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Technology Development of Telecommunication in Japan -- Historical Lineage of Telephone Machines -- Electric Technology Development Timeline View of Japanese Industrial Technology

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  • Technology Development of Telecommunication in Japan

    -- Historical Lineage of Telephone Machines --

    Electric Technology Development

    Timeline View of Japanese Industrial Technology

  • Dawn of Japan’s Telecommunication

    Terashima was born to a samurai family in Satsuma n (Kagoshima prefecture). He studied rangaku and was appointed as a physician to Satsuma daimyō Shimazu Nariakira. In 1862, he was chosen as a member of the group of students selected by the Tokugawa Govt to study at the University College London in Great Britain. He also visited France, the Netherlands, Belgium, Russia and Portugal. He returned to Japan in 1863. As Governor of Kanagawa Prefecture, he was responsible for connecting Tokyo and Yokohama by telegraph in 1869. This is the first telegraph line in Japan. Japan’s telecommunication service started since that time. The day of the operation was later designated as “Telegraph Day”. Terashima is called as “ Father of Electric Telegraph” in Japan.

    Construction Scene of Telephone line

    Munenori Terashima: Father of Telegraph

    Terashima built the foundation of telecommunication services in Japan

    1873 1890 1899 1927

    Source: http://en.wikipedia.org/wiki/Terashima_Munenori

    1869

  • アメリカの肖像画家であったモールス(Samuel Finley Breese Morse、1791~1872)は、電磁石の実験からこれを電信機に利用することを考えつき、研究に取りかかりました。電気が流れる時だけ磁石となる電磁石の性質を利用し、電気の断続により文字の代わりをする符号を送受する方法を考案。この符号は最初、連続した波形で表わされていましたが、後に点と線で表わされるようになり、これがモールス符号と呼ばれるものとなったのです。1837年、最初に考案した電信機によって彼の勤務するニューヨーク大学で電信機の公開実験に成功しました。モールスが生きた18世紀から19世紀にかけては、イギリスで産業革命が起こり、蒸気機関車の発明から鉄道が発展し、鉄道とともに電信網も発達しました。そして、電信網の整備は「電気革命」へとつながっていきました。

    1854年、ペリー(Matthew Calbraith Perry、1794~1858)の2度目の来航の際、アメリカより徳川幕府に数々の品が贈呈されましたが、その中に電信機2台とその付属品がありました。これを贈呈するに先立ち、アメリカ人自ら組み立て・架線して、横浜駒形の応接所と洲干弁天境内の名主、中山吉左衛門宅との間で電信機の公開実演が行なわれました。当時の様子は「日本遠征日記」にも記されおり、幕府はペリーに対して力士によるパフォーマンスを行ったといいます。また、海外渡航を果たした留学生たちによっても電信の知識がもたらされ、志の高い幕末人が世界へ目を向けている時代でもありました。

    The First Telegraph of Morse (1837)

    Admiral Perry donated 2 telegraph machines to Edo Government , Japan

    (1854)

    (Admiral Perry) (Morse Telegraph Machine)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

    http://park.org/Japan/NTT/DM-/images/TP001200.gif

  • 明治2年(1869)12月25日、東京~横浜間で電信事業が開始されました。この時使用された電信機がブレゲ(Breguet)指字電信機と呼ばれるもので、文字の書かれた円盤の上の把手を動かして通信する方式のものでした。この電信機は、印字電信機のように符号を用いる必要がなく、円盤上の文字を指し示して通信を行なう方式で、初めて電信に従事するものにも容易に扱えるものでした。この時指揮したのが、英国人G.Mギルベルトでした。当時は、欧米の制度や技術を取り入れるために、彼のような多くのお雇い外国人が日本に招かれていました。

    Telegram Service started in Japan (1869)

    (Breguet type Telegraph Machine)

    わが国の海底ケーブルは、明治5年(1872)の関門海峡の電信線敷設、また市外電話線の敷設としては、明治33年(1900)、同じ関門海峡の8心入GP二重外装浅海線の布設が最初です。その後、昭和12年(1937)満州事変の頃、搬送用海底ケーブルが日満ルートの一部として朝鮮海峡に敷設されました。同軸海底ケーブルは、昭和40年(1965)に瀬戸内海の備讃海峡に初めて敷設されています。

    The First Under Sea Telegraph Cable in Japan

    (1872)

