appendix 1:開発援助の政策目的 - jica...a1-2...

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Appendix 1:開発援助の政策目的 目次1 米国 ································································································ A1- 1 2 イギリス ·························································································· A1- 19 3 フランス ·························································································· A1- 36 4 ドイツ ····························································································· A1- 53 5 オランダ ·························································································· A1- 67 6 デンマーク ······················································································· A1- 83 7 カナダ ····························································································· A1- 94 8 オーストラリア ················································································· A1-108

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Page 1: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

Appendix 1:開発援助の政策目的

<目次> 1 米国 ································································································ A1- 1 2 イギリス ·························································································· A1- 19 3 フランス ·························································································· A1- 36 4 ドイツ ····························································································· A1- 53 5 オランダ ·························································································· A1- 67 6 デンマーク ······················································································· A1- 83 7 カナダ ····························································································· A1- 94 8 オーストラリア ················································································· A1-108

Page 2: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

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Appendix 1 では、主要援助供与国 8 ヶ国における開発援助政策目的について概観して

いる。まず各国の開発援助の歴史的経緯と近年の政策をレビューし、続いて開発援助に係

るプレイヤーおよび援助政策の実施方針(援助形態、セクター、対象国・地域)を概観す

る。 1 米国 1.1 開発援助の歴史的経緯 米国の対外援助は、第二次世界大戦後の共産主義封じ込め政策から開始された。1947

年 3 月にトルーマン大統領(当時)が米国議会において、社会主義勢力の脅威に直面する

自由主義国であるギリシャとトルコに対して共産主義化を阻止するために 4 億米ドルに上

る経済・軍事援助を行う必要があるとして、所謂「トルーマン・ドクトリン」を発表した。 1947 年 6 月には、マーシャル国務長官(当時)はトルーマン・ドクトリンを実施に移

すべく「ヨーロッパ経済復興計画(マーシャル・プラン)」を発表し、経済援助を本格化さ

せた。ここでは、ヨーロッパの経済復興と並んで、米国の産業振興およびヨーロッパにお

ける米国製品の市場獲得が目指された。具体的な方策として、欧州の被援助国は米国との

関税障壁を撤廃する双務協定の締結が義務づけられた1。また、被援助国の石油調達は可能

な限り米国外で米ドルによって行うこと、一方で農産物の購入は全て米国内で行うこと等

が義務付けられていた2。このような復興支援を通した経済的利益の追求とその成功体験が、

その後の米国の援助政策へのインセンティブの根底に存在する。1947 年末には、フランス、

イタリアのヨーロッパの復興を緊急に支援するため、「1947 年対外援助法」が制定された。

さらに、マーシャル・プランの本格的な実施に当たっては、「1948 年対外援助法」が制定

された。援助実施体制としては、米国側での実施機関として経済協力局(Economic Cooperation Administration:ECA)が、ヨーロッパ側の受入機関としてヨーロッパ経済

協力委員会(現 OECD)が設立された3。ここでの援助の大部分は無償援助であった。 ヨーロッパ向けのマーシャル・プランと並行して、占領国である西ドイツや日本を対象

とした援助も実施された。1947 年からは、占領地政府の救済を目的として「ガリオア援助

(Government and Relief in Occupied Area:GARIOA)」が開始された。1949 年には、

占領地の経済復興を目的として「エロア援助(Economic Rehabilitation in Occupied Area:EROA)」が実施された。ガリオア援助では、食糧、肥料、医薬品等が現物支給さ

れ、エロア援助では、石炭等の工業原料や機械が供与された4。 それまでは第二次世界大戦からの戦後復興途上にある国に対して援助を実施していたが、

1949 年の「ポイント・フォア計画」によって、米国の援助対象はアジア諸国へと大きく拡

1 滝田賢治(1999)「8 現代アメリカの対外援助政策-構造と理念の変容-」、坂本正弘、滝田賢治 編著

『現代アメリカ外交の研究』、中央大学出版部。 2 同上。 3 同上。 4 同上。

Page 3: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

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大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再

認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。

本計画を実施に移すべく「1950 年対外経済援助法」が制定され、規模は小さいながら、東

南アジア地域を中心に技術援助が供与された。 冷戦の激化を受けて、米国は援助政策を、反共を目的として一層戦略的に活用していく。

1950 年の朝鮮戦争の勃発を受けて、1951 年には「相互安全保障法」を制定し、マーシャ

ル・プランに基づく経済援助、ポイント・フォア計画に基づく技術援助、戦時中の武器貸

与法を起源とする軍事援助の三者が統合された6。援助供与先として重視されたのは共産圏

周辺国であり、それが実績にも如実に反映されている。主要な援助供与先は、インド、パ

キスタン等であった(図表 A1-1-6⑨)。 米国の対外援助は、第二次大戦後の大きく動く国際情勢の中で、経済復興、民生の安定、

反共封じ込め等を目的に急速に拡大されてきたため、60 年代初頭には援助法や体制の矛盾

が目立つようになっていた7。問題改善のために実施されたのが、「1961 年対外援助法」の

策定を始めとする援助体制の大幅な再編である。同法は、以下のように構成される。 • 第 1 部:1961 年国際開発法 (経済援助を規定) • 第 2 部:国際平和安全保障法 (軍事援助を規定) • 第 3 部:総則 (第 1 部・第 2 部の実施規定) 同法では、経済援助と軍事援助を法的に切り離した点を特徴とする。なお、この時期か

ら東西冷戦の雪どけを背景に、軍事援助よりも経済援助が重視されるようになり、同時に

南北問題への取り組みが本格化した8。また、大統領に国際機関への出資権限が付与された

ことから、多国間援助を米国のイニシアティブの下で活用していこうとする機運が高まり、

世界銀行グループ内に国際開発協会(International Development Association:IDA)を

設立する等、国際開発援助の世界を米国がその後長くリードしていく基盤となった。援助

実施体制としては、経済援助を一元的に管轄する機関として米国国際開発庁(United States Agency for International Development:USAID)が、同年に設立されている。同

年9月には、「平和部隊法」も併せて制定され、ボランティアの米国の若者を平和部隊(Peace Corps)として途上国に派遣する枠組みを導入した。

1970 年代に入ると、冷戦下のソ連との援助競争による多大な負担を一因として、米国は

深刻な財政赤字を抱えるに至り、これまでのように大規模な開発援助を継続的に実施する

ことが困難となっていた。さらに国内では、援助は短期の軍事的関心に傾倒しがちであり、

米国の外交上の利益を生み出していないとの懸念が持ち上がり、米国議会では対外援助の

見直しに関する議論が活発化した9。下院外交委員会では、貧困の影響を も受けているセ

クターを支援する必要性が唱えられ、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)への支援

5 その他の目的として、米国企業の対外投資市場拡大を側面支援しようとしたことも指摘されている。滝

田賢治、前掲書。 6 同上。 7 同上。 8 同上。 9 滝田賢治、前掲書。

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拡大が改革の論点となった。その結果、1973 年に対外援助法は再び改正され、大規模な資

金・財の供与やインフラ建設ではなく、農業・保健・教育等の貧困層に直接裨益するセク

ターに米国の専門知識を提供することを目指す「新路線(New Direction)」が打ち出され

た。また、機を同じくして、援助政策への議会の発言力が拡大していった10。 このように自国の援助に資金的制約を感じるようになった米国は、70 年代から 80 年代

にかけて日本を始めとする西側諸国に、米国を補完するために紛争周辺国を中心に援助を

実施するよう要請するに至った11。また、援助実施の判断基準として、被援助国の人権保

護状況を見るようになった。援助と人権をリンクさせ、人権侵害国に対しては援助停止措

置を取る等、これをきっかけに米国の援助は政治色が強まっていった12。なお、米国が主

導権を有する世界銀行等の国際金融機関においても、80 年代に入ると、構造調整プログラ

ムを積極的に活用し様々なコンディショナリティを付帯させるなど、政治的色合いが強ま

っている。 冷戦が終盤に近づいた 1988 年後半から、下院外交委員会において再び対外援助政策の

見直しが議論されるようになった。対外援助法の今後の在り方に関する議論は、「ハミルト

ン・ギルマン報告書(Hamilton-Gilman Report)」として纏められている。そこでは、対

外援助は米国の安全保障上および経済的な関心を追求するための有効な外交ツールである

こと、国家間の相互依存関係の深化によって米国は経済的・政治的に他国の影響を受ける

とともに今後一層経済問題が国際的アジェンダとなっていくであろうこと、米国民は途上

国の貧困層への支援を支持しているものの現在の援助プログラムがその目的を効果的に達

成できているとは感じていないこと等が述べられている。その上で、同報告書は現在の対

外援助法を廃止し、経済成長、貧困削減、環境の持続性、政治的多元主義を主な援助目的

とし、成果重視およびプログラム評価を重視した新たな法の制定を提言した。しかし、こ

のような法改正の試みは実現には至っていない。また、90 年代を通して、ブッシュ政権や

クリントン政権の下で冷戦後の国際環境に対応した援助理念および対外援助法の見直しが

提案されたが、いずれも議会の反対等により実現されず、今日に至っている。

【コラム A1-1:クリントン政権における援助理念の再定義の試み】 クリントン政権は、実現には至らなかったものの、新対外援助法案を策定し援助理念の再定義

を試みた。そこで援助目的として掲げられたものは、以下の通りである。 (1)被援助国の持続的発展 (2)被援助国の民主主義の育成、 (3)平和の追求、 (4)人道的援助の供給、 (5)貿易・投資を通じた成長の促進 (6)アメリカ外交の促進。

出所:滝田賢治(1999)「8 現代アメリカの対外援助政策-構造と理念の変容-」

坂本正弘、滝田賢治 編著『現代アメリカ外交の研究』、中央大学出版部。

10 毎年、議会が前年のプロジェクトの実施状況に応じて、翌年の援助資金配分を判断するようになったと

指摘されている。滝田賢治、前掲書。 11 80 年代、日本は米国の要請によりタイ、パキスタン、トルコ等の「紛争周辺国」、エジプト、オマーン、

ケニア、スーダン、ジャマイカ等の「世界の平和と安定の維持のために重要な地域」への援助を強化し、

「戦略援助」と呼ばれた。佐藤秀雄(1997)『ODA の世界』日本図書刊行会による。 12 滝田賢治、前掲書。

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1.2 近年の開発援助政策 冷戦後、米国はそれまでの反共を主目的とした援助の存在意義を失い、大幅な方向転換

を迫られた。冷戦直後は、主に(1)米国の主要外交目的である民主主義と市場経済の促

進および、(2)途上国国民の生活向上という 2 つの政策意図で実施されてきた。 ここでは 1990 年代の米国の援助政策を 1997 年に作成(2000 年修正)された USAID

の戦略計画を通して振り返ることとする。USAID は定期的に援助戦略策定の枠組みとな

る「戦略計画(Strategic Plan)」を策定し、その中で複数の戦略開発目標(goal)を設定

している。また、開発目標と、「米国国務省戦略計画(U.S. Department of State Strategic Plan)」で定められた国益とのリンケージを明記している。さらに、開発目標に対する

USAID 業務上の目的(objective)、開発パフォーマンス・ベンチマークおよびそれを測る

ための数値目標を設定する等、モニタリングを組み込んだ構造になっている。図表 A1-1-1の通り、冷戦後の国際情勢を受けて、より開発寄りの政策となっている。

図表 A1-1-1:USAID の上位目標と米国の国益との関係(1997 年作成・2000 年修正版)

USAID の上位目標 米国の国益 1 幅広い経済成長および農業開発の促進 経済繁栄 2 民主主義とグッド・ガバナンスの強化 民主主義 3 世界人口の安定と健康の確保 グローバル・イッシュー

(保健・人口) 4 長期的な持続的発展に向けた世界規模での環境保護 グローバル・イッシュー

(環境) 5 生命保護、自然・人的災害による苦痛の減少、政治的経済

的開発に必要な条件の再構築 人道的責任

出所:USAID, 1997 (revised 2000), “USAID Strategic Plan 1997”をもとに作成。

このような開発志向の援助政策を一変させたのが、2001 年 9 月 11 日の同時多発テロで

あった。米国の援助政策は大きく方向転換し、貧困がテロの温床になるとの問題意識の下

で、より戦略的な援助の活用、具体的にはテロ対策として対外援助を活用しようとうする

気運が高まった。2002 年 3 月には、ブッシュ大統領の米州開発銀行での演説において、「開

発のための新たな約束(New Compact for Development)」を発表した。重点項目は以下

の 2 点である13。 • 3 年度以内(2006 年度まで)に開発援助を 50%増額し、現状より年間約 50 億米ド

ルの増額とする。 • この増額分を「ミレニアム・チャレンジ・アカウント(Millennium Challenge

Account)と名づけられた特別会計で管理する。グッド・ガバナンス、人材育成、

健全な経済政策の分野でコミットメントを示した国に対して供与する。

2002 年 9 月には、大統領名で「国家安全保障戦略(The National Security Strategy of the United States of America)」が発表され、テロ後の米国の安全保障政策が明確に提示

13 外務省 (2002) 『わが国の政府開発援助(ODA 白書)』

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された。全 9 章から成る本戦略の中で、開発の重要性に 1 章が割かれた点は特筆すべきで

あろう。「社会の解放と民主主義のインフラ確立によって開発の輪を広げる14」と題された

第 7 章では、途上国における貧困削減問題を米国の対外政策の 優先課題と位置付けてい

る。具体的な戦略としては、以下の点が提示されている。 • 公平な統治を行い、国民に投資をし、経済の自由化を促進する政府に対して、ミレ

ニアム・チャレンジ・アカウントから資金を供与する15。 • 世界銀行や他の開発銀行業務における援助の有効性を向上させる。 • 援助が実際に貧困層の生活改善をもたらすことを確保するために、測定可能な成果

を求める。 • 融資ではなく、贈与の形態による開発援助額を増額させる。 • 貿易・投資が経済成長の原動力であるため、自由な市場および貿易を促進する。 • 公共の保健を確保する。 • 教育に注力する。 • 農業開発向け援助を継続する。 このような流れを受けて USAID も、2002 年に「国益と対外援助:自由、安全保障、機

会 の 促 進 ( Foreign Aid in National Interest: Promotion Freedom, Security, Opportunity)16」と題する報告書を発表した。ここでは、テロリズム、政治的暴力、内戦、

組織犯罪、麻薬売買、感染症、環境破壊、難民問題等の国境を超える問題が、以前にも増

して力の弱い国家に集中的に流れていくようになり、それが国内外を問わず全アメリカ人

の安全と幸福への脅威となっているとの問題意識を提示し、それ故に、世界の平和と安定

における米国の対途上国外交の役割がより一層拡大していると指摘する。本書では、国家

安全保障問題が複雑化し、開発に課せられる役割が増大する時代背景の中で、開発と国家

安全保障をリンクさせることの重要性を再確認している。伝統的な軍事力、機密情報収集

活動、法のエンフォースメントおよび外交は、米国の安全への脅威を封じ込める役割を担

うことはできるが、根本的な原因の削減に対処できるものではない。そのため、今後数十

年は対外援助が外交政策の主要ツールになると指摘する。本書では、政治的リーダーシッ

プ、効果的な政策、人への投資、パートナーシップへのコミットメントの 4 テーマに絞っ

た対外援助論を展開し、これら 4 点が今後、米国の国益に沿った援助を展開するための主

要課題となるとしている。 これらの議論をベースとして、2003 年 8 月には国務省と USAID が共同で新規の戦略計

画(2004~09 年度)を策定した。「安全保障・民主主義・繁栄:民主主義と開発援助の整

合 性 ( Security, Democracy, Prosperity: Aligning Diplomacy and Development Assistance)」と題され、より安全保障色が濃くなっていることが特徴である。全体の構成

14 原題は、”Expand the Circle of Development by Opening Societies and Building the Infrastructure of

Democracy”である。 15 2002 年 11 月に、ミレニアム・チャレンジ・アカウントを管理する「ミレニアム・チャレンジ公社

(Millennium Challenge Corporation)」の設立が発表されている。 16 U.S. Agency for International Development (2002) Foreign Aid in the National Interest: Promoting

Freedom, Security, and Opportunity.

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は、「使命(ミッション)」、「平和と安全保障の確保」、「持続可能な開発と地球規模の関心

事項の促進」、「国際理解の促進」、「外交・プログラム実施能力の強化」、「組織的インパク

ト」、「付録(戦略計画枠組み、国務省評価計画、USAID プログラム評価計画、略語集)」

である。 本戦略では、援助の使命として、「アメリカ国民および国際社会の恩恵のために、より安

全かつ民主的で繁栄した世界を創造すること」を掲げている。また、「持続可能な開発と地

球規模の関心事項の促進」の章では、テロリズム、大量破壊兵器、国際犯罪、地域的不安

定の危険から自国および同盟国を守ることは必要ではあるものの、国の安全保障を確保す

るには不十分であるとした上で、より健全で、教育を受け、民主的で繁栄した世界があっ

て初めて、より安定し安全になる、と述べている17。具体的な活動の方向性としては、以

下の 4 点が挙げられている。 • 民主的な選挙と市民社会の育成は、経済改革の決意を高める。 • 信頼できる法の統治は、汚職との闘いや経済的投資および成長の促進に不可欠であ

る。 • 環境の質や天然資源管理は、健康と持続的な成長の前提条件である。 • 社会改革は長期的開発に極めて重要である。 米国は、国際情勢の変化を受けて、援助政策の目的を大きく変容させてきている(図表

A1-1-2)。

図表 A1-1-2:米国援助の歴史的変遷 時代区分 主な特徴 1945~50 年代 東西冷戦の文脈から反共手段としての援助拡大

・ 西欧諸国および占領地の経済復興支援 ・ 反共・対ソ戦略を目的とした紛争周辺国への支援 <対象国:西欧諸国、共産圏周辺国>

1960 年代 南北問題への取り組み本格化 ・ 貧困こそが革命と暴力の温床との考え方 ・ 経済発展が政治的民主化をもたらすというモデル <対象国:南ベトナム、台湾、韓国、ラテン・アメリカ>

1970~80 年代 新路線による BHN アプローチ ・ 人権問題の重視 ・ マルチ援助の積極的な活用 <対象国:イスラエル、エジプト>

1990 年代

冷戦後の援助理念の再検討 ・ 冷戦型戦略援助の存在意義の消滅 ・ 援助額の削減 <対象国:中東、ラテン・アメリカ、東欧・旧ソ連圏>

2001 年以降

テロ後の新たな援助戦略 ・ 援助政策における安全保障の再重視 ・ 援助額、対象国の大幅な拡大 <対象国:テロ周辺国、アフリカへの広がり>

17 U.S. Department of State and U.S. Agency for International Development (2003) Strategic Plan

Fiscal Years 2004-2009.

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1.3 開発援助に係るプレイヤーの分析 (1) 政策立案者 米国の援助では、援助プログラムの策定およびその支出に際して議会の承認を必要とし、

議会のコントロールの下で 50 を超える政府ユニットが対外援助関連業務を担当する。米

国政府機関内の対外援助政策・プログラムの調整は、国家安全保障評議会(National Security Council:NSC)が担当している。実際は、同評議会の下に位置する政策調整委

員会(Policy Coordination Committee:PCC)が他の主要な委員会に対して政策分析結

果を提供し、さらに大統領決定に対して迅速な対応を保証する。USAID は二国間開発援

助および人道援助の主要な実施機関であるが、通常の政府内調整は PCC を通じて実施し

ている。図表 A1-1-3 は、米国の主要開発テーマとそれを所轄する主な政府機関であるが、

多くの政府機関が対外援助政策に複雑に関わり合っていることが見て取れる。

(2) 政策実施者 続いて、援助実施機関に焦点を絞って米国の援助プレイヤーを考察する。米国の対外援

助実施機関とその管轄業務は、図表 A1-1-4 のとおりである。 米国の二国間開発援助プログラムの立案、実施を担当するのは USAID である。USAID

は国務省の管轄下で活動する独立した援助実施機関であり、全世界で援助プログラムを実

施する。ワシントン DC の本部にはマネージメント、法務・広報、政策・プログラム調整

といった本部機能を司る局の他、地域を管轄する 4 つの局(「サブサハラ・アフリカ局」、

「アジア・中東局」、「ラテンアメリカ・カリブ海局」「ヨーロッパ・ユーラシア局」)およ

びグローバル・ヘルス、経済成長・農業・貿易、民主主義・紛争・人道支援といった政策

課題を管轄する 3 つの局を置く。 USAID の特徴の一つとして、現地事務所への権限委譲が進んでいることが挙げられよ

う。現地事務所の実際の役割は当該国の状況によって異なる。USAID がプロジェクトの

実施および運営を行う国、USAID 自体の業務は限定的であるが NGO への継続的な支援を

実施する国、USAID のプロジェクトはないが二国間・多国間ドナーとの政策対話を実施

している国、というように多様性を持たせている。 なお、USAID 以外の二国間援助プレイヤーとしては、農務省が USAID と共に農業援助

を、国防総省が非 ODA の枠で安全保障援助プログラム(Security Assistance Program:

SAP)18を実施している。また、米国の多国間援助は、国務省と財務省によって管轄され

ている。国務省は、国連機関への拠出および任意の寄付を所轄し、財務省が世界銀行、米

州開発銀行等の国際開発銀行への出資を所轄する。

18 具体的な内容としては、対外軍事売却、軍事援助計画、国際軍事教育・訓練、兵器調達特別基金が存在

する。

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図表 A1-1-3:開発テーマと主な米国政府内管轄 開発テーマ 担当部署

民主的統治の推進 汚職・犯罪管理・麻薬 Bureau for International Narcotics and Law Enforcement

Affairs (State) 民主主義・人権 The Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor (State)

1

外交政策 White House Policy Planning Staff (State) House Committee on International Relations Senate Committee on Foreign Relations

経済成長 農業・食糧安全保障 Foreign Agricultural Service 国際経済 Department of Treasury

Bureau of Economic and Business Affairs (State) 国際資金調達 Department of Treasury International Programs

Office of Management and Budget

2

国際貿易・開発 United States Trade Representative (USTR) Bureau of Economic and Business Affairs' Trade Policy and Programs Division (State) U.S. Trade and Development Agency Office of Foreign Asset Controls (Treasury) United States Court of International Trade

健康増進 環境 EPA Office of International Affairs

United States Trade Representative Bureau of Oceans and International Environmental and Scientific Affairs (State)

3

健康・HIV/AIDS Center for Disease Control Bureau of Oceans and International Environmental and Scientific Affairs (State) National Institutes of Health

紛争の緩和・処理 国家安全保障 White House

Bureau of Political-Military Affairs (State)

4

人身売買 Office to Monitor and Combat Trafficking in Persons (State) 人道援助 人道援助 White House

Famine Early Warning Systems Network (USAID) United States Department of Health and Human Services

5

難民・移民 Bureau of Population, Refugees, and Migration (State) Immigration and Naturalization Service

民間対外援助 6 対外投資・国際ビジネス Department of Commerce

Export-Import Bank of the United States Overseas Private Investment Corporation U.S. Trade and Development Agency

出所:USAID ホームページをもとに作成。

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後にごく 近の傾向として、外交政策の重心が安全保障に移り、安全保障政策手段と

しての援助の役割が強調されていることを受けて、国務省と USAID の連携を重視する動

きが挙げられよう。前述の国務省・USAID が共同で作成した戦略計画(2004~09 年度)

においても、「組織的インパクト(Organizational Impacts)」と題する章の中で、現在は

2 つの別個の組織であるが、援助目的の達成のためには国務省と USAID の協働が不可欠

であると強調している19。これまでも両者の協力はアドホックに実施されていたが、今後

は本プロセスをより組織的に進める必要があるとの問題意識に立って、同書の中で、「国務

省・USAID 政策委員会(Department-USAID Policy Council)」と「国務省・USAID 管

理委員会(Department-USAID Management Council)」を設立するとされている。この

ように、両者の協働を具体的に進めるよう体制が整えられつつある。

図表 A1-1-4:対外援助機関およびその管轄業務 OA/ 非 OA

援助 区分

援助内容 国務

省 USA ID

国防 総省

農務

省 財務

省 その

他 開発援助 ○ 経済支援基金(ESF) ○主管 ○実施 国際災害援助 ○ 食料援助(PL480) ○贈与 ○融資 国際食料農業開発委員

会 ○

東欧・旧ソ連援助 ○ アフリカ開発援助 ○ アイルランド国際基金 ○ 移民・難民援助 ○

二国間

平和部隊 ○ 国連機関への拠出 ○

OA/ ODA

多国間 国際開発銀行への出資 ○ 対外軍事売却 ○ 軍事援助計画 ○ 国際軍事教育・訓練 ○ 兵器調達特別基金 ○ テロ対策プログラム ○ 国際麻薬対策援助 ○

安全 保障

平和維持活動 ○ ○ 貿易開発庁 ○ 海外民間投資公社 ○

OOF

輸出入銀行 ○ 米州財団 ○ アフリカ開発財団 ○

非 OA/ 非 ODA

その他

大学、NGO 等 ○ 出所:石井修、滝田賢治編(2003)『現代アメリカ外交キーワード:国際政治を理解するために』有斐閣

双書 p. 105、滝田賢治(1999)「8 現代アメリカの対外援助政策-構造と理念の変容-」坂本正弘、

滝田賢治 編著『現代アメリカ外交の研究』、中央大学出版部、p. 234 を元に作成。

19 U.S. Department of State and U.S. Agency for International Development (2003) Strategic Plan

Fiscal Years 2004-2009.

Page 11: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-10

(3) 民間セクター 今日、政府部門から途上国政府に供与される ODA や OA の枠外で、民間セクターから

途上国に流れる資金の方がはるかに大きく、実施者としてだけでなく資金供給者としても

民間セクター、NGO の役割が拡大している。2000 年の段階で既に、米国から途上国向け

ODA 額は全体の 18%に過ぎず、民間援助が 60%を占めている。民間のシェアは更なる拡

大が予測されており、2010 年には 69%に達すると考えられている20。 民間資金の中でも特に多いのは個人送金(personal remittance)であり、全体の 30%

強を占めている。個人送金とは、アメリカへの移民労働者から出身国・地域への送金を指

す。1990 年代を通じてこの金額は急速に拡大したが、今後は引き続き増加するもののより

緩やかな増加が見込まれ、2000 年現在 180 億米ドルのところ、年率 5%増で 2005 年には

230 億米ドル、2010 年までには 300 億米ドルと予測されている21。 米国の民間任意団体(Private Voluntary Organization:PVO)は今日、幅広い開発分

野で世界的に活躍している。主要な活動領域は、保健、家族計画、コミュニティ開発、食

料援助、災害復興である22。USAID に登録されている 400 強の PVO の内、上位 20 の PVOはそれぞれ年間 2,000 万米ドル以上の資金調達を行っている23。資金は USAID からの資

金が多いが、大手 PVO の中には、国内・国外における資金調達手段を通して、より多額

の資金を調達しているものもある24。

図表 A1-1-5:米国からの途上国向け援助の官民の内訳(2000 年) 内訳 10 億米ドル シェア(%) ODA 9.9 18 OA 12.7 22 民間援助 33.6 60 財団法人 1.5 企業 2.8 民間任意団体 6.6 大学 1.3 宗教団体 3.4 個人送金 18.0 米国からの国際援助総額 56.2 100 出所:USAID (2002) Foreign Aid in the National Interest: Promoting Freedom,

Security, and Opportunity.

20 USAID (2002) Foreign Aid in the National Interest: Promoting Freedom, Security, and

Opportunity. 21 同上。 22 USAID (2002) Foreign Aid in the National Interest: Promoting Freedom, Security, and

Opportunity. 23 同上。 24 大手の PVO としては、CARE、Catholic Relief Services、World Vision、Save the Children 等が存

在する。USAID, 2002, 前掲書。

Page 12: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-11

【コラム A1-2:大手 NGO の近年の米国援助政策に対する見解】 米国 大の NGO グループである InterAction は、米国政府がテロ後、援助を国内の安全保障

のレンズを通して見ようとする姿勢を批判している。InterAction は多様な政治的見解、宗教的

信念を有する 160 グループが参加してできており、主な参加 NGO として、CARE、Oxfam、

Catholic Relief Services、World Vision、Refugees International 等が含まれる。 InterAction はポリシー・ペーパーの中で、ブッシュ政権が開発援助をますますテロとの闘い

へのツールとして活用しようとしている点を批判するとともに、対外援助資金が断片化され、こ

れまでに例がないほど国防省の影響力が高まっている点を問題視する。このことにより政府内で

援助に重複が生じ、調整されないまま多くの政府機関が関与するため援助の一貫性が失われると

している。さらに、イラクおよびアフガニスタンの復興資金が膨らむあまり(ブッシュ大統領は

2 カ国に対して 203 億米ドルの追加資金を要求)、他地域の援助がカットされることへ懸念を表

明している。 Sue Pleming, Reuters, “U.S. NGOs attack President Bush’s Foreign Aid Policy”, Jakarta Post 2003.11.1.

