ピーター・ズントーの住宅における地域性についてpeter...

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研究の背景 現在の日本、北陸、富山に住んでいて、規格化された住宅の多さ や、住宅において土地とのつながりが全く見えない家に疑問を感じ ることがある。多くのハウスメーカーは、日本全国どこでも同じデ ザインで住宅を売りだしている。果たしてそれらは住宅として、住 む人々に癒しや安らぎを与えられているのだろうか? 私たち人間には必ず故郷という地があり、そこで生まれ育ち、そ こで様々なことを経験してきた。私たちには必ずそこでの記憶があ り、意識していないうちでもその記憶を探り、それがその人の人格 をつくっていると言ってもよいだろう。また、スイスの建築家であ るピーター・ズントーが言うように、建築は「地球上の一部分を占 めるもの」でありその土地に根を下ろすものである。建築は土地な しでは存在できないものであり、その土地もまた独特な歴史や風土 を持っている。それらを考慮して設計を行った場合、いったいどう いった建築が生まれるのだろうか? そこで、現在世界的に注目されているピーター・ズントーのスイ スでの設計事例や設計思想を学ぶことで、本当の地域主義とはどう いうことなのかを見極めたいと思う。また、解決方法のひとつとし て、今回学んだズントーの設計思想や地域主義的な考え方を用い、 富山県という土地にそれをあてはめたときに、どういった住宅の設 計が可能なのかを考える。今回は、地域性が表れやすいと判断し、 住宅に限定して研究を行った。 PETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの 建築家である。バーゼルで家具職人をしていた父に職業教育を受 け、長男であるズントーは家を継ぐことを期待されたが、物足りな さを感じていた。バーゼルの造形学校では室内建築やデザインを学 ぶ。その後ニューヨークのプラット・インスティチュートでインダ ストリアル・デザインを学んだが、そこでの教育は理論中心のもの でズントーはつまらなさを感じていた。スイスに帰ったズントーは グラウビュンデン州で歴史的建造物の修復の仕事に就いた。そこ で、その地方の伝統的な建築に多く直接触れることで、大学などで 学ぶよりも、より直接的な方法で建築を学んだ。1979年にグラウ ビュンデン州のハルデンシュタインにアトリエを構える。 代表的な作品としては、聖ベネディクト教会(1989年)、テルメ・ ヴァルス(1996年)、ブレゲンツ美術館(1997年)、ブラザー・クラ ウス野外礼拝堂(2007年)などがある。入念に重ねられた敷地調査か ら生まれた場所とのつながりを感じることができる作品が多い。 スイスの気候は、山や起伏が多いためとても変わりやすい。四季 は日本同様にはっきりしている。国土の1/2は標高1200m以上のと ころにあるため、冬季の積雪も多く降水量が増す。スイスには23の 州があり、その下にゲマインデと呼ばれる市町村レベルのコミュニ ティがある。スイスではこのゲマインデを重要視し、事柄の決定権 はゲマインデに任せられる。また、スイスには4つの公用語があ る。ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語である。こ れらのスイスの地理や文化の情報から感じられることは、小さい国 ではあるがその中でもさらに細かい地方での個性や結束が強い、と いうことであろう。住居もそのような多様な環境に対応していると 言える。 ズントーの住宅の設計事例を挙げる。 この写真にあるグガルンハウスの設計テーマは「Old and New」 であった。既存の家の1/3ほどを切り取って残し、新しく設計するこ とにより現代の人が住みやすいようにしなければならなかった。こ の地方には校倉造りの家が多くまたそれらのことを “Strickbauten”(編まれた建築)と読んでいる。この山でとれた木を 使い、既存部分や土地に新しい部分を編み込んでいくことにより、 風景により深い結びつきができたと思われる。これは、ズントーの 言う「人はつねに風景のなかに住まい、風景のなかで働いてきた。 また私たちが住まい、働くことによって、ときとして風景は害も受 けてきた。良きにつけ悪しきにつけ、大地とつきあってきた私たち の歴史は、風景のなかに蓄積されるといっていい。建物と風景が溶 け合い、一体となって育ち、この世にひとつしかない場所となるの だ。そういう場所のアウラが、故郷をつくるのである。」1)とい う考えがあてはまっていると思われる。 Gugalun House 『PETER ZUMTHOR エー・アンド・ユー臨時増刊』 エー・アンド・ユー 1998 年 ピーター・ズントーの住宅における地域性について ー富山県に特徴的な住宅の設計を比較事例としてー Locality in housing of PETER ZUMTHOR 石田 茜 Ishida, Akane 造形建築科学コース 094 卒業研究・作品

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Page 1: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

研究の背景

 現在の日本、北陸、富山に住んでいて、規格化された住宅の多さ

や、住宅において土地とのつながりが全く見えない家に疑問を感じ

ることがある。多くのハウスメーカーは、日本全国どこでも同じデ

ザインで住宅を売りだしている。果たしてそれらは住宅として、住

む人々に癒しや安らぎを与えられているのだろうか?

 私たち人間には必ず故郷という地があり、そこで生まれ育ち、そ

こで様々なことを経験してきた。私たちには必ずそこでの記憶があ

り、意識していないうちでもその記憶を探り、それがその人の人格

をつくっていると言ってもよいだろう。また、スイスの建築家であ

るピーター・ズントーが言うように、建築は「地球上の一部分を占

めるもの」でありその土地に根を下ろすものである。建築は土地な

しでは存在できないものであり、その土地もまた独特な歴史や風土

を持っている。それらを考慮して設計を行った場合、いったいどう

いった建築が生まれるのだろうか?

 そこで、現在世界的に注目されているピーター・ズントーのスイ

スでの設計事例や設計思想を学ぶことで、本当の地域主義とはどう

いうことなのかを見極めたいと思う。また、解決方法のひとつとし

て、今回学んだズントーの設計思想や地域主義的な考え方を用い、

富山県という土地にそれをあてはめたときに、どういった住宅の設

計が可能なのかを考える。今回は、地域性が表れやすいと判断し、

住宅に限定して研究を行った。

PETER ZUMTHORとスイスについて

 ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

建築家である。バーゼルで家具職人をしていた父に職業教育を受

け、長男であるズントーは家を継ぐことを期待されたが、物足りな

さを感じていた。バーゼルの造形学校では室内建築やデザインを学

ぶ。その後ニューヨークのプラット・インスティチュートでインダ

ストリアル・デザインを学んだが、そこでの教育は理論中心のもの

でズントーはつまらなさを感じていた。スイスに帰ったズントーは

グラウビュンデン州で歴史的建造物の修復の仕事に就いた。そこ

で、その地方の伝統的な建築に多く直接触れることで、大学などで

学ぶよりも、より直接的な方法で建築を学んだ。1979年にグラウ

ビュンデン州のハルデンシュタインにアトリエを構える。

 代表的な作品としては、聖ベネディクト教会(1989年)、テルメ・

ヴァルス(1996年)、ブレゲンツ美術館(1997年)、ブラザー・クラ

ウス野外礼拝堂(2007年)などがある。入念に重ねられた敷地調査か

ら生まれた場所とのつながりを感じることができる作品が多い。

 スイスの気候は、山や起伏が多いためとても変わりやすい。四季

は日本同様にはっきりしている。国土の1/2は標高1200m以上のと

ころにあるため、冬季の積雪も多く降水量が増す。スイスには23の

州があり、その下にゲマインデと呼ばれる市町村レベルのコミュニ

ティがある。スイスではこのゲマインデを重要視し、事柄の決定権

はゲマインデに任せられる。また、スイスには4つの公用語があ

る。ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語である。こ

れらのスイスの地理や文化の情報から感じられることは、小さい国

ではあるがその中でもさらに細かい地方での個性や結束が強い、と

いうことであろう。住居もそのような多様な環境に対応していると

言える。

 ズントーの住宅の設計事例を挙げる。

 この写真にあるグガルンハウスの設計テーマは「Old and New」

であった。既存の家の1/3ほどを切り取って残し、新しく設計するこ

とにより現代の人が住みやすいようにしなければならなかった。こ

の 地 方 に は 校 倉 造 り の 家 が 多 く ま た そ れ ら の こ と を

“Strickbauten”(編まれた建築)と読んでいる。この山でとれた木を

使い、既存部分や土地に新しい部分を編み込んでいくことにより、

風景により深い結びつきができたと思われる。これは、ズントーの

言う「人はつねに風景のなかに住まい、風景のなかで働いてきた。

また私たちが住まい、働くことによって、ときとして風景は害も受

けてきた。良きにつけ悪しきにつけ、大地とつきあってきた私たち

の歴史は、風景のなかに蓄積されるといっていい。建物と風景が溶

け合い、一体となって育ち、この世にひとつしかない場所となるの

だ。そういう場所のアウラが、故郷をつくるのである。」1)とい

う考えがあてはまっていると思われる。

富山県の地域性について

 富山県の地域性について、今回の研究に適した範囲ということで

呉西地区を中心に研究を行った。歴史的な地域性が見られる例とし

て砺波の散居村という場所を挙げ、そのなかで地域性が損なわれて

いる住宅の例、地域性が見られる住宅の例を挙げる。

・砺波の散居村

 「扇状地性の平野に約1万戸の、屋敷林に囲まれた農家が点在して

散居村の景観をつくっている。特徴のひとつは、農家が自分の周り

の農地を耕して稲作を行い、自給自足の生活をしてきたというこ

と。特徴のふたつめは、カイニョやカイナとも呼ばれる屋敷林であ

る。冬の季節風や積雪、春先の強い南風から家を守ってくれた。屋

敷林に囲まれた敷地の中には母屋を中心に、納屋・土蔵・灰小屋な

どがある。母屋の形としては、切妻妻入りのアズマダチや平入りの

マエナガレの形式がある。母屋の中の間取りは広間を中心に座敷・

茶の間・寝室・台所などが配置された広間型が一般的である。中心

の広間は広い空間に対して、冬の重い積雪に耐えうるように太い柱

と梁で頑丈なつくりとしていた。これをワクノウチヅクリと呼

ぶ。」2)

 まず最初に散居村で地域性が損なわれている住宅の例を挙げる。

散居村では、立派なアズマダチがある敷地内の離れがカラー鉄板の

ような材で改修されているものが少なくない。この場所に根をおろ

しているように見えるか、といったらそうは見えない。また、敷地

の中で主役となるべきである母屋が、幹線道路から見た眺めとして

隠れてしまっている。色彩や材料が適切とは言えない。

 次に地域性が見られる例を挙げる。もともとあったアズマダチの

古民家を改修した住宅である。家の中の基本的な間取りは広間型の

ままで更にそれを囲むようにして現代の生活に必要な空間を配置し

ている。古民家の問題である寒さや内部の暗さなどの問題を解決し

ている。ズントーが設計したル-ジ邸は改修ではないが、その地方

に伝わる住宅の形式を現代という時代背景と施主の希望とを織り交

ぜた設計になっている、という設計手法が似ている。外観も、改修

されてはいるが、建てた当時のままのアウラを放っていると言える。

研究結果

ズントーの設計思想を学び、作品を見ることで共通する思想がいく

つかでてきた。重要なのは、その場の場所性(雰囲気)をどう生成

するかということ、つまり建築は人間を場所(地域)に住まわせる

ものであり、そこでこそ人間が自由に「生きられる」空間をつくる

ことである。その人のアイデンティティ、その場所のアイデンティ

ティを考えることが地域性につながる。それらが考慮された住宅に

は自然と癒しや安らぎが生まれるのではないだろうか。(1月8日現在

の考察。)

[主要参考文献、引用文献]○https://ja.wikipedia.org/wiki/ピーター・ズントー○https://ja.wikipedia.org/wiki/スイス○https://ja.wikipedia.org/wiki/スイスの地理○齊木 崇人/『建築巡礼34 スイスの住居・集落・街/丸善株式会社』/1994○PETER ZUMTHOR/『ATMOSPHERES』/Birkhauser/2006(ペーター・ツムトア/『空気感』(鈴木 仁子訳)/みすず書房/2015)

○Thomas Durisch&PETER ZUMTHOR/『PETER ZUMTHOR 1985-2013 Buildings and Projects』/Scheidegger & Spiess/2014

引用1)ペーター・ツムトア/『建築を考える』(鈴木 仁子訳)/みすず書房/2013  (PETER ZUMTHOR/『THINKING ARCHITECTURE』/Birkhauser/2006 引用2)http://1073shoso.jp/www/sankyo/index.jsp

Gugalun House 『PETER ZUMTHOR エー・アンド・ユー臨時増刊』エー・アンド・ユー 1998 年

ピーター・ズントーの住宅における地域性についてー富山県に特徴的な住宅の設計を比較事例としてー

Locality in housing of PETER ZUMTHOR

石田 茜Ishida, Akane

造形建築科学コース

近江家住宅 設計:株式会社 おおみ設計 出典:おおみ設計ホームページ 作品より

砺波の散居村でよく見られるアズマダチ住宅と離れ 撮影:松政教授

094 095

卒業研究・作品卒業研究・作品

Page 2: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

研究の背景

 現在の日本、北陸、富山に住んでいて、規格化された住宅の多さ

や、住宅において土地とのつながりが全く見えない家に疑問を感じ

ることがある。多くのハウスメーカーは、日本全国どこでも同じデ

ザインで住宅を売りだしている。果たしてそれらは住宅として、住

む人々に癒しや安らぎを与えられているのだろうか?

