vol.50 計測と制御 5 -...

27
公益社団法人計測自動制御学会 URL : http://www. sice. or. jp/ VOL.50 2011 計測と制御 昭和 37 年3月8日 第3種郵便物認可/昭和 37 年2月 23 日国鉄東局特別扱承認雑誌 1243号/ 平成 23 年 5 月 10 日発行 (毎月1回 10 日発行)第 50 巻第 5 号 ISSN 0453-4662 5 ミニ特集 回折イメージング ~位相回復の新展開~ ●総論 新たなナノスケールイメージング─ 古くて新しい位相回復問題 ─ ●解説 コヒーレントX線イメージング 光 ─ 回折強度からのレンズレスイメージング─ 電子回折イメージング─入射ビームの角度拡がり─ 位相回復─計算アルゴリズム─ ●リレー解説 脳機能計測と生体信号入出力 第5回:ダイポールレイヤーを用いた 脳機能イメージングとその応用 ●学界だより 第53回自動制御連合講演会 ●部門だより システム・情報部門学術講演会2010(SSI 2010) ●支部だより 第19回中国支部学術講演会 位相回復による解析イメージング

Upload: others

Post on 28-May-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

公益社団法人計測自動制御学会URL : http://www. sice. or. jp/

2011VO

L50

NO5

VOL.50 2011

計測と制御

昭和 37 年3月8日 第3種郵便物認可/昭和 37 年2月 23 日国鉄東局特別扱承認雑誌 1243号/ 平成 23 年 5 月 10 日発行 (毎月1回 10 日発行)第 50 巻第 5 号 ISSN 0453-4662

計測と制御 5

 計測自動制御学会

ミニ特集 回折イメージング ~位相回復の新展開~●総論新たなナノスケールイメージング─古くて新しい位相回復問題─●解説コヒーレントX線イメージング光─回折強度からのレンズレスイメージング─電子回折イメージング─入射ビームの角度拡がり─位相回復─計算アルゴリズム─

●リレー解説脳機能計測と生体信号入出力 第5回:ダイポールレイヤーを用いた     脳機能イメージングとその応用

●学界だより第53回自動制御連合講演会●部門だよりシステム・情報部門学術講演会2010(SSI 2010)●支部だより第19回中国支部学術講演会

●ミニ特集回折イメージング〜位相回復の新展開〜

位相回復による解析イメージング

Slabo
画像
Page 2: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).
Page 3: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

総論:ミニ特集回折イメージング~位相回復の新展開~

新たなナノスケールイメージング—古くて新しい位相回復問題—

郷 原 一 寿**北海道大学大学院工学研究院 北海道札幌市北区北 13 条西 8 丁目*Research Faculty of Engineering, Hokkaido University, Kita 13, Nishi 8,Kita-ku, Sapporo, Hokkaido, Japan*E-mail: [email protected]

キーワード:回折イメージング (diffractive imaging),位相回復 (phaseretrieval),X 線 (X-ray),光 (photon),電子 (electron),コヒーレンス(coherence).JL 0005/11/5005–0313 C©2011 SICE

見るということは,知覚の中でも格段に大きな割合を占めており,人間の認識において重要な役割を果たしている.百聞は一見に如かず,見ることは理解することの第一歩で

ある.しかし,人間が目で直接見ることができるものは,可視光の波長帯に限られている.見ることの魅力に憑りつかれた人間は,知恵を働かせて,可視光よりもより長く,さらに短い領域の波長でも見ることを追い駆け続け,多くのイメージングに関する手法を考え出した.中でも,原子のスケールでイメージングすることは,分野を超えて大きな影響を与える.たとえば,DNAやカーボンナノチューブの原子スケール構造解明とその後の展開は,原子が識別できる空間分解能で物質の構造を知ることが,いかに大きな

影響を社会に与えるかを示す典型的な例である.これらの構造解明には,X線または電子による回折パターンが重要な役割を果たしている.原子スケールの構造を前提にする分野では,回折という現

象が,周期性をもつ結晶に対してのみ問題になるという一般的な常識がある.しかし,“回折イメージング (DiffractiveImaging)”または “回折顕微法(Diffraction Microscopy)”と呼ばれる新たなイメージング手法の出現によりこの常識は大きく変わりつつある.回折イメージングとは,実験に

よって計測された回折パターンを元に,計算機による数値計算によって実像を得るイメージング手法であり,物理的なレンズの機能をデジタル計算によって実現する “デジタルレンズ”と言える.この方法がX線領域で可能であることが,実験的に示さ

れたのは 1999年のことである.波長オーダーで十分な性能をもつレンズがないX線の分野では,結晶であることを必要とせず,レンズも要らないこの手法は,大きな驚きと期待で迎えられた.そして,これまでの約 10年で飛躍的な発展を遂げ,X線の分野では現在もその勢いをさらに増しているように見える.一見,にわかに登場したように見えるこの手法は,位相

回復問題と呼ばれる基本的な問題を含んだパラダイムに立脚しており,寄って立つところの土台に対して,新たな問題提起をしている.

以上を背景に,本ミニ特集号では,回折イメージングが展開されている応用領域として,X線,光,電子の 3つの分野を取り上げ,さらにこの手法の基礎となるフーリエ反

復位相回復法のアルゴリズムについて,情報理論の観点から解説を加えた.全体は,それぞれに対応した,以下の 4編の解説から構成されている.

• X 線はこの手法が最も活発に展開されている分野である.X線での初期の検証実験から深く関わり,積極的に研究を進めている西野先生に,この手法の基礎,SPring-8で展開されている X線回折顕微鏡による研究,X線自由電子レーザーによるフェムト秒コヒーレントイメージングの現状と最新の研究などについて解

説していただいた.•光の分野は位相回復問題を基礎と応用に渡って最も広く研究している領域である.この分野で新たな手法を活発に提案し続けられている中島先生に,光の分野から見た歴史,X線回折イメージングの各種方法の分類と現状,そしてご自身の最近の研究である開口アレイフィルターによる位相回復などについて解説していただいた.

•電子もド・ブロイ波長で特徴付けられる波の性質をもつことから,X線と並行して活発に研究が展開されている.原子分解能でイメージングできる電子線領域でのこの手法の可能性を追求している郷原が,入射ビームの角度拡がりの問題を中心に取り上げ,電子顕微鏡での具体的な実験例について解説した.

•最後に,この手法の基礎となる位相回復問題の数学的定式化,位相回復の基本アルゴリズム,情報量による考察について塩谷・郷原が解説した.回折イメージングは,物質科学と情報科学などの異なる

学問の融合領域である.主要なターゲットは,ライフイノベーション・グリーンイノベーションを支える重要物質のナノスケール構造解明である.古くて新しい位相回復問題を基礎にした回折イメージングに関する研究の一端をお伝えすることで,本特集号が,多くの分野で新たな挑戦をする方々のヒントになることを期待したい.

(2011 年 2 月 14 日受付)

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 313

Page 4: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

解説:ミニ特集回折イメージング~位相回復の新展開~

コヒーレントX線イメージング

西 野 吉 則**北海道大学電子科学研究所 北海道札幌市北区北 21 条西 10 丁目*Research Institute for Electronic Science, Hokkaido University, Kita 21Nishi 10, Kita-ku, Sapporo, Hokkaido, Japan*E-mail: [email protected]

キーワード:コヒーレント X線 (coherent X-rays),コヒーレントイメージング (coherent imaging),回折顕微法 (diffraction microscopy),ホログラフィー (holography),自由電子レーザー (free-electron laser).JL 0005/11/5005–0314 C©2011 SICE

1. はじめに放射光や自由電子レーザーなどの短波長コヒーレント光

の光源技術の近年の目覚ましい発展に伴い,コヒーレント光を利用したイメージング研究が世界的に活発に行われている.コヒーレント光とは,図 1 に示す入射波のように,波面の揃った光を意味する.回折顕微法1)~5) やホログラフィーなどのコヒーレントイ

メージングでは,通常の結像型や走査型の顕微鏡で必要とされる像形成のためのレンズを用いず,試料からのコヒーレント散乱パターンを計測し,計算機で試料像を再構成する.レンズを必要としないため,開口数の大きなレンズの製作が困難な,X線領域の光に対して特に有効である.オングストロームの波長をもつX線を用いると原理的には原子分解能でのイメージングも可能である.従来のX線結晶構造解析法を,結晶以外の試料にも適用できるように拡張した手法と言える4).

X線は透過性に優れ,厚みのある試料の 3次元観察に適している.しかし,従来のX線顕微鏡の多くは,X線の吸収コントラストを可視化するレントゲン写真の延長にすぎなかった.このため,X線をほとんどすべて透過する細胞や細胞小器官などの試料に対しては,像のコントラストが悪く,内部構造を観察することは困難であった.X線を用いこれら生体試料を高いコントラストで観察するには,透明な試料を可視化できる位相コントラストイメージングが求められる1).

図 1に,コヒーレント光を利用した位相コントラストイ

図 1 コヒーレント光を利用した位相コントラストイメージングの概念図.試料を通過した光の波のゆがみ (位相シフト)を可視化する.

メージングの概念図を示す.光を完全に透過する透明な試料 (位相物体)に対しても,試料内部に非一様な屈折率の分布があれば,試料背後で光の波面がゆがみ位相シフトが生じる.この位相シフトを各種の方法で検出することにより,位相コントラストイメージングが実現する.コヒーレントイメージングは,位相板などの光学素子を必要としない理想的な位相コントラストイメージング法である.本稿では,コヒーレントX線が可能にする先端的イメー

ジングについて解説する.

2. X線回折顕微法

2.1 スペックルとオーバーサンプリング条件

X 線の波が試料を通過する際に起こる波面のゆがみは,遠方界では Fraunhofer 回折パターンとして観測される.Fraunhofer回折パターンから試料構造を再構成する手法がX線回折顕微法である.図 2にX線回折顕微法の概念図を示す.無秩序な構造をもつ試料からの Fraunhofer 回折では,

レーザー光においてはなじみ深い,スペックルと呼ばれる斑点模様が観測される.回折パターン中のスペックル構造は,試料によって散乱されたX線の干渉によって起こるため,試料構造の僅かな違いがスペックルの顕著な違いを生む.X線回折顕微法は,回折パターンの試料構造に対する

図 2 X線回折顕微法の概念図.試料にコヒーレントX線を照射し遠方界で回折パターンを計測する.レンズの代わりに計算機を用い,回折パターンから試料像を再構成する.3次元イメージングでは,試料を回転させ,さまざまな入射角での回折パターンを計測する.

314 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 5: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

この敏感性を利用している.Fraunhofer回折パターン中の 1つ 1つのスペックルの大

きさは,試料 (散乱領域)の大きさに反比例する.これは,小さなスリットを通った波が,スリットの開口幅に逆比例した角度広がりで伝播することからも理解できる.量子力学的には,不確定性原理として知られている現象である.スペックルの大きさは,光の波長を λ,試料の大きさを a,

試料と検出器の間の距離を D とすると,およそ λD/a で与えられる.実験では,回折パターン中の 1つ 1つのスペックルを解

像できるよう細かい間隔で回折強度をサンプリング (計測)する.回折パターンのサンプリング間隔に対する要請は,オーバーサンプリング条件と呼ばれ,検出器のピクセル面積が,スペックルの面積の半分以下であることが求められる6).オーバーサンプリング条件は,測定した回折強度の情報量が,未知の試料構造の情報量を上回る条件を与える.

このため,オーバーサンプリング条件は,回折パターンから試料構造を再構成する必要条件となる.2.2 反復的位相回復法

試料の電子密度分布 (屈折率分布)と Fraunhofer回折波の複素振幅とは,フーリエ変換の関係にある.X線回折波の複素振幅を計測することができれば,逆 Fourier変換によって電子密度分布を再構成できる.しかし,測定可能な物理量は光子数から得られる複素振幅の絶対値のみで,複素振幅の位相は直接的には測定できない.このため,電子

密度分布を再構成するためには,なんらかの方法で回折波の位相を回復する必要がある.これがよく知られたX線回折における位相問題である.

X線回折顕微法では,X線回折パターンからの位相回復にGerchbergと Saxtonに端を発する反復法を用いる7).図3に反復的位相回復法の概念図を示す.反復法では,ランダムな電子密度分布 (またはランダムな回折波の位相)から出発し,Fourier変換と逆 Fourier変換を繰り返す.そして,各反復において,実空間および逆空間 (Fourier空間)で既知の情報を補っていく.

図 3 反復的位相回復法の模式図.実空間と逆空間(Fourier空間)で既知の情報を与えながら,Fourier変換と逆 Fourier変換を繰り返すことで,位相を回復する.

まず,逆空間での既知情報として,回折強度の測定データを用いる.この際,位相は実験的に得られないため,各反復における計算値をそのまま採用する.実空間では,試料が存在するであろうと推定される領域

(サポート)の外では電子密度がゼロであることや,物理的に電子密度が非負であることなどを拘束条件として課すことができる.ここで,試料が存在するであろう領域は,ス

ペックルのサイズが試料サイズに反比例するため,スペックルサイズから推定することができる.具体的な実空間拘束条件にはさまざまな流儀があるが,Fienupにより提案されたHIO (hybrid input-output)アルゴリズムが一般的に用いられている8).2.3 X線回折顕微鏡装置

X線回折顕微法の基礎となるアイデアは 50年以上も昔に提唱されたが3),世界初の実験報告は 1999年に行われた4).実証までに長い年月を要したのは,コヒーレントX線の利用が放射光の発展とともに近年になりやっと可能となったためである.その後,研究は世界的な広がりをみせ,実験装置やデータ解析法の改良が進められた.特に,波長の短い硬 X線の領域では,日本の大型放射光施設 SPring-8において多くの先駆的な研究が行われた.図 4にわれわれが開発したX線回折顕微鏡装置の写真を

示す.X線回折顕微鏡では通常,マイクロメートルほどのサイズの試料の内部構造を観察するが,そのような小さな試料からの X線散乱強度は極めて弱い.このため,空気によるノイズ散乱も無視できないため,測定は通常真空中で行われる.回折パターンは試料の下流に設置された 2次元検出器に

よって計測される.われわれの装置では,試料と検出器の間の距離 D を連続的に変えられる工夫がされている.これにより,さまざまなサイズの試料に対しても,固定のピクセルサイズをもった 2次元検出器で,オーバーサンプリング条件を満たした測定を行うことができる.回折パターンを測定する 2次元検出器には,スペックル

を解像する高い空間分解能 (点拡がり関数) と,シングルフォトンレベルの微弱な回折強度を計測する高効率と低ノ

図 4 X線回折顕微鏡装置.SPring-8 BL29XUに設置された様子を示す.