1.4 開発援助政策の実施方針

(1) 援助形態 米国の開発援助は、二国間および多国間の枠組みで実施されている。米国は 1992 年に

新規の融資を停止し、有償資金協力の枠組みから撤退しているため、二国間の協力は全て

贈与である。現在の米国の二国間援助は、主に以下の 3 つに分類できる。 開発援助(Development Assistance:DA) 経済支援基金(Economic Support Fund:ESF) 食糧援助

米国の ODA で も規模が大きいのは ESF である。ESF は、議会と国務省の管轄の下

で USAID が実施を担当するスキームである。米国は 1950 年代から、自国にとって政治

的に特別な重要性を有する国に対して安全保障支援援助プログラム(Security Supporting Assistance Program)として、国際収支の赤字救済のための資金移転を行ってきた。1974年に名称を ESF に変更したが、米国の政治上および安全保障上の目的のために引き続き

活用され、中東和平の他、米国の当該国における軍事的プレゼンスの確保、予算および国

際収支の安定等のために供与されている25。ESF は資金移転の他、インフラ建設や農村改

良計画のためのプロジェクト援助、米国が現金供与した米ドルを米国商品の購入に使用す

るという商品輸入計画等にも活用されている26。 DA は、ESF に次いで大きい援助スキームである。途上国の経済・社会開発のための贈

与を、教育、保健・医療、人口、農業、農村開発といった BHN 分野に実施されることが

多い。しかし、実際の運用上、被援助国の多くが ESF と DA の両方の受け手となってい

たために、同一国に異なった目的を有する援助プログラムを形成・実施することとなり、

25 1960 年代にベトナム、タイ、フィリピン等が主な受入先であり、80 年代にはイスラエル、エジプト、

パキスタン等に多額の資金が供与された。 26 滝田賢治、前掲書。

Page 13: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-12

その過程で多くの歪みや困難が発生したと指摘されている27。全ての DA はプロジェクト・

ベースで実施され、USAID の現地事務所スタッフがプロジェクトの実施に際して責任を

持つ。 食料援助は、農務省とのコーディネーションの下で、Food for Peace プログラムを通し

て実施される。米国は国内の余剰農産物問題に対処するため、戦後間もない 1947 年から

食料援助を対外援助に取り入れており、「1954 年農業貿易開発援助法(Agricultural Trade and Development Assistance Act of 1954:PL 480)」の制定により、食糧を経済開発の道

具としてより広く活用することとなった。 PL 480 は(1)米国の食糧輸出の拡大、(2)飢餓と栄養不足への対応、(3)途上国の経

済発展の促進、(4)米国外交政策上の利益追求、の 4 点を目的とする、多様な目的が組み

合わさった援助スキームである。PL 480 は農務省が管轄し、農務省傘下の農産物金融公

社(Commodity Credit Corporation:CCC)によって実施される。支援内容としては、

米国産農産物の借款による売却保証、栄養失調や飢餓に対する農産物の供給、民主的な農

業国への農業援助等が挙げられる28。農産物の無償供与は受入国内で地元農産物に対する

需要の低下を招き、地元生産者の農業生産へのインセンティブを削ぐといった市場の歪み

を生んだため、1992 年以降はそのような問題が発生しない場合にのみ米国農産物の供与が

許されるとの大幅な方向転換が行われた。 米国は国際援助機関に自国の政策意図を反映させようとしており、一例として世界銀行

の総裁は設立以来、常にアメリカ人である。国際機関との距離は時代とともに変動はある

が、米国はマルチとバイの援助をうまく使い分けてきたと言えるだろう。例えば 1970 年

代半ばには、自国の開発援助は BHN を中心とした比較的小規模な案件に絞る一方で、国

際機関に道路や港湾といった大規模インフラを建設するよう働きかけている。80 年代から

世界銀行、IMF といった国際機関が資金供与に当たりコンディショナリティを付与するよ

うになると、それを歓迎し、構造調整融資の決定に影響力を強めていった。1990 年代に入

ると、東欧および旧ソ連諸国に対する国際収支支援を国際援助機関に実施させる等、自国

の国益に沿う活動を二国間援助では実施せず、多国間援助機関に担わせるようになった。 なお、前述のとおり、米国は 1992 年以来、有償資金協力を行っていない。しかし、過

去の債務については積極的に債務削減に応じている。HIPC イニシアティブに基づく

HIPC 信託基金に 2002 年 9 月までに 600 百万米ドルを、2002 年 10 月以降に 150 百万米

ドルをコミットしている。

(2) セクター USAID は現在、下記の 3 分野で援助を実施している。

経済成長、農業、貿易(内容:農業、経済成長、環境、教育・研修) グローバル・ヘルス(内容:母子保健、脆弱な児童、HIV/AIDS、家族計画、

27 Robert F. Zimmerman (1993) Dollars, Diplomacy, and Dependency: Dilemmas of U.S. Economic

Aid. 28 滝田賢治、前掲書。

Page 14: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-13

リプロダクティブヘルス) 民主化、紛争、人道援助(内容:民主主義・ガバナンス・紛争、人件、人道援助)

2004 年度予算要求では、開発援助(DA)の枠組みでは「グローバル・ヘルス」への支

出が 大で(1,495 百万米ドル、)、次に「経済成長、農業、貿易」(1,133 百万米ドル)、

後に「民主化、紛争、人道援助」(212 百万米ドル)となっている29。一方で、SAP の一

つである「経済支援基金(ESF)」では、「経済成長、農業、貿易」への支出が圧倒的に大

きく(2,113 百万米ドル)、次に「民主化、紛争、人道援助」(330 百万米ドル)、「グロー

バル・ヘルス」(91.5 百万米ドル)となっている。USAID の予算全体では、「経済成長、

農業、貿易」が 40%強のシェアを占めている。

(3) 重点対象国・地域 ODA の地域配分では、歴史的にアジアのシェアが圧倒的に大きく、ラテン・アメリカ、

アフリカ、アフリカがそれに次いでいたが、近年ではアフリカ、ラテン・アメリカ、アジ

アのシェアはほぼ同じになっている(図表 A1-1-6⑧)。米国の ODA・OA の受入国トップ

5 ヶ国としては、エジプト、イスラエル、ロシア、ポーランド、フィリピンが挙げられる

(図表 A1-1-6⑨)。70 年代および 80 年代前半までは、エジプトとイスラエルの二国向け

援助だけで援助総額の 40%を占めており、上位 10 ヶ国では 50%に達する等、援助供与に

当たって高度な集中が見られたが、今日では上位 10 ヶ国のシェアが約 30%になっている。

テロ後の傾向としては、パキスタンへの援助額の増加が特徴的である。

29 USAID (2003) FY 2004 Pillars and Programs of Special Interest.

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A1-14

図表 A1-1-6:米国の概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

12,000

14,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODA無償・技術協力

ODA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows", World Bank(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

5,000

10,000

15,000

20,000

25,000

1976 1981 1986 1991 1996 2001年

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

5,000

10,000

15,000

20,000

25,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

12,000

14,000

16,000

18,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑥OA供与額(援助形態別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

3,500

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)

OA無償・技術協力

OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑧ODA供与額(対象地域別)

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

12,000

14,000

16,000

18,000

20,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

不特定LDC

オセアニア

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

アフリカ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-4,000

-3,000

-2,000

-1,000

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

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A1-15

図表 A1-1-6:米国の概況(続き)

⑩ODA供与額(セクター別)

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

12,000

14,000

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル社会インフラ 経済インフラ 生産セクターマルチセクター プログラム支援 債務削減緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

200,000

400,000

600,000

800,000

1,000,000

1,200,000

1,400,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ

中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑪OA供与額(セクター別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

3,500

4,000

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル社会インフラ 経済インフラ 生産セクターマルチセクター プログラム支援 債務削減緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑮海外直接投資額

0

20,000

40,000

60,000

80,000

100,000

120,000

140,000

160,000

180,000

200,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

⑨援助(ODA・OA)供与

0

5000

10000

15000

20000

25000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

その他10) ホンジュラス9) インド8) ハイチ7) パキスタン6) ボリビア5) フィリピン4) ポーランド (OA)3) ロシア2) イスラエル (OA)1) エジプト

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

Page 17: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-16

図表 A1-1-6:米国の概況(続き)

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

2000

4000

6000

8000

10000

12000

14000

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002 年

百万米ドル 高所得国 高位低所得国 低位高所得国低所得国 その他

SIPRI (2003) より作成

(21) 外国人居住者数

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

1970 1980 1990年

千人メキシコ

フィリピン

カナダ

キューバ

ドイツ

イギリス

イタリア

韓国

ヴェトナム

中国

インド

前USSR

ポーランド

ドミニカ共和国

ジャマイカ

その他OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

⑳外国人流入者数

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1,000

1980 1985 1990 1995 2000年

千人メキシコニカラグアエルサルヴァドルハイチキューバドミニカ共和国中国フィリピンインドヴェトナム韓国パキスタンロシア連邦ウクライナコロンビアその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

⑯国防支出

250,000

260,000

270,000

280,000

290,000

300,000

310,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

5,000

10,000

15,000

20,000

25,000

30,000

35,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入

武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

1990年 (千人)

メキシコ 4298.014フィリピン 912.674カナダ 744.830キューバ 736.971ドイツ 711.929イギリス 640.145イタリア 580.592韓国 568.397ヴェトナム 543.262中国 529.837インド 450.406旧USSR 333.725ポーランド 388.328ドミニカ共和国 347.858ジャマイカ 334.140その他 7581.100

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A1-17

図表 A1-1-7:米国の分野別主要事項年表(1):1945-74 年 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<大統領>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

米国

世界

'47トルーマン・ドクトリン

'47フェアディール政策

'49-赤狩り '58人工衛星打ち上げ

公民権運動

'63部分的核実験停止条約

'61ケネディ(民)

'53 アイゼンハワー(共) '63 ジョンソン(民)

'49NATO '50-53 朝鮮戦争

'65-73ベトナム戦争

ベトナム反戦運動

'62-キューバ危機

'64公民権法

'64-68人種暴動

'69 ニクソン(共)

'69アポロ11号月面到着

'72ニクソン訪中

'72SALT 1

'45 トルーマン(民)

インフレ増大

'61ニューフロンティア政策

'47マーシャル・プラン

'48対外援助法

'50対外経済援助法

'51相互安全保障法

'61対外援助法'49ポイントフォア計画

'54 農業貿易開発援助法(PL480)

'57開発借款基金

'62対外援助法

'62移民難民援助法

'73対外援助法修正「新路線(BHN)」

'74対外援助法修正

'47-ガリオア援助

'49-エロア援助

'51-MSA援助

'61平和部隊法

'61USAID創設

'74ウォーターゲート事件

'71金ドル交換一時停止

フェミニズム運動

対ソ封じ込め政策

経済力の相対的低下

MDBs設立へ働きかけ

余剰農産物問題

'66平和のための食料法

'49相互防衛援助法

冷戦雪どけ デタント

軍拡競争の継続

'54大量報復戦略

'54ドミノ理論

'71-貿易赤字に

'62通商拡大法

'68核拡散防止条約

'47国家安全保障法

'63ケネディ暗殺

'46フルブライト法

'51対日講和条約

'56人種隔離禁止命令

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足 '47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバーゲン報告

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

Page 19: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-18

図表 A1-1-7:米国の分野別主要事項年表(2):1975-2003 年

75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<大統領>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

米国

世界

'89 ブッシュ(共)'77 カーター(民) '93 クリントン(民) '01ブッシュ(共)'74フォード(共) '81 レーガン(共)

人権外交

'79SALT2

新冷戦・対ソ強硬路線

'81レーガノミックス

'83戦略防衛構想

'83グレナダ侵攻

'87ブラック・マンデー

'86リビア爆撃

双子の赤字

'87INF全廃条約

'89マルタ会談<冷戦終結>

'91湾岸戦争

「日本異質論」

'85債務国へ

金融不安

'89金融機関再建執行法

貧富の差の拡大

'93START2

'94NAFTA発効

財政収支黒字に

'91START1'79在イラン米大使館占拠 '83ベイルート米大使館爆

'87イラン・コントラ事件

'89パナマ侵攻

'01同時多発テロ

'93世界貿易センタービル

爆破

'98ケニア・タンザニア米大使館爆破

'03対イラク攻撃

'80カーター・ドクトリン

'94-NATO東方拡大

'92ソマリア派兵

テロとの闘い

単独主義

'99CTBT批

准否決

'75国際開発・食料援助法

'90農業開発通商法

'90-旧ソ連・東欧諸国への援助開始

'94援助理念再定義の試み

対イスラエル・エジプト援助増加

'79中国と国交樹立

'78キャンブ・デービッド合

高インフレ率・高失業率

拡大と関与'01京都議定書離脱

ドル高政策

日米貿易摩擦

'88包括通商競争強化法

スーパー301条

'01減税法案

財政赤字'91-01戦後 長の景気拡大期

FTAA、FTAの推

'03国土安全保障省創設

'02ブッシュ・ドクトリン

テロ対策としての援助の増額

'01-外交と援助の連携強化

'95 USAID/PVOパートナーシップ政策

IDA10への拠出拒否

'84UNESCO脱退

'86スペースシャトル事故

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化 ベルリンの壁崩

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

'00ミレニアム開発目標

'99ケルンサミット

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2 イギリス 2.1 開発援助の歴史的経緯 イギリスの開発援助の歴史は長く、その原型は 1920 年代に、植民地下に置かれた国々

への支援として始められた。1929 年には植民地開発法(Colonial Development Act)が制

定されている。しかしながら、現在の形の援助が生まれたのは、大戦後、植民地が独立し

た後のことである。 1964 年に労働党政権の下で、初めての統一された援助機関として海外開発省(Ministry

of Overseas Development: ODM)が設立され、海外開発大臣(非閣僚級)の職が創設さ

れた。ODM は、1961 年から外務省内に設置されていた技術協力課(Department of Technical Co-operation)を前身とし、これに他の省庁内にあった援助政策に関する機能

を統合したものであった。翌 1965 年には『海外開発:新設省の役割』と題するホワイト

ペーパーが発表され、ODM の目的が「貧しい国の経済開発を助ける政策の形成と実施」

であることが明示された。更にこのことは 1966 年の「海外援助法(Overseas Development Act)」で法的にも確立された。以降、組織形態こそ変遷したものの、開発担当機関が援助

政策の形成から実施までを一元的に担う体制は、1980 年の「海外開発協力法(Overseas Development and Cooperation Act)」と、2002 年の「国際開発法(International Development Act)」にも継承され、現在まで続いている。また、1968 年には、下院に海

外援助特別委員会が設置された。これは現在の国際開発特別委員会の原型である。

イギリスの開発援助政策の方針は、時々の政権交代によって大きく変遷してきた。1970年に政権が労働党から保守党の手に移ると、ODM は廃止され、その機能は外務省の海外

開発局(Overseas Development Administration: ODA)へと移管された。しかし数年後、

1974 年に労働党が政権を奪取すると、翌 1975 年には再度 ODM が設置された。ここで労

働党政権は、援助を国際福祉の向上に結びつけようとする理想主義のスタンスを示してい

た。例えば 1975 年のホワイトペーパーは、農村開発を軸にした 貧国の 貧層への支援

を全般に亘って模索する旨が記されている(もっとも、このホワイトペーパーは頒布され

ないままに政権の交代を見た)。この傾向は援助実績にも反映されており、1975 年以降ロ

ーンの供与が減少する一方で、無償・技術協力が増加し、結果として援助の総額も著しく

伸びている(図表 A1-2-4①)。

1979 年に再び保守党が政権を握ると、ODM と担当大臣の職は廃止され、外務省が援助

政策を担当する体制へと帰還した。この結果、外交政策と援助政策の連動の可能性が高ま

った。また、下院の海外援助特別委員会も海外問題特別委員会へと吸収され、援助政策は

下部委員会で扱われるようになった。サッチャイズムの下で公的支出は削減する方向性が

打ち出され、それが国際ドナーや途上国からの評判を落とす可能性があるにも関わらず、

政権は援助支出の削減の方針を打ち出した。これにより 1980 年から援助実績は減少、停

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滞に転じている30(図表 A1-2-4①)。同時に、援助の国益への貢献も重視されるようになり、

Neil Maten 外相は「基本的な開発の目的に加え、政治・産業・商業的に関心の高いところ

へ多くの援助を配分することは正しい」と、援助を政策目的の実現に活用することを明言

している31。 一方、1980 年代の世論は、援助の質を追究し、真の意味での「援助」を目指して援助政

策の改革を求める議論と、援助によるイギリス経済界への利益還流を望む圧力とが混在し

ていた。前者を立てると後者が立たず、後者に答えるためには相当の資金注入が求められ、

これは「小さい政府」を唱えるサッチャー政権の思想には明らかに反するものであった。 こうした中、限られた資金で農村開発より「効果的な」成果を上げるべく、世界銀行の

構造調整プログラムへの協力が進められた32。 2.2 近年の開発援助政策 (1) ホワイトペーパーの公表 労働党のブレア政権発足後 1997 年に、閣僚級大臣をトップに据えた単独省庁としての

国際開発庁(Department for International Development:DfID)が設立されたことを境

に、イギリスの援助政策は大きく転換した。DfID の政策方針を 初に示したのが、1997年の『世界の貧困撲滅に向けて:21 世紀への挑戦』(“Eliminating World Poverty: A Challenging for the 21st Century”)と題するホワイトペーパーである。

1997 年ホワイトペーパーの骨子は、以下のとおりである。 <開発への挑戦>

1) 我々は、国際開発への取り組みの焦点を貧困撲滅と貧困層に裨益する経済成長の

促進に絞る。我々は国際的な持続可能な開発目標と貧困者の持続可能な生活を生

み出す政策を支援し、人間開発を促進し、環境を保護することを通じてこれを実

行する。 <パートナーシップの構築>

2) 我々は、貧困撲滅への貢献を強化するために途上国とパートナーシップを築いて

いる他のドナーや開発機関と密接に働くことで、国際開発目標(International Development Targets: IDTs)の達成に向けた政治的意思の動員に寄与すべく、

我々の影響力を行使する。 3) これらの目標を、自国のために貢献している貧しい国々とのパートナーシップの

下で追求する。 4) CDC(Commonwealth Development Corporation:英連邦開発公社)の官民パー

30 80 年代後半には、総額は伸びているが対 GDP 比では横這いであり、この増は経済成長要因に帰する

ものと考えられる。(図表 A1-2-4①③) 31 実際、80 年代には商業的利益に資する援助が多く施行された。後述の ATP(Aid and Trade Provision)

スキームが盛んに用いられたのもこの時期である。援助の名目で行われた貿易政策の一例として、マレ

ーシアへの軍用機輸出や、インドに対するウェストランド社のヘリコプター21 機の売り込みなどが挙

げられる。Peter Burnell (1990) “Introduction to Britain’s Aid”, in Anuradha Bose and Peter Burnell eds, Britain's Overseas Aid since 1979: Between Idealism and Self-Interest, Manchester University, 1991., Lipton and Toy, Does Aid work in India?, Routledge.

32 一方、EC は世銀の政策に懐疑的であった。

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トナーシップ化を含め、IDT に向けた英国の民間、ボランティアセクター、研究

機関との新しい協働の道を整備する。 5) 世界の 貧困層を 2015 年までに半減するという目的を含め、目標に対する我々の

取り組みとその他の取り組みの効果を測定する。 <政策の一貫性>

6) 我々は環境、貿易、投資および農業政策を含む途上国に影響を与える全ての政府

政策において、持続可能な開発の目的を確実に配慮する。 7) 人権の尊重、透明で説明責任のある政府と中核的な労働基準には特に注意を喚起

し、国際関係への政府の道義的なアプローチを構築する。 8) 我々の資源を政治的安定と社会的統一の促進、紛争への効果的な対応に積極的に

用いる。 9) 金融の安定と途上国の対外債務の持続可能なレベルまでの削減を奨励する。

<開発への支援の構築> 10) 相互依存と国際開発の必要性に対する一般の理解を促進する。 11) 開発に向けられた資源が意図された目的にのみ用いられることを確実にし、新し

い国際開発法の制定を考案する。 12) 開発プログラムに必要な資源を提供する。政府は開発援助に充てる資金の減少を

増額に変え、英国の貢献を国連の 0.7%目標に向けることを再確認する。 (2) IDTs の達成 この中でイギリス政府は、開発協力政策の運用目的を貧困撲滅に限定し、特に IDTs に

焦点を当てることを表明した。IDTs は、1990 年代に開催された国連での会議の場におけ

る合意事項を原型として、1996 年の OECD による『21 世紀の創造:開発協力の貢献』

(“Shaping the 21st Century: The Contribution of Development Cooperation”)の中でま

とめられたもので、以下の各項目が列挙されている。 2015 年までに極度な貧困状態にある人口を半減させる。 2015 年までに世界中の初等教育の普及を達成する。 2005 年までに初等・中等教育におけるジェンダー格差をなくす。 2015 年までに 5 歳以下の乳幼児死亡率を 3 分の 2 に、産婦死亡率を 4 分の 3 に

減少させる。 2015 年までのできるだけ早い段階で、適切な年齢の全ての個人に、基礎保健シス

テムを通じたリプロダクティブ・ヘルス・サービスへのアクセスを可能にする。 2005 年までに全ての国で持続可能な開発に向けた国家戦略を実施し、2015 年ま

でに環境資源の欠乏という現在の傾向をグローバル、ナショナルの両レベルにお

いて逆転させる。

IDTs へのコミットメントが表明されたことは、イギリスにおけるニューパブリックマネ

ージメント(NPM)の興隆に即した動きであった。すなわち、公的セクターの経営効率化

に向けて政策評価の徹底が図られる中で、各公的機関はそれぞれの政策ミッションを明示

し、その達成を指標として評価されるようになってきている。新設された DfID について

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も例外ではなく、DfID の成果は IDTs の達成という基準に照らしてモニタリングされるこ

とになったのである。 IDTs 達成という政策の大目標に対し、より具体的な政策目標を示したのが目標戦略ペー

パー (Target Strategy Papers: TSP) 、機関戦略ペーパーISP (Institutional Strategy Papers: ISP)、 国別戦略戦略ペーパー(Country Strategy Papers: CSP)の 3 つの政策

ペーパーである。 TSP はインフラ、保健、教育といった目的分野別の政策ペーパーで、2000 年から順次

公表された。3 つの戦略ペーパーの中で も長期的な計画を提示するものである。これに

対し ISP と CSP は、中期的な計画を示しており、この意味では TSP の下位目標に相当す

る。ISP は DfID が協働するマルチの国際機関について強みと弱みを分析したもので、CSPはイギリスが援助を供与している全対象国について国別の支援計画を示している。いずれ

も 2-3 年毎に改訂されていくことになっている。 CSP は、各国の貧困状況のレビュー、支援ニーズ、支援計画から構成されている。それ

ぞれの国で実施される援助の成果は、CSP の「セクション E」に記載される戦略目標を基

準に評価される。CSP の作成は、イギリスと現地の政府、産業界、その他の主体との密接

なコンサルテーションを通じて行われることで、レシピエント国のオーナーシップを尊重

することが目指されている。その後、CSP と極めて類似した形で世銀の主導による貧困削

減ペーパー(Poverty Reduction Strategy Paper: PRSP)の策定が進んだため、PRSP と

の棲み分けが問題となり、既存の PRSP についてはこれを CSP のベースにするようにな

った。このため DfID の作成する国別計画は、CSP からより短い国別支援ペーパー (Country Assistance Papers: CAP)に移行しつつある。

これらの政策目標に対し、如何にこれらの目標を達成するかという政策の実施計画とし

ては、1999 年から国内全省庁に課せられている公的サービス協定 (Public Service Agreement: PSA)と、その技術的注釈としてのサービス提供協定 (Service Delivery Agreement: SDA)が、DfID から財務省宛に提出されている。DfID の PSA は、現在 3年計画の第 3 期にある。

ホワイトペーパーは 2000 年に改訂され、グローバリゼーションの問題に対する詳細な

分析を通じて DfID の開発アプローチを深化させた新たなホワイトペーパー『世界の貧困

撲滅に向けて:貧困問題へのグローバリゼーションの活用』(“Eliminating World Poverty: Making Globalization Work for the Poor”)が発表された。ここでも上記の IDTs への取

り組みが明言されている。 現在、IDTs は、2000 年秋のミレニアムサミット時の国連総会で採択されたミレニアム

開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)によって更に拡充されている。MDGsは、IDTs の各項目に、HIV/AIDS や住宅問題、債務問題など、新しい開発問題のトピッ

クが加えられたものである33。 33 債務削減への取り組みは従来から行われてきたが、例えば 80 年代においては世銀政策への協調という

色彩が強かった。メジャー政権期に元本 100%削減の方針が打ち出され、ホワイトペーパーでは主要目

標に掲げられたことで、イギリスの債務削減コミットメントはより強化されてきたと言える。

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A1-23

(3) アンタイド化 このように開発援助の目的が明示的に限定されたことで、貧困削減以外の目的を有する

援助は否定されることになった。その結果、既存の援助慣行の中で、援助資源の供給源を

イギリス企業に限定するタイド援助も、イギリス国内の裨益が目的とされている援助とし

て廃止された。 タイド援助に対する開発 NGO などからの批判は以前より存在していたものの、国内に

利害関係者を生むことから完全なアンタイド化は難しいと考えられていた。しかし 1997年のホワイトペーパーで「原則アンタイド」の方針が打ち出され、続く 2000 年のペーパ

ーでは「完全アンタイド」、更に後述の国際開発法でこれが法制化されたのである。 これによって、タイドの無償資金協力スキームの中で貿易省の管轄下に置かれてきた

ATP(Aid and Trade Provision)スキームも廃止された。ATP は 1977 年に設置され、サ

ッチャー政権下ではイギリスの武器輸出の促進にも活用されてきた輸出振興のスキームで

ある。1990 年代に入ってから同スキームにまつわる複数のスキャンダルが発覚して、援助

の有効性に対する疑問が多かった34。実績からも、タイド援助への批判の高まりを受けて

1994 年を境にアンタイド化が進み、これが段階を追った制度化を経て確立していった様子

が窺える(図表 A1-2-4④)。 (4) パートナーシップ ホワイトペーパーが提示した「パートナーシップの構築」は、DfID が援助政策の政策

目的の遂行に当たる上で特に重視される要素で、現在では援助のキーワードとしてすっか

り定着している。ここで言うパートナーシップには2つの側面がある。 ひとつはドナーであるイギリスと、被援助国との「パートナーシップ」である。貧困撲

滅の実現には、援助計画から実施に至るプロセスに途上国政府が主体的に関与し、開発が

彼らのオーナーシップの下で進められることが重要であるとの観点から、援助の供与者と

受け手の間のパートナーシップの構築には多大な注意が喚起されている。 もうひとつは、イギリス国内の「パートナーシップ」で、DfID および関連省庁・機関

と民間企業、NGO そして一般市民との間に構築される協調関係である。ホワイトペーパ

ーでこの2つ目のパートナーシップが謳われた結果、民間企業の援助への関与推進が図ら

れた他、援助政策をより市民に身近なものにするべく、開発教育やパブリックコンサルテ

ーションといった新たな取り組みが始められた(後述)。 (5) 政策の一貫性 更に、 重要目的である貧困撲滅には政策の一貫性が求められているとの認識から、

1997 年のホワイトペーパーでは特に「環境」、「貿易・農業・投資」、「政治的安定、社会的

統一の推進と紛争への効果的な対応」、「経済社会の安定化」の 4 つの主要分野での政策の

一貫性が目指されている。政策の一貫性を保持するために、DfID には関連各省庁の政策

調整という重要な任務が課せられた。DfID が独立した省庁として新設されたことは、開

34 マレーシアのペルガウダム建設プロジェクトでは訴訟事件が生じている。

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A1-24

発と貧困撲滅という「純粋な」援助目標の観点から援助政策の形成に当たる政策主体の登

場を意味していたと言える。 上記 4 つの分野のうち、「政治的安定、社会的統一の推進と紛争への効果的な対応」の

焦点は、政治的紛争地域に対する人道支援の供与である。ホワイトペーパーでは紛争予防

は「貧困撲滅の前提条件」であるという理由から、開発政策に紛争予防への貢献を盛り込

むことが正当化されている。当該領域において DfID には、外交・軍事政策と人道支援の

統合的な運用に当たっても各種資源の整合的な動員に向けた媒体としての役割を果たすこ

とが求められている。 もっとも、援助が政治的コンディショナリティーとして用いられることによる中立性の

問題など、人道支援には疑問の声も大きい。1999 年に同分野のポリシーペーパーも公表さ

れているが、人道支援の到達目標に国際的な基準がないこともあり、具体的な政策目標の

設定が難しい状況にある35。 以上一連の援助政策転換を援助投入実績の側面から眺めると、1997 年以降、ブレア政権

の公約どおり援助総額は微額ながら増加してきていることが確認できる36(図表 A1-2-4①)。

またこれを対 GDP 比率で見ると、2000 年から増加傾向に転じている(図表 A1-2-4③)。 【コラム A1-3:労働党の選挙公約】

ブレア政権が実施した援助政策の転換は、政権が発足した 1997 年の選挙時における労働党の選挙公約に準拠している。A fresh start for Britain- Labour’s strategy for Britain in the modern world と題された公約の「国際開発協力戦略」の章には、貧困削減に向けた取り組みが宣言され、ODA の廃止と独立援助省庁の設立(当初は「Department of International Development」という名称)、開発に関する啓蒙活動への注力、援助額減少の食い止めと対 GDP比 0.7%の援助目標の達成など、ブレア政権の改革の核となった政策構想が提示されている。

この公約で貧困削減を重視する理由として挙げられているのが、世界の貧困状況に対する道義的責任と、貧困削減による持続的発展がイギリスにもたらす国益の 2 点である。後者について、世界の 貧国が経済成長を遂げることは、貿易の促進、輸出・投資市場の拡大、紛争・大量移民・環境劣化・人口の爆発的増加といった問題の回避と国際情勢の安定化に繋がると説明されている。安定化という観点では、東欧や中央アジアを中心とした国々の民主化と市場経済化の支援も重視する方針が示されている。

Like minded group に位置付けられるブレア期以降のイギリス援助の源泉も、「単に利他的な貢献ではなく」、イギリス国民の利益に寄与することが意図されている。 出所:Labour Party, (1997) A fresh start for Britain

- Labour’s strategy for Britain in the modern world.

