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Meiji University Title SEMATECH��-�- Author(s) �,Citation �, 62(1-2): 1-37 URL http://hdl.handle.net/10291/17706 Rights Issue Date 2015-03-31 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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Page 1: SEMATECHの分析-アメリカ産業政策の研究- URL DOI...経営論集 62巻第1.2号 201 5年 3月 1.課題 SEMATECHの分析 ーアメリカ産業政策の研究ー 目次 1.課題

Meiji University

 

Title SEMATECHの分析-アメリカ産業政策の研究-

Author(s) 安部,悦生

Citation 経営論集, 62(1-2): 1-37

URL http://hdl.handle.net/10291/17706

Rights

Issue Date 2015-03-31

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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経営論集

62巻第 1.2号

201 5年 3 月

1.課題

SEMATECHの分析

ーアメリカ産業政策の研究ー

目次

1.課題

2.半導体産業・半導体製造装置産業の動向

3.半導体需要の変化

4. 半導体産業・半導体製造装置産業の構造

5.産業政策に関わる立法の変化と SIA

6.セマテックの設立とその意義

7.結び

安部悦生

本稿は, 1980年代のアメリカで設立された,ある意味最初の「半官半民」の半導体コンソー

シアムである SEMATECH(セマテック)の評価を行なおうとするものである。

もとよりセマテックの評価に関しては,これまでにもさまざまな評価が下されている。本稿

はそれらを踏まえ,セマテックの歴史的意義を論じることにしたい。

1987年に設立されたセマテックは, 1980年代のアメリカにおける「産業政策ブーム」とも

呼べるプロビジネス的な政治環境を背景に 民開業界団体SIA(米国半導体工業会)と国防総

省 (DoD=Departmentof Defense)の合作によって誕生した研究開発コンソーシアムである。

それが,当時奈落の底に沈んでいた米国半導体産業の復活に貢献したのか否か,貢献したとす

ればそれはどの程度であり,質的な貢献にはどのようなものがあったのか。こうした課題を,

当時の状況に即して,解明することが本稿の狙いである。

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2 一一経営 論集

2.半導体産業の動向

半導体は,かつての鉄に代わって, I産業の米Jindustrial riceと呼ばれるようになってから

久しい。トランジスター (1947年発明)から集積回路 (IC) (1959年発明)に,さらにその

集積回路の中でも DRAM(1970年)や MPU(1971年)が発明され,半導体の重要度はいや

がうえにも高まった。安全保障の観点からも,近代的な兵器を装備するためには半導体が不可

欠となり,半導体産業の発展なくしては国の安全も保てない状況が生まれた。米ソ冷戦の中で.

ソ連が劣位に置かれたのは.計画経済の弱きもきることながら,半導体産業の発展が不十分で

あったことも一因である。

〔半導体産業の興亡〕

しかしながら, 1960年代(ミニットマン・ミサイル計画のような軍需), 70年代(コンピュー

ター需要などの民需)によって,世界に君臨したアメリカ半導体産業は 1980年代, 日本の追

撃を受け,青息吐息の状況に陥った。図 lからわかるように. 1986年に日米の半導体生産の

世界市場シェアは逆転し,以後 1992年までの 6年間,日本の半導体産業が世界を席巻した。

だが. 1990年ごろから差を縮めつつあったアメリカに. 1993年, 日本の半導体産業は再逆転

され, 1995年ごろまでの措抗時期を経て, 1996年から再び圧倒的な差をつけられるにいたった。

現在では,韓国,台湾,中国の追い上げと最先進国アメリカの挟撃を受け,日本の半導体産

業は見る影もないことは言うまでもない。

80

~ 70 ?J( .....60 ト

:50 .L. 40 2、去、 30

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10

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図1 半導体メーカの地域別マーケット・シェア

イト米fIf~同日本

4・欧州四・ーアジア・

lmlml~lml~l_W~lmlml~ω96 19982ωo

出所:小宮 (2004),7頁。原出所:Gartner Dataquest

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一一-SEMATECHの分析一一 3

これを企業レベルで見るならば, 1980年には半導体企業の上位10社のうちには,アメリカ

が 5社入り (TI,Motorola, Nationa1, Intel, Fairchild),日本企業は NEC,Toshiba, Hitachi

の 3社にすぎなかった(表l参照)。しかし, 1990年には, 日本企業は 6社 (NEC,東芝,

目立,富士通,三菱,松下)がランキングに入り,アメリカ企業は 2社 (Motorola,Intel)

に後退した。(ただし, IBM, A T & Tなどの自社消費企業 captivefirmを除く。)

表1世界 10大半導体企業(外販) (1980・1992)

1980 1990 199%

5.1 .. Markot 501.. Mark.t 5al.. Markot Ranlc Company ($m) share (%) Company ($m) .h.開{事事} Company ($m) sha開(%)

TMPNheEo%ite laoipS ms Inla st. I,.9 51 80 1%.2 NEC 449.9052 5 8.6 Intol 7.7

z 1.110 8.5 Toshiba 8.5 NBC 7.6 s 35 7.2 Hltachl

問2Za52a』2組,9M 組鰭sE"5v15' s ‘ ,

6,8 To.hlba 7.3 4 787 6.1 M。旬開10 6,4 M。回rolo 7.1 5 N.tlonal 747 5.7 Intel 5.5 Hltachi 5.9

Toshlbo 6%9 4,8 FT叫exia阻su Inst.

5.3 Te踊.Inst. 4.7 ? HiI世hl 62% 4.8 4.5

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3.9 自 Inlel 575 4.4 Mit5ubi.hl 4,3 3.5

Pal四hi1d 566 4.4 Matsushl国 3.4 3.% 10 Soitehmeres ns 413 3.% OFhthileiprs s 3.4 2.9

153 •• 00306 0 38.7 43.4 46.1 Total' 100 Total 57,500 100 TOI.I 65,587 100

s'eTuontaelJ s Dinactaluqdue escta-ptive producti。n.

出所:Grindley, Mowery皿 dSilverman, p・738注 1:merchantは外販企業, captiveは自社消費企業を意味する。注 2:1984年のIBMの半導体生産額は28億ドル, AT&T4億ドル, NECは17億ドルであった。 Thornberry,p. 666

さらに詳細にセマテック設立前の状況 (1984-1986)を見ると(表2参照), 日本企業5

社がトップ 10入りし,アメリカ企業は 4社 (Motorola,TI, Intel, Nationa1)となり,僅差で

AMDが11位に入っている状況である。 1986年には日本企業が 6社となり,アメリカ企業は

3杜に減少している。

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4 一一経 営 論 集一一

表 2 半導体企業ランキング, 1984・86

ー間ILIMINAR一V柑姐附罰岡田一岨師岡田帽同刷RKn副 M一I..N剛嗣伺耐陶"・3 PRI.UII酬....帽開 WORLDGIMICOHDUCTO同闘'ARKET8HA岡E同AN剛NGI$mllllon叫

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出所:Yoffie and Gomes-Casseres(1994), pp. 74-75.

しかし, 1992年になると, 1 位はアメリカ企業のインテルとなり,また TI,モトローラも

その地位を維持している。他方で,日本企業は 6 社と健闘しているが, 1990年代以降,半導

体産業総崩れと言われる状況の端緒と思われるような停滞が見受けられる。

このような日米再逆転の背景には, DRAM市場におけるアメリカ企業の崩壊(マイクロン

社を除く), 日本企業の制覇,だが, DRAMなどのメモリー市場に代わって, PC用の MPU

市場の急成長が存在する。 1985年にインテルは DRAMから撤退したが,この判断は経営史

上に残る優れた戦略転換と言われている。図 2 からわかるように, 1985年から 2000年まで,

MOSマイクロ=MPUは安定的かつ急成長を遂げている。インテルはこの急成長の恩恵を

十二分に事受した。また TIは携帯電話用のDSP,モトローラは通信用デバイスでその地位を

維持した。このような転換を行なえなかったフェアーチャイルド,ナショナル・セミコンダク

ターなどは,その地位を低下させた。(以上の製品構成に関しては,付図 l参照。)

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10

0

一一SEMATECHの分析一一

図2 半導体製品別の売上高 図3 半導体製品別シェア

100

1~ ~亘塑1985 鈎o 鈎5 2000 2005 2010 1985 1990 1995 2∞o 2005 2010

図2,図 3のj京出所:霞子ジャーナル『半導体データブック,jプレスジャーナル WVLSIReport.lなど出所.湯之上 (2012),110頁 出所:湯之上 (2012),III頁

5

なお,製品構成の用途別の構成に関しては,表3および表4から概略的な動向がわかる。半

導体産業が立ち上がった 1962年にはアメリカの半導体は,政府需要(主に軍用)が 100%で

あった。その後,コンピューター(当時はメインフレーム).産業用,消費者用が進展し,な

おアメリカが王者であった 1978年には政府需要は 10%に低下し,コンビューター 38%.産業

用38%.消費者用 15%という構成であった。

表3 アメリカ半導体生産(IC)のエンドユーザー 表 4 ICのエンドユーサー

恥farkets 1962 1965 1969 1974 1978 E切"ωe 帥1IledSiω脂 J'pa飽 l'¥ht=胸 中

口0'白書mcnt 100% 5田6 3剖る 200.4 10% 1982 1開5 1982 2開5 191!2 Z凱8,Computer 3S 44 36 38

白町田r 40 .. n 36 出 20 i'e1ecoMmuni田 tlOIU 21 10 10 13 20 29

lnd出仕;.1 16 30 38 Ind出国!Il 11 10 17 6 25 19 Milil:uy Amd Aerc>>pl¥国 17 18 o 。 g 7

Consumer 15 15 Consu.meo 11 16 51 .5 26 25

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ぷpments(miltions) N,飽Ilnc:1¥I師岬帥伺MumpOfln