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 315

Page 6: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

図 5 X線回折顕微法によって観察したヒト染色体の 2次元投影像.イメージコントラストを人工的に高める試料処理なしに,初めて染色体の軸状の構造が観察された.

イズが求められる.これらの条件を満たす 2次元検出器として,現在多くの実験では,X線を直接照射するタイプのX線 CCD検出器が現在用いられている.一方,一般的なX線実験では通常,X線を蛍光板に照射し可視光に変換するタイプの CCD検出器が用いられる.蛍光板を使った場合,X線から可視光への変換効率を上げるため蛍光板を厚くすると,空間分解能が悪化するという問題がある.2.4 X線回折顕微法による細胞内構造イメージング顕微鏡研究においては,生体試料の観察は大きなテーマ

である.細胞小器官の高空間分解能での構造観察では,クライオ電顕が現在最も有力な手法であるが,厚い細胞小器官や細胞全体の可視化には,透過能の優れたX線顕微鏡が潜在的優位性を有している9).X線に対してこれらマイクロメートルサイズの生体試料は,吸収によるコントラストが得られないほぼ理想的な位相物体であるが,X線回折顕微法は回折現象を利用することによって,試料によるX線波の位相シフトを高感度で検知することができる.われわれは,X線回折顕微法を用いた世界初の生体試料

の観察として,2003年に大腸菌の 2次元投影像のイメージングを報告した10).その後,世界のいくつかのグループによりX線回折顕微法による生体試料の観察報告がなされたが,いずれも 2次元投影像の観察であり,3次元的に生体試料を観察する研究が待たれていた.近年,われわれは X線回折顕微法による細胞小器官の 3

次元観察に世界で初めて成功した11).X線回折顕微法という特定の手法に限らず,エネルギーの高い X線を使って細胞の中を 3次元的に観察したのは世界初である.試料にはヒト染色体が用いられた.図 5 にコヒーレント X 線回折パターンから再構成され

た,ヒト染色体の 2次元投影像を示す.再構成像では,2つの姉妹染色分体が,明瞭に可視化されている.さらに,特筆すべき構造として,染色体の軸付近に,幅 200nm程のイメージ強度の高い領域が観察された.染色体の軸状構造は,これまで,免疫電子顕微鏡や蛍光顕微鏡を用いて観察されてきたが,これら従来法では,軸付近に存在するタン

図 6 X線回折顕微法によって観察したヒト染色体の 3次元像.染色体の表面のみならず,内部構造も観察できる.

パク質に重金属に結合させ染色したり,蛍光分子で標識することによって,特定のタンパク質のイメージコントラストを人工的に高めていた.われわれの研究では,これらイメージコントラストを高める人工的な試料処理をせず,染色体の軸状構造を観測した初めての例となる.さらに,われわれが得たヒト染色体の 2次元投影像では,軸状の構造がほぼ規則的に曲がりくねって,波状になっていることが観察できた.この構造は,蛍光顕微鏡を用いてこれまで観察されていた,らせん状の軸構造との類似性を示している.

図 6に,再構成されたヒト染色体の 3次元電子密度マップを示す.3次元再構成は,試料を回転させさまざまな入射角で測定した回折強度データを 3次元逆空間 (Fourier空間)に当てはめ,3次元 Fourier変換を使った反復的位相回復法を適用することによって行った.3次元再構成像においても,軸付近に電子密度の高い構造が観察された.われわれの研究により,コヒーレント X線を使った新し

い顕微鏡が,イメージコントラストを人工的に高める染色や標識などの試料処理の必要なく,細胞小器官の内部構造

を高いイメージコントラストで観察できることが実証された.これにより,細胞内構造を観察する研究に新たな可能性を開いた.

3. 自由電子レーザーを用いたコヒーレントイメージング

3.1 X線自由電子レーザー一昨年 2009 年にアメリカの LCLS (Linac Coherent

Light Source)で,史上初のオングストローム・オーダーの

316 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 7: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

波長をもつX線レーザーが実現し,X線科学の新しい幕が開いた12).日本のX線レーザー計画が続いており,兵庫県の播磨科学公園都市にある SPring-8サイトで建設が進められている.今年 2011年の夏には X線レーザーの発振が期待される13).これらアメリカ,日本の施設に続き,ヨーロッパでX線レーザーの建設が進められているほか,世界各地で建設に向けた議論が始まっている.

通常のレーザーが束縛電子を用いるのとは異なり,これらX線レーザーは加速器で加速された自由電子を用いるため,自由電子レーザー (FEL)と呼ばれる.

X線 FEL (XFEL)は,高い干渉性,超短パルス性,高いピーク輝度をもっており,これら優れた特徴を用いることで,コヒーレントイメージングの飛躍的な発展が期待される.たとえば,コヒーレントイメージングを時間軸方向に押し広げた 4次元イメージングへの新たな可能性が開かれる.X線の短波長性とXFELの超短パルス性を活用すると,究極的には,原子分解能での超高速の構造ダイナミクス測定が可能となる.図 7に,XFELを用いたポンプ・プローブ法による構造ダイナミクス測定の概念図を示す.測定した回折パターンの時間列からは,究極的には原子・分子の動画が得られる.3.2 フェムト秒コヒーレントイメージング

われわれは,XFEL を利用した材料科学現象の超高速コヒーレントイメージングに向けた研究を進めている.SPring-8のサイト内に XFELの原理実証機として作られた SCSS試験加速器からの極紫外線 FEL (EUV-FEL)14)

を用いて基礎実験を行っている.構造ダイナミクス測定に向けた第一歩として,シングル

ショットでのコヒーレントイメージング実験を行った15).

図 7 X線自由電子レーザーを用いた原子分解能での超高速の構造ダイナミクス測定の概念図.究極的には,原子・分子の動画が得られる.

FEL のパルス幅はサブピコ秒ときわめて短く,シングルショットデータから試料像が再構成できれば,サブピコ秒の露光時間をもつコヒーレントイメージングが実現する.これにより,超高速で起こる材料科学現象も,ぶれることなく撮影できる.実験では,HERALDO (holography with extended ref-

erence by autocorrelation linear differential operation)と呼ばれる近年開発された新しいホログラフィーの手法を用いた16).HERALDOは,古くから知られるフーリエ変換ホログラフィーを改良した手法である.フーリエ変換ホログラフィーでは,試料の隣に参照光源となるピンホールを置くが,このピンホールの大きさがフーリエ変換ホログラフィーでの再構成像の空間分解能を決める.高い空間分解能を得るためにピンホール径を小さくすると,参照光の強度が弱くなり,結果としてホログラムデータの統計精度が悪化するという問題があった.HERALDOではこの問題を克服し,広がった参照光源を用いても,測定データの統計精度を高く保ったまま,高い空間分解能が実現可能である.図 8に SCSS試験加速器を用いたHERALDO測定の様

子を示す.波長 61 nm,パルス幅~100 fs,パルスエネルギー >10µJの FELを試料に照射し,試料の下流 776mmに置かれたCCD検出器でホログラムを計測した.CDD検出器は市販のもので,全画素の読み出しに数秒を要する.これは,実験で用いた EUV-FELの繰り返し周波数である

図 8 SCSS試験加速器からの極紫外自由電子レーザーを用いたフェムト秒シングルショット・ホログラフィー測定の様子 (上)と概念図 (下).シングルショット計測は,加速器からのタイミング信号とCCD検出器の露光信号をトリガーとして動作するパルスセレクターを用いて実現した.

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 317

Page 8: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

図 9 試料の走査イオン顕微鏡像.試料となる SPring-8のロゴマークの近傍に,参照光を作り出す縦および横のスリットが配置されている.

20Hzに比べ格段に遅い.読み出しの遅い CCD検出器でシングルショット計測を実現するため,われわれはビームラインのパルスセレクターを利用した17).パルスセレクターは,FELの繰り返し周期と同期して,任意数のパルスを切り出せる.本計測では,パルスセレクターの切り出しパルス数を 1に設定し,外部トリガー端子に CCDの露光開始信号を入力した.図 9 に測定に用いた試料の走査イオン顕微鏡像を示す.

試料は 100nm 厚の Si3N4 に金を 800nm 蒸着したのち,集束イオンビーム (FIB)を用いて貫通パターンを加工した.パターンは,試料となる SPring-8のロゴマークと,縦および横の参照スリットで構成されている.パターンの大きさや形状は,シングルショット計測に適したホログラムデータが得られるよう設計した.図10にシングルショット計測したフェムト秒HERALDO

図 10 実験で測定したフェムト秒シングルショットポログラム.100フェムト秒ほどのパルス幅をもつ極紫外自由電子レーザーを 1パルス照射して計測した.

図 11 フェムト秒シングルショットポログラムから再構成した試料像.4つのコピー像を適切に足し合わせることにより (c)に示す最終的な再構成像が得られる.

データを示す.縦および横に伸びる干渉縞がのったストリークは,それぞれ,横および縦のスリットによる回折の寄与である.ホログラフィーでは位相情報が,ホログラムの実験デー

タに含まれているので,位相回復の必要がなく,単純な数学的操作で試料像を再構成できる.図 11に,図 10のホログラムから再構成した試料のフェムト秒スナップショットを示す.図 11 (c)に示す最終的な再構成像では,試料である SPring-8のロゴマークが明瞭に観察できる.この実験により,FEL を用いたサブピコ秒露光でのコ

ヒーレントイメージングが実現した.シングルショット計測したホログラムからの試料像の再構成の成功を受けて,われわれは,フェムト秒レーザーによって引き起こされる構造ダイナミクスの測定を進めている.

4. おわりに

放射光利用研究は,近年その裾野を大きく広げ,比較的小型の放射光専用施設が世界各地で数を増やしている.こ

れら新しい放射光施設では,コヒーレントX線の利用研究が大きな特色となっており,X線回折顕微法をはじめとするコヒーレントイメージングを主目的とするビームラインの運用も始まりつつある.また,新世代のX線であるX線自由電子レーザーの利用

も始まり,実験結果の報告が徐々に現われている.本稿では,XFELが切りひらく新たな可能性として,フェムト秒の構造ダイナミクスイメージングを示したが,他にも多くの新しい発展が期待される.たとえば,結晶化が困難また

は不可能な種類の生体超分子試料をつぎつぎとXFELに照射することにより,3次元構造解析を行うというシナリオが議論されている.XFELの超短パルス性能により,試料構造が破壊される前に X線回折測定を行う可能性が開け18),生体試料観察における従来の分解能限界を超えた高空間分解能が達成できると期待されている.XFELを利用した測定は,技術的チャレンジを伴うが,これまで見ることのできなかった世界が開ける大きな可能性を秘めている.

318 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 9: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

最後に,以下の方々をはじめとする共同研究者に感謝する (敬称略):田中義人,伊藤基巳紀,高橋幸生,三村秀和,松山智至,前島一博,志村まり,城地保昌,苙口友隆,別所義隆,竹内昌治,岡田真,岡谷基弘,野崎公彦,大路祐介,松下雄多,堤良輔,矢橋牧名,永園充,富樫格,大橋治彦,松井真二,松原英一郎,山内和人,石川哲也.本研究は科研費およびX線自由電子レーザー利用推進課

題の助成を受けたものである.(2011 年 1 月 23 日受付)

参 考 文 献

1) 西野吉則:コヒーレント X 線が明かす細胞の内部世界,パリティ(丸善),24, 14 (2009)

2) 西野吉則,石川哲也:X 線回折顕微法の原理,放射光,19, 3

(2006)

3) D. Sayre: Some implications of a theorem due to Shannon,

Acta Crystallogr., 5, 843 (1952)

4) J. Miao, P. Charalambous, J. Kirz and D. Sayre: Extending

the methodology of X-ray crystallography to allow imag-

ing of micrometre-sized non-crystalline specimens, Nature,

400, 342 (1999)

5) I.K. Robinson, I.A. Vartanyants, G.J. Williams, M.A.

Pfeifer and J.A. Pitney: Reconstruction of the Shapes

of Gold Nanocrystals Using Coherent X-Ray Diffraction,

Phys. Rev. Lett., 87, 195505 (2001)

6) J. Miao, D. Sayre and H.N. Chapman: Phase retrieval from

the magnitude of the Fourier transforms of nonperiodic ob-

jects, J. Opt. Soc. Am. A, 15, 1662 (1998)

7) R.W. Gerchberg and W.O. Saxton: Phase determination

for image and diffraction plane pictures in the electron mi-

croscope, Optik (Stuttgart), 34, 275 (1971)

8) J.R. Fienup: Phase retrieval algorithms: a comparison,

Appl. Opt., 21, 2758 (1982)

9) R. Henderson: The potential and limitations of neutrons,

electrons and X-rays for atomic resolution microscopy of

unstained biological molecules, Q. Rev. Biophys., 28, 171

(1995)

10) J. Miao, K.O. Hodgson, T. Ishikawa, C.A. Larabell, M.A.

LeGros and Y. Nishino: Imaging whole Escherichia coli bac-

teria by using single-particle x-ray diffraction, Proc. Natl.

Acad. Sci. USA, 100, 110 (2003)

11) Y. Nishino, Y. Takahashi, T. Ishikawa, N. Imamoto and K.

Maeshima: Three-Dimensional Visualization of a Human

Chromosome Using Coherent X-Ray Diffraction, Phys. Rev.

