研究物語 - 応用化学教室ホームページ...化学 vol.72 no.4 (2017)29 研究物語...

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Page 1: 研究物語 - 応用化学教室ホームページ...化学 Vol.72 No.4 (2017)29 研究物語 性を示すことが予言された(図1) 9,10).この系では,積層し
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化学 Vol.72 No.4 (2017) 29

研究物語

性を示すことが予言された(図 1) 9,10).この系では,積層した二つの反芳香族 π共役系が軌道間相互作用し,π電子が空間を介して三次元的に非局在化して,芳香族性を示すと解釈できる.当時,筆者(忍久保)がこの論文を見たときは,「面白い計算結果だけど合成できないなぁ」という印象をもった.よもや積層した反芳香族化合物を合成する日がやってくるとは知らずに…….筆者らは反芳香族ポルフィリンであるノルコロールの研究

を進めていくなかで,予期せず積層反芳香族化合物に出合った.そして,実際に反芳香族化合物を積層させるとその反芳香族性が大幅に低下し,芳香族的な挙動を示すことを見いだした11).本稿では,積層した反芳香族ポルフィリンの合成研究について経緯なども含めて解説したい.

ノルコロールとは?

有機化学の講義のかなりの部分は,電子の動きを矢印によって追いかけることに費やされている.しかし,そこに異質なものが紛れ込んでいる.Hückel則である.平面環状π電子系化合物が 4n+ 2個の π電子をもつとき芳香族性を示すというルールの明快さは,有機化学のなかでも際立っている(図 2上).芳香族化合物はまぎれもなく化学界のスター化合物であり,その非局在化した π電子が織りなす多彩な機

芳香族性をめぐって

芳香族化合物についての研究は,基礎から応用まで幅広く手がけられている.そしてこれまでさまざまな芳香族化合物が合成されてきた.最近では,ベンゼンやポルフィリンなどの平面の芳香族化合物のみならず,コラニュレンのような曲面 π電子系をもつ芳香族化合物に大きな注目が集まっている1~4).これらは,一つの面上で π電子が非局在化することによって芳香族性が発現しているため,二次元的な芳香族性といえる.また,メビウス芳香族化合物は,かの「メビウスの環」のように π共役系が連続して連なるにもかかわらず,分子全体としてはねじれているという特徴をもち,トポロジー的に見れば平面上での芳香族性とは異質であるが,面内の π電子の非局在化により芳香族性が発現している点では同質であるといえる5,6).ここまでに登場したのは二次元的な芳香族であるが,その一方で,三次元的な芳香族性を実現しようという研究も古くから存在しており,ビシクロ環化合物7)やクラスター状化合物8)において,三次元的な π電子の非局在化によって芳香族安定化エネルギーを得ているという議論がされている.そのようななか,2007年に Schleyerらよって,反芳香族性をもつシクロブタジエンが二つ積層したスーパーファンが芳香族

野澤 遼・忍久保 洋名古屋大学大学院工学研究科

4n個の π 電子をもつ平面環状共役化合物は反芳香族性をもち,一般的に不安定である.しかし,

反芳香族化合物を積層させると芳香族性を示すという興味深い予測がある.ここでは,筆者らがどのようにして積層反芳香族化合物を合成し,その芳香族性を検証したか,研究の経緯を含めて紹介したい.

反芳香族化合物を重ねると        芳香族化合物になるのか?

--積層反芳香族ポルフィリンによる三次元芳香族性の発現

シクロブタジエン スーパーファン

反芳香族性 三次元芳香族性

積 層

図 1 Schleyer らによる積層した反芳香族化合物の理論計算非常に近い距離で積層した反芳香族性シクロブタジエンが三次元芳香族性を発現することが予言された.

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研究物語

ルが異常に近い距離(およそ 3 Å)で真上に積層していたのである.π電子化合物の結晶構造において,分子が積層構造をとることは珍しくない.しかし通常は真上ではなく,ずれながら 3.5 Å以上の面間距離をもって積層するのが普通である.「これは何かある」.直感的にそう思い,その原因の探索に乗りだした.まず,ニッケル-ニッケル間に結合があるのではないかと疑ったが,分子軌道計算の結果からこの可能性は否定された.では,何だ? ノルコロール間に引力的な相互作用でも存在するのだろうか? そこで頭に浮かんだのが最初に紹介した Schleyerらが提唱したスーパーファンである.もしかするとこの異常な構造の原因は,反芳香族化合物が積層したことによるものではないのかと考えた.つまり,積層により芳香族性が発現し安定化しているのではと思い至ったのである.