35 紛争地での人道支援では、政治的中立性を保つことが難しい。人道支援が紛争を政治化し、意図せぬ紛

争の助長を招いたケースとして、ルワンダの例が挙げられる。 36 逆に OA 無償・技術協力に関しては、1990 年から増額を重ねていたが、1997 年を境に減少している(図

表 A1-2-4⑤)、因みに OA ローンは 1990 年のみの供与となっている。

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図表 A1-2-1:イギリス援助の歴史的変遷

(6) 国際開発法の制定

DfID の行動規定は、2002 年 6 月 17 日に施行された国際開発法に依拠している。これ

らは 1980 年の海外開発協力法を廃止、更新したもので、1997 年のホワイトペーパーで新

法制定の必要性が示されていたことに対し、翌 1998 年と 1999 年の開発政策フォーラムが

賛同したことを受けて制定に至った。DfID の主幹業務が貧困削減にあり、政府は将来的

にもそれ以外の目的に開発援助を用いることができないことを規定した初めての法律でも

ある。 開発法に示された開発援助の使途は、以下の 3 項目に限定される。 ① 貧困削減 ② イギリスの海外領土への開発支援、人道支援、多国間開発銀行への貢献 ③ 国際開発に貢献する団体・基金への支援

この中で、①があくまでも中核的使途であり、②は援助供与が認められる使途、③は補

足的な使途として位置付けられている。 ①の貧困削減に向けた支援については、2 つの条件が設定されている。

支援が、持続的な発展を助長する、或いは福祉を向上させることを目的として供与

されていること。 DfID が、その支援が貧困削減に貢献するであろうことを認め得ること。

すなわち、供与される援助が、その「目的」と「効果」の両面で貧困削減に資するもの

であることが条件とされ、このため、物品調達先をイギリス企業に限定するタイド援助も、

「貧困削減以外の目的」をもつ援助に含まれるとして完全に非合法化された。タイド援助

が法律により非合法と定められているのは、国際ドナーの中でもイギリス一国だけである。 ②では、まず貧困削減という大目標が設定されても、海外領土への持続的発展と福祉の

向上に向けた支援は続けられ、イギリスと海外領土との「特別な関係」が継続することが

確認された。また自然災害、人的災害に対する短期的な緊急支援の供与、および世界銀行

などの国際開発銀行への出資は、貧困削減の原則の限りではないことが示された。 2.3 開発援助に係るプレイヤーの分析 (1) DfID

1997 年より、ODA に替わって設立された DfID が、現在のイギリスの開発援助政策の

策定と実施に携わる中核的主体である。DfID は、閣僚級大臣である国際開発担当大臣

(Secretary of State for International Development)が統括し、議会に対する責任も負

時代 主な特徴 1960 年代 援助体制の構築 1970 年代 援助の目的論(理想主義)と道具論(現実主義)の対立 1979 年~ 援助資金削減、世銀政策への同調

援助の「質」を巡る議論の高揚 1997 年~ 新時代援助政策の模索:「貧困削減」に向けた援助

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A1-26

っている。これに 1997 年から政務次官(Parliamentary Under Secretary of State for International Development)、2003 年 6 月から大臣(Minister of State for International Development)が国際開発担当大臣補佐職として設けられた。また、下院の専門特別委員

会である国際開発特別委員会(International Development Committee)が DfID 創設と

同時に設立され、DfID の支出、政策、実施に至るまでを監督する責務を負うことになっ

た。同委員会は DfID が出資、支援する国際機関や NGO の政策と手続きについてもフォ

ローしている。 (2) 他の省庁 開発援助の 重要目的である貧困撲滅には政策の一貫性が不可欠との認識から、DfID

はイギリス政府内で対途上国政策に携わる他省庁と緊密な協働関係を築くことを表明して

おり、協働に関して合意された政策目標は、DfID のレポートにも掲載されている。 協働関係構築の場として、省庁間の開発ワーキンググループ(Inter-Departmental

Working Group on Development: IDWG)が政策の一貫性についてレビューする省庁フォ

ーラムを企画しており、このフォーラムは国際開発担当大臣が議長を務め、外務省、大蔵

省、貿易産業省、副首相府、国防省、教育訓練省、保健省、輸出信用保証省、内閣が参加

している。また内閣の委員会である国際開発委員会、上院連絡委員会、人権共同委員会、

EU 特別委員会においても DfID が他の省庁の政策形成に、開発と貧困撲滅の側面から具

申することができる。

図表 A1-2-2:DfID と他省庁との協働事項 関連省庁 協働内容 貿易産業省 貿易 外務省、国防省 効果的な紛争予防(人道支援) 大蔵省 重債務貧困国(HIPC)の債務問題 副首相府 環境問題 教育訓練省 児童労働

(3) CDC Capital Partners 援助の実施については、DfID が自ら行う他、DfID が 100%株主となっている英連邦開

発公社 (Commonwealth Development Corporation :CDC Capital Partners) も、直接

融資と基金を通じた間接融資37を行う他、投資先企業に対する技術提供を実施している。 CDC の前身は 1948 年に設立された植民地開発公社(The Colonial Development

Cooperation: CDC)である。ブレア政権期の公的機関民営化政策の第 1 号として、

Commonwealth Development Corporation Act (1999 年)に基づき半官半民 (Public/ Private Partnership: PPP)の体制に移行、CDC グループ(CDC Group plc.)に改組さ

れ、その後 2000 年には現在の CDC Capital Partners に名称変更した。 CDC の PPP 改革は、1997 年のブレア政権樹立時に既に政府から改革の要請が出されて

37 Commonwealth Private Investment Initiative (CPII)下の地域基金を活用する。

Page 28: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-27

おり、同年のホワイトペーパーの中でも取り上げられている。この背景には、CDC が公的

機関である限り公的セクター借入れ要件の縛りを受けるため、CDC がイギリス国内で途上

国向け投資資金を借入れるとその分の DfID の開発資金分配が減らされるという事情があ

り、CDC を拡大するためには民営化は必須だったのである38。 政府が想定した PPP 化プロセスは、CDC 株式を一度 DfID が引き受け、その後順次民

間企業に売却し、 終的には全株式の 25%を下限として DfID が保有するというものであ

った。ところが現実には、リスクの大きいと思われる途上国投資を正業とする CDC 株の

株式売却は困難を極め、また 9.11 以降の景気低調の煽りを受けたこともあり、現時点に至

っても DfID が CDC の 100%出資株主となっている。 CDC 改革の焦点はまた、PPP への移行と共に貸付政策の転換にも置かれていた。すな

わち、従来 CDC は途上国政府、政府機関への貸付を行っていたが、改編に伴い民間が貧

困削減に係る経済プロジェクトに投資する際のリスク負担、てこ入れを行う方針に転向し

た。 2002 年の CDC 年次報告書に示された CDC の役割は、①途上国の商業的採算の取れる

民間セクタービジネスの創生と長期的成長の奨励と、②投機の成功事例を提示することに

よる、これらの国々の経済成長に必要な投資の促進を目的とした「新興市場のベンチャー

への投資」であるとされている。その投資政策においても、注力する投資対象はあくまで

も貧困国(Poorer Countries)であることが明記されている。 (4) 民間企業・NGO

2 つのホワイトペーパーにおいて、イギリス国内の民間企業や NGO とのパートナーシ

ップが強調されたことは既述のとおりである。 民間企業とのパートナーシップが重視される背景には民間の投融資が持続的な発展にと

って不可欠であるとの認識が存在する。CDC の民営化が、民間ベースでの開発協力への期

待に基づいていたことは言うまでもない。また、DfID が民間企業に対して「企業の社会

的責任」(Corporate Social Responsibility: CSR)を問い、MDBs の達成に必要な資金の

調達を促す動きも盛んになってきている39。 NGO に関しては、従来からイギリス国内には開発協力に従事する NGO が数多く存在し

ている。中でもオックスファム(OXFAM)、セーブ・ザ・チルドレン(Save the Children Fund) 、クリスチャン・エイド(Christian Aid)、海外開発カソリック基金(Catholic Fund for International Development: CAFOD)の 4 団体は長い歴史を有し、規模も大きい。債

務削減やアンタイド化の政策決定には、こうした NGO の圧力が少なからず働いたと考え

られる。これらの NGO は、国内で支援金の収集と、イギリス政府および他のドナー国・

機関への政策提言活動を行うと共に、独力で途上国での開発プロジェクトの実施も遂行し

38 DfID (1997) Eliminating World Poverty: A Challenging for the 21st Century. 39 1.3.1 コラム A1-1 参照。

Page 29: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-28

ている。しかしながら、DfID と NGO とのパートナーシップが具体的に実現しているのは

人道支援の分野に限られており、その他一般の援助プロジェクトの実施主体として NGOを活用することには、DfID はさほど積極的ではないようである。 この他民間企業、経済・貿易団体、NGO、慈善団体などで、これまで DfID の支援を受

けたことがなかった組織の開発援助政策への取り込みも、DfID に認められた国内啓蒙活

動の中で試みられている。戦略的贈与協定(Strategic Grant Agreement: SEGA) と題す

るプログラムは、貧困削減に有用な支援を供与できる団体に対して、 長 3 年までの支援

を供与するものである。現在までに 4 つの協定が締結されている。 また教育機関との開発教育に関する連携も積極的に推進されており、学校のカリキュラ

ムに取り入れることができる教材も数多く作成されている。 更に DfID の政策決定に幅広くイギリス国民の参加を得るための試みとして、年次方針

の決定に際しては全国の都市でパブリックコンサルテーションの場が設けられている。

2.4 開発援助政策の実施方針 (1) 重点対象地域

DfID は重点支援地域としてサハラ以南アフリカとアジアの 貧国に援助供与の焦点を

当てることを明言しているが、同時にラテンアメリカや東欧の中進国での貧困削減や持続

的開発にも貢献するとしている。 アフリカ支援については、近年国際ドナーの中でのイニシアティブを強める方向性を打

ち出している。例えば、G8 カナナキスサミットでは、アフリカ諸国の主体的な取り組み

であるアフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)への支援枠組みとして、「G8アフリカ行動計画」の採択に向けてリーダーシップを発揮した40。また、同じ旧宗主国で

あるフランスとも、アフリカ支援に関する協調を進めている。 実績面から見ると、援助対象地域の中ではアフリカの占める割合が も高く、次に大き

いのはアジアである。この地域配分は、援助の草創期から現在に至るまで継続的な傾向で

あり、対象地域の変化としては、80 年代後半からヨーロッパ(東欧)への支援が伸びてい

る点だけである(図表 A1-2-4⑧)。 また、対象地域の所得区分では、貧困削減を掲げる DfID の方針に即して低所得国への

援助が中心となっているが、これも従来からの継続的な特徴である(図表 A1-2-4⑦)。

DfID は援助対象国については特に重点国を設けていない。実績面では、対アジア援助

の中でインドへの援助割合が突出して高いことが 1961 年から現在までの特徴である。但

し 80 年代後半からは、援助対象国の増加が見られたことでインド援助の相対的比率は低

下した。90 年代の対象国上位 10 カ国のうち、中国とモザンビークへの支援が顕著になり

始めたのもこの時期からである。それ以外の国については、継続的に支援が供与されてき

40 国際協力事業団国際協力総合研修所(2003)『開発課題に対する効果的アプローチ:貧困削減』

Page 30: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-29

ている(図表 A1-2-4⑨)。また対象国の中で英連邦諸国の占める割合が総じて高いことも、

確認できる41。上記 10 カ国のうち、中国以外はすべて英連邦に所属する国々であり、投入

額で比較しても 80 年代後半以来、対英連邦援助は援助総額の 5-6 割を占めている。政策

転換後もこの傾向に変化は見られない(図表 A1-2-4⑨、図表 A1-2-3)。

図表 A1-2-3:英連邦諸国への援助(ODA+OA)の推移 (2) 援助形態 イギリスの開発援助の援助スキームは、以下に示されたとおりである。

二国間無償資金援助 二国間有償資金援助 国際機関への出資・拠出 技術協力 緊急援助 NGO 支援

このうち贈与(二国間無償、技術協力、緊急援助、NGO 支援)の各スキームについて

は、開発援助政策の転換に合わせて、見直し作業が進められているという42。援助協調に

41 英連邦の構成国は 53 カ国。このうちイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのみが先

進国で、残り 49 ヶ国は途上国(内 45 カ国が上・下位低所得国)である。(2004 年 2 月 3 日時点) 42 現在 CDC の保有する無償・技術協力スキームとしては以下のようなものがある。 -Africa Private Infrastructure Financing Facility:サハラ以南アフリカにおいて潜在性を有する民間

インフラストラクチャープロジェクトへの長期貸し付けへの梃子入れに無償資金を用いるスキーム。

2001 年より開始。 -Financial Deepening Challenging Fund:国内外の金融機関に途上国への金融サービスへの投資とそ

れらサービスの貧困層への開放を喚起するためのスキーム。アフリカと南アジアが対象。 -Business Linkage Challenging Fund:途上国の企業に内外のパートナーとの連携を支援するもので、

国際競争に必要な情報と市場へのアクセス改善及び知識移転を促進するためのスキーム。2001 年よ

り開始。(DfID (2000) Eliminating World Poverty: Making Globalization Work for the Poor, p.62)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

その他諸国

英連邦諸国

OECD (2003) “Geographical Distribution of Financial Flows”より作成

Page 31: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-30

基づく貧困削減への取り組みを目指すイギリスは、途上国政府への使途を特定しない直接

的な財政支援と、そのスキームの開発にも積極的に取り組んでいる。 ローンに関しては、2002 年の開発援助法がイギリス開発援助の目的を明確化すると同時

に、DfID の二国間金融支援の形態についても可能な幅を拡大した。具体的には、信用供

与や債権の売却による融資も可能になった。但し、途上国債務問題への配慮から、多額の

融資供与は差し控えられている。 多国間援助は、援助の目的が中核的な援助目標である貧困削減と、人道支援を目的とし

ている限りにおいて、拠出への制限は存在していない。支援先の国際機関の存在目的が、

開発援助法の主旨に完全に合っていない場合でも同様である(例えば、FAO や UNESCOを通じた支援も可能である)。 国際的な貧困削減への取り組みとしては、2002 年 11 月にブラウン財務相が国際金融フ

ァシリティ(International Financial Facility: IFF)を提唱した。これは MDGs の達成に

必要とされる資金の調達・配分のための枠組みで、援助資金と国際金融市場からの資金を

プールし、各ドナーが使用する仕組みになっている。 スキーム別に投入実績を見ると、既述のように 1975 年以来、援助の中心は贈与になっ

ている。セクター別の内訳では他ドナーと同様、80 年代末より経済インフラから社会イン

フラへの重点のシフトが見られ、これは貧困撲滅志向の援助への転換が実施プロジェクト

にも反映された結果であると考えられる。また緊急支援と債務削減支援の顕著な伸びは 90年代(特に後半)以降の特徴として確認できる(図表 A1-2-4⑩⑪)。

上記のスキームの他、間接的な開発問題への取り組みとして、DfID がイギリス国内で

の開発啓蒙事業に着手することに対しても、開発援助法によって法的な裏付けが与えられ

た。国内の開発問題への理解を深めることは、民間企業や市民社会による開発協力の進行

に結びつくと考えられている。

Page 32: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-31

図表 A1-2-4:イギリスの概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODA無償・技術協力

ODA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

1960 1970 1980 1990 2000年

OECD(2003) "Geographical Di(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1976 1981 1986 1991 1996 2001年

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑧ODA供与額(対象地域別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

不特定LDC

オセアニア

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

アフリカ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑥OA供与額(援助形態別)

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)OA無償・技術協力OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-300

-200

-100

0

100

200

300

400

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

Page 33: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-32

図表 A1-2-4:イギリスの概況(続き)

⑩ODA供与額(セクター別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

3,500

4,000

4,500

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル

社会インフラ 経済インフラ

生産セクター マルチセクター

プログラム支援 債務削減

緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑪OA供与額(セクター別)

0

20

40

60

80

100120

140

160

180

200

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル 社会インフラ 経済インフラ 生産セクターマルチセクター プログラム支援 債務削減緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

50,000

100,000

150,000

200,000

250,000

300,000

350,000

400,000

1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑨援助(ODA・OA)供与上位10国

0

500

1000

1500

2000

2500

3000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

その他10) 中国9) ケニヤ8) ガーナ7) マラウィ6) モザンビーク5) ザンビア4) ウガンダ3) バングラデシュ2) タンザニア1) インド

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

⑮海外直接投資額

0

20,000

40,000

60,000

80,000

100,000

120,000

140,000

160,000

180,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万ポンド

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

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A1-33

図表 A1-2-4:イギリスの概況(続き)

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

500

1000

1500

2000

2500

3000

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002

百万米ドル

高所得国 高位低所得国

低位高所得国 低所得国

その他

SIPRI (2003) より作成

⑳外国人流入者数

0

10

20

30

40

50

60

70

80

90

100

1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 年

千人米国オーストラリアインド南アフリカニュージーランドパキスタンフィリピンカナダ日本ポーランドロシア連邦バングラデシュソマリア中国スリランカその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

(21) 外国人居住者数

0

200

400

600

800

1000

1200

1985 1990 1995 2000 年

千人 アイルランド

米国

インド

イタリア

フランスパキスタン

バングラデシュ

南アフリカ

オーストラリア

ドイツ

ジャマイカ

ポルトガル

トルコソマリア

スリランカ

その他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

⑯国防支出

32,00033,000

34,00035,00036,000

37,00038,000

39,00040,00041,000

42,00043,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

50

100

150

200

250

300

350

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

2000年 (千人)

アイルランド 436米国 148インド 132イタリア 102フランス 82パキスタン 82バングラデシュ 70南アフリカ 68オーストラリア 67ドイツ 59ジャマイカ 58ポルトガル 58トルコ 58ソマリア 56スリランカ 50その他 1061

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A1-34

図表 A1-2-5:イギリスの分野別主要事項年表(1):1945-74 年 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

イギリス

世界

'55イーデン(保)'45アトリー(労働党) '51チャーチル(保守党) '57マクミラン(保守党)'63ヒューム

(保) '70ヒース(保守党)'64ウィルソン(労働党)

'46社会保障法

'46チャーチル"鉄のカーテン"演説

'46社会主義インターナショナル結成

'47ヨーロッパ経済復興会

'47インド連邦・パキスタン自治領成立 '48ビルマ独立

'48ブリュッセル条約

'48OEEC(ヨーロッパ経済協力機構)結成

'48英連邦会議

'49 アイルランド独立

'51コロンボ・プラン

'49 ヨーロッパ会議(COE) 結成

'52スエズ反英暴動

'54NATOパリ協定(西ヨーロッパ連合結成)

'59欧州自由貿易連合(EFTA)調印

'60OECD(経済開発協力機構:OEECの改組による)

'61南アフリカ連邦離脱

'58西インド諸島連邦

'64マラウィ独立

'64ザンビア独立

'64公定歩合大幅引き上げ

'65ポンド危機

'66賃金物価凍結令

'67英ソ、ホットライン設置

'68緊縮政策

'68新移民法

'68反戦デモ

'69人種差別反対デモ

'70北アイルランド暴動再燃

'61外務省技術協力課設置

'64海外開発省(ODM)創設

'68海外援助特別委員会設置(下院)

'70ODM廃止、外務省内開発援助局(ODA)へ移管

'66海外援助法

'48英連邦開発公社(CDC)設置

'49輸出信用保証局(ECGD)設置

'53英連邦開発金融公社(CDFC)設立

'63英連邦開発法

'49NATO調印'66NATO核調整マクナマラ委員会設置

'73EC加盟

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足 '47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバーゲン報告

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

'47-産業国有化

'52エリザベス2世即位

'63EEC加盟交渉失敗

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A1-35

図表 A1-2-5:イギリスの分野別主要事項年表(2):1975-2003 年

75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

イギリス

世界

'97ブレア(労働党)'74-ウィルソン(労働党) '79サッチャー(保守党) '90メジャー(保守党)

'80海外開発協力法

'74ODM再設

世界銀行構造調整プログラムへの参加

'97国際開発省(DfID)創設

'97ホワイト・ペーパー

'00ホワイト・ペーパー

'80ホワイト・ペーパー

'02国際開発法

'75性差別禁止法

'80鉄鋼労働者長期スト

'82フォークランド諸島紛争

'84香港返還合意

'85ユネスコ脱退通告

'87英ソ首脳会談

'90欧州安保協力会議(CSCE)首脳会議

'91EC首脳会議

'93EUマーストリヒト条約発効

'97スコットランド議会創設可決

'97ダイアナ元皇太妃事故死

'93EC統一市場発足

'98北アイルランド和平合意

'94欧州通貨機関(EMI)発足

'94北アイルランド停戦宣言

'94ユーロ・トンネル開通

'01口蹄病流行

'99ユーロ発足

'91欧州復興開発銀行(EBRD)発足

'01ユーロ流通

'94CSCE、欧州安保協力会議(OSCE)と改称

'76キャラハン(労働党)

'76ポンド暴落

'76財政再建計画

'88 IRA退英独立運動激化

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

'75国民投票でEC残留を決定

失業問題深刻化

'88 北海油田事故

'03イラク戦争参加

'79ODM再廃止ODA復活

'91「1991年輸出投資保証法」

'99CDC民営化

'00ミレニアム開発目標

'99ケルンサミット

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A1-36

3 フランス 3.1 開発援助の歴史的経緯 フランスの対外援助は、第二次世界大戦後の米国からのマーシャル・プランの受け入れ

とその植民地への転用から始まった。30 億米ドルに及んだ米国からの経済援助は、本来的

にはフランスの製造業の建て直し等、自国の経済再建に向けられるべきものであったが、

マーシャル・プランの規定の中で、部分的にフランスから自国のアフリカ植民地に転用す

ることが認められていたために、フランス語圏アフリカの経済成長とフランス向け鉱物資

源開発に活用された43。フランスは 19 世紀後半以降の植民地時代から、植民地に自国の政

治制度および文化を導入することによる直接統治に、他のヨーロッパ諸国に比べて熱心で

あったが44、戦後においても依然としてフランス語圏アフリカへの影響力の維持に関心が

高かったことが見て取れる。 フランス政府は、植民地との経済的・政治的な連携を保つことによってフランス連合

(French Federation)を維持しようとしたが、1954 年にディエン・ビエン・フーで敗北

し、1955 年にはチュニジアとモロッコを放棄した後、1960 年にはほとんどのアフリカ植

民地が独立を果たした。フランスは対旧植民地政策として、当該国の成長プロセスにフラ

ンスがプレゼンスを保持し、影響力を維持することを国益として位置付け、外交指針とし

た45。具体的には、新規独立国との間に二国間協定を締結し、フラン圏を形成することを

目指した46。 このようなフランスの外交政策目標は、当時の援助政策にも明確に反映された。援助は

旧植民地諸国に集中しており、(1960 年代前半にはアルジェリア向け援助が援助総額の 40~80%のシェアを占め、モロッコがそれに続いた、図表 A1-3-5⑨)、政策手段としての援

助の重要性を反映して ODA の対 GDP 比は 0.6~0.9%を占めていた。援助増額とともに被

援助国との経済関係の強化も並行して進められ、多くのフランス語圏アフリカ諸国ではフ

ランスが 大の貿易パートナーとなっていった。また投資面でも、フランス政府は ODA予算の枠組みでフランス語圏諸国向けの民間投資に対して補助金の付与等を行い、フラン

ス企業による民間投資を側面的にサポートしたため、援助と一体となって旧植民地との経

済関係の強化が進められた47。フラン圏諸国の中央銀行が発行した通貨はフランス国庫の

保証を受けており、フランス企業は通貨の兌換性や為替レートの好ましくない変動を心配

する必要がなかったため、フランス企業にとっても政府によるフラン圏維持の政策は好ま

43 Steven W. Hook (1995) “French ODA: The Projection of Grandeur” in Steven W. Hook National

Interest and Foreign Aid, Lynne Reienner Publishers. 44 片岡貞治 (2001)「アフリカ紛争予防:フランスの視点(仏の対アフリカ政策から)」『現代アフリカの

紛争問題及び紛争解決の模索』日本国際問題研究所。 45 Steven W. Hook, op.cit. なお、当時のド・ゴール大統領はフランスの影響力を 大限維持しつつも、

植民地との完全なる従属依存関係から、緊密な協力関係に移行するよう努めたとされている。片岡貞治、

前掲書。 46 フランス政府は、フラン圏諸国から一次産品を輸入する際に輸入 低価格を保証する等、フラン圏の

形成に向けて各種インセンティブを付与している。 47 J. Barron Boyd, Jr. (1982) “France and the Third World: The African Connection” in Philip Taylor

and Gregory A. Raymond eds., Third World Policies pf Industrialized Nations, Greenwood Press.

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A1-37

しく、またフラン圏への投資はメリットが大きかった48。 このように援助はフランスと旧植民地を繋ぐツールとして位置付けられ、援助を掛け橋

にしてその他の政策目的(貿易・投資等による経済的利益)が追求されていった。このよ

うな理由から、フランスにとっては直接的に影響力を行使しうるバイの枠組みで援助を実

施することが重要であり、近年になって多国間援助が拡大する前まではバイの割合が高か

った(後述)49。なお、援助体制としては、1958 年に植民地のための国庫の役割を果たし

ていた「海外フランス中央金庫」が、「経済協力中央金庫」に改組され、旧フランス領諸国

への経済援助機関となった。 1960 年代に入ると、ド・ゴール大統領(当時)は、冷戦下の米ソ対立の間で独立した「第

3 の道」を確立し、再び国際政治における有力なプレイヤーになることを目指した50。具

体的には、エジプトやインドネシアといった第三世界のリーダーに対して、米ソとの緊密

な関係に入るのを阻止するためのツールとして、援助の供与を開始した51。 開発援助においては主に旧植民地諸国との関係構築を志向してきたが、1963 年 7 月に

「開発途上にある諸国との協力政策に関する報告(ジャンヌネ報告)(Jeanneney Report)」が発表され、ここで初めて、将来的にはフラン圏を越えて地理的に援助対象国を拡大させ

る必要性があることが指摘された。また、援助実施に携わる官僚組織の非効率性に対する

問題提起もなされた。この指摘を受けて、旧植民地諸国を対象とした援助プログラムを所

轄するために、政府は協力開発省を設立した。さらに、ODA 融資を管理する経済協力中

央金庫(CCCE)を設立した。さらに、経済省が譲許性融資および食糧援助を所轄し、外

務省が技術援助プログラムを所轄する体制を取った。援助実績としては、60 年代はアフリ

カのシェアが圧倒的に高く他地域向けは非常に限られていたが、70 年代に入ると少しずつ

多様化が進み、アジア、オセアニアを中心に供与額が増加していった(図表 A1-3-5⑧)。

また、グラント(無償・技術協力)がローンの 2~3 倍程度の規模で安定し、金額的には

両者ともに 80 年ころまで漸増傾向にあった(図表 A1-3-5①)。ODA の対 GDP 比では、

60 年代前半には 0.8%を超えた年もあったもののその後減少基調となり、80 年には約 0.3%まで落ち込んだ(図表 A1-3-5③)。

1980 年以降も、国内財政事情の悪化等の援助を取り巻く環境変化にも関わらず、フラン

ス政府は途上国開発に継続的に積極的な関与を行っている。特に 80 年代から 95 年にかけ

ては、それまでと比べて援助実額で大幅な伸びを見せ、GDP に占めるシェアも 0.5%の辺

りで安定するようになった(図表 A1-3-5①③)。その背景には、援助を通してフランス語

およびフランス文化を普及させることによって、自国の政治的影響力の増大が可能であり、

また経済的目的も達成され得るとの思想が存在する。

48 J. Barron Boyd, Jr., op.cit. 49 J. Barron Boyd, Jr., op.cit 50 Steven W. Hook, op.cit. 51 Steven W. Hook, op.cit .

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A1-38

3.2 近年の開発援助政策 近年、フランスは、民族自決権、人権と民主主義の尊重、法の統治の尊重、国家間協力

を外交上の基本原則とし、その枠組みの中で国家独立の維持と地域的・国際的連帯の促進

を目指している52。さらに具体的な目標として、ヨーロッパの建設、国際的な安全保障、

フランス語圏の維持発展、在外フランス人のサポートと並んで、途上国開発に係る活動と

しては、人道的活動、国連の重視と支持、国際協力を掲げている。 国際協力政策としては、「影響力と連帯(Influence and Solidarity)」の行使のために、

以下の 4 つの柱を軸に活動する。 • 協力に基づく開発援助 • 文化交流の促進とフランス語の活用 • 科学的・学術的協力の促進 • 世界の視聴覚プログラムにおけるフランスのプレゼンスの拡大 外交政策全般および国際協力政策の特徴として、フランス語圏の維持発展を外交政策の

主軸に据えている点が挙げられる。この背景には、フランスがフランス語圏アフリカ諸国

に対して有する特別な感情が指摘されている53。フランス語圏の強化に向けて政府は歴史

的に、文化・科学・技術面での交流に加え、フランス語活用の推進を非常に重視している。 フランスは ODA に関する基本法を有していないが、上述のとおり、国際協力分野にお

いては「影響力と連帯」をキーワードに据えて活動している。これは今日の国際紛争は人々

の思想や感情的原因に基づいて発生することが多く、政策決定者自身やその政策立案過程

に影響力を及ぼすような方策が取れなければ、フランス外交は効果を持ち得ないとの考え

方に基づく。さらに、フランスと国際社会との連携なしには、持続可能な開発は不可能で

あると考えている。1998 年の援助機構改革によって協力省は外務省内に吸収され、外務省

内に新たに設けられた「国際協力・開発総局(Directorate-General for Development and International Cooperation:DGCID)」が国際協力業務を中心となって推進しているが54、

現在の DGCID の国際協力・開発業務における戦略目標とそれに基づく活動の指針は、下

記の 7 点である55。これらの目標はいずれもフランス外交の上位目標である「フランスの

影響力の拡大」または「国際社会・途上国との連携」に沿っている。

(1) フランスの思想を海外に普及する。 フランスは伝統的に知的な議論をリードすることで国際社会に貢献してきたが、今後と

もそれを継続することを目指す。研究者や科学者等のフランス人専門家を海外に派遣する

とともに、海外の専門家をフランスへ招聘することによって、フランスの思想や研究成果

52 フランス外務省ホームページ、”France’s Foreign Policy” 53 片岡、前掲書。 54 援助改革の背景には、フランス側にアフリカとの不透明な関係(旧植民地諸国がフランスに便宜を図

ることによって、資金や軍事面で援助を得て国を運営するという体制)に終止符を打とうとしたことが

あるとの指摘がある。日本経済新聞、1999 年 3 月 29 日、「不安定化するアフリカ:内戦や民族対立、

貧富の差広がる(深断層)」。 55 DGCID (2002), Action in 2001: Annual Report on the Activities of the General Department for

International Co-operation and Development, pp.8-10.