Lett., 102, 018101 (2009)

12) P. Emma, et al.: First lasing and operation of an angstrom-

wavelength free-electron laser, Nat. Photonics, 4, 641

(2010)

13) 北村英男,新竹積,石川哲也:SPring-8におけるオングス–トローム–FEL–開発,放射光,16, 65 (2003)

14) T. Shintake, et al.: A compact free-electron laser for gener-

ating coherent radiation in the extreme ultraviolet region,

Nat. Photonics, 2, 555, (2008)

15) Y. Nishino, Y. Tanaka, M. Okada, M. Okaya, Y. Uozaki, K.

Nozaki, M. Yabashi, M. Nagasono, K. Tono, H. Kimura, H.

Ohashi, S. Matsui, T. Ishikawa and E. Matsubara: Fem-

tosecond Snapshot Holography with Extended Reference

Using Extreme Ultraviolet Free-Electron Laser, Appl. Phys.

Express, 3, 102701 (2010)

16) M. Guizar-Sicairos and J.R. Fienup: Holography with ex-

tended reference by autocorrelation linear differential oper-

ation, Opt. Express, 15, 17592 (2007)

17) T. Kudo, T. Hirono, M. Nagasono and M. Yabashi:

Vacuum-compatible pulse selector for free-electron laser,

Rev. Sci. Instrum., 80, 093301 (2009)

18) R. Neutze, R. Wouts, D. van der Spoel, E. Weckert and J.

Hajdu: Potential for biomolecular imaging with femtosec-

ond X-ray pulses, Nature, 406, 752 (2000)

[著 者 紹 介]にし

西の

野よし

吉のり

則 君1996 年大阪大学大学院理学研究科物理学専攻

博士課程修了.博士 (理学).96~2001 年高輝度光科学研究センター,98~2000 年ドイツ電子シンクロトロン (DESY)客員研究員,01~10年理化学研究所,10 年~北海道大学電子科学研究所教授,現在に至る.

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 319

Page 10: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

解説:ミニ特集回折イメージング~位相回復の新展開~

光—回折強度からのレンズレスイメージング—

中 島 伸 治**静岡大学工学部 静岡県浜松市中区城北 3–5–1*Faculty of Engineering, Shizuoka University, 3–5–1 Johoku, Naka-ku,Hamamatsu, Shizuoka, Japan*E-mail: [email protected]

キーワード:位相回復 (phase retrieval),コヒーレント回折イメージング (coherent diffractive imaging),波面再生 (wavefront reconstruction),逆問題 (inverse problem),フーリエ変換 (Fourier transform).JL 0005/11/5005–0320 C©2011 SICE

1. はじめに一般に光学顕微鏡は,物体からの散乱・回折光を凸レン

ズで集めて結像させる原理を用いている.そのため,分解能は,結像レンズの有限な広がりや収差の影響を受け劣化する.分解能を照明光の波長程度まで上げるために要求される結像レンズの精度は,照明光の波長が短くなるにつれて厳しくなる.特に,X線領域 (波長:約 0.01~10 nm)では,波長程度まで分解能を上げることは非常に困難である.

古くから,X線結晶解析というレンズを用いず原子像を得る手法がある.この手法は,回折強度分布のみから回折波の位相分布 (ある点の位相を基準とした位相差分布)を結晶の周期性を利用して求め,その振幅と位相から得られる回折波面の複素振幅関数を逆フーリエ変換して原子像を得る回折イメージング法である.このような手法では,レンズによる制約がないため,物体の分解能を照明X線の波長程度まで上げることができるが,周期性をもたない物体には適用できない.

光学の分野では,レンズを用いず周期性のない孤立物体像を得る手法が古くから研究されていて,たとえば,ホログラフィー1) やフーリエ反復法2), 3) などの方法が提案されている.これらはレーザー光源からの高可干渉性 (コヒーレント)光を用いた測定を前提としているため,従来の干渉性が悪いX線源による測定に利用することが難しかった.最近,第三世代のシンクロトロン放射光源によって空間的に干渉性が高い高強度な X線が得られるようになったため,光学分野で開発されたレンズレス回折イメージング法を利

用した物体再生実験が世界的に行われようになった.回折イメージング法で得られる再生像の特徴は,レンズ

による像と異なり,物体を透過した波の振幅と位相の 2つの情報をもっている点である.特に,軽元素からなる物体(生体軟部組織や有機材料など)では,X線の位相変化率が吸収率の約 1,000倍大きいという性質があり4),従来の X線吸収像ではわからない物体構造を,回折イメージングによる再生物体位相から得られる利点がある.

X線の位相を測定する方法としては,シェアリング5) や

タルボ・ロー6) などの干渉計を用いる手法があるが,通常これらは物体のX線投影像に対して用いる方法であるため,分解能が光源サイズおよび検出器のピクセルサイズで制限

される.本解説では,上記で述べた X 線の波長程度の分解能を目指した回折イメージング法に焦点を絞って,特に,光学分野から見た歴史と最近の動向について述べる.また,著者が最近提案した開口アレイフィルターを用いたイメージング法についても紹介する.

2. 回折イメージング法の進展:光からX線へ

レーザーの発明によりホログラフィーが注目され始めた1960 年代,光学の分野では,ホログラフィーで不可欠な参照波を利用せず,回折強度分布のみから位相分布を直接,回復することを目指した位相回復問題と呼ばれる研究が始まった7).当初は,理論的な研究が中心で目立った進展は

なかったが,コンピュータの発展に伴って 1970年代にフーリエ反復法2), 3) という強力な方法が提案されてから研究が活発になった.フーリエ反復法は,物体からの回折波の強度分布と物体の既知情報 (広がり範囲,非負条件など)を用いて,回折波の位相分布を計算機アルゴリズムによって反復的に求めていく手法である.そのため,常に解の収束性・唯一性の問題が伴う.しかし,1枚の強度分布からの 2次元位相回復が簡単に取り扱えるという特長があるため,瞬く間に種々の問題に応用されるようになった.

一方,解析的な方法で位相回復する試みも 60年代からいろいろと行われてきたが7)~10),理論的な困難さがあり 80年代の中頃においても 1次元位相回復すら満足に扱えない状態であった.80年代初め日本でも位相回復問題の解説が学会誌に掲載されている11), 12).ようやく,80年代末に,解析関数の数学的性質を利用した 2次元位相回復法によって,3枚の回折強度分布からの物体再生が実験的に可能となった13).しかし,90年代には入ってからは,回折イメージングに関連した位相回復問題は世界的にあまり活発に研究が

行われなくなった.その理由は 2つある.1つは,1枚の回折強度分布からの 2次元位相回復問題を解析的に解く試みが行き詰まったことによる.もう 1つは,可視光の波長領域ではレーザーというコヒーレントな光源があり,かつ高精度な干渉計測技術が確立されているため,ホログラフィー等の参照波を用いる干渉計測法に対して,参照波を用いない位相回復法の優位な点が見出せなかったことによる.

90年代の中頃から,高可干渉性・高強度な第三世代シン

320 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 11: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

クロトロン放射X線が利用できるようになり,X線イメージング・計測分野の研究者が光学分野で提案されていた位相回復法を用いて実験を始めたことで再び注目を集めるようになった14), 15).これは,X 線の波長が可視光より遙かに短いために,精度の良いX線結像系の作製が困難であること,さらに,高可干渉性 X線とはいえレーザー光のように広い領域で干渉縞が得られないため,干渉計測やホログ

ラフィーの適用が制限される問題があり,それらに対して,物体の回折強度分布測定だけの簡単な測定系を用いる位相回復法の優位性が認識されるようになったからである.

2000年代に入ってからは,種々の方法による X線回折イメージング実験が世界的に活発に行われるようになった.おもに用いられている方法は,ホログラフィー法,フーリエ反復法,強度輸送方程式による方法であり,最近は反復法の欠点をホログラフィー法で補う融合法が提案されている.次章では,各方法について概説する.

3. 主要なX線回折イメージング法

3.1 ホログラフィー法

放射光源からの高可干渉性X線であっても,レーザー光のような空間的に広い範囲の干渉性がないため,ホログラフィーで必要な参照波の与え方としては,一般に図 1 (a),(b)の 2つがある16).図 1 (a)は,オフアクシス型ホログラフィーというシステムで,X線を透過させない平板に物体用の穴と参照波用の小さな穴が開けてある.平板を背面からコヒーレントX線波で照明し,物体面から十分離れた面で測定した場合,波の回折性によって物体面上の複素振幅関数 (波面の振幅と位相の 2次元関数)のフーリエ変換が観測面で得られる.実際に測定されるのは,物体と参照用の穴からの回折波の干渉強度分布であり,この強度データを計算機で逆フーリエ変換して物体関数と参照波の相関関数

が得られる.参照波用の穴が物体に対して十分小さく近似的にデルタ関数と見なせる場合,相関関数は物体関数に相当する.しかし,実際には参照波用の穴は有限な広がりをもつため,再生物体関数の分解能は X線の波長ではなく,その穴の物理的サイズで制限されてしまう.図 1 (b)は,インライン型ホログラフィーというシステ

ムで,物体面の後方にある小さな穴からの発散波を照明波として用い,物体からの回折波と直接透過波との干渉強度を観測面で測定する.その干渉強度から直接透過波の強度

成分を引いて,逆フーリエ変換することで物体関数が再生できる.この方式はガボール型1) であるため真の像と共役像が重なって再生されるが,光源の穴から物体までの距離を波長に比べて十分長く設定すると,真の像を再生した際,共役像は広がった背景光となり影響はほとんどない.しかし,参照波である直接透過波の観測面での広がりが穴の大きさで決まるため,再生像の分解能はオフアクシス型と同様に穴のサイズによって制限される.

図 1 ホログラフィー法(a) オフアクシス型,(b) インライン型,(c) 角をもつ参照波による微分型.

上記のように,従来のホログラフィー法は参照波または照明波用の穴の大きさが小さいほど再生分解能が良くなる.最近これを覆す方法として,図 1 (c)ような角 (かど)をもつ広がった参照波用開口を用いた微分ホログラフィー法が提案された17), 18).このシステムでは,測定した干渉強度分布に線形振幅フィルターをかけて逆フーリエ変換する (微分)処理によって,参照開口関数の微分関数と物体関数の相関関数が得られる.図のような角をもつ開口関数を水平および垂直方向に微分すると角の部分が急峻なパルス関数となるため,参照開口サイズより小さな穴を使用したオフアクシス型ホログラフィー法と同等な分解能が良い再生象となる.この方法は,角のある種々の形状が利用できるので,カーボンナノチューブなどのナノサイズ物体を参照波源に用いて,さらに分解能を上げられる可能性がある.3.2 フーリエ反復法

1972年,Gerchbergと Saxton2) によって,参照波を利用せず物体の回折強度分布とレンズによって結像された物体強度分布から,計算機による反復アルゴリズムを用いて回折面と像面の両方の位相分布を決定する方法が提案された.この方法では,回折面と像面の 2枚の強度分布が必要となるが,1978年に Fienup3) によって 1枚の回折強度分布と物体の既知情報 (広がり範囲,非負条件など)から回折面の位相を回復して物体を再生する方法が提案された.特

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 321

Page 12: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

図 2 Fienupのフーリエ反復アルゴリズム

に,1次元より 2次元の位相回復の方が安定した物体再生になることが初めて示されたため,多くの研究者の注目を集め,位相回復分野の発展の契機となった.図 2が Fienup反復法の概略図である.計算機で発生さ

せた乱数を初期物体関数として用い,そのフーリエ変換を計算する.求めたフーリエ関数の位相はそのままにして,振幅分布を既知データ (観測強度の平方根である振幅分布)と入れ替えて逆フーリエ変換し,物体面に戻す.得られた

関数に対して,物体広がり範囲外のデータおよび負値データをゼロの値と入れ替えるなどの処理をしてつぎのサイクルの入力物体とする.このサイクルを物体面とフーリエ面の条件を満足するまで繰り返す.観測データは,参照波を利用しない回折強度分布のみでよいため測定が容易であるという利点があり,材料や生物試料などの多くのX線回折イメージング実験で利用されている.しかし,反復アルゴリズムには,解の収束性,唯一性の問題が常に存在する.Fienup法は,物体に非負 (すなわち位相変化のない)条件が使える場合,収束性が良くほとんど正しい解に収束することが知られているが,位相分布をもつ複素振幅物体の場合,アルゴリズムの収束性が悪く,真の解から外れた結果に留まる停滞現象が生じやすくなる.なお,物体関数の有限な広がりが別の測定などである程度正確にわかっている場合は,その広がり範囲と回折強度分布から Fienup法で複素振幅物体関数を再生できることがある.しかし,たとえば円形のような中心対称広がりをもつ複素振幅物体は正確な広がりを入れても物体再生できない場合がある19).

