title 李義山の無題詩 中國文學報 (1957), 6: 63-80...

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Title 李義山の無題詩 Author(s) 鈴木, 虎雄 Citation 中國文學報 (1957), 6: 63-80 Issue Date 1957-04 URL https://doi.org/10.14989/176654 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Page 1: Title 李義山の無題詩 中國文學報 (1957), 6: 63-80 …...無題の詩を単に轡愛の情を述べしものと般定するとき、 やは不明なるも、其人とは幼より相知り、同じく遊戯せし少女・貴女・侶女の三者是たり。叉三者の中、共の執れなるその糟愛の針象となるものは何者、なるや。私見によれば、-63-他に

Title 李義山の無題詩

Author(s) 鈴木, 虎雄

Citation 中國文學報 (1957), 6: 63-80

Issue Date 1957-04

URL https://doi.org/10.14989/176654

Right

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Kyoto University

Page 2: Title 李義山の無題詩 中國文學報 (1957), 6: 63-80 …...無題の詩を単に轡愛の情を述べしものと般定するとき、 やは不明なるも、其人とは幼より相知り、同じく遊戯せし少女・貴女・侶女の三者是たり。叉三者の中、共の執れなるその糟愛の針象となるものは何者、なるや。私見によれば、-63-他に

李義山の無題詩

李義山の詩は難解といはれ、字何甚だ締麗たるも、その

異意は何虞に在るや判断に苦しむもの往往之あり。かの

「錦琵」の如き古来問題とせらる。張釆田は其の「玉諮生

年譜舎一色)に於て此詩を大中十二年の作とし、何悼義門の

設に賛同して之を「自ラ傷ム」作となせり。他の諸家は之

を「悼亡」即ち義山が其妻王氏王茂元の女の逝去を悼む作

となナ。同じく悼亡の作となす者も、詩句の解躍に於ては

雑多なり。此詩もし悼亡の作ならば一定の年時と事買とに

より、その作意もほぼ之を推定するを得ベし。予は此詩の

悼亡の作たるを援ふものなり。此詩のこと末尾に述ぶ。「無

題」の詩は之に異なり、脅しくみな艶一情締語の作友り、其

(注二)

意の那謹に在るやは最も推測に苦しむ。韓僅の「香簸集」

は本来艶情の作たり、而して之に劃し一一之を時事に附曾

季義山の無題詩(鈴木V

して調刺の作なりと鴛すものあり。義山の無題詩亦た宛も

之と同一の方法を以て一一時事を引きて之を菰刺佑せんと

するもの稀少ならず。今予の義山の無題詩に封ずるや、之

を時事に闘係あり、叉は菰刺の意ありとは全然看倣さざる

ものにして、詩中の字何を宇何のままに観んとするものな

り。而も此の客観的解躍亦甚だ容易ならず、義山の表現は

克に古人の謂はゆる「晦溢」を免るること能はず。

無題の詩を単に轡愛の情を述べしものと般定するとき、

その糟愛の針象となるものは何者、なるや。私見によれば、

少女・貴女・侶女の三者是たり。叉三者の中、共の執れなる

やは不明なるも、其人とは幼より相知り、同じく遊戯せし

- 63-

ことあり、文書を往復せしことあり、舎を約束せしことあ

り、中間別人に妨害せられしことも、而して其人は後には

他に嫁す。以下義山の詩によって之を観察ナベし。

本稿の

主旨は詩の意義を求むるに在るも、尋常の典故・字義、諸家の注

に明なるものには言及せず。

無題二玄陽城

白l道紫l回入ニ暮!震一

ケイグヲイ

自道繁回して暮霞に入る

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中関文旦宇報

第六加

ンえキセイグン

斑離噺断す七香車

春岡山部ザ何人と共に笑ふ

り一ウハ

桓l破陽l城十!高家柾破す陽城の十高家

此詩は侶家の女と別るるをいふ。第一何は別時の景、第

二伺は、男は馬に騎り、女は車に駕するをいふ、第三第四

は其人との別後を想像す、桓破の匂は即ち迷-一陽城一の意。

無題

近知名阿l侯

噺1断七|香車

春1風自共ニ何人一笑

近知る

名は阿侯

住庭小l江流

腰高田くして舞ふ IJ、に江勝た流へるず

位する虚に

腰細不ν勝ν舞

眉長唯是愁

眉長くして唯に是れ愁ふ

寅ム立ア作ν屋

何不ν作二重l槙一何ぞ

此詩は少女の美愛すべきをいふ。第一何の阿俣の出典は

古柴府の洛陽女児名其l愁及び十六生ν見字阿l侯に本づき、

見といふは男か女か不明なるも、李賀長土ロの続水詞・夜来

黄金

屋を作るにたへたり

重槙を作らざる

柴・春懐引等及び義山の用例に依れば、阿侯とは椙家め女

をさす。然れども「重韓深下」詩の其愁、

「月姉曾逢」詩

の傾城、共に良家の女をさすを見れば、必ずしも之を侶女

と断ずべからざるに似たり。詩意は分明なり。

無題二首起句昨夜星辰、及間選閤門、

昨l夜星1辰昨l夜風

重l槙西l畔桂l堂東

身無-一総1鳳繁l飛翼

心有-一軍l犀一!知遇

隔ν庄迭ν鈎春l酒暖

分ν曹射ν覆蟻l燈紅

瑳余諒ν鼓際一一官去一

事一馬蘭喜一類一一蹴1蓬一

聞l道闇l門苓l続l華

昔l年相墓抵一一天!涯一

笠知一l夜秦l槙客

心身重昨にに棲夜ははのの霊?綜7西星犀?鳳宇畔辰

昨夜の風

桂堂の東

壁飛の翼なく

一黙の遁ずるあ

コウ

庫を隔てて鈎を迭りて春酒暖

64 ーー

瑳2曹2に余完を鼓分tをち語、寝フくを際3射いにて官蝋Z去燈よす紅ベたしり

ナ 馬を蘭毒に走らす、断蓬に類

昔聞年く相な墓らみくシて闇工夫 F5;涯のに琴7抵7続;す華2

宣に知らんヤ一夜秦槙の客

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山析か看る央王苑内の花を

倫看呉l王苑1内花

並に貴女に封する愛をいふ。第一首の一二一句は時と場

車とをいひ、二・三は心境、四・五は遊戯、七・八は官務

に由りて去らざるを得ざるをいふ。その何の官に在りし時

(注一二)