積層反芳香族化合物の合成

しかし,ここからなかなか研究は進展しなかった.ジフェニルノルコロールは結晶中では三重積層構造を示したものの,溶液中では積層構造は壊れてしまい,反芳香族化合物としての性質しか示さなかった.芳香族性を実験的に評価するためには,環電流効果を観測できる NMR測定が必須であるが,それには測定対象化合物を溶液にする必要がある.試行錯誤

能性,反応性は有機化学,合成化学,材料化学など多くの分野の発展の基礎となっている.しかし,Hückel則を学んだ際,当時学生であった筆者(忍久保)は,4n個の π電子をもつ反芳香族化合物のほうにより強烈な印象をもった.反物質の一種かと勘違いしてしまいそうなロマンすら感じるその名称は,有機化合物のなかでも独自の存在といえる.反芳香族化合物はシクロブタジエンに代表されるように一般に不安定であるが,筆者らは最近,ノルコロールと呼ばれる反芳香族ポルフィリンの合成に偶然成功した12)(図 2下).このノルコロールは室温,空気中において安定であった.ノルコロールの合成を達成したあと,次のテーマとして安易ではあるが,置換基を変えることを考えた.最初に合成したノルコロールは置換基としてメシチル基(2,4,6-トリメチルベンゼン)をもっており,そのかさ高さが化合物の安定性に寄与していると予想した.その予想を検証するため,より小さな置換基としてフェニル基をもつノルコロールをターゲット分子として合成を試みた.当時 4年生であった田中博子さんがまずこの課題に取り

組んでくれ,苦心の末にニッケル(シクロオクタジエン)錯体〔Ni (cod) 2〕をカップリング反応剤として用いて,ジフェニルノルコロールを合成・単離した(図 3 a).そうこうしているうちに,生成物の単結晶 X線構造解析にも成功し,はじめて筆者らの前にその構造が姿を現したときの衝撃は今も忘れられない.なんと図 3 (b)に示すように,三つのノルコロー

図 2 芳香族化合物と反芳香族化合物Hückel則では共役に関与する π電子の数により,芳香族化合物と反芳香族化合物を区別する. 図 3  ジフェニルノルコロールの合成(a)と X 線結晶

構造図(b)結晶構造から三つのノルコロール骨格が真上に積層していることが見てとれる.

N

N N

NM

N

N N

NM

Hückel芳香族化合物 4n + 2個の π電子

曲面

ベンゼン ポルフィリンM=金属

コラニュレン

ノルコロールM=金属

シクロブタジエン

Hückel反芳香族化合物 4n個の π電子

N

N N

N

Ni

Ph

Ph

BrBr Br

Br

Ni(cod)22,2'-ビピリジン

N

N N

NNi

Ph

Ni

Ni

Ni

Ph

a)

b)

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反芳香族化合物を重ねると芳香族化合物になるのか?

の過程で濃厚溶液で NMR測定を行うと,ピロール部分のプロトンが低磁場にシフトするなど,溶液中でも積層している兆候は見られたものの,決定打とはならなかった.このころ,ジメシチルノルコロールの反応性についても平行して研究を行っていた.このなかで筆者(野澤)らは,チオラートが求核剤としてノルコロールを攻撃し,C-H結合を位置選択的に直接 C-S結合に置換できることを見いだしていた13).この反応をもとに,ノルコロール二量体を合成するというアイデアが生まれた.あらかじめ二つのノルコロールを柔軟な結合で連結させておけば,溶液中でも安定して積層構造を観測できるのではないかと考えたのである.しかし,置換基のかさ高さが小さいジフェニルノルコロールは,ジメシチルノルコロールに比べてかなり不安定であったため,目的化合物はなかなか得られなかった.なんとかジフェニルノルコロールにアリルメルカプト基を導入し,オレフィンメタセシス反応により二量化を達成した(図 4).

ノルコロール二量体の芳香族性

驚くべきことに,不安定であったジフェニルノルコロールを二量化させると,非常に安定な化合物となった.この時点で,実験を行っていた筆者(野澤)は,積層構造の形成による化合物の安定化の手応えを感じていた.一般的に芳香族化合物はその π電子の非局在化に由来して,高い安定性をもつことが多い.そのため,得られた二量体の安定性は三次元芳香族性によるものではないかと直感した.そして,二量体の単結晶 X線結晶構造解析を行ったところ,期待どおり二つのノルコロールは近接して積層していた(図 5).さらに,狙いどおり溶液中でも積層構造をとっていることが明らかになった.それによりようやく実施できた NMR測定から,ノルコ

ロールの外周部のプロトンが単量体に比べて大幅に低磁場シフトしていることがわかった.これは反芳香族性の特徴であるパラトロピック環電流が,積層することにより大幅に弱くなったことを示す結果である.また,溶液中における吸収スペクトルを測定するとその変

化は明白であり,単量体では観測されない新しい吸収帯が近赤外領域において観測された.この吸収帯は通常の反芳香族化合物ではほとんど観測されないことが知られている.この結果から,ノルコロールが積層することにより,縮退した分子軌道をもつ新たな電子構造を形成していることが示唆された.さらに,三次元芳香族性について確証を得るため,二光子吸収断面積の測定などの実験的なアプローチだけでなく,理論計算を用いたアプローチからも三次元芳香族性の発現を実証することができた.

