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Title 東南アジアにおける言語政策 その一 地域総論
Author(s) 藤田, 剛正
Citation 研究年報, (13), pp.109-133; 1972
Issue Date 1972-03-31
URL http://hdl.handle.net/10069/26378
Right
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
東南アジアにおける言語政策 109
東南アジアにおける言語政策
その一 地 域 総 論
藤 田 剛 正
目 次
第一章 共通する諸問題
§1 国語確立の問題
§2 国語普及の問題
§3 世界語の役割
§4 言語教育の目的
§5 教科書と教員養成
§6 大学のかかえる問題
第二章 言語政策の現状
§1 言語政策
(1)世界語
② 教育用語
(3)必修言語科目
(4)各国語の性質
(5)高等教育に及ぼす影響
§2 言語政策執行機関
§3 民族集団と教育用語
§4 言語科目の目標
§5 言語教育資源
(1)教員
② 教科書
(3)テスト
§6 言語政策の結果
(1)学生への影響
(2)教師への影響
(3)図書及び文献
第一章 共通する諸問題
§1 国語確立の問題
今日,東南アジアの国々はそれぞれにいわゆる国語(the national language).を制定
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して,その普及に腐心している。かつてマレーシアのラーマン首相は「発展途上国が自ら
の言語を確立したいと望むのは当然である。もし国語を持たないなら,国家はその個性・
魂・生命を持たないことになる」と語ったが,今日,東南アジア各国にみられる国語運動
はこの地域において今日もっとも盛んな民族主義(nationalism)の帰結であると言うこと
ができる。
この国語運動とは具体的にいうと次のようなことである。まず学校教育の場において,
これまでフランス語や英語で教えられていた学科目がすべて国家制定の国語で教えられる
ことになる。それはこれまでのイギリス人・フランス人・オランダ人といった外国人教師
にとって代って本国人が教鞭をとるということを意味する。しかし,このことは本国人教
師が一定の水準に達していることを前提とするから一朝一夕にして成るものではない。さ
らに,すべての学科目について外国語で書かれている教科書を国語に翻訳しなければなら
ない。それには,特に自然科学の諸分野でそうであるが,相当量の新語彙を創造しなけれ
ばならない。国語の中にこれまで全く存在しなかったり,確立されていなかった概念に対
応することばの創造である。こうしてみると,今日の東南アジア諸国は経済や産業の分野
ばかりでなく,文化諸領域,特に国語において,まさに産みの苦しみをしているというこ
とができよう。
この苦しみは明治維新期のわが国を思い浮かべれば身近かに理解できるであろう。今日
の東南アジアの教育と言語の関係は,明治の初期,いわゆる文明開化期における日本の教
育と言語の関係とよく似ている。東京帝国大学の前身である開成学校における大多数の教
官はお雇い外国人教師であった。彼らは母国語である欧米語を用いて教鞭をとった。徐々
に邦人教師が養成されたが,それでも使用される教科書は長い聞欧米語で書かれたもので
あった。日本人の教育が日本語で書かれた教科書を使って日本人自身によってなされるま
でに半世紀を要している。これを象徴する出来事は明治の終り近く,当時Cambridge大
学における留学を終えて帰朝したばかりの夏目漱石がアメリカ人教師Lafcadeo H:earn
(小泉八雲)に代わって東大英文科の座におさまったことである。それは1go3年(明治36
年)のことであった。1860年代から性急に欧米の知識・学問の摂取をはじめた日本は,約
半世紀かかって,およそこれくらいの時点で知識・学問の自家生産が可能となったのであ
る。東南アジア諸国は第二次世界大戦後の独立以来20数年を経過した時点であるが,教育
・言語の観点からはほゴ日本の明治の半ばにさしかかる頃と見てよいであろう。
東南アジア諸国において国が定めた国語を使って教鞭をとれる教師が得られない学問領
域一特に自然科学の諸分野がそうであるが一において外国人教師を使う場合,国語政
策を遂行しようとすれば次の3つの選択が考えられる。①外国人教師に国語を教えて外
国人が国語を使って教鞭がとれるようにする②外国人教師が通訳を使って教える③外
国語と国語の双方をよく知っている若手教師(本国人)に外国人教師が教え,教室では若
手教肺に教鞭をとらせる。第一の選択は時間的にも個人の労力の観点からも最小限の費用
東南アジアにおける言語政策 111
で済む。しかし,これが実行されでいる例はほとんどない。第二,第三の選択はしばしば
試みられているが,成功しているとはいえないb結局,高等教育・中等教育の多くの方面
において国語への移行は非常に緩漫であるのが現状である。
国語に新語彙を加わえる問題は,それ自身すでに困難なことであるが,民族主義からく
る感情が伴なって一層困難な仕事となっている。新語彙の整備拡充を審議する委員会は,
}般に,実際的であることよりもユニークであることを.強調している。すなわち,国際的
に使われている語とか隣…接言語からの語をそのまま受け入れることをいさぎよしとせず,
民族独自の語を創造しようと努力するのである。新語彙を作る問題は単に言語学上の問題
ではなくて,国家の,民族の,理念決定にかかわる大事と受けとられている。例えば,比
較的新しい概念であるテレビ(television)に対するビルマ語はyou-myin-than-kya
-seであり,その文字通りの意味は,姿一見一音一聞一機械である。ヴェトナム語
はdien-thiで電気一見である。またタイ語はthoora thatでギリシャ・ラテン語系の
television(遠一見)に対応するサンスクリット語を当てたものである。このいずれも,
televisionとかTV, tee-vee(アメリカ)とか, t5-v6(フランス)とかtelly(イギ
リス)などとは似ない独自な造語となっている。これは日本語がほとんど無差別ともいえ
るほど自由に,無造作に,外国語を日本語の中に受け入れている事実と対照的である。日
本語となっているテレビと上にあげた例とを比べただけでも,彼らの並々ならぬ民族主義
をうかがい知ることができよう。しかし,それが彼らの国語形成のスピードを遅らせてい
ることは致しかたないところである。
§2 国語普及の問題
東南アジア諸国は,今日,程度の差はあるが,一様に国語普及の問題をかかえている。
すなわち,それぞれに制定した国語をどのようにして国内の全地域,全民族,のあらゆる
階層に及ぼすかという問題である。国語普及の困難の度合は国語以外の言語を有する少数
民族が全人口に対して占める比率によって国毎に異なる。国語普及の難易度により東南ア
ジア諸国を次の3群に大別することができる。
①国語普及が比較的容易である国家:ヴェトナム、・カンボジア・タイ②困難である
国家:・インドネシア・フィリッピン③非常に困難である国家:ビルマ・ラオス・マレー (1)
シア。
①の国語普及が比較的容易であると判断される国家群の特長は,国語あるいはそれに近
い言語を母語(the native language)とする人口が国家人ロの圧倒的多諏を占めている (2)ということである。北ベトナム(人口:2,00Q万)は85%がヴェトナム族,南ヴェトナム
(人口:2,000万)は90%がヴェトナム族,カンボジア(人口:700万)は83%がクメール
族である。タイ(人口:3,600万)は人口のユ2%を占める中国人を別とすれば,少数民族
は1%に満たず,87%はタイ語を話すタイ族と考えてよい。
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②の国語普及が困難と判断される国家においては,その言語情勢は民族構成と共に複雑