なるおーは不明、朱注は蘭憂の語によりて義山秘書省校書郎

たりし時の作となす。

第二首の一・二匂は曾て仙女を想望せしをいふ。秦棋客

は自己をいひ、英苑花は貴女をさす。央苑花に西施、即ち

古代の美女、阜、なる美女と見らるべきも、他詩より推察し

て貴女をさすかとおもはる。藩指酬の女も亦たかく一一一口ひうベ

さも、禁苑の女、公主の類をさずに非るか。

無題四首起旬、来日氾空一吉田、嫌嫌東風、合情春腕晩、何庭

哀等、

来是空l一↓一日中古絶

ν腺

絶来つ る

とは是れr=-丘三

下1

去りてロヒシあjt,r;と

月斜棲l

上五l更鐘

月は剰なり槙上五更の鐘に

夢震一一還l別一時難ν喚

夢に遠別を話す暗きて喚び難く

書は成るを催さる墨未だ濃がな

書被ニ催成一塁米v濃

李義山の無題詩(鈴木)

斌l域東l風細l雨来都郎たる東風に細雨来る

芙l蓉措l外有一一軽l百一芙蓉塘外軽雷あり

金謄鎖を菌みて焼香入り

宝虎赫を牽き井を汲みて回る

買氏簾を窺ふ韓抹の少さに

罫妃枕を留む貌王の才あるに

春心花と共に蕊くを争ふこと劃

撒1照牟龍金藷l翠

関l票微度繍芙l蓉

劉!郎己恨蓬l山遠

更隔蓬l山一l高重

金!謄謡ν梢眠障l香入

玉l虎牽レ赫汲v井回

買l氏窺レ簾韓l抹少

B

l妃仰向v枕説l王才

春l心英-一共v花争予都民

一l寸相l思一i寸友

爵手噛3ら票2照主ざ徴1メlJるし 』ぷ十こく龍こ

度~'Ij

&毒:--hl- 守ヲさん七六f〆 1 キ

挙3をlこ

劉郎己に恨む蓬山の遠さを

更に隔つ蓬山一一荷主

- 65-

れ一寸の相忠、

一寸友なり

暫ム合同三子 レ

白雲蛍腕

結晶見

者T干含

みて春腕ご晩7

ヲンカン

漸く見る夜、開干たるを

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中園丈皐報

第六品川

棲響将v登怯

簾供欲ν過難

闘員多去 1鬼差横鏡銀

最中ム官鷺燕

営作贋

華1星進一一賓1鞍一

何鹿哀l等随一一念l管-

樫l花永1巷垂!楊岸

東ム金品l女嬢不v告

白!日営ν天=プI

月半

深l陽l公主年十1四

清l明暖1後同ν晴看

開ム品川展1縛到一一五l更

梁l問燕l子間一-長1

嘆 簾棲供3響しきて温主登ららん んとと欲しナてる怯3難 l亡し

多く蓋づ銀上の燕に

異に憤づ鏡中の鷲に

あかつき

闘り去る横塘の麗

華星、賓鞍を選る

課3白東棲何陽3日家花の公天のの昆主に岩永か

営女巷哀る 、 等

三嫁垂月告ぅ楊念のれの管卒去ず岸にば随

年十四

浩明暖後に踏を同じくして看

る梁鶴間 来の展3燕 轄 ご子 し

て五更に到プ。3

ム並に貴女に闘す、市して第四首は其の年少なるものをい

長嘆を聞く

第一首は女と密舎を約して女来らざるをいふ。

一はその

事、二は其の時、三・四は自己、而してその情、凹は女に

合期を約せし書の、墨色の濃からざりしにうたがされしを

いふ、如何に念促なりしゃを見る。五・六は女居を想像す、

金菊翠は女室の昇叉は障の飾、繍芙蓉は、社南の匂に日仲間

金孔雀、縛隠繍芙蓉、とあり、七・八は自己の女と遠く隔

たるをいふ、劉郎とは自己を比す。

第二首は相思の克に室撃なるをいふ。

をのベ、その夏簡に属するをいふ。三・四、コ一は何の構造

一・二の句は時景

- 66ー

上腔昧の貼あり、そは入字問字の排じがたきこと日記なり、

諸家は入・回の主語を、省略されたる「人」字なりとたす、

之を人なりとせば、女の侍牌をさすものたらん、持抑の解

をとれば、(侍稗)偉い芥入(侍抑)汲い井問と訓ずベ

し。しかし三・四の二何は

金l

塘副首い鎌焼l禾H

キ一ア

7

ミテヲメグル

ヱム1虎率い綜汲い井回

とも訓刊せらるべし。焼香入の入の主語は、焼香なるも、間

接には入るとは人が入るる去り。回を(めぐる)と訓ずる

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ときは回の主語は明に玉虎なり。義山営時の呑胞の制詳な

らざるも、

「海録組事」によれば、金謄は鎮の飾にして、

玉虎は職輪なりといへり。之によれば香櫨に鎖を口にくは

へたる金携がさがり居るなり、而してその香儲の本轄に焼

禾H

が入れられをるなり。更に叉想像すれば、香櫨其物が金

携にして、それが上蓋と下悼とに分れ、鎮はその上査と下

悼とをつなぐ用に充つ一るものにて長く、その部分が蓋と睦

とにはさまれをるものなるやも知れざるたり。朱本各上促

漏の睡鴨一符媛換タ窯の句参照。呑焔若し陸・Nを障とせば、それ

に鎖をくはへたる金膿がかけられをるなり。宝虎の何は、

井の架上に聴櫨あり、それに支虎の飾りがつけられ、その

暢瞳がつるベの赫細をひき、井水を汲みつつ回轄するをい

ふ。五・六の何の貰氏

-B妃は女をさし、韓探・説王は自

己をさす。而して此の二勾は女の情を想像してのべしもの

にして、事買をいふにあらず。七・八の何は自ら訴すの辞

たり、其の意にいふ、

「春集旺、なれば花護く、我が春心は

愈んベ旺、なれば愈々相就く能はず、燃えずして死灰となる」

(故にいたづらに相思ふこと、なかれ)と。

本十義山の無題詩(鈴木)