    (Setting Operation of Undersea Cable at Kanmon Strait, Seto naikai Sea)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • アレキサンダー・グラハム・ベル (Alexander Graham Bell 1847~1922) は、ボストン大学の音声生理学の教授でしたが、電信に興味を持ち、 1本の線で複数の通信を同時に行なえる多重電信の研究にたずさわっていました。彼は、以前から電気的に音声を伝送することにも関心をもっており、電磁石を使って音声を送る方法を考えていました。彼は研究を進め、翌1876年2月14日に特許を申請。この特許をさらに具体化した装置で会話をすることに成功したのは、同1876年3月10日のことでした。その第一声は「ワトソン君、こちらへ来てくれないか」というものでした。その当時、ベルの門下生だった日本人留学生が訪ね、日本語の通話を試みました。同年、ベルが発明した電話はフィラデルフィア万国博覧会にも出展され、大きな話題を呼びました。

    The First Telephone of A.G. Bell (1876)

    The First Telephone Machine produced in Japan

    (1878)

    輸入されたベルの電話機は、さっそく工部省で通話実験されました。一方、電信局製機所では、この電話機をもとに模造品を作り、明治11年(1878)6月、2台の電話機を完成させました。これが、わが国最初の国産電話機となったのです。西南戦争後、それまで年間40万通から50万通にすぎなかった電報通数は、90万通~150万通を突破するようになりました。そして、明治22年の大日本帝国憲法が発布されたときには、新聞社がその全文を東京から大阪へ打電して、その日のうちに号外を出しました。さらに「小学生作文五百題」にも登場、第2回勧業博覧会では炭素電話機が出品されるなど、電信・電話への関心はさらに高まっていきました。

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

    http://park.org/Japan/NTT/DM-/images/RF006700.gif

  • 明治11年(1878)3月25日、築地電信分局(前年の明治10年に官制改革が行われ、所管庁であった電信寮が電信局、現業局であった電信局は電信分局と改称された)を閉じ、木挽町に電信中央局を設置、同日開業式が挙行されました。これは同局の開業式であり、わが国の電信の開業式でもありました。早くから導入されたのは、囚人の護送や逃走者の緊急手配のために導入していた警察、そして日本の産業や国防を支える基幹産業であった炭坑や鉱山でした。

    Central Office of Telegraph Opened

    (1878)

    明治21年(1888)、東京~熱海間に電話線を架設して通話試験を行なったところ、良好な結果が得られました。これにより明治22年(1889)1月1日から1年間、東京~熱海間で一般公衆通話の取り扱いを試行することとなりました。これは電話創業に備えた遠距離通話の試験と世間の人々に対する電話知識の啓蒙のためでもありました。この試行を経て、翌23年(1890)4月、わが国電話事業に関する最初の法令「電話交換規則」が公布され、創業に向けて本格的に準備が始められました。まず東京と横浜で交換が開始されることとなり、東京は4月、横浜は6月に電話交換事務所が設置され、12月16日から交換業務が開始されました。新橋-横浜間に鉄道が開通してから18年後、日本の電話創業がはじまりました。この頃、浅草には1階と12階を電話でつないで通話体験ができる「陵雲閣」が建てられます。

    Telephone Service started in Japan

    (1888)

    (Telephone service between Tokyo and Atami 50 Km west) (Office building of Central Telephone Service )

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 明治23年(1890)、創業当時使用されたベルギー製の単線式単式交換機は、交換手の手操作により二つの電話機を接続する交換機のもっとも基本的な形でした。しかし、電話線は1本の鉄線を使用する単線式であったため、他の回線どうしの漏話や誘導妨害などがおこり、通話の質はきわめて悪いものでした。明治26年(1893)には交換機の国産化が始まり、明治30年代(1900頃)に入ってから複線式に改良されました。この磁石式単式交換機は、昭和54年(1979)に電話の全国完全自働化にいたるまで、農・山村などの小局用標準交換機としてひろく使用されました。

    First Telephone Switchboard operated in Japan

    (1890)

    (Single Line Switchboard made in Belgium)

    加入者が多くなると交換操作が不便となる単式交換機に変わって、各交換台に収容されている加入者の対応ジャックのほか、その局すべての加入者に対してジャックを複式に設け、どの台からも加入者に接続できるようにしたものが複式交換機です。これにより単式交換機のように他席の交換手に中継を依頼する必要がなく、能率的な交換操作が可能になりました。以来、明治、大正、昭和の三代にわたって使用されました。

