〈喩伽女yogini〉 考 - j-stage home

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(1) 〈 喩 伽 女yogini〉 うい う こ と は長 い人 生 の 間 に よ く起 こ る こ とで あ るが 、 コ コ ア を 出 して くれ た 後、 本物の ナイカを見た ことがあ るか と訊ね られた とき、 〔ヨハ ネ ス ブル グ出身 の チ ェ ロ演 奏 家 〕 ジ ェニ ーの 目的 が ど こ にあ るか わ か った 。 今 で は この部 屋 に入 った と きの私 の 混 乱 の 理 由 もわ か った 。 私 に何 も教 え ず に 彼女 はナ イ カ、 タ ン トラ教 の あ る種 の儀 式 の 聖 な る相手 を 具 現 して いた の で あ る。 ま だ 秘 儀 を 伝 授 され て い な い ら儀 礼 的な裸体のナ イカを見た ことはな い、 と私は答えた。 《私 たちは一緒にそ の儀 礼 を行 な え るか も しれ ま せ ん ね 》 と ジ ェニ ー が言 った。 《グルが居合わせない と ころ で は出来 ませ ん》 と私 は応 じた 。 《誰 か探す ことは出来ますわ》 と彼女は言 っ た。 《そ して見つけた ときに は…》 『エ リアーデ回想』 1. 問 題の所在 命 題 に は、 それ に付 随 し、 そ れ か ら派 生 す る幾 っ か の 系 が 存 在 す る。 「般 若 母 タ ン トラ と は何 で あ るの か」 とい う私 の 自 らに す る設 問 に は、 「喩 伽女とは何であるのか」という系があるはずである。このことは 『初会金 剛頂 経 』(従 って喩 伽 タ ン トラ〕 の竿 頭 一 歩 を進 め た と信 じた 後 世 に無 上 喩伽 タ ン トラ と称 され る グ ル ー プが 「当初は故意にではなかったであろう に、 理(男 尊)の 調 され る経 と女 理 (女尊) の 強調 され る経 典 と の二 大 分 派 を意 識 しっ っ 展 開 して い く。 前 者 は男 性i喩伽 者 タ ト ラ (Yogin-tantra)、 は女性 喩伽 ト ラ (Yogini-tantra) と命 名 され 、 チ ベ ッ トで は それ らを独 自 に父 タ ン トラ と母 タ ン トラ、 或 は -138-

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(1)

〈 喩 伽 女yogini〉 考

静 春 樹

うい うことは長 い人生の間 によ く起 こることであ るが、 ココアを出 して くれた

後、 本物の ナイカを見た ことがあ るか と訊ね られた とき、 〔ヨハ ネ ス ブル グ出身 の

チ ェロ演 奏家〕 ジェニ ーの 目的が どこにあ るかわか った。今で は この部屋 に入 った

ときの私 の混乱の理由 もわか った。私 に何 も教えずに彼女 はナ イカ、 タ ン トラ教 の

ある種 の儀 式の聖な る相手 を具現 して いたのであ る。 まだ秘儀を伝授 され ていない

か ら儀礼 的な裸体のナ イカを見た ことはな い、 と私は答えた。 《私 たちは一緒 にそ

の儀礼 を行 なえ るか もしれませんね》 とジェニーが言 った。 《グルが居合 わせない

ところで は出来 ません》 と私 は応 じた。 《誰 か探す ことは出来ますわ》 と彼女は言 っ

た。 《そ して見つけた ときに は…》

『エ リアーデ回想』

1. 問 題 の 所 在

命 題 に は、 それ に付 随 し、 そ れ か ら派 生 す る幾 っ か の 系 が 存 在 す る。

「般 若 母 タ ン トラ と は何 で あ るの か」 とい う私 の 自 らに す る設 問 に は、 「喩

伽女 と は何 で あ る のか 」 と い う系 が あ る はず で あ る。 こ の こ とは 『初 会 金

剛頂 経 』(従 って喩 伽 タ ン トラ〕 の竿 頭 一 歩 を進 め た と信 じた 後 世 に無 上

喩伽 タ ン トラ と称 され る グ ル ー プが 「当 初 は故 意 にで は な か った で あ ろ う

が 次 第 に、 男 性 原 理(男 尊)の 強 調 され る経 典 と女 性 原 理 (女 尊) の 強 調

され る経 典 と の二 大 分 派 を意 識 しっ っ 展 開 して い く。 前 者 は男 性i喩伽 者 タ

ン トラ (Yogin-tantra)、 後 者 は女 性 喩 伽 者 タ ン トラ (Yogini-tantra)

と命 名 され 、 チ ベ ッ トで は それ らを独 自 に父 タ ン トラ と母 タ ン トラ、 或 は

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方 便 ・父 タ ン トラ と般 若 ・母 タ ン トラ と も呼 ぶ(1)。」 ことか ら も明 らか で

あ る。

無 上 喩 伽 階梯 の タ ン トラを 〈 方 便 父 タ ン トラ〉 と〈 般 若 母 タ ン トラ〉

の二 つ に分 け、 そ の上 に カー ラチ ャ ク ラ ・タ ン トラ を も って 〈 不 二 タ ン ト

ラ〉 と して立 て る分 類 は、 チ ベ ッ トの学 匠 プ トン (Bus ton rin chen grub

A. D. 1290-1364)が 『チ ベ ッ ト大 蔵 経 」 編 纂 に あ た って 適 用 した もの で あ

り、 成 立 年 代 的 に ま た 内容 的 に等 級 化 され た 分 類 法 は今 日 も重 宝 され 学 界

にお いて も大 方 の 同意 を得 て い る よ うで あ る(2)。 しか る に 当 然 明 らか な

もの と して 用 い られ て い る〈 方 便 父 タ ン トラ〉 と〈般 若母 タ ン トラ〉 の 二

っ の 区 別 と定 義 に関 して、 筆 者 の 目 に した も の で は次 に挙 げ る記 述(3)を

出 た もの は あ ま りな い ので あ る。

「(略) 方 便 ・父 タ ン トラ系 で は、 大 宇 宙 で あ る法 身 の 展 開 と して の 五

仏 ・四 明妃 ・八 菩 薩 な どを、 現 実 世 界 を構 成 す る緬 処 界 に配 し、 究 極 的 に

は これ らを無 自性 空 ・清 浄光 明(prabhasvara)と 観 じて 、 小 宇 宙 と大 宇

宙 の不 二 に い た る。 般 若 ・母 タ ン トラ系 で は、 行 者 の身 体 に抑 圧 を加 え、

生 気 の 導 管 で あ る脈 管(nadi)と 霊 の 中 心 で あ る輪(cakra)を 支 配 して、

菩 提 心 を下 位 か ら次 第 に上 昇 させ、 小 宇 宙 と大 宇 宙 の双 入(yuganaddha)

した不 変 の大 楽 を得 る。 そ の過 程 にお い て 、 母 タ ン トラ系 で は、 女 性 を大

印(mahamudra)と して用 い る。 この意 味 にお いて 、 母 タ ン トラ系 の 修

法 に は外 教 的 な色 彩 が 強 い。」

プ トン自身 も 「清 浄 な る風 を五 如 来 に説 くもの が父 タ ン トラ、 清 浄 な る

脈 管 を ダ ー キ ニ ー に説 く ものが 母 タ ン トラで あ って」 と修 法 にお け る体 系

の相 違 か ら プ ラ グ マ テ ィ ック な説 明 を して い るが(4)、 そ の 説 明 が 仏 教 タ

ン ト リス トた ち の間 で 諸 流 派 の成 立 を み た後 の こ と はい ざ知 らず 、 八 世 紀

前 半 と され るそ の 萌 芽 期 、 同 世 紀 後 半 の興 隆 期 に起 源 と基 盤 を異 にす る と

さ れ る(5)二 っ の傾 向 が いか に形 成 され た か の視 点 を包 含 し た も の と は 考

え られ な い。

筆 者 は先 の小 論(6)で 仏 教 タ ン ト リス トの組 織 す る〈 集 会 Mela(7)〉 を キ

〈楡伽女 yogini〉

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ーワー ドに、当時の伝承 し信奉された特異な儀礼をもっ社会下層に位置す

る女性集団に近づき彼 らの儀礼に仏教的意味付けをしたグループを同義反

覆のおそれをかえりみず特に 「母 タントラ的仏教徒」 と仮に定義づけた。

ヒンドゥー的土壌における性力派(Sakta)の 影響の問題 は しば らく置

く(8)と して、そもそも無上喩伽階梯では母タントラだけに限 られること

なくその修法にとって、それまでの階梯では頻出した手印が姿を消 して く

るのと符号 して生身の印契(ム ドラー)の 存在 は不可欠(9)な のである。

そして 「清浄なる脈管をダーキニーに説 くものが母 タントラ」 とあるよう

に、ダーキニーに理念的表現をみる下層カース ト・アウ トカース トの特定

の女性集団(喩 伽女)の 存在が、母タントラ的傾向の仏教 タントリストに

は前提となるのである。それでは 『真実摂経』において既に見え隠れする

〈原集会(10)〉に現れる印(印 契女(11))と喩伽女との関係はどのよ うに説明

すればよいのだろうか。

仏教タントリズムのなかに現れる喩伽女をすべて洗い出し、インドの歴

史と社会関連のなかにその出自を探ることは私の力を遥かに超えたことで

ある。ここでは母タントラの経典のいくっかに限って見ていくことにする。

〈喩伽女〉の考察にあたってはまず最初に、母タントラ研究の礎を置い

たと言ってよい津田真一博士が、その論文の終わりでひとっの設問を出 し

て、筆を置いている地点から出発 したい。

「これまで、広義のDakinijala即 ち、当時の密教徒が現実にそれに参

加 し、そこに於いて彼 らの宗教理想たるSarpvaraが 実現 された(或 いは

その実現が保障されていた)は ずの〈集会〉(Melaka)の 「実態」をSU

中の文献的証拠から再構成 してきたのであるが、勿論これで充分であるの

ではない。殊に重要な要素 としての、集会に於いて阿閣梨の喩伽の相手を

っとめる女性(Vama? 8-12)に 関する検討を欠いている。この種の女性

はHevajraに 於 いてはMahamudraと して しば しば叙述 され るが、SUで

はそれを見い出し難い。 したがって、 このVamaと 狭義Dakinijala即 ち、

何ほどか地縁的なる女修行者の集団 との関係 も不明である。Vam乱 はこ

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Page 4: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(4)

の集団の、喩伽に熟達 した女指導者(Cakrasamvara-nayika 8-30)な の

か、それとも、Hevajraに 云 う如 く、集会に於いて新たに献ぜ られる十六

歳の処女なのか、その他解明されるべき問題 は多い(12)。」

この示唆に富む津田氏の問題提起に導かれ鼓舞 されっっ、一定 の 「深読

み込み」 と 「左道的」解釈を許す 『真実摂経』の前述箇所にも既に登場す

る、そ して母タントラにおいては 「殊に重要な要素 としての、集会に於い

て阿閣梨の喩伽の相手をっとめる女性」の性格規定を求めるべ く、筆者 は

〈集会〉 という視点か らHevajra二 儀軌(13)とSU(14)の比較対照に取 り組ん

だのである。その結果は先の小論(15)で発表 したがその要点は、二儀軌の

Gapamandalaは 、本来的な阿闊梨 と特定の弟子(た ち)お よび儀礼 に必

要とされる数の楡伽女だけに限定 された人数で行なわれる修法のための閉

集団であること。翻 ってSUの 集会 は先ず集会に必要な資財を負担(布 施)