出所:Langlois and Steinrnueller, p. 37 出所。 Langlois,p. 274

こうした動向を国際的にみていくと,アメリカと日本,西ヨーロッパを比較した場合(分類

は同じではないが).圏内マーケットシェアでは,コンピューター用でアメリカが大きく,ま

た軍用・航空宇宙用でも大きいことが分かる。これに対して,日本はテレピ,計算機などの消

費者用シェアが大きく,商ヨーロッパは通信,消費者用,産業用で大きいことがわかる。 1990

年代以降は,先述の通り, PC用の MPUの需要が増大した。

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6 一一経 営 論 集一一

〔半導体製造装置産業〕

次に,半導体産業と密接に関係している半導体製造装置産業あるいは半導体製造装置業者

(semiconductor equipment manufacturers)を見ていくと,ここでも興味深い逆転劇が見て取

れる。図4からわかるように,半導体産業を立ち上げたアメリカが, 1980年ごろはその製造

装置産業でも圧倒的な地位を築いていた。しかし,ここでも日本企業の躍進により,アメリ

カの地位は蚕食され, 1990年には日本にその地位を明け渡した。しかし,半導体産業と異な

るのは,この逆転は l年だけで, 1991年には再び首位を奪還していることである。それ以後,

日本の半導体製造装置産業は,半導体産業ほど劇的な低下を示してはいないが,前世紀末には

アメリカと日本の聞にはかなりの差が生じている。

図4 半導体製造装置メーカーの地域別マーケット・シェア

80

70

ト 30.t-

20 ト

10

。1976 19穂 1980 1982 印刷開聞柑脳協同~ I曲事円相 1開6I抑@割問

出所:小宮 (2004).9頁原出所:VLSI Research

また企業レベルで見ると(表5参照), 1979年から 1989年にかけて,フェアーチャイルド,パー

キン・エJレマー, GCAといったアメリカ企業が衰退し,東京エレクトロン,ニコン,キヤノン,

目立などの日本企業が躍進している。 1989年にはトップテンの中に,日本企業が5社入って

いる。しかし, 1992年にはアプライド・マテリアルズが,東京エレクトロンを抜いて l位と

なり,以後,この状況は今日まで変わっておらず,その差は拡大している。 1979年から 1992

年の表5で,また2013年のランキング(付表1,付表 2参照)でもアプライド・マテリア

Jレズは l位の地位を固め,またヨーロッパ企業である ASMも1989年頃は 10位程度であっ

たが,現在はアプライド・マテリアルズに次ぐ 2位を占め,同じ分野のニコン,キヤノンよ

り優位に立っている。このように.半導体産業と同じく,半導体製造装置産業も 1990年ころ

まで日本企業は躍進していたが,そのころを境に,アメリカ企業の反撃,ヨーロッパ企業の躍

進が目立つのである。もちろん,アメリカ企業の中でも同じ企業というよりは,企業聞での入

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7 一一SEMATECHの分析一一

フェアーれ替わりが顕著であることが注目されるべきであろう。パーキン・エルマー, GCA,

ラム・リサーチの躍進という明暗がある (付アプライド,チャイルドなどの没落にたいして,

表 2参照。)

世界 10大半導体製造装置企業(1979-1992) 衰5

1992

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7判677 501 333 327 278 263 258 231 203 203

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出所:Grindley, Mo明eryand Silv官rman,p. 741

どのような要因によってもたらさ

半導体需要の変化

以上のような半導体産業および製造装置産業の変動は,

れたのだろうか。アメリカ半導体産業・製造装置産業の苦境,

3.

およびそこからの復活はいった

いどのような力によってもたらされたのだろうか。また日米逆転i再逆転の主要な要因は何で

あったのだろうか。このように問題を立てると 先ずは次のような解答が見つかる。

第一に,メモリーからマイクロ・コンピュータ-(MPUなど)への半導体需要の変化,第二に,

日米半導体協定 (1986)に見られる対日圧力効果,第三に,産官学連携や,特許移転,企業間

協定の独禁法からの免除などに見られる各種立法の影響,第四に,アメリカ政府による産業政

策(セマテックなど)や科学技術政策が挙げられよう。また,再逆転がなぜ起きたかという視

点からは, 日本企業側の劣化要因として,①日本企業における DRAM成功からくる惰性(マ

イクロ・コンピューターの急激な発展を見抜けなかったこと),②短期的要因としては日本経

済のバブル崩壊に見られる圏内需要の落ち込み,また継続的な円高。あるいは,③日本企業が

最も得意とした DRAM分野で,韓国,台湾勢が台頭したという国際環境の変化。これらの要

因が日米の再逆転に貢献したことは確かだが, それはどれくらいの軽重があるのだろうか。

メーンフレームなどのコンピューターを中いま少し詳しく説明すれば,最初の日米逆転は,

心とした需要期ではメモリー (DRAM,SRAMなど)が最大の半導体需要であり,そのよう

なメモリーの生産には品質重視,歩留まり重視,コスト重視の日本企業の生産方法が最も適し

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8 一一経 営 論 集一一

ていた。そこで, 日本企業の DRAMを中心としたメモリー産業がアメリカ企業を壊滅させる

のではないかとの危機感さえ生じさせた。しかしパソコンが立ち上がった 1990年代以降は需

要構造の主役が変わり,マイクロ・コンピューター,すなわち PC用の MPUが半導体需要を

牽引した。さらに,日本企業にとって具合の悪いことに.メインフレームと異なり. PC用メ

モリーは 25年保証を必須とするほどの品質は必要ではなく,従来日本企業が得意としてきた

高品質保証,そのためのコスト増の戦略が逆効果をもたらすことになった(日本製品の過剰

品質問題)。これは,歩留まりを上げて,コスト低減を図ることとは逆の動きであり,むしろ

それなりの品質,それにより過剰品質を避けてコスト削減(マスク枚数の削減)を図る韓国企

業のメモリー戦略が時代の需要を捉えることになった(!)。こうして,日本企業はインテルの

MPUには R&D(特許)面で歯が立たず.PC用メモリーではサムスンにコスト面で対抗できず,

前門の虎,後門の狼状態になった。 1990年代後半以降,日本企業は MOSロジック,すなわち

AS1Cに生存の道を探るがそれもうまく行かなかった。その理由は本稿では扱わないが,佐野

(2012)などを参照すると,理解が深まる (2)。

他方で,半導体製造装置産業では,半導体産業ほどの落ち込みはなかったが,それは半導

体産業ほどドラスティックな需要変化が起きなかったからに他ならない。 DRAMやMPU.

AS1Cなどで共通に扱える線幅Oine-width)の微細化や,ウエハーサイズの大規模化が可能だっ

たからである。それでも,先にあげたアプライド・マテリアルズや ASMLの躍進は目覚ましい。

4.半導体窟業・半導体製造装置産業の構造

半導体産業は 1950年代から立ち上がった。それ以降,景気変動の波はあるが,一貫して長

期成長過程にある。例えば. 1957年の半導体売上は l億ドルであったが.2000年には 2000

億ドル(世界)であった。しかし 半導体製造企業の構造は,日米で大きく異なる。アメリカ

では. captive企業と呼ばれる自社消費企業と.merchant企業と呼ばれる外販企業の 2種類

があるが, 日本では外販・自社消費の両方を行う企業が普通である。アメリカで自社消費企業

として,大規模な企業は IBMであり. 1984年には 28億ドルの生産規模を持っていた。次い

で.AT&Tで 4億ドルであった (3)。この両社が主たるものであるが,この両社が外販しなかっ

た理由はどちらも独占禁止法のターゲットになっていたことに起因している。外販して,外販

企業を脅かしていると認定されることを嫌ったためと思われる。こうした自社消費企業のシェ

アは 20%程度と推測できる (4)。もっとも. IBMなどは外部からも半導体を購入していた (5)。

さらにアメリカには,外販企業の中にもインテル. T1.モトローラのような大企業と. LS1

Logic. Micron. Harrisなどの小企業に分けられる。こうした 3層構造がアメリカ半導体産

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一一SEMATECHの分析一一 9

業の特徴で、あった (6)。

半導体製造企業の数は明らかではないが, 1960年代, 1980年代に急増し, 100社を優に超

えていたと推定できる。したがって, 日本と比べて,分散的な構造と言える。ただし,上位5

社の集中率を推計すると, 1985年ころは,外版企業で約 60%,上位 10社で80%根度と推測

される。これにキャプテイヴ企業の IBMを入れると 上位 6杜で 70%となる(表2などか

らの筆者推計)。

一方,半導体製造装置産業は本格的には 1970年代に登場し, 700から 800という多数の企

業を擁しその多く(約 90%)は2500万ドル以下の売上しかなかった。 l億ドルを超える売

上を有する企業は数社であり,半導体メーカーよりもさらに分散的な構造であった (7)。これ

に対し,日本では 11杜でシェアの 72%を占めたが,アメリカの装置産業では 14杜でも 55%

にしかならなかった ω。したがって日本の方が寡占的構造を持っていたと言える O こうした

日本の産業構造は 1980年代,メモリー全盛であったころは日本のより寡占的・統合的な産業

構造がプラスに作用したが, 1980年代後半からマイクロ・コンピューター,ロジック (ASIC)

