スーザン・マンú (小濱正子、リンダ・グローブ監 title …...title...

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Title <書評>スーザン・マン�(小濱正子、リンダ・グローブ監 譯、秋山洋子、板橋曉子、大橋史惠譯)『性からよむ中國 史 --男女隔離・纏足・同性愛--』 Author(s) 高嶋, 航 Citation 東洋史研究 = THE TOYOSHI-KENKYU : The journal of Oriental Researches (2016), 75(1): 155-162 Issue Date 2016-06-30 URL https://doi.org/10.14989/242846 Right Type Journal Article Textversion publisher Kyoto University

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  • Titleスーザン・マン�(小濱正子、リンダ・グローブ監譯、秋山洋子、板橋曉子、大橋史惠譯)『性からよむ中國史 --男女隔離・纏足・同性愛--』

    Author(s) 高嶋, 航

    Citation 東洋史研究 = THE TOYOSHI-KENKYU : The journal ofOriental Researches (2016), 75(1): 155-162

    Issue Date 2016-06-30

    URL https://doi.org/10.14989/242846

    Right

    Type Journal Article

    Textversion publisher

    Kyoto University

  • スーザン・マン著

    (小濱正子︑リンダ・グローブ監譯︑

    秋山洋子︑板橋曉子︑大橋�惠譯)

    性からよむ中國�

    ︱︱男女�離・纏足・同性愛︱︱

    本書はカリフォルニア大學デイビス校のスーザン・マン名譽敎

    �が長年にわたる硏究でえられた知見と︑英語圈の�怨の硏究成

    果を踏まえて執筆した中國ジェンダー�の著作

    Genderand

    Sexualityin

    Modern

    ChineseHistory(CambridgeUniversity

    Press,2011)を︑小濱正子らの中國ジェンダー�共同硏究の2

    譯グループが2譯したものである︒まず︑本書の3成を示してお

    く︒は

    じめに

    性に歷�はあるのか

    序違

    〈閨秀〉と〈光棍﹀

    第一部

    ジェンダー︑セクシュアリティ︑國家

    第一違

    家族と國家︱︱女性�離

    第二違

    女性の人身賣買と獨身男性問題

    第三違

    政治と法のなかのセクシュアリティとジェンダー關係

    第二部

    ジェンダー︑セクシュアリティ︑身體

    第四違

    醫學・藝7・スポーツのなかの身體

    第五違

    裝8され︑誇示され︑隱され︑變形された身體

    第六違

    放棄される身體︱︱女性の自殺と女兒殺し

    第三部

    ジェンダー︑セクシュアリティ︑他者

    第七違

    同性關係とトランスジェンダー

    第八違

    創作のなかのセクシュアリティ

    第九違

    セクシュアリティと他者

    ;違

    ジェンダー︑セクシュアリティ︑公民性

    おわりに

    ジェンダーとセクシュアリティは歷�分析に<益か

    本書の冒頭は﹁性に歷�はあるのか﹂という問いかけから始ま

    る︒もちろんそれは存在するわけだが︑>料?な問題から性の歷

    �硏究はひじょうに難しいことが示唆される︒性の歷�を裏づけ

    るのは﹁してはならないこと﹂を記す�書である︒>料の裏側︑

    さらには>料が語らないことにABを向けない限り︑性の歷�に

    Cることはできないのだ︒

    本書は一九世紀から二〇世紀の性の歷�に焦點を當てる︒その

    閒︑﹁男﹂と﹁女﹂のカテゴリーのB味

    (男性性と女性性と置き

    奄えられよう)が變Eしたにもかかわらず︑﹁男/女﹂﹁夫/妻﹂

    といった語彙にひそむ衣性愛規範の慣Fや父系血瓜によって繼承

    される家族制度は一貫していた︒このパラドクスを說きあかすの

    が本書の核心である︒

    本書は三部で3成され︑ジェンダーやセクシュアリティと國家

    ― 155 ―

    155

  • (第一部:第一違~第三違)︑身體

    (第二部:第四違~第六違)︑

    他者

    (第三部:第七違~第九違)との關係を問う︒いずれにおい

    てもI淸の傳瓜�Eが五・四怨�EK動で變Eを引きLこし︑共

    產N義革命を經て毛澤東時代とポスト毛澤東時代でラディカルに

    變わっていったこと︑にもかかわらず︑衣性愛規範と家族制度に

    大きな變Eがないことが示される︒

    序違では一九世紀のセックス/ジェンダー・システムが女性を

    �離することによって3築されていたことを︑閨秀

    (箱入り娘)