    Double Line Telephone Switchboard adopted

    (1891)

    (Double Line Switchboard Operation Room)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

    http://park.org/Japan/NTT/DM-/images/TP009800.gif

  • イタリアのマルコーニ(Guglielmo Marconi 1874~1937) は、1895年(明治28年)にロシアのポポーフとは独立に無線電信装置を発明し、イギリスで特許を得ました。この無線発明により、1909年に起きた海難事故の時に救出船が30分以内に現場に到着、1700名もの乗客の救助に成功したといわれています。

    Marconi invented Wireless Telegraph Machine

    (1895)

    (Marcone and his invented Telegraph Machine)

    手の動作でモールス符号を送信し、音響器の送信音でモールス符号を聞き分けて通信文を記録する音響電信機は、印字通信方式に比べて装置や取り扱いが簡便なため、通信能力を大変向上させました。標準通信速度は、1分間に75字のかな文字を送受信。実用化されたのは明治31年(1898)からでした。

    Telegraph Service by Morse Code started in Japan

    (1895)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 明治30年(1897)12月、初めての卓上形電話機としてデルビル磁石式甲号・乙号の2種が登場しました。当時、電話機の発達にエポックを画したものといわれ、電話の実用価値を増すと同時に装飾品としても役立つようデザイン面にも細かい注意が払われています。この頃から電話需要は増え続け、鉄道馬車の車内に電話売買広告が出るほどでした。なお、1個毎の付加使用料年額6円が必要でした。

    First Desktop Telephone Machine appeared in Japan

    (1897)

    (Table type Magnetic Telephone Machine)

    明治33年(1900)10月、京橋の橋際にボックス形自働電話が登場し、公衆電話の街頭進出が始まりました。このとき使われた電話機は、アメリカで使われていた名称の「オートマチック・テレホン」を直訳して「自働電話」と名付けられました。当初の市内通話料は、1通話(5分間)15銭という高額でしたが、2年後の明治35年に5銭に値下げしたところ、一気に利用者が増え自動電話が広く浸透しました。

    Public Phone Service (Pay-phone) started in Japan

    (1900)

    (Box type Telephone Machine called “Automatic Telephone” at Kyobashi, Tokyo.

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 明治39年(1906)に日米間に直通海底電信線が開通したことは、デンマークの大北電信会社に依存しない対外通信回線が開かれたという意味で、画期的な出来事でした。日米海底線のケーブル長は、日本本土~父島間646海里、父島~グアム間約930海里でした。本土の川崎~父島間の敷設は、日米の正式協定調印を待たずに、明治38年(1905)5月に着手し翌年6月に完成。日米海底線による公衆通信の開始(26日)に先立ち、同年6月に天皇と日露戦争の講和を斡旋したルーズベルト大統領との間に祝電が交換されました。

    Direct Undersea Cable was first connected btw US and Japan

    (1906)

    (Commemoration of Completion of Undersea Cable of US & Japan

    鳥潟右一博士は、明治45年(1912)2月、29歳で世界最初の実用的な無線電話機「T.Y.K式無線電話機」を発明しました。T.Y.Kとは、発明者鳥潟右一、横山英太郎、北村政治郎3氏のイニシャルを取ったもの。「T.Y.K式無線電話機」は、まだ真空管が実用化されていなかった時代に、特殊の電極と直流を使用する火花式発信器と、鉱石受信機を組み合わせた無線電話装置を実用化したところに大きな意義がありました。

    First World Practical Wireless Telephone invented Japanese Engineers (“T.Y.K. W. Phone”)

    (1912)

    (Scene of connection of T.Y.K Wireless Telephone by engineers)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 大正9年(1920)電信の拡張計画の実施によって印刷電信機採用の機運が高まってきました。大正11年以降各種の方式について実験が試みられ、また和文印刷電信機の試作・研究・実験等も行なわれましたが、ついにアメリカ製の和文印刷電信機が完成し、昭和2年(1927)6月から東京・大阪間を始め主要回線が印刷化されるようになりました。国産の印刷電信機は、昭和12年に登場し、東京・大阪間の主要回線は国産機に置き替えられるようになりました。

    Printing Telegraph Machine of Japanese Word Developed

    (1923)

    (Japanese Language Printing Telegraph)