にシフトしていくにつれて,むしろマイナスとなり,分散的産業構造の方が新しい企業の出現

を支えることになった (9)。

半導体産業との規模の比較で言えば, 1989年,アメリカの半導体売上が20億ドルであった

のに対し,装置の売上は 5億ドルで,装置産業は約 4分の lの規模と言ってよい (10)。

5.産業政策に関わる立法の変化と SIA

上記のような半導体需要の変化,それに対応した戦略の巧みさの効果は大きかったが,この

変化に適切に対応していった産業政策・科学技術政策を可能にした立法も,アメリカの半導体

産業の復活に大きく貢献したことは明らかである。 1980年代の目覚ましい立法活動の中心に

は,半導体業界団体のSIA(アメリカ半導体工業会)などの業界団体,および国家安全保障の

観点から,日本企業の台頭に危慎を抱いていた国防総省, とりわけ 1958年に設置された国防

高等研究計画局 (DARPA)が存在していた(11)。との SIAとDARPAによってセマテツクは

生み出され,またセマテックはアメリカには珍しい「民と官」の合作であフた。もっとも,官

というより,正確には日本の通産省のようなシヴイルではなく,国防総省というミリタリーで

あった点がセマテックの誕生・「成功」に繋がっていくことになる。

SIAは1977年に,ナショナル・セミコンダクターのチャールズ・スポーク (Charles

Sporck) を中心とするアメリカ半導体メーカー 5杜(インテル, AMD,モトローラ,フェアー

チャイルド)が集まって作られた業界団体である(ロ)。この団体は,対日提訴,また日米半導

体協定の作成にも大きな力を発揮した。日本の VLSIプロジェクトも非難したし, 1981年に

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10 一一経 営 論 集一一

は対日ダンピング提訴を計画し,またメンバー企業のインテルは NECをMPUの著作権侵害

で提訴し,モトローラは目立を提訴した。 1985年には SIAとして,通商法第301条項で,日

本の半導体企業を USTRに提訴した (13)。

〔各種立法の経緯〕

こうした業界団体などの力もあって, 1980年にはスティーヴンソン・ワイドラー法が官民

協調を狙いとして制定された。この法律は, 1986年の連邦技術移転法に受け継がれ,国立研

究所から民間への技術移転を促進することになった。具体的には, Lawrence Livermore研究

所, Sandia研究所, Oak Ridge研究所などの国立研究所などと,技術移転を狙いとした「官

民共同研究開発協定JCRADAsを結ぶことが可能になった(14)。また 1980年には,有名なパイ・

ドール法が制定された。これは連邦政府からの資金で得られた研究成果=特許の取得を,中小

企業および大学を含む非営利法人に可能にするものであった。さらに, 1982年にはIBMの反

トラスト訴訟が和解となり ピッグビジネスに対する姿勢が緩やかなものとなった。

1981年には, ["経済再生税法JEconomic Recovery Tax Actによって,研究開発の税控除が

有利となり,さらに 1986年には研究開発のタックス・クレジットが延長された。

また 1984年には,半導体チップ保護法が制定され,回路図に特許を認めることにより,

半導体の知的所有権が強化された。これは,企業の半導体開発の意欲を高めることとなっ

た。 1980年代のレーガン政権のもとで,従来のアンタイ・パテント政策から,プロ・パテ

ント政策へと大転換が図られていたのである。さらに同年には,国家共同研究法 (National

Cooperative Research Act)が制定され,企業聞の共同研究に対して,独禁法の適用除外の可

能性が高くなった。生産,販売には従来の厳しい原則が適用されたが,ハイテク部門における

研究開発の重要性に鑑みて,研究については企業聞の共同研究開発を認める方向に転換したの

である。これは,後のセマテックの設立に大きな弾みを与えるものであった。 1983年に設立

された MCCでは,司法省から独占禁止法違反の疑いがあるとして警告されたのであるが(15)