    と光棍

    (獨身男性)の對比から說Iする︒I淸の王Oは家族を政

    治?・社會?秩序の基盤とみなし︑その安定を圖るため︑忠Qを

    中核とするR德を稱揚した︒女性に對してそれは�離という形式

    をとった︒家族から排除された光棍は︑社會の安定にとっても︑

    女性の貞Qにとっても脅威となった︒

    第一違では︑まず古代の陰陽思想から相互補完?かつ階層?な

    中國のジェンダー關係の特Uを說Iする︒ジェンダー秩序は社會

    秩序の基盤であったから︑性?V熱はそのような秩序にとっての

    脅威となった︒そのため︑國家はもとより︑宗族のような父系親

    族組織が女性のセクシュアリティに强い關心を寄せた︒女性に對

    する規制は︑﹁お題目のようなもの﹂でもあったが︑女性たちの

    多くはそれを內面Eしていった︒二〇世紀になり︑女性が實際に

    家の外に出て行くようになって︑I淸Yのセックス/ジェン

    ダー・システムが破綻し︑怨しいセックス/ジェンダーをめぐっ

    て﹁Z女問題﹂が議論される︒

    第二違は社會の混亂とジェンダー/セクシュアリティの關係を

    論じる︒社會の混亂はジェンダーEして表出した︒女性を�離し

    た境界が取り除かれると︑女性は女兒殺し︑强姦︑人身賣買の對

    象となった︒二〇世紀になっても︑强姦の恐怖が女性の腦裏から

    [えることはなかった︒男女\等を唱えた共產黨も︑結局は衣性

    愛を基準とする家族制度を秩序の根底にすえ︑男性優位の3]を

    溫存した︒その矛盾が一人っ子政策のもとで堰出し︑性比の不均

    衡は社會秩序を脅かしている︒

    第三違では︑まず淸Oがどの王Oにもまして家族制度の補强︑

    擴張︑法?强Eに熱心だったこと︑禁壓?な法?措置と奬勵?で

    規範?な貨_報酬を組み合わせることでそれを`行したことを確

    aする︒南京政府によって公布された民法は一夫一Z制を確立し︑

    離婚をa定するなどリベラルな面もあったが︑法?權利を行bで

    きる女性は限られていた︒一九五〇年に婚姻法が制定され︑一九

    八〇年に改正が實施されるが︑それらは女性の權利を守るという

    よりは家族制度を維持するためのものであった︒

    第四違は︑中國の傳瓜?な身體觀で性欲は

    (西洋社會がそれを

    罪とみなしたのに對して)自然なものとみなされ︑男性の永cな

    欲求こそがセックス/ジェンダー・システムの基盤となっていた

    とN張する︒二〇世紀になると西洋から性別で二元Eされた身體

    モデルが紹介され︑傳瓜?な男女を﹁相補?で可變?な兩極﹂と

    みる身體觀に取って代わった︒セクシュアリティは科學によって

    說Iされるようになるが︑女性の身體を生殖と結びつけるという

    點は變わらなかった︒

    第五違は︑中國では裝8されない身體はB味がなく︑裝8や振

    る舞いが�Iと社會階層を示す役割を果たしていたこと︑人閒の

    價値は`行?に理解され︑個々人はe境に應じて振る舞い︑裝う

    ― 156―

    156

  • ことがY待されていたこと︑役割演技のF慣が︑二〇世紀の改革

    と革命にあたって︑中國の女性と男性が怨しい役割に對應する�

    E?土臺となったことを論じる︒

    第六違は︑女性の死の問題を取り上げる︒﹁名譽を守るための

    務め﹂を內面EしたI淸Yの女性は夫の死によってR德と現實の

    板挾みにあったとき︑しばしば自殺をfび︑夫への﹁義﹂を果た

    した︒二〇世紀になると︑自殺はR義心の表れとして稱贊され理

    想Eされることはなくなり︑絕hや抗議の表Iとなった︒とくに

    親の決める結婚は︑多くの女性にとってiけ入れがたい條件と

    なっていった︒中國の女性の自殺jは世界?に見ても高いまま推

    移している︒その背後にあるのは﹁權力︑ジェンダー︑そして女

    たちの聲の盜用﹂の問題である︒

    第七違は︑中國では男性同士の性關係は愛Vというより階層?