する施主の希望に基づいて招集 されるものであり、それは参加を願 う男女

タントリス トに対 して広 く開かれた性格をもち、集会を指導する阿闊梨 も

有資格者の内か ら選出されるものであり、内部的な規律と参加者間に役割

分担をもっこの集会はまさしくタントリス トの大衆集会であり同時に集団

的修法の場 としてのGanacakraで あると論 じた。

この地点か ら般若母タントラの根本儀軌を射照 して、そこに出現する喩

伽女を仮に以下のように分類 してみる。

喩伽女

一外 化 され た喩 伽 女

(生 身 の喩 伽 女(17))

内在化 された喩伽女(18)(身体内の脈管の網)

外 の 喩 伽 女(16)(ダ ー キ ニ ー)……類 型I

大 印(マ ハ ー ム ドラー)・ 明妃 ……類 型II

〈喩伽女 yogini〉

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(5)

インド亜大陸に彷径する楡伽者yoginが いるごとく、各種共同体の片隅

(あるいは共同体の果てる処)に 定住する喩伽女yoginiの 存在 もまた自明

である。言 うまで もなくこれは現実の ・生身の喩伽女である。 これと同じ

ように明 らかなことは、「喩伽の論理」を導 きとして、 タン トラ的純化の

道を進んだグループの観念世界が 『真実摂経』に具体化 し結実 して以来、

彼 らにとっての観念内存在としての喩伽女の存在である。従 って私たちに

とっての困難は、現実の喩伽女と並んで、観念の自己運動の常 として タン

トリス トの観念内存在の外化 し(19)、対象化されたものとしての 「喩伽女」

である女性(た ち)を あわせて取り上げねばな らないところにある。そし

て種々の相の下に色々な姿をとって存在する現実の喩伽女 も、仏教徒がそ

の理念に従 って受け入れる限りで、(彼 らにとっての)喩 伽女 となるので

ある。 この小論ではこうした観点から上の図式に出 した類型I・ 類型Hの

喩伽女を順にとりあげることにする。

「内在化 された喩伽女」とはタントリス トの観念の外化とは反対方向に

なる概念であり 『真実摂経」に整然 と体系化 されたタントラ的世界観を実

践する(即 身成仏の修法)に 際してその土台として要請 された 「身体生理

学」 と仏教(密 教)教 理の結合において、母 タントラ的傾向のグループが

なした最大の 「理論的」寄与 と言 ってよいものであろう。 しか しこの形態

で想定された楡伽女に関してはまた稿を改めて述べたい。

2. 類型1・ 外 の喩伽 女(ダ ーキ ニー)た ち

(1)ヘ ールカ神(20)の登場

母タントラの根本経典の検討に先立って、母 タントラ前史 とも言うべき

段階における男性喩伽者(Daka)と ダーキニーの関係を素描 してみたい。

西洋中世の魔女集会に 「外来の優越者」(21)の存在があるように、屍林 に

集うダーキニーたちと狂燥の集会(原 「聚輪」の段階)を 行ずる男性喩伽

者は、シヴァ教の下級神の崇拝者 ・カーパーリカ、カーラムクハの行者で

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Page 6: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(6)

あるとされている(22)。この土着の儀礼集団に属する男性楡伽者 に仏教 タン

トリス トが取 って代 って、 ダーキニーたちの集会の主宰者 となる過程 は、

共同観念の世界においては、 シヴァ神の暗黒面であるバイラヴァ神を換骨

奪胎 して、かっての自己であるシヴァとその妃ウマーを両足に踏みつけた

ヘールカ神が姿を現わす過程とパラレルのはずであるが、それを文献的に

実証 した研究 は未だ十分にはなされていない(23)。

屍林に集い人肉を喰うダーキニー(茶 枳尼)た ちを支配するヘールカに

ついて、母 タントラ成立前史 も視野に収めて島田茂樹氏は、 「屍林、茶=吉

尼、ヘールカ、 という後の〈ヘールカ族 タントラ〉のステレオタイプ的三

要素の萌芽」 として、「〈ヘーヴァジュラ系タントラ〉乃至 はそれを含 む

無上喩伽タントラよりも以前に成立 したものと見倣すことができ」る 『幻

化網 タントラ』の当該箇所(24)を以下に訳出しておられる。

「二拳をもって、小指と小指をか らませ、二本の人 さし指を立て、反対に ヴァジュラ へ ルカ

離 して置 くのが、金剛飲血尊の印である。〔そ して、この印を結んで〕屍 ダ キニ

林に赴 くな らば、〔恐ろしき〕茶吉尼たちを震え上が らせるのである。」

後に寂静処で修法する方便父タントラと対比させて、屍林が般若母タン

トラとは切 っても切れないその標幟とまでなるのであるが、 この母 タント

ラ前史の段階では、ヘールカに擬される仏教タントリス トはまだ 「〔恐 ろ

しき〕ダーキニーの 〔棲む〕屍林に赴 く」 という位相にある。

次に母タントラの当発点に置かれることでは衆目の一致をみている 『幻

化サ ンヴァラ』では、 この 「ヘールカ族 タン トラの三要素」は以下のよう

に説かれる(25)。

「その燃え盛る太陽か ら出生 した影にして凶猛なる者、生 じて普き魔など、

有毒なる者たちの血を飲むことができる彼の王(ヘ ールカ)は 、その者 ら

とともに屍林で遊戯を為す。すべての者は金剛 と平等に喩伽を為すのであ

る。」

「これ(印 契)に よって守護すれば、金剛掲磨の吉祥 と等 しく、喩伽の自

在を成就 した者に完全になるのである。母神と悪魔 とダーキニーと一緒に

〈喩伽女 yogin〉考

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Page 7: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(7)

成就 し、屍林のすべての悉地と一切の掲磨をなす者となるのである。」

「左右の二腎で人指 し指と小指を優美に転ずるのであって、金剛掌を上に

向けて解 くべきである。供養の一切施食の方法としては、屍林の装束をし

た舞踏をなす者は、この印契によって踊 りなが ら幸運なる金剛葱怒として

振る舞い一切の供養を献ずるべきである。」

この段階は仏教徒が外部から屍林 に赴 く先の段階か らさ らに進んで、

今や彼らは屍林に住 してダーキニーたちと饗宴 し遊戯 している(原 初的

Gapacakraの 段階)の がわかる。

ここから私たちは(イ)仏 教 タントリストとダーキニーの集団とは母タ

ントラ成立以前に遡 る長い交渉史をもっこと。(ロ)共 同観念 として表出

されたヘールカ神に自らを擬 した仏教徒は本来的にはダーキニー集団の外

部的な存在であること。(ハ)『 初会金剛頂経』の 「降三世品」でヒンドゥー

の主神 シヴァとその妃ウマーの調伏の描写(26)から当時の仏教徒とヒンドゥー

教徒 との拮抗関係だけではなく、『初会金剛頂経』の作者に見 られる明 ら

かな 「悪意」とある種の近親憎悪が読み取れるように、 この箇所では、彼

らはダーキニーたちの集団に必ずしもスムーズに入れたわけではな く、か

なりの心的葛藤を経なければならなかったと推測されること。(二)部 派

が伝承する厳格な波羅提木叉を持ち出すまでもなく歌舞 ・飲食 ・性喩伽を

内容とする聚輪Gapacakraが 出家 ・在家を通 して本来 は仏教徒の伝承 し

たものではあり得ず(27)ダーキニーと想定される集団のもっ儀礼であった

ことなどがわか らねばならない。

しか し母タントラ前史も含あた形成期における喩伽女にっいては、上記

の島田氏による先駆的な研究以外は何 も手がっけられていない現状である。

それで筆者も同氏の言われる 「独自の主尊並びに経典群を創作 して〈ヘー

ルカ族 タントラ安定期〉へと体系を確立 してい」(28)った時期における、具体

的には母 タントラの根本経典のなかに喩伽女の姿を探っていくことにする。

(2)〈 集会〉を主宰する喩伽女と〈秘密の言葉〉

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Page 8: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(8)

さて津 田氏 に よ って 「屍 林 の 仏 教」 と命 名 され たHevajra二 儀 軌 に お い

て、 〈 集 会 〉 を表 す語(29)は、Melaで あ り、 類 似 した語 と して、Melapaka

は、 〈 集 会 地 ・集 会 場 所 〉 で あ り、 ま だ巡 礼 地 を示 す い くっ か の 名 称 の一

っ と して 挙 げ られ て い る。 〈 喩 伽 女 〉 との関 連 で そ の用 例 を 見 て い くこ と

にす る。

「(喩伽 女 と喩 伽 者 が 互 い に識 別 す る秘 密 の サ イ ンを 説 い た あ と)、 そ こ

で 喩 伽 女 は言 う。 『善 哉、 善 男子 よ。 汝、 大 い な る悲 を もっ 者 よ」。 彼 女 た

ち が手 に もっ 花 を 示 す な らば、 それ は、 そ の場 所 へ 集 ま って 来 い とい う意

味 で あ る(8)。 華 婁 を 差 し出 せ ば 〔その 意 味 は〕 『真 実 な る者 よ。 こ の儀

式 に と どま って、 仲 間 に加 わ りな さ い」 で あ る。 そ う い うわ け で、 か の集

会 地 で は、 神 聖 な る輪 の 内 に住 して、 喩伽 女 た ち の 言 う こ と は何 で あ って

も為 す べ きで あ る(9)。 金 剛蔵 は申 し上 げ た。『世 尊 よ。 こ う した集 会 の 場

所 と は、 何 で あ りま し ょ うか』。 世 尊 はお 答 え に な った。 『そ れ ら はPitha

とUpapitha, Ksetraと Upaksetra, ChandohaとUpachandoha, Mela-

paka, と Upamelapaka, Pilavaと Upapilava, Smasanaと Upasmasn-

naで あ る(30)(10)。 」

「この 喩 伽 女 の タ ン トラで あ る ヘ ー ヴ ァ ジュ ラ ・タ ン トラの伝統 と して、

一 切 の生 類 の利 益 の た め に楡 伽 女 た ち が集 合 す る節 会Sumelakaに つ い て、

汝 に語 るで あ ろ う(19)。 金 剛 蔵 は 申 し上 げ た。 『世 尊 よ。 そ れ は何 日 で あ

りま し ょ うか』。 世 尊 は お答 え に な った。 『黒 月 の十 四 日 と八 日で あ る(20)。

絞 首 刑 に され た者 ・戦 場 で 殺 され た者 ・非 難 され る こ と の な い行 為 に よ っ

て七 生 人(31)Saptavarta(人 間 と して の生 を七 回 受 け て い る者)と な っ た

者、 そ う した者 の 肉 を摂 取 す べ し(21)。 た ゆ まず 努 あて、 悲 を起 こ して、

殺 害 の儀 礼 を執 り行 な うの で あ る(32)(22)。」

以 上 か ら、 二 儀 軌 に説 か れ る喩 伽 女 た ち の集 会 ・(そ れ に外 部 か ら来 て、

参 加 を 許 され た)仏 教 タ ン ト リス トの饗 宴 は、 時 と して 人 間 の殺 害 の 儀 礼

とそ れ に よ って 獲 られ た大 肉Mahalnampsaの 共 食 ㈹ を伴 う、 お ど ろ お ど

う しい要 素 を も持 っ た、 そ して一 定 の規 範 を持 って定 期 的 に取 り行 な わ れ

〈喩伽女 yogin〉考

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Page 9: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(9)