となる。先ずインドネシア(人ロ:1億2千万)においては,インドネシア語(Bahasa
Indonasia)を母語とする人数は約750万で総人口の7%に満たない。インドネシアには25
種の土着語(vernaculars),250種の方言(dialects)があり,そのうちインドネシア語も
含めて8種の土着語が西マレー・ポリネシア語族(Western Malayo-Polynesian lan-
gllages)に属し,これらを母語とするものはインドネシア全人ロの約90%に達する。その
うち最も多数のものが話している土着語はジャワ語(5千万人)である。何故にジャワ語
(Javanese)が国語とならず,いわゆるインドネシア語(Bahara Indonasia, Indonasian
/Malay)が国語の位置を占めるに至ったかというと次のような理由があげられる。①イ
ンドネシア語が別名 ‘market Malay’(商業マレー語)と呼ばれるほど国際語(1ingua
franca)として通用するのに対し,ジャワ語はジャワ島以外ではあまり通用しない②ジ
ャワ語には地理的に対立しあう方言(rival dialects)がある ③また,社会階層毎に異
なる方言が使われて,外部者には仲々その識別が覚えられない。地域の商業国際語を国語
の位置に据えたインドネシアがこれを,民族毎に別々の土着語を話す1億有余の国民のす
べてに浸透させることは至難の業である。
次にフィリッピン(人口=3,900万)においては1946年7月にタガログ語(Tagalo9)を
国語に制定したが,これを話すものは全国民の善以下で,ほゴ人ロの毒に通じる英語に及
ばないのが現状である。
③の国語普及が非常に困難であるとみなされている国家群をみると,先ずビルマ(人口:
2,800万)では,ビルマ語を話すビルマ族は全人口のおよそ壱である。1950年以降ビル
マ語が国語となっているが,中等・高等教育をはじめ,渉外関係等重要な事柄には英語の
方がなお優勢である。
ラオスは全人口300万の小国で,東南アジアで大学をもたない唯一つの国であるが,少
数民族の数は30を越えている。中心民族のラオ族が全人口の垂を占める。国語であるラオ
ス語は2つの方言が標準語の地位を求めて競っているが,話しことばとしても書きことば
としても完全な標準化に達していない。
シンガポール(人口:210万)マレーシア(人口:1,100万)はよく多民族国家(multi-
racial nation)といわれるが,それは多文化(multi-cultura1)の意味でもある。即ち,
シンガポんル・マレーシアでは,マレー・中国・インド・ヨーロッパの4つの文化が混交
している。初等学校も,マレー語で教える学校,中国語で教える学校,タミール語で教え
る学校,英語で教える学校の4種が共存している。シンガポールの人口構成は,75%が中
国人,15%がマレー人,8%がインド人である。マレーシアでは総人ロ1,100万のうち,
西マレー・ポリネシア語族を話すものは400万人で,そのうち国語としてのマレー語
(Malay)を話すものは75%,即ち,300万人である。これが現実の国語となるまでには
幾世代もかかるであろう。
東南アジアにおける言語政策 113
§3 世界語の役割
はじめに世界語(aworld language)とは,それを国語とする国家以外の地域でも広
く使用される標準言語のことである。フランス語・英語・中国官話(Mandarin)が東南
アジアにおける重要な世界語である。
東南アジア各国は,こんにち,世界語に関して共通のディレンマに直面している。それ
は次の2つのいずれかの選択を強いられていることである。①高等教育において国語を
偏重するため大学を卒業しても世界的な文献を読むことができず,海外との接触も持ち得
なくなる②高等教育において世界語を偏重するため初等・中等学校で世界語を学ぶ機会
を得なかったもの・または語学的適性のないものの高等教育を受ける機会を奪うことにな
る。
具体的に先ずビルマにおける教育と言語の関係をみてみよう。ビルマではイギリス植民
地時代から初等・中等教育は,英語で教える学校,土着語(その多くはビルマ語)で教え
る学校,その双方を使って教える学校の3種があり,高等教育は英語に限られていた。1948
年に独立するとビルマ語を国語と定め,学校はすべて国語で教えることを原則としたが英
語学校,英語・土着語学校も私立の形で今日に残っている。独立後8年間の教育業績報告
書によると,土着語学校の成績は,語学以外では,英語・土着語学校のそれよりも圧
倒的によかった。後者の学校が教育条件においてより恵まれていることを考慮すると,こ
れはまさに土着語(国語)のもつ利点の証明であった。ところが大学入試では英語学力が
絶対的条件であり,土着語学校でよほど学年が進んでから始めた生徒の英語学力は,英語
学校や英語・土着語学校で小学1年からあらゆる科目を英語で教えられてきた生徒の英語
学力にとうてい及ばない。ここにディレンマがある。そこで大学教育でもビルマ語を教育
用語(the medium of instruction)にするようにという勧告が1961年になされているが
その移行は非常に緩慢である。
フィリッピンでは①か②かというディレンマを避けるため初等教育から2ケ国語(国語
と世界語)以上の履習を義務ずけているが,これは児童・生徒の実状に合わず,;期待する
ような成果をあげているとはいえない。
①が選択されているところ,すなわち高等教育の用語として国語を重視する国家におい
ては一そのよい例はタイであるが一大学生たちは,世界語に強いものこそエリート
で,海外留学その他の恩恵があり,やがては国家社会の重鎮となるどいう現実を知ってい
るのである。逆に②が選択されているところ,すなわち教育用語が世界語であってそれに
重い比重が寄せられている国家(例えばカンボジア)においては,公教育の当初から児童・
生徒の学習意欲に影響を及ぼす。というのは,世界語(カンボジアの例ではフランス語)
の成績が揮わなければ,すでに初等教育の段階で出世の道をとざされるからである。その
ため小学生のなかに不正行為をしてまでフランス語の成績をよくしようとする傾向がみら
114 、 、
(3)
れるという。
東南アジア各国の高等教育で世界語が果している役割は甚大である。各国の高等教育課
程のうち,すくなくとも一部分は,世界語を用語としている。カンボジア・ラオス・フィ
リ,ッピンのように初等教育のはじめからフランス語または英語を教育用語としている国家
もある。タイやインドネシアのように話しことばとしての英語の使用を特定の学科目の講
義に限定しているところもあるが,このような国家にあっても学生の英語読解力は不可欠
である。国語を教育用語としていても,指定参考文献には英語で書かれた書物・学界誌が
多分に含まれているからである。
国語との関連において解決不可能な問題が起るのはまさにこの領域においてである。東
南アジア諸国の政府役人たちは,そのような世界語で書かれている文献・学界誌も国語に
翻訳して国語で入手可能にすればよいと考えているが,それで満足するのは中等学校あ、る
いは職業専門学校くらいまでがせいぜいであろう。それは履習科目が定められ,選択科目が
僅少で,独創的な研究が要求されない段階に止まる。もしも大学がその延長と考えられ,
同じような制約に甘んじていられるものであれば,翻訳で十分であろう。しかし,東南ア
ジア諸国が求める大学はこの種のものではない。そこで研究用具(aresearch toO1)とし
て世界語の読解力が学生の不可欠の能力として要求されるのである。
教科書の翻訳だけが問題であるのならば,大がかりな財源と人的資源をかければ,基礎
的な教科書は翻訳して大学に供与できるであろう。しかし,どのような大学図書館をのぞ
いてみても,その大部分の図書は基礎的な知識に関するものではない。自然科学部門にお
いては学界誌等の定期刊行物が重要である。人文・社会科学部門でも定期刊行物に目を通