    なもので︑揷入する者と揷入される者の閒にI確な權力關係が

    あったと営べる︒一方︑女性の同性關係は一部の地域で慣Fとし

    て存在したものの︑一般に社會?なB味をもたず︑A目されるこ

    とはなかった︒I淸Yの中國�Eには同性愛 惡はほとんど見ら

    れない︒二〇世紀には西洋?な同性愛觀が中國に影lをmぼし︑

    同性愛は病理Eされていく︒共產黨は同性愛を犯罪として規定し︑

    衣性愛結婚に基づく家族制度を堅持した︒現在は中國にも同性愛

    者のコミュニティが形成されているが︑多くのゲイ男性は︑中國

    の傳瓜?家族觀と向き合い︑女性と結婚して子供をつくるという

    義務感を持っている︒

    第八違は︑�學とセクシュアリティの關係の變�をたどる︒白

    話小說や戲曲には性?欲hや性?關係が色V?︑官能?表現で描

    寫されていた︒﹁�字の獄﹂はこのような創作空閒を奪い去り︑

    男女のnVは感V?︑理知?な表現に置き奄えられていく︒二〇

    世紀になると︑多樣なセクシュアリティがo求されるが︑戰爭と

    毛澤東の時代には性?表現は抑壓される︒�革後には女性のセク

    シュアリティを赤裸裸に描いた作品が登場する一方︑�革Yの

    ジェンダー\等N義?な男性性への反發から﹁男子漢﹂のような

    傳瓜?男性性への囘歸も見られる︒

    第九違は︑衣�E閒の接觸におけるジェンダーとセクシュアリ

    ティの役割を論じる︒優位な�Eが劣位な�Eを他者Eし�IE

    の對象とすることは︑西洋列强とq民地の閒だけでなく︑﹁內な

    るq民地N義﹂を推rした淸Oと少數民族の閒でもLこった︒家

    族關係とジェンダー役割は�IE計劃の中心であった︒淸末には

    中國そのものが�IEの對象となり︑中國の改革sと外國の宣敎

    師の手で纏足の解放や﹁小家庭﹂の提唱がなされた︒共產黨は

    ﹁男女\等﹂という�IE計劃のもと︑女性を生產勞働に動員し

    た︒一聯の�IE計劃において男性性と女性性は變Eしたが︑衣

    性愛結婚に基づく家族制度を推rするという點に變Eはなかった︒

    ;違では︑家父長?家族を基盤とする國家をt提とした現在の

    公民性がI淸Yの臣民のあり方と變わらないことを指摘する︒女

    性を�離するというセックス/ジェンダー・システムが二〇世紀

    に入って變Eしたにもかかわらず︑女性の身體は一貫して生殖の

    ためのものであり︑そのことが問い直されることはなかったので

    ある︒

    ― 157―

    157

  • I淸以影の中國におけるジェンダーとセクシュアリティのパラ

    ドクスを本書は十分に說きあかした︒本書でuわれる個々の事例

    はそれぞれ興味深いものだが︑それらをつなぎ合わせて︑<機?