る儀 礼 で あ る こ とが浮 か び上 が って きた こ と と思 う。

Hevajra二 儀 軌 の後 に く る と され る、SUで は、 巡 礼 地 (あ る い はPitha

な ど に擬 せ られ る タ ン ト リス トの集 会 地)が 、 外 の巡 礼 地 (外 のPitha)

と身 体 内 の巡 礼 地(内 の Pitha)と して二 重 化 して、 先 行 す る二 儀 軌(34)よ

りさ らに萌 確 に展 開 す る(35)ので あ るが、Melaと 喩 伽女 にっ い て の言 及 も

繰 り返 し見 られ る。

「Pitha・Upapitha・Ksetra・Mela・Smasana 等々 〔の如 き巡礼地〕 に

住する女神たちは、全員がすべて勇敢な女主人なのであって、男性の勇者

たち 〔のすべて〕を支配下においている。〔そのような〕女神たちに帰命

いたします(36)(25)。」

「燭艘鉢、斧、刀、橦と輪、佛子、金剛杵と法螺、同様に三叉戟を自分の

家に描いて楽 しむべ し(11)。常に肉と酒を悦び、恥 じらいと畏れを忘れた

女 はダーキニーの族に生まれた倶生女であると言われる。各々の地方に生

まれた者である 〔そうした〕喩伽女 たちに 〔喩伽者〕 は常 に承事 すべ

し(37)(12)。」

こうした 「巡礼地に住 し」集会を主宰する楡伽女であ り、「肉 と酒 を悦

び、恥 じらいを忘れた女たち」は、 まさしく 「屍林の宗教」を担 う鬼女 ・

魔女を出自とする集団であり、〈喩伽女〉の語が〈ダーキニー〉のシノニ

ムとして通用する本来の領域である。

第IIカ ルパ第三章〈方便品〉 において、世尊 ・ヘーヴァジュラは、 「方

便について、一切のタントラの基礎であり、律儀と灌頂 と秘密の言葉 と四

歓喜 と四刹那 と飲食などの基礎である方便に関して喩伽女 に説 く」(1)の

であるが、 ここで〈秘密の言葉〉Sarpdhyabhasaに っいて触れてみたい。

「金剛蔵は申し上 げた。 『喩伽女たちの大いなる三昧耶(伝 承 ・慣習)

であり、声聞や他の者には理解で きない〈秘密の言葉〉をよ くわかるよ

うにお説きください(53)。 この〈秘密の言葉〉は、微笑む 〔所作 タント

ラ〕と見っめあう 〔行タントラ〕と抱擁す る 〔喩伽 タン トラ〕 と結合す

る 〔無上喩伽タントラ〕の四つの タントラの中でさえ述べ られていませ

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(10)

ん(38)(54)。』」

ま さ に この箇 所 こそHevajra二 儀 軌 の 作 者(た ち)に と って 、 そ の 自 ら

が 依 っ て立 っ 基 盤 を特 殊 な慣 習 を もつ喩 伽 女 た ち に 置 い た こ との 表 明 で あ

り、 そ れ を受 容 した 自 らの思 想(タ ン トラ)の 優越 性 の宣 明 と読 まれ な け

れ ば な らな い。 金 剛 蔵 の要 請 に答 え て、 世 尊 が説 く〈 秘 密 の言 葉 〉 は、 二

儀 軌 に限 らず 、 サ ンヴ ァ ラ系 の タ ン トラに も大 体 一 致 して現 わ れ るの で あ

り、 彼 女 た ち の グ ル ー プ 内 で通 用 す る他 の符 牒(Choma, Sahketa)と 同

様 に、Sampdhyabhasa が、Jargonに な って い る こ と が 次 の 例 か ら も わ か

る の で あ る。

「さ て、 秘 密 の サ イ ン に関 す る章 を 説 くべ し。 そ の サ イ ンに よ っ て 兄 弟

(喩 伽 者)が 姉 妹(喩 伽 女)と 間 違 い な く識 別 しあ え るの で あ る(39)(1)。 」

「Pithaあ る い はKsetraに 於 い て、Sahketa (秘 密 の サ イ ン)に よ っ て 、

喩 伽 女 た ち と喩 伽 者 た ち の集 会 が行 な わ れ る(40)。」

さて 、 〈 方 便 品 〉 に戻 る と、 世 尊 の言 葉 は続 くの で あ って 、

「Hevajraの もとで 灌 頂 を受 け た者 が、 この 秘 密 の言 葉 を 話 さ な い な らば、

三 昧 耶 の 力 を失 うで あ ろ う こと は疑 い な い(65)。 仏 陀 で あ った と して も、

この秘 密 の言 葉 を 話 さ な い な らば厄 災 ・盗 賊 ・悪 鬼 ・熱 病 ・毒 に よ って 死

ぬ で あ ろ う(66)。 自 らが 三 昧 耶 の性 質 を も って い る こ とを知 って いな が ら、

この言 葉 を 話 さな い者 に は、 四 つ のPitha(Jalandhara・Oddiyana・Pa-

urpagiri・Kamarupa)に 住 す る喩 伽 女 た ちが 怒 りを為 す で あ ろ う(67)。 」

これ らの偶 文 か ら明 らか にな る こ と は、〈 秘 密 の 言 葉 〉Sarpdhyabhasa

の 使 用 は、Hevajraの サ ー クル で灌 頂 を 受 け た喩 伽 者 が 遵 守 す べ き絶 対 的

な 義 務 な ので あ って、 そ の遵 守 を 強制 す る力 が 、Pithaに 居 住 す る喩 伽 女

た ち の 手 に委 ね られ て い る こ と も、 般 若 母 タ ン トラで あ る ヘ ー ヴ ァ ジ ュ ラ

の サ ー クル(41)が、 〈 母 な る もの〉 に三 昧耶 の 本 源 を 見 る か らで あ り、 ま

た 同 時 に、 こ う した秘 密 の言 葉 や符 牒 が メ ンバ ー相 互 の 確 認 と集 団 の救 護

の働 き以 上 に、 一 種 の 規 範 力 と して通 用 して いた、(秘 密 の)外 部 に 対 し

て 閉 ざ され た グル ー プ ・集 団 の存 在 が 想 定 され るの で あ る。

〈鍮伽女 yogini〉

-129-

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(11)

普通、下級のシヴァ教の儀礼に従 うとされる賎民層に属す る 「母神崇拝

の儀礼集団」=「 屍林の宗教」の女たちと規定 してよいこうした集団は、

自分たちの間で培われ伝承された特殊な呪法や儀礼をもって、蔑視 される

自分たちを他より優れた存在として逆に峻別 したであろうし、そのことに

よって外部の上級カース トか らの差別はさらに助長され、彼女たちは忌避

されると同時に畏怖されてもいた(42)であろう。彼女たちは、 イ ンド思想

史において、蓄積され、累積された宗教的観念のひとっである鬼神 ・魔女、

〈ダーキニー〉(茶 枳尼天)(43)とオヴァーラップして、人々に表象された。

インドで数ある魔 ・鬼神的存在の中でとくにダーキニーが彼女たちの名称

となったことは、本来シヴァ神の暗黒面 における妃であるカー リー女神の

使娩 としてダーキニーは奉仕者でありその地位が相対的に低いことと、人

の心臓を喰う(人 肉食)(44)とされていることも関係すると考え られる。 そ

の種の宗教的観念が、共同観念としての強制力をもっほど、ダーキニーに

擬 される生身の喩伽女たちの存在 自体が 「畏怖すべき」 ものであったこと

も明らかである。 こうした喩伽女たちのグループは、まさしく観念 として

のダーキニーの物象化であると言えよう。

例えば仏教 タントリス トの前に現れる喩伽女(ダ ーキニー)は 次のよう

である。

「そこで更に、金剛喩伽女の供養を説 くべし。Pitha〔 等 の聖地〕 を巡る

ことができないときには、外の喩伽女を供養すべし(1)。 黒月の10日 また

は白月の10日 にも同様に沐浴 と清浄などを済 した者は浄信の心で招請 して

(3)、 自分の家で東に向いて正 しく住することによって女尊 に供養すべし

(4)。 食物と酒と魚と肉などを準備 してから、印契で加持 して供養すべし。

勇者はサインを示すべ し(7)。」

「歌と讃嘆に優れた者は金剛喩伽女たちに供養すべ し。 ここで努めて金剛

女尊たちを酒と肉でよく供養 して(9)、 吉祥なる金剛乗を信解 し、その浄

信で饗宴によって彼女たちに供養をなせば、〔喩伽女たちは〕大喜 び して

最勝の悉地が与え られるか ら、最勝は彼の手にある(10)。 喩伽女を供養 し

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(12)

て息災と増益の標幟を観察 して、若い女(喩 伽女)に 供養する瞬間に好 し

悪 しの因果を観察すべし(11)。」

「凡そ誰であれ喩伽女が両手を擦 るならば、心楽 しくないのであって、そ

うであれば病気が増えて苦 しみを得 ることになる(12)。 供養 したその瞬間

に大 きな笑い声を挙げるならば、病気のない者 も成就することな く、死は

まさしく疑いない(13)供 養の瞬間に叫びなが ら両眼を擦 るならば瞬時 に

死ぬと言われる(14)。」

ここに引用 したSU第14章 〈金剛喩伽女の供養儀軌 を明示する次第(45)〉

の抄訳は、 こうした 「外の楡伽女」の存在を証明するタントラ自身の貴重

な言明であるとともに、「外の喩伽女」たちと勇者(仏 教 タン トリス ト)

の関係のひとっの位相を物語 って くれている。

すなわち ドイッの宗教学者オットーの提出 した理念であるところの 「ヌ

ミノーゼ」的な畏敬を呼び起 こす神秘的な威力 をもつ存在 として喩伽女

(ダーキニー)た ちが想念されているのである。

(3)仏 教徒のネットワークに組み込まれた喩伽女たち

これまで 「外の喩伽女」を仏教 タントリス トとのかかわ りの下に見てき

た。 しか し、哲学的比喩として、意識の発生をみた瞬間より以後、世界が

それ自体の世界と対象的世界の二っに、二重化 されるように、仏教的理念

をもって、「屍林の宗教」の女たちに近づいたタントリス トたち(勇 者 ・

智者)は 、喩伽女たちの集団が依って立っ社会的階層の外部か ら移入 して

きた 「知識人」たちであり、彼 らが集会に参加を許 された瞬間か ら、本来

的な喩伽女たちの集会は分化を始め、二重化されることになる。ヘーヴァ

ジュラ系 タントラとサンヴァラ系タントラにおいては、 ここに引用 したよ

うな喩伽女の主宰する原初的な、「喩伽女輪」か ら始まって、仏教 タン ト

リス トの主導のもとに行なわれる、集団的修法 としてのGanamapdala、

さらに大衆的祝宴であり同時に、「儀礼 ・修法複合体」 とで も名づ ける し

かない、タントリス トの開花 したGapacakraに いたるまで、〈集会〉が、

〈喩伽女 yogini〉

-127-

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(13)