この法律により.セマテックは安心して設立に遁進できたのである。

さらに, 1993年には,生産面での協定も認める「国家共同研究生産法JNational

Cooperative Research and Production Actが制定された。この法律はなお販売面での共同を

認めなかったが,研究開発に続き,生産面でも企業聞の共同が認められることになり,独禁法

の適用外となったことは,企業の他企業との連携の自由度を高めた(.16)。

また通商政策の商から対外的な圧力をかけるために極めて強力な武器となった 1974年の「通

商法J,特に 301項 (section301)を活かして, 1986年に「日米半導体協定」が締結されたことは,

日本の半導体産業に,持続的なマイナス要因を与えた(7)。こうした通商政策は, 1988年の「包

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一一SEMATECHの分析 11

括的通商・競争力法」に引き継がれ,貿易不均衡や不公正取引慣行,アメリカの競争力強化を

企図する手段(例えば,審議会設置)を可能とするものであった。

一方, 1977年に 5杜 (Fairchild,Nationa1 Semiconductor, Intel, AMD, Motorola) の半導

体企業で設立された SIAは, 1980年代に入ってから加盟企業数も約 50杜となり,その力を増

していった(18)。先にも指摘した,日本企業の USTRへのダンピング提訴,日本の VLSIプロジェ

クト(超 LSI技術研究組合共同研究所, 1976 -1980)への非難,そして日米半導体協定締結

への主導的役割など,議会へのロピイングを含んで その活動を活発化していった。また岡内

の産学連携でも, 1982年には SRC(半導体研究組織)の設立を主導し,大学と半導体企業と

の研究協力を轡にすることに成功した。

SIAは, 日本の VLSIプロジ、エクトが,研究開発におけるカルテル,また政府からの補助金

投入に他ならないとしてこれを強く非難したが,皮肉にも(あるいは身勝手にも), VLSIプ

ロジ、エクトに範をとって セマテックを立ち上げることになった。

ただし業界横断的な研究組織としては既に先例があった。 1983年に設立された MCC

(Microelectronics and Computer Technology Corporation)である。これはコントロール・デー

タ社の W.C.Norrisが中心になって設立された研究組織であり,日本の VLSIプロジ、エクトや「第

五世代コンピューター・プロジェクトJ,あるいはヨーロッパの半導体産業の台頭に対抗する

意図から設立されたものであった(9)。これは 10杜の企業問コンソーシアムであったが,半導

体だけではなく,コンピューター分野での研究開発も目的としていた。しかし, 日本の第五世

代コンピューター・プロジェクトがほとんど成果を上げられなかったことから,これに対抗し

ようとして設立された MCC自体の活動も低調となっていった。ただし 1984年の国家共同

研究法の成立に関しては, MCCが強力なロビー活動を行った(却)。

しかしながら,以上のような動きにもかかわらず,半導体分野ではその後も日本企業の躍進

は智まるところを知らず,先に見たように, 1980年代半ばから後半にかけて,日米逆転がも

たらされたのであった。

6.セマテックの設立とその意義

〔産業政策論争〕

1980年代後半.鉄鋼,家電,自動車,半導体などの分野で,日本はアメリカに急速にキャッ

チアップしつつあったか あるいはアメリカを凌駕しつつあった。 GEのジャック・ウェルチ

が日本の家電メーカーにノックアウトされるのではないかといった危機感を抱いた時代であ

る。以前の繊維製品の場合にも 日米繊維協定が結ばれ また半導体でも日米半導体協定が結

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12 一一経 営ささA、日間 集一一

ばれた。こうした日本への経済外交圧力を通じて,日本の攻勢をかわそうとするのが第一の方

法であるなら,第ニの方法としてアメリカ産業界が採った対応策は, 日本に学び¥そのメリッ

トを迅速に吸収しようとしたことであった。その実行を助ける手段として, 1980年代中葉,

活発に議論されたのが産業政策の有効'性で、あった。

アメリカにおける産業政策論争に関しては,宮田由紀夫が的確な解説・分析を行っているの

で,そうした議論をもとに,若干の整理をしておこう (2])。第一の考えは,日本は産業政策によっ

て現在の繁栄を築いたのだから,アメリカも同種の方法を取り,それによって日本に反撃すべ

きであるとの論である。第二の論は 日本の「成功lは産業政策が大きな原動力であるとは必

ずしも証明されておらず, したがってアメリカが日本流の産業政策を採用したとしても,その

効果は疑問であると主張するものである。また日本では成功したとしても,アメリカでそれが

成功する保証はないとの論もあった。アメリカは,本来の自由な経済活動によってこそ立ち直

りが可能であり,それを妨げている規制を緩和し,自由競争を強化すれば,アメリカは復活す

ると主張する論者もいた。いずれにせよ, 1970年代 1980年代は,アメリカにおいては規制

経和の時代だ、ったのである。

たしかに, 日本の 1980年代までの経済的躍進が,主として通産省などの政策によって可能

になったと信じる人は. 日本でもいないであろう。民間企業, とりわけ国際競争に晒された輸

出産業の企業努力がその主たる要因であることは大方一致するところである。

またこの時代のアメリカの政権が自由主義を標梼し 保護主義を批判していたレーガン政権

時代に,産業政策論争が発生したことは歴史の皮肉であるかもしれない。アメリカがそれほど

追いつめられていたとも言える。

こうした産業政策論争は 1980年代には二つの波があった。 1980年代前半の時期には,古

典的な産業政策をアメリカに導入すべきか否かに関してターゲティングを行うとするならば,

だれが成長産業を選ぶことが可能なのか,それは結局 政治力によって決まってしまうのでは

ないかとの否定的な意見も多く見られた。逆に,産業政策によって釦tureindustryが選び出

され,国際競争力の強化が図られるとする肯定的な意見も存在した。前者では,マイケル・ポー

ター,クルーグマン,サマーズ,シュルツ,後者には,デヴイツド・ティース,ローラ・タイ

ソン,エズラ・ヴォーゲル,チャーマーズ・ジョンソンなどがいた(22)。

1980年代半ばからの第ニの時期には,典型的な産業政策というよりは,科学技術政策として,

政府の産業への関与を強めようとする動きが活発になヮた。すなわち,当該産業をめぐる環境

インフラを整備しようとする考えである。この論は後のスーパーハイウェイ構想とも関連して,

アメリカの産業政策・科学技術政策の根幹を形成していくことになる。また既に制定されてい

た共同研究法NCRAなどに見られる規制緩和の方向を踏襲する路線で、あった。

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一一 SEMATECHの分析 13

〔セマテックの設立〕

セマテックは,いずれかと言えば,前者の典型的な産業政策の一例で、あった。

アメリカの半導体苦境を打開しようとして,セマテックは最初から日本の VLSIプロジ、ムク

トを模倣しようとしていた。それゆえ,組織,手法なども概ね両者は類似していた (23)。

そこで,セマテックの立ち上がりから詳しく見ていくことにしよう。

セマテックは.SIA設立の中心人物の一人であったナショナJレ・セミコンダクターのスポー

クが主導入物であった。日米半導体協定が締結された 1986年.SIAはスポークに業界協調の

努力を依頼した。スポークは SIAの中に設けられた執行委員会 (steeringcommittee)の委員

長となり,この委員会からセマテックのアイデアが出てくる O スポークこそ,セマテック生み

の親であった(24)。

SIAが本拠を置いていたシリコンパレーは,アナリー・サクセニアンが指摘するごとく,一

方で個人主義的な競争が激しく行われているところであるが,同時に,コミュニティーを重視

し,コミュニティー活動が活発な側面も持っている(お)。

SIAの立ち上げ(フェアーチャイルドの Corriganが中心)と同様に,セマテックの立ち上

げには,フェアーチャイルド出身者が大きく関わっていた。ナショナル・セミコンダクターの

チャールズ・スポーク,インテルのロパート・ノイス (RobertNoyce). AMDのジエリー・

サンダーズJerry Sandersの3人が深く関わっていたが,その 3人とも,フェアーチャイル

ド社の出身であり,互いに家族付き合いをしている親密な間柄であった(刻。

1987年 3月.SIAは半官半民である研究コンソーシアムの設立を決定した。この半官半民

というところが.以前の MCCと異なる点で、あった。政府からの補助金を受けるということは,

税金の投入というこ左になり,アメリカ国民の税金無駄遣いに対する反応を見れば,民間企業

に税金を投入するということの困難さは日本の比ではなかった。日本の VLSIでもたしかに必

要資金のおよそ半額が政府から来ていたが,それと同じことを目論んでいたセマテックにとっ

て,アメリカの風潮を考えれば,それは容易ならざる道であった。実際,新聞でも,日ごろ独

立かっ自由な企業活動を王張しているシリコンパレーのハイテク企業家が政府に泣き付いて,

金をくれとは何事かといった論調の批判があふれでいた(27)。

たしかに普通の状況では,半官半民のセマテックの設立は困難であったろう。しかしこの

ときもう一方の立役者となったのがDARPAであった。 1958年に設立された DARPAは,ソ

連のスブートニクショックに対する対策として出発したが,その後,軍関係のハイテク技術開

発についての重要な部局となった制。この当時,半導体があらゆる最新兵器に使われ,最先

端の半導体の供給が保障されなければ,ハイテク戦を行うことは不可能に近かった。そこで,

国防総省は半導体がたとえ同盟国である日本とはいえ,自国から供給できない事態は避けた

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14 一一経 営 論‘集一一

かったのである。こうした「聞の安全保障J.半導体の外国依存 (foreigndependency)から

の脱却という錦の御旗こそ 半官半民のセマテックの誕生を可能にしたと言ってよい。これが

商務省のような通常の官庁であれば,アメリカの麗業政策反対の風潮から言って,セマテック

の設立は不可能であったと思われる。共和党のレーガン政権といえども,国防の観点からはむ

しろセマテックを推進すべしとの意見も強かったのである。

この SIAのリーダーシップ,およびDARPAという安全保障面からの強い助っ人の出現に

よって,セマテックは87年8月に設立され,同年 12月には議会もセマテックへの補助金を承

認し, レーガン大統領も署名したのであった。なお,これと並行して,議会に半導体諮問委員

会 (NACS=NationalAdvisory Committee and Semiconductors)が設置され,後の全米半導

体技術ロードマップ (NTRS)などの半導体政策に大きな影響力を与えることになる。

なお,セマテック設立時のメンバー企業数が 14社と書かれているものも見受けられるが,

正確には 13社であり.NCRが翌年加盟して 14杜になった(29)。ちなみに,セマテックには,

アメリカ企業のみが参加でき,外国企業は参加できなかった。目立のアメリカ子会社が参加を

打診したが,拒絶されたことがある倒。

〔セマテックの目標〕

セマテックは. 1987年 8月に設立されたが,その目標はかなり瞳昧であった。半導体産業

の復活のためとはいっても,半導体産業自体が変化・発展しつつあった状況の中で何を目標に

するかは明快ではなかった。

目標として,例えば製品開発ではなく,製造技術の開発ということは容易に設定されたが,

それがメモリー製造技術か,フレキシブルな genericmanufacturing process技術かに関して

は議論があった。ちなみに セマテックは チップの販売および製品設計は禁止されていた。

さらに,研究開発コンソーシアムではあるが,当然製造施設も必要となり,それをパイロット・

プラントにするか,大規模な量産工場を建設するかに関しでも,議論が別れていた。 1987年

3月の『ウオール・ストリート・ジャーナjレJによると,この問題に関して,インテルのア

ンドルー・グローヴは,実験室レベルの研究所より,現実の状況で生産技術を獲得できるように,

特定品目を量産できるコンソーシアムが必要であると主張していた。しかし.IBMがパイロッ

トプラントに賛成だ、ったこともあり,セマテック設立の母体であった SIAは,あまりに時聞

がかかり, また費用もカか、哨治か当喝る量産施設の代わりに'小規模のパイロツト.プラントの建設を決

定した{侶矧側3幻釦1)

今一つの検討事項は,半導体製造技術そのもののノウハウの獲得か,あるいは半導体製造装

置の開発に重点を置くかという問題であった。この問題は出発時点でははっきりしていなかっ

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一一一SEMATECHの分析一一一 15

たが, 1989年に製造装置の開発に力点を置くという決定によって決着がついた。ただしその

結果,この決定を不満とする LS1Logic, Micron, Harrisの3杜はセマテックからの脱退を表

明した(32)。

〔セマテックの組織・運営〕

セマテックの会長に,設立に最も尽力したチャールズ・スポークを持ってくることはお

そらく問題なく決まったと思われるが, CEOにだれを持ってくるかに関しては, Search

Committeeを設置して種々検討したが,なかなか適任者を見つけることはできなかった。そ

とで.最後にスポークの古くからの友人であり,セマテックの綾立にも関わっていたロパート・

ノイスに依頼するととになった。ノイスは就任を渋っていたが結局最後は CEOを引き受け

ることになった。ノイスは当時すでにミリオネアーであり,アメリカ半導体業界でレジ、エンド

の人であった。 1956年にショックリーのショックリー・セミコンダクタ一社に入社し,その後,

そこをやめて仲間(裏切りの 8人衆と呼ばれた)とフェアーチャイルド社を設立し, 1959年

には 1Cを発明した。さらに 1968年には,ゴードン・ムーア,アンドルー・グローヴとインテ

ル社を設立した。 DRAM,MPUはインテJレ社で開発されたのである(付録の年表参照)。以

上のような赫突たる経歴をもっノイスは,史上初めての産業横断的な共同研究組織を束ねてい

くζ とに最適任であった。ただし,ノイスとしては,すでに名を遂げ,リッチとなり,今更こ

うした役職に就くことには気が進まなかったのである。

しかし,スポークやサンダーズなどの要請を受け入れ, 1988年に CEOとなった。この時

のCOOには, IBMからポール・カストラッチ (PaulCastruccDが就任した(33)。当時のコン

ピューター・半導体業界では IBMの存在感は庄倒的だ、ったようである。コンピューターはも

ちろんのこと,半導体でも IBMは首位であった。研究費でも, 1988年にはインテルの 3億ド

ルに対して, 44億ドルと 10倍以上であった(ただし,半導体だけではなく他製品も含む)制。

IBMは外販をしていないために企業ランキングには出てこないが(自社消費企業), 1984年の

半導体生産額は 28億ドルとされ,同年の l位である T1の25億ドルを凌いマいる。データの

基準が違う可能性もあるので正確なことは言えないが,おそらく NECの生産額から考えると

(表1.表 2参照).IBMの半導体業界に対する影響は極めて大きなものがあると推測できる。

その関係もあって.IBMから人が派遣されたとも考えられる。ただしノイスとカストラッ

チは,ほどなく経営の流儀をめぐって対立し,カストラッチが退職することになる (35)。

セマテックは 5年間の政府援助(毎年 l億ドル),メンパー企業からも l億ドルの合計で

年 21:意ドルの予算を持っていた。ただし,日本の VLS1とは異なり,解散時期を決めている

時限組織ではなかった。したがって,現在も存続している。もっとも,政府からの補助金はー

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16 一一経 営 論 集一一

度更新されたものの. 1997年からは補助金を辞退し (1994年に辞退を決定).完全に民開業界

団体となっている (36)。

また会費は,半導体売上の 1%とし,上限 1500万ドル,下限 100万ドルであった。この金

額は IBMなどの企業にとっては大きな負担ではないが. LS1 Logicなどの小規模企業にとっ

ては大きな負担であった。 l億ドルを 13社で割ると,平均700-800万ドルとなる oToken(名

目)的な資金ではなく,相応の負担をすることによって,セマテックを実質的なコンソーシア

ムにしていこうとの考えによるものであった倒。

ここで.S1Aのpresidentであったプロカシーニ (AndrewProcassini). および 1990年に

ノイスが急死した後の CEOを引き継いだスペンサー (Williarn Spencer)によるセマテック

の解説・評価を見でおとう。

プロカシーニは,セマテックの特徴を次のように要約している倒。

第一に,セマテックは 1984年の共同研究法によって守られていた。(半導体業界の中央研究

所的存在であった MCCと異なる。)

第二に,外販企業と自社消費企業の両方を含み また半導体市場全体の 3分の 2以上をカ

バーしていたこと。すなわち産業界全体のコンソーシアムで、あった。

第三に. 50%の政府資金が入ったが,政府主導ではなかった (notled by government)。

第四に,製品開発や純粋研究ではなく,製造技術に焦点を合わせていた。

第五に,アメリカの競争力水準を引き上げようとした。

また,スベンサーはセマテツクから得られた業界への貢献として,以下の点を列挙している (39)。

①企業聞の協調方法の改善

②防衛プログラムと産業プログラムの協調

③目標とミッションの設定能力

④チームでの働き方の改善

⑤情報のメンバー企業への伝播

⑥品質プログラムの開発

以下では,当事者でもあった二人の主張を,セマテックの状況に即して,検証していくこと

にする。

セマテックは,本格的な研究施設を建築するために カリフォルニアのサンタクララからテ

キサスのオースティンに移転する (1988年 4月)。これ以降,セマテックは日本のVLSIプロジ、エ

クトを下敷きに,様々な活動を展開していく。

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一一SEMATECHの分析一一

まず. 3段階の技術プランを作成し,微細化の具体的目標を設定した(制。

フェーズ 1 1990年までに 線幅を 800ナノ・メーター

フェーズ 2 1992年までに,車泉幅を 500ナノ・メーター

フェーズ 3 1993年までに,車泉幅を 350ナノ・メーター

17

これらの目標は,概ね予定通り達成された。きらに 1995年には 200ナノ・メーターまで微

細化に成功した。

また.SRCとの連携を深めるために.COEプログラム (Centerof Excellence)を立ち上げ,

各大学との共同研究を進展させる。もともと.1982年に産学連携を目的に設立された SRCは,

SIAの主導で設立きれた組織で,ノース・キャロヲイナに本部があったコンソーシアムであり,

主に半導体を研究している主要大学とリエゾン関係を結び,半導体の基礎研究を支援する組織

であった。 SIAの影響下にあった両組織は連携を深めるべく SEMATECH COEプログラム

を立ち上げ,基礎研究と応用研究との連携を探めることとした(41)。

日本企業に大きな後れを取っていたと言われる品質管理では,全米でも MalcolmBaldrige

賞が制定され,品質管理に大きな関心がもたれた時代でもあった。セマテックでも,ボール

ドリッジ賞とリンクして Partneringfor Total Qualityプログラムを作り,品質改善に努めた。

さらに,モトローラで開発されたシックス・シグマ手法も研究された。モトローラでは 5.5シ

グマで. 30PPM (parts per million)に接近したと言われている (42)。

こうした品質改善により,日本の半導体メーカーと比較して 1985年には 50%劣位だった

のが.1991年には 9%劣位に改善され.1994年ころには劣位はほぼ解消したと言われている (43)。

セマテックの組織体制は 約700人の人員で技術者はそのうちの 400人であった。この

400人のうち約 200人はメンバー企業からの派遣であり,かれらは通常 6か月から 30か月く

らいの任期で派遣されていた(叫)。したがって,セマテックに新たに雇われた 200人の技術者と.