 私たち人間には必ず故郷という地があり、そこで生まれ育ち、そ

こで様々なことを経験してきた。私たちには必ずそこでの記憶があ

り、意識していないうちでもその記憶を探り、それがその人の人格

をつくっていると言ってもよいだろう。また、スイスの建築家であ

るピーター・ズントーが言うように、建築は「地球上の一部分を占

めるもの」でありその土地に根を下ろすものである。建築は土地な

しでは存在できないものであり、その土地もまた独特な歴史や風土

を持っている。それらを考慮して設計を行った場合、いったいどう

いった建築が生まれるのだろうか?

 そこで、現在世界的に注目されているピーター・ズントーのスイ

スでの設計事例や設計思想を学ぶことで、本当の地域主義とはどう

いうことなのかを見極めたいと思う。また、解決方法のひとつとし

て、今回学んだズントーの設計思想や地域主義的な考え方を用い、

富山県という土地にそれをあてはめたときに、どういった住宅の設

計が可能なのかを考える。今回は、地域性が表れやすいと判断し、

住宅に限定して研究を行った。

PETER ZUMTHORとスイスについて

 ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

建築家である。バーゼルで家具職人をしていた父に職業教育を受

け、長男であるズントーは家を継ぐことを期待されたが、物足りな

さを感じていた。バーゼルの造形学校では室内建築やデザインを学

ぶ。その後ニューヨークのプラット・インスティチュートでインダ

ストリアル・デザインを学んだが、そこでの教育は理論中心のもの

でズントーはつまらなさを感じていた。スイスに帰ったズントーは

グラウビュンデン州で歴史的建造物の修復の仕事に就いた。そこ

で、その地方の伝統的な建築に多く直接触れることで、大学などで

学ぶよりも、より直接的な方法で建築を学んだ。1979年にグラウ

ビュンデン州のハルデンシュタインにアトリエを構える。

 代表的な作品としては、聖ベネディクト教会(1989年)、テルメ・

ヴァルス(1996年)、ブレゲンツ美術館(1997年)、ブラザー・クラ

ウス野外礼拝堂(2007年)などがある。入念に重ねられた敷地調査か

ら生まれた場所とのつながりを感じることができる作品が多い。

 スイスの気候は、山や起伏が多いためとても変わりやすい。四季

は日本同様にはっきりしている。国土の1/2は標高1200m以上のと

ころにあるため、冬季の積雪も多く降水量が増す。スイスには23の

州があり、その下にゲマインデと呼ばれる市町村レベルのコミュニ

ティがある。スイスではこのゲマインデを重要視し、事柄の決定権

はゲマインデに任せられる。また、スイスには4つの公用語があ

る。ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語である。こ

れらのスイスの地理や文化の情報から感じられることは、小さい国

ではあるがその中でもさらに細かい地方での個性や結束が強い、と

いうことであろう。住居もそのような多様な環境に対応していると

言える。

 ズントーの住宅の設計事例を挙げる。

 この写真にあるグガルンハウスの設計テーマは「Old and New」

であった。既存の家の1/3ほどを切り取って残し、新しく設計するこ

とにより現代の人が住みやすいようにしなければならなかった。こ

の 地 方 に は 校 倉 造 り の 家 が 多 く ま た そ れ ら の こ と を

“Strickbauten”(編まれた建築)と読んでいる。この山でとれた木を

使い、既存部分や土地に新しい部分を編み込んでいくことにより、

風景により深い結びつきができたと思われる。これは、ズントーの

言う「人はつねに風景のなかに住まい、風景のなかで働いてきた。

また私たちが住まい、働くことによって、ときとして風景は害も受

けてきた。良きにつけ悪しきにつけ、大地とつきあってきた私たち

の歴史は、風景のなかに蓄積されるといっていい。建物と風景が溶

け合い、一体となって育ち、この世にひとつしかない場所となるの

だ。そういう場所のアウラが、故郷をつくるのである。」1)とい

う考えがあてはまっていると思われる。

富山県の地域性について

 富山県の地域性について、今回の研究に適した範囲ということで

呉西地区を中心に研究を行った。歴史的な地域性が見られる例とし

て砺波の散居村という場所を挙げ、そのなかで地域性が損なわれて

いる住宅の例、地域性が見られる住宅の例を挙げる。

・砺波の散居村

 「扇状地性の平野に約1万戸の、屋敷林に囲まれた農家が点在して

散居村の景観をつくっている。特徴のひとつは、農家が自分の周り

の農地を耕して稲作を行い、自給自足の生活をしてきたというこ

と。特徴のふたつめは、カイニョやカイナとも呼ばれる屋敷林であ

る。冬の季節風や積雪、春先の強い南風から家を守ってくれた。屋

敷林に囲まれた敷地の中には母屋を中心に、納屋・土蔵・灰小屋な

どがある。母屋の形としては、切妻妻入りのアズマダチや平入りの

マエナガレの形式がある。母屋の中の間取りは広間を中心に座敷・

茶の間・寝室・台所などが配置された広間型が一般的である。中心

の広間は広い空間に対して、冬の重い積雪に耐えうるように太い柱

と梁で頑丈なつくりとしていた。これをワクノウチヅクリと呼

ぶ。」2)

 まず最初に散居村で地域性が損なわれている住宅の例を挙げる。

散居村では、立派なアズマダチがある敷地内の離れがカラー鉄板の

ような材で改修されているものが少なくない。この場所に根をおろ

しているように見えるか、といったらそうは見えない。また、敷地

の中で主役となるべきである母屋が、幹線道路から見た眺めとして

隠れてしまっている。色彩や材料が適切とは言えない。

 次に地域性が見られる例を挙げる。もともとあったアズマダチの

古民家を改修した住宅である。家の中の基本的な間取りは広間型の

ままで更にそれを囲むようにして現代の生活に必要な空間を配置し

ている。古民家の問題である寒さや内部の暗さなどの問題を解決し

ている。ズントーが設計したル-ジ邸は改修ではないが、その地方

に伝わる住宅の形式を現代という時代背景と施主の希望とを織り交

ぜた設計になっている、という設計手法が似ている。外観も、改修

されてはいるが、建てた当時のままのアウラを放っていると言える。

研究結果

ズントーの設計思想を学び、作品を見ることで共通する思想がいく

つかでてきた。重要なのは、その場の場所性(雰囲気)をどう生成

するかということ、つまり建築は人間を場所(地域)に住まわせる

ものであり、そこでこそ人間が自由に「生きられる」空間をつくる

ことである。その人のアイデンティティ、その場所のアイデンティ

ティを考えることが地域性につながる。それらが考慮された住宅に

は自然と癒しや安らぎが生まれるのではないだろうか。(1月8日現在

の考察。)

[主要参考文献、引用文献]○https://ja.wikipedia.org/wiki/ピーター・ズントー○https://ja.wikipedia.org/wiki/スイス○https://ja.wikipedia.org/wiki/スイスの地理○齊木 崇人/『建築巡礼34 スイスの住居・集落・街/丸善株式会社』/1994○PETER ZUMTHOR/『ATMOSPHERES』/Birkhauser/2006(ペーター・ツムトア/『空気感』(鈴木 仁子訳)/みすず書房/2015)

○Thomas Durisch&PETER ZUMTHOR/『PETER ZUMTHOR 1985-2013 Buildings and Projects』/Scheidegger & Spiess/2014

引用1)ペーター・ツムトア/『建築を考える』(鈴木 仁子訳)/みすず書房/2013  (PETER ZUMTHOR/『THINKING ARCHITECTURE』/Birkhauser/2006 引用2)http://1073shoso.jp/www/sankyo/index.jsp

Gugalun House 『PETER ZUMTHOR エー・アンド・ユー臨時増刊』エー・アンド・ユー 1998 年

ピーター・ズントーの住宅における地域性についてー富山県に特徴的な住宅の設計を比較事例としてー

Locality in housing of PETER ZUMTHOR

石田 茜Ishida, Akane

造形建築科学コース

近江家住宅 設計:株式会社 おおみ設計 出典:おおみ設計ホームページ 作品より

砺波の散居村でよく見られるアズマダチ住宅と離れ 撮影:松政教授

094 095

卒業研究・作品卒業研究・作品

Page 3: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

はじめに

 本研究において「風土」は単に地理学的な意味ではなく、現象学的意

味を包括する言葉として定義する。また、「場所性」は一般的な自然環

境に対する建築学的意味とする。本研究で用いているクリスチャン・

ノルベルグ=シュルツが論及している、場所が持つ建築学的意味から

場所性、風土、建築の存り方を考察したい。

 古来建築は、地形、気候、……といった自然環境やその場所の文化・

文明に対応して建てられた。現代では、科学技術の進歩や交通の発達

によって、多様な建築手法を選択することができるようになった。建

築で重要視される要素も、経済性、利便性、……と多様な設計方針が存

在し、場所性は建築を決定付ける要素ではなくなりつつある。しかし、

建築は何らかの場所に建てられるものである。場所に建つ以上、場所

の特性を無視することは不可能である。

 歴史文化が潜在する風土において、建築設計の基盤となる場所性と

はどのように求めることができるか、新潟県妙高を具体的な事例とし

て考察する。シュルツ的視点で妙高の自然、人工、そして性格を分析

し、妙高のゲニウス・ロキ(地霊)、妙高の「場所性」を考察する。

妙高の自然

 妙高には多くの自然要素が妙高山に従属して存在する。妙高山で

は、縄文時代に古代人が登頂していた痕跡が確認されており、「登頂す

る対象」であった。定住生活が始まると、妙高山は農耕に必要な水をも

たらす神聖な場、「礼拝対象」と存在意義に変化が生じた。この性格は

時代が進むにつれて強まっていった。

 石は妙高に「荒々しさ」、「不毛の地」、そして「神聖さ」というイメー

ジを与えた。「神聖さ」の最たる事例としては岩座(いわくら:巨石、神

の宿るところ)が挙げられる。これは妙高山麓における自然崇拝の遺

構である。また、山中の岩窟(がんくつ:岩石によって構成された洞窟

状の空間)は行場としてだけでなく、山中において参籠するための空

間としても見出されていた。水は滝や池、川、温泉、雪、……と多様に現

象しており、妙高に様々なイメージを与える要素である。

妙高の人工 

 妙高の山中や高地は、農耕に適さないこと、山を神聖視する文化(信

仰)が生じたことから、定住地として見出されることはなく、建築文化

が発展する機会は与えられなかった。山麓や低地では、信仰を建築に

よって「空間化」した事例が確認される。関山地区には、社殿、寺社が建

立され、庭園も造られた。関山宿(関山地区において宿場町であった場

所)もまた遣水(やりみず)が宿場町全体に引かれ、各家に池が設けら

れている。「水」を建築空間に取り込むことで信仰を視覚化していると

捉えられる。

 しかし、一般的な妙高の建築は、積雪への建築的対応こそあるもの

の、妙高独自の建築文化は見出せない。その理由は、地理的条件が類似

する五箇山地方と比較すると、妙高は地形的に閉鎖的な環境ではな

かった。また、妙高には藩や国からの経済的・政治的支援がなかった

ことや職人や建築に関わる人材が不足していたと考えられる。

 明治期になると、妙高は神仏分離令によって信仰が衰退し、近代化

によって町並みは急速な変化を遂げた。そして新しく「観光地」、「別荘

地」のイメージが定着した。「荒々しい」、「不毛の地」という印象を近代

科学の力で排除したと考えられる。すなわち古来考えられてきた妙高

のイメージは科学技術により忘却させられたといえる。

建築の場所性と風土の結びつき ~新潟県妙高を事例として~The architectural connection between place and climate:A case study of the Myoko area, Niigata prefecture

