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Title 文体論の理論と実践 : クライストの『ロカルノの女乞食 」を例にして Author(s) 廣川, 智貴 Citation 研究報告 (2000), 14: 1-17 Issue Date 2000-12 URL http://hdl.handle.net/2433/134428 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Page 1: Title 文体論の理論と実践 : クライストの『ロカルノの女乞食 ... · 2010-12-25 · 論の第一人者H・G・ウィドウソン(且.(}Widdowson)の 言葉をかりていえば文体論とは「言語学的観

Title 文体論の理論と実践 : クライストの『ロカルノの女乞食」を例にして

Author(s) 廣川, 智貴

Citation 研究報告 (2000), 14: 1-17

Issue Date 2000-12

URL http://hdl.handle.net/2433/134428

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

Page 2: Title 文体論の理論と実践 : クライストの『ロカルノの女乞食 ... · 2010-12-25 · 論の第一人者H・G・ウィドウソン(且.(}Widdowson)の 言葉をかりていえば文体論とは「言語学的観

文 体 論 の 理 論 と実 践

― クライス トの 『ロカル ノの 女 乞 食 」を例 に して ―

廣 川 智 貴

1.は じめに

本稿の 目的は 、ドイツ語文体論 の現状を現代 文体論の 中'悌勺存 在であ る英語文体 論と比較 したうえ

でその問題 点を指摘 し、それ を克 服す るひ とつ の手段として機能文法をとりあげ、その方法論でハイ

ンリヒ・フォン・クライスト(He血zch von H-eist,1777-1811)の 短編 『ロカル ノの女 乞 食 』(Das

Bettelweib von㎞mo,1810年 、『ベル リンタ刊新聞』(Ber】liner Abendbl舩ter)紙 上に発 表、

1811年 出版のErz臧lungen第2巻 、86-92ペ ージに所 載、なお作品からの引用箇所の 出典 まその

短さゆえに省略す る)を分析す ることである。

2.現 代の文体論 一 現状と展 望 ―

現代文体論の創 始者とみ なされ るレオ ・シュピッツァー(Leo Spitzer)は 、その 自伝 にも似たエッセ

イ『言 語学 と文 学史 一 文体 論試 論 』(1血gujst鵬and Literarg Histoxy:Essays in Stylistiq

1948)の なか で当時の状 況を回顧 している。1陽気で秩序が保 たれ た、懐 疑的で感傷的な当時のウィ

ー ンのなか で生活 したシュピッツァーは、フランス劇 団の芝居を見 、従 僕の 「奥様 、お食事 の用意 がと

とのいました」(Madame est servie.)という台詞 に胸をときめかせ る多感 な青年であった。そしてロマ

ンス言語学 を学ぶ決 意をす るが、当時の大学の授 業は、彼を満足 させるものではなか った。

マイアー ・リュプケ(Mayer-L�ke)に よるフランス言 語学の授業 では、ラテン語のaが フランス語の

eに 変 化す るとい うような音 韻規 貝―」が扱 われ 、フィリップ ・アウグスト・ベ ッカー(Phi]ipp August

Becker)に よる文学の 授業 では 、歴史 上のデー タを吟味 し、イ稼 の 自伝研 究に力 が注がれ ていた の

だった。この ような言 語学と文学 の懸 隔を感 じたシュピッツァー は 、これら両者の橋 渡しとなるべ く、文

体論の建設を決 意する。

このシュピッツァー の証言からも明 らかなように、そもそも現代の文 体論とはあまりにも細分化 しす ぎ

た言 語学と文学との あいだの 求心力 としてうまれたものであった。現在のイギリスにお ける教 育文体

'Spitzer(1948)

-i一

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論の第一人者H・G・ ウィドウソン(且.(}Widdowson)の 言 葉をか りていえば文体論とは 「言語学的 観