しておくことは重要であるが,同時に絶版となっているような古文書を参照することも要
求きれる。それらの活字はすべて世界語である。翻訳されるのを待っていては研究はでき
ない。
研究用具としての世界語の役割は東南アジアにおいても,スカンジナビア諸国において
も,日本においても同じことである。民族主義の要請によって英語・ロシヤ語・フランス
語・スペイン語・ドイツ高等の履習をこれらの国々が廃止するようなことは考えられな
い。学術研究や世界各国との接触を可能とする世界語は東南テジアにおいてもその意義を
失うことはないであろう。
§4 言語教育の目的
最:近,静岡大学の鳥居次好教授は東南アジアの言語事情と対照して日本における英語教
育の目的を論んじ,「英語教育の目的を,ただ,日本語のほかにもう1つゴミュニケーシ
ョンの手段を与えるということだけに置いている限り』,煽本の英語教育はその動機づけに
おいてきわめで弱いといわなければならない」と結論し,「英語という言語そのものから
得られる価値」として「論理的思考能力の付与」 「言語とくに母国語の意識的使用能力の
東南アジアにおける言語政策 115
(4)付与」を強調していられる。これは東南アジアの複雑な言語事情を一方の極において,そ
の反対の極に日本という単一民族・単一言語の国家をおいたときに,日本の英語教育学者
が得たひとつの洞察であった。さて,それでは複数民族・複数言語の国家である東南アジ
アの各国において言語教育は何を目的として行なわれているであろうか。
東南アジアにはいろいろな種類・範疇の言語があるが,いずれの国家においても母語以
外の言語(non-native language)によって意思伝達できようになることを言語教育の最
大の目的としている。それは日本と違って民族的にも言語的にもその構成が複数である国
家においては十分に強力な動機づけとなる。世界語,すなわち広域伝達用語(language
of wider communication)カ§教育用語(the medium of instruction)として使われて
いない場合にも,それは読解力の付与を主たる目的として中等・高等教育の履習科目とさ
れる。次にいずれの国家も国語教育に懸命であるが,生徒の母語とする土着語(vernac-
ular)が国語とかけ離れたものである場合には,国語教育は世界語教育と等しく困難な仕事
となる。土着語教育は初等学校のはじめの1年乃至3年間に限られ,正しい話し方と自己
表現の訓練を目的とする。国語教育は,発音・文法・語法・スタイル等の標準化(standardi-
zation)を目的とする。それは話しことばの教育である。読解力の付与を主たる目的と
する書きことばの教育は,時に話しことばの教育を飛び越えて行なわれている。このこと
は世界語の教育においてよくみられるが,それは日本における世界語教育の現状とあまり
変らないことである。このような書きことばとしての世界語の学習は研究用具(aresearch
too1)の付与を主たる目的とする。
東南アジアの学校教育における言語科目の学習者と学習目的を一覧表にすると次のよう
になる。
表 1 (5>
各種言語教育の目的言語の種類 話しことば 書きことば
土着語
国 語
第1世界語
第2世界語
母語とする者に
標準化を目的に
母語としない者に
ロ頭教育の新用具として
母語とする者に
標準化を目的に
母語としない者に
口頭教育の薪用具として
母語とする者に
標準化を目的に
既学習者に
矯正を目的に
第2世界語の話者に
母語とする者に文字教育の
臨時的用具として
全学習者に1教養科目として
大多数の学習者に
文字教育の新用具として
全学習者に
文字教育の新用具として
全学習者に1教養科目として
または研究用具として
既学習者に
矯正を目的に
全学習者に
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1教養科目として,または
書きことばの能力を
得るための手段として
1教養科目として
または研究用具として
以上の言語教育の目的は常にはっきりと理解され意識されているわけではない。実際に
は目的の混同がある。それは初等教育から高等教育に及ぶ全段階にみられる。さらに話し
ことばと書きことばの関係の理解が欠けているために起る混乱がある。話しことばに習熟
することが書きことばに習熟するための一番の捷径であるということが認められていない
場合が多い。
§5 教科書と教員養成
東南アジア各国は言語教育に関して教材の問題と教員養成の問題をかかえている。教材
の問題は特に国語教育において深刻であり,教員養成の問題は世界語教育において深刻で
ある。その理由は明白である。すなわち,教材について言えば,世界各地で広範に学習さ
れている世界語の方にはでき合いの優れた教材がいくつもあって入手も容易であるが,国
語教育の方は歴史も浅く,その教材は自ら創り出して行かねばならぬものである。教員に
ついては,世界語の教員よりも国語科教員の方が選択・訓練・監督にわたってやりやすい
わけである。こんにち,たいていの国家には教員養成大学ができて,初等・中等教育の国
語及び世界語の教員養成が形式的には軌道に乗っている。学生はそれぞれ将来教えようと
する言語の中身を先ず習得し,次にその教授法を研究する。従って先に掲げた言語教育の
目的表には各項目減に教員養成という目的を加えるべきである。
言語教育のための教科書としては現在次のようなものがある。①会話教本 その主要な
目的は話しことばの構造の習得である。②単語及び熟語帳 その主要な目的は話しことば
の語彙の習得である。③文法演習書 その主要な目的は書きことばの構造の習得である。④
読本 その主要目的は書きことばの語彙習得である。⑤文法書 話しことばと書きことば
の構造習得を目的とする。⑥辞書 話しことばと書きことばの語彙を与える。⑦発音教本
書き方と関連させて正し発音を与える ⑧書き方帳 発音と関連して正しい表記法を与え
る。実際の教科書は以上8項目から2つ乃至3つを選んで結び合わせた形のものが多い。
これらの教材を用いて言語を教える方法としては次のようなものが行われている。
④復唱 主として口頭による個人の積極的な学習参与 ◎集団復唱 クラス全体による
積極的学習参与 ◎語学演習室(LL)を利用した個人別語学練習(授業外)。㊥集団に
よる語学演習室の利用(授業内と授業外の双方)。㊥講義 クラス全体たよる消極的学習
参与。㊦宿題 教室外で個人別に学習する。㊦プログラム学習 クラス全員がそれぞれ自
己のペースで書きことばを学習する。あるいはテープにより話しことばを学習する。
教材と教授法の組合わせのうち,最も一般的に行なわれているのは ③文法演習書 ◎
集団復唱 ④読本 ㊦宿題である。これは初等教育に最も多くみられる形態である。最も
東南アジアにおける言語政策 11ワ
困難な組合わせは①会話教本と㊦プログラム学習である。これは最も必要な組合わせであ
るが,あまり実行されていない。
§6 木学のかかえる問題
以上§1~§5はすべて高等教育すなわち大学と関連するものであるが,本節では大学
に顕著な影響を及ぼす諸要因を指摘して,第一章のしめくくりとしたい。あらゆる大学の
特殊問題の根底には費用の問題がある。しかし,初等・中等教育なら予算さえ十分なら実
現できるようなことでも,高等教育においては必ずしも金銭だけでは解決しないという場
合もある。特定の学部・学科の固有な問題は一般論では解決しないからである。もうひと
つの共通要因は人事である。初等・中等学校なら教職員の代行も可能であるが,大学の研
究に重要な役割を果してきた教授が去って行く場合,後任を得るのはむずかしく,どんな
に予算を増やしても空白が補充できないこともあるのである。
① 国語の拡充問題と関連して大学と他の公共機関との関係の問題がある。両者の関係
が円滑である場合でも,公機関(例えば国語審議会)と大学とが平行して関連企画をすす
めている場合,スタッフが重複するとか,スタッフ聞の意志疎通がないとか,あるいは大