扇田 満弘Ogida, Mitsuhiro

造形建築科学コース

関山地区の「旧関山宝蔵院庭園」:妙高山の「借景」、滝や池の「見立て」、「水」によって妙高の自然要素を集め来たらしている。近年、国の名勝に指定された。  

池の平地区の「いもり池」と妙高山:妙高に存在する水の現象に関する具体的な事例の一つ。木曽義仲が訪れたという伝承がある。

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卒業研究・作品

Page 4: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

妙高の性格

 「自然」、「人工」の考察を踏まえると、古来妙高の性格には人智を超

える自然の力があり、人間はそれに従い、耐えるという「畏れ」がある。

これは信仰、生活様式に現れている。信仰と自然理解の関係性は既に

述べた通りである。生活様式、つまり妙高に定住するとき、に影響を及

ぼす最も大きな自然現象は雪である。妙高において雪は脅威であり、

積雪に関しては抵抗するものではなく、耐えるものであるとされてい

た。建築的に積極的解決(より良い内部空間の獲得)をせず、消極的解

決(開口部を少なくし、屋根を急勾配にするという即物的対応のみ、暗

く寒い空間で耐え忍ぶ)をする他なかったのである。その理由は建築

文化が発展しなかった理由に類似する。つまり、妙高の有する「風土」

が、定住する人々に豊かさ建築空間で生活することを諦めさせ、忍従

する生活を強要させたと考えられる。    

妙高における場所の特性

 以上三項目より妙高における場所の特性とは如何なるものか、キー

ワードで挙げると以下のように考えられる。

「外観美(越後富士と呼ばれるほどの美しさ)」

「神聖さ(定住地からみて、山は西方浄土や須弥山と見做されている)」

「詩的要素(生活の場以上の意味を持つ)」

「脅威(雪崩、火山活動、土石流、洪水)」

「恵み(水による農耕)」

「忍従(雪の寒さ、暗さ、強風)」

「妙高の先達」による場所性の了解

 妙高に関わりのある重要人物(以後、「妙高の先達」とする。)による妙

高の捉え方から、妙高の「場所性」を考察する。彼らに共通して言えるこ

とは、場所に新しい意味や価値を付加したことであると考えられる。

1.非日常の空間体験

 古代、縄文人は登頂そのもの、山頂の風景に詩的感情を抱いていた

可能性が示唆されている。

2.仏教世界としての意味付け

 空海をはじめ、高僧によって建立された社殿やいわれのある場所が

存在し、木曽義仲もまた、妙高山頂に阿弥陀三尊を寄進している。これ

らは妙高に宗教的な「意味付け」をする行為であると捉えられる。

3.戦勝祈願、地域の中心的役割

 上杉謙信や上杉景勝もまた妙高山を崇拝していた人物である。景勝

は現在の長野県飯山市小菅地区の都市計画において、都市の軸を妙高

山に向かうように都市を改造しており、妙高の「神聖さ」を伝播させた

といえる。

4.伝統的な日本の風景を保持

 明治以降、日本は全国的にみて「西洋化」、「近代化」が進められた。妙

高もまた鉄道開通をはじめ、生活様式の近代化が進められていたが、

景観に関して、明治初期の時点ではまだ伝統的な日本の風景を保持し

ていたとされる。岡倉天心は別荘を建て、日本美術院移設を構想する

程、妙高の自然景観に価値を見出していた。

結論

 妙高には場所性を反映した歴史的建造物の存在は確認できないが、

本研究における「建築」、そして「場所性」は存在する。妙高において「風

土」と「場所性」の両者が関連しているものは「信仰」である。古代人は

妙高山や巨石という自然の要素や現象を「自然崇拝」という形で了解

した。これは地理学的な条件から山岳信仰という形態が生じたことに

加え、「妙高」という地域において人間はどのように存在できるか、信

仰という概念を通して存在することを了解したと捉えられる。つま

り、妙高の風土から信仰が生じたと考えられる。

 「場所性」に関しては、妙高山をはじめ、古代人は「信仰」の概念を

持って場所に意味を見出した。これは「定住」を目的として場所の意味

を見出す場所性の概念とは異なるものであり、妙高の「場所性」は場所

と人間が対峙する概念である。定住を目的とする場所性は建築をつく

ることを目的とするため、場所性が実体に反映されるが、妙高の「場所

性」は「建築的行為」であるため、妙高において「場所性」が直接実体と

して反映されないと考えられる。

 妙高において「風土」と「場所性」は「信仰」という概念を通して両者

に関係性をもたらしていると考えられる。妙高の「場所性」を具体的な

建築に結びつけるために、「場所性」を中心に、実体として具体化する

ための概念も探求した。

(2015年 1月 9日現在のため、最終的な考察ではない。)

[主要参考文献]クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ著、加藤邦男、田崎祐生共訳『ゲニウス・ロキ 建築の現象学をめざして』住まいの図書館出版局、1994年、小島正巳『妙高火山の考古学』岩田書院、2011年、妙高市北国街道研究会『北国街道制定四〇〇年記念 北国街道観光案内 北国街道を歩こう』KNR、2014年、池田光二『山名孝』文芸社、2003年、和辻哲郎『風土』岩波書店、1985年、西海賢二・時枝務・久野俊彦編『日本の霊山読み解き事典』柏書房、2014年、鈴木昭英『修験道歴史民族論集3 越後・佐渡の山岳修験』法藏館、2004年、田辺三郎助責任編集『図説 日本の仏教 全六巻 第六巻 神仏習合と修験』新潮社、1989年

091

卒業研究・作品

Page 5: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

熊本県玉名郡長洲町の長洲駅舎改築と駅前広場の計画~地域性と歴史性を意識した建築意匠~

図面・模型

古林 美矢Kobayashi, Miya

造形建築科学コース

 住民が誇りを持つことのできる、魅力ある豊かな町をつくるためには、建築デザイ

ンの「地域性」や「歴史性」というのは重要なキーワードだと考える。

 熊本県にある長洲町では、平成24年 3月に、人口増加・定住化を目的とした「長洲

町住まいづくり基本計画」が策定された。この計画では、今後の目標と課題が語られ

る中、長洲町の歴史や風土についてはほとんど触れられていない。

 また、昭和57年に改築された、現在の長洲駅は地域性や歴史性を意識したもので

はなく、橋上駅舎でありながらエレベーターがないため早急な対処が必要である。

 建築設計におけるコンテクストとしての地域性や歴史性は、どのように配慮され

るべきかを、スイスの建築家ピーター・ズントーやアメリカのピーター・アイゼン

マン、フィンランドのアルヴァ・アアルトの作品と建築思想、現在の日本にある地域

性を意識した駅舎などを参考にして、長洲町の歴史やこれまでのまちづくりの経緯

を調べた上で、長洲駅舎の改築計画を提案する。

長洲駅について

JR九州鹿児島本線の駅

単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線

電車は1時間に平均して2本

特急電車も停車する。

1891年 開設

(地域境界線(赤線)を使ったラフスケッチ)

設計手法

調査した長洲町の地域性や歴史性と言える線や形

(町の中心となる軸線や干拓される前の長洲の

地形、二つ家民家の形式など)を断片化したり、

スケールを変えたりして、重合し、それらを

変形させることで、新しい形を生み出す。

また、主構造に熊本県産のスギ材を使用する。

加藤清正らによって干拓される前の長洲町

現在の長洲町

埋立地ができる前の長洲町 (~1964 年 )

参考資料:町民の長洲町史、九州の民家 有形文化の系譜 ( 上 )

二つ家 ( ふたついえ ) について

熊本県北西部で見られていた民家のひとつの形式。

長洲町では、今はもう見ることができない。

炊事等の作業をする土間のみからなる棟と

土間のない床だけの棟の二棟から成る。

「二棟造り ( ふたむねづくり )」とも言われる。

雨風が決して少なくないこの地域で、

なぜこのような造りの民家ができたのかというと

”温暖な気候のためカマドのある空間と

         居住空間を分けたかった ”や

”税金対策 ”などが考えられている。

その他にも長洲町では

コの字型をした「クド造り」や L 字型の「カギ屋」

という形式の民家が分布していたとされている。

( 現在の長洲駅 )

長洲町におけるまちづくりの経過

1200 年ごろ

扇崎から 3 人の開拓者僧が移り住んだ。

細長い洲の形をしていることから

「長い洲」→「長洲」と名付けられた。

漁業が盛んなまち

1600 年ごろ 

加藤清正、細川忠利らによって干拓

漁業が盛んなまちから半農半漁のまちへ

1957 年

現在の長洲町が誕生

1964 年

新産業都市の指定、臨海部の埋立が開始

造船・アルミサッシ等の製造業の進出

半農半漁のまちから工業都市へ

084

卒業研究・作品

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研究背景と目的

 静岡県のほぼ中央を流れる大井川の下流域では、大井川の氾濫・洪水流から屋敷を守るため、屋敷のまわりを舟型や三角形の土手で囲い、その頂点を大井川の氾濫流に向けて屋敷どりをする舟型屋敷・三角屋敷が発展した。かつて富山県砺波平野に並ぶ散居で知られていたこの地も、戦後の圃場整備によりその姿は年々消えつつある。しかし、大井神社をはじめ、流域全体で40社を超える「大井」の名の付く神社や、川除地蔵など、大井川下流域に住む人々と大井川との深い関係は現在も色濃く残っている。 本研究では、大井川の舟型散居の痕跡を探ることで、その地域性を現代の住宅に取り入れる手法とその意味を考察する。

大井川概要

 大井川は、日本第4の高峰である間ノ岳に源を発す1級河川であり、その流域は静岡市、島田市、藤枝市、焼津市、榛原郡吉田町、川根本町の4市2町にまたがる。また、幹線流路延長168㎞に対し、流域面積は1280㎢と、幹線流路延長に対する集水面積がきわめて狭く支流が少ないという特色を持つ。さらに、年間降水量は流域面積の半分以上が3000㎜を超える多雨地域であり、静岡県中部の利水需要を担う一方で、溢れ出た水流は多くの洪水被害をもたらしてきた。大井川の水害の特徴は、河床勾配が急なことに起因する洪水流の速さと、土砂や流木の混じる濁流被害の大きさにあり、江戸時代以降記録に残るだけでも濁流による破堤は98カ所にのぼる。

水防対策

 大井川扇状地が本格的に開かれはじめたのは近世に入ってからであり、家屋敷はかつての州や島、洪水時にもたらされた土砂などの微高地を巧みに選んで構えられている。つまり、大井川散居は、家屋敷がただ無秩序に散在しているのではなく、列状に並ぶ自然堤防上に散在しているという特徴をもつ。 大井川下流域では支配者によって築かれた堤防を「御囲堤」、私的な堤防を「囲い土手」と呼ぶ。囲い土手の中には、個人で水防対策を施した舟型屋敷・三角屋敷のほかに、村や集落単位で築かれた三角集落・舟型集落、不連続堤防などがある。

舟型屋敷・三角屋敷

 舟型屋敷・三角屋敷とは、屋敷のまわりを舟型や三角の土手で囲い、その頂点を大井川の氾濫流に向けて屋敷造成したものである。一般的には3辺や2辺の土手で囲ったコの字型やL字型の屋敷どりが多く、洪水の危険性の高い所ほど舳先が鋭角となる。 土手の上には普通、竹が植えられており、竹の地下茎によって洪水時に土手の崩壊を防ぐ役割を果たしている。土手に挟まれた先端の部分は、ボタと呼ばれる小森になっており、小高い土盛りに山桃や松などの常緑樹が植えられている。これらの竹木は土手の補強だけではなく、台風や季節風などの強い風を防ぐのにも役立った。 また、ボタの中の山桃や松の古木の根元に地の神を祀ったり、土盛りの1番高い所に屋敷墓を構える例もある。これは、祖霊や屋敷神に洪水から家を護ってもらうという素朴な信仰によるものだと考える。先祖の霊が50年を過ぎると地の神になるという伝承もあり、屋敷墓と地の神の関係は密接である。舟型集落・三角集落の場合、頂点の部分には神社が置かれる。(図1)

集合的記憶

 フランスの社会学者、アルヴァックスは記憶を個人の現象ではなく、集合的な現象としてとらえ、例えば同窓会で旧友と再会することで学生時代の記憶が鮮明に思い起こされるように、我々の記憶は他者によって想起されると述べている。このように、他者と共に出来事を記銘し、その手掛かりとなる事物によって記憶を保持し、他者と共に想起する記憶のあり方を、集合的記憶と呼ぶ。 アルヴァックスの集合的記憶は、記銘・保持・想起という記憶の過程のうち、専ら想起に焦点を当てたものであり、我々は家族や学校などの集団の一員として、その集団の枠組みの中で過去を想起する。そのため、想起される記憶は現在の集団の枠組みの中で再構築された記憶となる。また、アルヴァックスによれば、記憶とは外部から呼び起されるものであり、過去は物質や空間の中に保存されている。つまり、物質や空間の痕跡によって過去を想起する限り、主体はその出来事の当事者に限らないということである。

現代の大井川下流域における住宅のあり方ー舟型散居の地域性と集合的記憶を巡ってーStudy on modern architecture about locality in lower area of Ooi river.