、点から文学的談話を研 究する学問」2であり、ミック・ショー ト(Mick Short)に よる「言語学的記述による

(文学)テ クスト分析へのアプローチ」3という定義も同様の 考えに基づ くものである。ここで重要なのは、

文体論とはなによりもまず 文学作品の言語分析をとお しては じめて成 立す るということである。

にもかか わらず 、筆 者の知 るか ぎり、ドイツ語圏 にお いては(文 学 的)テ クストの言語分析 が意図 的

に回避 され ているので はないか、と思うほど具体 的な分析例 がとぼ しい。この ドイツ語文体 論の異 常

な状況 は、近年文 体論 の発 展がめざましい英語圏 のそれ と比較す ることでいつそう明らか になる。た

とえば 、教育 的英 語文体論のマニフエストの書とい われ るロナル ド・カー ター(Ronald Carter)編 の

論文集 『言語と文学』(Language and Literature,1982)に 含 まれ る12の 論考は 、すで に統 語論 に

重 点をおいた(統 語論といっても、それへ のアプ ロー チ は伝 統文法か ら機能文 法に至るまでさまざま

である)具体 的な分析を示 している。また、最近のもので は、J・J・ウェー バー(J.J. Weber)編X20世

紀 の小説 』(Twentieth Centwy Fiction,1995)が 、その 副題 「テクストか らコンテクストへ」が示 すよう

に、それ までのいわ ば作品内在的なものか ら文体論を解放 しようとする新 しい分析 例を提供 してくれ

る。

それ に対 し、ドイツ語圏 で出版された代表的な文体論の著 作、論 文集の 多くが 「理論」の文字を表題

に掲げていることは注 目に値 する。たとえそのような看板 をあげ ていない にしても、具体 的に分析 を

おこな っている論考は少数 である。4(あわてて付 け加えれ ば 、分 析例 がまった くないというので はも

ちろん ない。ここで具体例 が少ないというのは 、一つ の作 品を取 上げ た論考、つまり―種の作 品論 と

でもい えるものが 少数だ ということである)。また、このような状況 に関連 した興味ぶ かい現 象がある。

すなわち、ドイツ語圏 の学者 たちがフランスや ロシアの研 究 者の 理論 、文 献に言及することはあって

も、イギリス、アメリカの学者 のそれ に触れ ることがまれ だ ということである。なにも英語 文体 論を無 批

判にありがたがる必要 はない。だが 、たとえ英語文体 論が国 際的な英語の需 要によつて、したが つて

帝国主義的な気運 にのり一種 のイデオ ロギー と関係して進 出したもの であるにせ よ、イギリスが現 代

文体論の中心であることもまた事実である。5にもかか わらず 、この 文体 論をこれ ほどまで無視 してもよ

いのだろうか。理論的考察 はもとより不可欠 である。しか し、それ には具 体的な実践が並行 しなけれ

ばならない。その意味で英語文体論がドイツ語文体 論に刺激 を与えてもよい。重ね ていえば、理論と

実践の相互作用こそが文体論を支える理念なのだか ら。

zWiddowson(1975:3)

Short(1996:1)4こ こで捻頭 においている主な著俺 論文集を挙げておく

。Anderegg(1977), Fix(1990), Sandeis(1977),

Sandig(Hg.)(1983), Spillner(Hg.)(1984).5英 語文体論の進出の経緯に関しては、斎藤(1994)を 参照、

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このような意 味で、ハ ンス ・ヴェル マン(Ha皿s We皿 皿a㎜)編 『テクストの 文体分析 におけるポエジ

ー の 文 法 、語 彙 、構 造 』(Grammat蔵Wortschatz und Bauformen der Poesie in der

stilistischen Analyse ausgew臧lter Texte,1993)は 、ドイツ語文体論にとつて待望の書というべ き

であろう。これは1993年2月 アウグスブル クでおこなわれ たシンポ ジウムにもとつ く論文集 である。

「今や 文学を言語学 的手段で のみ く文学的 ・芸術的なもの〉で ある、とつ きとめるのは不可能である」、

がしか し言語学の問題設 定、カテゴリー が文学研究 になん らかの かたちで 寄与できるはず だ 、という

理 念にこの会議 は支えられ ている。6そしてこの理念を現 実のものとするべ く、上言Cの書物 には古典か

ら現代 に至るまでの作 品の言 語分析が並 んでいる。最近の言語学の成 果、とりわけテクスト言 語学や

談話分析を導入 した分析 は興味 ぶかい。個 々の論考す べてが優れ たものであるとは いいがたいが、

これ まで の状況を考えると、文学 作品を中心 にした実践例を示してくれた というだ けでも十分評 価さ

れてよい。

編者 の序言から推察で きるように、この論文集は実際の教 育の現場か ら成 立したものである。とこ

ろで、スタンレー ・フィッシュ(Stanley Feh)が 記述から角峯釈への論 理的飛 躍を指摘 し、文体 論を存

亡の危機 にまで追いや ったことはよく知 られているが 、そこから息を吹き返す きっかけを与えたのもイ

ギリスで は教育的文 体論で あつた。ドイツ語 文体論の明暗もこの教育 的文 体論をいかに展開していく

か にか かっているとい えよう。本 稿も基 本的にはこの立場 にたつ ものであり、英 語圏の教 育的文体論

の代 表者 、とりわ けウィドウソン、カーター 、ショートらに触発され たところがお お きい。この学派の特 徴

は、カーター の 「実践文体 論」という言葉 に象徴されるように、何よりもまず 具体 的な分析が優先され る

点 にある。彼 らによって展 開され た方 法をドイツ語のテクストに応用す ることで、ドイツ語文体論 の行 き

詰 まりを打開するきっか けをつ かむことができると考える。

3、機能 文法と文体

3.1,文 体論にお ける機能 文法の位置

文体の概念 をめ ぐつては さまざまに論 じられ てきた。G・N・リー チ(G.N. Leech)と ショー トは、その

共暫 フィクションのスタイル』(Style in fiction,1981)の 前半部でこれまでの文体概念の変遷 を一元

論 、二元論 、多元論と分類している。7

一元論 とは、フmベ ール が 「それ は 肉体 と魂のようだ。形 試も内容も私には ひとつ のものなのだ」

といつたように、内容 と形 式を同―とする立場 である。たとえば詩 の場 合、文字通 りの意味を提 供せ ず

6職∋Unlan■i(日[g・)(1993:3)

leech/Short(1981:10・41)な お、ドイツ語圏を中心にした文体概念、およu文 体論のの歴史的変遷につい

てはSo舳(1999:17―51)、 Sanders, Wi皿y:Stil im Wandel In:Fix, Ulla/Lerchner, Gotthard(Hg―)l St皿