企業から派遣された技術者との融和が非常に重要であったが ノイスのカリスマ性もあって,

大きなトラブルはなかったようである。

ただし情報の伝え方は,初期には種々の問題を引き起こした。例えぽ. IBMは自社の派

遣社員およびセマテック直接雇用の社員には情報を開示したが他のメンバ一企業からの派遣

社員には,情報提供を拒否していた。こうした情報提供のあり方は次第に改善されていったよ

うであるが,メンバー企業は互いに競争関係にもあったので難しい問題であった(45)。

〔組織文化〕

さらにセマテック特有の組織文化を醸成しようとしノイスの「民主的なJ性格とも相まっ

て,自由閲達な雰囲気を作り出すことに成功する。ブラウニングほかの研究によると,セマテッ

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18 一一経 営 論 集一一

クはアメリカの企業間コンソーシアムとしては例外とも言えるほど,独自の幸田韓文化の形成に

成功したと評価されている。それは以下の理由による。第一に,主要なアクターの,何かが変

わらなければならないといろ信念。第二に 市場シェアの低下による半導体リーダーの恐れと

苦悩,第3に,カリスマ'性を持ったリーダーの出現(ロパート・ノイス),第四に,参加者の

忠誠心と勇気.こうした要因によって,例外的ケース (outliercase) ともいえる状況が誕生

したのである(制。

日本の VLS1プロジェクトと.アメリカのセマテックを比較したソーンペリーは,セマテツ

クに見られる強固な凝集性を強調し,個人主義のアメリカ.集団主義の日本と言われる通俗的

な説を否定して,次のように述べている。

ソーンペリーによると, 日本の VLS1プロジェクトが,いわば通産省の肝いりで,その実施

に関しでも「お上」のご威光を背景にまとまったのと比べると,DRAPAからの資金出資はあっ

たのだが.運営には全くタッチしなかった状況から考え アメリカのセマテックの方が企業聞

の協調性があり,セマテックは巧みに機能したと言える。通常,協調の不得手なアメリカ人と

言われるが,セマテックを見れば,実際には日本の VLSIよりもよほど協調性があったという

のがソーンペリーの結論である (47)。

以下では,他の研究者の指摘も交えながら整理すると,日米どちらも脅威によって出発した

点は共通である。日本の VLS1プロジェクトは IBMの「フューチャー・システム」の脅威か

ら出発し,セマテックは日本の DRAM攻勢から構想が始まった。相違点としては.まずリー

ダー企業 (IBM)の存在をあげる。日本では 5杜が似たような統合企業でIBMのような突

出した企業がなかったこと。第二に,セマテックはS1AとDARPAの合作によって成立した

が, 日本の VLS1では,通産省 (M1T1)の、影響力が大きかったこと。(ちなみに,超LS1技術

研究組合共同研究所所長に就任した垂井康夫氏は,通産省の工業技術院電気試験所の出身で

あったことを指摘しておきたい。)第三に,産業構造としても,アメリカでは分散的, しかも

merchant企業と captive企業といった構造上の相違があったこと,逆に日本では, merchant

企業と captive企業聞の競争がなかったこと。第四に.社会的な繋がりがシリコンバレーを中

心に強かったこと,逆に日本では,終身雇用により,企業の壁が厚く,技術者個人の社会的繋

がりは, [学聞はあったかもしれないが],ほとんどなかったこと。このことは,企業を超えた

情報交換の可能性を少なくした。第五にリーダーとして,ロパート・ノイスのようなカリスマ

がいたこと。日本には彼に匹敵するような人物はいなかった。第六に,組織文化について,セ

マテックでは openで participatingな雰囲気が生まれ,逆に日本では closedな雰囲気があり,

それを打ち破るのに努力が必要であったこと。第七に,アメリカでは分散的産業構造,すなわ

ち多数の小規模企業が存在し.シリコンパレーに見られるように起業し,成功するための多く

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一一SEMATECHの分析一一 19

のチャンスがあった。しかし 日本では小規模企業にとって イノベーションのためのチャン

スは相対的に少なく,起業も少なかった。第八に,半導体製造装置産業との連携は日本の方が

進んでいたが,後にアメリカでもこのリンケージは(セマテックによって)進展した。さらに,

セマテヅクは時限ではなかったが. VLS1は5年間と区切られていた。第九に, 日本では,財

閥グループの存在によって,企業の行動が制約された[ただし,筆者はこの点には賛同しがた

ぃl(48) 」。

以上により,通俗的理解と異なり,アメリカではむしろ協調性があり,逆に集団主義といわ

れる日本では,協調に「上からの」プレッシャーが必要であるという解釈をしている。この企

業間・個人間の協調性の問題は,世紀末のASUKAプロジ、エクトなど,日本の半導体コンソー

シアムがことごとく失敗したという事実を見るとき,考えるべき要素を含んでいると息われる。

〔技術の方向性〕

実際の技術の方向性として 製品技術自体の研究開発は行わない,製造技術の改良を目指す

という方向性は決定されていた。しかし. 1989年ごろに問題となったのは,半導体製造技術

そのものではなくて,製造装置技術の改良を主たる目標にするか否かという問題であった。

日本の VLS1でも,実は半導体製造技術の開発に力点が置かれていたのだが,その点の学

習は初期のセマテックでは十分ではなかったのかもしれない。 1989年に,重点を製造装置

技術の向上に向ける決定がなされた。実際 1989年にはセマテック予算の 3000万ドル(予

算の 15%)が装置関係のプロジェクトに向けられたにすぎなかったが. 1991年には l億

3000万ドル (65%) もの資金が製造装置関係に向けられた(49)。だが,先に述べたように,半

導体製造ノウハウの直接の改善を期待していて,この決定に不満を持った LS1Logic. Harris

Corporation. Micronの3社は脱退を表明することになる (1990年)(則。

これには,出資額の問題も関係している。セマテックは,政府から年に l億ドル,加盟企

業から同じく年に 1億ドルの出資を予定していた。企業は,半導体売り上げの 1%,最大で

1500万ドル,最低で 100万ドルという出資金額であった(5lJ0 IBMのような大企業であれば,

さほど大きな金額ではないが. LS1 Logic (売ヒは約 4億ドル. 1984). Micron (売上は約 3

億ドル. Harris (売上は 20億ドル,同)のような小規模企業であると,分担金はかなりの負

担になる (52)。その貴重な分担金を支払って 直接は関係のない製造装置の改良などに重点を

置かれては意味がないことになる。製造装置などは日本から購入すればよいという考えであっ

た。そこで 3社は脱退することになった。

しかし半導体製造装置に力点を置いたのはアメリカの半導体産業にとフて,大きな意味を

持つことになった。もともと セマテックは材料・装置業界とのリンクを無視していたわけで

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20 一一経営論集

はない。というのも, 1987年 8月にセマテックが立ち上がった翌月に, SEMI/SEMATECH

を設立しているからである。 SEMI(半導体製造装置・材料業者団体)は, 1971年に設立され

た比較的古参の組織である。主に装置・材料業者を中心に数百の業者が加盟している。 SEMI

北米, SEMI 世界の組織からわかるように,アメリカを中心としているが,一応世界に聞か

れた組織である。その SEMIとセマテックが共同して.SEMI/SEMA TECHを立ち上げ,一

時期は約 150社に上る企業が加盟していた。この組織における分類は,セマテック加盟企業,

SEMI/SEMATECH加盟企業, SEMI北米企業, SEMI世界の 4分類で,情報の提供の仕方

が異なっていた慨。

ところで, 1980年代, 日本の製造装置の方が優れていると言われ,大手のアメリカ半導体

企業でも日本製の製造装置購入計画が必ずしも珍しくなかった。しかし,セマテック設立後の

1989年には,モトローラ,インテルなどの有力企業も,アメリカ製の製造設備購入に切り替

えたことが指摘されている胤)。

製造装置産業全体でも,表 6からわかるように, 1990年には日系企業に首位を奪われたが,

1991年には巻き返し, 1992年にはその差を広げている。また表7が示しているように,米国

市場でも 1989年から 1990年にかけて,日本企業の伸長が著しいが (16%から 19%),1991年

には 15%に押し戻している。また詳細な製造装置ごとの分析(表 8)でも,最重要と思われ

るウエハー処理装置で 43%から 45%へと巻き返している。とりわけ重要なのが,没落する企

業と,一層強くなったアプライド・マテリアルズなどの企業との明暗がはっきりし強い企業

が生き残っていく傾向であろう(付表1.付表2参照)。

表6 半導体製造装置の世界販売(百万ドル)

1989 1990 1991 1992 1993 (予)

米系業者 4,488 4,487 4,714 5,124 6,060

47% 44% 47% 51% 51%

日系業者 4,047 4,865 4,532 4,170 4,873

42% 48% 45% 41% 41%

その他 1,054 869 838 852 953

11% 9% 8% 8% 8%

合計 9,589 10,221 10,094 10,147 11,886

出所:井上 (1994).52頁

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一一 SEMATECHの分析一一

表7 米国市場での製造装置売上とシェア(百万ドル)

1989 1990 1991 1992 1993 (予)

米系業者 2,845 3,000 2,669 3,000 3,600

79% 77% 79% 80% 82%

日系業者 575 760 491 n.a. n.a.

16% 19% 15% n.a. n.a.

その他 195 161 202 n.a. n.a.

5% 4% 6% n.a. n.a.