学が独自の研究をすすめることができなくなるなどの問題が起る。大学の研究が完結して
も国語審議会が新語彙の承認を遅らせるため,緊急に必要な国語教材の出版ができないで
いるといった場合もある。
②国語普及の問題は高等教育の段階で特殊な副産物を残している。それは大学生の中
にはこれまでの教育の一部を土着語で与えられたため高等教育を受けるに十分な準備がな
されていないものがいるということである。さらに世界語が教育用語である大学において
は,国語を用語として初等・中等学校の教育を受けてきたものにとっては,大学の教室で
’自己表現が上手にできないということがある。
「ここの大学生は自分の考えを表現できない」とか「考え方を知っていないのだ」とい
ような観察は彼らの国語の貧しさを暗に批判しているが,ほとんど一様に貧しいのは教育
制度そのものの方である。
③ 世界語の役割に関する問題は高等教育の段階でもっとも深刻である。これは今日東
南アジアの大学の予算と人事を左右する重大問題となっている。
④ 大学入試との関連において大学の教育用語のもつ影響力は甚大である。他のすべて
の学力が十分であっても語学力が欠けていたら大学入試に合格することは不可能である。
現状では言語学習能力の低いもの,言語学習の機会をもたなかったものは,他の面でどの
ように優れていても大学に入ることはできない。
⑤言語教育の教材と教員養成に関する問題は直接的には大学にあまり影響しない。勿
論,教員養成大学にとっては最大の問題である。小中学校において国語や世界語がそれを
母語としない者によって教えられる場合,教師はただ単に教授法だけでなく,当該言語の
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内容についても十分訓練:を受けていなければならい。そうでないと非標準的な国語・世界
語が国内に拡がることになってしまう。
⑥言語政策と関連して東南アジアのいくつかの大学には特殊な問題がある。それは国
語と第一世界語以外に,第三の言語を大学が必修科目としている場合である。この第三言
語は学生によっては第四・第五の言語である場合もある。というのは大学生の中には初等
学校の前半を土着語で受け,後半を国語で受け,中等学校を第一世界語で受けているとい
ったケースも決して稀ではないからである。このように言語に関して学生は既に多くの重
荷を負っているのであるから,動機づけとしても単位を得ること以外には稀薄な第三言語
の強要は十分な根拠をもつとは思われない。
第二章 言語政策の現状
§1 言語改策
(1)世界語
東南アジア各国はその一般的言語政策に広域伝達用語(alanguage of wider commu-
nication)すなわち,本稿のいう世界語(a world language)を組み入れている。世界語
の用途は国によって異なるが,共通しているのは自国以外の国とめコミュニケ7ションの
必要である。東南アジアの4ケ国において世界語は内部にかかえる少数民族間のコミュニ・
ケーションに役立つ共通言語(1ingua franca)となっている。東南アジアで対外及び対
内のコミュ三ケーションの具となっている世界語はは英語とフランス語だけである。英語
はビルマ・インドネシア・マレーシア・フィつッピン及びタイで,フラシス語はカンボジ
ア・ラオス及びヴェトナムで使用されている。
東南アジアには第三の世界語として中国官話があり,シンガポールを除いては公用語と
して認められていないが,国内外の中国人を結合する強力な機能を果している。またその
全域において中国語のうち,主に福建語・広東語・潮州語が共通言語(1ingua franca)め
機能を有している。しかしながら,シンガポールを除くいずれの国家においても中国語は
言語政策上公用語の位置を与えられていない。
他に2つのヨーロッパ語,オランダ語とスペイン語,がそれぞれインドネシアとフィリ
ッピンに名残りをとどめているが,いずれも公用語ではない。たゴスペイン語の方はフィ
リッピンの教育計画のひとすみに名をとどめている。
(2)教育用語(Media of Instruction)
教育上,言語政策は2つに分かれる。その1つは,初等教育の上学年あるいは中等教育
の低学年以降,世界語を教育用語とするものである。この場合の世界語は一般言語政策に
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おいて認められているものと同じ言語,すなわち英語かフランス語である。もう1つの政
策は初等・中等教育を通して国語を教育用語とするものである。この場合,世界語は臨時
的教育用語あるいは教科書の用語として,かなり学年が進行してから導入される。南ヴェ
トナムではこのような世界語として英語とフランス語の双方を教えている。他の国々の教
育ではこのような場合,世界語はいずれか一方に限られる。
東南アジアのすべての国家は,母語とする土着語が国語でも世界語でもない少数民族の
子弟に対しては,少なくとも初等学校の低学年において土着語教育を与えている。マレー
シアにおいては,初等教育から中等教育の終りまで教育用語により3種の流れがある。す
なわち教育用語としてそれぞれ世界語・国語・土着語を使う3種の学校群の存在である。
ビルマと南ヴェトナムの高等教育においては学科目により教育用語が世界語であったり国
語であったりする。国語以外の土着語を教育用語とする大学はどこにも存在しない。
東南アジア各国は私立教育機関を容認している。そこでは国家が公立学校に対して定め
ているものとは別の言語を教育用語とすることが許されている。私立学校の教育用語とし
て最:も一般的なものは英語・フランス語・中国語である。私立学校は初等・中等学校に多
いが,フィリッピンには英語を教育用語とする私立大学もいくつかあり,シンガポールに
は中国語を教育用語とする大学が2つあり,南ヴェトナムにはフランス語を教育用語とす
る私立大学が1つある。初等・中等の私立学校に対して国家はそのカリキュラムを公立の
ものに合わせるよう規制している。シンガポールとマレーシアは中国語を教育用語とする
私立学校にも直接助成金を賦与している。
ラオスを除くすべての国にはすくなくともユつの国立大学がある。地域の全大学におい
て,世界語は重要な役割を演じている。講義が世界語でなされていない場合にも,教科書
や参考文献は世界語で書かれている。
次の表は初等教育から高等教育までの教育用語を国別にまとめたものである。
表2 (6>男憎アジア各国の教育用語政策
国 家 土着三 国 語 世界語
ビ ル マ
カンボジアインドネシァ
ラ オ ス
マレーシァフィリッピン
南ヴェトナム
タ イ
①
②
③
1学年~3学年
(極少)
1学年~2学年 (極 少)
1学年~12学年①
1学年~2学年
1学年~3学年 (極 少)
中国語学校とタミルー語学校
将来は1学年~大学をめざしている
フランス語と英語の双方
1学年~大学
ユ学年~4学年
3学年~大学
1学年~6学年
1学年~12学年②
1学年~2学年
1学年~大学
1学年~大学
大 学5学年~大学
(極少)
7学年~13学年
1学年~大学
3学年~大学
大学③
(極少)
120
(3)必修言語科目
東南アジア各国はそれぞれ国語と1つの世界語を必修言語科目としている。フィリッピ
ンではこれに第三言語,スペイン語を加わえている。南ヴェトナムでは中等教育課程でフ
ランス語と英語の双方を必修としている。国により,大学の学科によっては,パーリー
語,サンスクリット語,ラテン語,ギリシャ語のような古典語も必修言語科目に入れで
いる。
次の表3は各国における必修言語科目と修業年限のまとめである。高等教育における必
修言語の修業年限は専攻科目によって異なるのでこ\には掲げてない。この表は学生が公
立中等学校を修了して公立大学に入ることを前提とする。
(7) 表3 必修言語科目と修業年限
必 修 科 目
国 家国 語 年限 世界語 年限
その他 年限の言語
ビ ノレ マ
カンボジアインドネシア
ラ オ ス