    な3]を提示する力量は︑著者をおいてほかにないであろう︒本

    書のB義については︑すでに原著︑譯書に對して多くの書vが出

    ており︑v者が改めて営べるまでもない︒そこで︑以下ではv者

    が感じた問題點や疑問點を示すことにする︒

    序違で提示される光棍と閨秀の3圖はきわめて印象深い︒しか

    し︑女性の�離をめぐって展開するポリティクスを理解するには︑

    他のw素も考慮に入れる必wがあろう︒すなわち︑�離された女

    性である閨秀と︑�離されない女性︑閨秀を妻にxえることので

    きる男性と︑獨身のまま生涯を;える男性

    (光棍)である︒この

    うち︑�離されない女性を妓女(1)︑閨秀を妻

    にxえることのできる男性を士大夫で代表

    させて︑それぞれ閨秀と光棍の對極に置い

    たのが下圖である(2)︒士大夫・閨秀と光棍・

    妓女はt者が良︑後者が賤に對應する︒す

    なわち︑t者が單婚衣性愛規範によって3

    成され︑父系血瓜によって繼承される家族

    からなる世界

    (あるいは禮がy用される範

    圍)である︒

    妓女と光棍は家族制度の外部にあって家

    族制度を規定するz說?な存在である︒家

    族制度が後繼者としての男性を重視したために性比の不均衡をき

    たし︑大量の男性が家族制度からはじき出されることになった︒

    zにいうと︑大量の男性をはじき出すことで︑かろうじて家族制

    度は維持されてきたのである

    (そんな彼らに妻と土地を與えよう

    としたのが共產黨であった)︒光棍は社會秩序に對する脅威では

    あったが︑彼らなくして社會秩序は維持できない︒妓女も家族制

    度にとっては脅威であったが︑彼女たちは男性の性欲を家族制度

    の外部で引きiけることで家族制度を維持する存在であった︒

    本書第二違にみえる王Oサイクルの論理を上の圖にy用してみ

    よう︒盛世には良賤を分かつ線が右へ移動する︒結婚市場の活性

    Eによって低收入世帶の結婚jが上昇し︑獨身男性が減少︑治安

    が安定し︑閨秀を�離する規範が强まる︒王On代Yになると︑

    この線が左へ移る︒治安の惡Eにともない︑家族規範を荏えた社

    會?經濟?基礎が失われ︑家族の保護を失った女性は强姦や暴行

    にさらされる︒妓女に身を落とす女性が增えると︑結婚できない

    男性も增加する︒大量の光棍は治安をさらに惡Eさせていく︒こ

    のようにみると︑ジェンダーと家族と社會秩序の閒には密接な繫

    がりがあることが改めてわかる︒だからこそ歷代の王Oはセック

    ス/ジェンダー・システムの3築

    (=

    女性の�離)にBをAいだ

    のである︒

    かように光棍はセックス/ジェンダー・システムで重wな位置

    を占めているが︑本書では機能?役割に關する議論が多く︑彼ら

    の實態や男性性にはほとんど觸れられない︒たとえば︑本書一五

    六−

    一五七頁でロウィの﹁�﹂﹁武﹂の男性性論を取り上げ︑�

    の原宴は孔子で女性を}づけ︑武の原宴は關羽で女性をざける

    ― 158―

    158

    良 ◀ ▶ 賤

    士大夫 光棍 男◀

    閨秀 妓女 女

  • と紹介するが︑それと光棍の關係は示されない︒ロウィは武のモ

    デルとして關羽に代表される﹁英雄﹂と武松に代表される﹁好

    漢﹂を擧げている(3)︒

    光棍の男性性は後者に}いと考えられよう︒

    彼らが女性をざけたのは︑女性が獨身男性のホモソーシャルな

    關係を破壞しかねないからであった︒しかし︑本書にも言mがあ

    るソマーが庶民の男性は男女雙方に性?な慰めとV愛を求めてい

    たと示唆するように

    (一九三頁)︑光棍たちも機會さえあれば女

    性と性?關係を持とうとした︒それゆえ光棍たちは仲閒內では女

    性をざけながら︑社會にとっては女性の脅威となったのである︒

    著者は二〇〇〇年にTheAmericanHistoricalReview誌上で中

    國の男性性に關する特集を企劃している︒その序�で︑﹁中國硏

    究者はいまだセクシュアリティ硏究に對する持續?な興味を展開

    していない︒それはヨーロッパと北米における男性と男性性の歷

    �硏究の出發點となってきたものである﹂と営べている(4)︒それか

    ら十年餘り後の本書でも﹁男性の�E︑あるいは男性性に關する

    歷�硏究はあまりなされていない﹂と書かざるをえなかった

    (一

    五六頁)︒著者がB識?に男性や男性性に筆を割いたのは︑まさ