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A1-39

を海外に普及する。 (2) 理論と実践の両面において、新しい開発手法を導入する。

1990 年代の市場重視に偏りすぎた開発ドクトリンは、実践の場で期待された成果をもた

らさず、マクロ経済成長だけでは開発目標を達成できないことが証明された。過去の経済

成長に偏重した開発政策が大規模な貧困や保健・教育制度というマイナスのインパクトを

もたらしたとの反省に基づき、社会セクターへの支出を確保し人的資源および環境保護に

支出する必要性を説く。民主化および透明性の強化によって、途上国政府のキャパシティ

を強化し、公共の利益増進に向けた適切な方策が取られることを目指す。 在外フランス大使館の Cultural Cooperation and Outreach Service やフランス開発庁

(Agence française de développement:AFD)を中心に現在 500 件を越すプロジェクト

を実施中だが、プロジェクト・サイクルに上述の新しい開発手法を適用するとともに、継

続的な評価・モニタリングを組み込むこととする。 (3) 世界のエリート層への教育に、より積極的に参加する。 海外のエリート層への教育はフランスの影響力を対外的に高めるための重要な方法の一

つと見なし、より多くの外国人学生をフランスに留学させることを目指す。学生ビザ手続

きの変更等、留学生を増やすための方策が既に採用されており、今後 2 年間で留学生を

22,000 人増加させることを目標としている。 (4) 視聴覚プログラムにおけるフランスのプレゼンスを拡大する 音楽や映像は、フランス文化の影響力を高めるための重要な要素である。フランスの映

画、音楽、ラジオ、テレビを通したプレゼンスの拡大を狙う。 (5) 現場で市民社会と協力する。

DGCID は既に現場レベルで NGO や現地政府との協力関係を有するが、非政府レベル

での協力を DGCID のミッションの一つとして掲げることにより、市民社会との協力を尊

重する意思を対外的に示したいとしている。 (6) 多国間援助機関との関係を強化する。

EU、世界銀行、国連機関、地域開発銀行等の多国間の開発機関を DGCID のパートナー

と考える。国際機関との関係強化に向けて、DGCID 内に多国間協力ユニットを設置して

いる。 (7) システムの近代化を図る。 現在、外務省の組織再編プロセスにある。外交と国際協力の連携に関わる様々な課題が

残されており、システムの近代化努力の継続が求められている。 なお、冷戦後はアフリカにおける紛争が質的に変化し、民族紛争が激化する等、従来型

の二国間の文脈によるフランス語圏諸国への取り組みではコスト負担が大きくなってきて

いる。従って、近年になって、多国間の枠組みを活用する等、新たな方策を模索しつつあ

る。また、複雑で非効率な援助実施体制の見直しおよび改革が実施され、1998 年における

見直しを経て、99 年 1 月から新たな体制が開始された。なお、金額面では 94 年をピーク

に、減少の一途にある。2000 年の援助削減幅は特に大きかったが(図表 A1-3-5①)、これ

は DAC リストの改訂によって、ODA 対象国の第 1、第 2 位であった仏領ポリネシアおよ

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A1-40

びニューカレドニア向け援助が ODA としてカウントされなくなったことに拠る56。 近年、テロ後の国際環境の変化を受けて、2002 年にシラク現保守政権は 2012 年までに

ODA の対 GNP 比 0.7%を目指すことを宣言した。また、2007 年に ODA の 50%増額する

ことを政府目標に据えている57。

図表 A1-3-1:フランス援助の歴史的変遷 時代 主な特徴 1945 年~50 年代 植民地支援

対象国はフランス語圏アフリカ中心 1960 年代 植民地の相次ぐ独立の後、旧植民地諸国への協力によるフラン圏の構

築を目指す 1970 年代 援助対象国の拡大 1980 年代 技術援助、教育に重点

アフリカ貧困国向けの譲許性貸付による債務を全額削減(89 年) 1990 年代~ フランス語圏アフリカとの関係の近代化

伝統的介入主義の見直し、新たな関係構築の模索、対アフリカ政策に

おいて多国間枠組みの活用 3.3 開発援助に係るプレイヤーの分析 (1) 政策立案者・政策実施者 フランス援助実務は長年に渡って多くの省庁が関与してきたため、縦割行政による調整

不足等の弊害が指摘されてきた58。DAC のレビューにおける援助体制見直しの要請を受け

て、1998 年に援助実施体制が再編され、効率性および透明性が高まったと言われている。

再編による開発援助所管官庁の変遷は、図表 A1-3-2,3 のとおりである59。再編後は主に、

外務省と経済・財政・産業省の 2 つの省を中心とする援助体制に整理された。

(a) 外務省 国際協力・開発総局(General Department for International Co-operation and Development:DGCID) 国際協力・開発総局(DGCID)は、1998 年の外務省と協力省の統合の結果、外務省内

に新設された国際協力担当部門である。フランスの外交政策である「影響力と連帯」を国

際協力・開発の場で追求する機関として、国際協力予算の策定および政策立案の権限を有

している。 DGCID 内には所轄する業務内容に沿って、「技術協力・開発局」、「文化協力・フランス

語局」、「科学・大学・研究協力局」、「視聴覚・通信技術局」の 4 つの局および、「地域コ

ーディネーション部(この下にヨーロッパ、アフリカ・インド洋等の 6 つの地域業務を管

轄する課が存在する)」、「戦略・手法・評価部」が存在する。さらに、近年のフランス政府

によるパートナーシップ重視の姿勢を反映させて、「NGO 協力部」、「多国間協力部」を有

している。

56 外務省、前掲書。 57 外務省、前掲書。 58 DAC (2000) DAC Aid Review of France: Summary and Conclusions. 59 外務省、前掲書参照。

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図表 A1-3-2:援助実施体制(再編前)

担当省庁 担当業務 外務省 (多国間)国連機関

無償資金協力、技術協力(協力省と共管) 協力省 旧植民地諸国向け二国間援助を管轄

無償資金協力、技術協力(外務省と共管) 経済・財政・産業省 旧植民地以外の国向け二国間援助を管轄

混合借款(有償資金協力、無償資金協力) (多国間)EU や国際開発銀行等。

フ ラ ン ス 開 発 公 庫 ( Caisse françaises de développement :CFD)

プロジェクト型資金協力と構造調整融資。 対象国は旧植民地諸国が中心 有償資金協力主体の業務を行っていたが、後に HIPC 対策

として無償資金協力も担当。

図表 A1-3-3:援助実施体制(再編後) 担当省庁 担当業務 外務省

外務省と協力省の統合により、外務省内に国際協力・開発

総局(DGCID)を設立。外務大臣と別に開発担当国務大臣

が存在。 途上国・先進国双方を対象に国際協力業務(文化、科学、

開発)を担当。開発援助(有償資金協力、無償資金協力)

に加え、人道援助、仏語圏への協力、軍事協力も管轄。優

先連帯地域(ZSP)向け無償資金協力のため基金として優

先連帯基金60を保有。 (多国間)国連機関への出資・拠出。

経済・財政・産業省

旧植民地以外の国を管轄。 有償資金協力が中心だが、無償援助(技術協力)も実施る。

(多国間)EU や国際開発銀行等への出資・拠出。 省庁間国際協力開発委員会(Comité interministériel de la coopération internationale et du développement:CICID)

再編によって新たに設立された、首相および関係閣僚が参

加するハイレベルな政策決定機関。 援助目的の設定、開発協力に係る省庁間調整等を行う。 外務省、経済・財政・産業省が事務局を努める。

フランス開発庁(Agence française de développement:AFD) (CFD からの改編)

包括的な援助実施機関。 外務省および経済・財政・産業省の共同管轄下で、主に

ZSP 向けプロジェクトの立案・実施を担当。贈与、市場金

利または譲許性の高い有償資金協力、債権引き受け、保証、

出資を管轄。旧協力省によるインフラ業務も移管されてい

る。 AFD 下に投融資スキームを担当する機関として

PROPARCO を設置。 国際協力高等評議会(Haut conseil de la coopération internationale)

民間部門、NGO 等との協議の場。 官民相互の連携促進および情報公開を目的とする。

60 優先連帯基金(Fonds de solidarite prioritaire:FSP)は旧協力省では「援助協力基金」(Fonds

d’assistance et de cooperation:FAC)と呼ばれていた。

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(b) フランス開発庁(Agence française de développement:AFD) AFD は、途上国およびフランスの海外県・海外領土61に対する開発援助実施機関である。

2002 年 3 月に AFD の監査会(Supervisory Board)が、AFD 業務のロードマップとなる

Strategic Orientation Plan を承認したが、そこではレバレッジ効果を 大限に発揮でき

るように、他の金融機関、民間セクター、市民社会とのパートナーシップを強化しながら

活動を行っていく方針が示されている62。また、全途上国に対して薄く広く支援を提供す

るのではなく、選択的に ODA を供与する方針を打ち出している。つまり、途上国および

海外県・海外領土に対するフランスの外交政策上の関心事項(安全保障、平和、安定、移

民、世界規模での公共の利益、フランスの影響力の強化)を反映させて、選択的に行う必

要があるとしている。具体的には、優先連帯地域(Priority Solidarity Zone:ZSP63)や

フランスの海外県や海外領土を中心にフランスの比較優位が広く認められ、フランスの専

門性が もインパクトを持って適用できる地域に限定したいとしている。選択性は地理的

配分だけでなく、セクターについても適用したいとしている。例えば、今後とも海外県お

よび海外領土において集中的な協力を行う分野として、教育および保健が挙げられている。 なお、AFD は子会社として PROPARCO と呼ばれる金融機関を有する。AFD の業務対

象地域において、OOF ベースで、民間銀行では対応できない民間企業およびプロジェクト

への融資および出資を実施する64。 (2) 民間セクター・NGO フランスの NGO は、人道援助および開発援助に積極的である。フランス NGO による

援助活動はキリスト教団体を中心とした開発援助から始まったが、80 年代に入って、アフ

リカにおける難民問題の深刻化に伴って、人道目的の緊急医療援助に重心が移っていった。

90 年代以降は、国際機関やドナー機関による緊急支援の実施部隊として、政治と深い関わ

りを持つ活動を続けている。このような業務の拡大の背景には、資金調達方法の変遷も存

在する。60 年代はキリスト教教会からの寄付が中心であったが、次第に個人からの寄付金

を集めるようになり、80 年代に入るとメディアキャンペーンを利用した企業からの大規模

な寄付金集めが主流となり、現在では国際機関からの拠出にも頼っている。ここでは、フ

ランスを代表する NGO である「国境なき医師団」について解説する。

国境なき医師団65 1971 年に設立された緊急医療援助を専門とする NGO である。現在では、日本を含む世

界 18 ヶ所に支部を持つ国際 NGO となっており、年間約 3,000 人に及ぶ医師、看護師、助

産師が約 80 の途上国で医療活動に従事している。本部は存在せず、それぞれの支部が独

立した活動を行いながら緩やかなネットワークを形成しつつ活動する形態を取っている。

61 海外県:グアドループ、マルチニーク、仏領ギアナ、レユニオン、マヨット島、サンピエールミクロ

ン諸島。海外領土:ニューカレドニア、仏領ポリネシア、ワリスフテュナ諸島。 62 UFJ 総合研究所 (2003)『各国の有償資金協力の現状及び今後の見通しに関する調査報告書』。 63 1998 年の援助体制改革とともに定められたフランス援助の重点的実施地域。後述。 64 UFJ 総合研究所、前掲書。 65 MSF ホームページ参照。

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大規模な医療活動を支えるために、物資輸送・管理を行う「ロジスティックセンター」、疫

学専門研究所「エピセンター」を有するのが特徴である。

3.4 開発援助政策の実施方針 (1) 重点対象国・地域

1998 年の援助体制再編の際に、貧困国に対してより選択的に二国間援助を行うために

ZSP が設定された。市場からの資金調達が困難なアフリカ諸国および貧困国が ZSP に選

定され、優先的に援助が供与される。ZSP リストは固定的なものではなく、CICID が毎年

レビューを行い、柔軟に変更を加える。1999 年当初は 61 カ国であったが、2002 年 2 月

現在、アフリカ、中東、アジア、太平洋、カリブ海地域から 54 カ国が ZSP に選定されて

いる(図表 A1-3-4)。この内、30 カ国が LDC である。また、ZSP に選定された諸国に対

する贈与、プロジェクト、機材・研修プログラムの実施に対して複数年に渡る資金調達を

行う基金として、連帯優先基金(Priority Fund for Solidarity:FSP)が設置されており、

国家による法の統治、グッド・ガバナンス、地域統合、HIV/AIDS、環境保護、研究支援、

文化促進、地方分権化が優先支援分野とされている。 現在のフランス援助は、ZSP またはフランスの海外県・海外領土の何れかが援助対象と

なっている。後者はフランスの政治、経済、技術、文化面の影響が強い地域であり、フラ

ンスのプレゼンス維持・強化が援助供与の主目的である。

図表 A1-3-4:優先連帯地域 (2002 年 2 月現在) 地域 国名 北アフリカ アルジェリア、モロッコ、チュニジア サブサハラ・アフリカ インド洋

アンゴラ、ベナン、ブルキナファソ、ブルンディ、カメルーン、

カーボベルデ、中央アフリカ共和国、チャド、コモロ、コンゴ、

コートジボアール、コンゴ民主共和国、ジブチ、赤道ギニア、エ

リトリア、エチオピア、ガボン、ガーナ、ガンビア、ギニア、ギ

ニアビサウ、ケニア、リベリア、マダガスカル、マリ、モーリタ

ニア、モザンビーク、ナミビア、ニジェール、ナイジェリア、ル

ワンダ、サントメプリンシペ、セネガル、シエラレオネ、南アフ

リカ、スーダン、タンザニア、トーゴ、ウガンダ、ジンバブエ ラテン・アメリカ スリナム アジア カンボジア、ラオス、ベトナム カリブ海 キューバ、ドミニカ共和国、ハイチ 太平洋 バヌアツ 中東 レバノン、パレスチナ領、イエメン

フランス語圏諸国を支援しようとするフランスの外交的関心は、援助の地理的配分に反

映されている。DAC のレビューでは、フランスの二国間援助は貧困国に十分に向けられて

いないと指摘されている66。援助受取国トップ 10 の中に貧困国は 4 ヶ国(マダガスカル、

コートジボアール、カメルーン、セネガル)しか含まれておらず、うち LLDC は 1 カ国(マ

66 1998 年の LLDC 向け援助は 22%で、DAC 平均の 24%を下回っていた。DAC (2000) Development

Co-operation Review of France: Summary and Conclusions.

Page 45: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-44

ダガスカル)のみである。また、トップ 10 の諸国に非常に傾斜的に配分されており、総

額の 56%を占める。残りの 44%が 130 カ国以上に配分された67。 援助内容は、地域のニーズとフランスの関心に応じて多様である。以下に(a)サブサ

ハラ・アフリカ、(b)北アフリカ・中東、(c)アメリカ・カリブ海地域、(d)アジア・オ

セアニア、(e)ヨーロッパに分けて、DGCID の活動方針を詳述する68。なお、DGCID の

活動は組織再編後、途上国向けの援助業務に限らず、先進国を対象とした研究交流等の国

際協力業務も包含しているが、ここでは対途上国協力に限定して記述する。 (a) サブサハラ・アフリカ フランス政府は、フランス語圏である旧植民地サブサハラ・アフリカ諸国を歴史的に重

要視してきた。フランスの他にも英国、ベルギー、イタリア、ポルトガル、スペイン、ド

イツが過去にアフリカを植民地としたが、それらのヨーロッパ諸国の中でフランスが唯一

アフリカに大きな影響力を有した国であり、また今日に至るまでその影響力維持に努めて

いると考えられている69。このようにアフリカはフランス外交において重要な地位を占め、

その外交手段として採用したのが経済協力と軍事協力・軍事的プレゼンスであった(軍事

面については後述する)。 経済協力に関しては、今日では FSP、技術協力、AFD による援助プログラムが重点的

に供与されている。2001 年現在、FSP の 55%、DGCID の地理的予算の 37%が同地域で

実施されている。貧困削減や持続可能な開発の促進に加えて、同地域との連携促進を援助

目的に据えている。援助実施に当たってフランス政府は、国境を越える問題、新しいタイ

プの犯罪の拡大、感染症、人口増加、経済成長、天然資源の管理をアフリカ諸国との共通

の課題として想定している。近年の当地域での活動は、ベーシック・ニーズの充足(特に

保健、教育、社会的不公平の削減、性差による差別の低減)、民主主義の推進と政府の役割

の促進(地方分権化、市民社会とのパートナーシップの強化を含む)、拡大 HIPC イニシ

アティブによる債務削減支援と二国間の債務削減努力、コンゴ等における平和構築支援、

コートジボアール・ジブチ・中央アフリカ共和国等のフランス語圏アフリカ諸国における

紛争解決が中心である。さらに、アフリカの地域統合への支援も行っている。

(b) 北アフリカ・中東 同地域にはフランス語諸国が多く含まれるため、前述のサブサハラ・アフリカに次いで

多くの援助が供与されている。DGCID 予算の 20%が配分され、NGO や文化・芸術団体、

大学、研究所等への支援も多く行われている。この地域では法の統治、教育・職業訓練改

革、保健、基礎インフラの整備等が行われている。また、ハイレベルな科学者間の交流、

フランス語およびフランス文化の推進も進められている。 (c) アメリカ・カリブ海地域

67 DAC, op.cit. 68 DGCID (2002) Action in 2001: Annual Report on the Activities of the General Department for

International Co-operation and Development, pp.12-26. 69 片岡貞治、前掲書。

Page 46: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-45

中南米では、若年層との連携促進および、文化的多様性の推進を目的に活動を行ってい

る。2001 年度は DGCID 予算の 11.5%が同地域に向けられた。科学・技術および大学レベ

ルでのトレーニングに重点が置かれており、パートナーシップの強化および協調融資によ

るプロジェクト実施が進められている。同地域で唯一のフランス語圏でありかつ ZSP でも

あるハイチに対しては、生活水準の向上支援に加えて、フランスの影響維持に焦点を置い

た活動が行われている。 (d) アジア・オセアニア

フィリピンやマレーシア等の東南アジア諸国に対しては、交流の促進と影響力の強化を

目指して、調査研究の実施およびフランス語高等教育の推進が目指されている。フランス

語を公用語とし、ZSP に選定されているカンボジアとラオスにおいては、行政組織の再建、

マネージメント、医学、行政、農業技術、エンジニアリング等の分野における教育および

職業訓練システムへの支援を行っている。 (e) ヨーロッパ

ヨーロッパの統合はフランスの外交政策上の重要課題であるため、2001 年には DGCID予算の 20%が配分された。域内先進諸国とは高等教育レベルでのネットワークの強化が目

指されたが、中央ヨーロッパ諸国に対しては法律、国内問題、金融、農業等の分野におけ

るフランスの影響力強化を目指した支援が行われている。特に、NIS 諸国の安定がヨーロ

ッパの安定に与える戦略的重要性を鑑みて、ソ連の影響の強さ、国家アイデンティティ確

認の必要性、財政的困難といった課題に直面しているこれらの諸国に対して、政治的、経

済的な移行プロセスを支援している。同地域ではロシアが 優先対象国であり、国家規模

からウクライナがそれに続く。 (2) セクター これまで外交政策とより直結した DGCID の業務を概観したが、 後に実施機関である

AFD の業務を通して近年のフランス援助の重点支援セクターを概観する。近年 AFD は地

理的、分野的により選択的に援助を実施していく方向性にあり、これは 2002 年に採用さ

れた Strategic Orientation Plan においても明記されている。それを受けて、2002 年の実

績としては「土地使用計画、インフラ、都市開発」のシェアが も高く、(全コミットメン

トに占める割合 44%)、「農村開発、環境」(23%)、「人材育成、教育、保健」(11%)がそ

れに続いた70。また、プロジェクト実施において選択性を高めたことにより、プロジェク

ト 1 件当たりの平均額が増加している。 (3) 開発援助手法 フランスは、開発援助手法として以下のスキームを有する。 • 有償資金協力 • 無償資金協力 • 技術協力

70 AFD (2002) Annual Report 2002.

Page 47: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-46

• プロトコール・ローン • 純商業性の融資、保証、出資(OOF スキーム) 無償資金協力は低所得国または 貧国を中心に供与されているが、有償資金協力につい

ては対象国の所得に応じて複数のスキームを有している。中所得国および政府保証付きの

公的企業を対象とした通常条件貸付(金利 2.5%、期間 17 年、据置 6 年)、中高所得国を

対象とした通常条件貸付(金利 5%、期間 11 年、据置 5 年)、 貧国を対象とした特別条

件貸付(金利 0.5%、期間 17 年、据置 6 年)がある71。フランスが融資を活用する理由と

しては、贈与の予算が小さいために比較的コストの低い融資を活用する必要があることと、

返済の必要性があることによって、被援助国でクレジット文化の基盤を形成できることが

指摘されている72。さらに、民間資金を引き出すためのレバレッジとしての役割も期待し

ている。なお、従来、フランスの融資対象国であったコートジボアール、カメルーン、ガ

ボン、コンゴ、コンゴ民主共和国、モザンビーク等が HIPC となったため、融資適格国が

減少し、それに沿って融資実績も減少の一途にある73(図表 A1-3-5①)。 準商業ベースの貸付としては、AFD 本体が実施するものに加えて、PROPARCO による

民間企業向けの市場金利に近いベースでの貸付もある。また、既述のようにフランス語お

よびフランス文化の浸透を主要な援助目的に据えていることから、その援助手段として技

術協力を重視しており、二国間援助に占める技術援助の割合は 50%近くを占める(図表

A1-3-5①)。 多国間援助については、国連の活動を支持しているものの、伝統的にフランス語圏アフ

リカを中心とする二国間関係を重視してきたことから、多国間援助の比重はあまり高くは

なかった。しかし、冷戦後のアフリカで民族・地域紛争が激化するに従って、従来型の二

国間関係をベースに「アフリカの憲兵」としてフランス一国で対アフリカ政策を組み立て

ようとしていた対処方針を見直し、多国間の枠組みを活用しようとする気運が高まってい

る。実績の上でもその傾向が現れており、多国間援助の割合が少しずつ上がりつつある。 他の援助機関との協調融資を通したパートナーシップの強化も進めており、国際機関で

は、世界銀行、アジア開発銀行、米州開発銀行、欧州投資銀行等と協調融資の実績を有し

ている。バイのドナーとの協調も進んでおり、ドイツの復興金融公庫(KfW)と相互委任

協定を締結し、援助事務およびセクター業務における連携の強化を図っている。2003 年 3月には JBIC とも業務協力に係る覚書を締結し、開発協力、協調融資、各種調査について

情報交換を行うための定期会議の開催と対話の促進を目指している。特に AFD がアフリ

カで豊富な経験を有しているのに対して、JBIC はアジアを重点としており、相互の特性

を活用した補完関係の構築を目指すとされている。

71 国際協力銀行 (2003)『国際協力便覧 2003』。 72 UFJ 総合研究所、前掲書。 73 同上。

Page 48: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-47

フランスは、債務削減に積極的な国の一つであり、パリクラブ事務局の役割をも担って

いる。しかしながら一方では援助ローンも供与しており、その効果的活用への関心は深い

(ケルン・イニシアティブについては日本と共に 後まで反対した)。1989 年には、アフ

リカの 貧国 35 カ国に対して、譲許性貸付による債務の全額削減を決定し、債権放棄を

行った。HIPC イニシアティブによって新たに生じた債務は 100 億ユーロに上っている。

二国間の枠組みでは、2000 年に HIPCs に対する「債務免除と開発の契約(C2D)」によ

り当該国政府からの返済額に相当する金額を AFD が政府の現地口座に保健や社会セクタ

ーにイヤーマークされた無償資金を供与する枠組が構築された74。 また、2002 年 1 月より低開発国向け ODA は完全アンタイド化され、2002 年 2 月には

投資関連技術協力について、低開発国のみならず AFD のプロジェクト援助および FSP で

カバーする国(ZSP)を対象にアンタイド化を決定した。

74 初の契約は 2001 年 11 月モザンビークと締結された。

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A1-48

図表 A1-3-5:フランスの概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)ODA無償・技術協力ODA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-500

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

0.8

0.9

1

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows", World Bank(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

9,000

1976 1981 1986 1991 1996 2001年

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑥OA供与額(援助形態別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)

OA無償・技術協力

OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

9,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑧ODA供与額(対象地域別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

不特定LDC

オセアニア

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

アフリカ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

Page 50: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-49

図表 A1-3-5:フランスの概況(続き)

⑩ODA供与額(セクター別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

3,500

4,000

4,500

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル

その他

緊急支援

債務削減

プログラム支援

マルチセクター

生産セクター

経済インフラ

社会インフラc

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑪OA供与額(セクター別)

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

その他

緊急支援

債務削減

プログラム支援

マルチセクター

生産セクター

経済インフラ

社会インフラ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

50,000

100,000

150,000

200,000

250,000

300,000

350,000

1980 1985 1990 1995 2000 年

百万フラン

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカ

アジア ヨーロッパ

中東 西半球

その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑨援助(ODA・OA)供与

0

1000

2000

3000

4000

5000

6000

7000

8000

9000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル その他10) コンゴ9) マダガスカル8) アルジェリア7) ポーランド (OA)6) セネガル5) モロッコ4) カメルーン3) エジプト2) 仏領ポリネシア (OA)1) ニューカレドニア (OA)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

⑮海外直接投資額

0

50,000

100,000

150,000

200,000

250,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万ユーロ

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

Page 51: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-50

図表 A1-3-5:フランスの概況(続き)

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

500

1000

1500

2000

2500

3000

3500

4000

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002

百万米ドル

その他

低所得国

低位高所得国

高位低所得国

高所得国

SIPRI (2003) より作成

⑳外国人流入者数

0

10

20

30

40

50

60

70

1984 1989 1994 1999 年

千人 モロッコアルジェリアトルコチュニジア米国ハイチ中国ポルトガルスイススリランカ日本前ユーゴスラヴィアロシア連邦ルーマニアコンゴ民主共和国その他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

(21) 外国人居住者数

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1982 1990 1999 年

千人ポルトガル

モロッコ

アルジェリア

トルコ

イタリア

スペイン

チュニジア

前ユーゴスラビア

カンボジア

ポーランド

セネガル

ヴェトナム

ラオス

その他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

⑯国防支出

32,000

33,000

34,000

35,000

36,000

37,000

38,000

39,000

40,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

100

200

300

400

500

600

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

1990年 (千人)

ポルトガル 649.714モロッコ 572.652アルジェリア 614.207トルコ 197.712イタリア 252.759スペイン 216.047チュニジア 206.336旧ユーゴスラビア 52.453カンボジア 47.369ポーランド 47.127セネガル 43.692ヴェトナム 33.743ラオス 31.803その他 631

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A1-51

図表 A1-3-6:フランスの分野別主要事項年表(1):1945-74 年 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<大統領>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

フランス

世界

'49仏越協定

'49NATO

'48フラン切り下げ

'46-54インドシナ戦争

'52ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立

'58ヨーロッパ経済共同体(EEC)結成

'60核実験

'59 ド・ゴール(第5共和制~)

'68五月革命

'69 ポンピドゥー

'46新憲法

'54-62アルジェリア戦争

'49ラオス独立承認

'56スエズ出兵

経済復興進む

政治的不安定

'48OEEC発足マーシャル・プラン受入

'52チュニジア民族運動弾圧

'55ヨーロッパ通貨協定

'56モロッコ・チュニジア独立

'58第5共和制憲法

'60 OEEC改組OECDに

'63仏西独協力条約

'64中国承認

'66仏ソ共同宣言

'66NATO脱退

'65人工衛星打ち上げ

'66ムルロア環礁核実験

'68パリ大学学生デ

'68ムルロア環礁水爆実験

'68コンコルド音速突破

'71仏ソ新経済協力協定

'73北ベトナムと援助協定

'73共同変動為替制に移行

'44自由フランス中央金庫を海外フランス中央金庫に改組

'60海外フランス中央金庫を経済協力中央金庫(CCCE)に改組

'62セネガル派兵

'50 コロンボプラン発足

'50 クレディナショナル中期輸出金融業務開始

'58アルジェリア開発投資基金設置

'58援助協力基金(FAC)設置

'58海外県投資基金(FIDOM)

'63ジャンヌネ報告

'47オリオール '54 コティド・ゴール

'57フラン切り下げ

'65EC条約調印

'69フラン切り下げ

'71東独と国交樹立

インフレ貿易赤字

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足 '47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバーゲン報告

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

'48西ヨーロッパ連合

Page 53: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-52

図表 A1-3-6:フランスの分野別主要事項年表(2):1975-2003 年

75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<大統領>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

フランス

世界

'95ムルロア環礁地下核実験

'95 シラク'74 ジスカールデスタン '81 ミッテラン

'75ロメ協定

'76仏ソ友好協力宣言

'76広告文等外国語使用禁止法

'76共同変動為替制再離脱

'78ムルロア環礁被爆者問題を否認

'78EC新通貨制度決定

'79仏ソ共同コミュニケ

'79ムルロア環礁核実験場事故

'81死刑廃止法

'81TGV運転開始

'82企業国有化法

'82パレスチナ国家支持

'84仏西独軍事協力協定

'84ニューカレドニア一方的独立宣言

'86英仏トンネル計画合意

'86パリで爆弾テロ多発

'87対イラン断交

'92マーストリヒト条約発効

'93EC統一市場発足

'93移民規制法

'93欧州通貨機関発足

'94ユーロトンネル開通

'97移民規制法強化

'97総選挙で社会党圧勝

'99ユーロ発足

'92CCCEをフランス開発金庫(CFD)に改組

'98援助体制の再編外務省と協力省の統合

'94ルワンダ派兵

'77共産党のユーロコミュニズム宣言

'89フランス革命200周年祭

'93貿易収支の黒字転換

貿易赤字

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化 ベルリンの壁崩

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

'96イスラム過激派爆弾テロ

'03イラク戦争反対

'01ユーロ流通

'81仏及び仏語圏アフリカ首脳会議

'92CFDをフランス開発庁

(AFD)に改組

'00ミレニアム開発目標

'99ケルンサミット

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A1-53

4 ドイツ 4.1 開発援助の歴史的経緯

1960 年代までのドイツの開発協力(Development Cooperation)75は、いわゆる「東西

援助合戦」の中で途上国の東側陣営への参画を阻止するという目的に用いられた。1955年に発表されたハルシュタイン・ドクトリン(Hallstein- Doktrin) 76と呼ばれる対途上

国外交の外交原則においては、東ドイツを国家承認した国に対する外交関係の断絶と援助

供与の中断が表明されている。経済協力省(Bundesministeriun für wirtschaftliche Zusummenarbeit: BMZ) もドクトリンの公表に際し、「ドイツは政治的に特殊な状況に

置かれており、ドイツ国家の統合は全国民の希求するところである。従って、ドイツのこ

れまでの開発協力政策も、このような状況に影響されてきたことはいうまでもない。連邦

政府としては、開発協力政策を通じ、このドイツの道義が発展途上国に理解されるように

努力していく」旨を表明し、開発協力政策が冷戦外交の直接的手段として用いられること

を認めている77。もっとも、実際に援助が「東側陣営の拡大阻止」という政策目的に対し、

制裁的に用いられたケースはさほど多くはない78。援助は直接的な制裁手段としてよりも、

援助供与対象の拡大による友好関係の醸成というソフトなアプローチの手段として用いら

れる傾向の方が強かった79。 1970 年代に冷戦構造がデタント期に入ると、ドイツは東側との緊張緩和を図ることで長

期的な統一ドイツ問題の解決を目指す、いわゆる「東方外交(Ostopolitik)」へと外交戦

略をシフトさせ、開発協力政策もこの外交目的の重要な手段と位置付けられることになっ

た。ヴィリー・ブラント政権(1969 年~1974 年)下では、ソ連、東欧諸国への援助拡大

が意欲的に図られ、その後、デタントの揺り戻しで冷戦の緊張が高まった時期においても、

対ソ連・東欧援助は続行された。一方で途上国に対しては、引き続き非同盟を求める援助

が行われた。 その後 1989 年に東西ドイツの統一が果たされ、冷戦が終結すると、旧東側陣営に対す

る開発協力政策は、次は旧ソ連・東欧諸国の「ドイツ化」という政策目標の下に遂行され

るようになった(コラム A1-4 参照)。これらの地域への支援は、すなわち、EU 統合と EUを機軸とした域内安全保障体制の構築に向けた支援でもあった。同時に、冷戦期に共産圏

諸国から軍事援助を受けてきた途上国に対しては、非軍事化促進のためにも援助が活用さ

5れるようになった。1991 年の国連総会でゲンシャー外務大臣が軍備拡大政策を取る途上

国を非難し、援助供与の凍結の可能性を示唆したのに続き、翌 1992 年には、経済協力大

75 ドイツ政府は援助を一貫して”Development Aid”や”ODA”ではなく、”Development Cooperation”と呼

んでいる。 76 当時の外務次官ワルター・ハルシュタインの名に因んで呼ばれている。 77 加藤浩三 (1998) 『通商国家の開発協力政策-日独の国際的地位と国内制度との連関-』木鐸社。 78 1955 年から、同ドクトリンが廃止された 1972 年までの 15 年間のうち、制裁措置が取られたのはユー

ゴスラビア(1957 年)、キューバ(1963 年)、セイロン(1964 年)、タンザニア(1965 年)、エジプト

(1965 年)の 5 カ国のみであった。 79 一方で、当時の西ドイツの経済力を勘案した場合、ドクトリンは途上国に援助中断へのリスクを喚起

する「潜在的な制裁」として機能していたとも見ることができる。これに関しては、例えば 1950 年代

のドイツの対インド援助が、インドの中立維持を導いたという指摘もある。加藤、前掲書、p.103。

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A1-54

臣が具体的に、インド、中国、インドネシア、パキスタン、モロッコなどに対する援助削

減の可能性を公表している。

【コラム A1-4:「ドイツ化」支援】 冷戦終結後、ドイツは隣国である旧ソ連・東欧諸国へ向けた援助を積極的に行っている。

過去 10 年間の援助供与額上位国を見ると、1 位にロシア、3 位にポーランド(いずれも OA)

がランクされていることは、冷戦後のドイツ開発協力の特色を如実に示している(図表

A1-4-7⑨)。 ドイツがこれら旧東側諸国に向けて打ち出した政策が、「ドイツ化」支援政策である。当該諸

国が東ドイツの経験を活かして市場主義経済化を進め、将来的にヨーロッパ地域経済統合に参

画することを推進する政策で、例えばドイツ復興金融公庫(KfW)では、1993 年から

“TRANSFORM Programme”を実施している。これは中央・東ヨーロッパの移行経済国の民主

化と社会市場経済化に向けたコンサルティングサービスを提供するスキームで、「高度な競争と

広範な社会保障システムに特徴付けられる社会市場経済システムの成功モデル」と「ドイツ復

興と再統合時の経験」、「(ドイツ的)連邦国家制度」がコンサルティング内容の基本になるとさ

れている。 KfW ホームページ http://www.kfw.de

ドイツの開発協力政策は、国際情勢に対応した時々の外交政策目的の直接的手段として

活用されてきたと同時に、ドイツ国内経済に還元される商業的目的に向けた手段としても

継続的に用いられてきた。ドイツ開発協力の「商業主義」的要素はしばしば指摘されると

ころであるが、この「商業主義」の中で特に重点が置かれてきたのは、「公的資金と民間投

資・貿易との連関」である。BMZ は 1960 年代初頭に「民間による開発協力が現実であり、

政府の政策はその現実的な方向性に追従するものである」と述べており、「民間資金を主体

とした経済発展」に関する基本的な考え方は、現在まで継承されている。この認識の下、

開発協力は、民間輸出の振興と、不況時の経済刺激策や雇用確保に向けた衰退産業支援な

どの政府の市場補完的な経済政策の実施に役立てられてきたのである80。 このように、ドイツの開発協力はその開発協力法(Entwicklungshifegesetz)に規定さ