    関東大震災で壊滅的な打撃を受けた東京・横浜の電話の復興は、自働交換方式 (ステップバイステップ式) で行なうことがいち早く決定しました。この方針に基づき、大正14年(1925)2月から工事が行われ、大正15年(1926) 1月に、東京の京橋局がわが国の自動局の第1号として誕生しました。同年の3月には横浜本局と長者町分局が自動化されています。

    Automatic Telephone Switchboard Service Launched

    (1926)

    (Automatic Switchboard operating at Kyobashi Office, Tokyo)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 関東大震災以後の復旧を機会に、次々と手動交換方式から自動交換方式へと切り替わるようになりました。最初の自動式電話機は、A形・H形それぞれの交換機に付随したもので、その後の増加分は2号共電式電話機に1号ダイヤルを組み合わせたものでしたが、ダイヤルすると受話器に雑音が入る欠点がありました。昭和2年(1927)、これを改良した2号ダイヤルを取り付けたA形・H形共用の2号自動式電話機が採用されました。

    Automatic connecting Tabletop Telephone Developed

    (1927)

    (A & H Type Automatic Table Phone )

    電信回線を使用して電送する写真電報は、ドイツのコルン、フランスのベランなどにより発明され、1924年に実用化されました。わが国では丹羽保次郎が発明したNE式のものが最初です。専用線による写真電送は、昭和3年(1928)に京都で行われた昭和天皇のご大礼の模様を新聞社が電送したのが最初ですが、一般公衆用として映像や筆跡などの情報伝達に利用されました。

    Eclectic Picture Transmission by Telephone Line Service Started

    (1930)

    (Transmitted Eclectic Picture Telegraph by NE Method)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 満州事変、日中戦争、太平洋戦争を経て、昭和20年(1945)8月15日、ようやく終戦を迎えました。焦土と化した被災地には、組み立てバラック式ボックスが登場。いろいろな変形型電話ボックスが復興の街に登場しました。また、事務机を置いただけの特設電話所も設置されるなど、敗戦当時は資材も食料も不足し、誰もが生き残るために必死になった時代でした。

    Instant Assembling Telephone Box Appeared

    (1945)

    (Instant Telephone Box provided just after the War Damage, Tokyo Symbol of rehabilitation of Telecommunication)

    戦後、従来の3号電話機の性能をさらに上回る新形電話機の研究開発が進められ、昭和25年(1950)、性能、デザインともに世界の水準をしのぐ電話機として、4号電話機が誕生しました。“ハイ・ファイ電話機”といわれるほど感度が高く、そのためケーブルの細心化にも大きな効果をあげました。同年、東京・丸の内局など6局で商用試験が行われ、昭和27年(1952)から本格的な4号化が進められました。この頃、日本は朝鮮戦争による特需景気に沸き、産業経済全般が活気づき、東京の街はビルラッシュを迎え、そして戦後の電話復興とともに新たな電話需要が高まりました。

    New Model Telephone Type No.4 Developed with New Function

    (1950)

    (Style of Type No.4 Telephone)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 昭和27年8月1日、電気通信省は発展的に解消して日本電信電話公社が誕生しました。ここに日本の電信電話事業は創業以来63年の官業の殻を脱して、公共企業体による自主経営へと移行しました。この頃、電話交換手のなかにも女性の課長が登場、女性の社会進出がはじまりました。翌53年には、東京で局番の大変更が実施されました。

    NTT has Launched (1952)

    (Declaration of Establishment of NTT)

    昭和25年頃(1950)は、自動改式当初の2号自動式壁掛電話機が、旧形のまま20万台弱使われていました。しかし、この電話機は、伝送特性が悪く、また部品材料も旧形のままであったため、昭和28年(1953)7月、3号自動式電話機と同一の伝送特性および品質に改善し、23号自動式電話機として使われました。その後、昭和34年(1959)頃から順次淘汰されるようになりました

    Automatic Hanging Phone Type No.23 Developed

    (1953)

    (Hanging Phone Type No.23 )

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

    http://park.org/Japan/NTT/DM-/images/RF005900.gif

  • 昭和29年4月15日、東京~名古屋~大阪を結ぶ465.9キロのマイクロウエーブ回線が開通しました。マイクロウエーブ回線は、長距離電話の幹線として、またテレビ中継の幹線として重要な役割をになうものであり、市街通話サービスの躍進に大きく貢献しました。

    Long Distance Micro Wave Lines Facilitated

    (1954)