一3一

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に、解 釈を読 者に委ねるメタファーが多用され る。これ はいうまでもなくパラフレーズを拒むもので あり、

したがつて形式 と内容の―致 を主張する一元論者 にとつて格好の 論拠 となる。また 、ローマン ・ヤコブ

ソン(Roman Jakobson)が メタファーとメトニミー を独 自に鴎llし て以来、この論拠は 単に詩 のみな ら

ず 、小説 にお いても効力をもつ ようになった。実 際 このアプロー チか らの分析 はす ぐれ た成果を 挙

げてもいる。8したがつて、一元論の正 当性もむ ろん認 められ な けれ ばならない。だ が、この立場 はテ

クストを分化す ることのできない全 体としてとらえるので 、その 結果 として言 語選 択の調査 が制限され

るという事 熱 ま否定で きない。

それ に対 して、二元論は意味と形式の二分を、換 言すれ ばパ ラフレー ズを可能とす る立場である。

とりわ け言語 の深層構 造と表層構造 の関係を究 明しようとす る変 形文 法は 、文学作 品 にお ける意 味と

形式との関連を考察するうえで重要な囎 を果 たし、文 体論に大きな影響 を与えてきた。その反 面、二

元論では 、言謡 こあらわれ る事物 の認識の仕方 、っまり後 で述べ る機能 文法で いうところの概 念的機

能にまったくふれ ることができないという短 所がある。

最 後に、多元論とは 言語の選択 の機 能面をそれぞ れ の機能 レベ ル で認め る立場で ある。ここで

は 、言語の選択 が機能 の選択のネットワー クにお いてどのように相 互関連 しているかを記述す ること

になるので 、その都度の選 択に文体意義を認 めることができる。ただ 、この立場 にも欠点 はある。つ ま

り機 能それ 自体 の意味 、それ どころかそもそも機 能の数が どれだ けあるのか 、という点 に関して、言 語

学者のあいだで見解の+致 を見ないということである。しか し、機 能 の定義に慎重zあ りさえすれ ば 、

先 に述べ たように包括的 な記 述が可能であるが ゆえに、文体分 析 に最適な文法理 論であるとい うこと

ができる。9

3.2.機 能 文法 における他 動性

ここでいう機能 文法とは、イギリスの言語学者M・A・K・ ハ リデ ィ(MAK Halliday)が 中心となって

展 開しているものである。言語学はしば しば 「形式 主義1と 「機 能 主義」という二つ のアプロー チを期ll

す る。前者はチョムスキーの生成 文法が示すように、言 語を 自立的体系 として研 究することを 目標 とす

る。それ に対して、後者は機 能 文法の源であるプラハ 言語学 派が示 すように、言語 の語用論的機能を

重 視す るもの である。このような性 質をもつ機能 文法は 、文学 的テクストの文体分 析 にもお お いに貢

献してきた。とりわ け、以下 に詳述す る他動 性は 、その包括的な記 述ゆえにしば しば文学のテクストに

夏md St且wandet Fran㎞rt am Ma血1996, S.345―357を参照8た とえばLρdge(1984)を そのような成果のひとつに数えることができよう。ただし、 Lodge自 身はその後一

元論から二元論へと自分の立場を変えたということを第2版 のあとがきで述べている。9日 本の英語文体論の第一人者である豊田昌倫もこの文法理論をもっとも注 目すべきものとして挙げている。

日本ζ文醐 扁)(1991:62)

-4一

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も応用 され、登場人物の 肉体 的、精神 的経験 に関する個人的解釈の解明に寄与 してきた。

ハ リデイはこの文法理論 にお いてまず 言 語の機能を3つ に分類す る。lo認識 的意味を扱う概念的機

能(ideational function)、 話し手と聞き手の関係 を記述する対人的機能(interpersonal function)、

そして発話 内容 に脈 絡をっ けるテ クスト的機能(textual function)が それ である。他動 生はこれ らの

機能の うち概 念的機能 に含 まれ るもので ある。M・ベ リー(M. Beny)は この他動 性という概念 を簡潔

に次のように述べ ている。

英文 法にお いて、われ われ はさまざまな選択をす ることになる。す なわち、いろいろ

なタイプの過程 、関与 者 、状況 のあいだで 、さらにはそういつた 関与者や 状況の果

たす さまざまな役割 のあいだで 、またどれだけの関与者や 状況をおくかという点で、

そして過程 、関与者 、状 況をいか に結合するかとい う点で 、それ ぞ れ の選択をおこ

なうので ある。つ まりまとめていえ ば、これらの選択 は 「他 動 性」のそれ として知 られ

ているもので ある。11

ベ リー の説明で明らか なように、他 動 駐とは発話 者が 自身の直面した現 実をいか に把握しているかを

示す ものなのである。より簡潔 にいえ ば、他動 性の問題は 「誰 が何 を誰に対 してす るのか」12という疑

問文の形 で表現す ることができる。

他動1生を構成 する要 素としては以 下のものを挙げることができる。すなわ ち、主として動詞 によって

表現 され る「過程 」、人物や 対象の役割 を意味す る「関与者」、典型的 には時、場所、様 式をあらわす

臨 司によって表現され る「状 況的機能」がそれ である。

(1)John painted the house.13

たとえば 、例文(1)で 「過程jを 示 す のは 「塗装 する」という動詞である。また 、関与者 の機能 に 目を向

けれ ば 、行為者 はジョンであ り、目標は 家となる。しか し、目標 が過程の結 果 として生 じる場 合、それ

は結果 物(the object ofresult)と して記 述され 、目標 とは 区別され る。

(2)He oo皿posed a poem.