第三首は、夜、女を訪はんと欲して勇気なく、速く其の

居を望み、障近く空しく踊るをいふ。第二何、

暫字は宜しく漸に作るべし、諸本皆誤る。一・二何は春夜

女室に近づき待ちて夜深に至るをいふ。三・四は女の居室

「暫見」の

に入るの勇なさをいふ。槙は前引の「輩横西畔」とある棲

なるべし。五・六は女姿に封ずる差しさをいふ。七・八は

O

「横塘晩」の院は醍字の誤な

暁に近く空しく蹄るをいふ。

るべし、二字は古書互に誤るもの多し。華星は啓明の類、

賓鞍は自己騎る所の馬。

- 67ー

第四首は、字の如く護むときは明に禁苑内の女子に封す

る作なり。

一・二何は春景をいふ。三の老女は陪客として

用ゐしもの、春三月卒に至るも情嫁し得ざる女あるをいふ。

五の深陽公主年十四とは郎ち主にして我が意中の人、七・

八は賠遅同じく春景を見、開来眠らず天明に至り、我が長

嘆を聞くもの梁間の燕子あるのみなるをいふ。

無題起句

照梁

シ主11

出手照Z者7j'(~梁i 情

奮t初名めをよ知 りら 情るあ

照梁初有レ情

出水書知ド名

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中園文盟午報

第六加

叙3開ご茸3叔サ

語英三界 蓉軒2小しに

叙l茸藷l翠軽

錦長書鄭l重

錦長くして昔、鄭主

眉細恨分l明

同制くして恨、分明

莫ν近↓一弾l碁局一

弾恭の局に近づくこと英れ

JC;、最有三

41

最も不ならず

中JC;¥

此詩は女より書を受けしをいふ。

一・二勾は女の美をい

ふ。同付につき朱注其他は何遜の詩句を奉ぐるも、

一は宋

支の榊女賦の其始来也、耀l乎若一一白!日初出照一一屋l梁一を、

二は官舶の洛神賦の灼若一一一芙l葉出二探l波一を引くべし。コ一・

四の何は女の袋の美をいふ、椅叔は婦人の蔽時(前零れ)、

主へ蓉は其の繍飾、銀茸は叙子の飾りの毛の垂れたるもの、

議却やは窮翠の烏の毛をいふ。五・六は女よりの舎と共の表

情。七・八は之に封ずる自己の心情。開は濁り中心不干の

雪喰たるに止まらず、来書の意恐らく開裁のことによせて

誘ひ来りしものなるべし。

蝶三首第一起句初来小苑中、第一一長屑翠了、第三喜陽公主、

初来ニ小l苑中

初めて小苑の中に掠り

稿興一一潰l闇一通

遠恐芳l塵断

軽憂艶雪融

只知防二時l露一

不ν畳逆一一尖l風一

回ν首壁l飛燕

一来ν時入一一締!権一

長1附議了楠簾開

割引玉行牧白l

王室

舟問翠銀叙l上鳳

不v知香l頚魚ν誰回

害時

l陽公l主嫁l時粧

入学宮眉捧一一額l寅一

見ν我伴ltE頻照ド影

時首i、魔i只た軽7i主:柏?にをべらだははくや乗回?ず知愛恐噴サじら るふる闇キてせ尖;;[1告3艶ウ7 と絹キば j武3露ロ雪 /1if通機3壁 l亡をの ω ずに飛世:防醐t断に入のふぐけえる 215 ををんん

ここととをを

知需碧長らめ玉眉ずに行?重香3問点さ頚?ふ牧了

翠2むりtiitに叙サ白てが叙:=!ミ楠た上の簾めの蚕間に gJ¥ 'J::くiJ、 tこ11司?り

- 68ー

すぞと

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不ν知身属一一冶1遊郎

知らず身は冶遊郎に属するを

此の三首は、第一首は蝶なるも、第二・第三は蝶と闘係

なし。無題詩に入るべきものなり。第一は蝶といふも、貫

は暗に自己を比す。三首共に蓋し貴族の女に封していふも

のなるべし。

第一首、此詩は蝶、潰聞に入らんとして逆風に妨げられ

意を得ず、静一燕の結構に入るを羨むをいふ。寄託の意推し

て知るべし。

第二首、此詩は貴人の女、盛粧成りしのち、さて其人の

意中は果して何人に在りての矯めに頭を回らす々、と疑ふ

意を紋す(女の意、我に向て注がれんことを願ふなり)。碧玉は

侍稗をさす。白玉喜は即ち玉鏡壷の義。

第三首、此詩は粧成りし女が意を我に向て属するをいふ。

公主といひ、宮眉といふだけにては、女が貴人の女たるを

定むるに足らず。何となればその粧は千人にても之を皐び

うべければなり。ただ末何の冶遊郎は自己をさすものにし

「我が身の冶遊郎たるを知らずして、我を見て伴差し

意を属するこそ意地らしけれ」といへるところより、此女

季義山の無題詩(鈴木)