れている通り、ドイツの政治的・経済的国益の実現の手段として位置付けられてきたと言

える。一方で、開発協力政策の目的が、キリスト教の価値観に基づく普遍的人道的理念の

追求にも置かれてきたという側面を忘れてはならない。その背景となる理念が国際社会に

おける「国際社会的市場経済の構築」という考え方であり、これは市場経済体制を取りな

がら社会的公正を達成する「福祉国家ドイツ」の理想を国際社会全体に広げていくことで、

平等な世界を達成しようとする思想である。ドイツの開発協力政策の形成においては早期

から教会の果たす役割が重視されており、開発協力政策は、教会が政策策定に対して持つ

強い影響力を受けて、一貫して人道主義的な目的の達成を重視してきた81。 以上のような「国益の達成」と「人道主義」の共存は、政府政策文書にも明示的に示さ

れてきている82。

80 ドイツの開発協力が民間貿易・投資の促進に用いられてきた背景には、従来から非先進工業国との結び

つきが強いドイツの経済構造の特色がある。加藤前掲書。 81 アデナウアー首相は 1960 年、開発協力における教会の役割重視の方向を明言している。 82 歴代の政策文書には、「開発政策のコンセプション」(1971、1972、1973 年)、「25 のテーマ」(1975

年)、「17 のテーマ」(1979 年)、「開発政策の基本的側面」(1980、1986 年)がある。加藤前掲書、p.87。

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A1-55

4.2 近年の開発援助政策 近年の開発協力政策においては、開発協力の外交への活用という側面が強まっている。

ドイツの安全保障政策は 90 年代前半に自衛から危機管理型へと転換され、EU や NATOなどの多国間機構を機軸として連邦軍の PKO 派兵が行われるようになり、開発援助も紛

争予防の政策手段として積極的に用いられるようになったのである83。特に 9.11 以降のテ

ロ対策政策においてこの傾向は顕著である。対テロ問題で軍事的手段の行使に否定的だっ

たドイツは、開発による平和構築を打ち出したのである。 BMZ 担当大臣は、「包括的な平和と安全保障政策アプローチ」という声明を発表し、こ

の中で「ドイツ連邦共和国政府にとって、開発協力政策は包括的な平和と安全保障政策の

一環である。それは、世界の未来を保証する礎石となる。」と述べ、途上国政府の民主化、

正義と連帯の促進、貧困への闘いを通じて暴力の源泉をなくし、テロリズムに立ち向かう

こと、中東の紛争解決とアフガニスタンの復興に寄与することを表明している84。その上

で開発協力の具体的な指針としては、全ての二国間、多国間の協力資金の調和的な運用が、

持続的、人道的な開発と貧困削減の成功に不可欠であること、更に、短期国際資金フロー

にかかる税収を財源とした「世界連帯基金」のような革新的な資金調達の可能性を検討す

る必要があることなどが示されている。 貧困削減の重視に関しては、2001 年 4 月に連邦政府が発表した「貧困削減-グローバ

ルな責任実行計画 2015」(Poverty Reduction- A Responsibility Program of Action 2015 The German Government’s Contribution towards Halving Extremely Poverty World Wide)において、ドイツの開発協力政策の上位目標が世界の貧困削減にあることが示され、

MDGs 達成に向けた支援優先分野 10 項目が掲げられた。また 貧国への債務削減、援助

配分の増加に加え、援助の GDP 比を 2006 年までに 0.33%まで増額する方針も打ち出さ

れている(援助額の対 GDP 比は 2001 年時点で 0.2%、図表 A1-4-7③参照)。 BMZ が 2003 年度に示した開発協力の全般的な政策目標は以下のようなものである。

開発協力政策は、世界中の全ての地域に住む人々に、グローバリゼーションと、

東西の分断によってひとたび固定された政治的イデオロギーの消滅から生じた機

会の活用を助けることを目的としている。我々は、ひとつの地域や集団が阻害さ

れることを防がなくてはならない。この目的の追求のために、我々の政策は、確

固たる将来に対する我々自身の関心と、社会正義の原則、そして必要とする人々

を助ける我々の責務とを、公平に秤にかけて策定されるものである。世界中のど

の地域も、他の地域なくしてはその生存を確保し、未来を築くことはできない。

全ての地域が、将来の世代の生存を保証する責任を分担するグローバルな共同体

の一部として行動しなくてはならない。これが、我々の政策が依拠する持続可能

な開発である。…

83 ドイツの安全保障政策の転換と開発援助政策への影響については、第 1 章(1.5.1)参照。 84 BMZ ホームページ http://www.bmz.de/

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A1-56

このようにドイツは、平等な世界の達成という理想主義と現実的な自国の利益とを共存

可能なものとして捉え、開発協力政策を通じて双方の具現化を目指そうという方針を維持

している。

図表 A1-4-1:ドイツ援助の歴史的変遷 時代 主な特徴 1960 年代 東西援助合戦による途上国の西側陣営への

取り込み 1970 年代 デタント期東側陣営への支援 1980 年代後半~ 旧ソ連・東欧の「ドイツ化」支援 2001 年 対テロ対策、紛争予防開発

商業主義と人道主義

の両立

4.3 開発援助に係るプレイヤーの分析 (1) 経済協力省(BMZ)とその他の省庁 ドイツの開発協力政策では、経済協力省(BMZ)が援助プログラムの財政および技術に

関する総合的な責任を負っており、援助政策の策定から国際機関、他ドナーおよび NGOとの連携までがここで行われている。

BMZ は ODA 予算の 3 分の 2 を掌握し、開発協力政策を一元的に扱う省と言われている

が、実際には多くの機関がその政策決定に関与している。1961 年に BMZ が設立される以

前には、開発協力に関与する部署として、外務、大蔵、経済省など 16 の部局と 231 の担

当課があった。BMZ が設立されてからも、これらの部署に属する各省の権限は委譲され

なかったため、BMZ は開発協力政策の外面的な組織的整合性をもたらしたにすぎなかっ

た。BMZ の内部で各主要省庁の権限範囲が明確に分割され、一般に人道主義的な援助志

向を有するとされる BMZ 自身の自律的な政策決定がなされるようなメカニズムは醸成さ

れてこなかったのである(図表 A1-4-2)85。技術協力の分野においては多少の権限はある

ものの、これにも多くの政府系機関が関与している。また新規に設立された省庁であるた

め、人的資源の面でも他の省庁からの出向者が多く、総職員の 50%弱を占める。

図表 A1-4-2:開発協力政策策定に携わる主要省庁と管轄範囲 主要関連省庁 管轄領域 外務省 開発協力政策の政治的判断、開発協力プロジェクトの選定、

開発プログラムの策定、防衛協力 経済省 開発協力プロジェクトの選定、開発プログラムの策定、

キャピタルプロジェクトの策定・実施 内務省 防衛協力 防衛省 防衛協力

85 援助政策の意思決定に多くの省庁が関与する点は日本と同様であるが、日本の根助政策が、一般的に

省庁間の「綱引き」の結果としてもたらされるのに対し、ドイツでは各省の権限範囲が規定されている

(BMZ 設立後、1964 年に閣議決定)点が異なっている。

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このように、ドイツの開発協力政策は極めて分散的な意思決定構造を有している。更に、

主要省庁を横断する省庁間委員会には業界団体、経済団体、銀行団体を含む多くのアクタ

ーが所属し、政策決定過程に参加している。また閣僚レベルでは、開発政策フォーラム

(Deutsches Forum für Entwicklungspolitik:)と呼ばれる連邦大統領を議長とする懇親

会が、援助に関する助言を行っている。こうした政策構造は、開発協力政策が、それぞれ

の管轄範囲内で政策目的を追求する各省庁の一面的な利害関係のみに偏ることを未然に防

ぐ機能を果たしている。

(2) KfW と GTZ BMZ の監督下に、援助供与の実務を担っているのが、復興金融公庫(Kreditanstalt fur

Wiederaufbau: KfW ) と 技 術 協 力 公 社 ( Deutsche Gesellschaft für Technische Zusammenarbeit: GTZ)の各政府系機関である。

KfW は借款と無償援助の実施を担当する機関で、1947 年、ドイツの復興に際し、政府

と米国との間で交わされた金融制度構築に係る協議の中で発案された。後述のように ODA、

非 ODA を問わず多岐に亘る協力スキームの担い手となっている。

一方、技術協力を扱う GTZ は、民間有限会社の GAWI と政府系機関の BfE が 1975 年

に合併して新設された機関で、民間企業法に準拠しながら連邦政府に所有されている半官

半民の公社である。BfE は 1969 年以降 BMZ から技術協力を請け負っていた機関であり、

同様に政府事業の受託を行ってきた GAWI(1932~)との合併は、政府系機関の民営化の

先駆けとして話題を呼んだ。GTZ の業務はコンサルティング、仲介、案件管理、専門家派

遣といった技術協力と、緊急支援の実施である。業務の大半は BMZ の出資によるもので

あるが、それ以外にもドイツ政府の他省庁・機関や、民間協力、更に国際機関、他国政府

なども GTZ のクライアントであり、国際的なクライアントからの資金は、総事業資金の

約 12%を占める86。また GTZ は世界 63 拠点に現地事務所を有し、130 カ国で活動を行っ

ている。海外での GTZ 事業従事者数は 10,000 人以上(約 8,500 人が現地スタッフ)で、

エックボーンの本店には 1,000 人のスタッフが勤務している。

この他にドイツ金融投資公社(Deutsche Finanzierungsgesellschaft fur Beteiligungen in Entwicklungslaudern: DEG)は、1962 年にドイツ中小企業による途上国投資促進の

ために設立され、対アフリカ直接投資の原動力となっている。元々は BMZ が出資する組

織であったが、2001 年に政府保有株が KfW に売却されたことで、KfW の 100%子会社に

転じた。また輸出信用株式会社(AKA)は、1952 年に民間銀行 21 行によって設立された

民間の輸出信用会社である。 (3) 民間企業 開発協力に関わる民間企業は、ドイツでは中小企業が中心となっている。これはドイツ

86 金額の多い方から EU、世界銀行及び地域国際金融機関、湾岸諸国政府・機関、国連難民高等弁務官事

務所(UNHCR)、国連開発基金(UNDP)という順になっている(2001 年データ)。

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の多国籍企業の大半が製造業の中小企業であることによる。これら中小企業は、要請主義

を基本とするドイツの開発協力プロジェクトにおいて、案件形成の段階から深く関与して

おり、結果として、ドイツの援助はアンタイド比率が高いにも関わらず、その多くがドイ

ツ企業によって裨益される状況をもたらしている(後述)。中小企業が開発協力政策への影

響力を行使する際には、ドイツ開発援助協会を初めとする全国レベルの経済団体が主体と

なる。ドイツ開発援助協会は、ドイツ産業連盟、ドイツ商工会議所連合会、ドイツ銀行家

協会など、多数の会員企業数を誇る他の経済団体を掌握しており、政府や在外大使館とも

密接な関係を有している。 (4) NGO ドイツにおける NGO は、その大半が教会関係の団体であり、国内で強力な組織力を有

するこれら NGO は開発協力政策に及ぼす影響力も強いと考えられている。債務削減への

貢献はその一例であるといえよう。 ドイツの教会は、カトリック、プロテスタント共に非常に中央集権的な組織構造を有し

ており、その頂点で開発問題に関する活動を担っているのが、カトリックの「ミセレオ」

とプロテスタントの「世界にパンを」の各団体である。両者の下で活動する多くの NGOが人道的援助や教育関連の活動の実施に当たっている。彼らは一般からの寄付と戦後以来

続いている開発協力、人道支援向けの公的補助金を活動原資としており、これらの資金は

カトリック開発協力協会およびプロテスタント開発協力協会で管理されている。 多国間協力や国際会議において、特に人権問題などについては政府が NGO の意見を請

うことも多く、その意味では政府と NGO は相互依存的な関係を築いていると言える。 (5) その他 この他、政党系列の財団と州・市町村などの地方自治体も開発協力の実施主体である。

全部で 5 つある政党系列財団は BMZ から補助金を得て、それらがドイツ国内で行ってい

るのと同様、主に教育分野で活動している。地方自治体は、連邦レベルでの調整の下、や

はり学術文化教育に重点を置いた支援を実施しており、特に留学生の受け入れ事業が盛ん

である。 4.4 開発援助政策の実施方針 (1) 重点対象分野 現在、重点対象分野として継続的に扱われているのは、エネルギー、通信分野の「公共

事業開発」と、技術訓練や職業教育を含めた広義の「教育」の分野である。従来的には民

間セクターの活動促進による開発が重視されていたが、次第に公共事業や技術に関わる協

力の重要性が認識されるようになった。 1986 年に採択された「新・開発政策の基本的側面」では、「自助努力の強化を通じた開

発における女性の役割(Women in Development: WID)の向上や環境保全、貧困削減な

どに重点が置かれる旨が示され、貧困削減は直近の BMZ の予算計画書においても開発協

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力の目標に掲げられている87。 現在、KfW、GTZ がそれぞれに掲げている重点分野は図表 A1-4-3,4 のとおりである。 分野別の実績データを見ると、90 年代以降、重要分野のひとつである社会インフラへの

投入が顕著に伸びていることが分かる(図表 A1-4-7⑩)。この傾向は、貧困削減という援

助目標に合わせて国内で贈与への比重の増加と援助内容のソフト化、脱インフラ化が論じ

られていることとも整合的である。もっとも、数量的に大型案件の数は減少してきている

ものの、実際にインフラ案件への関心が停滞している様子は見受けられない88。

図表 A1-4-3:KfW の重点支援分野 KfW ① 社会インフラ

-教育、保健施設の普及 -AIDS 予防、予防接種、家族計画 -水道水供給、ごみ収集改善 -都市開発、住宅

② 経済インフラ

-電力供給、代替エネルギー -交通 -通信

③ 金融制度開発 -マイクロファイナンス、中小企業融資 ④ 農業、資源保護

図表 A1-4-4:GTZ の重点支援分野

GTZ ①土地利用・管理および砂漠化防止

②農業と農業研究

③緊急援助および緊急管理

④環境管理

⑤気候変動管理

⑥エネルギー

⑦教育

⑧水・廃棄物

⑨経済開発・雇用促進と貿易

⑩国家経済改革および市民社会

⑪保健

⑫熱帯雨林保全

⑬生態系

⑭インフラストラクチャー

⑮適正技術

⑯ジェンダー

⑰貧困削減と自助努力

(2) 重点対象地域

2000 年 5 月に BMZ は、援助対象国を「優先パートナー国 (Priority Partner Countries: PC)」と「パートナー国 (Partner Country)」に分類し、前者には 3 セクター、後者に

は 1 セクターに支援を行う方針を打ち出した。この方針の下、毎年、返済実績、債務能力

負担、ガバナンスの状況といった基準を勘案して、各国への贈与、貸し付けの供与と金額

が決定される。優先パートナー国に 37カ国、パートナー国に 33カ国が選定されたことで、

ドイツの援助対象国は従来の 118 カ国から 70 カ国にまで絞り込まれた。 70 カ国の顔ぶれからも分かるように、ドイツの開発協力は対アジア、オセアニア援助の

比重が高い。この点は投入実績グラフでも確認することができる(図表 A1-4-7⑧)。

87 BMZ (2002) Planning Framework of BMZ. 88 2002 年秋の KfW へのインフォーマルインタビューによる。

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A1-60

図表 A1-4-5:地域別優先パートナー国とパートナー国 地域 優先パートナー国 パートナー国

アジア・オセアニア

インドネシア、カンボジア、フィ

リピン、ベトナム、中国、バング

ラデシュ、インド、パキスタン

タイ、東ティモール、モンゴル、

ラオス、スリランカ、キルギスタ

ン、ウズベキスタン、カザフスタ

中東欧・旧ソ連 アルバニア、ボスニア・ヘルツェ

ゴビナ、マケドニア、グルジア アルメニア、アゼルバイジャン

中近東 エジプト、イエメン、モロッコ、

パレスティナ、トルコ アルジェリア、ヨルダン、モーリ

タニア、チュニジア

中南米

ボリビア、エルサルバドル、ホン

デュラス、ニカラグア、ペルー ブラジル、コロンビア、コスタリ

カ、キューバ、チリ、ドミニカ共

和国、エクアドル、グアテマラ、

メキシコ、パラグアイ

サブサハラ・アフリ

ベニン、ブルキナ・ファソ、カメ

ルーン、ガーナ、ケニア、マラウ

ィ、モザンビーク、ナミビア、ル

ワンダ、南アフリカ共和国、タン

ザニア、ウガンダ、ザンビア

ブルンジ、チャド、コート・ジボ

ワール、ギニア、レソト、マダガ

スカル、ニジェール、ナイジェリ

ア、セネガル

計 37 カ国 33 カ国

(3) 援助形態 ドイツの二国間開発協力スキームには、図表 A1-4-6 のようなものがある。ここに示され

た開発協力スキームは上に行くほど譲許性が高まっており、民間投融資に至るまでの「橋

渡し」の設計を見て取ることができる。

図表 A1-4-6:主要な二国間開発協力スキーム 開発協力スキーム 主要実施機関

技術協力 GTZ 贈与 無償資金協力

融資(有償資金協力)

ODA

アソシエーテッド・ファイナンス 混合借款 利子補給済み融資

開発協力

OOF その他開発協力スキ

ーム 経済協力促進融資

KfW

輸出信用 KfW、AKA、 ヘルメス信用保険会社

海外投融資金融 DEG

開発協力外

その他 アンタイド・ローン KfW

ドイツの対途上国有償資金協力は 1961 年から開始されているが、政府による開発協力

が、民間の活動を補完するものであるという発想と同様(前述)、有償資金協力による融資

も OOF や民間資金融資が可能になるまでの「橋渡し」的な役割を果たすものであると位

置付けられている89。開設当初はほぼ市場金利での融資が行われていたが、1980 年代初頭

に無償、IDA 条件融資、標準融資の 3 カテゴリーが設定され、「ソフト化」が図られた。

89 2002 年秋の BMZ へのインフォーマルインタビューによる。

Page 62: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-61

現在では、無償資金協力は LDC 諸国を主な対象とし、有償資金協力は LDC 以外の国々

のハードインフラ案件を主要なターゲットとしている。有償資金協力の条件は、IDA 向け

融資で金利 0.75%/40 年(うち 10 年据え置き)、標準条件融資で金利 2.0%/30 年(う

ち 10 年据え置き)となっている。また、アソシエーテッド・ファイナンスは、有償資金

協力とドイツ企業の競争力強化に向けた輸出信用を組み合わせたものである。 OOF の輸出信用では、ヘルメスの貿易保険を受けて、KfW は主にバイヤーズ・クレジ

ットを、AKA はサプライヤーズ・クレジットを受け持っている。その他開発協力に分類さ

れる海外投融資金融には、DEG の基幹業務である中小企業向けのエクイティ・ファイナ

ンスが含まれる。 アンタイド率でみると、ドイツの援助は欧州各国の中でも もアンタイド比率が高い(図

表 A1-4-7④)。しかしながら、実際にはドイツ援助による調達の 7~8 割までがドイツ企業

の機材、サービスに落ちたと言われており、「非公式なタイド援助」により援助の国内経済

への還元を実現してきたと言える。

多国間の開発協力では、ドイツは欧州開発基金(European Development Fund: EDF)や欧州投資銀行(European investment Bank: EIB)を通じた援助供与に積極的である。

その一方、欧州域内の統一された開発協力専門機関の設立や、開発法の制定には後ろ向き

な姿勢を取っている。債務問題に関しては、国際機関の潮流に同調し、1999 年のケルン・

サミット以来特に活発に債務の削減を敢行するようになった90。放棄された債務は、開発

目標の実現、中でも環境分野に振り当てることが条件とされている。 NGO を用いたスキームとしては、1962 年以降、BMZ が国内 NGO への財政支援を行う

開発協力スキームが設置されている。

90 ドイツは、二国間債務の債権放棄を 1978 年から独自に実施しているが、国際的な債務削減の方向性に

積極的に参加するようになったのはケルン・サミット以降のことである。

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A1-62

図表 A1-4-7:ドイツの概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

3,500

4,000

4,500

5,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)ODA無償・技術協力ODA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

1971 1976 1981 1986 1991 1996 2001年

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows", World Bank(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

1976 1981 1986 1991 1996 2001

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑥OA供与額(援助形態別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

3,500

4,000

4,500

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)

OA無償・技術協力

OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

12,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑧ODA供与額(対象地域別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

不特定LDC

オセアニア

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

アフリカ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

9,000

10,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-500

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)ODAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

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A1-63

図表 A1-4-7:ドイツの概況(続き)

⑩ODA供与額(セクター別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル

社会インフラ 経済インフラ

生産セクター マルチセクタープログラム支援 債務削減

緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑪OA供与額(セクター別)

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

その他

緊急支援

債務削減

プログラム支援

マルチセクター

生産セクター

経済インフラ

社会インフラ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

100,000

200,000

300,000

400,000

500,000

600,000

700,000

1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑨援助(ODA・OA)供与

0

2000

4000

6000

8000

10000

12000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

その他10) 旧ユーゴスラビア9) イスラエル8) ウクライナ7) トルコ6) インドネシア5) インド4) エジプト3) ポーランド (OA)2) 中国1) ロシア (OA)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

⑮海外直接投資額

0

20,000

40,000

60,000

80,000

100,000

120,000

1981 1986 1991 1996 2001年

百万ユーロ

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

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A1-64

図表 A1-4-7:ドイツの概況(続き)

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

500

1000

1500

2000

2500

3000

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002 年

百万米ドル

その他

低所得国

低位高所得国

高位低所得国

高所得国

SIPRI (2003) より作成

⑳外国人流入者数

0

100

200

300

400

500

600

1984 1989 1994 1999 年

千人旧ユーゴスラビアポーランド

トルコイタリア

ロシア連邦ルーマニアギリシャ

米国ウクライナフランス

ハンガリーポルトガル

クロアチアボスニア・ヘルツェゴビナチェコ共和国

その他OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

(21) 外国人居住者数

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1980 1985 1990 1995 2000年

千人 トルコ

旧ユーゴスラビアイタリア

ギリシャ

ポーランドクロアチア

オーストリア

ボスニア・ヘルツェゴビナ

ポルトガルスペイン

ロシア連邦

米国イギリス

オランダ

フランスその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

⑯国防支出

28000

29000

30000

31000

32000

33000

34000

35000

36000

37000

38000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

100

200

300

400

500

600

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入

武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

2000年 (千人)

トルコ 1998.5旧ユーゴスラビア 662.5イタリア 619.1ギリシャ 365.4ポーランド 301.4クロアチア 216.8オーストリア 187.7ボスニア・ヘルツェゴビナ 156.3ポルトガル 133.7スペイン 129.4ロシア連邦 115.9米国 113.6イギリス 112.8オランダ 110.8フランス 110.2その他 1962.7

Page 66: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-65

図表 A1-4-8:ドイツの分野別主要事項年表(1):1945-74 年 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

ドイツ

世界

'59欧州自由貿易連合(EFTA)調印

'57欧州経済共同体(EEC)、原子力共同体(EURATOM)調印

'55 NATO加盟 '66NATO核調整マクナマラ委員会設置

'51ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体条約

'52ヨーロッパ防衛共同体条約(EDC)

'59米英仏独4カ国首脳パリ会談

'67EC関税同盟

'67EC発足

'71変動相場制

'71スミソニアン体制

'48復興金融公庫(KfW)設立

'54KfW中長期輸出金融再開

'61経済協力省(BMZ)発足

'48ベルリン封鎖

'49ドイツ連邦共和国成立

'54憲法改正

'69ブラント(社会民主党)'49 アデナウアー(キリスト教民主同盟)

'55ハルシュタイン原則(外交原則)

'56一般徴兵法

'60社会民主党ハノーヴァー宣言

'60東ベルリン交通遮断

'62徴兵法

'64トルコと軍事援助協定

'64米と4軍事協定調印

'69ハルシュタイン原則廃止

'70ソ連・日独条約調印

'71ドル買い殺到

'72東西ドイツ基本条約

'72中国国交回復

'73国連加盟

'63エアハルト(キリスト教民主同盟)

'66キージンガー(キリスト教民主同盟)

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足 '47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバーゲン報告

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

'48通貨改革

'55パリ条約発効'61「ベルリンの壁」構築

'60 OECD調印

'60反ユダヤ暴動

'65イスラエルと国交樹立

'68非常事態法

'70ソ連・西独武力不行使条約

'72ミュンヘン五輪

'50KfW中長期輸出金融再開

'52AKA設立KfW中長期輸出金融をAKAに委譲

'58KfW直接借款開始

'62ドイツ金融投資公社設立

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A1-66

図表 A1-4-8:ドイツの分野別主要事項年表(2):1975-2003 年 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

ドイツ

世界

'89仏・西独軍事経済協力協定

'94欧州通貨機関(EMI)発足

'99ユーロ発足

'78EC新通貨制度決定

'01ユーロ流通

'90オーデル・ナイセ国境条約

'93EUマーストリヒト条約発効

'94CSCE、欧州安保協力会議(OSCE)と改称

'91イスラエルに緊急人道援助

'91KfWソ連に借款供与

'98 シュレッダー(社会民主党)

'81両独首脳会談

'84フランスと軍事協力協定調印

'92マルク高騰

'94ドイツの占領体制終了

'94ドイツ新憲法'90ドイツ統一

'83反核デモ

'74 シュミット(社会民主党) '82 コール(キリスト教民主同盟)

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化 ベルリンの壁崩

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'00ミレニアム開発目標

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

'89「ベルリンの壁」崩壊

'03イラク戦争不参加

'76中国と国交樹立

労働者の経営参加を拡大

'78テロ対策法案

'87ホーネッカー東独国家評議会議長、西独訪問

'75開発援助事業団と開発途上国援助促進公社の合併によりドイツ技術協力公社(GTZ)設立

'00重点対象地域の設定

'99ケルンサミット

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A1-67

5 オランダの開発援助 5.1 開発援助の歴史的経緯

オランダと途上国との関わりは、14 世紀に同国が英国に先駆けてアジアへ旅たち、植民

地を建設した時代にまで遡ることができる。以来オランダは、宗主国として途上国を含む

諸外国との協調関係を率先して促す「国際主義」をその外交原則の伝統とし、第 2 次大戦

後も国際司法法廷をハーグに置くなど、軍事的に小国ながら国際社会での発言力を維持す

ることに努めてきた。このような背景から、オランダは国際開発の促進をその外交政策の

主要目的に据え、高い優先順位を与えている。開発援助は 1960 年代に本格的に開始され

て以降、オランダ外交の中核的な外交政策ツールとして位置付けられてきている。 開発援助の政府組織としては、1965 年、開発協力担当の閣僚級大臣(Minister for

Development Cooperation)の職が設置され、同大臣の指示下で外務省の国際協力局

(Directorate-General for International Cooperation91: DGIS)が開発援助の実務を担当

する体制が整えられた。続いて 1970 年には、民間投資による開発を目的とする途上国向

けの銀行として、オランダ開発金融公社(Netherlands Development Finance Company:FMO)が半官半民の形態で立ち上げられた。FMO の前身は、途上国向けオランダ投資へ

の融資機関のオランダ海外金融協会(Netherlands Overseas Financing Association:NOF)である。NOF は 1959 年、オランダ政府が、インドネシアにおいてビジネスを継続

することが困難になった企業を救済するために銀行と企業 20 社と共同して設立した。 1960 年代から 1970 年代まで、オランダは「国際主義」の伝統に則り、数多くの国際機

関への加盟と、国際会議への積極的な参加を続けながら、対途上国の寛容政策を掲げ、開

発協力政策を推進していった。特に南北間の対立ムードが高まった 1970 年代には、国際

社会に向けて一次産品価格の安定化と途上国に対する貿易規制の緩和を求めていくと共に、

BHN 重視型の貧困削減に向けた LDC 支援を強化していった。またマルチ援助の主唱者で

もあり、EC 内での開発協力への取り組みに も熱心であった。旧植民地への支援に偏っ

ていた欧州各国の支援の是正を求めると共に、累積債務問題の顕在化に際しては、LDC 諸

国の債務問題解決に向けた共同基金設置のイニシアティブを取った。 このような「国際主義」的な外交行動は、オランダの政治文化を基盤とするものである

ことは確かであるが、一方でこの時期のオランダは、天然資源産出国であり国内経済が極

めて安定していたこと、対途上国投資・貿易額が他国と比べても特に高かったことなどの

要因が、オランダに寛容な途上国政策を取らせていたことも指摘されている92。更に外交

政策決定過程が外務省に集中していたことも、独創的な外交政策を可能ならしめていた93。

91 オランダ語では“Direktoraat-General Internationale Samenwerking”。 92 Philip Taylor (1982) “The Netherlands and the Third World” in Philip Taylor and Gregory A.

Raymond eds., Third World Policies of Industrialized Nations, Greenwood Press. 93 このためオランダの外交政策と開発協力政策が外相と開発協力相のパーソナリティーに左右される部

分が大きかったことが指摘されている。Philip Taylor, op.cit.

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A1-68

FMO 融資においては、1977 年の組織改編を境にアプローチが転換され、オランダ企業

の投資支援よりも途上国の地元企業向け融資に特化するようになった94。同時に FMO 融

資は、当時の社会的風潮の影響で市場から乖離した貸付条件の緩和にも寛容だった。すな

わち、FMO は途上国企業への資金供与に注力し、その回収にはさほど熱心ではなかった

のである。1970 年代後半からの 10 年間に FMO は資産を 20%増大させ、その職員数も飛

躍的に拡張して、組織的拡大の道を辿っていった。この時期、特に盛んに投資が行われた

のは、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、タイのようなアジア諸国であった。 もっとも、この「寛容」アプローチは望ましい帰結をもたらしはしなかった。FMO は

次第に多くの負債を抱え込むようになり、年々の損失により、1980 年代の終わりまでには

FMO アプローチの再評価の必要性は明白となっていた。時を同じくして、開発援助に対

する世論にも変化が生じ、援助の費用、効果、効率が重視されるようになっていった。す

なわち、1980 年代に入り、国内経済状況の悪化と資源輸出の限界を受けて、従来は国内世

論の支持を集めることも殆んどなかった「経済的利益」に係る「国益」への関心が高まり、

開発援助政策への疑問が呈示され始めるようになった95。 FMO 融資の拡大と停滞に示されるオランダ援助の推移は、援助実績からも見て取るこ

とができる。1975 年から 1980 年の間に有償資金協力の額は著しく上昇しているが、その

後 80 年代前半には減額傾向に転じている(図表 A1-5-3①②)。もっとも、援助総額の対

GDP 比率で見ると、援助拡大期に 0.3%から 0.7%台にまで伸びた比率はさほど落ち込む

ことなく今日まで維持されている(図表 A1-5-3③)。 開発協力を通じた「国際主義」の達成と「国益」の追求のバランスをめぐる議論96に加

えて、もうひとつオランダの開発協力を概観する上で欠かすことのできない視点が、「人権」

と「開発」という、オランダ外交で尊重されている2つの理念の追求に関するバランスの

問題である。「人権促進」は、「国際法秩序への貢献」を憲法に掲げるオランダの外交政策

にとって、国際開発と同等に第一義的な政策目的である。しかしながら、途上国における

人権問題の解決に開発援助を用いることは、「人権促進」と「途上国の開発」というオラン

ダ外交の 2 つの政策目的の間にジレンマを生じさせることになる。人権侵害を行う政府へ

の開発援助を凍結すれば、当該国の国民に裨益するはずの開発も停止するからである。こ

のため、ラテンアメリカ、東欧、アジアで人権侵害の問題が顕在化した 1970 年代から、

人権と援助の議論はオランダ国内でも活発に論じられるようになった。これを受けて、政

府が初めて打ち出した政策方針が、1979 年、外相と開発協力大臣両名によって発表された

『人権と外交政策』と題するポリシーペーパーである。このペーパーは、人権促進を「外

94 FMO の組織改編は、政府のシェアーを 50%から 51%に引き上げ、政府に FMO のプロジェクト採択

を行う委員会の拒否権を持たせるもので、同時に FMO 融資の中でオランダ投資の条件だけが緩和され

た。FMO ホームページ http://www.fmo.nl/ 95 Peter R. Baehr, Monique C. Castermans- Holleman, and Freds Crűnfeld (2002) “Human Rights in

the Foreign Policy of the Netherland”, Human Rights Quarterly, 24. 96 援助を通じた国益追求の議論は、政治家の文書にも登場する。Ministrie van Buitenlandse Zaken

(1995) De Herijking van het Buitenlands Beleid (Review of Foreign Policy), The Hague, Frits Bolkestein (1995) Het Knokken voor het Nationale Belang (Fighting fot the National Interest), NRC Handelsbland.