正守 由依Masamori, Yui造形建築科学コース

図 1. 囲い土手の形状(「大井川町史」三角屋敷様式図をもとに作成)

088

卒業研究・作品

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島田市初倉地区井口における痕跡

 大井川右岸の島田市井口を歩いていると、屋敷続きの墓地や、水田の中に墓地がある姿を見かける。このような屋敷墓は、その屋敷と先祖が一体であることを示している。この地に屋敷を構え、水田を開発してくれた先祖に、家の永続を見守ってもらっているのである。 井口村は承応2年の大洪水により全村流失、それまで住んでいた村民は離散し河川敷となった。その57年後、宝永5年に官より許可を得た14家が井口村の開発を行った。これが現在の井口村の起源であり、開発を行った14家を「井口村14家衆」という。井口村は当初、街村形式をとっていたが、新田開発を進める過程で散村となった例である。 井口村にも数件、三角屋敷・舟型屋敷が存在するが、この地域では簡易的な囲い土手と共に不連続堤防をつくっている例が多い。14家衆は現在も年に1度会合を開いており、共に開発を行った家同士の深い繋がりは300年経った今でも続いている。井口村の不連続堤防は土地改良の際、堤防上に植えられた松が影をつくり、作物が育ちにくくなるという理由でその姿を消した。しかし、井口村の開発の記憶は散居形式の住宅や屋敷墓、各家々の囲い土手や地の神の中に残っている。(写真1)

結論

 大井川下流域の人々にとって、大井川とは恵みであり脅威であった。そのため人々は、水の神や地の神を祀るとともに、村や住宅に堤防を築くことで大井川とうまく付き合ってきた。大井川の神性や洪水の恐怖というものは、その地で生きていくうえでの知恵であり、脈々と受け継がれてきた、いわば共同体意識であり、集合的記憶である。明治29年以降大井川堤防改修工事が進められたことにより、甚大な洪水被害は減少したが、その記憶は親から子へ、地域の祭りや信仰として、形を変えながら継承され、その記憶は村に残った堤防や数多くの水神を祀った神社によって想起される。 このような経験からつくり出された地域のコンテクスト、すなわち方言は共同体や家族の存在を支え、固有な類型として現象させる。戦後の土地改良で数多くの堤防が破壊され、舟型屋敷・三角屋敷が姿を消したことは、集合的記憶として共同体意識を想起させる対象を失うことであり、その伝承性・伝統性を失うということはそれまで共同体や家族を支えていた共同体意識を失うことを意味する。地域性を現代の住宅に取り入れることは、成層化された土地の記憶を受け継ぐことであり、そこに住まう家族だけではなく、共同体として地域の人々の存在を支える役割を果たす。

[主要参考文献]○『静岡県史 資料編 24 民族二』○『大井川町史 上巻』○磯部博平『大井川下流域の集落』(1973) 地方史静岡第 3号 p21‐47○小寺廉吉 岩本英夫『大井川下流域の散居性村落』(1939) 地理学評論 15の 9・10

○長谷川公一 浜日出夫 藤村正之 町村敬志『社会学』(2007)発行者 :江草貞治 発行所 :有斐閣

○M. アルヴァックス『集合的記憶』(1989)訳 : 小関藤一郎 編集 : 沢田都仁発行者 :行路社

図 2. 大井神社の分布図(「静岡県史 資料編 24  民族二」より引用)

写真 1. 井口村に祀られた地の神

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卒業研究・作品

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はじめに

 フランク・ロイド・ライト(1867-1959)はアメリカの建築家であり、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」とされている。ライトの生涯はその活動から3つに分けられ、サリヴァンの事務所でも活躍し、住宅を中心に多くの作品を残した「第一黄金期」。不倫スキャンダルや数々の不幸に見まわれ仕事が激減し、そして、帝国ホテルなど日本で作品を残した「不毛、失われた時代」。その後カウフマン邸(落水荘)を手掛け再び表舞台に立った「第二黄金期」とされている。これはライトの研究家であるグランド・カーペンター・マンソンによるものだが、ライトの研究家の共通の認識として使われている。また、住宅を多く手掛けたライトの住宅はその各期のスタイルから、プレイリー・ハウス、テキスタイル・ブロック・ハウス、ユーソニアン・ハウスと呼ばれている。 ライトは生涯にわたって「有機的建築」という言葉を使っている。この「有機的建築」という言葉はライトの建築における表現的なものとして多くの考察が行われているが、より本質的な建築思想だと捉えることでライトの建築の根本的な理解に関わるものである。ライトは様々な概念や例えを述べ建築を語ってきたが、生涯一貫して「有機的建築」というものを使い続けた。 ライトが建築を語る上で度々出てくる「精神」、そして「自然」という概念が、ライトの建築思想である「有機的建築」における象徴的な言葉として理解し、それらの関係性を読み解くことにより、自らの作品を「有機的」と見なしていたライトの建築の本質を明らかにすることを本研究の目的とする。研究は文献をもとに行う。

ライトにおける「精神」

 精神という言葉は非常に抽象的であり、広義的意味でつかわれることが多い。哲学の分野など学問的な面を得意とする一方で、宗教の信仰などにも使われる全世界共通の概念ともいえる。また、英語でのspirit、フランス語でのesprit、ドイツ語でのGeistなど各国ごとで言葉の意味に僅かながら違いがみられるが、主だって全体として

 アメリカで育ったライトは牧師の多い家系であり、ウェールズ系の宗教の影響が強いため、精神と宗教の関係はより強い。ライトは自身をウェールズ人として、東洋の精神性に対する強い感覚に対して、ウェールズ人も同様に精神的であるとも述べている。ライトがこだわり続けた東洋とマヤの文化の共通項であると同時に、宗教はライトの思想を支える自然や神、霊感などの精神的なものの最も身近な存在だった。 しかし、精神という概念は建築に適用する上でライトにとって宗教を

超えた大きなものとして、自身の建築理論において重要なものとなる。「第二黄金期」にあたる1939年に行われたロンドン講演にて「建築とは何か。」という問いに対して、「建築とは、世代から世代へと、また時代から時代へと、人間の自然に従って、またかれの環境の変化に従って進行し、持続し、創造する、偉大な創造力豊かな生きた精神なのである。」(エドガー・カウフマン編 谷川正己・睦子共訳「ライトの建築論」内の章「建築とは何か」p21より)とライトは答えた。ライトにおいて精神は建築を建築たらしめているものであり、ライトの建築において核になるものである。つまりそれは、建物(building)を建築(architecture)にする唯一のものとして、常に建築に横たわっているものである。建築に内在する精神性を見出すことにより、ライトは精神を単なる信仰でなく、また無視することなく、自らのものとした。「精神とは頭脳(知性)のことだけでは決してなく、心のことや想像力や手(われわれのいう技術)のことである。しかしその3つ(知性、心、手)が、インスピレーション(inspiration)の導きで一つになり一緒になって働くまでは、あなた方が精神の真の作品を手に入れることはないだろう。」(

University of Chicago Press,Chicago,1945より)ライトは精神を表現や創造といった活動として語る。それは精神が彼らの表現、つまり彼ら自身の精神だからである。そして、その時代と場所における人間の建築は同時にその時代と場所をも映し出したものでなければならないと考えていた。ライトは自身の建築を自らの精神として、時代や場所を背負ったのである。そして、活動の結果として建築に精神の表現があらわれる。ライトはこれを建築における実体として述べている。実体は精神であり、背後に要素が隠れているとしている。ライトは実体のパターンを超幾何学的なものとし、自身の建築で多様している。それは室内により多くみられ、建築の本質は内部空間にあると考えていたライトの精神の象徴として存在している。(図1)

フランク・ロイド・ライトにおける「精神」と「自然」Study on ”Spirit” and “Nature” of Frank Lloyd Wright

大道 映典Ohmichi, Akinori造形建築科学コース

図 1 プレイリー・ハウスの代表作ロビー邸の内装における幾何学装飾(1906 )   (「建築と都市 a +u」 2000 年 3 月 臨時増刊号 P45 )

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卒業研究・作品

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ライトのおける自然

 ライトの研究において非常に重要であり、建築のみならずライト自身の根底にあるとされているのが自然という概念である。自ら有機的建築を掲げているライトにおいて、自然という概念は不可欠なものである。しかし、ライトによって自然は多く語られているが、その概念は難解である。ライトは、環境や緑を表すものとして自然を表面的に捉えることを嫌い、常に自然という言葉に物事の本質を見出していた。「あなたが自然を探求するように命ぜられるとき、それは戸外に出て丘や動物のふるまいかたや表面上見えるものを一瞥すべきだという意味ではない。自然の探究とは自然、大文字の自然、内的自然、手の本性、この器具の本性、ガラスの本性を意味するのである。」(遠藤楽訳『ライトの住宅』より)ライトにおける自然という言葉はここでの「大文字の自然」、

キャラクターをあらわにしているという。それをライトは自然研究とし、本性を読み取ることで表現の材料や要素としている。 本性としての自然は、すべての原因と結果の内にある本質として使っており、建物がそれぞれにとっているフォームと原因である、材料、工法、目的の自然的な発生でなければならない。そのためには、原因となる要素を理解し、本質を見極めることが自然の探究に繋がるといえる。それは代表作であるカウフマン邸(落水荘)において顕著にみられる。材料である層状の岩盤と斜面の岩肌の表現、工法としての水平の層を強調するキャンティレバー、滝を見降ろし周囲との調和を目的として、すべてが本質を生かした自然なものとして機能している。(図2) またライト自身、自然という言葉をわれわれにおける神そのものの実体として使っているとし、一般的な考えとの違いを述べている。「私がNATURE(自然・本性)という言葉を使う時はほとんどの人が普通思うのと別の意味で言っています。私にとって自然とは、われわれが神と呼ぶもののフォルムそのものです。われわれの目に見える唯一の神のかたちと言ってもいい。詩的な事実です。自然はわれわれが決して見ることのできない神の唯一の実体なのです。」(「CASABELLA japan」 806 建築とは何かーフランク・ロイド・ライト)神としての自然に触れることで、生命や原理といった霊的かつ宇宙的なものとの調和を目指した。これは、ライトが影響を受けたとされている超越主義の思想である。この人間と自然の関係性は、ライトにおいて精神と自然の関係性として有機的建築を支えるものとして考えられる。