の貴家の女ならんことを推察するなり。

義山の相手の貴女は何人たるか知る由なきも前に引きた

る宣知一l夜秦l棲客、愉看呉l王苑内花、といふ何あり。

「破鏡」と題する作あり、日く、主1匝清l光不一一復持↓

散l鼠月l輪腐、秦l蓋一照山1穿佐、便是孤l驚罷レ舞

時、と。一・二匂は破鏡をいふ。三・四は女復た鏡前に舞

叉、ふを得ざるをいふ。山難・孤驚は女を比す。秦憂は秦模そ

のもの或は槙中の鏡毒の意ならん。山難の故事は「異苑」

に、孤鷲の故事は花泰の鴛鳥詩序に見ゆ。本事に於ける孤

驚は雄なれども、詩にて之を雌として用ゐたりと見る。義

- 69ー

山の貴女に於けるお¥中問者の妨害により断絶せしめられ

たるなり。無

題二首第一首起句八歳俄照鏡、第二百幽人不倦賞、

ひそか

八歳倫に鏡を照らす

八l歳倫照v鏡

長1眉己能差

長眉己に能く聾く

十l歳去踏ν青

芙ー蓉作ニ荷l校一

芙古=〆'"司ー

を弾f桔と去祭2叙サてをと青皐なをぷす踏

十歳

十二聞デ一弾l祭-

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中図文事報

銀l甲不一一曾卸-

十四蔵ニ六1親

懸知猶未ν嫁

十五泣-一春1風

背ν面轍1礎下

幽1人不ν倦ド貰

秋l暑貴一詣l謹一

竹碧轄帳l室

池清治寂l審

露1花終裏l漁

風1蝶強矯l鏡

此地如携ν乎

粂ν君不一一白柳一

第六茄銀f

甲す

六;曾主親三てに卸2戴1さすず

懸2十にか四

失1日る猶未だ嫁せざるを

面十を五背Zく春

風邪;主に謹?泣のく下E

竹秋幽碧暑人ににはし招ま賞て逝3に轄Zせ倦↑長たらま

藍るずナる

を貴ぶ

君此Z風露池を地チ蝶花清粂如 も くねし強し終して手いにて自主をて蓑;~Y‘携矯Z操5も明主へ霞5ナ寂せばた 塞ぎりらんぞ

第一首、女心八歳より十五歳に至る矯小可憐の献を銭ナ。

詩意は明白なり。第七何の六親には二解あり、一は「周躍」

地官大司徒の注、

第二首、は秋暑の時、女より招かれしことを紋す。末尾

一は「漠書」瞳柴志の如淳注是なり。

の七・八は女と共に手を携ふるを得ば、一用者共は無柳なら

無題起句紫府仙人

ざるべきをいふ、不自明とは宣不自柳の意。

紫1府仙l人観-一賓l燈-

雲1襲未ν飲結成ν氷

如1何雪l月交v光夜

更在ニ瑞l藍十!こ厨一

雲3紫シ襲ぷ府フ未ウの

だ 仙飲人まざ 賓2る燈ょにと結盟Zびナて71<-

更如):とにイJ'fjんな瑞Zぞる憂f零十月二光屠をに交5在ふるるぞ夜

此詩は女の猫一人にて天上にあり、寂塞なるべきをいふ。

第一匂の「続賓燈」は意晦なるも、女の併の如くなるをい

一一 70 一一

へるものならん。

無題起句相見時難

相見時難別亦難

東l風無ドカ百l花残

春輩到ν苑赫方蓋

蝋l短成ν友涙始乾

暁l鏡但愁芸!量改

夜l吟際ν先月l光寒

夜鹿蝋ヲ春吉東 相吟鏡 短Z富士風見臆3但た友死カるにだとにた時畳Z愁た到く難ゆふりて百くべ雲fて綿花 別し重量5涙方残1る月の始にする光改め童 亦のまてく 難寒る乾 しきをくを