マレーシアフィリッピン
南ヴェトナム
タ イ
ビ ル マ 語
クメール語インドネシア語
う オ ス 語
マ レ 一 語
フィリッピン語
ヴェトナム語
タ イ 語
12年
12年
12年
13年
12年
8年
12年
12年
英 語
フランス語
長 語
フランス語・
英 語
英 語
フランス語英 語
英 語
5年
9年
6年
10年
12年
10年
7年7年
8年
スペイン語 2年
英 語 3年フランス語 3年
(4)各国語の性質
東南アジア諸国の国語の一般的特性及び起源を一覧表にすると表4となる。これには各
国語で入手可能な文献の種類もまとめてある。Rは宗教・哲学・歴史を, Cは古典を, M
は現代文学・現代ジャーナリズムを,Tは科学技術を,それぞれ意味する。これらが記入
されていなくても,それらが全く欠けているという意味ではない。マレー語とインドネシ
ア語とでは文献は全く相互交換可能である。
(8)
表4 国語の特徴と起源
国 語 種類 語 族 文字 文献
ビ ル マ 語
クメール語インドネシア語
う オ ス 語
マ レ 一 語
フィリッピン語
ヴェトナム語タ イ 語
音心的非音調的
非音調的
音調的非音調的
非音調的
音調的音調的
中国・チベット語族 インド字
モーン・クメール語族 インド字
マレー・ポリネシア語族 ローマ字
中国・タイ語族 インド字
マレー・ポリネシア語族 ローマ字(アラビヤ文字)
マレーポリネシア語族 ローマ字
モーン・クメール語族(?) ローマ字
(中国)・タイ語族 インド字
RCT RC MT R RCC(タガログ語)
RCMT RCM
東南アジアにおける言語政策 121
(5)高等教育に及ぼす影響
教育用語に関して国家がどちらの政策を採用しても,また,初等・中等学校の必修言語
をどのように定めても,高等教育のか\える諸問題は満足に解決されそうにない。そのひ
とつの理由として,たいていの国で初等,中等教育と高等教育がそれぞれ別の機関によっ
て管理されているという事実が指摘できる。各国の文部省は大学への準備教育の問題に専
念する余裕などないし,大学当局は入学者の選抜に限られた権限しか持っていない。すな
わち,準備不十分と判断される学生を全部不合格と決めるわけにはいかない。まして,大
学への準備に重要な中等学校の授業科目を指定する権限など大学はもっていない。
しかし,言語教育のディレンマはより一層根の深いものである。教育の中央集権的管理
機構を備えた国家でも,教育用語に関する政策ではどちらを選んでも満足のいく結果は得
られそうにないのである。すなわち,初等・中等学校の教育用語として国語を使っている
ところでは,多くの学科に関し知識の習得状況は良好であるが,大学をめざす生徒の世界
語の準備が大いに不足する。そのため大学へ入ってから世界語がもたらす資源を活用でき
ない状態である。しかも大学に入ってから世界語を学ぶのでは間に合わないのである。こ
れとは反対に世界語が教育用語として早期から使われているところでは,生徒は相当の語
学力を備えて大学に入ってくるが,そのほかの学科目は極めて低い習得に終っている。こ
れらの事態を防止しようとして大学入試の水準を引き上げるならば,あまりにも多くの生
徒が大学の門から締め出されてしまうことになるだろう。
東南ア彦アにおける語学教育についてユネスコ調査団は次のように報告している。「東
南アジアにおける語学教育の方法が現状にとどまる限り,生徒の言語習得は外国語の教室
におけるよりも,教師対生徒のコミュニケーションが外国語で行なわれている非言語科目 (9}の教室においてはるかにうまくいく。」すなわち,この地域において世界語の習得が貧弱
であるのは語学教育の方法が拙劣であるからだと断定しているのである。
数学や社会科の教師が外国人である場合,生徒はこれらの科目で外国語をよりょく学ぶ
ことが知られている。しかし,そのためにそれらの科目の二二の基礎知識の学習がかなり
遅れることになる。この場合の悲劇は小学校4年で落伍者が続出(小学生の約半数に当る)
することである。彼らは二,三の母語以外の言語をかじっただけで,基礎科目の初歩も十
分与えられずに終ってしまうのである。100人の小学生から1人の大学進学者を出すたあ
にはあまりにも大きな犠牲といわねばならない。’
このディレンマから脱け出す1つの方法,そして民族主義という国民感情と合致する方
法は初等教育から高等教育まで一貫して国語を教育用語とすることである。これと関連し
て日本の例がよく引用される。長期的解決策としては,この方法は東南アジアの全地域に
わたって圧倒的に支持されている。しかし,短;期的な実現はどの国においても望み得ない
現状である。その実現をめざす当座の策としては,言語教育の方法を絶えず改善してゆく
122
努力が必要であり,言語教育の時間数も再検討されねばならない。
§2 言語政策執行機関
南ヴェトナムを除いて東南アジア諸国は国語の整備拡張・国内普及を監督する機関をも
っている。世界語の広範な使用を奨励する政策を執っている国家は,その教育向上の責任
をもつ機関を有している。また国によっては,教育上の言語政策も含めて言語政策一般を
討議する民間団体あるいは政府機関を有している。東南アジア地域にみられる言語政策執
行機関のうち主だったものを列記し代表的な例を添えると次のようになる。、
① 文部省はいずれの国においても言語政策を遂行する立場にある。各国の文部省は教
育用語及び必修言語の教育環境整備に尽力している。ある国々において文部省は直接言語
政策を決定する権限をもっている(南ヴェトナム,、フィリッピン、ラオス)。
② 公報機関は国家の言語政策にかかわる諸問題について一般大衆の意識を高め,現在
の政策について情報を流し,国家を統合する力をもつ国語に対し国民の協力が得られるよ
うに宣伝活動を行なう・。
③ マスコミは言語に関し非常に大きな役割を演じている。その影響力は言語政策決定
者によってしばしば過小評価されている。新聞・雑誌の書きことば,ラジオ・テレビの話
しことばは,その使用言語・方言の選択如何により,また,その言語・方言内の語彙・ス
タイルの選択如何により,言語政策を促進したり,妨げたりする。その好例はタイにおけ
るテレビ放送である。国営テレビ局は一一つだけであるが,これがあらゆる面で言語に関す
る国策を推進している。タイ語の新語彙は新聞・ラジオ・テレビを通じて大衆化される。
④教育計画局は文部省の下部機関として,または文部省とは別個の独立機関として,
学校・大学の問題を長期的見地より検討する。この機関は時には実際上初等・中等学校と
大学とをつなぐ唯一の環になっている。例:カンボジア教育計画局。
⑤ 教育研究機関は同じ問題に対しいくつかの異なる解決策を実験し,その結果を政策
決定者に提示する。例:フィリッピン学校教育局研究・評価・指導部 この機関は既に多
くの価値ある実験を行なって国家の言語計画に貢献している。
⑥ 教員養成機関は多くの国家において教育の実験と研究の中心となっている。教員養
成大学には多くの場合附属小中学校があってモデル・スクールとなっている。その典型的
な教育計画には言語教育と言語学教育が含まれる。例:インドネシアの教員養成制度これ
は東南アジにおいて最も複雑なものとなっている。
⑦ 教材開発センターは一般に文部省の下部機関であるが,教科書と補助教材の作製の
責任をもっている。どこでも国語教科書の作製に重点がおかれているが,語学教育補助教
材も重要視されるようになった。例:南ヴェトナム教育材料サービス局。
⑧ 翻訳サービス局 これにはいろいな支援団体があり,各国に存在する。その主要
な任務は,ヨーロッパ語その他の世界語で書かれている単行本・定期刊行物の国語への翻
東南アジアにおける言語政策 123
訳である。中には民間出版社と共同作業する程度の働らきしかしていないものもあるが,
大いに業績をあげている翻訳局もある。後者の例:ビルマ翻訳協会。
⑨ 国語開発機関 これにはいろいろな名称があり,各国に存在する。その機能は国語
の語彙を開発し,また,文法と表記法を整理することである。この機関の産物は,専門用