10Hallidayの理論に関してはHa皿day(1970)Halliday(1994)を 参照

"Beny(1975:150)

12Burton(1982:200)

-5一

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例文(2)のpoemは 例 文(1)の 構文のなかのhauseと 同様に 目標 とみなされるかもしれない。しか し

機能 文法では 、(2)におけるpoemはoomposeと いう過程 の結果 として生じると考えられ 、目標 とは別

の役 割を与えられ る。また、関与者は受益、手段 の役 割も果たす 。

(3)He's given John a present.

(4) Shels knitb∋d the baby a(別 晦an.

例文(3)に おいて、Johnは 目的物の受益者であり、例文(4)のbabyは サー ビスの受益者 である。こ

れ らは いず れも論理 的 間接 目的語によつて構 成されてい る。さらに行為者が 生物 の場合と非生物 の

場 合が 区別され ることになる。以 上で述べた他動 性の構成要素をまとめると、次の ようになる。

(a)過 程

(b)関 与者(行為者、目標 、結果、受益者)

次に節の分類 に 目を向けたい。バ ー トンは機 能文 法を文学 作品 に応 用 した論文 のなかで次 のよう

な他動 性のネットワークを採 用している。14

1ntentionprocessactionprocessmaterialprocess/ superventionprooess¥eventpracess

mentalprocess<謡 牒 く 難 慧i

relational process

図1.他 動 性 のネ ットワー ク

13以 下の例文は、Kennedy(1982)1こ 依 る。

14Barton(1982:199)

-6一

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まず 、動 詞型は3つ の 主要なタイプ に分類 され ることになる。つ まり、行 為を表現 するmaterial

prooess、感覚を表現 するInent日1 prooess、 関係を示すrelational processで ある。ハリデイの 主張

する分類基準を略述 してみると、(1)mental processで は、「つね に感 覚を備 えた 一つまり、考えたり、

感 じたり、知 覚したりす る一人 間という関与者 が存在す る」。15(2)material prooessとmental process

の相違は 、関与者の性 質の相違 にある。前者の関与者は人や 物であるが、後者の関与 者はそれより

も広くとらえられる。「物」だけでなく「穀 」、換計 れ ば、節 によつて表興 れ る強 をも関賭 とす

ることがで きる。16(3)material processは 、ハリデイ自身が,process of doing`と いうことからも明らか

なように、動詞doに よる代用 が 可能なものである。しか し、 mental pxncessやrelational processは

そのような書き換 えが不 可能である。

上述のようにこれ ら3つ の主要な動詞型 に関して、バー トンはハリデイの理論 に依つているが 、そ の

下位 区分はベリーの分類 に依拠している。17簡単に説 明す ると、material processは 生物によつて遂

行されるaction processと 非生物 によるevent processに 区分され る。 action pmcessは さらにそ の行

為が故意的 う・そうでないかを基準 にして、Intention prooessとsupervention pmcessに 分けられ る。

mental processは 感覚や 思考をあらわすinternalised prooessと 発話行為をあらわすexternalised

processと に分類され 、前者は さらに知覚をあらわすperception prooess、反応をあらわすreaction

proce鈴 、思 考をあらわすcognition processに 分 けられ る。以上が他 動性の概 要である。

4,現 実と知覚

4.1.ク ライストと知 覚

これまでのクライスト研 究 におい て現実という場合 、それはクライストの個 性と彼をとりまく世 界とのコ

ンテクストで議論されることが多か った。現実 はそれ 自体独立したものとして個1生の対極 にあるものと

みなされ 、個 性を脅か す 、いわ ば 敵対したものと解釈されてきたのである。この解釈 にも正 当性 はむ

ろんある。しかし、クライストは婚約 者 ヴィル ヘルミーネに対して、次 のような書簡を送つたイ稼 であつ

あらゆる人 間の眼が 緑色の 眼鏡 であるとすれ ば 、それを通して見える対象は緑色で

ある、と判 断す るに違い ないだ ろう― そして 、眼が彼らに諸事物 をそのあるがまま

"Halliday(1994:114)

ts Halliday(1994:115)

17詳 しくはBerry(1975)を 参照

一7一

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に示 しているのか 、それとも、それ らの諸事物そ のもの ではなくて、眼に属す る何 か