合計 3,615 3,917 3,361 3,750 4,398

出所.井上(1994).52頁

表8 装置ごとの世界販売(百万ドル)

1989 1992

ウエハー処理装置 4,516 4,654

(米系業者対日系業者 48%/47% 45%/45%)

フォトリソグラフィー装置 1,647 1,343

(米系業者対日系業者 26%/63% 21%/66%)

ウエハー露光 1,207 803

(米系業者対日系業者 18%171% 12%172%)

マスク作成尽装霞 59 * レジスト処理装置 382 申

膜形成装置 967 1,115

(米系業者対日系業者 48%/33% 65%/30%)

拡散・酸化装霞 343 322

(米系業者対日系業者 41%155% 39%/59%)

イオン注入装置 471 384

(米系業者対日系業者 62%/37% 60%/38%)

エッチング装霞 1,086 1,491

(米系業者対日系業者 n.a. 59%/36%)

組み立て装鐙 911 954

{米系業者対日系業者 36%/47% 31%/46%)

検家測定診断・マテハン裟援 2,975 2,488

(米系業者対日系業者 45%145% 64%/30%)

合計 8,456 8,096

(米系業者対日系業者 n.a. 48%/42%)

出所;井上 (1994).53頁

註 その他は除いているので.各項目を合計した数字と合計とは異なる。

*リソグラフィーに含まれる。

21

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22 一一経 営 論 集一一

1990年に CEOのノイスが急死するが,この時までにはセマテックの基本方向は定まり,半

導体メーカーと半導体製造装置メーカーとの密接な連携を促進していく方向が実践されていく

ことになった。

他方で,アメリカ半導体産業復活のもう一つの重要な改革がNACSの指導下で起きていた。

それは 1991年に発足した iMicrotech2000Jプロジ、ェクトである。 1991年 4月, NACSと

連邦科学技術政策局はワークショップを開催し,全米から 70人ほどの技術者をノース・キャ

ロライナに集めた。ここから「マイクロテック 2000Jが誕生し,半導体企業の羅針盤として

機能していくことになった。 1991年 9月には, 200mmのウエハーサイズ実現のための共同チー

ムである i200mmプロジェクト・コア・チーム」が生まれ,これは 1992年の NTRS(National

Technology Roadmap for Semiconductors)に繋がっていく。このロードマップは, 15年先の

製造装置がどのように実現されていくかの道筋を示した刷。それゆえ,ロードマップ策定の

意義は,半導体メーカー,半導体製造装置メーカーに対して,あるべき日程表を提示し,そこ

に研究努力を集約していくといった意味で,業界に与えた影響は大きい。このロードマップは,

1994年, 1997年に改訂されたが,このような取り組みがアメリカ半導体産業の活性化につな

がったと考えられる。

7.結び

以上の説明からわかるように,産業政策の一環ともいえるセマテックは,アメリカの半導体

産業および製造装置産業の復活にある程度の働きを果たしたことは明らかであろう。

ただし,官頭でも述べたように,アメリカ半導体産業復活の最大の要因がセマテックであっ

たなどとは到底言えないであろう。このセマテックの評価に関しては,ラングロア&スタイン

ミユラーが,各論者の見解を整理している(問。 Irwin& Klenowの評価は,セマテックが参加

企業の重複研究開発投資を縮減し,生産性を高めたとする。 Link,Teece & Finanは,スピル

オーヴァーの重要性を指摘し,セマテックを肯定的に評価している。また, Flamは,セマテッ

クが取引コストを節減することによって,チップメーカーと装置製造業の「自然な協働」を促

進したとする (57)。ただし,最初からセマテックに参加しなかった半導体業者の中には,セマ

テックに厳しい見解を表明するものもいた。例えば, Cypress Semiconductor社長のT,J.Rogers

や CyrixSemiconductor社長の JerryRogersがそうであった。 i5年間で, 10億ドJレも投資

したのに半導体産業にとって,はっきりした成果は何もない」と,ジ、エリー・ロジャーズは辛

練であった(関)。

もとより,成功したのか否か,どの程度成功したのかを定量的に確定することはできないが,

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一一SEMATECHの分析一一 23

現実に生じたことを列挙することはできる。第一に,メモリーからマイクロ・コンピューター

(MPUなど)への需要構造の変換,それを賢明に先取りし, DRAMから MPUへの戦略転換

を先導したインテルなどの先端企業の判断や活動が挙げられる。そのインテルのノイスがセマ

テックのCEOを務め,セマテックの基本方向を設定した事実は重要であろう。第二に,セマテツ

クにとって幸運だったことに, DARPAなどのミリタリーの需要・支援を得ることができたこ

と。これは一般的な産業政策というよりも国家の安全保障とリンクしていたがゆえに,広い意

味での産業政策として実現しえたと言うべきであろう。設立されてからのセマテックの活動は,

SRCとの連携, SCOEの設置,品質管理の向上,フェイズ 1からフェイズ 3への着実な移行

など,見違えるような活発な活動を展開した。これは,とりわけ製造装置産業に恩恵をもたら

し,メモリーだけではなく,他の半導体,マイクロ・コンビユ}ター, ASIC (ASSP)などの

ロジック系の半導体製造にも利益を均需したと思われる (59)。

第 3に,法制度の整備が挙げられる。〔関連年表〕からわかるように.産学連携,官から民

への技術移転,民間企業や大学における研究開発の活性化のために数多くの立法が行われた。

これは科学技術政策と呼ばれるべきものだろうが,産業振興と探くリンクし,半導体麗業の復

活に大きく貢献した。

以上のように,シリコンパレーを中心とする民間企業のバイタリティー,戦略の確かさ,そ

れに加うるに,セマテックの役割およびその設置に影響した関係者の努力・方向性の的確さ,

さらには各種立法の有効性,これらをしっかりと評価するべきであろう。アメリカが一丸となっ

て競争力回復に向けた総合力こそ,評価すべきものである。その中でセマテックも重要な役割

を果たしたと言える。ある意味で,セマテックは,第二のミツドウェイとも呼べるべきもので

はなかろうか。

太平洋戦争において,真珠湾で勝利を収めた日本軍は,情報探知など,真剣な勝因敗因分析

を行わなかった。日本の半導体産業がアメリカ半導体産業に追いつき追い越した 1980年代,

半導体協定などのマイナスの影響はあったにせよ, ドラスティックに起きつつあった需要変動

を真剣に分析し損なったこと。これに対し,アメリカ半導体産業は一方でのインテJレの俊敏な

動きと共に,メモリ一半導体だけではなく,マイクロ・コンピュータ一半導体にも通用する半

導体製造装置の改善,および半導体メーカーとの連携強化に注力したのである。その典型例が

セマテックであった。失敗から学ぶことの重要性をアメリカは,パールハーパーと同じく,真

剣に本格的に実行した。それがセマテックなのである。パールハーパーの教訓は,ミッドウェ

イで遺憾なく発揮され, 日本軍の大敗をもたらしたように, 日本の事仔肋冶ら真剣に学んだセマ

テックは, 日本半導体没落のー原因となったのである側

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24 一一経 営 論 集一一

図5 半導体企業の収益性 (U.S.>

1975" "1鍋o 鴎11艇抑Vear

出所:Irwin and Klenow, Journal (1996), p. 37

【注】

( 1 )湯之上 (2012),第 1章,第2牽参照。

( 2 )芋苧.(~0!2). アは.ロジック系には, ASIC (特定用途向け IC,ユーザー限定)と ASSP(特定用途向け.

ユーザー非限定)の 2種類があるが,日本は ASICにカを入れ,よりマーケットが大きく,量産可能でマー

ジンも大きい ASSPを軽視した問題点が指摘されている。

( 3) Thornberry (2002), p.666

( 4 )上記出所などからの私の推計。

( 5 )注 (2)に同じ。

( 6) Berlin (2005), p.282なお, 1989年, IBMとモトローラは共同で新笑験所を設置し,それをマイクロン

にライセンスした。それは, 4メガピット DRAMの製造施設であった。 Thornberry,p.671

( 7) Berlin (2005), p.295.

( 8 )畑 (2006),18頁。

( 9) Langlois & Steinmuller (1999). p.69.

(10) Berlin (2005), p.295.

(11) DARPAは,次のような名称の爽還を遂げた。 1958年の発足時は ARPA, 1972年に国防の性格を明確に

せよとの要求によって DARPAに変更, したがってセマテツク設立時は DARPA。その後 1993年,クリ

ントン政権の時に産業政策全般に活用しようとの思惑から Defenseを取り ARPAに戻った。しかし,中

間選挙で共和党に民生れ,共和党は厳格に国防がらみの問題に関与させる意図から 1996年に DARPAに

再び戻した。宮回 (2001),第4章参照。なお, DARPAは,インターネットの板形となる 1960年代の

ARPANETを支援したことで有名である。 ARPANETは, 1980年代に NSFNETとなり, 1990年代に

wwwで有名なインターネットへと進化したのである。宮田 (2001),153頁。

(12) Browning & Shelter (2000), p,7.

(13)畑 (2006),9頁。

(14)宮田 (2001),89頁。

(15)佐身木 (1993),42頁。

(16)宮田 (2001),185貰。

(17) r 日本経済新聞~ 2013年3月3目。

(18)佐キ木 (1993),56頁。

(19)同, 41 -43頁。

(20) Thornberry (2002), p.671.

(21)富田 (2001),第3章と第4章。

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一一 SEMATECHの分析一一

(22)佐々木 (1993).67頁。宮田 (2001).65 -68頁。

(23)鴨志田・三浦 (2008).62頁。 Thornberry(2002). p.657.

(24) Wall Street Journal, July 28, 1988.

(25)サクセニアン(1995)。同書を通じての,サクセニアンの基本メッセージである。

(26) Thornberry (2002). p.669. Browning, Beyer & Shelter (1995), p.129.

(27) Wall Street Journal, Nov.17, 1987, J an.8. 1988.

25

(28) 1988年,セマテックは DoD予算370億ドJレの 0.3%(1倍、ドル), DARPA は2.7%(9億ドル)であった。

この数字を見る左,国防予算のほとんどは他の通常支出に向けられていることがわかる。Thrornberry,p.74.

宮田(2001). 105 -106頁。だが,半導体メーカーのプロセス技術への投資はアメリカ全体で2-3億ドル,

装置メーカのそれは5億ドルで両者を合計すれば, 7-8億ドルとなる。セマテックの予算は2億ドルな

ので,そのうち半分の l億ドルがプロセス技術投資とすれば,およそ 10%強がセマテツクの投資という

ことになり.セマテックのプロセス技術への投資が重姿であったことがわかる。

(29) "Corporate 1nforrnation", http://www.sernatech.org. April 12, 2005. 13社は次の通り。 AMD.AT&T,

Digital Equiprnent, Harris Corporation, Hewlett-Packard. Intel, IBM, LS1 Logic. Micron Technology,

Motorola, Nationa1 Semiconductor, Rockwell Internationa1, Texas Instruments. (30) Irwin & Klenow (1996), p.12740

(31) Wa1l Street JournaL March 5, 1987

(32) Thornberry (2002). p.679.

(33) Berlin (2005), pp.291-292.

(34)佐々 木,59貰。

(35) Berlin (2005), p.296.

(36) "Corporate 1nformation" http://www.sematech.org. Apri1 12, 2005.

(37) lrwin & Kllenow. p.12740.

(38) Procassini (1995), pp.283-284.

(39) Spencer & Grindley (1993). p.26.

(40)畑, 18頁。

(41) Browning & Shelter, pp.36.166

(42) Quality, Feb.l993.

(43) Spencer & Grindley. p.21

(44) lrwin & Klenow, p.12740.

(45) Berlin (2005), p.288.

(46) Brow叫ng,Beyer & Shelter, p.l45.

(47) Thornberry. p.684.

(48) lbid., p.681.

(49) Langlois & SteinmulIer, p.64

(50) Thornbeロγ,p.679.