    にこのような問題B識を踏まえてのことである︒ただ︑男性や男

    性性に關する記営は︑少數の硏究に依據してなされており︑決し

    て十分とはいえない︒本書の刊行が︑日本で男性・男性性�への

    關心を高める契機となることを︑v者は切に願う︒

    本書の特Uは︑女性の�離を核心として3築されたセックス/

    ジェンダー・システムをさまざまな角度から時?に見した點

    にある︒本書が檢討する範圍はきわめて廣いものの︑たとえば中

    國}現代�の槪說と比�してみれば︑軍事︑財政︑外nなどまだ

    まだ觸れられていないテーマは多い︒もっとも︑本書は旣存の

    (英語圈の)硏究のうえに3想されたものであるから︑これは著

    者の問題というよりは學界の問題である︒

    一方で︑多岐にわたるテーマを一人でuったために︑記営に精

    粗の差が生じている︒ある特定のテーマについて�良の硏究が參

    照されていないこともある︒たとえば︑スポーツについては︑モ

    リスの硏究を引くべきだった(5)︒

    引用閒いとおぼしき箇もある︒

    本書一三五−

    一三六頁でギンペルの硏究を引いて︑二〇世紀初頭

    に女性たちが體育・スポーツに參加するようになったと営べるが︑

    ギンペルが論じたのは︑傳瓜中國で

    (男性が)女性性を定義する

    重wな場となっていた身體を︑淸末の女性がみずから定義しよう

    とした軌跡である︒このほか︑複雜な事象を單純Eしすぎたとこ

    ろも見iけられる(6)︒

    實態はより複雜であったことを示唆する記営

    があってもよかったと感じる︒ここでは女性の自殺と辮髮につい

    て取り上げておこう︒

    第六違では女性の自殺を結婚との關係から考察し︑I淸Yの女

    性が親の決める正式な結婚を守るために自殺したのに對して︑民

    國Yの女性はそれに抗議するために自殺したことが示される︒し

    かし︑一九二七−

    一九三七年の上海を對象とする侯艷興の硏究は︑

    女性の自殺のNたる原因が

    (上海市政府の分類によると)﹁口角

    糾紛﹂﹁家庭事故﹂であることをIらかにしている(7)︒一九三三年

    の場合︑自殺者一一〇二名のうち︑口角糾紛六五一名︑家庭事故

    二三四名に對し︑婚姻問題五名︑失戀九名︑V死九名などとなっ

    ている︒地域や時代によっていはあろうが︑﹁親の取り決める

    正式な結婚﹂は女性の自殺原因のほんの一部にすぎないことは留

    ― 159―

    159

  • Bすべきであろう︒また︑同じデータによれば︑一九三三年の男

    性の自殺者は九九四名で︑Nたる原因は經濟壓C四二五名︑口角

    糾紛二三九名となっている︒男性の自殺者も少なくないこと︑自

    殺の原因にI確な男女差があることがわかる︒結婚をめぐる自殺

    は象U?ではあるが︑自殺をめぐる事Vはより複雜であることを

    踏まえたうえで議論すべきであろう︒また︑民國Yの女性が親の

    決める結婚に反對したのは事實であるが︑一方で民國Yには多く

    の烈女がいたことも忘れてはならない(8)︒

    辮髮と纏足は淸代の男性性と女性性のキーワードとなっている

    が︑辮髮に對する理解にやや和感がある︒たとえば︑﹁辮髮を

    切ることは︑政打倒の側に立つというI示?で取り[し不能な

    誓であった﹂(一四六−

    一四七頁)のような記営は︑剪辮

    (辮

    髮を切ること)と革命を短絡?に結びつけているが︑斷髮は革命

    sの專賣特權ではなく︑立憲sをはじめ淸Oのもとで}代Eを圖

    ろうとする人たちも剪辮をN張していた(9)︒一九一〇年に南京で開

    催された第一囘c國K動會で走高跳に參加した孫寶信が辮髮を

    引っかけたために失格となったことについて︑著者はある中國人

    歷�家の﹁その瞬閒︑人民の心は延慨に燃え︑革命精神が沸きL

    こり︑淸Oが人々に强制してきた慣Fを撲滅せんことを切hした

    のであった﹂という言葉を引いて︑(r步から)遲れた身體は遲

    れた政府と虛な國民をB味するのであり︑辮髮と纏足という滿

    洲族の征を示すジェンダー指標にやかな;焉をもたらしたと

    N張している

    (一三六頁)︒中國人歷�家とは﹃舊中國體育見聞﹄

    (人民體育出版社︑一九八七年)の者王振亞のことだが︑王が

    依據したであろう﹃時報﹄一九一〇年一〇二二日の記事には革

    命や淸Oの强制を聯想させる言葉はない︒著者がわざわざ引用し

    たこの言葉は︑實はなんら根據のない感にすぎないのである(10)︒

    じっさいのところ︑辮髮は滿洲のF俗というよりは︑}代Eの障