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ι何段l勤震探看

蓬山此を去る多路なし

青烏段勤霜めに探り看よ

此詩は女の消息を待つをいふ。三・四は自己をいひ、五・

蓬l山此表無ニ多l路一

六は女をいふ。七・八は即ち仙山に住ずる女より青烏の使

をつかはさんことを望むなり。貴女なるべし。

タ来時、

碧城三首第一首起旬、碧揖十一一、第二樹影聞盤、第三七

碧i城十l

一ア曲闘l干

犀畔二塵l挨一玉砕ν寒

聞l苑有ν書多附ν鶴

女l休無一一樹不為「驚

星沈一一海l底一営ν箇見

雨過ご河l源一隔ν座看

若是麗l珠明又定

一l生長封水品l盤

李義山の無題詩(鈴木〉

女聞3犀碧林苑Zは城

、塵十

樹書挨二とあを曲しり酵さのて多け闘3驚3く王子3告さ鶴は棲を寒ま附をしず砕きめく

ざるはなし

星、海底に沈みて簡に営て見

雨、河源を過ぎて座を隔てて

看る

若し目見れ暁珠、明叉た定まら

f"f 一生長く針せむ水品盤に

封ν影聞ν聾己可ν憐

玉l池荷1葉正田1閏

不ν逢-議l史一休v回ν首

莫ν見-一洪l犀叉拍u肩

紫1鳳放ν矯街一一楚l侃

赤l鱗狂l舞濃-一湘l紘一

部l君慌1撃舟l中夜

繍l被焚ν呑濁白眠

七lタ来l時先有ν期

洞l房簾1箔至v今垂

王l輪顧l兎初生ν暁

鎖!網珊l瑚未ν有ν枝

検討山県紳l方一敬レ駐レ景

影に封し聾を聞く巳に憐むべ

し策3玉史シ池にの逢荷は葉ず 正首すにをベ回

回宇田

Eコすを休ゃ

めよ

街?紫見み鳳る

、 な

矯5しを洪3

ほ 『三戸ガ

放kE? にま叉

し屑てを楚ソ拍ぅ侃?つを を

一-71 -

繍郡7赤被君ご鱗香慢を藍狂焚ナ舞き舟して中てシ濁の湘Zり夜絃t自主 をらか 濃S眠する

神鶴3宝洞七主方市郎輪房タZをににの来検とはは簾と る興ョ珊顧コ箔ずとし瑚兎ト今きて未初に先 ま景 ?だめ至 ずを枝てる期駐主あ塊2もあめらを垂りしず生るめず

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中園文旦平報

第六品川

牧ゴ将鳳l紙一馬一一相l思

遣い武鳳ふ皇紙真正のをれ内7牧人停ごめ聞に持、組土分てて明相3知に思シら在をずり馬とす

武1皇内l体分l明在

英v道人1間組一不ド知

一一一首共に女を仙女として見たり。

第一首は女の持に他人に嫁せんとする直前に之を望見し

て自ら煩悶するをいふ。

一・二は女の局、三・四によれば、

女より消息ありしなり。五・六の星沈・雨過は望見の難さ

をいふ。七の暁珠明叉定の五宇に封しては、諸家文字を解

さてその意を解かず、私見にては、

「明朝に至らば女の闘

属決定せん」との意と需す。是に於てか第八伺の結あり。

第二首は、女の他人に蹄属せしをいふ。

一・二は女とそ

の地とをいふ。三・四の篇史・洪匡は自己を比す。五・六

は女の己嫁後の擬踏を想像す。七・八は郡君を以て自己を

比し、その無珊をいふ。

第三首は、甚だ解しがたし、臆設をのベん。

一は七夕に

牛女の如く舎すべき約あり。

a-、然るに女、房を閉ぢて来

らず。コ

J

・四、時己に十六日に至る。而して鎖網中未だ珊

瑚の枝を牧むる能はず。五・六、相思を罵し、一紳方を検す。

を知ら一ずとは一一一日はさじ。

七・八、此等(五-gハ)の事皆漢武内停の中にあり、女之

ゾグロク

Z

ウシヨワドウセイきζ

促l漏造鐘動l静

b

報l章重l墨杏一作字難ν分

wwbm川町蜘即配仰舶を牧め

眠時の香櫨タ票を換ふ

蹄り去て定めて知る蓮月に向

促漏起句促漏慈鐙

舞l驚鏡匝牧二残1黛一一

陸l鴨脊!怖換一一タl票

蹄安定知還向レ月

夢来何虚更需ド雲

南l塘漸暖蒲堪レ結

雨l雨鴛l鷲護ニ水1紋一

ふを

- 72ー

夢み来て何の鹿か更に雲とな

る南塘漸く暖に蒲結ぶにたへた

雨iりウ

雨2ウ

鴛ti寵E

水紋を護す

此詩、女と期曾して遇はず、鴛鷲を見て之を士一攻むをいふ。

第二何の酢は一本に争に作る、「字」に従ふ。ご一は待ち

て夜深に至り、女よりの返書屡点、なれども其の字判謹しが

たくして時刻を誤れるに非るぞを疑ふ。動静の動は鐘に、

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静は漏に、ついていふ。三・四は女の寝室を想像す。五・

六は上速の櫨皆、但、二匂中の蹄去定知は自己につきてい

ひ、震雲は女につきていふ。誠みに何中の動詞の主語を補

はば、(我)開去定知(女)還向v月、(我)夢来何虞(女)

更得ド雲、

なるべし。

七・八は自己の障去時の景物に接し、

その境を羨む。促漏二字は起句の首字を取りしに止まり、

賞質上「無題」の詩なり。

無題二首第一首起句鳳尾香田棚、第二首重陰深下、

うちは

py,

扇、月晩を裁して差、掩ひ難

鳳l尾香l羅薄幾l重

碧l文固l頂夜l深縫

扇裁一元l規一差難v掩

車走一一宮i聾一語未ド逼

車、宮聾を走らせて語、未だ

官是寂1塞一金憧墨

斑ご断た曾士通離2えてぜ只たて是ずだ 消 れ繋Z,目、寂ぐ究主要

く童二石手金T楊3摺;j表三の甘え輩つ岸ffELt く

だり

断無一一泊l息一石l摺紅

何斑

喜昨?只南繋任ゐ垂

好 楊

民岸統華美任作待

何の鹿よりか西南

本十義山の無題詩(鈴木)

主l韓深下長l愁堂

臥1後清1有細l細長

神l女生l搾原是夢

小l姑届l鹿本無ν郎

風1波不ν信菱l枝弱

月l露誰敬一一桂l葉杏一

直道相l思了無レ盆

未ν坊-一伺lM慌是清l

狂一

並に貴女に封する思をのぷ。 カ

ウフウ

好風を待つ

月号風 !J'~ 神三臥手宣言露ロ波姑コ女二後ゴ韓Z誰立 のの 深か信:居生7清7く桂7ぜ虞涯7有吉下三葉ごす すを菱;本E原E細し枝ご良~;是細莫すてかのなれ長主愁長香左 弱主し夢しのかしき 堂らをし

未直士めだ道いん妨;ふげた相tず思t間工ふ恨宇も是ウ了

れに清7主主主狂手たなウし

ると

- 73ー

第一首のてより四まては女の側をいひ、五より八までは

我が方をいふ。

一・二は女が衣を裁縫するをいふ、三・四

は女の扇・車に封ずる我が意中をいふ。扇に封して差ぢ、

事撃を聞きては言語の逼ぜざるを恨む。五は骨て春夜女を

待ちて燈火蓋くるに至りしをいふ。六は(然るに)女より

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中園文皐報

第六茄

消息、山尽くして石摺花の紅、なるに至りしをいふ。予は諸家の

注、石植を石摺柑と見るには従はず。七・八は専ら我につ

いていふ、馬を垂楊の岸につなぎ、好風西南に向て吹かん

ことを願ふ。西南の風といふは女の居が作者の位置東北に

在りしためならん。八の何の「任好風」は任のままにて遁

「統範」に待に作るといへば「待」字簡明たり、

じうるも、

待に綻ふ。

第二首は、詩中必しも其の貴女たるの詮なし、然れども

恐らく此時は女己に他に嫁すること決し、再舎の期、なから

んと治もひし時に作りしものならんと考ふるが故に之を同

じ相思の貴女とみるなり。詩中の莫愁・神女・小姑は同

人たり、

一より凹まて濁身臥房の女をいふ。五・六は問題

なるが、蓋し五は女A7は十分成長せしをいひ、六は月中の

桂葉、我が露を用て君したしとの意を寓せしものならん。

七・八、探れども其人、他に嫁すること己に決したれば相

思ふも袋、なし、間区出荷狂の身となるも妨げなし、

(買は大

に妨げあるも失望の極の逆説なり)といふたり。

房中曲起句蕎夜泣幽素

菩I額泣一一幽l素一

翠l帯花l銭小

矯l郎擬若ド雲

抱v日西1簾暁」

枕是龍1宮石

割引得秋i波色

支1賃失一一柔1膚一

但見蒙l

羅碧」

憶得前l年春

未v語含-一悲l辛一

師来己不ν見

錦1琵長ニ於人こ

今l日澗l底松

明l日山1頭集

愁到天1池翻

相看ヂ涌識一

9'