    (Micro Wave Facility connecting Tokyo and Osaka) 昭和30年(1955)5月、これまでの料金後納式にかえ料金前納式公衆電話機の設計・検討が始められました。後納式の場合、硬貨投入が遅れると片通話のまま相手が切ってしまい、さらに相手が出たことによって通話したとみなし、局の度数計が動作し登算されるなどの欠点がありました。同年12月、料金前納式による5号自動式卓上公衆電話機、5号自動式ボックス公衆電話機が登場しました。この方式は、話し中などの場合でも、料金は収納されず、送受話機を戻せば、フックレバーとの連動により料金は返却される仕組みになっています。以後、公衆電話機はすべてこの料金前納式となりました。そして、昭和57年(1982)には、キャッシュレス時代の新しい発想から、硬貨が全くいらないテレホンカードが誕生しました。

    Prepaid Coin using Public Phone Service Started

    (1955)

    ( Type No.5 Public Phone)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • Cross Bar Automatic Switch Board Facilitated

    (1959)

    (Cross Bar Switch Board Type C in Tokyo)

    昭和28年(1953)より、市外中継交換に適したクロスバ交換機の実用化の研究が進められていましたが、その結果、昭和34年(1959)には実用形のクロスバ市外中継交換機C8形が完成しました。このC8形クロスバ交換機は、市外中継交換機の標準形として東京をはじめ全国の主要都市に設置され、市外通話の機能向上に寄与。昭和42年には全県庁所在地都市相互間の自動即時通話サービスを達成させる大きな要素になりました

    テレックスは、電話機の即時性と印刷電信機の記録性を兼ね備えた新しい通信方法として、昭和31年(1956)10月25日に東京~大阪間で試行サービスが開始されました。当初の加入者数は、東京65、大阪63、計128加入でした。加入者は一座 (いちざ) ごとに電話番号と加入電信番号が指定されています。また、不在時の送信も可能でした。

    Telex Service Started (1956)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

    (Operating Telex Machine)

  • 昭和34年(1959)3月1日、ハーバー・サービスといわれた湾岸電話、コースタル・サービスといわれる瀬戸内海の沿岸電話、我が国初の船舶公衆電話サービスといわれた五島航路の船舶電話の三つが制度的に一本化を見て「船舶電話」として実施されました。通話は、市外局と各基地局との間は市外電話回線、基地局と船舶間は超短波無線で結んで行なわれました。

    Telephone Service among Ships Started

    (1959)

    (Public Phone at Ship)

    初期のカラーテレビ放送は放送時間が1日1時間程度だったのと受像機が高価であったため、なかなか普及は進みませんでした。昭和37年(1962)からは電電公社がカラーテレビの中継に必要なマイクロ回線の高規格化工事に着手し、カラー放送の普及を促進しましたが、昭和41年(1966)にはほぼ全国をカバーするマイクロウェーブ網を完成、全国的なカラー中継が可能となりました。

    Micro Wave Network covers Whole Japan Area

    (1966)

    (TV Board casting using Micro Wave Line)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 昭和44年(1969)に電子交換機DEX2を牛込局に設置、その後さらに試作を重ね、昭和47年(1972)6月に東京銀座電話局や大阪船場電話局など8局でD10形が導入されました。この電子交換機は、加入者の発呼検出、接続先の確認、接続から切断、さらに料金計算まですべて行ない、しかも、数万回線の電話の処理を一手に行ないます。

    First D10 Electronic Switching System (ESS) Facilitated

    (1972)

    (D10 ESS at Ushigome, Tokyo)

    昭和48年(1973)から電話ファクスサービスが開始されました。電話ファクスは、電話網を利用していつでも加入者相互で模写伝送できる機器で、電話、郵便、テレックスなど従来の情報伝達手段にはない特長を持っており、公衆通信回線利用制度が改正されたのを機に、広く一般に利用されるようになりました。平面走査方式を採用し、A4版1枚当たりの標準電送時間は6分でした。

    Telephone FAX Service Started (1973)

    First FAX Machine operated)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 自動車電話サービスが、東京23区で開始されたのは昭和54年(1979)12月でした。5年後の昭和59年(1984)には全国どこへ移動しても通話できるようになり、バスやタクシーなどからも手軽に利用できる自動車コイン電話も発売されました。NTTが提供している自動車電話は小ゾーン方式と呼ばれるもので、これは無線基地局から電波到達距離を半径5~10km程度と小さくし別の無線ゾーンでも同じ周波数を使用するものです。

    Automobile Wireless Telephone Service Started

    (1979)