をそれ らに付け加 えているのではな いか 、それ はまつたく決定しか ねるだろう。】8

この手紙のなかで 、クライストは現実 を問題 にしてい るように見える。しか し、ここで彼 の関心 を惹い

ているの は現実そのものではなく、む しろ現実の経 験とでもいえるもの ではないだ ろうか。ヴィル ヘ

ル ミーネの理解を容 易にす るため に用 いられたメタファー が、問題をか えって面倒 にしている描写で

はあるが。グレニーの指摘す るように、眼鏡 と共 に引合い に出され た緑 色が意味す るのは 、対象その

ものと知覚され た対象との―致 関係の崩 壊を示すものであろう。19しか し、より効果 的なメタファー は 眼

である、とグレニ ーはいう。つ まり、問題 は物事が人間 に対 してどのように現象す るか とい うことでは な

く、眼 が物事 にたい して何 をなす のかということなのである。換言す れ ば 、「眼とは径験の 対象 に向か

い ゆく心のメタファー 」⑳ということになる。現実をいかに経 験し、知覚す るか、という問題 はクライスト個

人 のみならず 、彼の作 品の登場人物 にも関係するものである。これを視覚 に限定 して考察したのが 、

グレニーであつた。この 現実をいか に知覚するかという問題はまさに他動 性とも密接 に関連 している。

ハ リデイは他動 性につ いて次のように述べている。

他 動 性とは話者が外 界の 、また彼 自身 の意 識のなかで生 じるプロセスを経験し、

それ を記号化したものである。21

機 能文法では 、外界であれ、自己の 内面であれ 、話者 が知覚 したもの は他動 性の選 択をとおして明

らか にされる。以下で はこの他 動 性のネットワー クがクライストのテクストにお いてどのようにあ らわれ

るかを見てみた い。

4.2.『 ロカル ノの女乞食』

『ロカル ノの女 乞食 』は登場人物 たちが 幽霊 によって翻 弄される様子 を描 いた一種 の怪 談で ある。

梗概 は以下のとお りである。風 光明媚の地ロカル ノに城を構 えていた侯 爵 が、ある 日帰宅 していつも

銃 器を置くことになつている部屋 に足 を踏み入れると、そこに一人の女乞 食が藁の上 に横たわ つてい

た。侯爵 はこれ を不快に思 い女 乞食に暖炉の後ろ に去 るように命 じたところ、この女乞食 はそこまで

たどり着きはしたが、杖を滑 らせ腰を打ち、喘ぎっ つ,自絶 える。そ の数 年後 、財 政難 に陥つた侯爵 は

'AAn Wilhelmine von Zenge,22, M舐z 1801.(訳 文中の傍点は原文ではイタリック)

19Gle㎜【y(1987=1―5)を参照

20Glenny(1987:3)

-8一

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自ら所有す る城を売ろうとす る。そこに買い手としてあらわれたフィレンツエの騎 士はくだん の部屋 に

宿 泊す るが 、幽霊の存 在を侯 爵に訴 え、そそくさと城 を後 にする。この 幽霊 の噂が 広がり城の 売却が

困難 になったので 、侯爵 はまず 一人 で、次 の夜 には夫 人と召使 の三人で、そ して三 日目の夜 になる

と夫婦 のみ が一匹の 犬を連 れて 、くだんの部屋 で幽霊現 象を確 認しようと試み る。この三 日目の夜 、

犬でさえも後ず さりするのを 目にした侯爵 はっ いに発 狂し、夫人が城を出るあいだ に、自らはその部

屋 に火 を放 ら、城 と運 命を共にす る。

ここでは侯 爵にしぼつて分 析を進 めてゆきたい。というのも、侯爵が幽霊に翻弄され命を落 とす 唯一

の作 中人 物であり、したがって 、彼 のため に選択された他 r生のネ ットワークが、この作 品にお ける

現実の知覚 のありようを特徴的 に示してい るか らである。

先 に見た他 動性の分 類に則して、関与 者としての侯 爵に関連す る動詞を 1」す ると、次のようになる。

すなわち、彼 を関与者とする動詞 は作 中において38例 あり、その 内訳はmaterial processが23例

(material-action-lntention,20;material-event,2;material-action-supervention,1),mental

pmcessが13例(mental―externalised,8;mental-intexnalised―perception,2;mental-

internalised-cognition,3)、relational processが2例 ということになる。この分類 の結果 はもしか す

るとノ」・説 の読者にとつて意外 に思われ るかもしれ ない。というのも、この作品では、物語の 出来事そ の

もので はなく、生起 する現 象に対 する登場 人物 の反応に読者の関心が向くはずだか ら、ひとり侯爵 に

限らずmental prooessを 示 す動詞 が作品世界を支配す るであろうことを期 待させるか らである。

動詞型 の分類を単 に量的 にみれ ば、侯爵 は不可解な幽霊の存在 を前にし、自らをとりまく環境 に対

して積極的 に働 きか け、お よそ発 狂などとは無 象な存 在であるかのように見える。しかし、問題はどの

タイプの 動詞 がどのような場面で、またどのように用いられ ているかである。たとえば、クライストは侯 爵

が女乞食 、幽霊と関わりあう決 定的な場面では巧 みにmental process型 の動詞を選択す る。そうす

ることで 、侯 爵が幽霊 に対して直接に行為 の作用を及ぼす ことができないように描くことができるの で

ある。侯 爵が最初 にたまたま女乞食 のい る部屋 に足を踏み入 れたときの描写は 次のようなもの であ

る。

Der Marchese, der, bei der R�kkehr von der Jag(L zu鮒g ill das Zi皿mer

trat, wo er seine B�hse abzusetzen pflegte, befahl der Frau unwillig, aus

dem Winkel, in welchem sie lag, aufzustehen, und sich hinter den Ofen zu

ver飾gen卸

21Halliday(1971:81)

盟ハインリヒ・フォン ・クライストの著作からの引用は、Hein】rich von H-eist:S舂tliche Werke und Briefe.