反復法による複素振幅物体の再生を改善する方法として,タイコグラフィー (ptychography)法20) がある.この方法では,物体広がりよりも狭い有限開口を透して物体を照明し,物体面上での照明領域が重なるように有限開口を移動させながら開口の各位置で測定した複数枚の回折強度分布から,有限開口の広がりおよび位置の情報を用いて反復的に物体関数を再生する.実際の X 線イメージング実験によって,物体が複素振幅関数であっても安定した再生が可

能であることが示されている21).3.3 強度輸送方程式による方法

強度輸送方程式とは,自由空間での波の伝搬を表わすヘルムホルツ方程式を伝搬方向に対して近軸近似し,伝搬方向に垂直な面上の波の強度と位相の関係を表わした微分方程式である10).この方程式を解くと,強度の伝搬方向微分から波の位相を導く解析的な式が得られる22).まず,コヒー

レント波照明された物体からの回折波をある距離 z 離れた観測面 1とさらに微小距離 ∆z 離れた観測面 2でそれぞれ独立に測定し,その強度分布を I1,I2 とおくと,波の強度の伝搬方向微分を ∂I/∂z ∼= (I2 − I1)/∆z と近似的に求めることができる.この関係を解析的な式に代入して観測面 1の位相が求まる.観測面 1の振幅 (I1 の平方根)と回復位相からなる複素振幅関数を数値的に逆伝搬させることで,物体関数が再生できる.この方法は,反復法と異なり解析的に位相が求まるが,ホ

ログラフィー法や反復法などで再生可能な渦位相 (vortexphase)状態を再生できないことが理論的および計算機実験で明らかにされている23).渦位相とは,波の強度がゼロになる点の周りで波面の等位相面が螺旋状に渦になっている状態をいう.一般的に,物体から回折した波は伝搬していくうちに渦位相が自然に発生するため,あまり物体から距離をとって観測面を設定できず,回折強度は物体の投影像に近い状態で測定する必要がある.そのため,再生物体の分解能は,光源サイズおよび検出器のピクセルサイズでほ

ぼ決まってしまい,波長程度まで上げられずマイクロメートルサイズの比較的大きな物体に対して用いられている22).なお,渦位相を含む位相分布は,伝搬距離を変えて観測した 3枚以上の回折強度分布にGerchberg-Saxton法2) を基礎にした反復法を適用して再生することが可能である24).3.4 反復法とホログラフィー法との融合

最近,反復法を基本としながら,反復法で再生が困難な複素振幅物体の位相回復を,ホログラフィーの干渉データを補助的に利用しながら,ホログラフィー法のみの場合よ

りも高分解能に物体再生を行う方法が提案されている.以下では,2つの手法について述べる.(1) オフアクシス型との融合25)

3.1節で述べたように,ホログラフィーの再生分解能は,参照波用穴のサイズで決定する.言い換えると,参照波の観測面上の広がり (干渉データの範囲)で再生物体の分解能が決まる.観測面上で参照波の広がりを大きくするため参照波用穴のサイズを小さくすると光量不足になり,観測面上で中心から離れた場所の干渉データの信号対雑音比が低下してしまう.そこで,図 1 (a)のシステムで,比較的大きな参照波用穴を用い,それを閉じた場合と開いた場合の観測強度分布 (それぞれ IC, IO とおく)を観測する.その 2つの強度データの差 IO − IC の逆フーリエ変換から参照波用穴の自己相関関数を分離し,そのフーリエ変換によって

322 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 13: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

参照波の観測面上の強度分布 IR を得る.IC, IO, IR の 3つのデータと物体面上での物体および参照用穴の広がり条件を用いて,フーリエ反復法により複素振幅物体を再生する.この場合,干渉強度 IO の情報を追加したことで,フーリエ反復法のみで再生した場合よりも速く安定な再生が可能となる.さらに,得られた物体関数を初期値として,物体関数の

みの回折強度分布 IC に対して新たに単独でフーリエ反復法を適用することで,大きな参照波用穴を用いた干渉強度分布 IO からは得られない高分解能な物体が得られる.( 2) インライン型との融合26)

フーリエ反復法は物体面と観測面の間のフーリエ変換関係を用いているが,観測面を物体面に近づけると,フレネル回折積分を用いなければならない.このとき,物体面と観測面の間で同様な反復アルゴリズムを適用できる.従来から,フレネル反復法の方が一般に収束性が良く解

が安定していることは知られていたが27),物体が小さい場合,物体に近いフレネル回折も小さな分布となり,特に X線では回折強度分布の観測が困難となる.そこで,図 3のように,X線ビームをフレネルゾーンプレートを用いて細く絞り,ビームの焦点から少しずれた位置に物体を置くことで,拡大されたフレネル回折分布が観測面で得られ測定が容易になる.しかし,拡大させるためビームの焦点位置に近づけると照明波の波面の曲率が大きくなり,反復法で物体再生する際,照明波の物体面上の複素振幅分布が無視

できなくなる.そこで,事前に物体がない場合の照明波の複素振幅分布を,物体面と観測面間の距離を変えて複数枚測定した照明波の回折強度分布から Gerchberg-Saxton法2)

を基礎にした反復法で求めておく必要がある.その照明波の複素振幅を既知情報として,物体を置いた場合の 1枚のフレネル回折強度分布から物体の複素振幅分布を反復的に分離して求める.ただし,物体広がりの情報が必要となるので,フレネル回折強度分布の中心部分の照明波と物体波の干渉強度の逆フレネル変換から物体形状をある程度求め,

それを初期条件として反復再生しながら徐々に物体広がりを狭めて厳密な範囲を定める手法を用いている26).この方法は,オフアクシス型照明と異なり,照明領域に

よって物体再生範囲を規定できるので,領域よりも広がった物体に対しても,照明領域を物体面上で走査させながら

図 3 集光ビームによるフレネル回折強度からの反復再生

測定した回折強度分布から物体関数の各部分を再生し,それらを合成して全体を再生することができる.

4. 開口アレイフィルターによる位相回復

X線回折イメージングでは,物体のX線によるダメージを抑えるため,1回の回折強度分布測定から 2次元物体を再生できることが望ましい.さらに,参照波を用いない非干渉型システムの方が簡便で,再生分解能が参照波によって制限される問題を回避できる.著者は,最近,参照波による干渉測定や反復法を利用せず,開口アレイフィルターを用いて測定した 1枚の回折強度分布のみから,物体の厳密な広がり条件なしで,2次元複素振幅物体関数を再生する方法を提案した28), 29).この方法は,有限な広がりの物体関数と観測面上の関数との間のフーリエ変換関係を基にした解析関数の数学的性質を利用している.以下では,この方法について概説し,光を用いた実証実験例について示す.図 4が観測システムの概略図である.コヒーレント波に

よって照明された物体からの回折波を等間隔に並んだ開口アレイフィルターを通して観測面上で強度分布を測定する.その際,各開口からの回折波の主要部分が干渉せず,それ

ぞれ独立に強度分布を観測できるように距離 z, l を調整する.また,開口間隔は強度変化を追従できるように,サンプリング定理を基にして,物体面上の照明開口広がりの逆数から決定した.図 4に示すように,観測強度分布から抽出した離散的な各開口の回折強度データ列 I1(実線)は,物体の回折複素振幅分布と開口関数の相関関数を,開口間隔でサンプリングした強度データとなる.さらに,強度データ列 I1 の位置から既知の微小距離 τ ずれた別の強度データ列 I2 = I1 + τ(破線)を観測強度から抽出する.強度データ列 I2 は,I1 と同様に物体の回折複素振幅分布と開口関

数の相関関数のサンプリング強度となるが,図 4の幾何学的関係からわかるように,物体関数が相対的に下にシフトしたときの強度データとなる.理論的に,強度データの比 I2/I1 の対数は,相関関数の

位相に対応した式 (近似的には位相の微分)で表わすことができる29).観測面上の縦と横のそれぞれのデータ列から得られる式を数値的に解いて,相関関数の 2次元位相分布が

図 4 開口アレイフィルターによる位相回復各実線 (または破線) の終点が観測強度データ列 I1(または I2 = I1 + τ)

の位置を表わし,始点が各データ列と物体との幾何学的関係を表わしている.

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 323

Page 14: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

図 5 実験結果(a) 測定強度分布,(b) 測定強度からの再生物体振幅,(c) レンズによる物体振幅像.

求まる.再生位相と観測振幅からなる相関関数を数値的に逆伝搬させ,物体面上で既知の開口関数の影響を取り除くことで物体関数が再生される.図 5が,光を用いた実証実験結果の一例である.半導体

レーザー (波長:0.635µm) で,直径 0.4mm の円形開口を通して物体 (1951 USAFテストネガパターンのグループ3/ライン 4:11.30本/mm)を照明した.市販の回折格子(5 本/mm) 2 枚を直交させて重ね合わせた正方形格子 (1辺 0.1mm:64× 64個)を開口アレイフィルターとして用いた.このアレイフィルターを取り付けた冷却 CCDカメラ (1024× 1024:1ピクセルサイズ 13× 13µm)を物体から z = 530mm 離れた位置に置いて,物体からの回折強度分布を測定した.このとき,フィルターから CCD受光面までの距離は,各開口からの回折波の主要部分が干渉しないように選んだ距離 l = 6.7mm を用いた.図 5 (a)が,1回の測定で得た回折強度分布であり,この

強度から 2次元位相を計算し,逆フーリエ変換によって再生した物体関数の振幅分布が図 5 (b)である.ここでは示していないが,再生物体の位相は元の物体位相と同様なほぼ一定の値となった.この方法は,従来の干渉計測法のようにフィルターの各開口の大きさによって分解能が制限されることがなく,分解能は波長と開口数 (物体からフィルター面への最大見込角度の sin 関数)の比で決定される.本実

験系の場合,分解能は 50µm となるので,実験結果から明らかなように,開口幅 0.1mmよりも細かい物体のライン周期 88.5µm が解像されていることがわかる.図 5(c)は,1枚の凸レンズを使って物体を結像させたときの振幅分布であり,比較のため図 5 (b)と同じ分解能で表示してある.図 5 (b)と (c)を比較すると,本方法による (b)の方が全

体的に雑音の影響が強く出ている.これは,(c)が CCDの一部分で受けた像であるのに対して,(b)は CCDカメラ全面で測定した回折強度分布から再生しているため,信号対雑音比が相対的に悪くなっているからである.また,(c)の右側に縦に並んだ 2点が (b)では再生されていないことがわかる.この結果は,各点の広がりが物体面上で分解能50µm よりも小さく,点からの波が物体のフーリエ変換面に相当する観測面上で大きく広がった分布となり,位相計算の際に必要な回折強度の変化が得られなかったことが原因である.一方,(c)のレンズによる像は,分解能が低い場合でもレンズを通過していく光波の位相は残るので,2点の像は分解能に対応した広がった像として現れる.本方法による回折イメージングでは分解能より小さな物

体は再生されないが,観測面を広げれば分解能を上げることができる.ただし,観測面を広げていくと物体面との間の回折波のフーリエまたはフレネル変換関係が成立しなくなり,厳密な回折積分式を使用する必要がある.本方法は,そのような厳密な場合へ拡張することもできるので30),原理的に波長程度まで分解能を上げることが可能である.

5. おわりに

近年,世界的にX線自由電子レーザーの開発が進んでいて,その高強度で高可干渉性X線パルスを異なる方向から単一分子に照射し得られる複数枚の 2次元回折強度分布に,Fienup反復法を適用して 3次元分子像の再生を行う手法が検討されている31).分子の場合,X線を散乱させる各原子の電子密度は常に正値となるので,非負性という反復法の強力な拘束条件を利用できる.さらに最近,分子の 3次元構造を,一方向からのX線照射による 1枚の遠方球面上回折強度分布から,反復法によって再生する方法が提案されており32),回折イメージングの究極目標である単一分子イメージングが実現可能な段階に入りつつある.一方,テーブルトップで使用できるX線装置による高分

解能な回折イメージング顕微鏡の開発33)も,生物や材料の研究において重要である.特に,観察試料を透過したX線の位相情報が再生できれば,通常の結像システムでは得られない物体情報を得ることができる.今後,単一分子から生物・材料に至る幅広い領域で,レ

ンズレス回折イメージング法が新しいX線顕微鏡システムとして実用化されていくことを期待したい.

(2011 年 1 月 20 日受付)

324 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 15: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

参 考 文 献

1) D. Gabor: A New Microscope Principle, Nature, 161,

777/778 (1948)

2) R.W. Gerchberg and W.O. Saxton: A practical algorithm

for the determination of phase from image and diffraction

plane pictures, Optik, 35, 237/246 (1972)

3) J.R. Fienup: Reconstruction of an object from the modulus

of its Fourier transform, Opt. Lett., 3, 27/29 (1978)

4) 百生敦:位相コントラストX線イメージング,光学,29, 287/294

(2000)

5) K. Iwata: Phase imaging and refractive index tompgraphy

for X-rays and visible rays, Progress in Optics (E. Wolf,

ed.), 47, 393/432, North-Holland, Amsterdam (2005)

6) 百生 敦:タルボ・ロー干渉計による X線位相イメージング,光学,38, 510/515 (2009)

7) A. Walther: The question of phase retrieval in optics, Opt.

Acta, 10, 41/49 (1963)

8) R.E. Burge, M.A. Fiddy, A.H. Greenaway and G. Ross: The

Phase Problem, Proc. R. Soc. London Ser. A 350, 191/212

(1976)

9) N. Nakajima and T. Asakura: Study of zero location by

means of an exponential filter in the phase retrieval prob-

lem, Optik, 60, 289/305 (1982)

10) M.R. Teague: Deterministic phase retrieval: A Green’s

function solution, J. Opt. Soc. Am., 73, 1434/1441 (1983)

11) 前田純治,村田和美:光学における位相回復問題,光学,11,

230/240 (1982)

12) 中島伸治,朝倉利光:ヒルベルト変換による位相回復,光学,11, 241/252 (1982)

13) N. Nakajima: Reconstruction of phase objects from exper-

imental far-field intensities by exponentail filtering, Appl.

Opt. 29, 3369/3374 (1990)

14) K.A. Nugent, T.E. Gureyev, D.F. Cookson, D. Paganin and

Z. Barnea: Quantitative phase imaging using hard x rays,

Phys. Rev. Lett., 77, 2961/2964 (1996)

15) J. Miao, P. Charalambous, J. Kirz and D. Sayre: Extending

the methodology of X-ray crystallography to allow imag-

ing of micrometre-sized non-crystalline specimens, Nature,400, 342/344 (1999)

16) A.P. Mancuso, Th. Gorniak, F. Staier, O.M. Yefanov, R.

Barth, C. Christophis, B. Reime, J. Gulden, A. Singer,

M.E. Pettit, Th. Nisius, Th. Wilhein, C. Gutt, G. Grubel,

N. Guerassimova, R. Treusch, J. Feldhaus, S. Eisebitt, E.

Weckert, M. Grunze, A. Rosenhahn and I.A. Vartanyants:

Coherent imaging of biological samples with femtosecond

pulses at the free-electron laser FLASH, New J. Phys. 12,

035003-1/14 (2010)

17) S.G. Podorov, K.M. Pavlov and D.M. Paganin: A non-

iterative reconstruction method for direct and unambiguous

coherent diffractive imaging, Opt. Express, 15, 9954/9962

(2007)

18) D. Zhu, M. Guizar-Sicairos, B. Wu, A. Scherz, Y. Acre-

mann, T. Tylisztzak, P. Fischer, N. Friedenberger, K.