語一覧表から大国語辞典・文法大典・百科辞典ξ地理附函に及ぶ。例:マレーシア文芸
局,フィリッピン国語研究所。
⑩ 国際支援文化諸機関 それ自体は政策に関係する公的機関ではないが,しばしば政
策を実施する諸機関に参与するものある。例:ユネスコ,フランス文化使節団,アメリカ
合衆国国際開発局,英国文化振興会,コロンボ計画,等々。
不思議にも大学は言語政策の施行に半端な役割しか演じていない。しかし,大学の間接
的な影響力は強固なものがある。国家社会の中で大学教授は威信を保ち,その教え子たち
の中から政策決定の要職を継ぐものが現われるのである。従って大学のもつ雰囲気が将来
の国語の開発計画に実質的な影響力を及ぼすことは明白である。マレーシア,ベトナムの
ような国家においてはそれは決定的な要因となるであろう。その双方において学園内の感
情は現行政策に明らかに反対している。
§3 民族集団と教育用語
東南アジア諸国の教育用語政策については§1の②で要約した。しかし,「教育用語」
(the medium of instruction)というのは必ずしも明確な概念ではない。ときには,
それは口頭教育の用語を意味し,またときには文字教育の用語を意味する。ときにはその
双方が重なった場合だけをいう。一般に,教科書が世界語においてのみ存在するとき,教
育用語は公式的にはその言語である。それはたとえ教室の授業が国語乃至は土着語によっ
て教科書め内容を説明することで成立っていてもそうである。
教育用語が土着語と定められている場合には一特に新教育用語(国語あるいは世界
語)の導入に先行する小学校低学年において一児童の態勢が整なわないうちに予定より
も早く新教育用語が持ち込まれることが多い。それは教師たちが教育用語の変更に要する
時間が不十分であると感じているからである。
教育用語に関して最:も困難な事態は,小学校の第1学年から,児童にとって全く耳新し
い言語を用語として教育が始められる場合である。これはマレーシアの英語や仏語の私立
小学校(及び公立小学校)でよくみられるこζである。マレーシアでは国語公立小学校に
おいてもこういうことは稀ではない。こういう事態が起るのは教師が別の民族出身である
とか,クラスが多民族より構成されているとかの理由で,特定の土着語を教育用語とする
ことができなくて,直接に国語を教育用語とせざるを得ないからである。マレーシアの中
国語小学校でも,児童が言語的に同一の背景(福建語・広東語・潮州語など)をもっとは
限らないから,事情は同じことである。これらの小学校においては,言語学習と一般教科
124
目の学習とは分ち難く結びついているから,両者を分離して考えることはできない。
次の表5~8は,個々の言語とそれを母語とする人口との観点から教育用語に.関する公
式の情報を集録したものである。表5は世界語について東南アジア地域における用途をま
とめ,さらに全世界においてそれを母語とするものの人ロ概数を与える。表6は東南アジ
アの国語について同様の情報を与える。表7は,古典語についてまとめた。これらの古典
語は宗教儀式等の特別な状況を除けば今日話されることはないが,この地域では広く学習
されているものである。最後に表8は土着語に関するまとめである。土着語を母語とする (1①ものの人口はよく知られているものを除けば極端に不明である。
表5 世 界 語
言語 初等・中等教育用語 高等教育用語 必修科目 他の用途 話者人ロ (単位100万人)
中国官話 マレーシア中国諸語 全 地 域 (私立学校)
マレーシア
英語ブイリッピン 多数国の私立学校
スペイン語
ロシヤ寧日 本 語
ドイツ語
フランス語
タミール語
カンボジアラ オ ス
南ヴェトナム (私立)
マレーシアビルマ(私立)
マレーシアシンガポール
マレーシアフイリッピン
ビルマ(一部)
カンボジアラ オ ス
南ヴェトナム
タ イ・ビルマインドネシア(南ヴェトナムγ
(カンボジア)
フィリッピン(中等・高等教育)
各国で選択科目 275
少数国で選択科目
少数国で選択科目
多数国で選択科目
少数国で選択科目
南ヴェトナム 各国で選択科目
150
130
100
90
60
マレーシアとビル 40マで大学教科目
表6 国 語
国 語(口語体基準)
初等・中等
教育用語高等教育用 語
必修科目 他用途(単讃蜴ヲ人)
ヴェトナム語
タイ語/ラオス語
インドネシア語 /マレー語・ビ ノレ マ 萱五
口ロ
タガログ語
クメール語
ヴェトナム,タイ,ラオス,カ ヴェトナムンボジア(私立)
タ イ・ラオス タ イ(1~6学年)
インドネシア インドネシァマ レ ー
ビルマビルマフィリッピン(一地方)(1~2学年)
カンボジア(1~6学年)南ヴェトナム(土着語教育)
ヴェトナム
タ イラ オ ス
インドネシアマ レ ー
ビ ル マ
フィリッピン
カンボジア
マレーシアで大学教科目
タイで大学土着語科目
タイとラオスで
古典語科目
27
25
20(?)
15
6~8
5
東南アジアにおける言語政策
表7 古 典 語
125
言 語 主要関係国 用 途
oパー リ 一語
サンスクリット語
うテン語/ギリシャ語
ア ラ ビヤ語
ビ ノレ マ
タ イ
ラ オ スカンボジア南ヴェトナムフィリッピン
マレーシアインドネシァ
仏教系私立小中校教科目・大学言語科目
仏教研究・インド研究
中・等高等教育言語科目・キリスト教研究
言語研究・歴史研究・回教研究
表8 土 着 語
言 語 土着語教育 他に話される地域 話者人口 (単位ほOO万人)
ジ ヤ ワ 語
スーダン語ピ サ ヤ 語
マドゥーラ等
値 ブア語イ ロカン塩
干 東 雪
嶺リガイノン語
潮 州 語
カーレン語ミナンガカバウ虫
拳 建 語
バ タ ク 語
ピ コ ル 養五 口ロメ オ 語
海 南 語
シ ヤ ン 語
バ リ 語パムパンゴ語福 州 語
ア 一 チ 語
ブギ ス語パンガスィナン語
チ
ヤ
チ
カ
ク
ワ
モ
ン 語 オ 語
ヤ ム語チ ン 語
ム 一語レ 一語
一 ン語
インドネシア
インドネシア
フィリッピン
インドネシァ
フィリッピン
フィリッピン
中国人学校(臨時教育用語)
フィリッピン
中国人学校(臨時教育用語)
ビ ル マ
インドネシァ
中国語学校(臨時教育用語)
インドネシア
フイリツピンタ イ・ラオス
中国人学校(少数)
ビ ル マ
インドネシア
フィリッピン中国人学校(少数)
インドネシァ
インドネシァ
フィリッピンビ ノレ マ
タ イ
南ヴェトナムビ ノレ マ
ラ オ ス
フィリッピンビ ノレ マ
マレーシアマレーシァマレーシァ
各 国
各 国
ラオス・タ イ
マレーシァ
各 国
マレーシア
ビ ノレ マ
たいていの国々
タ イ・ラオス
たいていの国々
マレーシアマレーシア
ラオス・ビルマ
カンボジア
タ
タ
イ
イ
50
13
11
8
7
5
4
4
4
3
3
3
3
2
2
2
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
ユ
ユ
126
ム オ ング語
イ バ ン 語
ケ ダザン語ステイエルグ語
ロ 一 デ 語
ヤ ラ イ 語
カ バ1ウ 語
南ヴェトナムイ ン ドネシァ
・南ヴェトナム
南ヴェトナム南ヴェトナム
南ヴェトナム
カ ンボジア
マ レー シァ
マ レτ シァ
カ ンボジア
カンボジアカ ンボジア
カ ンボジア
現代語にかかわる3つの表(表5,6と8)においては,それを母語とするものの人口
の数の多い順に並べてある。これでみると一般に世界語は国語より順位が高く,国語は土
着語よりも順位が高いが,1つの特異な変則がある。すなわち,土着語であるジャワ語だ
けはいずれの国語よりも話者人口が多く,世界語のフランス語とほゴ同数である。表8の
中国語の話者人口は東南アジア地域内のことである。
§4 言語科目の目標
東南アジアにおける典型的な語学授業は,その目標や学習段階と関係なく,週3~5時
間で,クラスの大きさは10~50人である。1年間の実質的授業回数を30週とすれば,1っ