Page 70: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-69

交の重要テーマのひとつであるが、唯一の目的ではない」と位置付け、「援助を、人権を重

んじる政府への報償、ないし重んじない政府への報復として用いない」(決議第 35 条)と

しながらも、「大規模な人権侵害が続く場合、援助の凍結が考えられるが、そのような極度

な政策を取る前に援助の一義的な目的である貧困者に与える影響などに対する適切な政治

的配慮がなされる必要がある」(決議第 39 条)と、開発協力が人権への貢献を勘案して行

われる事実は変わらないことを明言している。 以降、現在に至るまで、このペーパーは人権と外交に関する基本方針の根拠とされてお

り、1990 年と 1993 年に開発協力大臣 Jan Pronk が発表した 2 つの政策文書でもその基

本方針が継承されている97。 近年では、オランダにとって重要な援助対象国であるインドネシアにおける人権侵害に

関連する援助凍結を巡って、開発と人権、更には自国経済界の利益の問題が相互に入り混

じった論争が生じた。また南アフリカやスリナム、ニカラグアに対しても人権促進の観点

から援助凍結が実施されている。

【コラム A1-5:オランダの人権外交と対インドネシア援助】 オランダの開発援助の歴史の中で、旧植民地であるインドネシアへの援助は常に重要視さ

れてきた。1970 年代および 1980 年代には、インドネシアでは東チモールへの侵攻問題、軍事政権下での処刑問題など、人権侵害の問題が数多く生じており、その都度オランダ国内の人権保護団体および左派政党はインドネシアへの援助凍結を求めてきた。ところが、オランダが実際にインドネシアへの援助を人権外交の制裁として用いた事例はごく少ない。1975 年に一部支援が削減されたものの、この削減は表向きには「援助の必要性の減少」によるものであると発表された。1977 年にも対インドネシア支援をめぐる政治論争が生じたが、「オランダとインドネシアの特別な関係」から援助凍結は見送られた。

この背景には、インドネシアがオランダにとって通商上重要な位置に置かれており、援助を続行したいという経済的インセンティブが働いていたことがあった。また、オランダは 1967年よりインドネシアドナー会合(IGGI)の議長を務めており、IGGI のアジェンダには人権問題にかかる記載がなかったため、オランダとの二国間援助が凍結されても IGGI の活動は継続されるという複雑な状況もあった。

一方では 1982 年に小国であるスリナムで同様の処刑問題が生じた際に、援助凍結、二国間条約の先送りという措置が取られたことで、インドネシアとの対比で人権外交のダブルスタンダードへの批判が高まった。

オランダがインドネシア支援に関して初めて強硬な態度を示したのは 1991 年の東チモール問題の発生時である。この時オランダ政府は、人権保護の旗手としての威厳をもってヨーロッパのドナー諸国との協調の下で対インドネシア援助の凍結を打ち出したが、この人権外交は失敗に終わった。スハルトはオランダの行為を「植民地主義的」で、「典型的な西洋主義」による内政干渉であるとして強く非難し、結局インドネシア側からオランダの援助を拒否した。この結果オランダは IGGI の議長からも外され、議長を失った IGGI は世銀の主導による CGI へと継承されることになった。

97 A World of Difference: A New Framework for Development Cooperation in 1990s (1990 年)と A

World in Dispute(1993 年)の 2 つの政策文書。後者では「政治的自由」の前提となる「民主化」、「グ

ッドガバナンス」が援助供与の基準となり得る旨が示されている。

Page 71: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

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5.2 近年の開発援助政策 開発協力大臣 Van Ardenne が、この先数年間の開発政策の主要な焦点として挙げた 新

の援助政策方針は以下の各点である98。 (1) 統合政策:貧困削減を効果的に行うためには、貧困削減を他の外交手段と統合させて

いくことが必要。貧困との戦いは、外交、政治対話、紛争予防、平和構築などと調和

することで一層効果的になる。このような政策の統合は上から推進していく必要があ

り、そのために外相と開発協力大臣は途上国に向けたオランダの努力に関して密接に

協力していく。 (2) 地域政策:国別政策が非常に重視されることには変わりがないものの、いずれの国も

地域に属しており、水管理問題や環境、紛争管理や移民問題などを扱う上で地域への

配慮が必要である。 (3) アフリカへの焦点:アフリカは世界で も貧しい大陸であり、飢餓、病気、紛争、環

境破壊、そして不平等との闘いにおいて、アフリカが特に焦点を当てられることは当

然である。このためオランダの援助政策はアフリカに焦点を置く。しかしながら、我々

はアフリカに解決策を押し付けてはならない。アフリカの人々は彼らの開発に自らの

責任を負うべきである。この意味で新アフリカ開発パートナーシップ(New African Partnership:NEPAD)は重要である。

(4) 民間セクターの役割の高まり:オランダと途上国の企業および NGO の役割。貧困削

減において、企業家精神の重要性は見落とされがちであるが、これは生産的な雇用と、

活発な貿易と投資なくしては達成されない。企業は長い間傍観者であったが、彼らこ

そ持続的発展に適用する知識や経験を持っているはずである。更に近年、企業の方で

も社会的役割への関心が高まってきている。今こそ公的セクターと民間セクターの協

力が可能であり、必要である。 (5) 一貫性:政策には一貫性が重要である。オランダの政策は、EU および世界銀行のよう

な国際機関と一貫性を有するものである。 (6) 持続的開発:2002 年のヨハネスブルグ持続可能な開発サミットで合意された事柄を実

行する時である。ここでは官民協調が鍵となる。オランダの国際行動指針「持続可能

宣言」は、国連事務総長が定めた優先分野である水、エネルギー、保健、農業、生物

多様性の各分野と結びついている。 (7) パートナーシップ:開発協力は個人、組織、国の間の緊密な協力関係によるパートナ

ーシップを求めている。パートナーシップは、貧困削減戦略ペーパー(PRSP)に基づ

き自らの発展のために取り組む途上国の責任を阻害するものではない。 (8) 移民と開発:移民と開発の関係は実に多様である。これは頭脳流出や難民流出のみな

らず、移民から母国への資金の送金も含んでおり、これらの要素はそれぞれ開発と深

い関係を持っている。国際的な移民の議論において、途上国の利害にも配慮がなされ

るべきである。オランダはそれを確固たるものにするために 大限の努力を払う。

98 オランダ外務省ホームページ http://www.minbuza.nl/ (2003 年 6 月)より、一部要約

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この基本方針を元に、2003 年 10 月には「相互利益と相互責任:2015 年に向けたオラ

ンダ開発協力」という政策文書が発表されている99。ここでは、開発協力政策の 上位の

目標が、「ミレニアム開発目標」の達成による世界の貧困削減に置かれることが明示されて

いる。またこの文書では、援助の 50%を多国間援助に、二国間援助の 50%をアフリカに配

分することや、紛争地域の安定維持が貧困削減にとっても重要であるという見地から、新

たな援助供与手段としての安定化基金(Stability Fund)を設置することが打ち出された100。 オランダは 1990 年代以降、開発援助を用いて「国際開発」と「人権」の促進という 2

つの外交政策課題を如何に実現していくのか、同時に、それらの追求と自国の「国益」の

追求との間にどのような折り合いをつけていくのかを模索してきたと言えよう。

図表 A1-5-1:オランダ援助の歴史的変遷 時代 主な特徴 1960 年代 外交政策における開発協力重視の方向性確立

開発協力大臣の設置(1965) 1970 年代 援助額の増大

国際開発援助における独自性の発揮と EC への働き掛け 人権問題への援助の利用に関する議論の昂揚

1980 年代 開発援助の効果・効率への疑問 「国益」の議論

1990、2000 年代 援助協調への重点 貧困削減の達成

5.3 開発援助に係るプレイヤーの分析 (1) 外務省

1965 年以降、開発協力大臣が任命されているが、同大臣は閣僚級の無任所大臣で、開発

援助を独立して扱う省庁は設置されていない101。しかしながら、オランダ外交において開

発協力が重視されているだけに、同大臣は外相と並んで外務省(Ministry of Foreign Affairs)のトップに位置付けられている102。開発協力大臣の任務は、外務省予算の大半を

占める開発援助予算(2002 年で対 GDP 比 0.8%)が被援助国で適正に運用され、また被

援助国政府の政策が、持続的な貧困削減というオランダ政府の外交目標に沿ったものであ

ることを監督することにある103。 国際協力局(Directorate-General for International Cooperation104: DGIS)は外務省で

大の部局で、開発協力政策の策定と調整、実施、資金調達までを管轄している。DGIS

99 Directorate-General for International Cooperation,(October, 2003) Mutual interests, mutual

responsibilities: Dutch development cooperation en route 2012. 100 同基金は外相と開発協力相の管下に置かれる。 101 無任所大臣には、この他に大都市・移民融合政策大臣のポストがある。 102 EU 担当大臣(Minister for European Affairs)も外務省に所属しているが、同大臣は非閣僚級で、国

内的には”State Secretary for European Affairs”と呼ばれている。 103 オランダ外務省ホームページ http://www.minbuza.nl/ 104 オランダ語では“Direktoraat-General Internationale Samenwerking”。

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の政策担当部局には以下の 6 部局がある。 持続可能な経済開発局: 途上国の地場起業家への支援に焦点 環境と開発局: 環境の観点から貧困削減に貢献 社会・組織開発局: 貧困削減政策・戦略の開発支援、特に貧困層への

基礎サービス、男女平等、市民社会育成に焦点 文化協力・教育・研究局: 基礎教育の普及、教育・研究能力の向上、

および文化と開発 人権と平和維持局: 人権、民主化、グッド・ガバナンス、紛争予防、

人道支援 国連・国際金融機関局: 国連と国際機関への貢献の調整、途上国財政支援

および債務削減 途上国輸入促進センター: EU への産品・サービス輸出支援による途上国の

経済的自立促進 また、DGIS には以上の政策担当部局に加え、5 つの地域担当部局:南東・東ヨーロッ

パ局、アジア・オセアニア局、西半球局、北アフリカ・中東局、サハラ以南アフリカ局が

ある。これらの地域担当部局は、開発政策の実施を担当しており、政策担当部局、大使館、

その他の海外使節団と密接に関わっている。

(2) 大使館 大使館は中核的な援助実施主体である。通常の二国間援助(後述の 36 パートナー国へ

の二国間援助)の大部分は、各国に置かれたオランダ大使館の手で実施されているからで

ある105。各大使館は援助案件の形成段階から関与し、案件を外務省の持つスキームに沿う

ように仕上げて承認を申請する。案件が開始されれば、その実施と評価までの責任は大使

館が負う106。地元の知識に精通した大使館がプロジェクトの実施を担当することは、現地

の人材や資源の効率的な動員に役立つと考えられている。現地政府を通じた支援と NGOを通じた支援のどちらが当該被援助国に適しているかという判断も、現地にいる大使館に

任されている。また二国間援助の援助供与形態が柔軟的であるため、例えばプロジェクト

型援助か財政支援かといった供与形態に関する判断も、大使館に委ねられる場合が多い。 (3) 他の省庁 外務省の他、経済省(Ministry of Economic Affairs)も、国内企業への利益という観点

から開発政策に関心を寄せており、政策決定への部分的な影響力を行使していると考えら

れる。FMO が実施するスキームの一部(後述の TAEM プログラム)も、同省の管轄下に

置かれている。 (4) FMO

FMO の設立過程については既に述べた通りであるが、1970 年代後半からの「寛容」ア

105 FMO へのインフォーマルインタビューによる。 106 オランダ外務省ホームページ http://www.minbuza.nl/

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プローチによる融資焦げ付きへの反省から、1991 年には FMO と政府の関係が見直され、

その自己採算性の向上を目的とした組織改革が始められた。この結果、FMO は以降 15 年

間、自己資本の緩和措置として開発基金からの補助を受ける傍ら、民間資本を受け入れて

組織の目的に準じた財務構造の健全化を図ることとなり、1991 年 3 月に政府から独立す

るに至った。 独立した FMO は、1990 年代前半を通じて飛躍的な進展を見せ、現在では途上国の平均

の 3~4 倍を上回る投資効率のパフォーマンスを見せている。FMO と政府との関係につい

て、1990 年の締約では 15 年間の期限付きでの補助金の供与が約束されていたが、契約期

限の 2005 年を待たず 1998 年に新たな協定が締結され、FMO における政府の役割があく

までも「セーフティーネット」であることが改めて強調された上で、向こう 12 年間の解

約期限を経た後、無期限の支援関係が継続されることが定められた。 更に近年、オランダ政府のアウトソーシングの傾向が強まる中で、FMO は 2002 年、二

国間有償資金協力の管理と実施を請け負ってきたオランダ途上国投資銀行(Netherlands Investment bank for Developing Countries N.V.:NIO)を吸収した107。こうして、現在

では、技術協力、無償・有償資金協力および開発援助外の開発関連金融の多彩な支援メニ

ューが、FMO の手で行われている。

(5) 民間企業・NGO 経済界は開発援助の政策決定に対して、投資先の環境整備を期待する。FMO が実施す

る協力スキームの多くは、途上国に投融資を行うオランダ企業を通じて供与され、その一

部は直接的・間接的に国内経済界の期待に応えている。 NGO もオランダ援助の主要な援助実施主体のひとつである。主な NGO には、Novid、

SNV、PSO などがあり、後述の共同実施のパートナーとして政府と共に活動している。ま

た、国内の人権 NGO は、援助政策の決定においても大きな影響力を有していると考えら

れる。

5.4 開発援助政策の実施方針 (1) 重点対象地域

1998 年以降、オランダは 118 カ国あった二国間援助対象国の数を大幅に減らし、「緊密

な開発協力関係」にある国を 20 カ国程度に絞り込んで、その他の国に向けては集約度の

低い支援を行うようになった。 「緊密な開発協力関係」に指定される国の選定は、以下の 3 つの観点から行われた。

貧困の度合い:世界の援助ニーズに対して非常に限られた量しかない開発援助資源

を可能な限り有効に用いるために、必要度の高い 貧層の国への支援に優先順位を

置き、援助対象を一人あたり GDP が US$825 以下の国に限定する。 社会経済政策:経済の健全化に努めているか、高品質の教育の提供に資金を投入し

107 NIO は現在 FMO の 100%子会社として存在しているが、その活動は NIO が 1990 年以前に供与した

融資の回収に限定されている(FMO へのインフォーマルインタビューによる)。尚、NIO はかつてオ

ランダ国立投資銀行(NIB)から独立して DGIS の管轄下で有償援助を担当していた。

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ているか、すべての社会階層の雇用を確保しているか、女性の地位の向上に配慮し

ているか、過疎地域を開発しているか、首都に資金が集中していないか、恵まれな

い環境にある人々に特別な配慮を与えているか、といった途上国政府の社会経済政

策の妥当性を勘案した。 グッド・ガバナンス:政府が予算を公開しているか、公務員が倫理規定に則ってい

るか、汚職がないか、法手続きや司法行政が恣意的ではないか、貿易団体や政党、

利益団体の結社の自由があるか、軍事支出が適正か、人権が尊重されているかなど、

途上国政府が開発を可能にする社会を創生する意欲を有しているかを評価した。 上記の基準に基づき、オランダは「緊密な開発協力関係」にある国として 22 カ国108を

指定し、「構造的開発パートナー」と名付けた。このうち、南アフリカ、エジプト、インド

ネシアの 3 カ国については、貧困の度合いなど選定基準からはずれてはいたが、向こう 5年間はパートナーに位置付けられ、援助が供与されることとなった。一方、人権問題から

援助が一時凍結さた旧植民地のスリナムは、かつてはオランダ援助の 重要レシピエント

国であったにも関わらず、パートナー国には加えられなかった。 「構造的開発パートナー」に対する援助は、被援助国側の自国の開発に対する責任(オ

ーナーシップ)が尊重される形で供与されることが大原則となっており、各政府は初めに

オランダに対して必要とする支援の内容を提示することが求められている。また、アドホ

ックなプロジェクトではなく、特定のセクター全般に対して支援を行う「セクター・ワイ

ド・アプローチ(Sector-Wide Approach:SWAPs)」が優先的に採用される。このアプロ

ーチより、ドナーが途上国政府の政策に従ってそれぞれの活動を調整し、当該セクターの

プログラムへの資金支援を公約すれば、途上国政府は各ドナーのコミットメントを得た長

期的な政策を立案することが可能になると考えられているためである。 「構造的開発パートナー」に加え、特定の政策テーマに関して協力を行う 30 カ国につ

いても、別途選定された。 人権、平和構築、グッド・ガバナンス:当該分野の状況改善についての協力が効果

的と認められる国(計 17 カ国)109 環境:深刻な環境問題を抱え、なお且つ政府がその解決に意欲的に取り組もうとし

ている国(多くの場合、既にオランダが環境プログラムの実施に成功したことのあ

る国)(計 13 カ国)110 民間セクター:民間セクターでの雇用促進、オランダ企業との協力の可能性がある

108 「構造開発パートナー国」(22 カ国):バングラデシュ、ベニン、ボリビア、ブルキナファソ、エジプ

ト、エリトリア、エチオピア、ガーナ、インド、インドネシア、マケドニア、マリ、モザンビーク、

ニカラグア、ルワンダ、南アフリカ、スリランカ、タンザニア、ウガンダ、ベトナム、イエメン、ザ

ンビア 109 「人権、平和構築、グッド・ガバナンス」分野の協力国(17 カ国):アルバニア、アルメニア、エル

サルバドル、ケニア、中国、コロンビア、ホンジュラス、パレスチナ、グアテマラ、ギニアビサオ、

ネパール、モルドバ、ナミビア、カンボジア、ジンバブエ、ボスニア、グルジア 110 「環境」分野の協力国(13 カ国):ブラジル、中国、ブータン、コロンビア、ネパール、フィリピン、

グアテマラ、カーボヴェルデ、モンゴル、パキスタン、ペルー、セネガル、エクアドル

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国(計 12 カ国)111 更に、長引く紛争が原因となって恒常的に危機的状況にある以下の 10 カ国は、「構造緊

急援助被援助国」に指定され、オランダの年間緊急援助予算の 80%が充当されている112

(2002 年では 1 億 4,500 万ユーロ)。 これらの重点対象国の区分は、政策意図と援助対象地の関係を明らかにしたものの、そ

の構造の煩雑さが批判を受けた。このため 2003 年末の政策文書では、上記重点対象国を

再度見直して一元化したリストが提示された。同リストには下記の 36 カ国が掲載されて

おり、今後は 2015 年に向けて、この 36 カ国がオランダの二国間援助の対象地となる。構

造的開発パートナー国の選定基準を上回っていた南アフリカ、エジプト、インドネシアが

含まれている他、国内の人権問題から前回の重点国から外されていたスリナムも再度リス

トに加えられている。 アフガニスタン、アルバニア、アルメニア、バングラデシュ、ベニン、ボリビア、

ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルキナファソ、カーボベルデ、コロンビア、エジ

プト、エリトリア、エチオピア、グルジア、ガーナ、グアテマラ、インドネシア、

ケニア、マケドニア、マリ、モルドバ、モンゴル、モザンビーク、ニカラグア、

パキスタン、パレスチナ自治区、ルワンダ、セネガル、南アフリカ、スリランカ、

スリナム、タンザニア、ウガンダ、ベトナム、イエメン、ザンビア(計 36 カ国、

太字は旧構造的開発パートナー国)

(2) 重点対象分野 2003 年末の新しい政策文書に示された重要援助対象分野は、教育、リプロダクティブ・

ヘルス、HIV/AIDS、水と環境の 4 分野であった。上記の 36 パートナー国では、それぞれ

2~3 分野が選択され支援されることになっている。社会開発セクターの重視は援助実績の

上でも確認することができる(図表 A1-5-3⑩⑪)。

(3) 援助供与形態 オランダの開発援助は現状では、予算総額の約 3 分の 1 が途上国政府への二国間援助ル

ートを、4 分の 1 強が国際機関を通じた多国間援助ルートを、残りが NGO や民間団体を

通じて供与されている113。今後は前述のように、多国間援助を総額の 50%まで拡大させて

いく方向である。以下に示すように、援助供与の形態は援助実施主体ごとに明確に区分さ

れている。

111 「民間セクター」分野の協力国(12 カ国):ボスニア、中国、コロンビア、エクアドル、エルサルバ

ドル、フィリピン、グアテマラ、コートジボアール、ヨルダン、モルドバ、ナイジェリア、ペルー 112「構造緊急援助被援助国」(10 カ国):アフガニスタン、コンゴ共和国、スーダン、ソマリア、アンゴ

ラ、イラク、シエラレオネ、ブルンジ、モルッカ諸島、リベリア 113 在日オランダ大使館ホームページ http://www.oranda.or.jp/

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(a) 大使館を通じた二国間援助 大使館を通じた通常の二国間援助は、無償資金協力または技術協力の形態を取っている。

このルートによる援助は、上述のように、1998 年以降、一定の基準を満たした 貧国 22カ国と、「人権、平和構築、グッド・ガバナンス」、「環境」、「民間セクター」という特定

テーマごとに選定された 30 カ国に対してのみ集中的に行われてきた。今後は 36 カ国に集

約されたパートナー国が供与先となり、各国の優先セクターを 2 つまたは 3 つ選択して支

援する方針が打ち出されている。

(b) FMO を通じた二国間援助 二国間援助の中で、FMO が実施主体となっている援助供与スキームには図表 A1-5-2 の

ようなものがある。このうち、ORET プログラム(Development- Related Export Transactions)は、元々NIO の管轄下にあったが、FMO が NIO を吸収した際に、その全

実施権が FMO に委譲された。国内経済への利益還元の側面が薄いオランダの開発援助の

中で、ORET は唯一のタイドスキームである114。また TAEM も、オランダ企業の投資先

への技術協力を通じて間接的に国内企業に貢献している。また LDC インフラストラクチ

ャー基金と、NIMF は、現地企業支援を重視する FMO が近年新たに設置された。それぞ

れのスキームには、その目的に添った供与対象地域や供与先選定基準が定められている。

図表 A1-5-2:FMO の援助スキーム スキーム プログラム 概要

IPTA (Investment Promotion & Technical Assisstance)

オランダと途上国の企業間協力への

支援 TAEM (Technical Assisstance Emerging Market)

オランダ中小企業の新規市場への投

資に際して、現地企業への経営指導

と訓練サービスの提供

技術協力

PUM(Nethrelands Management Cooperation Programmez)

ORET プログラム (Development-Related Export Transactions)

オランダ企業を通じた途上国投資先

環境整備支援 MILIEV(Industry and Environment programme)

贈与

PSOM(Emarging Market Cooperation Programme)

投融資(プロジェクト・

ファイナンス、メザニン型融

資、中長期貿易金

融、劣後融資など)

IFOM (Investment Facility Emerging Market)

劣後融資

信用保証 - - LDC インフラストラク

チャー基金 LDC における民間ないし官民共同の

経済社会インフラ建設プロジェクト

に対する出資(20 年までの長期融資

や贈与など、出資形態は多様)

その他

エクイティ・ファイナンス

投資補助基金 (Netherlands Investment Matching Fund: NIMF)

オランダ企業の途上国投資リスク

に対する補助金支給と助言

114 FMO へのインフォーマルインタビューによる。

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(c) 多国間援助 多国間援助を用いる理由は二つある。ひとつは麻薬撲滅やジェンダー、食料保障など、

単独ドナーがひとつの地域で取り組むことのできないテーマを扱うことができること、も

うひとつは、多国間援助はドナー独自の利益に影響されにくく、ドナー間の調整がなされ

やすいことである。多国間援助においては、セクター・アプローチなどの援助協調の枠組

みへの積極的な取り組みがなされている。

(d) NGO 支援 NGO 支援を用いることは、オランダが政府間協力を行うことのできない国に対する支

援(ソマリアなど政府自体が存在しない場合、あるいは政府が悪政を行っている場合)を

実施する際に有効であるとされている。また、住民のニーズを把握している地元のパート

ナーとの協力においても、NGO は有利であり、長期的な貧困削減を考える上では不可欠

なルートである。こうした点から、オランダ政府は、国際、国内双方の NGO を通じた援

助を実施している。

NGO 支援は、「共同実施」(Cofinancing Programme: MFP)と呼ばれるスキームと、

各国の人道支援プログラムから構成される。更に 近「テーマ別共同実施」(Theme- based Cofinancing: TMF)というスキームが新たに増設された。これは特定テーマで途上国 NGOを支援する国内 NGO への財政支援のために設けられたスキームで、2001 年に議会に提出

された『市民社会と構造的貧困削減』という政策文書を受けて 2003 年から開始されたも

のである。上記政策文書では、貧困削減という目標に向けて市民社会が担う役割の大きさ

が示され、南北の市民社会団体(Civil Society Organization: CSO)同士の連携による活

動の有効性と、それら活動への支援スキームの新設が提案された。 TMF スキームにおいて、現在選定中の第 2 ラウンド(2004 年から 2007 年)で扱われ

るテーマは以下のとおりである115。 経済開発 (持続的経済発展、企業の社会的責任、国際貿易) 人間開発 (基礎保健、上下水道、リプロダクティブ・ヘルス、HIV/AIDS、

栄養、児童・若年、スポーツ) 社会文化開発 (基礎教育、文化・コミュニケーション) 政治開発 (人権、グッド・ガバナンス) 平和・安全保障(紛争予防、平和維持、地雷除去、紛争後復興)

同スキームは、2007 年に MFP の法的な実施期限が完了した時点で MFP と併合され、

TMF/MFP スキームに改編されることになっている。

115 同スキームから支援を受けている NGO は NOVIB、Cordaid、ICCO、ZHIVOS、Plan and Terre des

Hommes の 6 団体である。

Page 79: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-78

図表 A1-5-3:オランダの概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODA無償・技術協力

ODA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

0.8

0.9

1960 1970 1980 1990 2000年

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows", World Bank(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1976 1981 1986 1991 1996 2001年

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑥OA供与額(援助形態別)

0

50

100

150

200

250

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)

OA無償・技術協力

OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑧ODA供与額(対象地域別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

不特定LDC

オセアニア

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

アフリカ c

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国c

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-400

-300

-200

-100

0

100

200

300

400

500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

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A1-79

図表 A1-5-3:オランダの概況(続き)

⑪OA供与額(セクター別)

0

20

40

60

80

100

120

140

160

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

その他

緊急支援

債務削減

プログラム支援

マルチセクター

生産セクター

経済インフラ

社会インフラ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑩ODA供与額(セクター別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル

社会インフラ 経済インフラ

生産セクター マルチセクター

プログラム支援 債務削減

緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

50,000

100,000

150,000

200,000

250,000

300,000

1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカ

アジア ヨーロッパ中東 西半球

その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑨援助(ODA・OA)供与

0

500

1000

1500

2000

2500

3000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

その他10) ケニア9) ボリビア8) ボスニア・ヘルツェゴビナ7) スリナム6) モザンビーク5) バングラディッシュ4) インドネシア3) タンザニア2) オランダ領アンティレス (OA)1) インド

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

⑮海外直接投資額

0

10,000

20,000

30,000

40,000

50,000

60,000

70,000

80,000

90,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万ギルダー

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

Page 81: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-80

図表 A1-5-3:オランダの概況(続き)

⑯国防支出

5,800

6,000

6,200

6,400

6,600

6,800

7,000

7,200

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

20

40

60

80

100

120

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

100

200

300

400

500

600

700

800

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002

百万ドル

高所得国 高位低所得国

低位高所得国 低所得国

SIPRI (2003) より作成

⑳外国人流入者数

0

10

20

30

40

50

60

1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 年

千人イギリスドイツ

トルコモロッコ米国

フランススリナムベルギー

中国イタリアポーランド日本

スペインイランソマリア

その他OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

(21) 外国人居住者数

0

50

100

150

200

250

300

1985 1990 1995 2000 年

千人 モロッコ

トルコ

ドイツ

英国(含む香港)

ベルギー

イタリア

スペイン

米国

ポルトガル

ギリシャ

チュニジア

旧ユーゴスラビア

その他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

2000年 (千人)

モロッコ 111.4トルコ 100.8ドイツ 54.8英国(含む香港) 41.4ベルギー 25.9イタリア 18.2スペイン 17.2米国 14.8ポルトガル 9.8ギリシャ 5.7チュニジア 1.3旧ユーゴスラビアその他 266.6

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A1-81

図表 A1-5-4:オランダの分野別主要事項年表(1):1945-74 年 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

オランダ

世界

'59オランダ海外金融協会(NOF)設立

'65開発担当大臣設置

'70オランダ開発金融会社(FMO)設立

'46オランダ・インドネシア戦争

'47ベネルクス関税同盟

'49 ヨーロッパ会議(COE) 結成

'49NATO調印

'49インドネシア独立

'54ベネルクス共同輸入協定

'51ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体条約

'52ヨーロッパ防衛共同体条約(EDC)調印

'54NATOパリ協定(西ヨーロッパ連合結成)

'57欧州経済共同体(EEC)、原子力共同体(EURATOM)調印

'58徴兵制導入

'58ベネルクス条約

'59海外関係省廃止

'66NATO核調整マクナマラ委員会設置

'52ヨーロッパ防衛共同体条約(EDC)