Ollefs, M. Farle, J.R. Fienup and J. Stohr: High-resolution

X-ray lensless imaging by differential holographic encoding,

Phys. Rev. Lett., 105, 043901-1/4 (2010)

19) M. Guizar-Sicairos and J.R. Fienup: Phase retrieval with

transverse translation diversity: a nonlinear optimization

approach, Opt. Express, 16, 7264/7278 (2008)

20) H.M.L. Faulkner and J.M. Rodenburg: Movable aperture

lensless transmission microscopy: a novel phase retrieval

algorithm, Phys. Rev. Lett., 93, 023903-1/4 (2004)

21) J.M. Rodenburg, A.C. Hurst, A.G. Cullis, B.R. Dobson,

F. Pfeiffer, O. Bunk, C. David, K. Jefimovs and I. Johnson:

Hard x-ray lensless imaging of extended objects, Phys. Rev.

Lett., 98, 034801-1/4 (2007)

22) D. Paganin and K.A. Nugent: Noninterferometric phase

imaging with partially coherent light, Phys. Rev. Lett., 80,

2586/2589 (1998)

23) L.J. Allen and M.P. Oxley: Phase retrieval from series of

images obtained by defocus variation, Opt. Commun., 199,

65/75 (2001)

24) L.J. Allen, H.M.L. Faulkner, K.A. Nugent, M.P. Oxley and

D. Paganin: Phase retrieval from images in the presence of

first-order vortices, Phys. Rev. E, 63, 037602-1/4 (2001)

25) D. Zhu, B. Wu, R. Rick, J. Stohr and A. Scherz: Phase re-

trieval in x-ray lensless holography by reference beam tun-

ing, Opt. Lett., 34, 2604/2606 (2009)

26) B. Abbey, K.A. Nugent, G.J. Williams, J.N. Clark, A.G.

Peele, M.A. Pfeifer, M. De Jonge and I. McNulty: Keyhole

coherent diffractive imaging, Nat. Phys., 4, 394/398 (2008)

27) R. Rolleston and N. George: Stationary phase approxi-

mations in Fresnel-zone magnitude-only reconstructions, J.

Opt. Soc. Am. A, 4, 148/153 (1987)

28) N. Nakajima: Noniterative phase retrieval from a single

diffraction intensity pattern by use of an aperture array,

Phys. Rev. Lett., 98, 223901-1/4 (2007)

29) N. Nakajima: Lensless coherent imaging by a determinis-

tic phase retrieval method with an aperture-array filter, J.

Opt. Soc. Am. A, 25, 742/750 (2008)

30) N. Nakajima: Phase retrieval from a high-numerical-

aperture intensity distribution by use of an aperture-array

filter, J. Opt. Soc. Am. A, 26, 2172/2180 (2009)

31) K.J. Gaffney and H.N. Chapman: Imaging atomic structure

and dynamics with ultrafast x-ray scattering, Science, 316,

1444/1448 (2007)

32) K.S. Raines, S. Salha, R.L. Sandberg, H. Jiang, J.A. Ro-

driguez, B.P. Fahimian, H.C. Kapteyn, J. Du and J. Miao:

Three-dimensional structure determination from a single

view, Nature, 463, 214/217 (2010)

33) A. Ravasio, D. Gauthier, F.R.N.C. Maia, M. Billon, J-P.

Caumes, D. Garzella, M. Geleoc, O. Gobert, J-F. Hergott,

A-M. Pena, H. Perez, B. Carre, E. Bourhis, J. Gierak, A.

Madouri, D. Mailly, B. Schiedt, M. Fajardo, J. Gautier, P.

Zeitoun, P.H. Bucksbaum, J. Hajdu and H. Merdji: Sin-

gleshot diffractive imaging with a table-top femtosecond

soft x-ray laser-harmonics source, Phys. Rev. Lett., 103,

028104-1/5 (2009)

[著 者 紹 介]なか

中じま

島のぶ

伸はる

治 君1983 年北海道大学院工学研究科博士課程修了

(工学博士).同年,静岡大学工業短期大学部講師,85 年同助教授,94 年静岡大学工学部助教授,99

年同教授.光の位相回復とその応用に関する研究に従事.応用物理学会,日本光学会,アメリカ光学会の会員.

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 325

Page 16: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

解説:ミニ特集回折イメージング~位相回復の新展開~

電子回折イメージング—入射ビームの角度拡がり—

郷 原 一 寿**北海道大学大学院工学研究院 北海道札幌市北区北 13 条西 8 丁目*Research Faculty of Engineering, Hokkaido University, Kita 13, Nishi 8,Kita-ku, Sapporo, Hokkaido, Japan*E-mail: [email protected]

キーワード:回折イメージング (diffractive imaging),位相回復 (phaseretrieval),電子 (electron),入射ビーム角度拡がり (incident beam diver-gence),横コヒーレンス (transversal coherence).JL 0005/11/5005–0326 C©2011 SICE

1. はじめに回折パターンの計測データをもとに,計算機を用いた数

値計算により位相回復を行うことで,レンズを使わずに物質のイメージングが可能であることは,1999年に初めて実験的に示された1).これを分岐点として,回折パターンをもとに,結晶性を前提とせず,対物レンズも必要としない新たなイメージング手法の開拓が始まり,これまでの約 10年間で飛躍的に進展した.特に,X線領域においては,次世代高輝度高干渉性光源プロジェクトの中心的手法として大きな期待が寄せられている1)~11).この手法は “回折イメージング (Diffractive Imaging)”又は “回折顕微法 (DiffractionMicroscopy)”と呼ばれている.本稿では,回折イメージングで統一する.電子はド・ブロイ波長で特徴付けられる波の性質をもつ

ことから,新たなイメージング手法の 1つとして,電子顕微鏡の領域においても回折イメージングに関する研究が行われている.電子顕微鏡での実験的検証は,2002年,透過電子顕微鏡 (TEM)を用いて対物レンズの後焦点面で検出した回折パターンをもとに,位相回復を行った研究が最初である12).回折イメージングの条件から外れているため,

得られた結果は通常の TEM像と比較して分解能は劣っているが,電子顕微鏡においても,回折パターンをもとにして,位相回復を行うことにより実像が得られることを実験的に初めて示した報告である.その後,複数のグループが活発に研究を展開している13)~19).著者らのグループもその 1つであり,回折イメージングの基礎と応用の両面から研究を進めている20)~25).回折イメージングはフーリエ変換を基本としていること

から,フーリエ変換の関係から外れる要素を特定して,そ

れらを解消することが重要である.本稿では,電子顕微鏡に回折イメージングを適用する際の 1つの問題として,おもに入射ビームの角度拡がりを取り上げ,その影響と解消法,解消法の有効性の検証について紹介する21), 23), 24).電子顕微鏡分野での回折イメージングに関する全般的な研究の進展について,さらに興味のある方は,著者らの別解説26) を参考にしていただければ幸いである.

2. 入射ビームの角度拡がり

「入射ビームの角度拡がり」とは,図 1に示すように,物体 (Object)に対して異なる角度で平面波が入射することを指す (収束角と表現することもある).回折イメージングにおいて,入射ビームの角度拡がりが重要な課題の 1つであることは,早くから指摘されている12), 27).平面波が物体 f(r) によって 1回のみ散乱され (第 1ボ

ルン近似),かつ散乱された波を十分遠方で観測する場合(フラウンフォーファー回折),検出面で計測される回折強度 I0(k) は,物体 f(r) のフーリエ変換 F{f(r)} の振幅|F (k)| の 2乗に比例する.すなわち,簡単のため比例係数を 1とすれば,

I0(k) = |F (k)|2 = |F{f(r)}|2. ( 1 )

である.また,異なる入射角をもつ平面波の間に干渉性のない場合

(incoherent)には,検出面で計測される回折強度 Iconv(k)は,入射ビームの角度拡がりを表わす関数 h によるコンボリューションとして,以下のように表現できる28):

Iconv(k) =∫ ∞

−∞I0(k − k′)h(k′)dk′. ( 2 )

(1)式および (2)式によって,入射ビームの角度拡がり h

がある場合に,物体 f(r) の散乱によって検出面で観測される回折強度 Iconv(k) が計算できる.なお,電子による散乱の場合には,物体 f(r) は静電ポテンシャルである.

図 1 入射ビームの角度拡がりと回折

326 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 17: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

3. コンボリューション

図 2に示すように,フーリエ反復位相回復法は,物体に対するオブジェクト拘束条件 (Object Constraint)と,回折パターンによって得られた回折波の振幅をフーリエ拘束

条件 (Fourier Constraint)とし,フーリエ変換 (FT )と逆フーリエ変換 (FT−1)を逐次的に交互に繰り返すことによって位相を得る手法である29)~31).なお,オブジェクト拘束条件は,具体的なアルゴリズムで異なる.

図 2 フーリエ反復位相回復法

図 3は,回折イメージングに対する入射ビームの角度拡がりの影響の例をシミュレーションによって示している.1024ピクセルの中心に幅 50ピクセルの単スリットを物体f のモデルとし,角度拡がりをガウス分布として,(1)式および (2)式によって回折強度 |F |2 を計算し,これを元に,図 2の位相回復法を適用した.フーリエ拘束条件として,左側の回折パターンを用い,オブジェクト拘束条件として,実関数・非負性および中心から左右に 100ピクセルが物体を取り囲む領域 (サポート)として,それ以外の値をゼロとし,500回まではHIO (Hybrid Input-Output),それ以降 1000回まではER(Error Reduction)と呼ばれる更新アルゴリズムを適用して,右側の物体が得られた.上段は,角度拡がりがゼロの場合 (σ = 0)を示している.

左の回折パターンを見ると干渉に特有な山・谷の特徴的な形状が明瞭に見られる (矩形関数のフーリエ変換は sinc関

図 3 単スリットの位相回復

数).右の回復物体を見るとスリットの位置がシフトしているが,モデルのスリット幅 50ピクセルを忠実に再現している.下段は,角度拡がりがある場合 (σ = 1,標準偏差 1ピクセルに対応)を示している.左の回折パターンの拡大図を上段と比べると,角度拡がりによるコンボリューショ

ンの結果,谷底の位置がゼロに落ちていないことがわかる.右の回復物体を見るとスリットの位置がシフトしているが,モデルのスリット幅 50ピクセルは再現している.しかし,スリットの形がモデルの矩形とは異なっており,上側の領域が不規則に削られ,変形していることがわかる.図 4に,2ピクセル離れた幅 2ピクセルのスリット 2本

を 1組として,さらに 120ピクセル離してもう 1組を配置した合計 4本のスリットからなる複スリットを物体 f のモデルとして,図 3と同様な条件で位相回復を行ったシミュレーション結果を示す.全体は 1024ピクセルであり,サポートは 200ピクセルとした.上段は,角度拡がりがゼロの場合 (σ = 0)を示しており,

左の回折パターンには大きな山・谷の形状が見られる.1つの山を拡大してみると (拡大図参照),その中にさらに微細な山・谷の構造がある.これは,2ピクセルと 120ピクセルに対応した干渉パターンが重なって生じている (正確にはそれぞれを特徴付ける関数の積).右の回復物体を見ると全体がシフトしているが,元の形状を忠実に再現してい

る.下段は,角度拡がりがある場合を示している.左の回折パターンの拡大図を上段と比べると,角度拡がりによるコンボリューションの結果,図 3と同様に谷底の位置が落ち込み切れていない.右の回復物体を見ると左側の 1組のスリットが右側の 1組に比べて大幅に低い値となっている.さらに拡大図を見ると最小幅のスリットの値も僅かに小さくなっており,4本とも元の矩形とは異なっている.以上から,入射ビームの角度拡がりによって,オリジナ

ルの物体は変形され,大きなサイズの構造が小さなサイズ

の構造よりもより強く影響を受けることがわかる.

図 4 複スリットの位相回復

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 327

Page 18: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

4. デコンボリューション

(2) 式の I0 は,デコンボリューションによって解析的に,I0 = F−1 {F{Iconv}/F{h}} と求めることができる.しかし,実際の実験においては,必ずノイズが含まれており,その場合のデコンボリューション法が複数提案されている32).著者らは種々の方法について考察し,逐次的なデ

コンボリューション法を位相回復法に組み込む方法が有効であることを検証した24).

図 5 位相回復法に組み込んだデコンボリューション

図 5は,その模式図を示している.図 2と比べると,フーリエ拘束条件を適用する直前にデコンボリューションを行うことが特徴である.位相回復法に組み込んでデコンボリューションを実行できるものは,Richardson-Lucy (RL),Max-imum Entropy Method (MEM),およびそれらの変形手法があるが,ここでは,RLを用いた方法とその効果について説明する.RLは以下の式で逐次的に更新する方法である.

I(t+ 1) = I(t) ·(h ∗ Inoise

h ∗ I(t))

( 3 )

ここで,I(t) は t 回目の回折強度,Inoise は入射ビームの角度拡がり h でコンボリューションされ,さらにノイズを含んだ回折強度である.また記号 ∗ はコンボリューションを表わす.図 6は,回折パターンに入射ビームの角度拡がりに加え

図 6 角度拡がりと量子ノイズが重畳した場合の位相回復

て量子ノイズが重畳した場合の位相回復への影響を示すシミュレーションである.ここでは,入射ビームの角度拡がりをガウス分布とし,量子ノイズをポアソン分布とし,総カウント数を 107 個とした.上段の角度拡がりがゼロ (σ = 0) の回折パターン (左)を

見ると,強いコントラストが見られる.強度の弱い領域を見るとノイズが重畳していることがわかる (右上の拡大図参照).この回折パターンをもとに位相回復によって得られた右の物体を見ると,ノイズが少し重畳しているが,元のモデル物体とほぼ同一のイメージが得られている.下段の角度拡がりがある場合 (σ = 1)の回折パターンを見ると,角度拡がりがない場合と比べて,ぼやけたコントラストを示していることがよくわかる (右上の拡大図参照).これを元に位相回復によって得られた右の物体も,全体的にぼやけており,部分的にしか再構成できていない.図 7は (3)式を使って,図 6の σ = 1 の回折パターン

を用い,図 5による位相回復過程を示している.グラフはHIOを 5000回後,さらに ERを 5000回繰り返したときのRファクター ((3)式の収束の度合いを評価する値)の変化を示している.HIOでは増減を激しく繰り返し,ERに切り替えた直後で急激に下がり,その後は単調に徐々に減少していき,ほぼ飽和に達している.これは一般的によく知られている,HIO‐ERアルゴリズムの典型的な変化を示している.グラフの下に 3000,6000,10000,それぞれの繰り返し回数時点での回折パターンの拡大図を示した.こ

れを見ると,ぼやけたノイズの多いパターンから,徐々にコントラストのハッキリしたパターンに変化していることがよくわかる.グラフ中の 10000回目の回復物体を見ると,図 6の σ = 1 からは大きく改善して,σ = 0 にほぼ近い物体イメージが得られている.