    (First Automobile Phone in Tokyo)

    昭和55年(1980)5月よりコードレスホンの販売を開始しました。電話回線とつながっている接続装置と電話機との間を、免許を受けた電波で結ぶことにより、接続装置より約20m位の範囲において自由に持ち運んで通話できるコードレスホンの登場は、電話の歴史上に新しいページを加える画期的なものでした。

    Codeless Telephone Service Started (1980)

    (Sample of Codeless Telephone )

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • ISDNの日本版がINSです。電話、データ通信、ファクシミリといった個々の通信網をディジタル通信網に統合することで効率のよい高品質な通信が可能となります。昭和59年(1984)にINSモデル実験がスタートしました。

    ISN Model System Experiment Project launched

    (1984)

    (Starting Ceremony of INS Project in Tokyo)

    日本で初めて超高純度の光ファイバ通信が公衆通信網の開発に成功したのが、昭和55年(1980)9月でした。それから5年後の昭和60年(1985)2月、日本縦貫光ファイバケーブルルートが完成し、北海道旭川から九州鹿児島まで太平洋側の主要都市間(全長41000Km)が光ファイバのケーブルで結ばれました。光ファイバで送るデジタル通信は、高い周波数の信号を80Km以上も増幅せずに送ることができ、漏話、電磁誘導などの影響を受けずに信頼性の高い通信ができます

    Completion of Setting Optical Fiber Network in Whole Japan

    1986)

    (Commemoration of Completion of O.F. Network in Japan)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • NTTが誕生したのは昭和60年(1985)4月1日のことです。これは、日本の電話事業が官営として開始された明治23年(1890)から数えて95年、昭和27年(1952)電電公社設立後から30余年を経ている電気通信事業の独占に終止符が打たれ、複数の事業体が競争原理にもとづく市場に自由に参加して、通信サービスが営めるようになったことを意味します。民営化を契機に、これまでの「公衆電気通信法」は「電気通信事業法」に改正され、電話機や回線利用制度が自由化されました。

    New Formed NTT Borne (1985)

    (Scene of Opening Day of NTT)

    昭和54年から実施されていた自動車電話サービスには、車外でも利用できるようにとの強い要望がありました。NTTはこれに応え、昭和60年(1985)9月18日より、ショルダーホン(車外利用形自動車電話)を登場させました。無線装置部分に送受話の機能を備え、アンテナ、電池を内蔵したもので、車から離れる時にこの車外利用形無線装置を持ち出して、車外から通話することができるようになりました。

    Wireless Shoulder Phone Developed

    (1985)

    (First Shoulder Type Wireless Automobile Telephone using outside Car)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

    http://park.org/Japan/NTT/DM-/images/RF004900.gif

  • 本電話機が自由化され、自分の好みで電話機を選べるようになりました。これにともない、さまざまな形や機能を持った電話機が登場。なかでも「レポンス」は、留守番機能を備えた電話機で、応答専用機、マイクロカセットテープ1本の応答録音機、標準カセットテープ2本を使用する応答録音機の3タイプがありました。

    Auto Recording Telephone Machine Developed

    (1985)

    (New Type Recording Phone)

    いつでもどこでも通話ができる携帯電話が昭和62年(1987)4月10日より販売開始されました。重さ約700グラムと小形軽量で長時間電池やヘッドセットなどのオプションもあり、電話がより活動的になりました。サービスエリアは自動車電話と同じ、契約時の料金は29万8300円より、保証金20万円、月額の使用料は2万3000円でした。

    Wireless Hand Phone Service Started

    (1987)

    (New Hand Phone Machine)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • 昭和63年(1988)4月19日、音声のほかに、ファクシミリ、データ、映像などの情報を大量かつ短時間に送りたいという要望に応え、ディジタル回線を用いた公衆通信網「INSネット64」が、東京、大阪、名古屋でサービスを開始しました。高速・高品質のデータ伝送(64kbps)だけでなく、1本の回線で同時に2チャンネルの通信も実現。通話しながらパソコン通信でデータ伝送などということも可能になりました。もちろんアナログ電話加入者との通話もできます。

    INS Net Service Started (1988)

    (Launching Scene of INS Service)