(51) lrwin & Klenow, p.l2740.

(52)佐々木.由貿。

(53)井上(1994),58頁。

(54)畑, 23頁。

(55)ムーア, 229 -231頁。

(56) Langlois & Steinrnuller, pp.62-64. (57) lbid.

(58) Spencer & Grindley, p.10.Irwin & Klenow, p.12740.

(59) rメモリーチ、yプスの生産における段階の多くは,マイクロプロセッサーのような他のチップスと同一で

あるJolrwin & Klenow, pp. 12739-40. ASICとASSPについては.注2参照。

(60)最後に,アメリカの半導体メーカーの収益性の図5を掲げておく。収益性については,今後の検討課題と

したい。

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26 一一経 営 論 集一一

付表 1 半導体企業世界出荷ランキング (2013)

企業名 シェア(%) 売上(億ドル)

インテノレ(米) 15.4 527(527)

サムスン(韓) 9.7 331

クアルコム(米) 5.5 188(248)

SKハイニックス(韓) 4.0 136

マイクロン(米) 3.8 130

東芝(日) 3.6 123

TI(米) 3.4 116(122)

ブロードコム(米) 2.6 89

STマイクロ(スイス) 2.6 89(80)

ルネサス(日) 2.5 86 . . . . . . 全体 100.0 3422

出所:日経『業界地図.177頁

注:インテル以外の売上は,インテルの数値からの推計。は業界地図よりの数値。

付表2 半導体製造装置世界出荷ランキング

企業名 シェア(%) 売上(億ドル)

アプライドマテリアルズ(米) 16.2 75

ASML (蘭) 15.7 73

ラムリサ}チ(米) 9.4 44

東京エレクトロン(日) 9.1 42

阻 Aテンコール(米) 6.4 30

大日本スクリ}ン製造(日) 3.6 17

B立ハイテクノロジーズ(日) 2.6 12

アドパンテスト(日) 2.5 12

テラダイン(米) 2.4 11

ニコン(日) 1.9 9

. . . . . ..・ 4・・・・・・・

全体 100.0 463

出所:表9に同じ。

注:アプライドマテリアルズ以外の売上は,アプライドの数値からの推計。

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一一一SEMATECHの分析一一一 27

付図 1 半導体の種類

ンオフ弓ノ

セな

(ru

A

M

出品目

-7

フ下L

グ一

モア

IC

マイクロ・コンピューター-,-MPU(PC.セルラーフォンなど)

←MCU (車載,家電.産業機器〕

」ーDSP(セルラーフォン)

半導体 ロジック一寸-ASSP(特定用途向けIC.ユーザー非限定)

| ディパイス・プッシュ型(通信機など)

L-ASIC (特定用途向けIC.ユーザー限定)

製品プル型 ゲートアレイ(産業機器)

センサー(温度センサーなど)

光ディパイス (LED.CCDなど)

ディスクリート

付図2 半導体の製造工程

[シリコン結晶工程] 〔フォトマスク(写真原版〕工程]

転ア

J

1

'

υ

)

(上

l↓

|

(

λ

-

s

t

(

E

J

)

脂樹性光感

)

(

イ||+単タ

llLV

川ソ

HJr

鋭面シリコンウエハー

t マス'lITIJ作

一一一J4

[ウエハー工程] リソグラフィー(ウエハーに転写〉

[印ジスト工程 1 写真触刻技術・パターン転写)

エッチング(膜の除去.触刻)1 (献血i…ト糊削でi富力し山マス舎にしてシリコン肢を選択除去)

[配線t程) 洗浄

↓ 蒸着(アルミをl加熱・蒸発させ,ウエハーに蒸着)

l [検盗工程] 検査

↓ ダイシンゲ(切断)

↓ マウンティンゲ(リードフレームを取り付け.チップを基

l 桜に糊〉

ボンディング〈金線で屯鰯JI日を縫紋)

4 モールディンゲ〈パッケージ封入)

↓ 険査

↓ モジュール軒ll'i:(都板実数)

↓ ユーザーへ

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28 一一経 営 論 集一一

[付録】

〔セマテック関連年表〕

1947.12.23点接触型トランジスターの発明(ベル研究所マレーヒル.NY.パーデイーン,ブラッテン,ショッ

クリー)

1950 MIT. コアメモリーを実用化

1952 T 1.半導体ビジネスに参入。モトローラ,エレクトロニクス研究所を設立

1955 フォトレジスト導入(ベル研究所); Shockley Semiconductor社設立 (PaloAlto) ;IBM.磁気コアメモリー

を開発

1956 AT&T. 同意判決により特許公開 (1984 AT&T.分割)。ノイス,ショックリー入社。

1957 Fairchild Semiconductor社設立 (8人衆);親会社はロングアイランド ショセットの FairchildCamera

and 1nstruments (Sherman Fairchildがオーナー)

1958 プレーナー型トランジスター(ジャン・エルニー,フェアーチャイルド); RCAの同意審決(国内企業

は無償でライセンス使用); ARPA設置 (1972DARPA. 1993ARP A.1996DARP A)

1959 1Cの発明(ジャァク・キルビー.TI.ロパート・ノイス. 7:Lアーチャイルド)

1966 MOS型1C(アンドルー・グローブ,フェアーチャイルド)

1968 インテル設立 (IntelCo叩 oration)(Robert Noyce. Gordon Moore. Andrew Grove) 1969 AMD設立 (}errySanders)

1970 1k bit DRAM (インテル) (←magnet core memory) ; CCDの発明(ベル研)01970年代に IBM研究所,

RISC開発。

1971 MPU4004. SRAM, EPROM (インテル)0FD (IBMのアラン・シュガート); SEM1 (Semiconductor

Equipment and Materials 1nstitute)設立。後に SEMInternationalに名称変更。

1973 モトローラ.セルラーフォンの前身導入

1974 Zailog社設立, 8080の上位互換8ピット CPU,Z-80を発表;Trade Act (Section 301)

1975 Altair最初の PC; Microsoft設立 (BillGates. Paul Allen)

1976 超 LS1技術研究開発組合 (NEC.富士通,三菱,目立,東芝) (→ 1980) ; Apple Computer設立 (Steve

J obs. Steve W ozniack) ;最初のワープロ ElectricPencil

1977 S1A (Semiconductor Industry Association) 設立 (5社); field programmable logic発明 (Monolithic

Memories 1nc.)

1978 Micron設立 (Boise,1daho)

1979 Motorola. M6809. M68000を発表

1980 VHS1C (Very High Speed Integrated Circuit)がDoDによって設立 Stevenson-WydlerTechnology

1nnovation Act ; Bayh-Dole Actバイ・ドール法;IBM. PC発売

1981 LS1 Logic. ゲートアレイ導入;経済再生税法EconomicRecovery Tax Act

1982 SRC (Semiconductor Research Corporation)設立;IBMの反トラスト訴訟,和解

1983 MCC: Microelectronics and Computer Technology Corporation設立;モトローラ,セルラーフォン商用

1984 半導体チップ保護法 SemiconductorChip Protection Act Cintellectual property protection) ;IMEC. ASML設立;国家共同研究法 (NationalCooperative Research Act)

1985 インテル .DRAMから撤退(他社も追随,残ったのは Micron.TI.IBM)1986 連邦技術移転法FederalTechnology Transfer Act; R&D T位 Creditの延長

1986.5 日米半導体協定;S1A. SRC共同会議を開催

1986.6 S1A. Sporckに業界協調の努力を依頼。

1986.11 SIA. st自由19committeeを設置 (chairは. Sporck) ; SEMATECHの略称作成。ロピイングの開始。

1986.12 国防総省報告がメディア漏洩

1987.2 国防総省報告発表(外国製半導体依存への警告)

1987.3 S1A.半官半民のコンソーシアムを提起;SporckのSantaClara事務所で業務開始

1987.8 SEMA TECH設立 (13社)

1987.9 SEMIISEMATECH (半導体製造装置・材料企業連合)設立

Page 30: SEMATECHの分析-アメリカ産業政策の研究- URL DOI...経営論集 62巻第1.2号 201 5年 3月 1.課題 SEMATECHの分析 ーアメリカ産業政策の研究ー 目次 1.課題

一-SEMATECHの分析一一 29

1987.12 議会,セマテックへの補助金承認. レーガン署名

1987 アメリカ.EPROMの首位奪回;富士通のフェアチャイルド買収失敗. NSに:SEM1.名称をInstitute

から 1nternationalに変更

1988 NACS: National Advisory Committee and Semiconductors (米国半導体諮問委員会)設立(→ 1991):

NCR参加(14社):ノイス会長 :SRCと共同で COEプログラム :4月.Austinに移転:T1と目立.

16Mの生産で合弁会社:包括的通商・競争力法OmnibusTrade and Competitiveness Act

1989 セマテック,製造装置に力点:U.S.Memories構想,サンデイア国立研究所.オークリッジ国立研究所と

パートナーシップ;国家競争力技術移転法

1989.3 宜rstwafer lot ; :最初の COE設置:Phase I達成 (0.8micron on 4Mb DRAM. 64K SRAM)

1989.11 IBM. マイクロンに 4MDRAMの技術をライセンス;Supplier Relations Action Council and Total

Quality Task Force設置

1989.12 大学などと半導体製造の教育カリキュラム策定

1990 3社.脱退表明 (LS1Logic. Micron. Harris Corp) (実際には. 1992と1993); Partnering for Total

Quality Program :政府補助金停止の可能性

1990.4 JESS1と協力プロジェクト

1990.6 0.5ミクロン線幅回路を純アメリカ製設備で製造 (PhaseII 達成):ノイス死去

1991 日米半導体協定更新:High-Performance Computing Act: : Roadmapの前身作成 (Microtech2000) :

AMD.80386互換の Am386発表

1991.9 200mm Project Core Team発足

1992 1ntel.半導体で世界一位に返り咲く;第2次SEMATECH発足:LS1 Logic. Micron脱退 (Harrisは

1993) : National Technology Roadmap for Semiconductor (a 15-year roadmap). 1994.1997に改訂;サ

ムスン. DRAMで世界l位に。

1993 Samsung. MOSメモリーで世界1位,環境問題の重要性;1月.Phase III達成 (0.35micron) :アメリカ,

シェアで日本を逆転;国家共同研究生産法NationalCooperative Research and Production Act

1994 セマッテク理事会. 1996年以降の政府補助金辞退を決定;シリコン・ウエハー・サミァト

1995 日本市場で外国製半導体が20%を超える。 1300I(International 300mm 1nitiative)宏子会社として設立

1996 Partnering for Workforce Development Programを策定

1997 セマテック,民間企業に移行(最終政府資金受領)