の言語科目について生徒が年間に受ける授業時間数は平均120時間ということになる。
Richard Noss氏によると,1つの外国語を実際に使えるまで習得するには教師と生徒の
1対1の授業に換算して500~1,000時聞が必要であるという。彼の計算によると,東南ア (11)ジァの現在の学校教育体制では25年間授業を受けないと言語はものにならないという。
(12 表9 国語を主要教育用語とする国々における大学入学前の外国語修業年限
国 家 言語教科 最大修業年限 教科の他目標
ビ ル マ
インドネシア
南ヴェトナム
タ イ
英 語
英 語
フランス語及び英語
英 語
5
6
73
8
読 解 力
(最少限)
文芸・文化
文芸・文化読解 力
低学年から外国語が教育用語として使われているところでは,それを準備する年限はさ
らに短くなる。しかし,外国語教科目の授業は用語の変更後も続けられ,その学習は他の
教科の授業を通して非常に補強される。表ユOはこの状況のまとあである。
(13 表10 教育用語として導入されるまでの外国語の修業年限
国 家 言 語 最:大修業年限 備 考
カンボジア ヘラ オ ス
ラランス語
ブラシス語
3
3
クメール語が一部用語として継続する
ラオス語が一部用語として継続する
東南アジアにおける言語政策
マレーシア 英 語 0①
フィリッピン英語2中国人学校 中国官話 O①(全地域)
①幼稚園における学習年限を除く。
1的
一般に土着語を用語とすることは民族混交の
クラス故に不可能
,土着語及至国語が一部用語として継続する
可能ならば常に母語が補助用語として使われる
国語教科における履習目標は,国語が教育用語であるかどうかによって左右される。し
かし修業年限は目標とは無関係にほゴー定で約12年である。表11はこの状況のまとめであ
る。すべての国語教料に共通する目標は,書きことばの読み・書き能力,国家の文物・文
化に熟知すること,及び話しことばの標準化である。表におし}てこのことの反復は省略し
てある。
(14) 表ll 国語の修業年限と履習目標
国 家 国 語 最大修業年限 目 標
ビ ル マ
カンボジア
インドネシア
ラ オ ス
マレーシア(3つの流れ)
マレーシア(1つの流れ)
フィリッピン
南ヴェトナム
タ ’ イ
ビ ル マ …正
口ロ
クメール語インドネシア語
う オ ス 語
マ レ 一 語
マ レ 一 登五
ロロ
フィリッピン語(タガログ語)
ヴェトナム語・
タ イ 語
12
12
12
13
12
12
10
11
12
主要教育用語(あるものにとっては新言語)
臨時的教育用語(たいていのものにとって母語)
大半の生徒にとって新しい主要教育用語
臨時的教育用語(あるものには新言語)
必修教科(極少溜息のみに母語)
主要教育用語(たいていのものにとつで母語)
必修教科(少数者にのみ母語)
主要教育用語(たいていのものに母語)ト
主要教育用語
(1つの方言がたいていのものにとって母語)’
東南アジア地域で教えられているその他の言語教科は,必修,選択いずれであっても,
特徴:ある目標をもっている。それらの教科はたいてい大学でだけ教えられているもので,
学習に当てうる年月は2,3年に限られる。表12はそれらの目標をまとめたものであ
る。
表12 α5)
他言語教科の目標
言 語 重 点 典型的な目標
ア
中
英
ブ
ギ
ラ ビヤ語
国 語
語
う ンス語
り シャ語
古 典
古典及び文語
現 代 語
現 代 語
古 典
言語及び回教研究
歴史及び地域研究
あらゆる目的・用途
あらゆる目的・用途
言語及びキリスト教研究
128
日 本 語
ジ ヤ ワ 語
ク メ ール語
う テ ン 語
中 国 官 話
パ 一 リ 一語
ロ シ ヤ 語
サンスクリット語
ス ペイ ン語
タ ミ ール語
現代書きことば{
現代話しことば
古
古
古
典
典
典
現代話しことば
古 典
現代書きことば
古 典
現 代 語
古 典
科学研究地域意思伝達
言語及び文学研究
言語学研究
言語及びキリスト教研究
地域意思伝達
言語学及び仏教研究
科学研究
言語及び仏教研究
主として学問研究
言語学及び宗教研究
§5 言語教育資源
(1)教員 訓練と監督
一般に言語教育を専門とする教員は教授法の訓練を十分受けている。国語科の教員は世
界語科の教員よりも,言語内容について自信があり,監督も行き届いている。世界語科の
教員は,高学年の場合を除けば,言語そのものに対する練達の度合があったに十分とは言
い難い状態である。しかし,教授法の訓練は受けている。また一方,世界語科の教員は,
一度教員養成大学を,卒業してしまうと監督が欠落してしまう傾向がある。他方,国語を
母語としない生徒の扱い方について国語科の教員は訓練を欠いている。
小学校のレベルでは言語教育はそれだけを専門とする教員によってではなく・他の多く
の教科を同時に担当する一般教員によってなされる場合が多い。国語が主要教育用語であ
る国々,および世界語が低学年で導入される国々においては,特にそうである。教員養成
大学は言語内容と教授法にかなりの時間と労力を注いでいるが,実際に問題をかかえてい
るところではまだ十分とはいえない。言語教育を専門とする教員を最も必要とするところ
一小学校一に,配置することは現在の態勢では実現不可能である。
表13は言語科教員の質に関して国毎の状況をまとめたものである。
(16) 表13 言語科教員に関する訓練必要の有無
国 家 国語科教員 世界語教員
ビ ル マ
カンボジア
インドネシア
ラ オ ス
マレーシア
フィリッピン
南ヴェトナム
教授法の訓練を要す
問題なし
教授法の訓練を要す
一般教員不足
教授法の訓練とより
多くの専門教員を要す
より多くの専門教員を要す
問題なし
言語内容の訓練を要す
一般教員不足
言語内容の訓練を要す
一般教員は言語内容の訓練を要す
一般教員不足
問題なし
フランス語の上手なものはいるが
教員にならない
東南アジアにおける言語政策
タ イ 方言以内では問題なし 言語内容の訓練を要す
129
② 教科書
東南アジア各国は,それぞれ事情は異なるが,言語科目について教材の問題をかかえて
いる。世界語科の場合は,様々の教材が各種存在するが,既製の教材は地域の特定の学年
やコースに合うようには出来ていない。多くの国家は国内で実際に教育経験のある教員が
作る教材を歓迎する。また,教育委員会も特定のカリキュラムに合わせて教材を作ろうと
努めている。外国から援助団体がやってきて教材を作ってくれても,それらは却下される
ことがしばしばである。世界語教育のカリキュラムが外国から輸入されたままの形態です
\められている少数の国々においても,それは地域の必要によりょく適合する教材ができ
るまでの暫定的処置とみなされている。
国語の場合は,教材を作成するものが極めて少ない。国中の学校が採用するという保証
がない限り,教材会社は経済的に採算がとれないからである。教科書の編さん者がときに
国語教育の経験をもたない学者であったり,国語の構造を十分把握していない教員であっ
たりする。国語教育には背景として政治的な含みが存在するから,国語教材の内容はその
影響を受けざるを得ない。国語の話しことばを身につけていない少数民族出身の児童に対
する国語教育上の配慮は極めて少ない。さらに,教科書や補助教材の分野で競争がないた
めに,文部省は選択の余地がない。
表14は各国の言語科目について教材の現状をまとあたものである。
(1の 表14 国語科・世界語科の教材の現状
国 家 国語科教材 世界語科教材
ビ ノレ マ
カンボジア
インドネシア
ラ オ ス
マレーシア
フィリッピン
南ヴェトナム
タ イ
非母語者に不十分
読み書き用は十分
多様性あり
非常に乏しい
乏しい,非母語者に不十分
乏しいが向上している
優れている
読み書き用は十分
大部分輸入のもの,一部自国で開発
大部分輸入のもの
多様性あり,自国開発のものと輸入のもの
大部分輸入のもの
自国開発のものと輸入のもの
自国開発のものと輸入のもの
主として輸入のもの
多様性あり,自国開発のものと輸入のもの
(3)テスト .