    としてとらえられていた︒K動會をN催したYMCA體育N事

    エクスナーはK動會が參加者に愛國N義を涵養したと總括した︒

    この愛國N義が淸Oと對立するものでないことは︑開會式に淸O

    の役人が出席していたことからもわかる︒モリスはNorthChina

    Heraldの記事やYMCA體育N事モランの報吿でK動會が>政

    院と對比されていることを指摘し︑社會學者エリアスがスポーツ

    と議會政治との類似を論じていることにABを促している(11)︒

    もち

    ろんこれらは西洋人の見方であるが︑ほぼミッションスクールに

    限られていた當時のスポーツと革命を結びつける根據はさらに乏

    しいといわざるをえない(12)︒

    譯者たちは正確に2譯するだけでなく︑原著の りも訂正し

    (たとえば先に觸れた第一囘c國K動會の開催地を原著は﹁北京﹂

    としている)︑譯書の價値を高めているが︑2譯に關して若干氣

    になったところを二かだけ擧げておきたい︒一つ目は第四違

    (一三五頁)で︑義和團事件のために知識人エリート層が武7に

    不信感を¡くようになり︑社會から武7が[滅したことが︑K動

    競技やスポーツが¢入される﹁都合の良い背景﹂になり︑愛國心

    に燃える若者たちがたちまちスポーツにV熱をAぐようになった

    と譯されている︒しかし︑原�のB味するところはそうではなく︑

    義和團事件のために︑淸末にはK動競技やスポーツを¢入する土

    臺となるような身體�Eに關する語彙や慣Fが存在しなかったが︑

    にもかかわらず競技スポーツが若者たちの心をとらえたというこ

    ― 160―

    160

  • とである︒日本では尙武の�Eがスポーツのi容を容易にしたが︑

    中國ではまず身體を動かすことに對する忌¥感を取り除くことが

    必wであった(13)︒

    傳瓜?な武7はスポーツへの橋渡しとなることが

    Y待されたのであり︑じっさい︑上海YMCAの體育N事たちは︑

    武7を利用して中國人を引きつけようとしていた(14)︒

    二つ目は;違のインドと中國を女性問題から比�した箇

    (二

    五二頁)で︑﹁イギリスは女性問題を性¦に論じようとした︒そ

    れは︑インド人男性の不關與によって可能となり︑また彼らの不

    關與ゆえにA目を集めた﹂とある︒﹁不關與﹂の原語は

    failures

    である︒q民地インドでは︑インド人男性にとってもイギリス人

    男性にとっても︑インド人女性をどのようにuうかはきわめて重

    wな課題であった︒インド人男性はイギリス人男性から彼女たち

    を守ろうとし︑イギリス人男性はインド人男性から彼女たちを守

    ろうとした︒なぜなら︑彼女たちとの關係がインド人︑イギリス

    人それぞれの男性性を規定するからである︒インド人女性は不關

    與どころか爭奪の對象だったのであり︑failuresは�字り失敗

    と譯すべきある

    (いうまでもなく︑失敗かどうかをª斷するのは

    イギリス人である)︒したがって︑この一Qでは︑インド人男性

    が女性問題に關與しなかったことと中國人男性が女性問題に積極

    ?に取り組んだことが對比されているのではなく︑インド人男性

    も中國人男性と同じように女性問題に取り組もうとしたが︑q民

    地という條件ゆえにイギリス人男性の干涉をiけざるをえなかっ

    たことを論じているのである︒だからこそ﹁南アジアの男性たち

    がq民地荏�において經驗した男性性への攻擊を︑中國男性たち

    は免れたといえる﹂のだ(15)︒

    以上︑いくつか問題點を指摘してきたが︑本書の價値はそれを

    補って餘りある︒なによりも︑中國�を考えるうえでジェンダー

    とセクシュアリティの問題がいかに重wであるかを說得?に提示

    し︑セックス/ジェンダー・システムを軸にI淸から現代にいた

    る歷�を觀した點は︑本書の大きな貢獻である︒今後の英語圈

    の硏究は本書を共の基盤として形成されていくであろうから︑

    日本のジェンダー�硏究者にとっても必讀�獻となる︒本書がu

    わなかったI淸以t︑あるいは中國以外の國と地域との比�もr

    んでいくであろう︒譯者の努力にも敬Bを表したい︒v者は英語

    版を持っているが︑つまみ讀みしかしておらず︑譯書が出たおか

    げで︑はじめて本書のc貌に觸れることができた︒�後に︑ジェ

    ンダーに關心のない中國�硏究者にこそ本書をぜひ手にとって欲

    しいという希hを営べて本vを閉じる︒

    �(1)

    著者がいうように︑妓女も含めて女性はほぼc員が�;?