有機的建築

 ライトが「愛する師匠」としていたルイス・ヘンリー・サリヴァンは建築界に「形態は機能に従う」といったテーゼを取り入れた。サリヴァンもライトと同じく有機的建築という言葉を使っていたが、ライトは決してサリヴァンの継承者ではなかった。ライトにとって有機的建築は「形態と機能は一つのもの」とサリヴァンの考えをより発展させた、本質的なものであった。その考えは、生涯ライトにとって変わることのないもので、ライトの建築スタイルとして一貫されていた。機能を本質としていたライトにおいて、本性としての自然に向き合うことで建築を自らの精神的な活動の場とした。「私は今でも有機的建築の理想こそが、起源と源、そして建築の名に相応しいあらゆるものの強さそして根源的にはその意義を形づくっていると信じている。」有機的建築はライトの理想であり、時代から時代、場所から場所へと、そして人から人へと発展し、変容していく生きた建築思想である。

[引用および参考文献]○エドガー・カウフマン編 谷川正己・睦子共訳 『ライトの建築論』 彰国社 (1970)

○水上優 『フランク・ロイド・ライトの建築思想』 中央工論美術出版 (2013)○テレンス・ライリー+ピーター・リード編 京都大学工学部建築学教室内井研究室監訳 『建築家フランク・ロイド・ライト』 デルファイ研究所(1995)○遠藤楽訳 『ライトの住宅』 彰国社(1967)○「CASABELLA japan 」 805・806○「建築と都市 a+u」 2000年 3月 臨時増刊号

図2 カウフマン邸(落水荘)における材料・工法・目的の自然的発生(1938 )   〈テレンス・ライリー+ピーター・リード編 『建築家:フランク・ロイド・ライト』 P242 )

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卒業研究・作品

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序研究背景

 タイ中部において、伝統的な高床式木造住宅の特徴を現代建築に取り入れる動きが見られるが、それらは表面上であり、生活と結びついていない。生活と結びついた住宅をデザインするためには、地域性の核となる本質を見抜き、現代建築に取り入れることが必要である。

目的

 タイ中部の伝統的な高床式木造住宅における伝統や固有性を現代建築に活用するために、建築に観られる地域性を読み取る。その後、伝統的な建築から伝統や固有性を読み解く際、ピーター・ズントーの建築論をタイ建築にも用いることが可能であるかどうかを検証する。

既往研究

 タイの伝統的な高床式木造住宅に関して、建築そのものの研究や、増築や移築に関する研究等は行われているが、現代建築への活用に関する研究は見られない。

なぜタイ中部なのか

 タイ中部の高床式木造住宅が他の地域のものの起源であると判断し、さらに、ワット・トライローク文書という住宅建築書に関する文献が存在することから、タイ中部を対象地域とした。

論文の構成

 第1章では、本研究の基礎となる概念についてまとめる。 第 2 章では、地域性が建築へ与える影響や、地域性の核である普遍性を明らかにする。 第 3 章では、ピーター・ズントーの建築論をタイ建築にも用いることが可能であるかどうかを検証する。

第1章

 本研究の基礎となる概念についてまとめる。 なぜ現代建築に伝統的な建築デザインを活用するのかということについて述べ、建築デザインにおける地域性と普遍性の関係について述べる。そしてタイ中部の定義及び気候や民族、歴史についてまとめる。

1.1 地域における伝統的な建築デザインを現代建築に活用する意味

 生き物は気候・風土、文化、歴史に基づいて生活を営んでいる。また、建築物は生き物によって、生き物の生活のために創造される。そのため、建築物は生活と同じように、気候・風土、文化、歴史に基づいているべきである。

1.2 建築デザインにおける地域性と普遍性

 地域性である、気候・風土、文化は変化するが、時代に関係なく共通するところもある。その共通点が地域性の核となるもので、その核を建築デザインに取り入れることによって、その建築デザインは普遍性のあるものとなる。

1.3 タイ中部について

 タイ中部の場所、気候、民族、歴史についてまとめる。 場所は の定義に従う。気候は高温多湿であり、民族は大多数がタイ族である。この地域はモン族による大国が現れたのちに、クメール帝国、アンコール朝の支配下に置かれ、それからスコータイ王国が誕生した。そしてアユタヤー王国となり、一時はビルマの支配下となったが、アユタヤー王国を復活させ、その後、現在まで続くラッタナコーシン朝が始まった。

第2章

 タイ中部の伝統的な高床式木造住宅の構成要素や部材の名称と役割、建設方法、規律についてまとめ、タイ中部の地域性を観る。その後普遍性について述べる。

2.1 タイ中部の伝統的な高床式木造住宅について

 タイ中部の伝統的な高床式木造住宅がどのようなものなのかということについて述べる。 タイ中部の伝統的な高床式木造住宅は、bandai(階段)、charn(テラス)、rabieng(ベランダ)、 hong(部屋)で構成されている。周囲の樹木も構成要素の一つといえる。部材は竹や木でできており、壁や破風は木板で出来ている。柱によって床が上げられ、その上に平屋棟が複数棟建てられ、それらを charn は繋いでいる。屋根は傾斜の大きい屋根と小さい屋根がある。また、段差や隙間が多用されている。居

タイ中部の伝統的な高床式木造住宅における地域性と普遍性The study of regionality and universality,inhabit traditional Thai houses in the Central region.

近江 絵里子Omi, Eriko芸術文化学研究科

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修了研究・作品

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住者の誕生日などを用いて部材の長さなどを決定し、建設の際はさまざまな儀式が行われる。建設は、建設の専門家だけでなく占星術師や近隣住民や友人も建設に参加する。周囲に植える樹木の種類や階段の位置、梁行の長さ、寝る方向には規律がある。

2.2  タイ中部の伝統的な高床式木造住宅に観る地域性

 気候・風土の影響を受け、通気性に優れており、屋根や樹木によって多くの日陰が作られ、全体の 60%が外部であるという特徴が生まれた。さらに生活様式や信仰、祭りなのど儀式といった文化からの影響が窓や装飾に観られる。そして歴史の影響により、寝室の間取りや床の高さが決められている。

2.3  タイ中部の伝統的な高床式木造住宅に観る普遍性

 ヒンドゥー教―仏教の宇宙像を具現化したものがタイ中部の伝統的な高床式木造住宅である。また、居住者自身やその生活様式に合わせて一軒一軒設計され、構成要素をパズルのように組み合わせて計画される。さらに、雨風から居住者を守るのではなく、雨と日光から居住者を守るのが、タイ中部の伝統的な高床式木造住宅である。そして、これらのことが、普遍的な要素である。

第3章

 ピーター・ズントーの建築論をタイ建築にも用いることが可能であるかどうかを10個のキーワードに分けて考察することで検証する。

3.1 10個のキーワードについて

  の和訳を行い、ピーター・ズントーの建築論のキーワードとして「感覚」、「経験」、「イメージ」、「環境」、「素材」、「ディテール」、「雰囲気」、「記憶」、「歴史」、「美」という 10 個の言葉を独自に定めた。

3.2 10個のキーワードによる考察  「感覚」 光や音、温度の違いや香りを五感で感じた。 「経験」 床下と床上の空間の違いや水上の快適さを経験した。 「イメージ」 全体は森林のイメージ。床下は物置や家畜の空間。床上は人が暮らす空間。天は神の空間。 「環境」 高温多湿の気候だが、配置に際して、日当たりや風の吹く

方向は考慮されない。 「素材」 木、竹、タイル、茅が主に使用されている。 「ディテール」 先細りの構造や、床の隙間、装飾に用いられる模様について特徴が観られる。 「雰囲気」 優雅で壮大な雰囲気がある。 「記憶」 水辺で木々に囲まれて暮らしてきた記憶が観られる。 「歴史」 建築そのものとして蓄えられているほか、人や書籍の中に蓄えられている。 「美」 規定によるものや簡潔な構成、柔軟さ、壮大な雰囲気の中にある細かな装飾に美しさがある。

3.3 ピーター・ズントーの建築論とタイ建築

 10 個のキーワードに合わせて考察することはできたものの、ピーター・ズントーの建築論をタイ建築にそのまま用いることはできない。「環境」の定義を変更し、「信仰」や「占星術」というキーワードを付け加えることが必要である。このような違いは、タイ中部において建築は人間だけでなく、精霊や神々の住空間であるということによって生まれているのだろう。

終わりに

 本研究によって、タイ中部の伝統的な高床式木造住宅の構成要素や構造について理解することができ、そこに地域性を観ることができた。 今後、他地域との比較をおこない、タイ建築とはどういうものなのかということを求めていきたい。

[主要参考文献]○Ruethai Chaichongrak, Ornsiri Panin,

, River Books,(2003)○スメート・ジュムサイ, 西村幸夫(訳)『水の神ナーガ アジアの水辺空間と文化』鹿島出版会(1992)○チャイヨシ・イサボラパント , 中川武「The study of document on traditional

』集文論系画計会学築建本日『」)tnemucod koliart taW( irubhcteP ta esuoh(2001)