図 7 デコンボリューションを考慮した位相回復過程

328 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 19: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

5. 実験データへの適用

この章では,前章のデコンボリューションの有効性を,実際の電子顕微鏡を使った実験データによって検証した例を示す.実験は,透過電子顕微鏡 (JEM2010F,JEOL社製)を,高分散回折モードと呼ばれる対物レンズを切ったモー

ドで使用した.このモードでは入射ビームの並行性を上げることができ,角度拡がりを小さく抑えることができるが,散乱角が小さくなるために,原子スケールの高分解能観察には使用できない.しかし,試料と検出面の距離を長くとれるため,電子顕微鏡において対物レンズレスで,サブミクロン程度の試料サイズでも容易に回折パターンが取得でき,回折イメージングの基本的実験が可能であるというメリットがある.ここでは,このメリットを生かした実験を紹介する.

図 8 は,試料に Ta/SiC 回折格子を用いて,加速電圧200kV,カメラ長 40m,照射時間 1sで,1ピクセル 25µmのイメージングプレート (IP)によって検出された回折パターンである.上が回折パターン,真中に中心の拡大図,下に拡大図の水平ラインのプロファイルを示している.試料の SEM像を右上に挿入した.上の回折パターンには,水平方向に特徴的な干渉パターンが見られる.拡大図を見ると,一様な黒い領域があり,ラインプロファイルにより,この領域の強度が飽和していることがわかる.この飽和領域

は同じ IPを 2回読み取り,1回目と 2回目の読み取り値を合成した回折パターンから,1024× 1024ピクセルを切り出し,位相回復を行った.

図 8 実験に用いたTa/SiC回折格子からの回折パターン

図 9に,実験データをもとに飽和領域のない回折パターンをフーリエ拘束条件としてそのまま用い,図 2に示した位相回復を行った結果 (上段)と,図 5で示した組み込み型のデコンボリューションを適用して位相回復を行った結果(下段)を示している.デコンボリューションのための角度拡がりは,実験により得られたダイレクトビームの形状を規格化して使用した.両方の位相回復とも,オブジェクト

拘束条件として,実関数・非負性および円形のサポート領域,HIO-ERそれぞれ 1000回行った.上段の回折パターンをそのまま用いて位相回復を行った

回復像を見ると,中心付近に 2本の棒状の強い強度領域がある.2本とも周辺が不規則にかすれており,輪郭が不明瞭であるように見える.物理的な再構成サイズ ∆x は,横コヒーレンス長によって制限されており,波長を λ,拡がり角度を α として,∆x ∼ λ/(2α) で見積もることができる24).ここで,加速電圧 200 kVに対するド・ブロイ波長,λ = 0.0025nm,ダイレクトビームの測定から求めた拡がり角度 α = 5×10−6radを代入すると,∆x ∼ 250nmとなり,再構成サイズについては実験結果とほぼ対応している.下段の最終的に得られた回折パターンを,上段の元の回

折パターン (初期パターン)と比べると,細くシャープな回折ピークであり,両者に明確な違いがあり,デコンボリューションの効果がよくわかる.これに対応した右側の回復像を見ると,4本のスリットが再構成されており,上段の回復像と比較すると,再構成領域が拡大して本数が増えてい

ること,左上・右下にわずかなかすれが残っているが,1本1本のスリットの輪郭がハッキリしていることがわかる.4本のスリットの下に配置した SEM像と比較すると,スリット幅およびスリット間隔が定量的に一致している.

図 9 実験データをフーリエ拘束条件とした位相回復の結果 (上段)と組み込み型のデコンボリューションを適用した位相回復の結果 (下段)

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 329

Page 20: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

6. 電子回折顕微鏡

著者らは日立製作所との共同研究により,従来の電子顕微鏡の性能を活かしつつ,結像のための対物レンズを使用せずに回折パターンを計測可能とする,低加速電圧で動作する回折イメージング専用の電子回折顕微鏡の試作機を開

発した23).図 10は試作機の概観を示している.試作機は,SEM(走査電子顕微鏡)をベースとしており,SEMモードと回折イメージングモードに電子光学系を切り換えることが可能である.この試作機によって,図 5のデコンボリューション法も

取り入れた回折イメージングの実験を,共同研究の一環として行った23), 24).図 11に,実験によって得られたイメージの例を示す.最初に,SEM モードによって,所望の領域を順次拡大して観察領域を絞り込み (下図),最大倍率に達した段階で,さらに拡大したい領域 (白丸)に並行ビームを照射して,回折パターンを計測し,それをもとに回折イメージングにより実像を再構成した (上図).再構成されたイメージから,この試料は 4層のマルチウォールカーボンナノチューブであり,外径,内径,ウォール間隔はそれぞれ 4.10nm,2.10 nm,0.34nmであることがわかった.この例は 30kVであるが,さらに低加速の 10 kVでも同

様な分解能でイメージング可能であることが明らかとなってきており,ノイズ低減,原子 1つ 1つを識別できる高分解能化など,さらなる改善を進めている.この試作機では,SEMによって初期画像およびサポート領域を得ることができ,回折イメージングの重要なオブジェクト拘束条件として,実験データをそのままアルゴリズムに組み込むことができる.回折イメージングを電子顕微鏡として装置化す

図 10 電子回折顕微鏡のプロトタイプ

る場合の具体的な例を示している.すなわち,従来得られている手法で荒い画像 (コースイメージ)を観察し,さらに高い分解能を求めたい場合は,回折イメージングで詳細な画像 (ファインイメージ)を観察するという相補的な使用が想定できる.この場合,STEM,収差補正機付 TEMなどもコースイメージの候補となる.従来の既存技術と回折イメージングをシームレスに接続すれば,これまでに得られ

ていない高分解能化を実現できる可能性を示している.

7. 討論

計測技術としての電子顕微鏡の重要な特徴の 1つは,局所的な構造を高い空間分解能でイメージングできる点にあ

る.最新技術のレンズ収差補正器の適用によって,たとえば加速電圧 300 kVで空間分解能 0.05nmに達しており,サブオングストロームの分解能が得られる時代に突入している33), 34).しかし,300kVのド・ブロイ波長は 0.002nmであり,現在到達している空間分解能は波長の約 25倍である.原理的な波長 (回折)限界とはまだまだ大きなギャップがある.回折イメージングは原理的に対物レンズを必要としない

イメージング方法である.レンズ性能を上げることで,高

分解能を追求する従来の電子顕微鏡とは異なる技術を必要としている.前章で示したような,この方法に特化した研究・技術開発は開始されたばかりであり,これまでは,すでに見えているものを,この方法でも見えることを検証している段階であるといえる.今後は,今までに見えていないものをイメージングすることが始まる.回折イメージングの分解能に対する原理的限界は回折限

界である.長期的な視点に立てば,技術の発展は原理的限界に向かって収束する.今後の展開が大いに期待される.

図 11 マルチウォールカーボンナノチューブ

330 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 21: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

謝辞:本稿に記した一部は,JST育成研究プロジェクトとして実施されたことをここに記し,関係者の皆様に対する感謝に代えさせていただきます.

(2011 年 2 月 7 日受付)

参 考 文 献

1) J. Miao, P. Charalambous, J. Kirz and D. Sayre: Nature,

400, 342 (1999)

2) J. Miao, T. Ishikawa, B. Johnson, E.H. Anderson, B. Lai

and K.O. Hodgson: Phys. Rev. Lett., 89, 88303 (2002)

3) J. Miao, K.O. Hodgson, T. Ishikawa, C.A. Larabell, M.A.

LeGros and Y. Nishino: PNAS, 100–1, 110 (2003)

4) D. Shapiro, P. Thibault, T. Beetz, V. Elser, M. Howells, C.

Jacobsen, J. Kirz, E. Lima, H. Miao, A.M. Neiman and D.

Sayre: PNAS, 102–43, 15343 (2005)

5) 西野吉則,石川哲也:放射光,19–1, 3 (2006)

6) K.J. Gaffney and H.N. Chapman: Science, 316, 1444 (2007)

7) R.L. Sandberg, A. Paul, D.A. Raymondson, S. Hadrich,

D.M. Gaudiosi, J. Holtsnider, R.I. Tobey, O. Cohen, M.M.

Murnane, H.C. Kapteyn, H.C. Kapteyn, C. Song, J. Miao,

Y. Liu and F. Salmassi: Phys. Rev. Lett., 99, 098103 (2007)

8) 西野吉則:顕微鏡,44–1, 24 (2009)

9) Y. Nishino, Y. Takahashi, N. Imamoto, T. Ishikawa and K.

Maeshima: Phys. Rev. Lett., 102, 018101 (2009)

10) K.S. Raines, S. Salha, R.L. Sandberg, H. Jiang, J.A. Ro-

driguez, B.P. Fahimian, H.C. Kapteyn, J. Du and J. Miao:

Nature, 463, 14 (2010)

11) M.M. Seibert, et al.: Nature, 470, 78 (2011)

12) U. Weierstall, Q. Chen, J.C.H. Spence, M.R. Howells, M.

Isaacson and R.R. Panepucci: Ultramicroscopy, 90, 171

(2002)

13) J.M. Zuo, I. Vartanyants, M. Gao, R. Zhang and L.A. Na-

gahara: Science, 300, 1419 (2003)

14) S. Morishita, J. Yamasaki, K. Nakamura, T. Kato and N.

Tanaka: Appl. Phys. Lett., 93, 183103 (2008)

15) W.J. Huang, J.M. Zuo, B. Jiang, K.W. Kwon and M. Shim:

Nature Phys., 5, 129 (2009)

16) R. Dronyak, K.S. Liang, Y.P. Stetsko, Ting-Kuo Lee, Chi-

Kai Feng, Jin-Sheng Tsai and Fu-Rong Chen: Appl. Phys.

Lett., 95, 111908 (2009)

17) L.D. Caro, E. Carlino, G. Caputo, P.D. Cozzoli and C. Gi-

annini: Nature Nanotechnology, 5, 360 (2010)

18) J. Rodenburg and Maiden: Microscopy and Analysis, 24–1,

17 (2010)

19) F. Hue, J.M. Rodenburg, A.M. Maiden, F. Sweeney and

P.A. Midgley: Phys. Rev. B, 82, 121415 (2010)

20) H. Shioya and K. Gohara: Opt. Commun., 266, 88 (2006)

21) O. Kamimura, K. Kawahara, T. Doi, T. Dobashi, T. Abe

and K. Gohara: Appl. Phys. Lett., 92, 024106 (2008)

22) H. Shioya and K. Gohara: J. Opt. Soc. Am. A, 25–11, 2846

(2008)

23) O. Kamimura, T. Dobashi, K. Kawahara, T. Abe and K.

Gohara: Ultramicroscopy, 110, 130 (2010)

24) K. Kawahara, K. Gohara, Y. Maehara, T. Dobashi and O.

Kamimura: Phys. Rev. B, 81, 081404(R) (2010)

25) H. Shioya, Y. Maehara and K. Gohara: J. Opt. Soc. Am.

A, 27–5, 1214 (2010)

26) 郷原一寿,上村 理:顕微鏡,44–1, 69 (2009)

27) I.A. Vartanyants and I.K. Robinson and J. Phys.: Condens.

Matter, 13, 10593 (2001)

28) W.E. McBride, D.J.H. Cockayne and C.M. Goringe: Ultra-

microscopy, 76, 115 (1999)

29) R.W. Gerchberg and W.O. Saxton: Optik, 35–2, 237 (1972)

30) J.R. Fienup: Opt. Lett., 3–1, 27 (1978)

31) J.R. Fienup: Appl. Opt., 21–15, 2758 (1982)

32) P.A. Jansson: Deconvolution of images and spectra, Aca-

demic Press, New York (1997)

33) R. Erni, M.D. Rossell, C. Kisielowski and U. Dahmen:

Phys. Rev. Lett., 102, 096101 (2009)

34) H. Sawada, Y. Tanishiro, N. Ohashi, T. Tomita F.

Hosokawa, T. Kaneyama, Y. Kondo and K. Takayanagi:

J. Electron Microsc., 58, 357 (2009)

[著 者 紹 介]ごう

郷はら

原かず

一とし

寿 君(正会員)1982 年名古屋大学大学院工学研究科修士課程

修了,工学博士.同大学助手,講師,中部大学助教授,北海道大学助教授,現在,工学研究院応用物理学部門教授.応用物理学,生物物理学,非線形ダイナミクスを専門とする.日本物理学会,日本顕微鏡学会,日本生物物理学会,日本神経科学学会,北米神経科学学会,日本神経回路学会などの会員.