喩伽女たちを組み込んで様々な相の下に展開するのも、ここにその理由を

おいている。そ して、〈集会〉の性格に応 じて、 またタントリス ト自らす

る主導性 と理念の度合いに従 って、 タントラに現われる喩伽女の様相 も相

違 してくると見 るべきである。

そしてここまでが現存するタントラ経典に散見する記述の操作か ら出て

くる許容可能な推定である。仏教 タントリス トたちのヴィヴィッドな姿を

描 き出すためにもインド史の他の事象 と同様に 「後期密教」 の時代確定を

困難にしている空白(46)がこれから埋められなければならない。従 って以

下に述べることは筆者の努力目標の表明を兼ねた全 くの推測である。

母 タントラの根本儀軌のいくっかが成立 してのち、代表的な十巡礼地が

菩薩の十地に対応(47)されたり、ヘーヴァジュラ系では32箇 所、 サンヴ ァ

ラ系では24箇所 と説かれる巡礼地が、次第に、インド亜大陸か ら外部へ、

理念的空間としての南腱部州へと拡大化 ・抽象化(娼)されて いく一方で、

「内のPitha説 」 に見 られるごとく、巡礼地が人体 の内部に存在す るとさ

れる脈管 と同一化される内在化の傾向(41)を見せてくるのであるが、Hevaj-

ra二儀軌やSUの 成立当時にあっては、 タントラの記述に従 うか ぎり、 タ

ントリス トたちのあるものは、修法によって到達 した境地を自身において

外化 した独特の風貌と行儀で もって彷復 ㈹ し、有名ないくつかの巡礼地

を経巡っていた。ときの経過につれて、いろいろな情報が相互に伝えられ、

いくっかの巡礼地がネットワーク的な様子を示 したことも想像に難くない。

それは同時に、母タントラの流通 ・発展であり、仏教 タントリストたちが、

自分たちの思想的宗教的活動に、さまざまな程度で、既存の喩伽女たちを

巻き込み、あるいはそうした資質をもっ女たちの中か ら新 しく喩伽女をっ

くりだ して、自前の緩やかな組織 ・ネットワークがインド亜大陸の各地に

散発的にできて くる過程でもあった。そうした巡礼地においては、半ば住

みっいた喩伽者が居たであろうし、彼 らを核として経巡ってきたタントリ

ストたちを仲間に入れた集会がかなり頻繁に行なわれたことであろう。時

代はかなり下るが次に引用す るDepther shon-poに おけるアティーシャ

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(14)

(982?-1054)の 若きタントリス トとしての行状についての記述から、 そう

した集会のありさまを想像することができる。

「AtiSaは、七年間、最勝なる成就を獲得 したAvadhuti-paの 侍者 となっ

た。〔その後〕三年間、彼は厳格な観想 を修 し、Oddiyanaで 、dakiniた

ちと一緒に、 タントラの饗宴Ganacakraに 加わ り、非常 にた くさんの秘

密 〔金剛〕の歌を聞いた。(51)」

この段階では、原初的な 「喩伽女輪」であり、鬼神 ダーキニーとして表

象 される喩伽女の存在 とは別に、あるいはそれとオヴァーラップして、巡

礼地には、半ば定住 したような形での、半職業的な喩伽女たち ・あるいは

その近隣に生活する女性で、タントリス トたちの集会(黒 月の14日 と18日

など)に は、常連のメンバーとして参加するようになった喩伽女たちの存

在が想定される。

これまで主に、巡礼地における集会と喩伽女を見てきたが、32あ るいは

24と いう数で示 される、世に知 られた、い くっかの巡礼地 とそこで行なわ

れる集会とは別に、成就者としてその威力が世に知 られた阿闊梨がタント

リス トのネットワークの結節点 となり、彼の居住地が ミニ ・巡礼地 となっ

ていくことは密教の成就者の伝記(52)等から明らかである。 またヘールカ

族の母タン トラでは、一種の常套句の感がある 「自分の家に於いて、或い

は秘密の場所に於いて、人けのない処で、園林 で、洞窟で、墓場で、海

辺」で、定期的 ・臨時的に行なわれる集会 もタン トリス トたちにとっては

Pithaな どの有名な巡礼地に擬せ られて想念 されたであろうことは既 に述

べたとおりである。

これ らの集会 に不可欠な成員である喩伽女は、おそらく二儀軌第二カル

パ第五章〈金剛王出現品〉 ・第七章〈飲食品〉で見 られるように母系の親

族名を もった地縁的集団であり、日頃か ら金剛阿閣梨の役をする指導的タ

ントリス トと何 らかの関係をもっていることが十分考えられる。

こうした仏教徒のネットワークに組み込まれ、 タントリス トが組織 した

集会の常連であった女性たち(Gapanayika)は 、成就の手段である特異

〈喩伽女 yogini〉

-125-

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(15)

な修法における、男性喩伽者にとって不可欠な喩伽に熟達 した特殊技能の

保持者であり、同時に真理の本源的力を体現すると考えられた喩伽女(ダ ー

キニー)と して、カース トの区別 として しか人間が存在 し得ないインド社

会において、 もともと外部(上 位カース ト)か ら移入 してきた仏教タント

リス トにとっては、どこまでもアンビヴァレントな対象 に留まったのであ

る。

3. 類 型II・ 大 印 〔契 〕(マ ハ ー ム ドラー)

先に引用 した、勇者たち(仏 教 タントリス ト)の 女主人であり、「巡礼

地 に住 して」集会を主宰する喩伽女、あるいは 「Pitha〔等の聖地〕 を巡

ることができない」タントリス トが、自分の家に呼んで供養する喩伽女た

ちが施主 に吉凶を告げ報せる力をもっと信 じられているごとく、類型Iの

喩伽女たちは、〈母なるもの〉(53)の力を体現する限 りでのヌ ミノーゼ的

なおどろおどうしい存在であり、またまがまがしい鬼神ダーキニーとして

表象 される女たちでもある。それに対 して、修行者が、修法の(永 続する)

パー トナーとして選 び、仏教的知識を注入 して、教化 ・訓練 した喩伽女の

類型が、津田氏 も述べてお られるように、Hevajra二 儀軌に特徴的に見 ら

れる。 これを類型IIの 喩伽女〈大印 Mahamudra〉(54)と 呼ぶ ことにす る。

羽田野伯猷博士 は、母 タン トラとも深いっながりをもっジュニャーナパー

タ(55)の生涯のある時期を以下のように述べてお られる(56)。

「密教者 としての彼の遍歴は、北印のシャークタ的色彩の濃厚な般若 (母)

タントラからはじめられた。中印をさる230由 旬の北方 "Odiyana" なる

空行母加持の地において、大印(Mahamudra)を 善修せるリーラヴァジュ

ラにっき、作(事)、 喩伽タントラを修 し、さらに般若 タントラの核心を

なす 『不可思議次第の教誠』をえた大喩伽母グネルを師とし、無上タント

ラをえ、自らセンダラ族 ジャーティクジュヴァラの娘を喩伽母とし、8か

月にわたり大印を修 し悟証をえた。」

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(16)

ところで大印にっいて論 じる場合の困難 は先ずその概念規定であり、概

念の変遷が 「存在」のさまざまなレベルにわたって錯綜している点にある。

世俗諦としての大印は上記の引用でも明らかなように楡伽者の修法のパー

トナーである生身の女性であり、勝義諦で色身 としてはHevajraの 明妃

Nairatmya(57)で あり、内在化されては、脈管を統活する総帥的な地位 に

ある 「金剛界自在母」㈹ として 「Bhagaに 住する」理念的存在であ る。大

印はまた 「大印の秘法」(59)としてチベット仏教のカギュー派に伝え られる

行法の名称でもある。Dep-ther snon-poの 著者によれば、 「大印(Maha-

mudra)」 は、Maitri-pa(b. 1007 or 1010) を実質的な創始者としてカギュー

派の祖マルパ(1012-1097)に 伝授 され以来連綿 と続 く修法 とその法流で

ある(60)。

ここで取 り上げる生身の女性である大印は、喩伽の大道を開いた 『初会

金剛頂経』において、早 くも印(印 契女)と して姿を見え隠れさせている

ことは上述 したとお りである。またその姿を〈明妃〉(61)として、また〈大

印Mahamudra〉(62) そのものとして 『秘密集会 タン トラ』 の随所 に見せ

るのである。『初会金剛頂経』で確立 された大 ・三 ・法 ・掲 の四印の一っ

にして、本来 は身密の印を意味 した大印が喩伽者の性喩伽のパー トナーの

意味をもっようになる経緯 は彼 らが打ち出 した喩伽の論理 と、その外化の

結果(修 法 ・集会)か らして殆ど即時的であったとも考えられるが、 この

問題は津田氏が 「密教の完成 とは〈一尊 喩伽〉による曼茶羅全体 との即事

的 ・即時的喩伽 という、『金剛頂経」の樹てた即身成仏の原則 とそれが現

実に依用 した方法との間に生起 したアポ リアが解決 されたことに他ならな

い。」「一尊喩伽によって〈中性単数のDharma〉 たる金剛界大曼茶羅の全

体 と無時間的に喩伽する、という 『金剛頂経」のアポリアに対 して、同じ

く〈一尊喩伽〉に依りっっ、金剛界大曼茶羅を〈女性単数のDharma〉 で

ある五人一組の新造のヨーギニー ・チャクラと同置することによって一応

の解決をもたらした」 として第一カルパ〈真実品〉に現れる五人一組の楡

伽女の創出をもって〈屍林の宗教〉か ら〈屍林の仏教〉への転換点、すな

〈喩伽女 yogini〉

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わち 「密教の完成態」としてのヘーヴァジュラ ・タントラを 「思弁的」に

論 じてお られるところである(63)。従 って筆者 は本論ではHevajra二 儀軌

に即 して非 「思弁的」に見ていくことにする。

第二カルパ第二章〈成就品〉㈹では、「成就を願 う者は、 内なる自己と

Nairatmyaあ るいは吉祥なるヘールカとの楡伽を保 って、一刹那 たりと

も自分の念を他処へ逸らせてはいけない」(2)の であり、「夜分、 自分の

家で成就を得る確信をもって、楡伽者 は喩伽女 (Nairatmya) もしくは

吉祥ヘールカをその生起 した姿で観想すべき」(4)で ある。「たえず修習

を続 け、悉地を成就 し、 自らを統制 しっっ、ひと月間ひそかに、人に知 ら

れることな く継続すべ し。その一方で、喩伽者は(こ の間) Mudra が得

られるのを待つ」(16)の であり、喩伽女たちの教示を得て、Mudraを 手

にしたならば、修行者は、「十善行か ら始めて仏法の教説 を与え、心を尊

の影像 と一致 させる方法、三昧耶戒、心一境性などの教誠をMudraに 与

えて、 〔そうすれば〕ーヵ月間で彼女はそれに相応 しい者 になることは疑

いない」(18,19)と あり、「或はまた喩伽者は自らの力によって鈎召 して、

Mudraを 天 ・阿修羅 ・人 ・夜叉 ・緊那羅のうちか ら選ぶべきである(20,

21)」 とされる。

このような喩伽者の所化であり、 ときには自らが鈎召 した智印である大

印Mahamudraの 形姿にっいて第二カルパ第八章〈教授品〉(65)は、詳述

する。

「次に喩伽女たちは、世俗諦 としての大印の行儀のありさまについてお

尋ね した。世尊はお答えになった。『現実の大印は、背は高すぎず、低す

ぎず、真っ黒でなく、真っ白でもなく、蓮華の花に似た色である。彼女の

息は甘 く、汗は爵香の香のように心地よい。女陰は青蓮華の芳香をもち、

ある刹那にはピンクの蓮華の香がする。彼女の香 (愛液) に喩伽者 は注意

を払うべきである。大印はまた青蓮華と甘いアロエ樹の香をもっ。毅然と

しており、決 して気紛ではない。話 しぶ りは心地よく素晴 らしい。っやの

ある髪をもち、それを腰のまわ りに三重に捲きっける。彼女の姿態 と性質

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Page 18: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(18)