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修了研究・作品

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卒業研究・作品

目的と視座

 ピーター・ズントーは、1943年にスイスのバーゼルに生まれた建築

家である。バーゼルでは、父親のもとで家具製作工としての職業教育を

受け、その後、造形学校で建築デザインを学んだ。さらにニューヨーク

へ留学したが、そこでの建築教育に失望し、帰国後、歴史的建造物の修

復建築家の仕事にも携わった。このような経歴を持つピーター・ズント

ーは、地域のものを使用したり、その地域の伝統をデザインに取り入れ

ている。

 本研究では第一章において、まず、ピーター・ズントーの建築に対する

考え方や手法を探り、地域の建築の伝統や固有性を現代建築に活用す

る意味と方策を考察する。その後、彼の建築作品でどのように表現され

ているのか考察を行う。第二章において、これらの成果をもとに、富山大

学高岡キャンパスにある宿泊施設を事例として、富山固有の建築デザイ

ンを提案する。

ピーター・ズントーの建築

はじめに

 ピーター・ズントーの著書である“Thinking Architecture”や関連書籍

をもとに、彼の建築に対する考え方や手法を探り、地域の建築の伝統や

固有性を現代建築に活用する意味と方策の考察を行い、その後、彼の思

考が作品にどのように表現されているかを考察する。

ピーター・ズントーによる建築論

 ピーター・ズントーによれば、「経験」とは、アイデアを生み出すもので

あり、建築のデザインの根拠、さらに、建築の雰囲気を作り出すものであ

る。彼の言う「経験」とは、五感で経験することを意味している。意識的に

経験することもあれば、無意識のうちに経験することもある。どちらの

経験も、記憶の中の経験と比較され、共鳴し合う。

 「イメージ」とは、建築だけではなく、あらゆる経験をもとに生まれる

ものであり、経験と同様、アイデアを生み出すものである。後から付け足

した、うわべだけのイメージではなく、その建築が置かれる具体的な空

間や場所、歴史や感覚的な質を持ったイメージをもとにして、アイデアが

生み出される。「素材」とは、建築の形を決定する大きな要素であり、その

建築の雰囲気を作り出すものである。彼は、ある素材が建築そのものに

対して、どのような意味を与えることができるのかということを考え、建

築に用いる素材を決定している。なぜなら、建築をデザインするという

行為は、感覚に訴えることを目的とすべきであり、感覚に訴える力には素

材が最も大きく関係していると考えているからである。「感覚」とは、その

建物の本質にあるもので、空間を構成するものである。訪れた人の記憶

に残る経験となるよう、彼は、五感で経験できる建築をデザインしようと

する。「記憶」とは、経験やイメージ、雰囲気といったデザインの材料を整

理して貯蔵しておくものである。このような記憶を彼は、そのまま使用す

るのではなく、その共通点や特徴を意識して建築をデザインする。「雰囲

気」とは、人工的に演出するものではなく、建築そのものが構成されるこ

とで生まれるものである。建築に付加するのではなく建築そのものが持

つ雰囲気を、彼は自身の建築に持たせようとする。「環境」とは、建築をデ

ザインするときの根拠である。環境をもとに経験やイメージ、雰囲気から

様々なアイデアを生み出す。環境には、二種類あり、それらは、自分の過去

に経験した環境や今の生活の環境と、デザインする建築に与えられた周

辺環境である。後者から建築によってどう内部空間を切り取るかという

ことに、前者は大きく影響を与える。「ディテール」は、建築のイメージや雰

囲気を作り出すものであり、建築を構成する重要な要素の一つである。デ

ィテールは、「細部、詳細」を意味し、構造や、仕上げの素材、接合部など、

細かいものが組み合わされることで構成される。彼の建築では、ディテ

ールが丁寧にデザインされているため、単に装飾ではなく、重要な要素

となっている。「歴史」とは、経験や知識が蓄えられているものであり、継

承することで地域の固有性を維持させるものである。彼は、その土地に

溶け込み、歴史の一部となるような建築をデザインしている。「美」とは、

建築そのものだけでなく、その建築が置かれている場の雰囲気や、見る

人の心理状態によって生まれるものである。彼によると、美しい建築と

は、沈黙を有するもので、何かメッセージを自ら訴えることはしないもの

である。

結論

建築に対する考え方

 ピーター・ズントーによると、建築とは人為的構築物である。人工的に

構築することによって、それが位置する場所全体に影響を与え、歴史の

一部と成ることができれば、その建築は自然のものと同じように、その

場所に存在することが可能になる。彼は、建築が自ら何かを一方的に表

現するという考えを受け入れることができないと言っている。よい建築

は何も表現せず、建築そのものとして、その場に存在するものであると

考えている。

地域の建築の伝統や固有性を活用する意味

 地域の建築の伝統や固有性を現代建築に活用する意味は、ピーター・

ズントーが特定の場所や役割のためにデザインする目的にある。この目

的を説明するために、彼はMartin Heideggerのエッセイを用いている。

一つの世界には〈大地〉、〈天〉、〈神的なものたち〉、〈死すべきもの〉の四

つの存在があり、この四つの存在を一つの世界に保てたとき、住むとい

う行為が可能となり、その住むという行為のために建てるという行為が

存在する。四つの存在には、その地域に共通する部分があるため、建て

るという行為には伝統や固有性が存在するということになり、それ故、

建築を建てる行為そのものが伝統や固有性を活用するということを意

味するのである。

地域の建築の伝統や固有性を活用する手法

 地域の建築の伝統や固有性を現代建築に活用する手法の一つとして、

ピーター・ズントーによる建築のデザイン手法を考察すると以下のよう

になる。

 彼はまず、建築を想起させるイメージや雰囲気に導かれていく。そし

て、多くのイメージや雰囲気を組み合わせ、アイデアを生み出す。そのア

イデアを可視化する。このとき、周辺環境からどう内部空間を切り取る

かが重要である。それから、周辺環境を構成するものの物理的な存在感

に取り組みながら、外観に取り組む。そして、素材そのものが持っている

イメージや雰囲気、感覚というものに取り組む。さらに、内部と外部、公

的空間と私的空間の変わり目について、緊張感の演出に注意しながら

取り組む。その後、スケールの演出や、素材や表面、角度によって光と影

を演出する。このようにして建築が形となる。

作品考察

 ピーター・ズントーの代表作であるヴァルスの温泉施設を取り上げ、

考察した彼の建築に対する考え方が作品でどのように表現されている

のか10個のキーワードを用いて考察を行うと以下のようになる。

 経験:ズントー自身の経験をもとにイメージされたアイデアが、様々な

大きさの空間と異なる温度の温泉、光や水の流れなどによる雰囲気を

作り出している。イメージ:山から温泉が湧き出すイメージを使用してい

る。温泉の形成と同じように、長時間かけて形成したようなイメージで

デザインされた。素材:地元の水と石(片麻岩)という自然の恵みを使用

している。感覚:水、岩、光、温度などによって、五感を刺激する建築であ

る。記憶:竪穴や、亀裂といった山間地での光に対する最古の記憶、さら

に、入浴という原風景をデザインに取り入れている。雰囲気:温泉の神

秘的で謎めいた雰囲気に加え、非日常の雰囲気を持っている。夜は水が

光を発し、幻想的な世界となる。環境:草が生い茂る平屋根から片麻岩

の壁面がのぞく光景は、その土地の草が生い茂る中に岩山が見えるそ

の環境を取り入れている。ディテール:表面に凸凹を描くレリーフのよう

な壁面、天井の光のスリットでヴォリュームを小さく区切ることで、自然

の岩が集まり、全体を構成しているように感じさせている。歴史:その土

地で使われてきた、石材を化粧張りする工法であるアルプス地方の乾式

積石工法を使用。美:言葉による説明によるものではなく、自然や、建築

を構成している要素によって訪れる人はこの施設に癒され、美しさを

経験する。

 以上のように、10個のキーワードに分けた彼の考え方は、建築とい

う「形」として生成する。このことにより、彼の建築は独特で、感覚的な存

在感を持った作品となり、訪れる人を魅了し、感動させる。

富山固有の建築デザインのために

はじめに

 第一章でまとめた建築デザイン手法の例示を通して、富山固有の建築

デザインとはどのようなものなのか探る。

設計概要

 富山大学高岡キャンパス内の宿泊施設「洗心苑」を現在の敷地に位置

する宿泊施設兼コミュニケーション施設として改築する提案を行う。

設計計画

 「日本旅館、公民館、四季で移り変わる自然、星空、大学、落ち着き、温

かさ、安心感、人が集まる空間、ルームシェア」などをコンセプトの要素

とし、これらのイメージ・雰囲気を組み合わせる。広い部屋でたくさんの

人が談話をする。そこから池のある庭を眺めることができる。この部屋

とは別に、共同のキッチン、ダイニング、リビングがあり、リビングではソ

ファでのんびりすごす。個室には、ベッドと水回り、窓から差す光によっ

て温められる畳スペース。夜になると窓から星空を眺める。このように

イメージ・雰囲気からアイデアを生み出す。その後、外観に取り組む。高

さを抑えた小さなヴォリュームを組み合わせることで、日本の家のスケ

ールに落とす。素材としては、県産材であるスギを主に使用した木造で、

漆喰、銅版や、黒瓦を用いて構成する。塗装には柿渋や、炭、漆など自然

素材を用いる。これらを形として可視化しながら、空間の変わり目に取

り組む。外部と内部の間に、縁側を設けてクッション材としたり、テラス

を設けて外部を内部に取り入れる。一階を公的空間とし、二階を私的空

間とする。二階の廊下の途中にも「集まるための」空間」を作り、そこに

天窓等を用いて、広がりのある空間にする。

 以上のような形で、空間、素材、色彩、構造、光という面から富山の地域

性、普遍性を取り入れ、富山固有のデザインとする。

ピーター・ズントーにおける地域性と普遍性~富山固有の建築デザインのために~

Study on the regionalism and universality of Peter Zumthor

近江 絵里子Omi Eriko

造形建築科学コース

[主要参考文献]○ Peter Zumthor, Thinking Architecture(2006), Translation: Maureen Oberli-Turner, Catherine Schelbert(全訳した上で本文に使用)

○ 『ハイデガー生誕120年、危機の時代の思索者』(2009),訳:大宮勘一郎,発行者:若森繁男,発行所:河出書房新社(Martin Heideggerのエッセイ)