東南アジアで行なわれている言語科のテストはそのほとんどが学力テスト(achieve-
ment test)である。それは生徒がある量の知識を答案用紙に再生できるほど習得レたか
どうかを調べるもので,他の教科のテストと同様である。世界語が話されているとか,教
育用語となっているという場合には,無意識のうちに言語の熟達の度合がテストされてい
130
る。論文テストが課される場合は常に生徒は世界語による自己表現能力によって評価され
るからである。言語に関するロ頭試験も学力テストというよりは熟達度のテスト(profi-
ciency test)がその実質であるが,ひとりひとりの生徒に時間をかける余裕がないことや
主観が入るなどの理由であまり行なわれていない。いずれにしても言語の熟達度のテスト
(proficiency test)が意識的に行なわれることは稀である。言語の適性テスト(aptitude
test)がこの地域で行なわれたことは恐らく一度もない。
§6 言語政策の結果
言語教育が高等教育に及ぼす一般的な影響については既に§1の㈲で概略を述べた。こ
こでは中等教育の用語を国語にするか世界語にするかによって生じている結果を,学生
側,教師側,及び図書文献の3点にしぼってまとめた。教育用語の選択によってそれぞれ
利益・不利益が生じるが,現在の時点でどちらの選択がよりよいかの価値判断をすること
はできない。これらの効果は既に初等教育のレベルで感じられ,中等教育のレベルで蓄積
されているが,現在・将来にわたって最も大きな影響を受けるのは高等教育のレベルであ
る。
(1)学生への影響
こんにち東南アジア諸国では,学生数が急激に上昇している。これには共通する諸々の
理由があるが,そこには言語政策によって相異なる2つの傾向がみられる。次に簡単にそ
の傾向を列記しておく。
○国語を教育用語とする政策の功罪(ビルマ・インドネシア・タイ・南ヴェトナム)
望ましい傾向・・公費による中等・高等教育がますます多くの生徒・学生に開放されるよ
うになった。最低限度の必要をみたせば,たとえ言語の適性がなくても,または言語学習
の機会に恵まれなかった場合にも,大学に入れないということはなくなった。多くの学生
が同じような状況にあるので矯正を目的とする言語科目を大学が開講するようになった。
南ヴェトナムを除いて,私立中等学校の卒業者が大学入学に圧倒的に有利となることはな
くなった。
望ましくない傾向: ますます多くの優れた学生が外国の大学へ流出し,帰国してから国
内大卒者よりも有利な職業につく(タイ)とか,外国の大学を卒業しても帰国しなくなる
(南ヴェトナム)ものがめだってきた。学生数が増大したため大学の質が落ちてきたとい
う印象を一般の人々に抱かせた(インドネシア・ビルマ)。中等学校で世界語の準備がよ
くできたもの(私立学校卒業者)は,六学入学後,科学・医学の分野で他を抜きんでるこ
とができる。
○世界語を教育用語とする政策の功罪(カンボジア,ラオス,マレー,フィリッピン)
東南アジアにおける言語政策 131
望ましい傾向: 公立中等学校及び一流大学へ入るのは至難であるが,ひとたび入ってし
まうと自動的に国民の中のエリートになれる。専攻分野によっては欧米大学と同等な高水
準を維持できる。大学生及び大卒者には海外留学のチャンスが容易に得られる。卒業後海
外の専門家とのコミュニケーションが保証される。
望ましくない傾向: 公立中等学校への入学が極端に困難であるので私立中等学校が急増
している(フィリッピンではこの傾向が大学にまで及んでいる)。語学の適性がないとい
うだけで大学に入れなくなる。相当金をかけないと初等教育(マレーシア)で,または中
等教育(カンボジア)で,十分且つ適切な準備教育が受けられない。外国語で教えること
ができる教員がいないために教育機関が極端に欠乏する(ラオス)。
② 教師への影響
各国における教育の拡張は教員・教授の需要を異常に高めているが,言語政策の違いに
よって異なる傾向が生じている。
○国語を教育用語とする政策の功罪
教育のあらゆるレベルでより多くの教師を必要とするために,教師が十分な経験なしに
上位の任務につく傾向がみられる。このことは特に教員養成大学において顕著である。普
段なら中等学校で生徒を直接教える仕事をしている者が,将来の教員に対して生徒の教え
方を教授しているといった事態がみられる。このことは言語政策と関係がある。国語を教
育用語とする政策は,最上位のポジションを話す資格のある外国人教授を大学から締出し
て本国人教授を迎えることになる。現状ではこの政策は大学にまで適用できる段階には至
っていないのである。勿論,それを検討しうる時;期は近ずいてきている。
国語を教育用語とする政策の真の利点は,自ら国語で教育を受けた教師が学生に知識を
伝達することに何の不自由も感じないということである。この効果は特にタイ国の教育に
おいて顕著である。教科書にはなお問題があるが,広範な知識の伝達がともかくも支障な
く進められているのである。最近教育用語を国語に変更した国々における政策の効果を論
ずるのは時期早尚であろう。
○世界語を教育用語とする政策の功罪
この政策を行なっている国家では,外国人の教員・講師・教授を雇傭している。単に
大学ばかりでなく,中等教育にも彼らの働らきは及んでいる。ラオスの公立中学校,カン
ボジアの私立中学校の教員は大半外国人である。マレーシアでは,ここ数年にわたって,
教育行政局の最高のポジションが外国人によって占められている。
世界語を教育用語とする政策においては大学教師の質についてあまり問題が起らない。
すなわち,高等教育を卒えたものは既に国民の選良であるから,容易に教職の後継者を選
ぶことが可能であり,不相応で早急な昇進を必要としない。混乱が起るのは教育用語が世
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界語から国語に変更される場合だけである。たゴ単に外国人教授が交代させられるばかり
でなく,本国人教授の中には国語に熟練していなかったり,国語で教えることを好まなか
ったりして,実際に教鞭がとれなくなることもある。
勿論,世界語を教育用語とする政策の大きな利点は,大学のスタッフに重大な欠員が生
じた場合に必ずしも国内だけから人材を登用する必要がないということである。第2の利
点は,地域の国家間で学生・教授を相互に交換できるということである。
(3)図書及び文献
教育用語として世界語が国語に対し明確に議論の余地のない利点をもっているのはまさ
にこの領域においてである。南北ヴェトナムとか,インドネシアのように,教科書・定期
刊行物・文献解題の分野で相当の進歩をみせている国々においても,国語で得られる文献
は世界語で得られる文献にはるかに及ばない。要するに,大学の教科書の必要は翻訳によ
っても,自国の開発によっても,部分的に供給することが可能であるが,東南アジアの諸
大学における図書の暑以上,ほとんどすべてが,世界語による文献なのである。
この事実の認識があればこそ,国語を教育用語とする国々でも,大学以前の学校教育に
おいて世界語の教育を義務ずけているのである。東南アジアのいかなる国の大学生も,少
なくとも1つの世界語について読解力を備えていることが要求されている。それなしには
大学での研究と国際的コミュニケーションはおぼつかないからである。世界語が中等学校
のレベルに至ってはじめて導入される国々の大学生が,その読解力にもこと欠くという事
実は,その国の言語政策の失敗と解釈されるべきではなく,むしろ言語教育の失敗とみな
されるべきである。 (以上 1972.6.24)
註(1)Richard Noss:Hガg加7 Eぬ6読。π醐4 Dεη610ρηzθ窺初5ω疏一6α5n45ガαyoZ』.Pαπ2
五侃群α9θPo砒ッ(UNESCO,1967)P.27 上掲書はユネスコ主催による東南アジア高等
教育調査の報告書(参考文献の欄参照)の一部である。拙稿の情報源は大半このユネスコ調
査団の報告書である。他は参考文献にのせた残りの書物,論文及び東南アジア在住の小生の
ペン.パル達である。
(2)以ドも同様であるが,国名の次の( )内に記した人口はすべて 丁漉1972W「・rZ4
.4♂魏αηα6(Newspaper Enterprise Association.,Inc.)による。
(3)Noss, oρ.σ露.,p28
(4)鳥居次好:「東南アジアの言語事情と日本の英語教育」 r現代英語教育』臨時増刊号7
r英語教育学の輪郭』(研究社.1972.7)pp.ユ~9
(5)Noss, oρ. c琵.,P.30
(6) 1∂此♂.,p,36
{7) 1玩4.,p.37
(8) 1玩4.,p.38
東南アジアにおける言語政策 133
(9) 1∂ゼ4.
(10) 1∂∫4.,pp.43~45
〈11) 16∫4.,p.46
(12 1房4.,p.47
(1紛 1う∫4.,p.48
(14) 1あ4.,P.49
(15) 1あ4.,p.50
(16) 1あ4.,p.51
(17) 1あ4.,p.52
参考文献1. Howard Hayden:Hげgんθr E伽‘α∫∫oπαπ4 D6ηθ♂oρ解επ巨η50π疏一θα5≠ノ15ガαyoZ.丑:
Co槻渉rly Pプ。ノ乞♂θ5(UNESCO and the International Association of Universities,
1967)
2。 Guy Hunter: VoZ皿。 pαπ 1 Hガgん.L⑳6Z Mαπρoω67
3.Richard Noss: yoZ皿Pαrオ2Lαπ9祝α9θ1)o♂比y
4。 Tゐ8Fαr Eα5云απ4/1κ5渉rαZゴα(Europa Publications Ltd.,1971)
5. 『東南アジア要覧1970年版』(東南アジア調査会編)
6.鳥居次好:「東南アジアの言語事情と日本の英語教育」r現代英語教育』臨時増刊号7,
『英語教育学の輪郭』 (研究社,1972)
7.小笠原林樹:「インドネシア,マレーシアにおける言語政策」 『英語教育』第17巻9号
(大修館,1968)
8. レイ・タン・コイ著:石沢良昭訳『東南アジア史』(白水社,1970)