    平成2年(1990)3月、これまでの公衆電話の機能に加えて、実用性の高い新機能を付加したISDN対応の「ディジタル公衆電話」を開発し、サービスの提供をスタートしました。パソコンなどの端末を接続してデータ通信を行うことができるほか、操作ガイダンスや残り時間をディスプレイに表示する機能、オンフックダイヤル機能、フリーダイヤルやコレクトコールをテレホンカードや硬貨なしでかけられる機能など、大きな進化を遂げた公衆電話機となりました。

    Digital ISDN Public Phone Developed

    (1990)

    (New Digital Public Telephone Machine)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • NTTは、平成2年3月30日の「政府措置」を踏まえて検討を重ねた結果、平成4年(1992)7月1日、「移動体通信業務の分離」を実施。それまで移動体通信事業本部で行っていた自動車電話、携帯電話、船舶電話、航空機公衆電話、および無線呼び出し(ポケベル)に関する事業について、エヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社に営業を譲渡しました。のちにこの新会社は、中核となる会社とその子会社である地域会社による地域別運営に移行しています。

    NTT DoCOMo Born and Start New Wireless Service

    (1992)

    (DoCoMo’s Launching Scene)

    NTTでは以前から映像伝送サービスを提供してきましたが、高度化、多様化するお客様の要望に応えるため、平成6年(1994)2月1日、さらに高精細なハイビジョン映像伝送が可能なHDTV映像伝送サービスの提供を開始しました。内容は、HDTV(ハイビジョン)のカラー映像(60Hz~30MHz)および映像に付随する音声(20Hz~20KHz)を伝送するサービスで、映像信号(1ch)、音声信号(ステレオ4ch)の同時伝送。

    HDTV Picture Transmission Service Started

    (1994)

    Source: http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html

  • DDIセルラー、初のCDMA方式cdmaOne開始(IDOは1999年に開始)。 ドコモは、漢字ショートメールサービスを開始。まだiモードメールはありませんでしたが、人 々はケータイを使って簡単なテキストを送受信した。 ドコモはこの年の12月にNTTパーソナルグループからPHS事業を引き継ぐ。 DoCoMo by SonyやDoCoMo by SHARP、DoCoMo by TOSHIBA、DoCoMo by ERICSSONなどNやP、F、D以外のメーカ端末も多数登場する

    CDMA Mode DDI Cellar Phone Service Started

    (1998)

    (Variation of HP Machine

    Source:http://nendai-ryuukou.com/keitai/

    DDIセルラー・IDO、アナログ (TACS) 方式終了。これによりアナログ方式は全キャリアでサービス終了。 2000年10月1日 KDD・DDI・IDO合併によりKDDIが発足。発足の少し前の7月に、DDIセルラーグループとIDOの全国統一ブランド「au」を導入)J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)から携帯電話では初のカメラ付き携帯電話が発売される。

    Camera Hand Phone Developed

    (2000)

  • 13年ぶり新規参入のイー・モバイルが定額データ通信サービス「EMモバイルブロードバンド」を開始。 携帯電話事業者が新規に提供する第三世代携帯電話端末は、110番通報や119番通報のレスポンスタイムを 固定電話並に向上するため、原則としてGPS測位方式による位置情報通知機能に対応。1月末、携帯+PHS契約台数が1億台を超える。12月末、PHSを除き携帯電話だけで加入台数が1億台を超えた。

    E Mobile Service developed

    (2008)

    (H11T HP) 2008年7月11日になって第三世代携帯電話に対応の「iPhone 3G」が日本でもソフトバンクモバイルから発売された。発売3日間で、全世界でiPhone 3G本体100万台の売り上げ、800本以上のソフトのリリース、1000万本のiPhone用ソフトのダウンロードを達成など[7]、発売当初から注目を集め、日本のスマートフォン市場を拡大させた。2011年10月14日からはKDDI / 沖縄セルラー電話連合(各auブランド)、2013年9月20日からはNTTドコモも参入した

    Smart Phones with various Service flourished

    (2010s)

    Source: http://ja.wikipedia.org/wiki/スマートフォン Source: http://emobile.jp/

    Technology Development of Telecommunication in JapanDawn of Japan’s Telecommunicationスライド番号 3スライド番号 4スライド番号 5スライド番号 6スライド番号 7スライド番号 8スライド番号 9スライド番号 10スライド番号 11スライド番号 12スライド番号 13スライド番号 14スライド番号 15スライド番号 16スライド番号 17スライド番号 18スライド番号 19スライド番号 20スライド番号 21スライド番号 22スライド番号 23スライド番号 24スライド番号 25スライド番号 26