Page 13: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

089

卒業研究・作品

目的と視座

 ピーター・ズントーは、1943年にスイスのバーゼルに生まれた建築

家である。バーゼルでは、父親のもとで家具製作工としての職業教育を

受け、その後、造形学校で建築デザインを学んだ。さらにニューヨーク

へ留学したが、そこでの建築教育に失望し、帰国後、歴史的建造物の修

復建築家の仕事にも携わった。このような経歴を持つピーター・ズント

ーは、地域のものを使用したり、その地域の伝統をデザインに取り入れ

ている。

 本研究では第一章において、まず、ピーター・ズントーの建築に対する

考え方や手法を探り、地域の建築の伝統や固有性を現代建築に活用す

る意味と方策を考察する。その後、彼の建築作品でどのように表現され

ているのか考察を行う。第二章において、これらの成果をもとに、富山大

学高岡キャンパスにある宿泊施設を事例として、富山固有の建築デザイ

ンを提案する。

ピーター・ズントーの建築

はじめに

 ピーター・ズントーの著書である“Thinking Architecture”や関連書籍

をもとに、彼の建築に対する考え方や手法を探り、地域の建築の伝統や

固有性を現代建築に活用する意味と方策の考察を行い、その後、彼の思

考が作品にどのように表現されているかを考察する。

ピーター・ズントーによる建築論

 ピーター・ズントーによれば、「経験」とは、アイデアを生み出すもので

あり、建築のデザインの根拠、さらに、建築の雰囲気を作り出すものであ

る。彼の言う「経験」とは、五感で経験することを意味している。意識的に

経験することもあれば、無意識のうちに経験することもある。どちらの

経験も、記憶の中の経験と比較され、共鳴し合う。

 「イメージ」とは、建築だけではなく、あらゆる経験をもとに生まれる

ものであり、経験と同様、アイデアを生み出すものである。後から付け足

した、うわべだけのイメージではなく、その建築が置かれる具体的な空

間や場所、歴史や感覚的な質を持ったイメージをもとにして、アイデアが

生み出される。「素材」とは、建築の形を決定する大きな要素であり、その

建築の雰囲気を作り出すものである。彼は、ある素材が建築そのものに

対して、どのような意味を与えることができるのかということを考え、建

築に用いる素材を決定している。なぜなら、建築をデザインするという

行為は、感覚に訴えることを目的とすべきであり、感覚に訴える力には素

材が最も大きく関係していると考えているからである。「感覚」とは、その

建物の本質にあるもので、空間を構成するものである。訪れた人の記憶

に残る経験となるよう、彼は、五感で経験できる建築をデザインしようと

する。「記憶」とは、経験やイメージ、雰囲気といったデザインの材料を整

理して貯蔵しておくものである。このような記憶を彼は、そのまま使用す

るのではなく、その共通点や特徴を意識して建築をデザインする。「雰囲

気」とは、人工的に演出するものではなく、建築そのものが構成されるこ

とで生まれるものである。建築に付加するのではなく建築そのものが持

つ雰囲気を、彼は自身の建築に持たせようとする。「環境」とは、建築をデ

ザインするときの根拠である。環境をもとに経験やイメージ、雰囲気から

様々なアイデアを生み出す。環境には、二種類あり、それらは、自分の過去

に経験した環境や今の生活の環境と、デザインする建築に与えられた周

辺環境である。後者から建築によってどう内部空間を切り取るかという

ことに、前者は大きく影響を与える。「ディテール」は、建築のイメージや雰

囲気を作り出すものであり、建築を構成する重要な要素の一つである。デ

ィテールは、「細部、詳細」を意味し、構造や、仕上げの素材、接合部など、

細かいものが組み合わされることで構成される。彼の建築では、ディテ

ールが丁寧にデザインされているため、単に装飾ではなく、重要な要素

となっている。「歴史」とは、経験や知識が蓄えられているものであり、継

承することで地域の固有性を維持させるものである。彼は、その土地に

溶け込み、歴史の一部となるような建築をデザインしている。「美」とは、

建築そのものだけでなく、その建築が置かれている場の雰囲気や、見る

人の心理状態によって生まれるものである。彼によると、美しい建築と

は、沈黙を有するもので、何かメッセージを自ら訴えることはしないもの

である。

結論

建築に対する考え方

 ピーター・ズントーによると、建築とは人為的構築物である。人工的に

構築することによって、それが位置する場所全体に影響を与え、歴史の

一部と成ることができれば、その建築は自然のものと同じように、その

場所に存在することが可能になる。彼は、建築が自ら何かを一方的に表

現するという考えを受け入れることができないと言っている。よい建築

は何も表現せず、建築そのものとして、その場に存在するものであると

考えている。

地域の建築の伝統や固有性を活用する意味

 地域の建築の伝統や固有性を現代建築に活用する意味は、ピーター・

ズントーが特定の場所や役割のためにデザインする目的にある。この目

的を説明するために、彼はMartin Heideggerのエッセイを用いている。

一つの世界には〈大地〉、〈天〉、〈神的なものたち〉、〈死すべきもの〉の四

つの存在があり、この四つの存在を一つの世界に保てたとき、住むとい

う行為が可能となり、その住むという行為のために建てるという行為が

存在する。四つの存在には、その地域に共通する部分があるため、建て

るという行為には伝統や固有性が存在するということになり、それ故、

建築を建てる行為そのものが伝統や固有性を活用するということを意

味するのである。

地域の建築の伝統や固有性を活用する手法

 地域の建築の伝統や固有性を現代建築に活用する手法の一つとして、

ピーター・ズントーによる建築のデザイン手法を考察すると以下のよう

になる。

 彼はまず、建築を想起させるイメージや雰囲気に導かれていく。そし

て、多くのイメージや雰囲気を組み合わせ、アイデアを生み出す。そのア

イデアを可視化する。このとき、周辺環境からどう内部空間を切り取る

かが重要である。それから、周辺環境を構成するものの物理的な存在感

に取り組みながら、外観に取り組む。そして、素材そのものが持っている

イメージや雰囲気、感覚というものに取り組む。さらに、内部と外部、公

的空間と私的空間の変わり目について、緊張感の演出に注意しながら

取り組む。その後、スケールの演出や、素材や表面、角度によって光と影

を演出する。このようにして建築が形となる。

作品考察

 ピーター・ズントーの代表作であるヴァルスの温泉施設を取り上げ、

考察した彼の建築に対する考え方が作品でどのように表現されている

のか10個のキーワードを用いて考察を行うと以下のようになる。

 経験:ズントー自身の経験をもとにイメージされたアイデアが、様々な

大きさの空間と異なる温度の温泉、光や水の流れなどによる雰囲気を

作り出している。イメージ:山から温泉が湧き出すイメージを使用してい

る。温泉の形成と同じように、長時間かけて形成したようなイメージで

デザインされた。素材:地元の水と石(片麻岩)という自然の恵みを使用

している。感覚:水、岩、光、温度などによって、五感を刺激する建築であ

る。記憶:竪穴や、亀裂といった山間地での光に対する最古の記憶、さら

に、入浴という原風景をデザインに取り入れている。雰囲気:温泉の神

秘的で謎めいた雰囲気に加え、非日常の雰囲気を持っている。夜は水が

光を発し、幻想的な世界となる。環境:草が生い茂る平屋根から片麻岩

の壁面がのぞく光景は、その土地の草が生い茂る中に岩山が見えるそ

の環境を取り入れている。ディテール:表面に凸凹を描くレリーフのよう

な壁面、天井の光のスリットでヴォリュームを小さく区切ることで、自然

の岩が集まり、全体を構成しているように感じさせている。歴史:その土

地で使われてきた、石材を化粧張りする工法であるアルプス地方の乾式

積石工法を使用。美:言葉による説明によるものではなく、自然や、建築

を構成している要素によって訪れる人はこの施設に癒され、美しさを

経験する。

 以上のように、10個のキーワードに分けた彼の考え方は、建築とい

う「形」として生成する。このことにより、彼の建築は独特で、感覚的な存

在感を持った作品となり、訪れる人を魅了し、感動させる。

富山固有の建築デザインのために

はじめに

 第一章でまとめた建築デザイン手法の例示を通して、富山固有の建築

デザインとはどのようなものなのか探る。

設計概要

 富山大学高岡キャンパス内の宿泊施設「洗心苑」を現在の敷地に位置

する宿泊施設兼コミュニケーション施設として改築する提案を行う。

設計計画

 「日本旅館、公民館、四季で移り変わる自然、星空、大学、落ち着き、温

かさ、安心感、人が集まる空間、ルームシェア」などをコンセプトの要素

とし、これらのイメージ・雰囲気を組み合わせる。広い部屋でたくさんの

人が談話をする。そこから池のある庭を眺めることができる。この部屋

とは別に、共同のキッチン、ダイニング、リビングがあり、リビングではソ

ファでのんびりすごす。個室には、ベッドと水回り、窓から差す光によっ

て温められる畳スペース。夜になると窓から星空を眺める。このように

イメージ・雰囲気からアイデアを生み出す。その後、外観に取り組む。高

さを抑えた小さなヴォリュームを組み合わせることで、日本の家のスケ

ールに落とす。素材としては、県産材であるスギを主に使用した木造で、

漆喰、銅版や、黒瓦を用いて構成する。塗装には柿渋や、炭、漆など自然

素材を用いる。これらを形として可視化しながら、空間の変わり目に取

り組む。外部と内部の間に、縁側を設けてクッション材としたり、テラス

を設けて外部を内部に取り入れる。一階を公的空間とし、二階を私的空

間とする。二階の廊下の途中にも「集まるための」空間」を作り、そこに

天窓等を用いて、広がりのある空間にする。

 以上のような形で、空間、素材、色彩、構造、光という面から富山の地域

性、普遍性を取り入れ、富山固有のデザインとする。

ピーター・ズントーにおける地域性と普遍性~富山固有の建築デザインのために~

Study on the regionalism and universality of Peter Zumthor

近江 絵里子Omi Eriko

造形建築科学コース

[主要参考文献]○ Peter Zumthor, Thinking Architecture(2006), Translation: Maureen Oberli-Turner, Catherine Schelbert(全訳した上で本文に使用)

○ 『ハイデガー生誕120年、危機の時代の思索者』(2009),訳:大宮勘一郎,発行者:若森繁男,発行所:河出書房新社(Martin Heideggerのエッセイ)

Page 14: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

090

卒業研究・作品

北欧の伝統的な木造民家

 北欧の農家などにみられる伝統的な民家は木造で、その主な構造は

丸太を水平に組み上げる丸太組積構法である。この構法はロシアで発

生したとされていて、フィンランドを経てスウェーデン、ノルウェーへと伝

わった。ヴァイキング時代(8c~11c)のロングハウスや、ノルウェーのロ

フト、シュターブ教会には軸組構法がみられる。フィンランドの伝統的な

木造民家においては中庭・暖炉・サウナが、ノルウェーの伝統的な木造民

家においては中庭・暖炉・ロフトが特に重要である。この2か国に共通し

て重要なのは中庭と暖炉である。

 北欧の伝統的な木造民家では機能ごとに建物が独立している分棟型

式が主流で、それによって中庭が形成されている。囲い込むように建物

を配置し内側に開くことによって、外部でありながら内部のような空間

を生み出すこの方法は北欧の厳しい自然に対処する工夫の一つである。

ノルウェーではこの中庭を「トゥーン(tun)」と呼んでいる。トゥーンは英語

の「タウン(town)」と同根の語で、外部の居間として機能し、そこに住む

人々にとって町のような役割を果たしている(図1)。

 主屋には炉のある広間があり、広間は主に食事・調理・睡眠のために

使用された。炉は、冷気が部屋の奥まで入るのを防ぐため、広間の出入

り口付近に配置されている。炉の位置は1室住居から2室住居へ変化し

た際に固定化されたとされている。ノルウェーで主屋を指す「ストゥーエ

(stue)」という語は英語の「ストーヴ(stove 暖房された、の意)」と関連

がある。フィンランドで「家の精」とされている「トントゥ」は赤い帽子を

かぶった小人として描かれその姿は暖炉の炎を連想させる。緯度が高く

寒さの厳しい北欧において暖炉はとりわけ重要で、常に生活の中心に

あり、一つの核としての役割を果たしていた。

 フィンランドの民家の特徴としてサウナが挙げられる。フィンランドの

人々は100年ほど前まで、サウナで出産を行い、人が亡くなると遺体をサ

ウナで清めた。サウナはフィンランド人にとって神聖な場所であり、焼け

た石に水をかけることによって発生する蒸気は「ロユリュ」と呼ばれ、こ

の言葉にはもともと「霊魂」という意味があった。またサウナは精神的な

拠り所としてだけでなく、暗く長い冬に体を温め、体内時計を調節すると

いう役割も担っている。

北欧の伝統的な木造教会

 例えば、ノルウェーの中世以来の伝統的な教会形式は、急勾配多重屋

根、厚板堅嵌外壁、内部列柱を持つ木造軸組構法によるスターヴ教会

と呼ばれる樽板式教会である。その建造の全盛期にはノルウェーだけで

1000棟近く建てられた。現存するのは28棟のみだが、氷河によって形

成された急峻な風景の中に佇む教会にはヴァイキング船の技術が使用

され、板葺の屋根は龍の鱗の隠喩(メタファー)であると思われる。屋根

には竜頭の装飾がみられる。竜頭は守り神としてヴァイキング船の装飾

にも使用されていたからである。後世に窓が付け加えられるなどの改

変がなされた場合もあるが、元来、スターヴ教会には小さな明かり窓が

上部にあるだけのものが多く、その内部は大変暗いものであった。

 「教会では、宇宙に対する人間の理解が維持され、視覚化される。」「一

つの場所として、教会は、創造の世界の基本的属性を具体化する。…(略)

…これは、教会が大地と空の関係を全体的に視覚化することを意味して

いる。」(Christian Norberg=Schulz『住まいのコンセプト』)と述べら

れているように、スターヴ教会はまさにノルウェーの人々の世界観を視

覚化したものであるといえる。内部の列柱はノルウェーの鬱蒼とした森

を連想させ、暗さは、彼らに絶望感を抱かせるまでに厳しい北欧の冬を

想起させる。外部の力強く上昇するような姿は、荒々しい自然と彼らの

不屈の精神を反映し、水上に留まらず大地と空の間という「世界」を果

敢に航海し生き抜こうとする彼らのヴァイキングとしての姿勢が見て取

れる。

マイレア邸 1938, A. Aalto 

 マイレア邸はフィンランドの建築家、アルヴァ・アアルト(1898-1976)

と妻アイノが設計した住宅である。メインボリュームを構成する白い壁面

や広範囲に及ぶガラスは近代建築のインターナショナルスタイルを想起

させるが、その白いレンガ壁面は地中海のヴァナキュラーな建築の壁に

近く、また漆喰を塗ることでフィンランドの厳しい気候にもよく耐えるも

のとなっている。マイレア邸で注目すべきは、リビングの暖炉と中庭、サウ

ナ、森のイメージである。

 リビングの暖炉はリビング中央ではなく中庭側、つまりリビング(内部

の居間)と中庭(外部の居間)の中間に配置されており、このことから

もマイレア邸における中庭は外部の居間としての性格を強く帯びてい

ることがわかる。暖炉の形は風に削られ火に溶けた雪の形を連想させ

もするが、その彫刻的な部分が中庭側に向けられていることから、それ

は単に雪の形を模したものではなく、室内に引きこまれている外部の

自然といった、普段の生活では見落としがちな、しかし確実に私たちに

影響を与えている原風景を可視化したものだとも考えられる。

 サウナ小屋の屋根には芝がはられており、これは北欧の伝統的な木

造民家でたびたびみられるターフと呼ばれるもので、保温性・断熱性に

すぐれ、芝と土の重みで丸太壁の強度が高まるという効果もある。

 「マイレア邸におけるアアルトの意図を理解するうえで鍵となるのが、

〈森の空間〉の概念である。」とリチャード・ウェストンは述べている。リビ

ングの柱や、主階段を取り巻く木製ポール群の存在によって、一歩毎にダ

イナミックに変化する空間は、森の中で体験する「一歩一景」や「継起的

シーン」の感覚へと誘う。

 以上のように、アアルトは、施主の前衛絵画のコレクションを展示す

るための「最も現代風の建物を建てること」という要求に、フィンランド

の自然やサウナなどの伝統的な要素を用いて応えようとした。

夏の家 1953, A. Aalto

 「夏の家」はパイヤンネ湖に浮かぶ島に建つ実験的建築である。この計

画ではサウナの位置が最初に決められ、主屋から少し離れた最もよい場

所に建てられた。このサウナは陸屋根の伝統的な外観を持ち、実際、煙突

のない原始的な姿をしている。伝統的には製材された丸太が用いられる

のに対し、アアルトは加工されていない丸太を使用している。両端で太さ

の異なる丸太を重ねたことから屋根に勾配が生まれ、フィンランドの伝

統に則りながらも新鮮さを持ち合わせたものとなっている(図2)。また

アアルトは中庭を囲む壁で視覚的効果や耐久性の実験を行っており、レ

ンガやタイルの数多くの伝統的パターンで構成されたパッチワークのよ

うな壁面は様々な近代的な表情を見せながらもうまく統一されている。

中庭にはフィンランドの原始的なキャンプファイヤーの場面を想起させ

る正方形の炉が設けられ、人々が集う場所となっている。

アアルトにみられる伝統と近代性 

 ル・コルビュジェの影響が色濃くみられるパイミオのサナトリウム(結

核療養所)で国際的評価を得て一躍有名になったアアルトだが、マイレア

邸や夏の家に限らず彼の作品の根底には常にフィンランドがあった。彼

のことを「まったく伝統にとらわれない建築家」と記述する文献もある

が、彼は「伝統は敬われるべきものである」として常に伝統に敬意を払っ

ており、「もし、バックグランドを形成するもの、地方に根ざしているもの

を欠いていたとすれば、それは空虚な話である」とも述べていた。そして

この場合の「伝統にとらわれない」というのは、アアルトがフィンランドの

風土の中で培われてきた伝統をベースにしながらも、その枠に押し込め

られることなく、現代の精神で新たな伝統を築いたという意味である。

 アアルトは1938年にノルウェーのオスロで行った講演で、「常に自然

界が有機的にその生を繰り返しているように建築の本質というものは

変動と発展を繰り返していくことにある」と述べている。建築の重要な

一つのあり様として、豊かな意味を持つ優れた建築とは、アアルトの場

合がそうであるように、人間の背景・基盤としてのその場所性(ゲニウ

 ス・ロキ)・地域・文化・伝統に固有な形式を現代の精神で構成しなお

し、そこに新しい解釈を加えることから生まれるものであると捉えるこ

とができる。

北欧における伝統建築と近現代建築についての考察ーフィンランド・ノルウェーの木造民家とアルヴァ・アアルトの作品を中心にー

Study on the vernacular architectures and the modern architectures in Scandinavian countries