玉Z割さ枕日嬬翠箪ご さはを郎帯

得是抱蝶子柔3たれき、花5幽4膚フり龍;て雲錨ち素ソ

蒙ま を秋官Z西?の小に羅ヲ失波 の 簾 と 若 お こ 泣のすの石暁ぁしりく碧色くなを」

るをLー

菩主積E

但だ見る

一-74-

憶ひ得たり前年の春

未だ語らずして悲辛を含む

相愁明今錦開看到日日露りるわしは はは来もば UI 澗人れ相3天頭底よば識し池ひののり巴b 番荷主粟2松 もたにず るヘ 長t見」 か か え

りずさL_

此詩は曾て幽合せし女あり、其人A7は他に嫁す、その往

時を憶ひて賦したるものたり。

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一・二は女の衣服にづきていふ、菩穣・花鐘は蓋し衣替

の紋様なり、幽素は白露。二・三は舎して天明に至りしを

いふ、矯郎は自己をさす。五より八まては枕鐘を見て往時

を憶ふ、日く、龍宮の石の枕は曾て女の秋波の色を割取す、

宝箪亦曾て柔膚を横へしに、

A7之を失し、ただ箪を蒙被せ

る羅帳の碧なるを見る。九より十こまでは更に績きて往時

を憶ふ、日く、往年の春には面を見しばかり未だ語を交へ

ずして悲しみ〆、錦翠の長さよりも脊たけ低くかりしに、今

や我蹄り来れば彼女は己に見えず(彼女は他に嫁せり)蹄

衆の二句は倒装。十三より十六は現在の心境、日く、我は

今日澗底の松の如く節操を守るも、明日は山頭の融市(資帰京

の汁は苦し)の如く苦心を抱く、愁到れば胸中の波澗は天

池の翻るが如し、何となれば、彼女は今ては相看るも見て

知らぬが如く、なれば友り。

注家或は此詩を以て悼亡の詩となす。之に依らば相看不

相識の匂を如何に解ぜんとするか、

「相看」とは品川看るを

得る人に劃する酔なり、以て悼亡の作となすべからず。

無題起句蔦呈風波一葉舟

李義山の無題詩(鈴木)