は、Padmini(66)蓮 華 女 と して知 られ る。 そ の よ う な 明 妃 を 得 て 、 喩 伽 者

は、 倶 生 歓 喜 を 自性 とす る成 就 を 得 る。」」

この よ うな性 楡 伽 の パ ー トナ ーを獲 得 した仏 教 徒 た ち は、 ど の よ うな行

法 を行 った の で あ ろ うか。 第 ニ カ ル パ 第 十 一 章 〈 倶 生 義 品 〉(67)に そ れ を

見 る。

「そ こで、 お互 い の性 器 接 吻 に満足 して、 大 持 金 剛 は 、Nairatmyaに 次

の こ と を知 ら しめ た(10)。 『お お 、 女 尊 よ。 〔親 近 〕 供 養 に つ い て、 聞 き な

さ い。 遊 園 や人 け の な い処 、 ま た は 自分 の 家 にお い て、Mahamudraを 裸

に して 、 喩 伽 者 は不 断 に彼 女 に供 養 す べ し(11)。 接 吻 し、 抱 擁 し、Bhaga

を興 奮 させ 、 唇 の 甘 露 を飲 む べ きで あ る(12)。 勃 起 した喩 伽 者 は、 そ の 手

で彼 女 に印 づ け、 励 起 させ るべ し(13)。 〔Mudraが 騎 乗 位 で腰 を っ か う〕

〈 振 り動 か す 〉 〔体 位 〕 と 〔正 常 位 でMudraの 膝 を立 た せ た 〕 〈 膝 の 〉

〔体 位 〕 と、 〔飛 び立 と う とす る 白鳥 の如 く、Mudraの 脚 と太 股 を大 き く〕

〈 開 か せ た〉 〔体 位 〕 で も って 、 持 金 剛 者 は、 く りか え し和 合 を為 し、 上

と下 と を眺 め る べ し。 そ こで 〔楡 伽 者 は〕 大 い な る威 力 を獲 得 し、 一 切 の

仏 と等 同 と な る(14)。 精 液 が そ こで飲 まれ るべ きで あ り、 と くに酒 が飲 ま

れ るべ き な り。 そ こで は精 液 〔の増 量 〕 の た め に、 肉 が 食 べ られ る べ きで

あ る(15)。 」

同 じ くマハ ー ム ドラ ー と の修 法 に っ い て 、 〈 集 一 切 儀 軌 部 品 〉 ㈹ は以

下 の よ う に説 く。 「〔パ ー トナ ー は〕 愛 ら しい顔 立 ち で、 大 き く見 開 い た眼

を もち、 若 々 しさ と美 しさ で荘 厳 さ れ た者 で あ る(35)。 浅 黒 い顔 の 〔彼 女

は〕 道 心 の堅 い貴 い種 姓 に属 す る女 性 で、 血 と精 液 か ら生 まれ た者 で あ る。

自 らHevajraの 修 行 で 灌 頂 を 受 け た、 美 しい 髪 を もっ 女 た ち は喩 伽 行 者

を好 む(36)。 パ ー トナ ー に酒 を飲 ませ 、 ま た喩 伽 行 者 自 ら も飲 む べ きで あ

る。 そ の後 自利 ・利 他 の成 就 の た め に、 彼 女 と と もに貧 欲 を行 ず べ きで あ

る(37)。 男 根 を女 陰 に挿 入 して 、 ヴ ラ タ を もっ 者 は性 交 を な す。 智 者 は こ

の 結 合 で 生 じた〈 樟 脳 〉 を放 出 して は い け な い(38)。 そ れ は手 で も、 法 螺

貝 で で もな く、 真 珠 母 貝 の殻 で取 られ る も の で あ る。 〔この 〕 甘 露 は活 力

〈喩伽女 yogini〉

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の増 進 の た め に舌 で も って受 け られ るべ きで あ る(39)。 」

次 に マハ ー ム ドラー の成 就 に関 して 、 一 部 の大 乗 仏 教 徒 の 問 に伝 統 的 な

〈 変 成 男 子 〉 の考 え方 とっ な げ て解 釈 で き る 「奇 怪 」 な身 体 部 位 の 変 容 を

記 述 した箇 所(69)を 引 用 す る。

「金 剛 蔵 は 申 し上 げ た。 『Nairatmya と結 合 して一 つ に な って い る喩 伽 者

に と って 、 ム ドラ ー の意 味 は ど の よ うに区 別 され るの で あ りま し ょ うか 。

っ ま り 〔勝 義 諦 の〕 ム ドラー と 〔世 俗 諦 の〕 ム ドラ ーの 二 っ が あ る こ と に

な り、 〔そ れ で は〕 ど う して ム ドラー の成 就 が もた らさ れ るの で しよ うか 』

(23)。 世 尊 は お答 え に な った。 『〔Nairatmyaを 体 現 して い る〕 喩 伽 者 は

女 性 の 形 姿 を 捨 てBhagavan (Hevajra)の 形 姿 を取 る べ し。 乳 房 を 取 り

去 っ たの ち に、 金 剛(bola)が 蓮 華(kakkola)の 真 ん 中 に生 じ、 両 側(ti-

radva)は 鈴(ghantha)と な り雄 蕊(kinjalka)が 金 剛 と な る(24)。 」」

タ ン ト リス トた ち は こ こで ダ ー キ ニ ーで あ る〈 外 の喩 伽 女 〉 に対 す る と

きの 配慮 を 一 切 捨 て て 、 彼 らに近 しい思 考 の 枠組 み の 中 で 、 自在 に マ ハ ー

ム ドラ ーを 表 象 し、 「性 」(自 然 性)の 領 域 に踏 み込 ん で い る の が読 み 取 れ

る。

最 後 に二 儀 軌 か ら、 タ ン ト リス、トと彼 の大 印(こ こで は 明 妃)と のst-

eadyな 関係 を示 す箇 所(70)を 引 用 す る。

「黒 月 の十 四 日の正 午 に、 ひ と気 の な い家 で酒 を い く らか 飲 ん で、 猛 々

しい心 の状 態 に な って 〔ヘ ー ヴ ァ ジ ュ ラを〕 描 くべ し。 裸 に な り、 身 体 に

骨 の飾 りを っ け、 喩 伽 者 は世 間 で は不 浄 とみ な され るサ マヤ食 を食 す べ し。

喩 伽 者 は、 美 し くて慈 悲 深 く、 優 雅 さ と若 さを具 え、 年 頃 で 、 彼 を好 い て

い る 自分 の 明妃 を 自 らの左 に お い て か ら描 き始 め るべ し。」

こ の よ うに 「成 就 を願 う喩 伽 者 」 は、(1)「 夜 分 に 自分 の 家 で 一 月 間、

人 知 れ ず修 習 」 し、 同 時 に この 間、 大 印 が得 られ るの を期 待 して 待 つ 、 こ

の よ うな喩 伽 者 の修 行 も、(2)獲 得 され た大 印 をパ ー トナ ー に して す る

性 喩 伽 の修 法 も、(3)自 らを高 揚 させ 、 明 妃(大 印)を 傍 らに お い て 尊 像

を画 く場 合 で も、 更 に は(4)喩 伽 者 と彼 の大 印 との〈 対 とな っ た幻 想 〉

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の内部で、ム ドラーに観念的な 「性転換」がなされる場合で も、例えその

場で 「酒が飲まれ、肉が食べられる」 としても、それは、集団的狂燥を伴っ

たGapacakraあ るいは成就の手段 としての集団的行法であるGanaman-

dalaと は、対照的な位置(71)にあることがわかる。 ここか らさ らに一歩を

進めて大印を用いる修法が集団的な修法 とは位相を異にした本来的にはタ

ントリス ト個人でする修法であったと推論 しても許されると思われる。

さらにまた、類型1の 喩伽女が、仏教徒たちから相対的に独立 した、彼

らの想念が物象化 した母タントラの依 って立っ本源的な力をもった存在 と

して、時に応 じて楡伽者に教示を与える優越者であるのに対 して、大印と

してある喩伽女 は、ここでは仏教徒によって教化 ・教育された所化であり、

彼 らのsteadyな 、恒常的 ・半恒常的な修法の従属的パー トナーとなった

女性 として記述 されているのがわかる。俗な表現が許 されるとすれば、 自

分の 「気を許せる」、気に入 った型にはめることがで きる女性が必要だ っ

たわけで、仏教 タントリストが、明妃や大印の選択にあたって、容姿以外

に十六歳か十二歳、そうでなけれが二十五歳までと、あれだけ年令にこだ

わった(72)理由も宗教的教化 ・教育の素材としての若さという条件以外に、

こうした日常的な観点 も含めて考えるとよく理解できるのである。著名な

タン トリス トたちの伝記が語 るように彼 らの人生の伴侶 ともなった 「世俗

諦の大印」は数多い(73)のである。

以上述べたことか ら、ひとっの結論 として、私たちは喩伽女を典型化 し

て、類型1の 鬼神 ダーキニー として表象 される存在 と、類型IIの 大印

Mahamudraと しての存在を両極にもって展開する存在で、仏教タントリ

ス トによって〈母なるもの〉の本源的な力(74)を体現 していると想定 され

た女性たちと規定することができよう。

4. 明妃 ・十 六歳 の処 女

このように喩伽女を類型化 し、その暫定的な定義を得たところで、 タン

〈喩伽女 yogini〉

-119-

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(21)

トリス トが創出した諸儀礼のなかで中心的な位置を占める灌頂次第(75)の

なかで、喩伽女がどのように現われるかを見ることにする。

まず第二カルパ第五章〈金剛王出品現品〉(76)の関連箇所 は以下のとお

りである。

「(儀礼の第一段階において)こ の曼茶羅の内へ12歳 か ら16歳 の華婁 と宝

石で身を飾った八人の大楽の明妃を入れるべ し(58)。 これら 〔の明妃〕は

母 ・姉妹 ・娘 ・姪 ・母方の叔父の妻 ・母方の叔母 ・姑 ・父方の叔母である

(59)。 かたい抱擁と接吻でもって喩伽者は明妃たちに供養すべし。精液が

飲まれ、それが曼茶羅にふり撒かれるべきなり(60)。 喩伽者は明妃たちに

精液を飲ませ、彼は速かに成就を得る。酒が飲まれ、人肉を食すべきであ

る(61)。 っぎに喩伽者は明妃たちの衣服を脱がせ、彼女たちの女陰Bhaga

にくりかえ し接吻を為すべ し。男根 は彼女たちによって起立させ られるべ

きであり、次に彼らはよく歌い踊 るべきである(62)。 そこで男根と女根を

結合 して遊戯すべし」。

儀礼 はこのあと、阿闊梨が弟子を曼茶羅にひきいれ、彼の目を布で覆い、

っいで弟子に曼茶羅を見 ることを許すという順番で灌頂の次第が述べ られ

ている。

第一カルパ第十章〈灌頂品〉の関連箇所(77)の概要 は以下のごとくであ

る。

(1)弟 子が灌頂を受けるための曼茶羅の配置と灌頂の儀軌について世

尊が述べる。

(2) 最初に、尊の自性をもっ喩伽者 は、浄地を行い、HUmpvajraの 儀

礼(必 要とされる救護の手続き)を熱心に為 して後、曼茶羅を描 く。

(3)「 園林 ・人けのない処 ・菩薩の住居 bodhisattvagrha・神 廟の内

陣にて最勝なる曼茶羅を描 くべし。」

(4) (曼茶羅を画 く材料)