1997.7 1300Iと J300(日本)がGlobalJoint Guidance Agreementに調印

1998 American Competitiveness and Workforce 1mprovement Act : International SEMATECH (1SMT)を

子会社として設立(海外企業は5社)

1999 Next Generation Lithography (EUV. EPL) ; 1TRS99 (1nternational Technology Roadmap for

Semiconductors)

2000 SEMATECHを1SMTに改称(ブランドのみ);マイクラスキャン. 157nm micro stepper

2001.4 SELETE: Semiconductor Leading Edge Technologies. 1nc半導体先端テクノ

ロジーズ(→ 2006.3): ASUKA (2001.4) : SEMATECH. SELETEおよびJEITAと協力関係

2002.8 ISMT. SUNY at Albanyと 提携 ;MIRA1 (Millennium Research for Advanced 1nformation

Technology)設立

2003.2 1SMT.新コンソーシアム. 1SMI (International SEMATECH Manufacturing lnitiative)を立ち上げる

2004 テキサス州と ISMT.AMRC (Advanced Mat巴rialsResearch Center)を設立

2004.9 1SMTをSEMATECHに戻す。

2006 マイクロン復帰。 NEC. }レネッサス新規加入

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30 一一経 営 論 集一一

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小宮啓義『日本半導体産業の課題一一21世紀日本半導体産業への指針J電子ジャーナル社.2004

近藤光「韓国半導体産業の発展一一競争優位構築の戦略 三星電子のケースJr経営学研究論集j25号.2006

近藤光「アメリカ DRAM企業の生き残り戦略一一マイクロン・テクノロジ一社の戦略H経営学研究論集j26号,

2007

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レビューj39巻l号. 1991年12月

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佐野昌『半導体衰退の原因と生き残りの鍵』日刊工業新聞社, 2012

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一一一 SEMATECHの分析一一一 31

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ダイヤモンド社. 1997 タイソン,ローラ(竹中平蔵監訳,阿部司訳)r誰が誰を叩いているのか一一戦略的管理貿易は,アメリカの正

しい選択?~ダイヤモンド社. 1993 立本博文・藤本隆宏・営回純一「プロセス産業としての半導体前工程一一アーキテクチャー変動のダイナミクスj

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MICRODEVICES~ 2007年3月号.4月号

中馬宏之「増大する複雑性と苦闘するサイエンス型産業一一半導体産業」青島矢一他編『メイド・イン・ジャ

パンは終わるのか一一「奇襲」と「終聞の先にあるもの』東洋経済新報社.2010 趨エル・エス・アイ技術研究組合編『超エル・エス・アイ技術研究組合 15年の歩み』趨エル・エス・アイ技術

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湯之上隆 rr電機・半導体」大崩壊の教訓一一電子立国ニッポン,再生への道筋』日本文芸社, 2012

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吉岡英美rDRAM市場における三星電子のキャッチアップに関する一考察一-DRAM需要特性の変化の視点

から一一Jr韓国経済研究.14巻, 2004

吉岡英美「韓国半導体産業の嗣際競争力形成の要因一一デバイス部門と製造装置部門の企業間関係の変化に即

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吉岡英美「韓国半導体産業の技術力に関する考察一一三星電子の要素技術開発の事例を通じて一一」ルネッサ

ンスプロジ、エクト,副総ussionPaper S告ries#05-11, 2005年2月 (Web版)

米i事克雄「大規模科学技術システムと日本型研究開発マネジメント」野中郁次郎・永田是也『日本割イノベーショ

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米山茂美・野中郁次郎「集合革新のダイナミクス一一半導体産業における DRAM開発の事例」野中部次郎・

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ASIC: application specific integrated circuit

ASML: (1984-)オランダ (AdvancedSemiconductor Material Lithography)

ASPLA: Advanced SoC Plaぽ'ormCorporation

ASSP: application specific standard product

ASUKA: (2001.4 -) : Advanced Semiconductors through Collaborative Achievement

ATDF: Advanced Technology Development Faci!ity

A TP: Advanced Technology Program (最先端技術プログラム)

CBD: cell-based devices

CBO: Congressional Budget Office連邦議会予算事務局

CCD: charge coupled device

CORD: Center for Occupational Research and Development

CISC: Complex Instruction Set Computer (PC用)CRADAs: Cooperative Research and Development Agreements官民共同研究開発協定

CRT: cathode ray tube (陰極線管=ブラウン管)

DARP A: Defense Advanced Research Project Agency 国防高等研究計画局 (=ARPA)

DSB: Defense Science Board (国防科学審議会)

DSP: digital signal processor

DVD: digital video disc

EIAJ: Electronic Industries of Japan

EL: electro lumine酒cence(冷光)

EMC: Equipment Manufacturing Center 製造装置センター

ESPRIT: European Strategic Program for Research and Development in Information Technology

EUREKA: European Research Coordination Action

EUV: extreme ultraviolet 極紫外線

FPD: flat panel display

FSA: Fabless Semiconductor Association

Federal Office of Science and Technology Policy連邦科学技術政策局

FPGA: field programmable gate array

GAO: United States General Accounting 0血ce 会計検査院

GCA: Graphics Corporation of America

GOCO: Govemment Owned-Conductor Operated 固有民営型

Page 37: SEMATECHの分析-アメリカ産業政策の研究- URL DOI...経営論集 62巻第1.2号 201 5年 3月 1.課題 SEMATECHの分析 ーアメリカ産業政策の研究ー 目次 1.課題

36 一一経 営 論 集一一

GOGO: Govemment Owned-Govemment Operated国有国営型

HALCA: Highly Agile Line Concept Advancement高効率次世代半導体製造システム技術開発2001.8-2004.3

HDM1: high definition multi interface

HPCC: High Performance Computing and Communications program 高性能コンピューターー通信プログラム

IDM: Integrated Device Manufacturer (自社ブランドの製品設計から量産まで)

IIAP: 1MEC Industrial Affiliation Program

1MEC: 1nteruniversity Microelectronics Center (ベルギー)

1SM1: Intemational SEMATECH Manufacturing lnitiative ISMT: Intemational SEMATECH

13001: Intemational 300mm lnitiative 1TRS: Intemational Technology Roadmap for Semiconductors国際半導体技術ロードマップ

J ASV A: J apan Semiconductor Ventures Association

JEIDA: Japan Electronic 1ndustry Development Association日本電子工業振興協会

]EIT A: ]apan Electronics Information Technology Association電子情報技術産業協会

]ESS1: ]oint European Submicron Silicon Initiative (1989-)→ EUREKA

]TEC: ]apanese T巴chnologyE注lucationCenter 日本技術評価センター

KS1A: Korean Semiconductor 1ndustry Association

LS1: large scale integrated circuit

LSN: large scale n巴tworking大規模ネットワーク

MARCO: Microelectronics Advanced Research Corporation (SRCの子会社)

MAST: Microelectronics Manufacturing Science & Technology 1988-93

MEDEA: Microelectronics Development for European Applica甘ons(EUREKAのl部門)

M1RA1: (2001ふ2007)MiIl号nniumResearch for Advanced 1nformation Technology次世代半導体材料・プロセ

ス基盤技術開発プロジェクト

MCC: Microelectronics and Computer Technology Corporation

MCU: micro controll巴runit

MPU: micro processing unit

MSC: Manufacturing Science Committee 製造科学委員会

MTC: Manufacturing Technology Center 製造技術センター

NACS: National Advisory Committee on Semiconductors (1988-91)半導体諮問委員会

NCRA: National Cooperative Research Act. 1984

NEDO新エネルギー(・産業技術)総合開発機構 (1980~. 1998 ~) New Energy and Industrial Technology

Development Organization

NEM1: National Electronics Manufacturing lnitiative 全米電子機器製造業者協会

NERC: Nanoelectronics Research Corporation

NlI: National Innovation 1nitiativ巴NII: National Information Infrastructure 国家情報基盤(情報スーパーハイウェイ)

N1ST: National Institute of Standards and Technology標準技術局

NMST: Microelectronics Manufacturing Science and Technology (1988-ー.93)

NSTC: National Science and Technology Council国家科学技術審議会

NRC: National Research Council全米研究評議会

NSF: National Science Foundation全米科学財団

NSTC: Nationa1 Sci巴nceand Technology Council 全米科学技術会議

NTRS: National Technology

Page 38: SEMATECHの分析-アメリカ産業政策の研究- URL DOI...経営論集 62巻第1.2号 201 5年 3月 1.課題 SEMATECHの分析 ーアメリカ産業政策の研究ー 目次 1.課題

一一一 SEMATECHの分析一一一

SEA]: Semiconductor Equipment Association of J apan

SELETE : Semiconductor Leading Edge Technologies半導体テクノロジー

SEMATECH: Semiconductor Manufacturing Technology (1987.8 -1997--)

37

SEMI: Semiconductor Equipment andν1aterials International (最初は Institute)半導体製造装荷-材料業者団

体 (1971-)

SEMI/SEMATECH: (1987 -)

SETEC: Semiconductor Equipment Technology Center半導体製造装置技術センタ-

SIA: Semiconductor Industry Association (1977 -)米国半導体工業会

SIRIJ: Semiconductor Industry Research Institute Japan日本半導体産業研究所 (94一)

SISA: Semiconductor Industry Suppliers Association

SoC: system on a chip

SRC: Semiconductor Research Corporation (1981ー)

SSi:スーパーシリコン研究所 (1996.3-2000.1)

STARC:半導体理工学研究センター 1995ー (SRCをモデル)

STC: Semiconductor Technology Council半導体技術会議

STR]: Semiconductor Technology Roadmap Committee of Japan

SVGL: Silicon Valley Group Lithography

TEL: Tokyo Elec仕onLimited 東京エレクトロン株式会社

TFT: thin film transistor

TLO: Technology Licensing Organization

TRP: Technology ReinvestInent Program

TSMC: Taiwan Semiconductor Manufacturing Company

UMC: United Microel巴ctronicsCorporation

USTR: United States Trade Representative 米国通商代表部

VCD: video compact disc

VHSIC: Very High Speed Integrated Circuit (1979 -89)

VLSI: very large scale integration ;超 LSI技術研究組合共同研究所

VTR: video tape recorder

WSC: W orld Semiconductor Council 世界半導体会議 (1996-)

WSTS: W orld Semiconductor Trade Statistics

〔謝辞.本稿の作成に際しては.公益財団法人 全国銀行学術研究振興財団の研究助成金を受けている。記して

厚くお礼申し上げます。〕