π電子系を“造形する”

冒頭に述べたように,今日まで多様な芳香族化合物が合成

図 4 ジフェニルノルコロール二量体の合成ノルコロールにアリルメルカプト基を導入したのち,二量化反応を行った.得られた二量体は単量体と比べて安定であった.

N

N N

N

Ph

N(CH2CH3)3SH

S

NNMes Mes

Ru

O

ClCl

NNN NNi

Ph

Ph

NNN NNi

Ph

PhS

SNi

Ph

N

N N

NNi

Ph

Ph

直接官能基化アリルメルカプト基の導入

オレフィン-メタセシス反応二量化反応

反芳香族性不安定

三次元芳香族性非常に安定

Ni

Ni

S

S

二つのノルコロール間の距離:約 3 Å

図 5 ジフェニルノルコロール二量体の X 線結晶構造図二量体は二つのノルコロール骨格が非常に近い距離で積層した構造をしており,溶液中においても積層していた.

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研究物語

参 考 文 献1) W. E. Barth, R. G. Lawton, J. Am. Chem. Soc., 88, 380 (1966).2) L.T. Scott, M. M. Hashemi, D. T. Meyer, H. B. Warren, J. Am. Chem. Soc., 113, 7082 (1991).3) A. M. Butterfield, B. Gilomen, J. S. Siegel, Org. Process Res. Dev., 16, 664 (2012).4) H. Sakurai, T. Daiko, T. Hirao,Science, 301, 1878 (2003).5) R. Herges, Chem. Rev., 106, 4820 (2006).6) S. Saito, A. Osuka, Angew. Chem. Int. Ed., 50, 4342 (2011);斉藤尚平, 大須賀篤弘, 化学, 65 (6), 23 (2010).7) R. B. King, Chem. Rev., 101, 1119 (2001).8) Z. Chen, R. B. King, Chem. Rev., 105, 3613 (2005).9) C. Corminboeuf, P. v. R. Schleyer, P. Warner, Org. Lett., 9, 3263 (2007).10) D. E. Bean, P. W. Fowler, Org. Lett., 10, 5573 (2008).11) R.Nozawa, H. Tanaka, W.-Y. Cha, Y. Hong, I. Hisaki, S. Shimizu, J.-Y. Shin, T. Kowalczyk, S. Irle, D. Kim, H. Shinokubo, Nat. Commun., 7, 13620(2016).12) T. Ito, Y. Hayashi, S. Shimizu, J.-Y. Shin, N. Kobayashi, H.Shinokubo, Angew. Chem. Int. Ed., 51, 8542 (2012).13) R. Nozawa, K.Yamamoto, J.-Y. Shin, S. Hiroto, H. Shinokubo, Angew. Chem. Int. Ed., 54, 8454 (2015).

され,さまざまな有機機能性材料に応用されている.最近では,芳香族化合物が柔軟にその性質をチューニングできる点,材料としてのフレキシブルさに注目が集まっている.今後も,π電子系の美しい構造と物性を巧みに造形することによって,新しい機能をもつ分子が次つぎと創出されるであろう.今回筆者らは,反芳香族化合物を積層させるというアプローチで,新しい芳香族性のコンセプトを提案した.積層状態をコントロールすることにより芳香族性を動的に変化させるなど,従来の芳香族化合物にない特徴を活用できる可能性がある.今後,反芳香族化合物が社会で活躍する化合物になることを期待しつつ,さらなる反芳香族化合物の未知なる可能性を探るつもりである.

謝辞:研究のきっかけとなるフェニルノルコロールの合成およびその構造解析を達成してくれた田中博子氏,Ji-Young Shin特任准教授に感謝します.また本研究は,九州大学大学院工学研究院の清水宗治准教授,大阪大学大学院工学研究科の久木一朗助教,延世大学化学科の Dongho Kim教授,Won-Young Cha氏,名古屋大学大学院理学研究科の Stephan Irle教授,Western Washington大学化学科のTim Kowalczyk助教との共同研究の成果です.なお,本研究は日本学術振興会新学術領域研究「π造形科学:電子と構造のダイナミズム制御による新機能創出」,旭硝子財団研究助成およびグリーン自然科学国際教育研究プログラムの支援を受けて行われました.

のざわ・りょう ● 名古屋大学大学院工学研究科博士後期課程 1年.2016年名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了.<研究テーマ>積層型反芳香族化合物による三次元芳香族性の発現.<趣味>スポーツ観戦,サイクリング.

しのくぼ・ひろし ● 名古屋大学大学院工学研究科教授.1995年京都大学大学院工学研究科博士後期課程中退.1998年博士(工学).<研究テーマ>新規 π電子化合物の合成・物性・機能性の探求.<趣味>料理,音楽鑑賞(クラシック),合唱.