(5-6)そ れらの材料で規格どお りの寸法の曼茶羅を描 く。 五族出身の

明妃がこの曼茶羅に招 じ入れられる。あるいはまた誰であれ手元

-118-

Page 22: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(22)

に居 る十六歳の娘がそこに招入 される。Sukra(78)が溢れでるまで

印契女Mudraに 承事する。

(7)印 契女の顔を 〔布〕で覆い、方便 もそのようにし、承事か ら生 じ

たものを弟子の口に落 とす。

(8)正 しくこの行為によって等味が弟子に生 じる。

「この種の性的儀礼 は基本的には二座 よりな る」(79)。は じめに引用 した

〈金剛王出現品〉で行なわれている集会は二儀軌に特徴的な、Gapamap-

dalaで あり、それは(金 剛)阿 闊梨 と八人 の喩伽女 と若干 の弟子か らな

るコンパクトな構成(80)を踏襲 しているが、次の〈灌頂品〉では、八人の

喩伽女に代わって、第一段階で、曼茶羅 に招き入れ られて先ず阿閣梨 と楡

伽 し、次の段階で、曼茶羅に引入された弟子と結合する女性は、 ここでは

「五族 〔の内のいずれかの〕出生である明妃Vidya」 であるか、そ うした

女性が居ないときは 「手元に居 る十六歳の娘」 となっている。第二カルパ

第三章〈方便品〉では、「十六歳のPrajnaを 腕 に抱 き、金剛杵 と鈴を結

合させることによって阿閣梨灌頂はもたらされる」(81)(13)とある。

次にSUで 灌頂 について述べた第十八章 は、〈秘密灌頂〉〈般若智灌

頂〉の名は挙げて も喩伽女については直接は何 も語 っていない。

プ トンによればヘーヴァジュラ系に分類され(82)、二儀軌と多 くの偶を共

有するが、折衷的性格が強いと指摘される(83)サンプタタ ントラか ら津 田

氏の校訂 された〈菩提心灌頂品〉(84)を引用する。

「勝者の息子 はそれ らの(諸 の三昧耶を得る)為 に、(そ して)灌 頂(を

得ること)の 為に、努力 して、海の如 き(広 大の)徳 ある金剛阿閣梨に所

応の如 くに親近すべ し(9)。 母、或は長姉、姉妹、娘(で あるところの者

達)こ れ らのうちで誰か或 る(一 人)を 獲得 して、これ らの(女 達の)成

就法を作すべ し(10)。 もしも、それら(の 女性達)が 現前にいないであろ

う時には、一切 智者によって称賛されたる明妃たち、(即 ち)諸 仏によっ

てこれら(親 族の女性たち)よ り殊勝なりとされた、他の(明 妃たち)が

成就 されるべきである(11)。(そ れら明妃 とは)再 生族の乙女、或 は、洗

〈喩伽女 yogini〉

-117-

Page 23: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(23)

濯女、チャンダーラの女、或は ドームバ女の族に生 じた女、或は王の妻、

舞踏家の妻、或 は女工芸者であり、鹿の如き(美 しい)眼 をし(12)、腰細

く、轡太 く、乳房 は高く、女陰は美 しく、三昧耶を行ずることに関 して賢

明であり、真実に住 し、真言 とタントラを識る(13)。(中 略)そ して(そ

れは)族 の次第によって(で ある)(14)。 或はまた、それが誰であるにせ

よ得 られたかぎりの(乙 女)に して、同様に(年 令は)十 六歳であり、瑞々

しき若さを具足 し、眼美 しき印契を獲得 して(15)、 その明妃を摂受 して、

三帰依の次第によって浄めて、真実の秘密を、一切の真言 とタントラの次

第を語るべ し(16)。」

このようにサンプタタントラでは、その折衷的性格が言われるとおりに

先行タントラである二儀軌とほぼ等 しい(1)親族名をもっ擬似血縁 グループ

の女性(2)殊勝なる種姓の出生である明妃(3)得られた限 りでの十六歳の娘 と

いう三種類の女性たちが並列されて説かれている。

(1)灌 頂 ・集団的修法で招請される喩伽女

〈説密印品〉〈方便品〉

巡礼地・屍林に住する

鍮伽女(ダーキニー)

〈飲食品〉・〈金剛王出現品〉

阿閤梨と八人の擬血縁的

印契女のグループ

〈真実品〉(津田説)

五族からなる人為的

喩伽女のグループ

〈灌頂品〉・〈方便品〉

五族出生の明妃または

手元に居る十六歳の娘

手元に居る十六歳の娘

(マハームドラー)

(2)仏 教徒(ヘ ーヴァジュラの徒)が 独習する修法で必須とされる喩伽女

〈成就品〉・〈倶生義品〉

マハー・ムドラー

喩伽女についてこれまで述べてきたことを整理すると上図のようになる

と思われる。そ して(1)に 関 しては、タントリス トの観念において、ま

た実際の修法において、喩伽者のパー トナーとなる女性(た ち)は 、左の タ

イプから右のタイプへ推移する傾向をもっとは言えないであろうか。先述

した津田説の根幹をなす 「屍林の宗教」を体現する既存の喩伽女に対 して

新 しく五人一組のグループとして導入 された喩伽女たちの存在の影が二儀

軌の内で比較的薄 く(86)、灌頂阿閣梨に献 じられる女性の選出が〈灌頂品〉

〈方便品〉で見 られるごとく、またサンプタタントラでも、かなり任意的

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Page 24: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(24)

であり、 さらに 「手元に居る十六歳の娘」が指導者である灌頂阿闊梨の恒

常的パー トナーの大印である場合も考慮 に入れると、この推移には、いみ

じくも津田博士の推論(87)とは逆に 「一種の不必要なまわりくどさを解消

し」て 「中性単数Dharma(金 剛界大曼茶羅)を 女性単数Dharma(一 人

の大印または明妃)と 同置する」 プラグマチックな論理が働 いているとし

か考え られないのである。 しかしここでそれ以上の追求 は現在の私の力量

を遥かに超えるものである。

5. 本 源 的 な力〈母 な る もの〉-「Matrka-vadha」(88)

第二カルパ第二章〈成就品〉か ら引用 したごとく、「夜分に自分の家で」

「一月間ひそかに人に知 られることなく」ヘールカ神 の観想を続 ける喩伽

者は、その一方で、Mudraが 得 られるのを待 っているのであり、 それは

どのようにしてであるかといえば、

「そこで真言行者は暗示を得、喩伽女たちによって次のような教示を受 け

る。『持金剛者 よ。これこれのMudraを とりなさい。そ して有情の利益を

為せ。」」

後期Hevajraの 出発点に位置する 『大印明点 タントラ」 は、喩伽女 による

教示(89)を次のように説 く。

「喩伽の自在なる行について、世尊よ。重ねて教勅を与え給え。世尊はお

答えになった。『喩伽の自在なる行について、汝、有縁女 よ。 聞きなさい

(1)。 一月間、秘密に行 じて、辺鄙な場所であるか、または森で、すべて

の利益が成就するが故に、この真言を謂すべ し(2)。(真 言は省略)そ こ

で虚空に喩伽女が集まったところで教勅が与え られる。善男子よ。 この娘

を汝は連れていき、優れた行を汝は為せ(4)。 娘は十六歳で、 〔経〕血 と

精液をもち、青黒いウ トパラの色に似て、新鮮な栴檀の香が して(5)、 媚

態を示 し、もろもろの行為がすべてにおいて善巧である。努めて秘密の姿

をとって、彼女と一緒に楽に趣 くべし(6)。』」

〈喩伽女 yogini〉

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Page 25: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

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このように 「一人で、ひそかに」観想を続ける喩伽者に現われて、生身

の大印Mahamudraを 教示 し、有情利益の教勅を与える喩伽女が、類型1

のダーキニーとシノニムとされたタイプの喩伽女であることは論を待たな

い。っまり数あるタントラの達人たちが人生の岐路にあるとき、あるいは

重要な教示を与えて くれるときに現前する(90)ごときダーキニーである。

Hevajra二 儀軌 において も、〈女性単数Dharma〉=Prajnaを 体現 す

る(91)とされる彼 らの所化 となる大印が、このような喩伽女たちの集団に

よって教示 されることは、ヘーヴァジュラのサークルが、その真理の本源

を類型1の 喩伽女(ダ ーキニー)の 集団においていたことを重ねて物語 る

ものである。 この真理の底にその真理を保証する更に何 ものかの存在を置

く仏教徒の対社会的な二重構造 の論理は、母 タントラのグループにも貫徹

しているのであり、 ヒンドゥー社会における仏教思想の異質性と上部構造

性 ・接木(graft)性 を、 さらに仏教徒が異質で非友好的なグルー-プや社

会環境に身を曝 して根づいていく努力が終始必要であったことを物語るも

のである。

以上のように喩伽女を二っのタイプに類型化することによって、間接的

なが ら証明できることがある。『大印明点 タン トラ ・二十三章』(92)には、

仏教徒の組織する集会〈聚輪〉において、指導者の金剛阿閣梨、アシスタ

ントの〈掲磨金剛〉(翔 磨阿闊梨)、 そ して集会に参加 した喩伽者全員が

自分の喩伽女を手にして輪を転 じると、「悉地を獲得 し、 ダーキニーもま

た一緒に集まって くる。 もしも外部からの喩伽女が観察す るためにやって

くるときは、彼女に対 していささかの疑念をも智者は口にすべきではない。」

「種々様々な姿をとって喩伽女が再三再四やってくるな らば、 そ こで少 し

も怖れてはいけない。」 と説かれている。 このタントリス トの集会 に 「外

部から、再々やって くる」喩伽女の性格は言うまでもなく類型1の 喩伽女

(ダーキニー)で ある。自分(た ち)が 教化 した性喩伽のパ ー トナーであ

る大印、あるいは集会のメンバーである自分たちの息のかか った喩伽女た

ち (Gapanayika、 Cakrasarpvara-nayika) をタントリス ト(喩 伽者)が

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Page 26: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(26)

怖 れ る理 由 は な に もな いか らで あ る。 この記 述 は、 タ ン ト リス トが組 織 し

た 自前 の 集 会 の 外 部 に、 仏 教 徒 の手 の届 か な い、 津 田氏 が措 定 され る 「屍

林 の宗 教 」 を 担 う鬼 女 ・魔 女 た ち の存 在 が 常 に あ る こ とを タ ン トラ 自体 が

語 って い るの で あ る。

[註]