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Page 11: Title 文体論の理論と実践 : クライストの『ロカルノの女乞食 ... · 2010-12-25 · 論の第一人者H・G・ウィドウソン(且.(}Widdowson)の 言葉をかりていえば文体論とは「言語学的観

この 引用 で は 、「命 令 す るbefehlen」 とい うmental-externalised process型 の 動 詞 が 選 択 され て

い る。この 場 面 の後 、侯 爵 は 幽 霊 の 存 在 をフィレン ツェの 騎 士 より知 らされ ることに な り、そ の 存 在 を何

度 も確 認 しようとつ とめ る。そ して 、最 後 にそ れ を試 み るとき、す な わ ち 作 品 中 唯 一 の 直 接 話 法 が あ ら

わ れ るクライマ ックスを思 わ せ る箇 所 でも、この タイプ の 動 詞 が 侯 爵の 世 界 観 を支 配 して い る。彼 が 幽

霊 に最 も直 接 作 用を及 ぼ す ことので きる動 詞 型 、っ ま りmaterial-a(;tion-Intention型 の 動 詞 で 、幽

霊 を 目標 にす る構 文 を用 い ることは 最 後 まで な い 。侯 爵 が 最 初 に 女 乞 食 に命 令 を下 した とき、そ こに

あ らわ れ た 動詞 はmental―externalised process型 の 語 彙zは あつ た が 、彼 女 は 素 直 に彼 の 言 葉 に

従 った。しか し、この クライマックス に 至っ ては 、行 為 者 で あ る侯 爵 の 働 きか けが 報 われ ることは な い 。

Bei diesem Anblick st�zt die Marquise, mit str舫benden Haaren, aus dem

Z血mer;und w臧rend der Marquis, der den Degen ergriffen:wer da?r瞬,

und da ihm niemand antwortet,(...)

また 、侯 爵 が 幽霊 の 存 在 を知 覚 す る決 定 的 な 瞬糊 に 用 い られ るmental-infernal-perception型 の

動 詞 は 、い ず れ も聴 覚 に 関す るもの で あ り、幽 霊 の 不 気 味 な 印 象 を 読 者 に刻 み 込 む の に 効 果 的 で あ

る。…壌

Aber wie ersch�tert war er(der Marchese), als er in der Tat, mit dem

Schlage der Geisterstunde, das unbegreifliche Ger舫sch wahnurhm;(...)

Sie(der Marchese und die Marquise)ん δr観abe葛(,..)in der Tat, in der

n臘hsten Nacht, dasselbe unbegreifliche, gespensterartige Ger舫sch;(...)

これ まで 、女 乞食 、あ るい は 、幽 霊 を 前 に した侯 爵 が 用 い る語 彙 を 見 てきた 。ここで 中心 とな つ た

mental process型 の 動詞 一 とりわ けmental― 血ternal-peroeption型 の 動 詞 ― は 、 C・ケネ デ ィ

(C.Kennedy)に よるジョー ゼ フ・コンラッド(Joseph Conrad)の 小 説 『内通 者』(The Secret Agent)

の 分析 が 示 して いるように 、きわ め て 消極 的 な意 味 をもっ もの で あ る。この タイプ の 動 詞 が 表 現 す る

の は 、行 為者 の 支 配 が 及 ば な い 、また そ こで は 従 属 的 な 役 割 しか 果 た す ことの で きな い過 程 な の で

Hg. von Helmut Sembdner. M�chen 1993.に 依 った。23Davidts(1913:83)は 早 くもこの作品の もつ聴覚的 効果を強調 して いる

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ある。泌侯 爵が幽霊 に直面 したときのこのタイプ の動詞の選択が 、彼の現実 に対 する無力さを的確 に

表現している。

それ に対 して 、侯爵 の 現実 に対す る積 極 性を印象 づけるかのように思 われ るmaterial pxrocess

型の動詞 、とくにmaterial―a(畑on―Intention型 の動詞はどうであろうか。ここでまず注 目したいのは 、

このタイプの動詞が 目標 をとる場 合、それ が具体的な事物であることが多いという点である。

nachdem er die T� verriegelt,(...)