'67EC関税同盟

'67EC発足

'71変動相場制

'71スミソニアン体制

'73変動相場制

'52低開発国投資銀行(NIO)設立

'51蘭領アンティス、スリナム独立

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足

'54オランダ王国憲章制定

'53大洪水発生

'59天然ガスの発見

'48ユリアナ女王即位

'56老齢年金法制定

'47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバーゲン報告

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

'45スヘルメルホル

'46ベール '48ドレース'58

ベールl '59デ・クアイ '63マライネン

'65カルス

'66ザイルストラ '67デ・ヨング

'71ビスヒューフェル

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A1-82

図表 A1-5-4:オランダの分野別主要事項年表(2):1975-2003 年

75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

オランダ

世界

'98構造的開発パートナー選定

'75ODA対GNP比0.7%達成 '91FMO民

営化

'79『人権と外交政策』ポリシー・ペーパー

'02FMO、NIOを吸収

'90欧州安保協力会議(CSCE)首脳会議

'93EC統一市場発足

'94欧州通貨機関(EMI)発足

'99ユーロ発足

'78EC新通貨制度決定

'01ユーロ流通

'91EC首脳会議

'93EUマーストリヒト条約発効

'95新欧州連合

'94CSCE、欧州安保協力会議(OSCE)と改称

'94安楽死法施行

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化 ベルリンの壁崩

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

'82全国オンブズマン導入

'94大都市政策導入

オランダ病

'82ワッセナー合意

'80ベアトリクス女王即位

'94「紫連合」成立キリスト教民主主義政党の弱体化

売春合法化

福祉・雇用政策の連携

'02フォータイン党首暗殺

'02右翼政党第2党に

「オランダの奇蹟」'93「ニューコース」 '99財政黒字化

'93環境マネージメント法

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

構造改革

'00ミレニアム開発目標

'99ケルンサミット

'77FMO組織改編

'73デン・アイル

'77ファン・アフト '82ルベルス '94コック'02バルケ

ネンデ

'03イラク戦争参加

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A1-83

6 デンマーク 6.1 開発援助の歴史的経緯

デンマークの開発援助(Development Assistance)は 1946 年に開始された。以来、開

発援助は先進国、国際機関との協力政策と並んで、デンマーク外交の一翼を担っている。

デンマーク外交政策の 上位目標が、集団安全保障、政府の民主化と人権、そして持続可

能な経済・社会・環境開発の促進に置かれていることから、開発政策も輸出振興という側

面を持ちながらも、主にこれらの目標の達成に向けられてきた。またデンマーク国内では

途上国における開発問題を自国内の問題として扱う傾向が強く、このことから開発援助は

途上国の社会福祉の向上を目指す色彩が強かった。このことは援助開始当初から社会セク

ターへの拠出が大きかったことにも顕れている(図表 A1-6-3⑩)。 1980 年代からは、限られた援助資源を如何に有効に活用できるかについて高い関心が寄

せられるようになり、特に 1987 年以降、援助プログラムが国会で審査されるようになっ

た。1994 年の政策文書では、これらの政策目的に沿った開発援助の実施方針と活動内容の

調整に向けて、2000 年までにデンマークの開発政策再編成の効果を測定する旨が提示され

た116。 1980 年代後半から顕著になったもうひとつの傾向は、デンマーク外交が重要課題に掲げ

る「地球環境問題への貢献」が国際開発の文脈においても論じられるようになり、その結

果、開発援助政策にも環境配慮の側面が色濃く打ち出されるようになった点である。元々

環境問題の議論から生じた「持続可能な開発」の概念は、次第に「持続可能な社会を創造

するための開発」という意味で、広く開発問題全般を内包するようになったが、デンマー

クの政策方針でもこのロジックは多分に用いられ、「環境的、経済的、社会的に持続可能な

開発を推進すること」が途上国で「現在、未来の貧困を削減する必要条件」であるとして、

環境問題への取り組みと途上国福祉の向上が表裏一体のものとして扱われるようになった。 このため、環境保護支援は、途上国福祉の向上と並んでデンマーク開発援助政策の中核

の基底を成すようになっていった。1992 年にリオで開催された環境と開発サミットの場で

も、デンマークは積極的に議論に参加し、環境問題の改善に資する開発援助の拠出を志向

している。1993 年にサミットを受けて設立された環境・平和・安定化基金(Environment, Peace and Stability Facility:EPSP)に対しても、デンマークは重点的な支援を表明した。

1996 年には途上国への環境支援の戦略が確立され、海岸線、生物多様性、森林・木材資源、

水資源、農業、持続エネルギー、都市開発と産業の 7 分野への介入を打ち出している。更

に 2001 年には、環境支援の担当がエネルギー環境省から外務省に移管され、開発支援と

環境支援の政策の融合が取りやすくなった。

116 DANIDA (2000) Partnership 2000.

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A1-84

6.2 近年の開発援助政策 1994 年の政策文書を受けて、1999 年秋から援助政策の政策転換に向けた途上国開発支

援と環境支援のレビューが始められた。これはデンマーク援助の 終目的を「貧困削減志

向の経済成長(Poverty-Oriented Economic Growth)」に集中させることを検討するため

の礎石作りとして実施されたものである。レビューは、デンマーク国内社会と、被援助国

で関心を寄せる諸派との集中的なコンサルテーションによって進められた。 この結果、まず 2000 年に「パートナーシップ 2000」が発表された117。「パートナーシ

ップ 2000」は、デンマーク政府と被援助国との国家同士のパートナーシップ、およびデン

マーク国内社会の関係者とのパートナーシップの双方を基礎に「共同の責任」を達成して

いくための開発援助政策の改革の方向性を示している。「パートナーシップ」の理念は開発

援助の世界で新しいものではないが、往々にしてレトリックに留まりがちである。このた

め「パートナーシップ 2000」は理念を具現化するためのロジカルな戦略を打ち出し、実施

段階に至るまでの具体的な指針を提示しようとしている。 新しい方針では、世界の貧困削減が開発援助の 上位目標であることが明示され、おり

しも国連の場で設定されたミレニアム開発目標(MDGs)の達成が具体的な努力目標とし

て掲げられた。そして MDGs を満たす持続可能で貧困削減に資する開発を実現するために、

途上国政府、社会と長期的なパートナーシップによる協働関係を構築することが謳われた。 この政策目標に向けて、デンマークでは開発援助政策の戦略、手段、実施の各段階が整

合的にデザインされ、援助を更に効率化するための取り組みが進められた。例えば援助対

象国の選定基準、貧困削減の視点による重要セクターの抽出や、被援助国政府への要請事

項が明確化された。また政策方針・戦略の改編と並行して、デンマーク国内の援助関連機

関の統併合を通じた援助の効率化も図られ、上記の環境支援に加えて、人権支援に関して

も外務省内に人権問題特別局が設けられ、同分野での協力の強化を受け持つことになった。 「パートナーシップ 2000」に示された政策方針は 2001 年末の政策文書でも確認され、

更に 2003 年には、2004 年から 2008 年の「中期開発援助政策方針」において、方針に沿

った更に具体的な取り組み課題が示された118。同政策文書では、近年の変動する世界情勢

の中で世界の安定化に向けて効果的で時宜を得た開発援助を行うことの必要性が説かれて

いる。また開発政策は「デンマークの外交・防衛政策の中核的且つ統合的な要素である」

と位置付けられており、そのために「開発援助が途上国で喫急の課題に対処すると共に、

デンマークの国際社会への関与に内在する価値を反映していること」が重要で、それによ

って「長期的視野が確保され、イニシアティブの 大のインパクトと持続性が達成される」

と記されている。デンマークが質と効果の点からも「開発協力の 前線」に位置するとい

う自負も示された。こうした中期政策方針の文言からも分かるように、デンマークでは開

発援助が国際開発に資すると共に、安全保障の達成や価値・理念の普及という形でデンマ

ーク自身の利益をも満たすことが認識されていると言える。 117 DANIDA, op.cit. 118 DANIDA (June 2003) A World of Difference- The Government’s Vision for New Priorities in

Danish Development Assisstance 2004-2008.

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A1-85

図表 A1-6-1:デンマーク援助の歴史的変遷

時代 主な特徴 1960~1970 年代 途上国への寛容政策 1980 年代 援助の効率性への疑問、質の向上への関心

環境と開発への取り組み 1990 年代後半~ 持続的発展と貧困削減に向けた取り組み

援助の効率化の模索

貿易・投資促進

6.3 開発援助に係るプレイヤーの分析 (1) 外務省 デンマークの開発援助政策は、援助予算を掌握する外務省で主に管理され、金額の大き

いプログラムの決定に際しては、国会の審査が 終的な判断を下すことになっている。近

年では上述のように環境支援や人道支援も外務省の管轄下に移された。一方で 2003 年 9月 1 日から施行されている外務省の分権化政策に基づき、援助業務の日常の管理責任は、

各プログラム国(後述)と南アフリカの大使館に移管されている。

(2) DANIDA 援助プログラムの策定から実施までを担っているのが、デンマーク国際開発庁(Danish

International Development Agency: DANIDA)である。DANIDA は 1986 年に外務省の

援助業務を再編し、半独立した組織として設立されたが、現在も外務省、および出先大使

館とは一体化して援助業務の遂行にあたっている。国際機関を通じた援助に関しては、外

務省の「国連・世銀課」の管轄下に置かれている。 (3) 民間企業・NGO 民間企業は、デンマーク援助の重要な実施主体のひとつである。デンマーク政府は、後

述する「民間セクタープログラム(PS Programme)」のスキームの拡大を図ると共に、新

たな官民協調のスキーム開拓を企図している。 また援助の実施における NGO の位置付けは、前期政権中(90 年代後半)に頓に高まり

を見せ、NGO を通じた援助の割合は 70%増加した。援助政策の効率化の過程において、

肥大化した NGO 援助を見直す動きが出ており、昨年は NGO 支援への分配が 10%近く控

えられている。 6.4 開発援助政策の実施方針 (1) 重点分野・セクター

2004 年から 2008 年の政策方針文書では、デンマークがその外交、開発政策を強化する

ために、開発援助が以下の 5 つの領域に重点的に取り組むことが示されている。 ① 人権、民主化とグッドガバナンス ② 安定化、治安とテロとの闘い ③ 難民、人道支援と帰還

Page 87: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-86

④ 環境 ⑤ 社会経済開発

またこれらとは別に、「貧困削減」の目標を達成するための主要セクターとして、農業、

教育、保健、水/衛生、交通、ビジネスセクター、環境の 7 セクターが設定されている。

更に、分野横断的な課題であるジェンダー、環境、人権、民主化が全ての開発政策の中で

配慮されるべきことが提唱されている他、現在の国際的な開発アジェンダの中で特に注目

を集めている子供・青少年の保護・育成、HIV/AIDS の拡大予防、暴力と紛争の予防と

処理、グローバリゼーションと国際協力・開発の 4 テーマが「特別優先分野」として取り

組まれることになっている119。 こうした重点分野、セクターに関する実施方針は、長期的な枠組みを基礎に置きながら

短期的な取り組みをも取り込み、状況に応じて援助供与の手法、形態を使い分けるように

設計されている。これはデンマークの援助が「柔軟性」を重んじており、なかでも上記重

点分野の①、②、③のような緊急時の支援には融通の利いた対応が求められていると認識

されていることによるものである120。

【コラム A1-6:ベトナムの漁業セクター支援】 DANIDA がベトナムで実施している漁業セクター支援には、デンマーク援助の特徴がよく現

れている。同セクターのプログラムは、魚介加工品生産の品質を国際的に競争力を持つ程度にまで改善することと、それによって輸出による収入を向上させることを目的としている。品質改善について DANIDA が採用したのが「環境にやさしい生産手法」の導入である。また品質管理システムと品質管理規制を設定し、業界団体の設立を支援を通して、継続的な輸出に耐え得る品質の確保を促している。この業界団体は既に魚介加工品輸出業者の 85%までを取り込んでおり、マーケティングに関するトレーニングや情報交換の機会を提供する。プログラムでは 終的に業界の完全な自己資金調達が達成されることが目指されている。 このようにデンマーク援助は長期的な効果が発揮されることを目標に、分野、手法を取り混ぜ

た総合的な援助プログラムを遂行しているのである。因みに、同プログラムは 1996 年に開始され、1999 年から 2004 年の 5 年間には 4 千万 DKK が投入されている。

DANIDA (September 2001) Promoting business development- a joint task. (2) 二国間援助 デンマークの二国間援助の対象国は、近年中に 15 カ国までに絞り込まれることが予定

されている。この二国間援助供与の分配は、①開発の現状、②持続的で貧困削減志向の開

発の実施に対する受け手の意思と能力、を判断基準として継続的に評価される。②の基準

では特に、グッド・ガバナンスと人権の尊重に基づいた開発プロセスが取られているかと

いう観点が重視される。図表 A1-6-2 は、こうした基準に基づいて選定された 15 ヶ国と支

援内容である。DANIDA は、これら 15 カ国を「プログラム国(Programme Countries)」と呼んでいる。

119 DANIDA (2000) op.cit., DANIDA (2003) Operationalisation of the Poverty Reduction Objective in

Denmark’s Bilateral Development Policy. 120 DANIDA (June 2003) op.cit.

Page 88: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-87

プログラム国では、既述の 7 つの重要セクターのうち、当該国の貧困削減戦略に沿って

長期的な貧困削減の観点から も効果的だと思われる 2~4 の優先セクターが選定される

121。またこれら優先セクターとその他の重点分野に関して各国の国家戦略が策定されてい

る。

図表 A1-6-2:デンマーク二国間援助のプログラム国 分類 年間供与額 対象国 ① DKK2 億以上 タンザニア、ウガンダ、モザンビーク、ガーナ、

バングラディッシュ、ベトナム (計 6 カ国) ② DKK1 億 5 千万~1 億 7,500 万 ベニン、ブルキナ・ファソ、ザンビア、エジプト、

ネパール、ニカラグア、ボリビア (計 7 カ国) ③ DKK7,000 万/DKK6,500 万 ケニヤ/ブータン (計 2 カ国)

プログラム国のうち、ベニン、ボリビア、ガーナ、モザンビーク、タンザニアについて

は特に、政府が実施しているレビューにおいてデンマークの支援を通じた経済成長と民主

化の進展が報告されており、現状レベルの支援の続行が必要と考えられている。但し、プ

ログラム国に認定された国への支援も、当該国政府の行動が上記の基準を充分に満たさな

くなった場合には、供与額の減額や凍結がなされる。この点についてデンマーク政府は、

支援政策の一貫性を重視する旨を明示している122。

デンマークが実施する二国間支援には、プログラム国支援の他にも「開発支援」、「環境

支援」および「人権と民主化支援」の 3 つの贈与スキームがあり、これらについてはプロ

グラム国以外の国に対しても援助を供与することができる。「開発支援」は貧困削減、開発

における女性の役割、民主化促進、人権尊重、紛争予防、テロとの闘いへの支援など、デ

ンマーク外交ないしその援助政策の主要テーマに沿うプログラムに対して贈与される。

2002 年度では対アフガニスタン復興支援やパレスチナへの支援がこの枠組みで拠出され

た。「環境支援」は環境保全に向けられる援助であるが、この対象国の選定にも、プログラ

ム国の選定基準で挙げられた人権尊重と民主化の状況が勘案される。現在環境支援で融資

可能な国としては、ボツワナ、カンボジア、マレーシア、モザンビーク、ナミビア、南ア

フリカ、タンザニア、タイの各国が挙げられている。 後に「人権と民主化支援」は、人

権尊重と民主化促進のために援助の継続が必要と認められるプログラム国以外の国に対し

て供与されるもので、上述の外務省特別局が担当する枠である。 (3) 多国間援助 多国間協力の強化は貧困問題解決の必須条件であるという考えから、デンマー

クは多国間機関を通じた開発協力に積極的である。しかしながら近年では、国際

支援プロジェクトの重複など多国間を通じた支援の非効率性の改善を主唱してい

く姿勢を見せている。多くの多国間開発協力枠組みが存在する環境の分野では、

UNEP への出資を継続すると共に、世界環境基金(Global Environment Facility:

121 DANIDA (2003) op.cit. 122 DANIDA ホームページ http://www.um.dk/

Page 89: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-88

GEF)への貢献率を高めていく方向である。

(4) 援助手法 デンマークでは、援助の供与形態においても柔軟性が確保されており、プログラム国へ

の支援でも各国の状況や戦略に合わせて複数のスキーム、手法が併用されている。Like minded group に属する他の北欧ドナー国が有償資金協力を打ち切る中でデンマークは有

償資金協力を続けており、インフラプロジェクトのような大型のプロジェクトへの対応の

余地を残している(図表 A1-6-3①②)。 現在用いられている有償・無償の援助手法には、以下のようなものが挙げられる123。

財政支援 セクターワイドアプローチ(SWAPs) セクタープログラム支援 プロジェクト支援 技術協力:アドバイザー、コンサルタント・サービス、JPO プログラムなど 市民社会(NGO)支援 その他:混合借款(アンタイド)、民間セクタープログラム、研究支援など

上記のうち研究機関に対する研究支援は、援助行政の再編の中で見直しが進められてい

るところである。従来の研究基金の分配に関するハーネス報告書の結果を受けて、業務契

約への成果主義の導入と、研究テーマと DANIDA のセクタープログラムとのより直接的

なリンケージを勘案した方針転換が計画されている。これにより、開発研究センター

(Center for Development Research)と他の研究機関が大型の外交政策研究所の一部を

形成し、そこに対して政府の予算が充当されることになっている。

【コラム A1-7:市場活用型の援助スキーム】 デンマークの援助では、いわゆる「市場活用型」の援助スキームとして混合借款プログラム、

PS(民間セクター)プログラム、B2B(Business to Business)プログラムなどのメニューが設けられている。これらのスキームは 90 年代前半に整備・新設され、デンマーク企業からの投資を中核に据えている。混合借款を除いてはプログラム国での実施が基本となっており、セクタープログラムを補強することが期待されている。これらデンマークの市場活用型スキームは、自国企業の支援というよりは、デンマークと途上国の企業同士のパートナーシップ促進を目指すと共に、民間からの援助資金の創出による援助効果の向上を企図していると考えられる。またこの他にも民間企業を取り込んだスキームとして、デンマーク企業とプログラム国企業との共同プロジェクトのマッチングを行う TechChange プログラムや、PS プログラム内または現地大使館の裁量から供与される輸出振興プログラムが進行中である。

DANIDA (September 2001), Promoting business development- a joint task,

123 DANIDA, Modalities for the Management of Danish Bilateral Development Assistance. この他に

も外務省の投資信用基金、途上国工業化基金、輸出信用基金などを通じた信用保証スキームがある。

DANIDA (September, 2001) Promoting business development- a joint task.

Page 90: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-89

図表 A1-6-3:デンマークの概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODA無償・技術協力

ODA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0

0.1

0.2

0.3

0.4

0.5

0.6

0.7

0.8

1960 1970 1980 1990 2000年

%

OECD(2003) "Geographical Di(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1976 1981 1986 1991 1996 2001年

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑥OA供与額(援助形態別)

0

20

40

60

80

100

120

140

160

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)OA無償・技術協力

OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑧ODA供与額(対象地域別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

不特定LDC

オセアニア

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

アフリカ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-200

-150

-100

-50

0

50

100

150

200

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)ODAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

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A1-90

図表 A1-6-3:デンマークの概況(続き)

⑩ODA供与額(セクター別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1,600

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル

その他

緊急支援

債務削減

プログラム支援

マルチセクター

生産セクター

経済インフラ

社会インフラ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑪OA供与額(セクター別)

0

20

40

60

80

100

120

140

160

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

社会インフラ 経済インフラ 生産セクターマルチセクター プログラム支援 債務削減緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

10,000

20,000

30,000

40,000

50,000

60,000

1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ

中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェ

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000年

先進工業国 アフリカ

アジア ヨーロッパ

中東 西半球

その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑨援助(ODA・OA)供与上位10国

0

200

400

600

800

1000

1200

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル

その他10) ガーナ9) ニカラグア8) ジンバブエ7) ベトナム6) エジプト5) インド4) モザンビーク3) バングラデシュ2) ウガンダ1) タンザニア

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

⑮海外直接投資額

0

50,000

100,000

150,000

200,000

250,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万DKr

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

Page 92: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-91

図表 A1-6-3:デンマークの概況(続き)

⑯国防支出

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

3,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

5

10

15

20

25

30

35

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

50

100

150

200

250

300

350

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入

武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

50

100

150

200

250

300

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002

百万ドル

低所得国

低位高所得国

高位低所得国

高所得国

SIPRI (2003) より作成

⑳外国人流入者数

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

1990 1992 1994 1996 1998 年

千人 イラクノルウェートルコスウェーデン

ドイツソマリアアイスランドイギリス前ユーゴスラヴィア米国アフガニスタンタイ

フランスパキスタンオランダその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

(21) 外国人居住者数

0

10

20

30

40

50

60

70

80

1982 1987 1992 1997 年

千人 トルコ前ユーゴスラビアソマリアイラクノルウェードイツイギリススウェーデンパキスタンアイスランドポーランド米国イランヴェトナムオランダその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

2000年 (千人)

トルコ 35.2旧ユーゴスラビア 35.0ソマリア 14.4イラク 13.8ノルウェー 13.0ドイツ 12.7イギリス 12.6スウェーデン 10.8パキスタン 7.1アイスランド 5.9ポーランド 5.5米国 5.3イラン 5.0ヴェトナム 4.6オランダ 4.5その他 73.1

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A1-92

図表 A1-6-4:デンマークの分野別主要事項年表(1):1945-74 年 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

デンマーク

世界

'49 ヨーロッパ会議(COE) 結成

'49NATO加盟

'60OECD(経済開発協力機構:OEECの改組による)

'66NATO核調整マクナマラ委員会設置

'73EC加盟

'71変動相場制

'71スミソニアン体制

'73変動相場制

'53憲法改正

'56-スエズ派兵

'46DANIDA設立

'45クレステンセン '47ヘズトフト '50イーレクセン '53ヘズトフト '55ハンセン

'60カンプマン '62クラーウ

'68バウンスゴー

'71クラーウ

'72イェアアンセ

'73ハートレング

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足 '47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバーゲン報告

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

'72マルグレーテ2世王女即位

'47フェロー諸島に自治権付与

'45ナチスドイツからの解放

'73 EC加盟

'45国連源加盟国に '52「北欧理事

会」設立

'54 ノルディック・パスポート・ユニオン

'70地方自治改革

'60-コンゴ派兵 '64キプロス派兵

'60-欧州自由貿易連合(EFTA)

Page 94: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-93

図表 A1-6-4:デンマークの分野別主要事項年表(2):1974-2003 年

75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

デンマーク

世界

'90欧州安保協力会議(CSCE)首脳会議

'93EC加盟

'94欧州通貨機関(EMI)発足

'78EC新通貨制度決定

'91EC首脳会議

'94CSCE、欧州安保協力会議(OSCE)と改称

'75女王ソ連訪問

'83ECの新漁業政策への反対

'92マーストリヒト条約国民投票で否決

'93マーストリヒト条約の批准承認

'78ODA対GNP比0.7%達成

'87援助プログラムの国会審議開始

'02-援助政策レビュー'96環境支援

戦略'86DANIDA再編

'75 イェアアンセン '82 スリュタ '93 ラスムセン

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化 ベルリンの壁崩

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

難民数減少

外国人法強化

'00国民投票にてユーロ参加を否決

失業率増大('93、約12%)

'92エジンバラ合意

'96「国連緊急即応待機旅団」創設合意

'03イラク戦争参加

緊縮財政

'99コソボ紛争参加

'01アフガニスタン紛争参加

'01シェンゲン協定

'99司法改革失業問題深刻化

'76生活支援法施行

'98社会サービス法

'93アムステルダム条約国民投票で承認

'79グリーンランド自治領に

援助対象国の絞込み

'80非核を決定

'00ミレニアム開発目標

'99ケルンサミット

Page 95: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-94

7 カナダ 7.1 開発援助の歴史的経緯

カナダの対外援助は、英連邦の一員として連邦に貢献することを目的として開始された。

具体的には、1946 年にアジアの英連邦諸国からの研修生受け入れを開始したことに始まる。

カナダは 1950 年にコロンボ・プランが発足すると同時に参加し、同プランによる研修生

の受け入れの調整を目的として同年、カナダ貿易商業省(Canadian Department of Trade and Commerce)内に技術協力サービス(Technical Cooperation Service)を設立した。

当時は、東南アジアの英連邦諸国を中心に食糧援助、技術協力、インフラ整備支援を行っ

た。1950 年代後半からは援助対象地域を少しずつ拡大させ、アジアの域を出て、アフリカ

およびカリブ海の英連邦諸国への援助も開始された。 1960 年には、外務省(Department of External Affairs)内に対外援助庁(External Aid

Office:EAO)が設立され、1962 年には独立した別組織となった。援助対象地域は、1960年代は圧倒的に南アジアが多い。インド、パキスタンの二国だけで 60 年代の対外援助の

40~80%を占めている(図表 A1-7-5⑨)。この配分の背景には、英連邦の一員として、英

連邦内の途上国を支援しようとする意図が存在する。ただ、少しずつではあるが対象国の

多様化が進み、仏語圏アフリカおよびラテンアメリカへの拡大傾向も見られるようになっ

た。この点については、当時、カナダ国内でケベック独立問題が活発化していたことに留

意すべきである。それまでの英連邦諸国を中心とした援助に対してフランス系住民から反

対が寄せられたこと、カナダ政府もこのような国内事情を反映して、対外政策上、英語圏

諸国と仏語圏諸国との距離感のバランスを取る必要が生じたことが、援助に新たな役割を

付与したと言える124。 1968 年には EAO は改組され、カナダ国際開発庁(Canadian International

Development Agency:CIDA)に名称が改められた。1970 年には議会によって ODA に

関わる研究機関として、国際開発研究センター(International Development Research Center:IDRC)が設立されている125。カナダの援助が量的拡大を見せ始めたのはこの頃

からである(図表A1-7-5①)。1971年にバングラデシュが西パキスタンから独立した後は、

インド、バングラデシュ、パキスタンがカナダの対外援助上位 3 カ国として 80 年代後半

まで大きな地位を占め続けた。 カナダは、歴史的に有償資金協力の金額より贈与額の方がやや大きかったが、そのギャ

ップは 70 年代半ばから年々拡大し、80 年代に入ると贈与(無償資金協力および技術協力)

だけが大幅に増額されていった。その増加分の多くは無償資金協力であり、技術協力の拡

大規模を大きく上回った(図表 A1-7-5①)。1986 年 4 月 1 日、カナダは新規の融資供与を

停止し、有償資金協力から撤退した。

124 高柳彰夫 (2001)『カナダの NGO:政府との「創造的緊張」をめざし』明石書店。 125 IDRC の位置づけは、途上国の社会・経済・環境問題を研究する公企業である。

Page 96: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-95

80 年代末から 90 年代前半にかけては、国内の経済不況および財政赤字が援助予算にも

深刻な影響を及ぼすようになった。国際社会におけるミドルパワーとしての国際貢献手段

として開発援助を長年重視してきたカナダではあるが、90 年を境として ODA 額は年々減

少の一途を辿っている(図表 A1-7-5①)。対 GDP 比の ODA の規模についても 91 年の 0.4%から減少し、ここ数年は 0.2%を切るようになっている(図表 A1-7-5③)。人道主義に基づ

いて援助を進めてきたところ、援助案件における自国企業の受注促進を目指す動きが起こ

る等、国内的には経済的利益を誘導する援助の必要性が議論されるようになった126。とは

いえ実績としては、カナダから途上国への輸出増大といった目に見える形での成果は現れ

ていない。カナダの輸出相手先としては、90 年代に入ってむしろ一層先進工業国のシェア

が拡大している(図表 A1-7-5⑬)。 この時期は自国経済に裨益する援助が志向された一方で、議会における議論や政策文書

では貧困削減が援助目的として前面に押し出され、全ての活動に貧困削減の要素を組み込

むようになった127。カナダは英連邦支援から援助を開始したものの、人道主義を掲げて少

しずつ対象国を拡大させた結果、約 100 に及ぶ途上国に対して幅広く援助を供与するよう

になった。他ドナーが自国の安全保障的・政治的・歴史的な国益の視点を援助の配分によ

り明確に反映させて、援助を選択的かつ重点的に供与したことに比べて、カナダでは人道

主義的な配慮が実績に現れたと言える。 2000 年代に入り、カナダの援助政策は大きく変容しようとしている。90 年代に見られ

た援助削減の方針を転換させ、同時多発テロを始めとする国際環境の変化を受けて、国際

協力により積極的にコミットしようとする姿勢を打ち出している。2001 年には、アフリカ

に対して今後 3 年間に 5 億カナダドルを拠出するとのコミットメントを行っている。また、

2002 年 3 月のモントレー国際開発資金会議では、欧米の他ドナーの動きに連動して、カ

ナダ政府は年間 8%の援助増額をコミットした。さらに 2002 年 9 月には「世界で違いを生

み出すカナダ:援助の有効性向上に向けた政策文書(Canada Making a Difference in the World:A Policy Statement on Strengthening Aid Effectiveness)」を発表した。そこで

は、援助の有効性を高めるため、従来型のプロジェクト型援助からセクター・ワイド・ア

プローチ(SWAps)等を含むプログラム型援助への方向転換を唱えている。さらに、援助

の選択性(selectivity)を重視し、重点支援国およびセクターの大幅な絞り込みを提案し

た(後述)。 7.2 近年の開発援助政策 (1) 外交政策目標 冷戦後の国際情勢の変化およびグローバリゼーションの深化を受けて、1995 年にカナダ

政府は、「世界におけるカナダ:カナダの外交政策レビュー(Canada in the World:

126 援助のタイド化議論の他に、貿易振興への活用も議論された。高柳彰夫、前掲書。 127 この時期は、開発援助において経済目的と人道主義とのせめぎ合いが強まったと指摘されている。政

府機関(外務省や CIDA)は経済的利益を重視していたが、議会は人道主義を主張した。高柳彰夫、

前掲書。

Page 97: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-96

Canadian Foreign Policy Review)」と題する外交政策文書を発表した。本書は現在でも

カナダ外交の基軸となっている。ここでは、カナダの外交政策目標として以下の 3 点が掲

げられている128。 ① 繁栄と雇用の促進

繁栄と雇用を 重要アジェンダとして位置付ける。経済の相互依存関係が高まる中で

カナダ経済が国際競争力を有することができるよう、国内体制の整備、国際貿易・投

資の促進、海外進出の支援等を行おうとするものである。同時に、諸外国の繁栄はカ

ナダに恩恵を及ぼし、世界平和および持続可能な開発への道を開くものであるとの考

え方の下に、世界の繁栄を促進するために努めたいとする。 ② 安定した国際的な枠組みにおけるカナダの安全保障の確保

国際平和はカナダの安全保障に不可欠であるとして、外交政策の重要な柱に据えてい

る。安定と安全保障は経済成長および開発の前提条件であるが、安全保障上の脅威は

以前より多様化している。グローバル化や技術の進歩によって、カナダの安全(経済

安全保障を含む)はより一層諸外国に依存するようになっており、安全保障の確保に

向けて可能な外交手段を全て駆使したいとしている。 ③ カナダの価値観と文化の発信

カナダの価値観(人権の尊重、民主主義、法の統治、環境)を普及させ、国際社会で

自国の関心事項を追求することが外交政策上重要であると考える。これらの価値観が

国際社会で受け入れられることによって、国内における生活の質をより向上できると

している。 (2) 近年の開発援助政策 これらの外交目標は、冷戦後の時代背景を反映し、経済安全保障および相互依存関係を

重視している点が特徴的である。これらは政策策定時のプライオリティ付けおよび資金配

分の決定における指針として活用され、通商政策や開発援助の場で実施に移される。本書

では全 7 章のうち、「国際援助(International Assistance)」に 1 章を割き、外交政策全般

の文脈に照らした開発援助の役割を明記している129。そこでは、「対外援助を 3 つのカナ

ダ外交の目的を達成するための主要な手段」と位置づけ、繁栄と雇用促進のための投資で

あり、カナダ経済を世界市場に結びつけるためのツールであり、長期的に途上国を貧困か

ら脱却させる手段であり、人間の安全保障に対する脅威に対処し、世界的な安全をもたら

すものであると説明する。また、対外援助はカナダの価値観(社会的公正)や文化の国際

的な影響手段となりうると主張する。 さらに同書は、国内の財政的な厳しさが増す中で、外交政策目標に則って効率的に ODA

を実施するために、ODAプログラムについて下記の 4つのコミットメントを提示する130。 援助のマンデートとプライオリティ付けの明確化 開発パートナーシップの強化

128 Department of Foreign Affairs and International Trade (1995) Canada in the World: Canadian

Foreign Policy Review. (http://www.dfait-maeci.gc.ca/foreign_policy/cnd-world/menu-en.asp) 129 Department of Foreign Affairs and International Trade, op.cit. 130 Ibid.