(1) 島 田茂樹1991「 〈 ヘーヴ ァジ ュラ系 タン トラ〉所説の女尊 と曼茶羅」pp. 36,

37「 密教図像』No. 9

(2) 松 長有慶1969『 密教 の歴史』p. 104サ ー ラ叢 書

(3) 松長 前掲書p. 95

(4) 佐藤努1991「 ジュニ ャーナパー ダの神秘思想」(未発表修士論文) pp. 199-204

参照

(5) 松長前掲書p. 94参 照

(6) 拙稿1996「 ヘー ヴァジュラ系 タン トラにみる〈 集会 〉 と〈喩 伽女 〉 へ の一

視点」『高野 山大学大学 院紀要』 創刊号pp. 23-28参 照

(7) 無上喩伽 タ ン トラに先行 す る喩 伽 タン トラ階梯(「 初会金剛頂経』)に おいて

既 に仏教 タ ン トリス トたちの役割分 担を もっ〈原集会〉 を津 田氏 は読 んでお ら

れ る。「和訳金剛頂経』pp.125-136東 京美術1995

(8) 観念形態で は異 なった花 を咲かせてい る仏教 タ ン トリズム と ヒ ン ドゥー ・

タン トリズムもそれ の原基 となる土壌 を共 通 に して いるとは考え られ る ことで

あ る。 二 儀軌 の修 法場 所 と して の、sUの 集 会場 所 と しての 「母 神 の祠 堂」

(Matrgrha) が こうした ものの一っ と考 え られよ う。

(9)性 喩 伽 にっいて は、『真実摂経』 の前掲箇所 (津田訳) にお いて既 に見 られ

る ことであ る。『真実摂経』が開 いた喩伽 の論理 の延長線上 に豊富 に且 っ 多彩

に展開 す る〈 秘密 成就法〉につ いて は北村太道 氏 の研 究が あ る。 「「Vajrasi-

kharatantra』 におけ る秘密成就法 にっ いて」1989「 密教学研究 』 「「Trailo-

kyavijayakalpa』 におけ る秘密成就法 につ いて」1994『 密教学研 究』

また父 タ ン トラもその修法 に印契女を不可欠 とした ことは、 ジュニ ャー ナパ ー

ダ流 のみな らず聖者流 の生起次 第 Pindikritasadhana か らもわか る ことで あ

る。羽 田野伯猷1987「Tantric Buddhismに お ける人 間存在 」 『チ ベ ッ ト ・

イ ン ド学集成 第三巻』p. 144法 蔵館

(10) 津 田真一氏 の造語 の一っ 「反密教学』1987pp. 154-209

(11) 津 田前掲箇所

〈喩伽女 yogini〉

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(12) 津 田1973「dakinijala の実 態」 「東方学』No. 45 p. 88

(13) Snellgrove, D. L. 1976 (1959) The Hegajra Tantra A Criticl Study

London (以下 二儀軌S本 と略 但 し各章 の名称 は漢訳名 に依 った。)

(14) Tsuda, S. 19747 The Samvaroya Tantra Selected Chapter Tokyo

(以下SU津 田本 と略)

(15) 拙稿1995「 〈聚輪 Gapacakra 考〉」『密教文化』193号 Gapacakra との関

連で は、現在 も行われて いると言われ るイ ン ド民俗 の輪座供養Cakrapujaと

ヒン ドゥー ・タ ントラの性力派の集団儀礼が研究 され るべ きである。

(16) 津 田前掲論文1973p. 99. 外 の喩 伽女 は 「bahyayogini samppujya pitha-

bhramaua Sakyate」 とあ り、 チベ ッ ト訳 では 「gnas sogs bgrod par mi

nus na/phyi yi rnal hbyor ma mchod bya」Toh. 373 Kha. 282・a・6

(17) 二儀軌S本p. 66「 浅黒 い容貌 の 〔Prajna は〕道 心 堅固 な高 貴 な種 姓 に属

す る女性で血 と精液か ら生 じた者であ る。」(36)

(18) 二儀軌第二 カルパ第四章で は身体内の32脈 管が喩伽女輪 の十五喩伽女 と同定

されて いる。

(19) 二 儀軌の〈生起 次第〉 は第一 カルパ第八章〈大相応輪品〉 に十五喩伽女 の観

想 を説 く。

(20) 母 タン トラの研 究者に とってヘールカ(神) の出 自の解明 は最大 の関心事 の

一 つであ るが、依 然 として最大 の謎 に とどまってい る。ヘ ールカの起源 につい

ての考察 は島田茂樹 前掲 書pp.43-45参 照

(21) 津田氏の造語 の一 っであ るが、筆者 は ここで魔女 集会を主宰す る 「悪魔」 の

役割 を演 じる人物 を想定 してい る。

(22) 西 上晴曜 『女神 図典』朱鷺書房pp. 212-215

(23) 立 川武蔵1977「 密教への アプローチ」講座密教 「密教 の文 化』 参 照 。 また

田中公 明氏 の要約 では 「ヘールカ とは、金剛 薩唾 の急怒形で ある降三世明王が、

母 タン トラにおいて発展 した ものである。降三世 明王が ヒン ドゥー教 の シヴ ァ

神 を調伏 する働 きを もっ のに対 し、 ヘールカは ヒン ドゥーの女神 たちを調伏 す

る役割 を担 っていた。 ヘールカは ヒン ドゥーの女神 たちを崇拝す るシ ャーク タ

派 への対策 として導入 されたと推定 される。」1993「 チベ ッ ト密教』p.177

(24) 島田前掲書p. 45

(25) 佐藤努前掲論文pp. 110,116,117但 し蔵文 の訳 出の責 任 は筆者 にある。

(26)〔 金剛族主 の三界諸天降伏〕(661-732) 堀 内校訂本 『初会 金剛頂経』(上)

pp.330-349降 三世明王 による大 自在天降伏説話 に関 して、 従 来 とは異 な った

「構造主義的神話学」 による視点 は彌永信美1990「 仏教神話学 ・事始 あI」 雑

誌 「仏教』11号 法蔵館pp. 182-191参 照

(27) 密教が取 り入れ た護摩がバ ラモ ン教 に固有 な儀礼 であ った如 く、集団的 な歌

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(28)

舞音 曲 ・飲食を主な内容 とす る聚輪 の儀礼が仏教徒 の伝承 とは考 え られない。

それを踏 まえて二儀軌S本p. 64「 〈行 品〉 で歌 と舞踏 が成 就 を与 え る と説 か

れた ことについて、疑問が ございます。」

(28) 島田前掲書p. 45

(29) 二儀軌S本1-ch., 7 p. 22(9) (10)

(30) 二儀軌S本1-ch., 7 p. 22

(31)〈 七生人〉 の儀礼的殺人にっいて は、二儀軌1-ch., 7(21), ch., 11(10, 11) 参

(32) 二儀軌S本1-ch., 7 p. 24

(33)〈 七生人〉 の儀礼 的殺害 の後、 その肉は丸薬にされ、それを食す ることによっ

て悉地が得 られ るとい う通念 が一般 に流布 して いたと考え られ る。二儀軌S本

p. 71に はそれに関す るVajragarbhaの 注釈が詳 しく引用 されて いる。

(34) 二 儀本S本1-ch., 7 p. 22

(35) SU津 田本ch., 9 p. 105(20)-(25)

(36) SU津 田本ch., 8 p. 99

(37) SU津 田本ch., 9 p. 104

(38) 二 儀軌S本p. 60

(39) 二儀軌S本I-ch., 7 p. 20

(40) SUch., 4-29津 田rdakinijalaの 実態」「東方学』No. 45 p. 93

(41) 二儀本S本1-ch., 7 p. 24(19)

(42) イ ン ド文化史 にお けるダーキニーに形象 される事象 を発 掘す る作業が必要 と

される。 津田氏 も引用 して いる(『反密教学」pp. 137, 138) が、ソーマデーヴァ

「屍鬼二 十五話』東洋文庫(上 村勝彦訳p. 18) に七世紀 頃の魔女 集会の描写が

見 られ る。

(43) 尊格 としての茶枳尼天を簡単 にまとめ た ものと して、笹間良彦1978『 ダキニ

信仰 とその俗信」 参照 第一書 房

(44)『 大 日経疏巻 第十』 〈普通 真言蔵 品〉大正No. 39p. 687

(45) Toh. 373 Kha. 282・a・5. 283・a・5

(46)「 北印 の母 タン トラと南 印の父 タン トラの両修法 を基盤 とし、 両 者 の一 系 列

的実習体系 を図 った」 ジュナーナパ ーダの活躍年代 が羽 田野 博士 によれば 「ほ

ぼ750-800年 に設定」され る。これか ら 「秘密集会 タ ン トラ』聖 者流 が 隆盛 期

を迎え たとされる十世紀末 か ら十 一世紀中葉にかけての間がかなりの空白となっ

てい る。

(47) 二儀軌S本1-ch., 7 p. 22(11)

(48) 巡礼地 の空間的展開 は、主 に後 期Hevajraタ ン トラ群 にお いて、 イ ン ド亜

大陸か ら外 の地域 を も包括 して展 開 し、Kalacakra-tantraの 宇 宙論 で理念

〈喩伽女 yogini〉

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(29)

的完 成 を 見 る。 前 者 に っ いて はToh. No. 420「 大 印 明 点 タ ン トラ』No. 422『 智 慧

明 点 タ ン トラ」。後 者 にっ いて はBahulkar, S.S1994 The Loka-dhatupatala

of the Kalacakra Tantra「 マ ンダ ラ と自 己 イ ン ド的 宇 宙 論 』p. 8国 立 民 族

学 博 物 館1994特 別 研 究 報 告 論 文 集 参 照 。

(49) 巡 礼 地 の 内 在 化 にっ いて は、 津 田1971「 サ ン ヴ ァ ラ系 密 教 に 於 け るPitha

説 の研 究(1)」 「豊 山 学 報』No. 16 pp. 26-48参 照 。

(50) 彷 裡 す る タ ン ト リス トに っ いて は、 二 儀 軌1-ch., 6(23), SU津 田 本p. 305参

照 。

(51) Roerich, G. N. 1979 (1949) The Blue Annals p.242

(52) 二 儀 軌 成 立 当 時 に こ う した タ ン ト リス トの居 住 地 が 巡 礼地 に な って い た と い

う記 述 は、 今 の段 階 で筆 者 の推 測 の域 を 出 な い 。 た だ 時 代 が 下 るが タ ー ラ ナ ー

タの 「ナ ロー パ伝 」 か ら彼 の住 処 Phullhari が そ う した タ ン ト リ ス トた ち の

ネ ッ トワー クの結 節 点 で あ った こ とが わ か る。

(53)「 女 性 原 理 」 と も定 式 化 で きる〈 母 な る もの〉 は、 多 くの 思 想 家 に創 造 の 力

を与 え て き た。 人 類 史 が そ の太 古 の昔 に〈 大 地 母 神 〉(テ ラ ・マ ー タ ー)が 支

配 す る時 代 を持 った こ とは 明 らか で あ る。 イ ン ドに お け るそ の 具 体 的 な形 象 に

っ い て は、 立 川 武 蔵1990『 女 神 た ち の イ ン ド』 せ りか書 房pp. 40-82参 照

(54) Mahamudraに っ い て は二 儀 軌1-ch., 8(43)ch., 10(20) II-ch., 2(23)

(26)(31) ch., 4(40)(43)(50) ch., 8 (1-5)