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 331

Page 22: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

解説:ミニ特集回折イメージング~位相回復の新展開~

位相回復—計算アルゴリズム—

塩 谷 浩 之*・郷 原 一 寿***室蘭工業大学工学部 北海道室蘭市水元町 27–1**北海道大学大学院工学研究院 北海道札幌市北区北 13 条西 8 丁目*Faculty of Engineering, Muroran Institute of Technology, 27–1 Mizumoto-cho, Muroran, Hokkaido, Japan

**Research Faculty of Engineering, Hokkaido University, Kita 13, Nishi 8,Kita-ku, Sapporo, Hokkaido, Japan*E-mail: [email protected]

キーワード:位相回復 (phase retrieval),逆問題 (inverse problem),GSアルゴリズム (GS-algorithm),情報量 (information measure).JL 0005/11/5005–0332 C©2011 SICE

1. まえがき波の計測において,強度を観測できるが位相を観測でき

ない状況は位相問題1) と呼ばれる.たとえば,X 線で物質の構造を見る場合においては,試料で散乱した波の強度を測定することはできるが,位相は失われている.位相問題は,結晶のような原子レベルの小さなものを対象にする各種の顕微鏡から,電波望遠鏡など天体を扱う世の中のすべてのスケールに関わっている.これまで,回折強度からの実像のイメージングには,結晶のような周期的な構造をもつ場合が常識であったが,1999年のMiaoらの実験2)以来,

回折強度を用いた非周期構造のイメージングの研究が精力的に進められている.位相問題は,逆問題の 1つとして表現される.逆問題の

一般的形式から簡単に述べると,未知の関数 f(x) があり,X 上で定義されているとする.得られているのは,X ×Y

上の核関数 K(x, y) による以下の積分である.

g(y) =∫

X

K(x, y)f(x)dx ( 1 )

問題は,g(y) が得られている条件で f(x) を求めることである.核関数による変換が 1対 1であるときには自明となるが,現実の問題としては,たとえば g(y) に加法的ノイズが入ることなどの条件では,解 f があるかどうかは保証されない.図 1においては,X,Y の関数空間 LX , LY において,観測で得られている gobs からの f の探索を表わす.位相回復をこの形式でいうと,実像の空間および逆空間

が複素ベクトル空間,核関数 K による積分がフーリエ変

図 1 観測された gobs からの f の再構築

換である.フーリエ変換が 1対 1であることから,背景条件は素直であるが,与えられているのは振幅の自乗 |g(y)|2であるので,悪条件問題と言える.もし位相が再構築できると,フーリエ強度との逆フーリエ変換によって f を求めることができる.位相を回復することは,未知の実像を求めることと等価である.本特集の題目「回折イメージング」とは,回折強度から

実像を求め,その像を顕微鏡像として扱うことであり,回

折パターンのもつ最大の分解能の実像が望まれる.それには,フーリエ強度からの位相回復ができることが,この手法の根本的条件となる.位相回復に対して,最初にその可能性を示唆したのは Sayre3) である.それはシャノン4) のサンプリング定理に基づいて指摘されており,50 年代において,位相回復を不完全データに対する情報科学の問題と捉えている先見性が感じられる.Sayre から 20 年後にGerchbergと Saxton5) は,フーリエ変換の繰り返しによるアルゴリズムを考案し,それは位相回復の現実的な解法

として現在も輝いている.これは単純な正逆のフーリエ変換の繰り返しなのであるが,その本当の姿を捉えきれていない.本解説では,位相回復の計算アルゴリズムとそれに付随する理論研究を紹介し,回折イメージングのための計算数理の今後の方向性を展望する.

2. 基本設定

位相回復の対象となるのは,文字通り “位相”であるが,それによってわかる対象物が真の目的である.それを定義域上で複素数値をとる関数とする.信号であれば時間軸上の関数であり,構造解析であれば原子の配置と結合に対応する.2次元領域上の画像とすると理解しやすい.それを一般に実像 (Object) と呼び,その定義空間を実空間 (Ob-ject domain) という.有限体積をもつ関数を実像とし,そのフーリエ変換は,その核関数の定義域の一部となる逆空間 (Fourier domain) 上の複素数値をとる関数となる.実空間 X 上の実像を関数 ρ(x) とし,そのフーリエ変換は,逆空間 K 上の関数となる.実用的には,実空間は離散である場合が多く,その場合は離散フーリエ変換がよく用いられる.そこで,実空間 X を 2次元の離散空間 N ×N とし,逆空間も同様とする.離散フーリエ変換によって与え

332 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 23: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

られる ρ のフーリエ変換は,以下のように与えられる.

F (k) =∑x∈X

ρ(x) exp{−i2πx · k/N}. ( 2 )

F は振幅と位相によって |F | exp(iΦ) と表現される.位相問題としては,フーリエ強度 |F |2 は得られているが,位相 Φ は失われている.以下,強度に対して観測を表わすために |F |2 を |Fobs|2 と表現する.図 2に示すように,なんらかの方法で位相を推定したとしよう.その推定位相をΦ とすると,以下の逆フーリエ変換によって,再構築された実像 ρ を得ることができる.

ρ(x) =1N2

∑k∈K

F ′(k) exp{i2πx · k/N}, ( 3 )

ただし F ′ = Fobs exp[iΦ] とする.

図 2 推定位相と再構築実像

しかしながら,このままでは逆空間上の位相関数を決める手立てがまったくない.実用においては,実像について何か事前情報があることが多い.信号や画像であれば,画像空間や時間軸のサポート(台)であったりする.これは一

般的には,値がない領域が “ある程度”わかっていることに相当する.そのような実像に関する条件を実空間拘束条件(Object-domain constraint)といい,位相回復ではフーリエ強度が条件として与えられるが,そのような逆空間において与えられる条件を,逆空間拘束条件 (Fourier-domainconstraint)という.逆空間拘束条件として与えられる未知関数のフーリエ変換の強度,および実像の事前情報に相当する実空間拘束条件を満たす関数を求めることと表現できる.つまり,制約条件を満たす関数を推定する問題である.

3. 位相回復アルゴリズム

3.1 GSアルゴリズム位相回復とは,先に述べたように実空間拘束条件と逆空

間拘束条件を満たす未知関数を探すことである.Gerchbergと Saxton5)は,実像とフーリエ像の強度が与えられているときに,フーリエ位相を求めるために,図 3に表わされるように,拘束条件を適用しつつ,フーリエ変換と逆フーリエ変換を繰り返す手法を提案した.実像とフーリエ像の振幅をそれぞれ ρnorm と Fobs とし

て,実空間および逆空間拘束条件とする.まず,任意の実

図 3 繰り返しフーリエ変換と拘束条件によって構成されるGSダイヤグラム

像関数 ρ を用意する.そのフーリエ変換 F に対して,条件として与えられている振幅 Fobs と入れ替える.すなわち,F = |F | exp(iΦ) とすると,F ′ = Fobs exp(iΦ) を,逆空間拘束条件を適用した関数とする.つぎに,F ′ を逆フーリエ変換したものを ρ′ = |ρ| exp(iθ) とし,実空間拘束条件である ρnorm を同様に適用することで,更新された実像関数 ρnorm exp(iθ) が得られる.更新数を n で表わすと,ρn → Fn → F ′

n → ρ′n → ρn+1 を繰り返し行い,ρn

と ρn+1 が一致したときに,両空間の拘束条件を満たす実像が得られたことになる.図 3は GSダイアグラムと呼ばれ,この繰り返し操作はGSアルゴリズムと呼ばれている.設定される実空間における拘束条件として,実数や正値性などがある.それらは物理的に対応がつく条件であることから,有用な拘束条件の設定と言える.位相回復のアルゴリズムを考えるときに,解探索の途中の仮説実像について,実空間 X は,拘束条件を満たす領域と満たさない領域に分けられる.領域によって更新をそれぞれ行うことが,以

下に述べるアルゴリズムの有用さを支える.3.2 ERと HIO

GS から約 10 年後,Gerchbergと Saxtonの方法に基づいて,Fienupは,GS ダイヤグラムにおける ρ′ から ρ への実像の更新が逆空間拘束条件を満たす最小化における最急降下法に相当することを,以下の導関数から示した6).

∂ρ

∑k∈K

∣∣|F (k)| − |F ′(k)|∣∣2 = 2(ρ− ρ′), ( 4 )

ただし,ここで用いられている実空間拘束条件は,求める実像が実数であり,上式における任意の x について ρ(x)および ρ′(x) が実数とする.GS における実空間拘束条件について,誤差を下げるものとして,実空間拘束条件における n 番目の仮説実像から n + 1 番目の実像への以下の更新方法を Error reduction (ER) と名付けた.

ρn+1(x) =

{ρ′n(x) x /∈ D

0 x ∈ D, ( 5 )

ただし D は実空間拘束条件を満たさない領域であり,逆空間から得られる ρ′ に起因して定まる領域である.

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 333

Page 24: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

Fienupはさらに,D における更新方法として,以下のHybrid Input Output (HIO) という位相回復アルゴリズムを提案した.これは位相回復においては,欠かせない中心的アルゴリズムとなっている6).

ρn+1(x) =

{ρ′n(x) x /∈ D

ρn(x) − βρ′n(x) x ∈ D, ( 6 )

ただし β は正の定数であり,効果のある設定値が知られている.HIOは,ρ に対し得られている ρ′ からの更新方法の模索の中で示されたものであるが,ERにおける最急降下法のような整然とした根底は,その後のいろいろな研究展

開もあるにしても,その良さの真意は不明確のままである.位相回復の良さは,仮説として得られる実像のフーリエ

強度 |Fcal|2 が,観測値である |Fobs|2 とどのくらい一致するかにある.その指標として,以下のR-ファクターがよく用いられる.

R(Fcal, Fobs) =

∑k∈K

∣∣|Fcal(k)| − |Fobs(k)|∣∣

∑k∈K

|Fobs(k)|. ( 7 )

GSアルゴリズムを元にした ER とHIO は,数値シミュレーションにおいてはもちろんのこと,1999年のMiao から始まった実験で得られる回折像からの位相回復においても,その有用さが発揮されている.X 線や電子線による実験と位相回復による回折イメージングについては,本特集の記事で先端研究がご覧いただける.3.3 HIO以降の理論とアルゴリズム

HIOや ERによる有限回の繰り返し写像計算によって得られる位相回復像について,収束や一意性に関する理論研究の中で,位相回復アルゴリズムを位置付けていくことは,回折イメージングの進展に重要である.Elserは,差分写像(Differential map) の枠組の中で,Fienupの ERや HIOなどを位置づけている7).物体領域を完全に与えることは,対象の小ささから実験

では難しいが,より良い実空間拘束条件を与えるために,物体サポート領域をタイトにすることは,位相回復の計算において望ましい.未知なサポートへの対応する 1つの方法が,Ozlanyi と Suto によって示された.それは,GSアルゴリズムにおける実空間拘束条件の適用に特徴があり,仮説の実像にしきい値を設定し,その値によって更新式を反転させる方式である.簡単に述べると,逆空間拘束条件から得られた関数の逆フーリエ変換について,実数条件を適用した ρ について,しきい値 δ によってつぎの 2つの関数 ρ1 と ρ2 に分ける.

ρ1(x) =

{ρ(x) if ρ(x) ≥ δ

0 otherwise, ( 8 )

ρ2(x) =

{ρ(x) if ρ(x) < δ

0 otherwise. ( 9 )

そして,δ を基準に ρ1 + ρ2 と符号を反転させた ρ1 − ρ2

を用いる.実像 ρn から ρn+1 への更新として表現するとつぎのようになる.

ρn+1(x) =

{ρ′n(x) if ρ′n(x) ≥ δ

−ρ′n(x) if ρ′n(x) < δ. (10)

符号を反転させることから,このアルゴリズムは Chargeflipping と名付けられている8).このアルゴリズムにおけるしきい値の設定については,試行錯誤的な要素を排除することはできないが,その有効性から,結晶構造解析において多く使われている.3.4 画像復元との関連

失ったフーリエ位相の回復には,与えられる限定的な拘束条件を利用する.実空間における実像関数の更新は,拘束条件を満たす集合へのある種の射影と言える.Fienup がHIOを世に送り出したと同じ時期に,Youlaは凸集合上への射影(POCS: Projection onto Convex Sets)による画像修復法を展開した9).ヒルベルト空間上で,拘束条件となる複数の凸集合 Cj (j = 1, · · · ,m)が与えられている.それらの積集合

C0 = ∩mj=1Cj , (11)

が空集合ではないとして,拘束条件をすべて満たす C0 に含まれる解を探索する.POCS とは,凸集合 Cj への射影Pj を,j = 1, 2, · · · ,m で繰り返していく方法である.図 4に凸集合 A;B に対する POCSを示す.射影を行うことは位相回復においても同様であるが,拘束条件を満たす集合の凸性が必ずしも保証されないために,POCSの理論を位相回復にそのまま適用はできない.

図 4 凸集合 A, B に対するPOCS

トモグラフィは医療など広く応用されている.復元の根本となる投影切断面定理とは,射影された像のフーリエ変

換は,実像のフーリエ変換の射影角度方向に相当することである.Gerchberg-Papoulisアルゴリズム10), 11)は,正逆のフーリエ変換によるアルゴリズムであり,GSアルゴリズムと構造的共通性がある.つまり,トモグラフィなどの画像復元と位相回復とは,与えられる拘束条件の違いはあるが,GSダイヤグラムを共通な土台として両者を見ることができる.

334 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 25: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

4. 情報量に基づく位相回復

4.1 実空間と逆空間の情報量

位相回復は拘束条件の下での探索問題であり,関数の推定問題でもある.失ったフーリエ位相を探すためには,計算としてアルゴリズムが必要となるが,アルゴリズムとは,事前の仮説からつぎの事後の仮説を与える方式と考えると,2項間の関係を導入することが求められる.たとえば確率分布の場合の 2項間の関係として情報量があり,情報理論における主役である.そこで,つぎに情報量を出発点とすることで,位相回復のアルゴリズムに言及する12).

位相回復において,対象の構造を表わす物体関数 ρ とそのフーリエ変換 F が対に関係する.ρ と F は実空間 X

および逆空間 K 上で複素数値をとる関数である(簡単のため,X,K は離散集合とする).X 上の体積有限な関数全体の集合を P とする.よく用いられる実空間拘束条件として,実数と正値性を

仮定する.その条件を満たす P の要素の集合を P とおく.P の 2つの関数 ρ と τ 間の差異を測るために以下の量を導入する.