Bei diesem Anblick stiirzt die Marquise, mit str舫benden Haaren, aus dem

Zimmer;und w臧rend der Marquis, der d幽e騨 召π:

これ らの例 文に 見られ るような 「人 主語+動 詞 十 目的語」を備 えた他動詞 構文は 、一般 に因果 関

係 を示す 構 文であるといわ れる。%この因 果の 論理 はインド・ゲルマ ン語 族の言 語を母語とす る現代

人の思考の 中心を形成 す るものであろう。扉 に鍵 をかけれ ば 、扉 はしまるし、剣 に手を伸ばせ ばその

剣 を手 にす ることがで きる。は じめか ら行為の結果 は明からである。侯爵も実現 可能 なものを目標の位

置にす えるとき、この因果 の論理 に支配 され ているといえる。しかし、女乞食 が彼の前 に姿 をあらわし

てか らとい うもの 、この論理 は混乱 してしまったようだ。外界 に対 す る積極 性を示す かのように思わ れ

るこの動 詞は 、しば しば 目標として再帰代 名詞をとり、たとえそうでな くても副詞句 によつて動詞 に込

められ た行為者 の意 図が覆され ることになる。っ まり、侯爵の行為 は 自分 自身 に向けられるか 、意志

のないものとなり、周 囲の 世界に影響 を及ぼす ことはない。

und da er sich, mit scheuen und ungewissen Blicken, umsah,(...)

dergestalt, D beide, ohne sah bestimmt鋤erkl舐en, vielleicht j皿der

unwj皿k�lichen Absicht, au゚er sich se】bst noch etwas Drittes, Lebendiges, bei sich zu

haben, den Hund mit sich in das Z血mer nahmen.

侯爵 の 経験する合理 と不合理 のあいだの葛藤 は、す でに他動 注の選 択 によって示され ている。こ

以K6nnedy(1982:87)

ss Hallidayは ウィリアム ・ゴールディングの小説 『後継者たち』を扱った論文のなかで、他動詞節 「人主語+

動詞+目 的語」に象徴される近代人の因果の世界とそれを理解できずに自動詞構文を多用する未開のネアンダ

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の葛藤 に耐 えながら、彼 は最後 に今一度因果 の論理 にす がろうとす る。しかし、そ の侯 爵を行為者 と

するmaterial process型 の動詞をとる構文 で 目標 とな りえたのは 、皮 肉なことに彼を死 に追 いやる蝋

燭であった,

Der Marchese, von Entsetzen�erreizt, hα惚 幽8α ω'ηη泥π, und

dasselbe,�erall mit Holz get臟elt wie es war, an allen vier Ecken, m�e

seines Lebens, angesteckt.

「誰 が誰に何をするのか」という問いが動詞型と関与 者の選 択 に密 接に 関係して いると先に述べ た。

今 、敢えてこの図式を侯爵 に当てはめるとす れ ば 、「侯 爵は事物 に実現 可能なことをす る」が、「侯 爵

は幽霊 には何もすることができない」とい うことになり、最終的 に侯 爵 はこれ らの命題 のあいだ で困惑

す ることになつたといえよう。この可能 と不可能 、自己の感覚 のお よぶ領 域とそうでない領域とのあい

だを揺れ動き、つ いには因果が混 乱し、発 狂す るに至った侯爵 の 内面世界 は、クライストによる他 動

性 の選択 によって巧み に表現 され たのであった。

5.お わ りに

ドイツ語文体論 の理論と実践の乖離 を指摘し、それ を克服す るひ とつ の手段として英語文体 論の、

とくに機 能文法からのアブmチ の助けをかり、クライストのテクストを分析するというのが本 稿の 目的

であった。機 能文法の概 念的機能の、しかも他 動 性のみ を考察の 対 象としたという意味で、ここでのテ

クスト分析は 断片的なものとなつたといえるかもしれな い。しかし、ドイツ語 文体論の現状を改善す るあ

る種の方向 性は 示す ことができたと考える。

機能文法理 論の記述 が冗漫であるという批判 、英語のた めに提 案され た文 法理論をドイツ語のテ

クストに応用す るという試 みなど無謀だ、という声があるかもしれ ない。前者 に関しては 、ドイツ語圏で

機 能文法が論じられることがあまりないということを考慮 しての ことである。ドイツ語文体 論で言語の 機

能 的側面に 目を配ったものは少ない。長 らくドイツ語文体 論の手 引書とされてきた ヴォル フガ ング ・フ

ライシャー(Wolfgang Fleischer)と ゲオル ク・ミヒェル(Georg Michel)に よる『現代 の ドイツ語 文体

論 』(Stilistik der deutschen Gegenwa質sspra6he,1979)を 見ても、わずか 数ペー ジ、しかも出版

年 から見て無理 からぬことで はあるが、プラハ言 譜 学派 の理論 に触 れているだ けであり、齢その傾 向は

一ルタール人の世界観を比較し詳細に論じている。詳しくはHalliday(1971)を 参照、聡Fleおcher瓢chel(1979:23-27)ち なみに、 FleischerとMichelは その後共著者にG�ter Starkeを 加えて、

『現代のドイツ語文体論』(1993)を新たに出版したが そ こでは特に機能文体論を論じていな眺

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近着の ベ ル ンハル ト・ゾヴィンスキー(Bernhard Sowinsld)に よる入門書にお いてもそれ ほど変わ り