(55) 母 タ ン トラ と ジ ュ ニ ャー ナ パ ー ダ の っ な が りに つ い て は佐 藤努 前 掲 論 文 参 照

(56)羽 田野 伯 猷1987「 秘 密 集 タ ン トラに お け る ジ ュニ ャー ナ パ ー ダ流 につ い て 」

前 掲 書p. 40

(57) 二 儀 軌S本II-ch., 4(40-47)「Nairatmyaは 〈 樟 脳 〉 で あ り、 楽 はNaira-

tmyaの 本 性 で あ る。Nairatmya の 楽 は 膀 の 中 心 に位 置 す る Mahamudra

で あ る。 彼 女 は文 字Aで 象 徴 さ れ、 覚 者 は彼 女 を人 格 化 (個 体 化) され た 智 慧

と思 う。 究 寛 次 第 に お い て 彼 女 は般 若 母Prajnaで あ る。」 「彼 女 は倶 生 自身 で

あ り大 楽 の喩 伽 女 で あ る。 彼 女 は曼 茶 羅 輪 で あ り、 五 智 を 自性 とす る もの で あ

る。」

Nairatmya (無 我 女) は否 定 辞 で 表 され る そ の名 前 の通 り、 仏 教 的 理 念 の

み を 属 性 とす る人 為 性 が 明 らか な尊 格 で あ り、 この こと は サ ン ヴ ァ ラ神 の 明妃

で あ る ヴ ァジ ュ ラ ヴ ァー ラ ー ヒーが 仏 教 側 か らす る包 摂 の網 を取 り払 って も、

ヒ ン ドゥ ー教 下 級 神 ヴ ァー ラ ー ヒー と して の確 固 と した 内実 を もっ こ と とは対

象 的 で あ る。 これ を 敷 術 す れ ば 、 サ ンヴ ァ ラ 系 曼 茶 羅 の 内 院 の 五 女 尊 に 対 し

て 、Nairatmya曼 茶 羅 の 内 重 の 五 女 尊 の 名 称 (Nairatmya Vajrayogini

Gauri Vajra Vajradakini) が、 ガ ウ リー を 除 い て す べ て抽 象 的 表 現 に と ど

ま る こ と も、 二 儀 軌 とSUの 位 相 差 、 前 者 に のみ 固 有 な喩 伽 女 と して の マ ハ ー

-110-

Page 30: 〈喩伽女yogini〉 考 - J-STAGE Home

(30)

ム ドラ ーの 性 格 を 暗 示 す る もの と言 え よ う。

(58)「 金 剛 界 自在 母 」 は 「大 印 明 点 タ ン トラ』 に始 ま る後 期Hevajraの 主 要 な テ

ー マ で あ る(一 例 と して 「金 剛 界 自在 女 は蓮 華 の 心 髄 の 中 央 に住 す る」)。 しか

し既 に ジュ ニ ャー ナ パ ー ダが そ の主 著 『大 口 伝書 」 で 「金 剛 界 自在 母 」 を類 似

す る コ ンテ クス トの 中 で 述 べ て い る こ とに注 目す る必 要 が あ る。Toh. No. 1853

Di. 6a・7-6b・2

(59) 田中 公 明1993『 チ ベ ッ ト仏 教 』 春 秋 社pp.227-231 田 中 氏 は こ こ で 第 九 世

カル マ黒 帽 ラマ、 ワ ンチ ュ ク ドル ジェ(1556-1603)の 書 に よ っ て 「大 印 の 秘

法 」 を 述 べ て お られ る が、 先 の羽 田野 博 士 か ら引用 した ジ ュニ ャー ナ パ ー ダが

修 法 した 「大 印 」 の性 格 か ら もわ か る よ うに、 イ ン ドの オ リ ジナ ル の 「大 印 」

は 性鍮 伽 を 不 可 欠 とす る も ので 後 世 に整 理 され た顕 教 色 の強 い現 行 の 行 法 と は

等 同 で はな い と考 え る のが 自然 で あ ろ う。

(60) Bbue-Annals pp. 841-866マ ハ ー ム ドラ ーの 道 統 の チ ベ ッ トに お け る展 開

を 「左 道 密 教 」 とそ の 哲 学 的 基 盤 と され る 「如 来 蔵 思 想 」 批 判 の観 点 か ら言 及

した もの と して、 山 口 瑞 鳳 「チ ベ ッ ト仏 教 思 想 史 」 「岩 波 講 座 ・東 洋 思 想 第 十

一 巻 』 参 照

(61) 松 長 有 慶1978「 秘 密 集 会 タ ン トラ校 訂 梵 本 』 東 方 出 版(以 下 秘 密 集 会M本 と

略) p. 14, ch., 4(19-20) p. 21, ch., 7(17-18) p. 25, ch., 8(7), (25)

(62) 秘 密 集 会M本p. 75, ch., 15(49) p. 86, ch., 16(12) p. 103, ch., 17 (45)

(63) 津 田真 一 「反 密 教 学 』pp. 229-240

(64) 二 儀 軌S本pp. 44, 46

(65) 二 儀 本S本pp. 88, 90 (1-5)

(66) Padminiに つ い て は、他 のhastini, sahkhini, citriui と と も にSU ch. 31

を参 照。 イ ン ドの性 愛 書 Anahgarahga に は、 性 愛 術 か ら見 た こ の女 性 の 四

カ テ ゴ リーが 定 義 され て い る。 「カ ー マ ス ー トラ』1991pp. 215-296人 間 の 科

学 社

(67) 二 儀 軌S本p. 98

(68) 二 儀 軌S本II-ch., 4(35-39) p. 66

(69) 二 儀 軌S本p. 48 この マ ハ ー ム ドラー の 成 就 の箇 所 に 関 して は、 ヘ ー ヴ ァ

ジ ュ ラ ・タ ン トラの作 者 が〈 変 成 男 子 〉 と い う一 部 仏 教 徒 の 問 に根 づ い たで あ

ろ う思 考 を前 面 に 出 して い る点 に、 彼 らの メ ン タ リテ ィー が那 辺 に あ るか を 物

語 る も の と して注 意 す べ きで あ る。

(70) 二 儀 軌S本II-ch., 6〈 画 像 儀 軌 品〉(9-11)p. 115

(71) 拙 稿1996〈 聚 輪 Gauacakra〉 考 『密 教 文 化 』No. 193参 照

(72) Toh. 420 Kha. 67・a・784・b・7101・a・1

(73) 一 例 と して 、 壁 瀬 灌 雄1985「 八 十 四行 者 伝 訳(一)」 『密 教 学 』No. 20・21合 併

〈喩伽女 yogini〉

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(31)

号pp. 6, 7〈Pombi 伝〉参照

(74) 二儀軌S本p. 16「Prajna は母 と呼 ばれ る。世界 を生 み 出す故 に。 同様 に

姉妹 と呼ばれ る。彼女が配分 ・割 り当て ・任命 を示すが故 に。」(16-17)秘 密

集会M本p. 107「 衆生界 にいて〈三昧耶〉を保持す る無辺 の〈母 たち〉 を三金

剛の三昧耶 に よって愛欲すべ し。 この禁戒 は非常 に稀有 なる もので ある。」(63)

(75) 灌頂儀 礼につ いて は更 に、H-ch., 3〈 方便 品〉(10)-(23)参 照 二 儀軌S本

p. 54

(76) 二儀軌S本p. 84

(77) 二儀軌S本pp. 34, 36

(78) Sukraは 普通、男性精液 を意味す るが タン トラ仏教 が依拠 した生 理学 で は、

程度 の差 はあ って も女性 もsukraを もっ とされる。 しか しここで は女 性 体液

をさす。

(79) 津 田1987「 密教 か ら反密教 へ」 『反密教学」 リプロポー トp. 239

(80) 拙稿1995〈 聚輪 Gapacakra〉 考 参照

(81) 二儀軌S本p. 54

(82) 西 岡祖秀1983「 『プ トゥン仏教 史』 目録部索引III」『東 大文 学部 文化 交流

研究施設研究紀要』No. 6 p. 67

(83) 野 口圭也1985「 無上喩 伽密教 の灌頂 にっ いて」 『南都仏教』No. 54p. 58

(84) 津 田1976「 サ ンヴァラ系密教 に於 け る灌頂の一例」 『奥田慈磨先生喜 寿 記念

仏教思想論集』pp. 1041, 1042

(85) 拙稿1995「 〈聚輪Gapacakra〉 考」pp. 63-65

(86)〈 真実品〉以外 では〈方便 品〉(61-63)二 儀軌S本p. 60

(87) 津 田1987「 密教か ら反密教 へ」 「反密教 学』p. 235

(88) このmatrka-vadha (神母基底説) と して一般化 で き うる一部 の タ ン トリ

ス トの思想傾 向は、 まさ しく松 本史朗氏が嫌悪 し激 し く批 判 され る 「dhatu-

vada」(基 体説)の 典型 であ り、 その極北 に位置す るもの であ ろ う。 「実在 論

批判 津 田真一氏 に答 えて」1989「 縁起 と空』大 蔵出版

松本氏 の主知主義的 な仏教理解 か らする 「異説」 の批判 は この 日本的思想風土

にあって は危 うい程 の 「新鮮 な」 ものに映 る。 しか し何 らかの思 想が社会的存

在 となるためにはその思想が基体説 的な在 り方 を とる ことによ って しかで きな

いことは自明で あり、 さ らには特 に思想 的 「上部構造」 性 の強い仏教 の場合 に

つ いて はイ ンドの社会関連 のなかでその展 開をみて こられた、松 本氏が恩師 と

言われ る奈良康明博士の研究が あろ う。『講座大乗仏教第十巻』1984春 秋社

(89) Toh. No. 420 ch., 20 Na. 82・b・6. 83・a・2

(90) 教示を与え るダーキ ニーの例 は枚挙 にい とまないが一例 として、壁瀬灌雄前

掲書〈1. Ruyipa 伝〉〈3. VirUpa 伝〉pp. 2, 3参 照

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(91) 二儀軌S本II-ch., 4 (40-44)p. 68

(92) 拙稿1996「 ヘー ヴァジュラ系 タン トラにみ る〈集 会〉 と〈 喩伽 女〉 への一

視点」pp. 29-35参 照

〔改稿並 に註 記の付加 終了、1997年5月16日 〕

〈 キーワー ド〉 ダーキニー、聚輪、 マハーム ドラー

追 記

この 小 論 を校 正 す る ま で筆 者 は、 桜 井 宗 信1996『 イ ン ド密 教 灌 頂 儀 礼

の研 究 」 法 蔵 館 と 田中 公 明1997『 性 と死 の密 教 』春 秋社 を知 るこ とが なか ら

た。 そ れ が む しろ幸 い した と も言 え る わ け で、 精 緻 で重 厚 な文 献 学 的 研 究

の成 果 と軽 快 な プ ロ フ ェ ッシ ョナ ル の シ ャー プ な切 り口 を見 た後 で は、 お

そ ら く この拙 論 は 日の 目 をみ る こ と は なか った に違 い な い 。 「目 の 不 自 由

な人 、 蛇 に怖 じず。」 とは よ く言 った もの で あ る。 しか し修 士 論 文 執 筆 過

程 で の奮 闘 を形 あ る もの と して 残 し、 で き得 れ ば さ らな る展 開 を 図 りた い

もの と願 って発 表 す る次 第 で あ る。

〈喩伽女 yogini〉

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