Dγ(ρ, τ) =∑x∈X

{ 1γρ(x)(ρ(x)γ − τ(x)γ

− 11 + γ

(ρ(x)1+γ − τ(x)1+γ )}, (12)

ただし γ ∈ [0, 1] とする.この量は,Density-power di-vergenceと呼ばれる情報量であり,ρ と τ が確率分布ときに,つまり

∑x ρ(x) = 1 および

∑x τ(x) = 1 のとき

に,分布間距離の最小化の観点から,この量の統計的性質が Basuによって示されている13).さらには,情報理論における情報量の解析的視点から,Csiszarの f -divergenceの拡張形式に基づいて位置付けられている14), 15).τ と ρ をそれぞれ事前・事後の物体関数として,ρ のフー

リエ変換 F と,F の位相をそのまま用いて逆空間拘束条件 Fobs を振幅として入れ替えた F ′ との差異については,以下の 2乗ノルムがよく用いられる.

E(F, F ′) =∑k∈K

|F (k) − F ′(k)|2. (13)

F と F ′ の位相は等しいことから,E(F, F ′) = E(|F |, |F ′|)となる.つまり,比較する関数については,非負で体積有

限な実関数であるので,情報量 Dγ に F と F ′ を導入し,Dγ(F, F ′) を定式化することができる.それと (13)式とは以下の関係にある.

limγ→1

Dγ(F, F ′) = E(F, F ′). (14)

4.2 情報量最小化と位相回復

GSアルゴリズム(図 3)においては,ρ と ρ′ および F

と F ′ とそれぞれの差異が小さいことが望ましい.つまり,

それらの間の情報量が共に小さいことに相当する.よって,GSダイヤグラムに情報量を導入することで,図 5として表現できる.

図 5 情報量とGSダイヤグラム

事前の物体関数 τ が与えられたときに,事後の物体関数ρ をどのように選ぶかが,位相回復アルゴリズムの定式化につながる.ρ のフーリエ変換 F と逆空間拘束 Fobs を適用した F ′ との間の情報量が小さいことが,望ましい ρ の条件となる.そこで,実空間と逆空間の情報量の和として以下を導入する.

L(λ) = Dγ(ρ, τ) + λ E(F, F ′). (15)

ρ に関する上式の 2項目の導関数を考慮するために,逆空間のほうは D1 = E としている.∂L(λ)/∂ρ = 0 から以下が得られる.

ρ(x)γ − 1γ

=τ(x)γ − 1

γ+ λ(ρ′(x) − ρ(x)), (16)

ただし,∂E(F, F ′)/∂ρ については,Fienupの (4)式を用いている.さらに,|ρ− τ | が十分小と仮定し,その近似とτ と ρ の関係に基づいて,cγ を正の定数とする ρn からρn+1 への更新を,以下のように定めることができる.

ρn+1(x) = {ρn(x)γ + cγ(ρ′n(x) − ρn(x))} 1γ . (17)

これは,逆空間拘束条件を満たさない方向としたときに得られる ρn から ρn+1 への更新を元に,時定数 n を逆転させることで解くことができる.

(17)式において,γ = 1 のときには,

ρn+1(x) = (1 − cγ)ρn(x) + cγρ′n(x), (18)

となり,さらに cγ = 1 とすることで,位相回復におけるER アルゴリズムが得られる.γ → 0 のときには,

ρn+1(x) = ρn(x) exp[cγ(ρ′n(x) − ρn(x))], (19)

が得られる.このとき,(15)式における第 1項は,

limγ→0

Dγ(ρ, τ) =∑x∈X

ρ(x) lnρ(x)τ(x)

+∑x∈X

τ(x)

−∑x∈X

ρ(x), (20)

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 335

Page 26: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

となる.この情報量は I-divergence16)と呼ばれ,τ と ρ を確率分布としたときには,情報理論でよく登場するカルバックの情報量17) である.4.3 MEM結晶構造解析と位相回復最大エントロピー法 (Maximum Entropy Method :

MEM) は,画像復元などでおなじみな方法であるが,その有用性の一端として,結晶の原子配置を見出す結晶構造解

析においても用いられている.Collins18), 19) によるMEM結晶構造解析法の展開に従って述べる.実空間と逆空間のインデックスをそれぞれ r と k として,まず,Jaynes20)

のエントロピー関数を導入する.

S(ρ, τ ) = −∑

r

ρ(r) lnρ(r)τ (r)

, (21)

ρ(r) =ρ(r)∑r′ ρ(r′)

, τ(r) =τ(r)∑r′ τ(r′)

, (22)

ただし,ρ(r) は推定分布関数,τ(r) は事前仮説となる分布関数である.それらは電子密度関数に対応する.ρ(r) および τ (r) は正規化された分布関数である.既知位相と未知の位相に関する拘束条件を以下のように与える.

C1 =1M1

∑k

|Fcal(k) − Fobs(k)|2σ(k)2

, (23)

C2 =1M2

∑k

||Fcal(k)| − |Fobs(k)||2σ(k)2

, (24)

ただし,M1 および M2 は反射数を表わし,以下の Fcal は

計算された構造因子を表わす.

Fcal(k) = V∑

r

exp(−i2πr · k), (25)

V はユニットセルの体積,Fobs は観測された構造因子,σ(k)2 は Fobs の統計的な分散を表わす.構造因子の拘

束条件のもとでのエントロピーの最大化のために以下のL(λ1, λ2) を用いる.

L(λ1, λ2) = S(ρ, τ) − λ1

2C1 − λ2

2C2. (26)

最大エントロピーとなる確率分布は,つぎのように求められる18).

ρ(r) = exp{ln τ(r)

+λ1F0

M1

∑k

(Fobs(k) − Fcal(k)

)σ(k)2

× exp{−i2πk · r}

+λ2F0

M2

∑k

(|Fobs(k)| exp[iψ(k)]−Fcal(k)

)σ(k)2

× exp{−i2πk · r}}, (27)

ただし,F0 はユニットセルの総電子数とする.Fobs(k),σ(k)2, 係数 λ1 および λ2 が与えられると電子密度関数が得られる.結晶構造解析と位相回復との関係について,1990 年に

Millaneは,結晶構造解析と位相回復は互いに別々に研究が進展したことを指摘している21).その関係について,CollinsのMEM 結晶構造解析と情報量に基づいた位相回復との関わりから,つぎに述べる22).まず,正規化された関数を用いているエントロピー S

に対して,前節において紹介した正規化を不要とする I-divergenceを導入する.

I(ρ, τ) =∑

r

ρ(r) lnρ(r)τ(r)

+∑

r

τ(r) −∑

r

ρ(r).

(28)

位相回復においては,すべてが未知の位相であることから,

未知の位相に関する構造因子を用いた逆空間拘束条件のみを用いる.GSダイヤグラムに従い,失われている Fobs の位相として,Fcal の位相を適用することから,(4)式から以下が得られる.

∂ρ(r)

∑k

|Fcal(k) − Fobs(k)|2 = 2(ρ(r) − ρ′(r)),

(29)

ρ′(r) は,|Fobs(k)| exp[iψ(k)] の逆フーリエ変換,ψ(k)は Fcal の位相とする.(29)式を利用することで以下が得られる.

ρ(r) = exp[ln τ(r) + C(ρ′(r) − ρ(r))], (30)

ただし C は正定数とする.これは,|ρ−τ | が十分小を仮定することに留意して,情報量 Dγ における γ → 0 の場合に帰着される.つまり,位相回復とMEM結晶構造解析は,一般化された情報量を通じて関係付けられることがわかる.

5. まとめ

失ったフーリエ位相を探すことで,直接観測が難しい対象の構造がわかることから,光源に対し広く応用できる位相回復は有用な方法である.GSアルゴリズムとFienup のHIO 等によって,有限回の繰り返し計算で得られる仮説実像が真か,あるいは真に十分近いかは,回折イメージングにおける大きな問題である.80 年代初頭に Fienupによって位相回復アルゴリズムが展開されたと同時期に,国内においても位相回復アルゴリズムに関する研究は,精力的に進められた23)~26).その後,位相回復における解の一意性など,根本の理論的問題が依然として残っている中で,本内容の後半において,位相回復を情報量最小化と関連させ,情報量を軸とした位相回復アルゴリズムの表現について述

336 計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号

Page 27: VOL.50 計測と制御 5 - labs.eng.hokudai.ac.jplabs.eng.hokudai.ac.jp/labo/NanoBio/wp-content/... · グラフィー(holography),自由電子レーザー(free-electron laser).

べた.これは,80 年代の位相回復のアルゴリズムに関連した研究とは異なる方向性を与えているものと著者は考えている.それに関連する研究として,与えられる Fobs がフーリエ変換の関係から量子ノイズによって離れている場合には,位相回復解の集合が関数空間上で球殻構造となることや,繰り返し写像による統計的力学系の重要性を筆者は言及している27).数理を主体とした境界領域からのアプロー

チで,この問題に新たなブレークスルーが期待されている.アルゴリズムや計算においては,境界領域からのこれまでとは違ったアプローチも含めて,位相回復解に関する基礎理論や実験データに対応できるアルゴリズムの開発などが,今後の重要な課題となる.

(2011 年 1 月 24 日受付)

参 考 文 献

1) Q. シェン,Q. ハオ,S. M. グリュナー:X線回折像から,複雑な物質の構造を復元するために~失われた位相を求めて~(奥山健二訳),パリティ,10 (2006)

2) J. Miao, P. Charalambous, J. Kirz and D. Sayre: Extending

the methodology of X-ray crystallography to allow imag-

ing of micrometer-sized non-crystalline specimens, Nature,

400, 342/344 (1999)

3) D. Sayre: Some implications of a theorem due to Shannon,

Acta Crystallogr., 5, p.843 (1952)

4) C.E. Shannon: A Mathematical Theory of Communication,

Bell Sys. Tech. Journal, 27, 456/477 (1948)

5) R.W. Gerchberg and W.O. Saxton: A practical algorithm

for the determination of phase from image and diffraction

plane pictures, Optic, 35, 237/246 (1972)

6) J.R. Fienup: Phase retrieval algorithms: a comparison, Ap-

plied Optics, 21, 2758/2769 (1982)

7) V. Elser: Phase retrieval by iterated projections, J. Opt.

Soc. Am. A, 20–1, 40/55 (2003)

8) G. Oszlanyi and A. Suto: AB initio structure by charge

flipping, Acta Cryst., A60, 134/141 (2003)

9) D.C. Youla and H. Webb: Image Restriction by the Method

of Convex Projections: Part 1 – Theory, IEEE Trans. Med.

Imaging., MI-1, 81/95 (1982)

10) R.W. Gerchberg: Super-resolution through Error Energy

Resolution, Opt. Acta., 21–9, 709/720 (1974)

11) A. Papoulis: A New Algorithm in Spectral Analysis and

Band-limited Extrapolation, IEEE Trans. Circuits & Syst.,

CAS-22–9, 735/742 (1975)

12) H. Shioya and K. Gohara: Generalized phase retrieval al-

gorithm based on information measures, Optics Communi-

cations, 266, 88/93 (2006)

13) A. Basu, I.R. Harris, N. Hjort and M.C. Jones: Robust and

efficient estimation by minimizing a density power diver-

gence, Biometrika, 85, 549/559 (1998)

14) 内田真人,塩谷浩之:不定性を用いた分布間情報量の拡張形式に関する検討,信学論,J87-A–4, 546/553 (2004) [英訳:Elec-

tronics and Communication in Japan: Part 3, Fundamental

Electronic Science, 88–4, 35/42 (2005)]

15) I. Csiszar: Information-type measures of difference of prob-

ability distributions and indirect observation, Studia Sci.

Math. Hunger., 2, 299/318 (1967)

16) I. Csiszar: Why least squares and maximum entropy? -

an axiomatic approach to inverse problems, Ann. Stat., 19,

2033/2066 (1991)

17) S. Kullback and R.A. Leibler: On Information and Suffi-

ciency, Ann. Math. Stat., 22, 79/86 (1951)

18) D.M. Collins: Electron density images from imperfect data

by iterative entropy maximization, Nature (London), 298,

49 (1982)

19) M. Sakata and M. Sato: Accurate structure analysis by

the maximum-entropy method, Acta Cryst., A46, 263/270

(1990)

20) E.T. Jaynes: Prior Probabilities, IEEE Trans. Syst. Cy-

bern. SSC4, 227/241 (1968)

21) R.P. Millane: Phase retrieval in crystallography and optics,

J. Opt. Soc. Am. A, 7–3, 394/411 (1990)

22) H. Shioya and K. Gohara: Maximum entropy method for

diffractive imaging, J. Opt. Soc. Am. A, 25–11, 2846/2850

(2008)

23) J. Maeda and K. Murata: Retrieval of wave aberration from

point spread function of optical transfer function data, Ap-

plied Optics, 20, 274/279 (1981)

24) 前田純治,村田和美:光学における位相回復問題,光学,11–3,

230/240 (1982)

25) 中島伸治,朝倉利光:ヒルベルト変換による位相回復,光学,11–3, 241/252 (1982)

26) H. Takajo and T. Takahashi: Least-squares phase estima-

tion from the phase difference, J. Opt. Soc. Am. A, 5–3,

416/425 (1988)

27) H. Shioya and K. Gohara: Spherical shell structure of dis-

tribution of images reconstructed by diffractive imaging, J.

Opt. Soc. Am. A, 27–5, 1214/1218 (2010)

[著 者 紹 介]しお

塩や

谷ひろ

浩ゆき

之 君(正会員)1990 年北海道大学理学部数学科卒業,北海道

大学大学院工学研究科情報工学専攻修士課程修了,同大学院博士後期課程修了,博士 (工学).北海道大学工学研究科システム情報工学専攻助手,室蘭工業大学工学部助教授を経て,現在,同大学教授.データ学習,ニューラルネット,強化学習,位相回復などに興味をもつ.電子情報通信学会,ACM,

OSA などの会員.

ごう

郷はら

原かず

一とし

寿 君(正会員)(本号 p.331 参照)

計測と制御 第 50巻 第 5号 2011 年 5月号 337