    には妻や妾などの形で家族制度に取り®まれるが︑多くの光

    棍にはそのような可能性はなかった︒

    (2)

    いうまでもなく︑人口の大多數を占める農民は士大夫でも

    なければ閨秀でもない︒ここではあくまで理念型として提示

    する︒

    (3)

    Kam

    Louie,TheorisingChineseMasculinity:Societyand

    GenderinChina,CambridgeUniversityPress,2002.

    (4)

    SusanMann,“TheMaleBondinChineseHistoryand

    Culture,”TheAmericanHistoricalReview,vol.105,no.5,

    ― 161 ―

    161

  • December2000.

    (5)

    AndrewMorris,MarrowoftheNation:AHistoryofSport

    andPhysicalCultureinRepublicanChina,Universityof

    CaliforniaPress,2004.

    (6)

    たとえば︑女性の斷髮を﹁男性同Çと共に戰い學ぼうと

    する決Bを表Iするもの﹂(一六〇頁)と位置づけるが︑

    ファッションとして實踐した女性も少なくなかった

    (拙稿

    ﹁一九二〇年代の中國における女性の斷髮:議論・ファッ

    ション・革命﹂石川禎浩﹃中國社會N義�Eの硏究﹄京都

    大學人�科學硏究︑二〇一〇年)︒

    (7)

    侯艷興﹃上海女性自殺問題硏究

    (1927-1937)﹄上海辭書出

    版社︑二〇〇八年︒

    (8)

    須Î瑞代﹁民國初YのQZ烈女﹂辛亥革命百周年記念論集

    集委員會﹃總合硏究辛亥革命﹄岩波書店︑二〇一二年︒

    (9)

    吉澤Ð一郞﹁淸末剪辮論の一考察﹂﹃東洋�硏究﹄五六卷

    二號︑一九九七年︑高嶋航﹁辮髮と軍:淸末の軍人と男性

    性の再3築﹂小濱正子﹃ジェンダーの中國�﹄勉Ð出版︑

    二〇一五年︒

    (10)

    このことからわかるように︑﹃舊中國體育見聞﹄は學7書

    とは言いがたい書物で︑現在の硏究狀況からすれば︑ほとん

    ど典據とする價値はない︒著者はこの一QをSusanBrownell,

    TrainingtheBodyforChina:SportsintheMoralOrderofthe

    People̓sRepublic,UniversityofChicagoPress,1995から孫

    引きしているが︑ブラウネル自身は王が革命のN張をすべり

    こませていることをa識していた︒そもそもブラウネルの本

    は中華人民共和國のスポーツをuっており︑淸末のスポーツ

    について知るのに�yの本とは言えない︒

    (11)

    Andrew

    Morris,“T̒oMaketheFourHundredMillion

    Move:̓TheLateQingDynastyOriginsofModernChinese

    SportandPhysicalCulture,”ComparativeStudiesinSociety

    andHistory,vol.42,no.4,October2000.

    (12)

    ただし︑體操は別である

    (拙稿﹁軍ßと社會のはざまで:

    日本・O鮮・中國・フィリピンの學校敎練﹂田中á一﹃軍

    ßの�E人類學﹄風l社︑二〇一五年)︒體操とスポーツの

    關係については拙稿﹁なぜ

    baseballは棒球と譯されたか:

    2譯から見る}代中國スポーツ�﹂﹃京都大學�學部紀w﹄

    五五號︑二〇一六年を參照︒

    (13)

    拙稿﹁﹁東亞病夫﹂とスポーツ:コロニアル・マスキュリ

    ニティの視點から﹂石川禎浩︑狹閒直樹﹃}代東アジアに

    おける2譯槪念の展開﹄京都大學人�科學硏究︑二〇一三

    年︒

    (14)

    拙稿﹁なぜbaseballは棒球と譯されたか﹂Þ(81)を參照︒

    (15)

    インドにおけるコロニアル・マスキュリニティの議論を中

    國に應用したのが拙稿﹁﹁東亞病夫﹂とスポーツ﹂である︒

    二〇一五年六

    東京

    \凡社

    A五ª

    三一六頁

    二八〇〇圓+

    ― 162―

    162