言へり。

此の詩は萄中の事を言ひ、艶詩に非ること前人己に之を

十二峰前落l照樹

高l唐宮暗坐迷レ開

楚宮二首第一首起句十二峰前、第二首月姉曾逢、

ヲグセウピ

十二峰の前落照徴たり

そぞろ

高唐宮暗くして坐に闘るに迷ふ

長へに相接ナ

朝l雲暮l雨長相接

猶自君l王恨-一見稀一

月l姉曾逢下一一彩1

輝一

傾1城治l息隔-一重l簾

己間二一慨1響一知ご腰細

更地叶二位l聾一畳一一指識一

暮l雨自蹄山情l情

秋l河不ν動夜厭l厭

朝雲

暮雨

狛自ら君王

見るの稀なるを恨

む月姉曾て逢ふ

影携を下りし

-75ー

己傾?にに城?侃マの響字、治まをウ息Z聞チき重3て簾t

を隔つ

腰の細き

暮を更を雨 畳 言 に 知

自5ゆ整;り.> 自主主イ

ら を闘 耕三

夜iりじ、てて

康三厭ご山

.[_,j去セl円 ウ

伯苦 ほそ

指の織き

秋河動かず

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中園丈盟中報

第六品川

王l昌且在一一暗l東一位

未主だ昌必且かし つν

も 鮪-Z金 東 よ堂にに 在嫌とりをて菟2性るかず

未ご必金l堂得た免レ嫌

を得ず

第一首は詩意、題とかなふ。第二首は「無題」詩に開局す

べきものたり。第二首の題を漏浩本には「水上聞話奮事」

となす。かかる秘事を何人と閲話せんとするか、高木の題

は疑ふベし、ぞはり無題詩に入るべきものと信ず。

第二首は、貴女にして、之と屡k

相見し営時の作、なるべ

し。而し其人は昨夜星辰昨夜風の詩に於て選鈎・射寝の遊

戯を共にせし貴女と同一人なるべし。

第二首の一・二は曾て逢ひ、今簾を隔て消息なきをいふ

Q

三・四は女姿を想像ナ。五・六は相舎ずる能はずして夜深

に及ぶをいふ。七・八は王昌ともいふべき自己が情東に佐

してゐては、女との関係につき貴族の家の嫌疑を菟れ得ざ

るをいふ。」

一何の月姉とは月の置をさして女に比す、

躍は月その物をさす。二勾の傾城は女をさす、七の王昌は

自己を比す。

中元作起句務節瓢鋼、

粋節瓢l翻宮一作空ν園来

カウセツへウエウ

持節瓢翻

むな

園を空しくし

中l元朝拝一主l清一回

温f羊Z中嶋~ 1蓮で元経2ぇi士 あてに ZRE朝よ来虚Eくにジりし得上3

ベ情7しを金拝のし(首23て脱毛同士をる

羊1

樺須ν得金保l脆

温l晴終虚玉鏡l蓋

ヱムの鏡壷

曾省驚ド眠間一一雨過一

曾て省す眠を驚かして雨の過

ぐるを聞きしを

不ν知迷ド路需-一花開

育有Jが知雀城~ 1言たらは未めず如いだな路イ可。、協7る にに洲ぷを迷津島での ひ烏3遠しのさ は媒?に花に 抵 ? のせ開ずく

- 76ー

有1城未ν抵一一旗l洲建一

青l雀如引何鵡l烏媒一

此詩は中元に女と合すべくして、他人の妨害により合す

るを得ず、失望せしことをのぷ。

一・二は女が天に朝して

蹄回せしをいふ。中元(陰暦七月十五日)には仙人等皆天上

の上清宮の天帝に朝する例なり。作者は女を仙人とみなす、

一に空に作る、空宇に従ふ。緯はゑび

「官園来」の宮字、

茶色、節は旗じるしの如きもの、仙女の行列にたらぷるも

のなり、室園来とは下回介の園をからにして天上に来るをい

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ふ、かくて上清宮を朝拝してかへるなり。三-四の羊樫・

温情は自己を比す、女の金保脆(釧)を要するも得る能は

ず、宝鏡壷徒に存す。五・六、雨聾を聞きて眠を驚かされ、

桃源の花深さを以て路迷ひ源に蓮するを得ず。七・八、そ

の道遠きに非るに、妨害に白り目的に達する能はざるをい

ふ。有械は氏の名、二美女ありしといふ、相手の女の居虞

をいふ。詰洲は三一神山の一、海上にありといはるる仙境、

青雀は西王母の使をなす鳥、鵡烏はその羽毛に猛毒ある鳥、

雨伺の意に日く、

「女の居庭、議洲ほど遠からざるに、そ

とに達する能はざるは、媒人に鵡烏をたのみしが矯めな

「青雀(の媒)は鵡烏の媒に何如に」といふは、

「車内雀の媒を使ひしならばよかり

り」と。

腕曲に言ひしものにて、

しに、鵡烏の媒を用ゐしがあしかりし」との意、なり。

深宮起句金殿鈎香

金殿舘香鼓吹作呑鈴閉ニ絹l権一

金殿香錯して締様閉

王ム宣俸ν黙咽-一銅龍

狂3三長調3壷

賠f嘉ヲをづ陰:俸のへ薄3てき 銅を龍惜咽主ま ぶず

狂l調不ν惜嘉l陰薄

李義山の無題詩(鈴木)