ない。27したがつて、機能 文法の記述 はドイツ語文体論 にとって意味があつたと考える。また、後者 の批

判 は生じてしかるべ きもの である。英文法 とドイツ語文法との比較検討 が不 可欠であることはいうまで

もない。ただ 、ハ リデイが機能 文法 の性 質 に関して、「言語v)機 能 理論は語や構 造ではなく、意味につ

いての理論 である」%と述 べてい ることに注意した い。彼 の言 葉が示す ように、この理 論は そもそも言

語 の意味的側面に重 きを置くものであつた。いかなる言 語であれ 、この意味なしには成立しな い。ドイ

ツ語もその例外で はない。したがつて、ドイツ認 こよる文学 作品を分 析する際にも、この文法 理論が 作

品の意味に 関してある程 度の文体的 指標を提示してくれ るので はないだろうか。

文体 論で援 用され る文法理 論は何も機 能文法だ けで はな い。さまざまな 文法理論、また 、ドイツ語

圏でこれ まで展開され てきた文 体理論をも考慮 し、文学 テクストのもつ 諸相 を明らか にしてゆくことが

今後の課題である。

即SDwhlski(1999)

甥Halhday(1971:62)

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Theorie und Praxis der Stilistik —Kleists „Das Bettelweib von Locarno" als Beispiel—

HIROKAWA Tomoki

Leo Spitzer, der Gründer der modernen Stilistik, erinnert sich in seinem

berühmten Essay „Linguistics and Literary History: Essays in

Stylistic" seiner Schuljahre. Er beschreibt die damalige wissenschaftliche

Situation, die von einer Diskrepanz zwischen der französischen Linguistik

und Literaturwissenschaft gekennzeichnet war. Sowohl Linguistik als auch

Literaturwissenschaft beziehen sich jedoch eigentlich auf eine und dieselbe

Sprache. Daher beschloß Spitzer, eine Brücke zwischen den beiden

Wissenschaften herzustellen und die Stilistik als eine Art Zentripetalkraft

der beiden zu fundieren. Hierbei muß bedacht werden, daß die Stilistik erst

auf den Plan treten kann, wenn ein literarischer Text mit linguistischen

Mitteln konkret analysiert worden ist.

Trotzdem fällt bei der Durchsicht der bekannten Sammelbände der

deutschen Stilistik ein Mangel an praktischer Analyse eines Textes auf. Diese

ungewöhnliche Situation wird augenfällig, wenn man die Lage der deutschen

Stilistik mit der der englischen vergleicht, die im Mittelpunkt der

gegenwärtigen Stilistik steht. Bemerkenswerterweise nehmen deutsche Forscher kaum von der englischen Stilistik Notiz. Zwar läßt sich mit einigem

Recht sagen, daß die englische Stilistik sich entsprechend dem

internationalen Bedarf am Englischen, also im Kontext einer

,kulturimperialistischen Ideologie` entwickelt. Es steht jedoch außer Frage, daß diese Stilistik, vor allem die erzieherische, großen Erfolg hat. Deshalb

sollte sie einen stärkeren Einfluß auf die deutsche Stilistik ausüben.

In der englischen Stilistik spielt die von M.A.K. Halliday entwickelte

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funktionale Grammatik eine große Rolle, vor allem die Transitivität, die in

der ideationalen Funktion seiner Grammatik von zentraler Bedeutung ist.

Die Transitivität wird in drei Prozesse eingeteilt: ,material process' (ein

Ausdruck der Tat), ,mental process' (ein Ausdruck der Empfindung),

,relational process` (ein Ausdruck der Beziehung). Mit Hilfe der Transitivität

kann man verstehen, wie eine Person ihre Welt begreift. Diese Fragestellung

liegt auch der Interpretation von Kleists Werken zugrunde.

Wenn man im Rahmen der Transitivität „Das Bettelweib von Locarno", vor

allem die Sprache des Marchese analysiert, findet man ,material process' (23),

,mental process' (13) und ,relational process` (2). Die zahlenmäßige

Überlegenheit des ,material process Verbs' mag unerwartet erscheinen. Denn

in der Erzählung steht die Reaktion der Personen auf das Bettelweib im

Mittelpunkt. Deshalb erwartet der Leser eher ,mental process Verb'. Doch es

ist die Frage, welches Verb Kleist in welcher Situation benutzt. Der Autor

wählt in der Szene, wo der Marchese dem Bettelweib gegenübersteht, immer

,mental process Verb'. Damit kann Kleist dessen Hilflosigkeit in der Welt und

die Unheimlichkeit des Bettelweibes geschickt schildern. Wenn er hingegen

,material process Verb' wählt, welches eine Aktivität eines Täters ausdrückt,

dann hat das Verb ein Ding als Objekt. Ein solcher transitiver Satz zeigt nach

Halliday die Abhängigkeit von Ursache und Wirkung. Zwar herrscht die

allgemeine Logik den Marchese. Aber seit er das Bettelweib kennengelernt

hat, gerät diese Logik in Verwirrung. Entsprechend häufen sich in seiner

Sprache Reflexivpronomen und Adverbialphrasen, die beide eine Wirkung auf

die Welt verneinen. Auch hierin zeigt sich seine Kraftlosigkeit.

Die Wahl des transitiven Netzes hat Kleist ermöglicht, sowohl eine logisch

begreifbare als auch eine irrationale Welt und darüber auch den in der Welt

Verwirrten treffsicher schildern zu können.

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