角谷 友美Kadotani Tomomi

造形建築科学コース

[引用および参考文献]○ R.ウェストン 『Architecture in detail マイレア邸』、 同朋舎出版、 1992年○ Ch.ノルベルグ=シュルツ 『住まいのコンセプト』 、鹿島出版会、 1988年○ 長谷川清之 『フィンランドの木造民家』、 井上書院、 1987年○ Ch. Norberg=Schulz “Modern Norwegian Architecture”、 Norwegian University Press、 1986

○ 熊野聰 『ヴァイキングの世界』、 朝倉書房、 1999年

図1 ノルウェーに特有の「農場中庭(tun)における生活」(『住まいのコンセプト』P62)

図2 「夏の家」のサウナ(デルフォイ研究所 『アルヴァー・アールト1898-1976』 P245)

Page 15: ピーター・ズントーの住宅における地域性についてPETER ZUMTHORとスイスについて ピーター・ズントー(以下ズントー)は1943年生まれのスイスの

091

卒業研究・作品

北欧の伝統的な木造民家

 北欧の農家などにみられる伝統的な民家は木造で、その主な構造は

丸太を水平に組み上げる丸太組積構法である。この構法はロシアで発

生したとされていて、フィンランドを経てスウェーデン、ノルウェーへと伝

わった。ヴァイキング時代(8c~11c)のロングハウスや、ノルウェーのロ

フト、シュターブ教会には軸組構法がみられる。フィンランドの伝統的な

木造民家においては中庭・暖炉・サウナが、ノルウェーの伝統的な木造民

家においては中庭・暖炉・ロフトが特に重要である。この2か国に共通し

て重要なのは中庭と暖炉である。

 北欧の伝統的な木造民家では機能ごとに建物が独立している分棟型

式が主流で、それによって中庭が形成されている。囲い込むように建物

を配置し内側に開くことによって、外部でありながら内部のような空間

を生み出すこの方法は北欧の厳しい自然に対処する工夫の一つである。

ノルウェーではこの中庭を「トゥーン(tun)」と呼んでいる。トゥーンは英語

の「タウン(town)」と同根の語で、外部の居間として機能し、そこに住む

人々にとって町のような役割を果たしている(図1)。

 主屋には炉のある広間があり、広間は主に食事・調理・睡眠のために

使用された。炉は、冷気が部屋の奥まで入るのを防ぐため、広間の出入

り口付近に配置されている。炉の位置は1室住居から2室住居へ変化し

た際に固定化されたとされている。ノルウェーで主屋を指す「ストゥーエ

(stue)」という語は英語の「ストーヴ(stove 暖房された、の意)」と関連

がある。フィンランドで「家の精」とされている「トントゥ」は赤い帽子を

かぶった小人として描かれその姿は暖炉の炎を連想させる。緯度が高く

寒さの厳しい北欧において暖炉はとりわけ重要で、常に生活の中心に

あり、一つの核としての役割を果たしていた。

 フィンランドの民家の特徴としてサウナが挙げられる。フィンランドの

人々は100年ほど前まで、サウナで出産を行い、人が亡くなると遺体をサ

ウナで清めた。サウナはフィンランド人にとって神聖な場所であり、焼け

た石に水をかけることによって発生する蒸気は「ロユリュ」と呼ばれ、こ

の言葉にはもともと「霊魂」という意味があった。またサウナは精神的な

拠り所としてだけでなく、暗く長い冬に体を温め、体内時計を調節すると

いう役割も担っている。

北欧の伝統的な木造教会

 例えば、ノルウェーの中世以来の伝統的な教会形式は、急勾配多重屋

根、厚板堅嵌外壁、内部列柱を持つ木造軸組構法によるスターヴ教会

と呼ばれる樽板式教会である。その建造の全盛期にはノルウェーだけで

1000棟近く建てられた。現存するのは28棟のみだが、氷河によって形

成された急峻な風景の中に佇む教会にはヴァイキング船の技術が使用

され、板葺の屋根は龍の鱗の隠喩(メタファー)であると思われる。屋根

には竜頭の装飾がみられる。竜頭は守り神としてヴァイキング船の装飾

にも使用されていたからである。後世に窓が付け加えられるなどの改

変がなされた場合もあるが、元来、スターヴ教会には小さな明かり窓が

上部にあるだけのものが多く、その内部は大変暗いものであった。

 「教会では、宇宙に対する人間の理解が維持され、視覚化される。」「一

つの場所として、教会は、創造の世界の基本的属性を具体化する。…(略)

…これは、教会が大地と空の関係を全体的に視覚化することを意味して

いる。」(Christian Norberg=Schulz『住まいのコンセプト』)と述べら

れているように、スターヴ教会はまさにノルウェーの人々の世界観を視

覚化したものであるといえる。内部の列柱はノルウェーの鬱蒼とした森

を連想させ、暗さは、彼らに絶望感を抱かせるまでに厳しい北欧の冬を

想起させる。外部の力強く上昇するような姿は、荒々しい自然と彼らの

不屈の精神を反映し、水上に留まらず大地と空の間という「世界」を果

敢に航海し生き抜こうとする彼らのヴァイキングとしての姿勢が見て取

れる。

マイレア邸 1938, A. Aalto 

 マイレア邸はフィンランドの建築家、アルヴァ・アアルト(1898-1976)

と妻アイノが設計した住宅である。メインボリュームを構成する白い壁面

や広範囲に及ぶガラスは近代建築のインターナショナルスタイルを想起

させるが、その白いレンガ壁面は地中海のヴァナキュラーな建築の壁に

近く、また漆喰を塗ることでフィンランドの厳しい気候にもよく耐えるも

のとなっている。マイレア邸で注目すべきは、リビングの暖炉と中庭、サウ

ナ、森のイメージである。

 リビングの暖炉はリビング中央ではなく中庭側、つまりリビング(内部

の居間)と中庭(外部の居間)の中間に配置されており、このことから

もマイレア邸における中庭は外部の居間としての性格を強く帯びてい

ることがわかる。暖炉の形は風に削られ火に溶けた雪の形を連想させ

もするが、その彫刻的な部分が中庭側に向けられていることから、それ

は単に雪の形を模したものではなく、室内に引きこまれている外部の

自然といった、普段の生活では見落としがちな、しかし確実に私たちに

影響を与えている原風景を可視化したものだとも考えられる。

 サウナ小屋の屋根には芝がはられており、これは北欧の伝統的な木

造民家でたびたびみられるターフと呼ばれるもので、保温性・断熱性に

すぐれ、芝と土の重みで丸太壁の強度が高まるという効果もある。

 「マイレア邸におけるアアルトの意図を理解するうえで鍵となるのが、

〈森の空間〉の概念である。」とリチャード・ウェストンは述べている。リビ

ングの柱や、主階段を取り巻く木製ポール群の存在によって、一歩毎にダ

イナミックに変化する空間は、森の中で体験する「一歩一景」や「継起的

シーン」の感覚へと誘う。

 以上のように、アアルトは、施主の前衛絵画のコレクションを展示す

るための「最も現代風の建物を建てること」という要求に、フィンランド

の自然やサウナなどの伝統的な要素を用いて応えようとした。

夏の家 1953, A. Aalto

 「夏の家」はパイヤンネ湖に浮かぶ島に建つ実験的建築である。この計

画ではサウナの位置が最初に決められ、主屋から少し離れた最もよい場

所に建てられた。このサウナは陸屋根の伝統的な外観を持ち、実際、煙突

のない原始的な姿をしている。伝統的には製材された丸太が用いられる

のに対し、アアルトは加工されていない丸太を使用している。両端で太さ

の異なる丸太を重ねたことから屋根に勾配が生まれ、フィンランドの伝

統に則りながらも新鮮さを持ち合わせたものとなっている(図2)。また

アアルトは中庭を囲む壁で視覚的効果や耐久性の実験を行っており、レ

ンガやタイルの数多くの伝統的パターンで構成されたパッチワークのよ

うな壁面は様々な近代的な表情を見せながらもうまく統一されている。

中庭にはフィンランドの原始的なキャンプファイヤーの場面を想起させ

る正方形の炉が設けられ、人々が集う場所となっている。

アアルトにみられる伝統と近代性 

 ル・コルビュジェの影響が色濃くみられるパイミオのサナトリウム(結

核療養所)で国際的評価を得て一躍有名になったアアルトだが、マイレア

邸や夏の家に限らず彼の作品の根底には常にフィンランドがあった。彼

のことを「まったく伝統にとらわれない建築家」と記述する文献もある

が、彼は「伝統は敬われるべきものである」として常に伝統に敬意を払っ

ており、「もし、バックグランドを形成するもの、地方に根ざしているもの

を欠いていたとすれば、それは空虚な話である」とも述べていた。そして

この場合の「伝統にとらわれない」というのは、アアルトがフィンランドの

風土の中で培われてきた伝統をベースにしながらも、その枠に押し込め

られることなく、現代の精神で新たな伝統を築いたという意味である。

 アアルトは1938年にノルウェーのオスロで行った講演で、「常に自然

界が有機的にその生を繰り返しているように建築の本質というものは

変動と発展を繰り返していくことにある」と述べている。建築の重要な

一つのあり様として、豊かな意味を持つ優れた建築とは、アアルトの場

合がそうであるように、人間の背景・基盤としてのその場所性(ゲニウ

 ス・ロキ)・地域・文化・伝統に固有な形式を現代の精神で構成しなお

し、そこに新しい解釈を加えることから生まれるものであると捉えるこ

とができる。

北欧における伝統建築と近現代建築についての考察ーフィンランド・ノルウェーの木造民家とアルヴァ・アアルトの作品を中心にー

Study on the vernacular architectures and the modern architectures in Scandinavian countries

角谷 友美Kadotani Tomomi

造形建築科学コース

[引用および参考文献]○ R.ウェストン 『Architecture in detail マイレア邸』、 同朋舎出版、 1992年○ Ch.ノルベルグ=シュルツ 『住まいのコンセプト』 、鹿島出版会、 1988年○ 長谷川清之 『フィンランドの木造民家』、 井上書院、 1987年○ Ch. Norberg=Schulz “Modern Norwegian Architecture”、 Norwegian University Press、 1986

○ 熊野聰 『ヴァイキングの世界』、 朝倉書房、 1999年

図1 ノルウェーに特有の「農場中庭(tun)における生活」(『住まいのコンセプト』P62)

図2 「夏の家」のサウナ(デルフォイ研究所 『アルヴァー・アールト1898-1976』 P245)