清l露偏知桂1葉濃

偏に知る桂葉に濃な

清露

斑1竹嶺l謹無l限涙

景?斑ごる陽3竹7を宮工嶺3裏ウ謹

及す無時 P 限のの鐘涙

景1陽宮1裏及l時鐘

宣知得レ雨露レ雲庭

宣に知らんぞ雨となり雲とな

只有一一高l唐十二峰一

只たるだ虞高Za;:グn~v

の十

峰あるを

此詩は前に引ける「重牌深下」の作と類似の心境をのベ

しものならん。意中の貴女、他人の有となるを妬み且つ美

。。

むなり。第一勾の「舘香」は一に「香鈎」に作る、呑釦に

-77 -

従ふ。

一・二の何は女の居室に夜の深けゅくをいふ。一ニ・

四は「重韓深下」の詩の五・六句、風波不信菱枝弱、月露

誰教桂葉香、と封照して考ふるとき、狂相酬の句は男、之を

遇する粗暴ならんことを怯れ、己、之を遇せば思露濃に之

を害すべきをいふ。菱枝・桂葉といひ、葉陰・桂葉といふ

は、蓋し眼前見る所、又は時物の連想により之を使用せし

ものならむ。五・六は、かかる境なれば女、無限の涙をそ

そぎ暁時に及ぶべきをいふ。七・八は、則ち我方より彼等

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中園文闇宇報

の境地を妬士一択するをいふなり。

第六時刷

哀揮す起句延顎全同鶴

延ν頚全同ド鶴

柔l腸素怯ド猿

湘l波無l限涙

萄l暁有ニ飴l寛一

軽l幡長無ν道

哀1等不ν出ν門

何由間二香1佐一

翠l幕自責l昏

表7軽7萄1湘主柔Z頚?等3憾と塊Z波文腸主を

ウ延。

素Eぷる

猿 はよ全りく怯ご鶴なにり 同

じく

長E飴ョ限へし究ごりにあた道りきなのく涙

翠2何幕手に

さ由自2り門らか て を

寅か出昏香3てな佐ごずり をさ

聞はむ

此詩は深閏の貴女を思ふことをいふ。前六句、女につき

ていふ。尾二何、余ねて自己をいふ。

一・こはいふ、彼女は我ハ作者)を待ち待ちて頚をさし

のべること鶴と同じく、腸柔にしてちぎれ易きこと猿より

も臆病なり。三-四、彼女の涙は湘水の波の如く限りなく、

ほととぎずに比して以上の寛恨をいだく。五・六、車惟を

飛ばして外出するには遣なく、哀れなる響曲をかなてつつ

門外に出づるζ

とたし。七・八、たそがれになりゆく室に

は翠幕が垂れられ今日も暮れゆく、我(作者)は彼女が就

震のために呑をくゆらすかなど問ひただす由もたい。

錦翠起句錦意無端、

最後に「錦悲」の詩につき私見をの

F

へん。

錦l翠無v端五l十絃朱注時間鴛十五絃、

一一紘一桂思ニ華l年一

荏l生暁l夢迷一一醐l蝶一

望l帝春l心託一一杜l鵠

槍l海月明珠有ド涙

藍1回目暖玉生ν煙

此情可ν待v成-一迫1憶一

只是首l時巴間l然

藍ご槍3墓古 IE3一回ご海7帝7生7粒日月のがー暖明春暁1住かか心夢ムににに

絃錦t琵主端f盤

く五十

杜ト醐コ華鵠七蝶3年に迷を託ひ思すふ

- 78ー

珠に涙有り

けんや

此の情、迫憶を成すを待つ可

玉、障を生ず

マウゼン

只だ是れ営時も巳に偶然たり

此詩に闘して予は注家諸賢と議論することを欲せず、又、

其の飴地を有せざるが故に単に私見をのぷ。私見によれば、

此詩は悼亡の作に非ずして追憶の作なり。哀響・民中曲、

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共他年少の貴女につきて詠したる諸篇と向性質にして、即

ち無題詩に入るべきものなり。詩題の錦震と、房中曲の錦

蚕長於人の勾と関係あらんとは注家も巳に言ふ所なり、た

だ注家は悼亡設の下に之をいふ、予は然らず、錦意長於人

の何は房中曲の僚に於て言へる如く、女が身のたけ宵錦翠

よりも短かかりしといふ瞳姿をいひしに止まるものとなす

友り。この「錦蚕」詩には華年とあれば、其女がそれより

も成長したる時にして、恐らく二十歳前後彼女の己嫁後を

温憶せるなり。詩中の五十絃につきて作者行年五十の時の

(注四)

迫憶となすものあり屈復、予は取らず。己嫁後若干年のこ

とにて十分なり。

義山の生卒年時は明かならず。朱鶴齢は西紀七九五叉は

七九六に生れ、八五九までを算し、其後は考ふべからずと

なす。享年六十四又は六十五なり。程夢星によれば、七九

九に生れ八六九まてを算し、其後考ふべからずとなす。享

年七十以上。鳴浩は八一三に生れ八五八に卒ナ、五十なら

ずして設すとなす。之によれば享年四十六。張釆同は八

こに生れ八五八の二月以後幾もあらず卒すとなす、享年四

季義山の無題詩(鈴木)

十七、なり。此の如く享年に七十以上、六十四五、四十七、

四十六、の四種あり、予は未だ義山の生卒につき仔細に之

を検せざるを以て其の執れが正しきゃを知らず。ただ義山

が鵠に弱冠に及びて令狐楚に謁して文を墜び、八一八大中

十二年八五八二月以後鄭州に還り幾もなく卒したりといふ

を基礎として考ふれば、彼の享年は六十歳前後なることは

窺ふベし。作者行年五十にして往時を追憶しうべきも、絃

敷と年齢とは韮し無関係ならん。若しその関係あるを欲せ

ば、朱設の十五絃に従ひ、女の年少時を蓮想するとなすに

- 79ー

如かざるべし。

さて詩意をの事へん。

一二一は意の一絃をかき鳴らさるる毎に女の華年時を憶

ふをいふ。無端の二宇は衣伺の思字に接ナ。三・四は自己

の心境をいふ。五・六は女の心情と容姿の美とをいふ。珠

有涙とは房中曲の未語含悲辛と同意ならん。七・八は今、

往時を追憶するを待たず、往時(女の華年の時)よりして

己に自己の心は賠然たりしをいふ、

「重韓探下」の七律の、

直道相思了無益、未坊間慌是清狂、と同一の心境、なるベし。

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中園丈盟中報

第六加

以上予は義山の無題詩、及び題は異なるも其の性質は無

題詩たるべき者について管見をの守へたり。たほ此には掲げ

ざる別題の詩についても無題詩として見るべきもの勘から

ず。義山詩を讃む者は予の無題詩観を一一設として役立てら

るるたらば室外の幸念hv。

O丙申九月十四日稿、かなづかひ原

文のママ、

〈註1)

張采回、玉鎗生年譜舎築、四巻、丁巳(民図六年)劉

氏求恕粛刊本。

(註2)

清・震鈎、呑絞集護徴一巻、附、鴇承旨年譜一巻、宣

統辛亥(三年)刊本。震氏自序に云ふ、『呑鮫集は有麿の離

騒九歌なり。後人の善く讃まざりしよりして、古人の命意隠

し。後人の古人を伶論する能はざるよりして、古人の綱常を

扶植するの詞、且つ艶じて罪を名教に得るの作となれり。

..

::・其の鮮を夷考するに、一として忠君愛図の枕、恨を無窮

に纏する者に非ざるは無し。

ji--然れども唐末より今に至

るまで、千歳に近し。昭肥えて一人の表して之を出だすもの無

く、徒らに欣々たる孤忠をして、天下に白はれず、世の閲す

る者、遼に疑雨集と量を等しくし観を斉しうせしむるは、異

とすべきかな。』また樟致申告(すなはち韓催)の序ののちに附

した震氏の識語に言ふ、『一巻の呑獄、全ベて奮君飲園の思

に属す。』あるひは『詩に六義あり、後代は賦多くして比興

少なし。呑欽集は則ち純乎として比輿なり。最も三百篇に近

き所以』等といふ。震氏のいふ比輿とは、すなはち寓意・寄

託の義であって、この警の全袋、その意を読き、附録の年諮

によって、これを補足してある。

〈註3)

清・朱鶴齢、李義山詩集一二巻、順治十六年序刊本。朱

鶴齢の築注は清初に成り、その後これに測補を加へた程夢星

の「重訂李義山集築注」と題する乾隆十一年の刊本があり、

また朱務館、何熔(何義門)、紀向(臆嵐)らの批黙を加え

た刊本(同治九年紛墨園刊本)がある。義山の詩の注解には、

なお挑位市議の築を附した「卒義山詩集」十六巻(乾際四年刊

本)鴻浩の撰した「李義山会集築注」(そのうち玉鎗生詩築

注三巻、乾隆四十五年刊本)などがあって、世に行なはれて

ゐる。森塊南博士の「李義山詩議義」(東京、大正三年〉は

主として漏浩の読に本づく講義の筆記である。

(註4)

清の屈復、「玉渓生詩意」八巻には、乾隆四年の自序

があり、「李義山詩築注」と題する石印本(民図六年、上海)

が行なはれてゐる。

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右鈴木博士はその参考せられた注解の類について詳しく記さ

れなかったので、今印刷にあたり、博士の許可をえ、版本等

について数僚の注を補記して讃者の参考に供する。小

川環樹記。