南浴室南浴室
古総湯断面図 1/250
写真1-5 写真や絵図を基に復元
明治時代の姿に復元した山代温泉古総湯。ステンドグラスは当時の最先端の技術だった。屋根には古瓦を使用
山代温泉古総湯▶所在地:石川県加賀市山代温泉18-128-1ほか ▶主用途:公衆浴場 ▶地域・地区:商業地域 ▶建蔽率:33.48%(許容80%) ▶容積率:45.40%(許容400%) ▶敷地面積:632.83m² ▶建築面積:211.91m² ▶延べ面積:287.35m² ▶構造:木造▶発注者:山代温泉財産区 ▶設計・監理者:文化財保存計画協会 ▶総事業費:2億8620万円 ▶設計・監理料:2580万円 ▶総工費:2億6040万円 ▶開業日:2010年10月3日
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脱衣所1脱衣所1脱衣所1脱衣所1脱衣所1 中庭中庭中庭浴室1浴室1浴室1浴室1浴室1浴室1浴室1浴室1浴室1浴室1
休憩休憩休憩休憩コーナーコーナーコーナーコーナーコーナー
機械室機械室機械室機械室
電気室電気室電気室電気室職員休憩室職員休憩室職員休憩室職員休憩室職員休憩室職員休憩室
浴室2浴室2浴室2浴室2浴室2浴室2浴室2浴室2浴室2
大屋根:浅瓦ぶき、釉薬粘土瓦 JIS 53B
下屋根:浅瓦ぶき、釉薬粘土瓦 JIS 53B
床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8床:ココヤシタイルカーペット t=8
落とし口:銅製アンコー、軒樋φ120半丸、縦樋64×57
軒樋:銅製:φ120半丸支持金物 @450
木製建具:ヒノキ框戸
天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材天井:アクリル樹脂系仕上げ塗材(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ(吹き付け工法)リシン状仕上げ
鼻隠し:スギ30×255(木製保護塗料塗布)軒天:スギ小幅板張り t=15(本実加工)木材保護塗料塗布格子窓:スギ 木材保護塗料塗布
瓦壁取合部:水切り金物(板金屋根同材)、中のし2段、しっくい面戸
休憩コーナー階段室休憩コーナー
職員休憩室
機械室
壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材壁:アクリル樹脂系仕上げ塗材(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ(左官工法)ゆず肌仕上げ
木製建具:格子大戸引き戸 スギ
敷居:錆御影石 レール真ちゅう製
総湯矩計図 1/80
総湯断面図 1/400
古総湯が主役、新総湯は脇役
財源の問題は、財産区が加賀市に総湯の敷地を一部売却することでクリアした。明治期の古総湯は既存の総湯よりも一回り小さい。余った土地を加賀市が収用して、湯の曲輪に広場としての機能を取
り戻す。一石二鳥のアイデアだ。 内藤氏は新総湯の設計に当たって、「古総湯が主役、新総湯は脇役」というコンセプトを定めた。かつて建っていた旅館の外観を踏襲しつつも、湯の曲輪に対する面が妻入りだと存在感が増すので、下屋を出して目立つのをできるだけ
抑えた(写真1-4、図1-2)。 山代温泉ではかつて、「旅館が客を囲い込むから街に観光客が出てこない」という声が絶えなかった。古総湯と湯の曲輪を再生したことで、山代温泉は「浴衣姿の観光客がそぞろ歩きする街」へ変わろうとしている。
山代温泉総湯▶所在地:石川県加賀市山代温泉万松園通2-1 ▶主用途:公衆浴場 ▶地域・地区:区域区分非設定 ▶建蔽率:54.57%(許容80%) ▶容積率:84.92%(許容400%) ▶敷地面積:1397.42m² ▶建築面積:762.62m² ▶延べ面積:1186.69m² ▶構造:RC造一部木造 ▶発注者:加賀市 ▶設計・監理者:内藤廣建築設計事務所 ▶総工費:5億4670万円 ▶開業日:2009年8月2日
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