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援助の有効性の向上 援助成果のカナダ国民への報告

以上の議論を経てカナダ政府は、ODA の目的を「貧困を削減し、より安全かつ公平で、

繁栄した世界に貢献するために、途上国における持続可能な開発を支援する」と定義し、

この目的を達成するために、全リソースを下記の 6 つのプライオリティ・プログラムに集

中することが必要であるとしている131。 ベーシック・ヒューマン・ニーズ(プライマリ・ヘルス・ケア、基礎教育、家族計画、 栄養、水と衛生、保護施設)

開発と女性(WID)(持続可能な開発の対等なパートナーとしての女性の参加支援) インフラ・サービス(貧困層および能力向上に力点を置いた、環境にやさしいインフ

ラ供与) 人権、民主主義、グッド・ガバナンス(人権、民主主義、グッド・ガバナンスの改善、

市民社会の強化、個人の安全) 民間セクター開発(民間セクターの開発による持続的で公平な経済成長の推進) 環境(途上国の環境保全、国際的・地域的環境問題への貢献)

カナダ政府による政策のプライオリティの変更は、援助額の実績にも如実に現れている。

社会インフラ支援の全援助に占める金額およびシェアは、冷戦後の 1991 年に一旦大幅に

拡大し、その後も順調に漸増傾向にある。援助総額が縮小している中で、社会インフラ分

野のみが拡大を続けている点は特筆すべきであろう。現在では、全 ODA 額の約 50%を占

めるに至っている(図表 A1-7-5⑩)。 なお、同書では、過去 40 年の開発の経験から得られた教訓を生かして、「効果的なプロ

グラミングに向けた指針」を策定するとしている。「途上国のニーズと参加」「現地の知識」

「自立的な活動の促進」「関係者(途上国内およびドナー)とのコーディネーション」「カ

ナダのノウハウの活用」の 5 点が重視される予定である。 カナダ外交では政策立案に際して国内のコンサルテーションを重視しており、米国での

同時多発テロを始めとする国際環境の大幅な変化を受けて、国民との対話方式で外交政策

見直しが進められている。2003年 1月には「外交政策に関する対話(A Dialogue on Foreign Policy)」と題するレポートが国民に提示され、1995 年の外交方針に対して安全保障、経

済的繁栄、カナダの価値観等に関する問題提起を行い、パブリック・ディベートを呼びか

けた。その結果は 2003 年 6 月にカナダ国民への報告(A Dialogue on Foreign Policy: Report to Canadians)という形でまとめられた。これらは今後の政策立案に反映される

予定である。なお、近年は紛争予防や平和構築支援にも積極的な関与を開始しており、一

例として、地雷基金による地雷除去プログラム、平和構築基金による平和構築支援等が挙

げられる132。

131 Department of Foreign Affairs and International Trade, op.cit. 132 外務省 (2003)『わが国の政府開発援助(ODA 白書)2002 年:資料編』第 4 章第 2 節 6. カナダ。

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図表 A1-7-1:カナダ援助の歴史的変遷

時代 主な特徴 1946~50 年代 コロンボ・プランによる英連邦諸国向け援助

<対象:アジア中心、アフリカ、カリブ海地域> 1960~70 年代 フランス語圏に援助を拡大

援助実施機関の設立 <対象:フランス語圏アフリカ、ラテンアメリカに拡大>

1980 年代 人権重視 有償資金協力から撤退 現地事務所への権限委譲を図るもコスト増から挫折

1990 年代 貧困削減を主要課題に 財政難および行政改革から援助額を減少

2000 年代 プロジェクト型援助からプログラム型援助への転換 選択性の重視(重点支援国、セクターの絞り込み) 紛争予防、平和構築支援等、新たな分野への広がり <対象:アフリカを中心とする 9 カ国を重点国に>

7.3 開発援助に係るプレイヤーの分析 (1) 政策立案者・政策実施者 カナダ国際開発庁(Canadian International Development Agency:CIDA)は 1960 年

に対外援助庁(EAO)として設立され、1968 年 5 月の Financial Administration Act による改組を経て現在の名称に変更された。カナダでは他の主要援助国と比べて、援助実施

機関である CIDA の権限が強いことが特徴的である。国際協力大臣の管轄下で、外務・国

際貿易省、大蔵省との協議に基づいて二国間・多国間援助を立案、実施する権限が付与さ

れており、CIDA から直接議会に報告する。全 ODA 予算の約 80%が CIDA の管轄下にあ

る。

図表 A1-7-2:カナダの援助関係機関とその管轄業務 機関名 活動内容 カナダ国際開発庁(CIDA) 二国間援助

多国間援助(国連機関等。世銀グループを除く) 外務国際貿易省(DFAIT) IDRC(内外調査活動)を所轄

カナダ連邦奨学金を所轄 大蔵省 世界銀行、IMF を所轄

CIDA の二国間援助は、セクターではなく、国を単位とした実施体制を採用している。

近年のプロジェクト型援助からプログラム型援助への移行の動きを背景に、組織体制もプ

ログラム援助に対応できる形を取っている。NGO や民間セクターとのパートナーシップ

を重視し、国内機関とのパートナーシップを担当する「カナダ・パートナーシップ局」を

置いている。CIDA の組織は、図表 A1-7-3 で示された局から成る。

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図表 A1-7-3:CIDA 内部の組織と担当業務 局 担当業務 地域担当局 アフリカ・中東、アメリカ、アジア、中央・東ヨーロッ

パを担当する 4 つの局から成り、各地域における活動を

担当。 カナダ・パートナーシップ局 カナダ国内機関とのパートナーシップの促進を担当。 多国間プログラム局 マルチ援助の窓口。 政策局 外交目的に沿った CIDA の業務方針の策定。 人材・組織支援局 CIDA スタッフの人事、法務業務等。 情報管理・技術局 CIDA 内部の情報管理・情報技術サポートを提供。 広報局 カナダ国民向けの情報発信。 パフォーマンス・レビュー局 監査、評価、成果重視の管理に向けた活動の実施。

(2) 民間セクター・NGO

CIDA が NGO との連携重視の方針を打ち出していることもあり、カナダは NGO の活

動が活発な国の一つである。CIDA と NGO との連携は既に 1960 年代半ばに開始されてお

り、NGO との協働については主要ドナーの中でも先駆的試みを重ねている133。 カナダには約 350 の NGO が存在するとされており、NGO の性質や設立の経緯から、「海

外の NGO のカナダ支部」「キリスト教系 NGO」「ボランティア派遣団体型 NGO」「カナ

ダ独自の非宗教系 NGO」「カナダ国内でのアドボカシー型 NGO」「NGO ネットワーク型

の協会」「その他(大学や民間等の研究機関)」に分けられる134。これらの団体では、資金

や物資の供与、人材派遣、緊急支援等を行っている。活動国は CIDA の援助が幅広く行わ

れていることを反映して多岐に渡っており、 も多くの NGO が活動するのはインドの 33団体(2000 年)である135。セクターとしては、教育、保健、ジェンダー、人権等の社会

開発分野で活動する団体が多い。 カナダの NGO は CIDA との長い協働の歴史を有する。CIDA 創設当初は CIDA 側が

NGO の経験を活用することに熱心であり、NGO の活動形態に対応した援助形態の模索に

熱心であった。しかし、その後の資金供与額の拡大や CIDA の活動目的の多様化等に伴っ

て、NGO 側に NGO が本来持つべき自立性を損なうことへの警戒心が生じた。90 年代半

ばには、CIDA による NGO の恣意的な利用、NGO への活動への制約が懸念されるように

なった136。NGO の CIDA 依存は資金的な側面だけに留まらず NGO の活動面にもおよび、

CIDA の政策変更に対する脆弱性として現れるようになったと指摘されている137。

CIDA による NGO 支援スキームの例をみてみよう。CIDA は 1995 年から、カナダの中

小規模の開発 NGO を支援するため「NGO プロジェクト・ファシリティ」と呼ばれる NGO

133 高柳彰夫、前掲書。 134 高柳彰夫、前掲書。 135 カナダ国際協力協議会(Canadian Council for International Co-operation: CCIC(2000) Who’s Who

in International Development: A Profile of Canadian NGOs, Ottawa: CCIC). 136 高柳彰夫、前掲書。 137 高柳彰夫、前掲書によると、カナダの NGO の CIDA 資金への依存は 40-45%に達する。同書は、カ

ナダの NGO 専門家のイアン・スマイリーの発言から、NGO の CIDA に対する脆弱性を示す「CIDAがくしゃみをすると、カナダの NGO はビタミン C を求めようとする」という言葉を引用している。

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支援スキームを有している138。ここでは、125 を超える国内の NGO に対して、途上国で

実施する開発プロジェクトまたはカナダ国内で国際開発問題の普及を目指した活動に対し

て資金援助を行っている。支援規模は年間 5 万カナダドルから 35 万カナダドルである。

CIDA は、本スキームがカナダの NGO 育成の場を提供していると考えており、大学も開

発プロジェクトにおいてコンサルタント(NGO)として積極的に活動している。 なお、大学をベースとした NGO としては、CUSO(設立当初は Canadian University

Service Overseas が正式名)が存在する。1961 年にカナダの大学が実施する海外ボラン

ティア活動のコーディネーションを目的として設立され、途上国の貧困削減、経済社会開

発を目的に、海外の政府または大学への技術協力等を実施している。海外の現地 NGO と

のパートナーシップを重視しており、業務を一緒に行うことに加えて、現地 NGO の能力

向上のためにトレーニングの実施および国内外パートナーとのリンケージ作りを支援して

いる。 【コラム A1-8:カナダの NGO による ODA 政策に対するアドボカシー】

カナダの NGO による ODA 政策に関するアドボカシー活動は概して活発ではないが、90 年

代初頭は NGO から CIDA の業務や開発援助政策全般について多くの批判がなされた。その主

な矛先は、援助額の削減、世銀・IMF の構造調整路線との協調、貿易問題との連携、人権問題

である。1991 年 2 月にカナダ国際協力協議会(CCIC)は以下のように対外援助プログラムの

評価を行い、公表した。

「カナダ政府の対外援助プログラムに関する通知表」 項目 評価 コメント(要約)

援助額 F 失望するような成果。政府自らの公約を達成していない。 貧困層に届いてい

るか C IMF・世銀の構造調整路線の支援を強めている。

環境保全 B- 環境アセスメントで進展が見られているが、「持続可能な開発」

はカナダの援助政策の優先事項にまだなっていない。 人権と援助 C 入り交じった成果。国際人権・民主的発展センターの設立や仏語

圏サミットのザイールでの開催中止などの成果の反面、中国、グ

アテマラ、エルサルバドル、ガイアナなど人権侵害政府に対する

二国間援助が続いている。 債務問題への対応 D 議会が 貧国の債務削減の勧告を拒否。

(抜粋)高柳彰夫、前掲書、pp. 135-136 7.4 開発援助政策の実施方針 (1) 重点対象国・地域・セクター

2002 年 9 月、CIDA は「世界で違いを生み出すカナダ(Canada Making a Difference in the World)139」と題する報告書の中で、経済成長偏重ではなく、政治・社会・経済・組

織の側面を含む包括的な開発モデルの必要性を提示した。同モデルでは、現地のオーナー

138 CIDA ホームページによる。 139 CIDA (September 2002) Canada Making a Difference in the World: A Policy Statement on

Strengthening Aid Effectiveness.

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シップ、ドナー間調整、パートナーシップ、成果重視アプローチ、貿易・投資等の非援助

政策との連携促進、グッド・ガバナンス、キャパシティ・ビルディング、市民社会の参加

が援助の効率性を高めるために不可欠であるとする。その上で、実際に有効性を高める手

段として、伝統的なプロジェクト型援助から、財政支援やコモン・バスケット・ファンド

を含むプログラム型援助への移行を宣言した。 カナダは、アジア、アフリカ、アメリカの 30 ヶ国をコア・カントリーとしつつも、こ

こ 20 年間に亘って約 100 ヶ国に対して幅広く二国間援助を供与してきたために、DAC 諸

国の中で も対象国の絞り込みが低く、援助が拡散している国であった。実際、1999~2000年のカナダ援助受入トップ 15 ヶ国のシェアは全援助額の 15.8%に過ぎず、他ドナー平均

である 25%に比べ大きく下回っていた140。そこで、この問題に対応するとともに、限られ

た予算の中で援助の効率性を高めることを目的として、地域とセクターを絞り込むことを

発表した。今後は、図表 A1-7-4 で示された貧困国 9 ヶ国に対して、セクターを限定した

プログラム型支援を集中的に実施することになる。 これらの国は全て貧困削減戦略ペーパー(PRSP)または暫定版 PRSP(I-PRSP)を策

定済みであり、ガバナンスの向上、人権の尊重、汚職の抑制へのコミットメントを示して

おり、援助効果が期待できることから選定されたものである。さらに、各地域において将

来的に地域的リーダーシップを発揮するポテンシャルを有する国については特別に配慮し、

対象国に含めたとしている。 具体的な支援セクターは、各国政府および他ドナーとの対話に基づき、各国の貧困削減

計画に沿って選定される。1995 年の外交政策文書の中では、ベーシック・ヒューマン・ニ

ーズ、ジェンダー、インフラ整備、人権・民主主義・グッド・ガバナンス、民間セクター

支援、環境の 6 分野を優先支援分野としていたが、2002 年の見直しではこれは幅広く支

援メニューを示したに過ぎないとみなされた。なお、プログラム・アプローチへの円滑な

移行には現場でのプレゼンスが必須であることから、これまで他ドナーに比べて本部に権

限が集中しがちであった CIDA としては、今後は 9 つの重点国については現場に権限を委

譲し、現地の知識およびノウハウの汲み上げおよび対話への参加に努めるとしている。

図表 A1-7-4:カナダの重点援助対象国 地域 国名 アフリカ エチオピア、ガーナ、マリ、モザンビーク、セネガル、タンザニア アジア バングラデシュ 南アメリカ ボリビア、ホンジュラス

(2) 援助手法 カナダは 1986 年に有償資金協力から撤退し、現在実施されている援助は全て贈与(無

償資金協力および技術協力)である。2000 年度は、OECD/DAC によると二国間援助のシ

ェアは 70.4%、多国間援助は 29.6%であった。

140 CIDA, op.cit., pp. 9-11。

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従来 CIDA は、30 以上に及ぶビジネスモデルを活用したプロジェクト援助に注力してい

たため、プロセス重視に陥り、本部中心で管理費が非常に大きい機関であった。実際、援

助予算に占める管理費に着目すると、DAC 諸国平均の 6%に対して CIDA は 11%に及ん

でいた141。また、それに伴って CIDA 内部の業務は、政策分析および戦略策定の他は契約

管理が中心となってしまっていた。近年、途上国のオーナーシップの下で途上国自身が開

発計画を策定し、ドナーはその枠組みの中で支援するという形に援助の方向性が大きく変

わる中で、カナダは従来のプロジェクトを中心とする援助モダリティからよりプログラム

をベースとしたスタイルへの変更を余儀なくされた。現在、SWAps や財政支援を含むプ

ログラム型援助にシフトするための道具として、「国別開発プログラム策定枠組(Country Development Programming Frameworks:CDPFs)」を策定している。CIDA 内部にビ

ジネス変換ユニット(Business Transformation Unit)を設置し、今後 5 年かけて 3 つの

ビジネスモデルに基づく業務形態に転換していこうとしている。それに従って CIDA スタ

ッフに求められるスキルも変わってきており、政策分析スキルおよび途上国カウンターパ

ートとの協議に携わる能力が求められるようになっている。 現段階では、2002 年の DAC による開発協力レビューでも指摘されているように、CIDA

は未だオタワの本部に重心を置いた機関である。案件監理は、CIDA 本部、途上国の大使

館に派遣された CIDA スタッフ、現地スタッフからなる現地のプログラム・サポート・ユ

ニットの三者からなる三角関係によって行われるため、業務に重複が見られ、本部スタッ

フの現地への頻繁な出張が必要となっている。今後はこのような体制を改め、CDPF に基

づくより現場に近い体制を構築する必要性が指摘されている142。 なお、CIDA は MDGs をベースとした成果重視の管理(Results-Based Management)

をいち早く取り入れたドナーである。カナダ会計監査院は、現在では CIDA の業務をこの

観点から評価している143。 カナダは 1986 年以来、新規の有償資金協力を行っていないが、過去の債権から毎年

3,000~4,000 万カナダドルの返済が継続している144。カナダは既に過去に数多くの債務削

減を行っているため、現在の債務国は 17 ヶ国に留まる。債務削減に当たっては、途上国

政府が現地通貨で特定の開発活動のみに利用できる「ローカル・ファンド」を設立する形

態が採用されている。HIPC 信託基金には、2002 年 9 月までに 114 百万米ドル、2002 年

10 月以降に 51 百万米ドルのコミットメントを行っている。

141 OECD/DAC (2002) Canada: Development Co-operation Review: Main Findings and

Recommendations. 142 OECD/DAC (2002) op.cit. 143 Ibid. 144 UFJ 総合研究所、前掲書。

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A1-103

図表 A1-7-5:カナダの概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAローン(グロス)OA無償・技術協力OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0.00

0.05

0.10

0.15

0.20

0.25

0.30

0.35

0.40

0.45

1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows", World Bank(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1,600

1,800

2,000

1976 1981 1986 1991 1996 2001年

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑥OA供与額(援助形態別)

0

50

100

150

200

250

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)OA無償・技術協力

OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

500

1,000

1,500

2,000

2,500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1,600

1,800

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-700

-600

-500

-400

-300

-200

-100

0

100

200

300

400

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAローン(グロス)

OAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

Page 105: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-104

図表 A1-7-5:カナダの概況(続き)

⑩ODA供与額(セクター別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1,600

1,800

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル

社会インフラ 経済インフラ 生産セクター

マルチセクター プログラム支援 債務削減緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑪OA供与額(セクター別)

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

1990 1992 1994 1996 1998 2000年

百万米ドル

その他緊急支援債務削減プログラム支援マルチセクター生産セクター経済インフラ社会インフラ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

50,000

100,000

150,000

200,000

250,000

300,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万加ドル

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000

先進工業国 アフリカアジア ヨーロッパ中東 西半球その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカ

アジア ヨーロッパ

中東 西半球

その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑨援助(ODA・OA)供与上位10国

0

500

1000

1500

2000

2500

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル その他10) ザンビア9) パキスタン8) ガーナ7) カメルーン6) インドネシア5) インド4) エジプト3) 中国2) バングラデシュ1) ポーランド (OA)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

⑮海外直接投資額

0

10,000

20,000

30,000

40,000

50,000

60,000

70,000

80,000

1980 1985 1990 1995 2000年

百万加ドル

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

Page 106: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-105

図表 A1-7-5:カナダの概況(続き)

⑯国防支出

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

9,000

10,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

10

20

30

40

50

60

70

80

90

100

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入

武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

50

100

150

200

250

300

350

400

450

1980

1982

1984

1986

1988

1990

1992

1994

1996

1998

2000

2002年

百万米ドル

低所得国

低位高所得国

高位低所得国

高所得国

SIPRI (2003) より作成

⑳外国人流入者数

0

20

40

60

80

100

120

140

1980 1982 1984 1986 1988 1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

千人 中国インドパキスタンフィリピン韓国スリランカ台湾香港ヴェトナムイギリスロシア連邦ポーランドボスニア・ヘルツェゴビナイラン米国その他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

(21) 外国人居住者数

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1,600

1,800

1981 1986 1991 1996

千人 イギリスイタリア米国香港(中国)インド中国ポーランドフィリピンドイツポルトガルヴェトナムオランダ前ユーゴスラビアジャマイカ前USSRその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

1996年 (千人)

イギリス 655.5イタリア 332.1米国 244.7香港(中国) 241.1インド 235.9中国 231.1ポーランド 193.4フィリピン 184.6ドイツ 181.7ポルトガル 158.8ヴェトナム 139.3オランダ 124.5旧ユーゴスラビア 122ジャマイカ 115.8旧USSR 108.4その他 1702.2

Page 107: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-106

図表 A1-7-6:カナダの分野別主要事項年表(1):1945-74 年

45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

カナダ

世界

'49NATO加盟

'65-73ベトナム戦争

デタント

'46英連邦からの研修生受入

'50コロンボプラン参加

'60対外援助庁(EAO)設立

'68EAOをCIDAに改組

'70国際開発研究センター設立

'69輸出信用保険会社(ECIC)設立

'59ピアソンノーベル平和賞受賞

'59北米航空宇宙防衛協定

(NORAD)締結

'45国連加盟

'49ニューフォンドランド第10番目の州に

'50-53朝鮮戦争に参加

'64 国旗を議会で

承認

'67モントリオールでエキスポ

開催

ケベック分離独立運動盛んに'52カナダ人が総督に初就

'51米州機構に加盟

'35 マッキンジーキング '48 サンローレン '57 ディーフェンベーカー '63 ピアソン '68 トルドー

'65米加自動車協定

'60-ケベック州「静かな革命」

'74外国投資審査法

'57病院保険診断サービス法

'66医療法

移民受入拡大'54ベトナム国際休戦監視委員会に参加

アメリカの経済的影響力拡大 対米経済依存の拡大

'56スエズ動乱への国連介入軍の派遣を提案

アメリカからの独立を指向

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足 '47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバーゲン報告

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

Page 108: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-107

図表 A1-7-6:カナダの分野別主要事項年表(2):1975-2003 年

75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

カナダ

世界

'94-NATO東方拡大

'99ヌナブト準州創設

'01ECICを輸出開発公社(EDC)に名称変更

'02援助政策文書発表・方針転換

'95外交政策文書「世界におけるカナダ」

'03外交政策見直し

'80ケベック州、州民投票により現状維持を決定

'82「1982年憲法」公布

'92「シャーロットタウン協定」国民投票で否決

'85カナダ投資法

'87米国と関税協定締結

'93初の女性首相誕生

'94 NAFTA発効

'87「ミーチ・レイク協定」実現せず

高失業率(9%超) '95財政赤字から小さな政府へ方針転換

'95ケベック州、州民投票により現状維持を決定

カナダドルは長期下落傾向

'94チームカナダ方式採用

テロ後、対米関係重

視へ

'01スマートボーダー宣言に調印

'01アフガニスタン派兵

'68 トルドー'79

クラーク '80 トルドー '84ターナー

'84 マルルーニ'93キャンベル '93 クレティエン

'03マティン

'89米加自由貿易協定発効

経済不況

'89APEC発足

'80国家エネルギー計画

'75インフレ防止法

'87CIDA報告書「誰のための援助」発表

'88CIDA報告書「私たちの未来を共有する」発表

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

'00ミレニアム開発目標

'99ケルンサミット

'86有償資金協力の停止

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A1-108

8 オーストラリア 8.1 開発援助の歴史的経緯 オーストラリアの対外援助は、1946 年に国連信託統治領であったパプアニューギニア

(オーストラリアが施政権を有す)に向けた支援から開始された。各省庁内に援助担当部

署が個別に設置され、それらが援助の実施を担当したが、この体制は 70 年代半ばまで続

いた。 本格的な対外援助は、1950 年の英連邦外相会議(コロンボ会議)において、当時のスペ

ンダー外相がコロンボ計画を提唱したことに始まる。オーストラリア政府は東南アジアで

進行しつつあった共産化の流れを自国の安全保障政策上の脅威と捉え、アジア太平洋地域

の安定のために自らが主体的に関与していこうという姿勢を示し始めていた145。従って、

政府は開発援助を軍事政策等と並ぶ主要な外交政策ツールとして位置づけ、アジアの反共、

引いては自国の安全保障を実現する手段として活用し始めた。その意味でオーストラリア

の援助政策は、純粋な安全保障上の目的から開始されたと言える。同計画の対象地域は東

南アジアであり、経済・技術協力が供与された。国内では、長期的視野に立って途上国の

開発を支援することが途上国の生産性回復および民生の安定に繋がり、引いては政治的な

安定と共産化の阻止に繋がるというロジックで説明され、広く国民に支持された。このロ

ジックによる援助は 1960 年代まで継続した。 【コラム A1-9:スペンサー外相(当時)の東南アジア援助論】

1950 年当時の東南アジア援助論は、以下の 3 点を主張している。 1. 西側諸国による援助はアジアの共産化を未然に防止する有力な政治的手段である。 2. 共産主義は貧困を養分として増殖するため、西側の対外援助により途上国の経済発展に貢

献すれば、共産主義の浸透を食い止めることができる。ただし、途上国の発展は長期的展

望で捉えるべきであり、援助も長期的視点から供与すべきである。 3. 援助の成果は短期的に求めるのではなく、長期的に考える必要がある。教育は西側世界の

価値観を理解する人材を育てるだけでなく、途上国の開発に不可欠である。従って、コロ

ンボ計画は経済開発と教育を二本の柱とする援助計画でなければならない。 出所:竹田いさみ、1991 年、「移民・難民・援助の政治学」。

1970 年代に入り、オーストラリアの外交政策を転換させ、それに伴って援助政策の変更

を余儀なくさせたのは、米国の東アジアからの軍事的撤退であった。1969 年のニクソン・

ドクトリンにより米軍がベトナム戦争から撤退したため、アジア地域に力の真空が発生し、

新たな地域枠組みの構築が求められるようになった。また、ほぼ同時期の米中関係正常化

により、アジアにおける共産主義の脅威が急速に減少した。このような時代の変化を受け

てオーストラリアは、アジア諸国、とりわけ東南アジア諸国と独立した関係を築こうとす

る「第三世界外交」を打ち出した146。それまでの軍事政策と援助を主軸とする外交政策に、

移民・難民政策、貿易政策といった非軍事的政策が加えられ、多元的にアジア諸国との関

145 竹田いさみ (1988)「冷戦期オーストラリアの対外援助政策:予備的考察」、『オーストラリア研究紀要』

(追手門学院大学)第 14 号。 146 竹田いさみ (1991)『移民・難民・援助の政治学』剄草書房。

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A1-109

係強化を目指した147。援助実施体制としては、それまで各省庁内にばらばらに設置されて

いた援助担当局を統合し、1974 年にオーストラリア開発援助庁(Australia Development Assistance Agency:ADAA)が設立された。ADAA は 1977 年に外務省に吸収され、同省

の外局としてのオーストラリア開発援助局(Australian Development Assistance Bureau:ADAB)になった。

1970 年代後半に地理的・経済的、安全保障上で密接な関係を持つ南太平洋の島嶼国が独

立すると、オーストラリアは積極的に関与し始めたが、その際のツールとして重用された

のが援助であった。太平洋地域はその歴史的経緯からミクロネシア(米国の影響力大)、ポ

リネシア(フランス)、メラネシア(旧英連邦)に分けられるが、なかでもオーストラリア

の関与が大きいのは旧英連邦系のメラネシア(パプアニューギニア、フィジー等)である148。

ここでは、政治的および安全保障的な要素が援助供与目的の主軸に据えられた。援助の供

与によって、島嶼国がオーストラリアの価値観や政治的立場への理解を高め、国際社会で

オーストラリアを支持することを目指している149。また、地理的に近い太平洋地域の安定

はオーストラリアの安全保障に直結するため、援助によって同地域の安定も目指された。

このような点で、南太平洋諸国向け援助は他地域向けのものと大きく異なる位置付けであ

ったと言えよう。 特殊性は実績にも如実に現れる。例えば対パプアニューギニア援助は、46 年の援助開始

時から 70 年代半ばまで平均して総額の 70%を超えている(図表 A1-8-3⑨)。なお、国土

の小ささと海外市場との距離のために産業振興が困難なこれらの国々には、援助開始当初

から財政に直接資金を投入する財政支援が実施された150。しかし、これは島嶼国の深刻な

援助依存を招く結果となった。 この時期、国内の財政赤字拡大により援助額の大幅増は望めず、金額的には漸増傾向に

あるものの対 GDP 比は 70 年代半ばから漸減傾向に入った(図表 A1-8-3①③)。国際情勢

の変化や国内財政の厳しさを受けて、オーストラリア政府は ODA 政策の見直しを開始し、

首相外交顧問であったハリーズを委員長として「オーストラリアの第三世界との関係に関

する委員会(Committee on Australia’s Relations with the Third World)」が 1978 年に

設立された。そこでは、ODA は多目的に実施されるものとし、具体的には、(1)人道主

義的援助、(2)国益に奉仕する援助(安全保障と繁栄)、(3)外交政策手段としての援助、

(4)経済利益を追求する援助、の 4 つに整理されている151。また、旧植民地としてのパ

プアニューギニアとの特別な関係および同国向け援助の必要性を認めつつも、長期的視点

に立って、将来の利害関係をより多く伴う東南アジアに援助の重点をシフトしていくべき

との指摘がなされた。この時期、パプアニューギニアのシェアを縮小させるのと並行して

援助対象国が拡大され、80 年代前半からは中国やアフリカ等への援助も本格化している

(図表 A1-8-3⑨)。

147 竹田いさみ、同上。 148 竹田いさみ、同上。 149 竹田いさみ、同上。 150 近年、パプアニューギニア向け援助は財政支援からプログラム援助に切り替えられた。 151 竹田、前掲書。

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A1-110

1983 年には「オーストラリアの対外援助プログラム検討委員会(Committee to Review the Australian Overseas Aid Program)」が設立され、1985 年に報告書(ジャクソン報告)

が対外援助政策の指針として承認された。ソ連の脅威が減少した中で西側寄りのスタンス

を保ちつつ経済成長が著しいアジア太平洋地域と、どう付き合っていくべきかという問題

意識に立っている152。特に、ASEAN を国際社会経済における圧力集団とみなし、ASEAN諸国との関係構築を重視した。本報告では、援助対象地域を重要度に応じてⅠからⅣに分

類し、分類別に実施するプロジェクトの範囲および援助計画策定の詳細さの度合いを定義

した。 重要のレベルⅠには、パプアニューギニア、南太平洋・インド洋島嶼諸国、レベ

ルⅡは東南アジア、南アジアの一部(ネパール、ブータン等)、レベルⅢは中国、インド、

パキスタン、バングラデシュ、レベルⅣはアフリカ、中東、中南米が分類されている。レ

ベルⅣ国では、プロジェクトの実施および国別計画の策定が不必要であるとされた。援助

実施体制としては、1987 年に ADAB がオーストラリア国際開発援助局(Australian International Development Assistance Bureau:AIDAB)に名称が改称された。その後、

さらに 1995 年にオーストラリア国際開発庁(Australian Agency for International Development:AusAID)に変更されている。

8.2 近年の開発援助政策 近年の援助政策の転換を示すものとして、1997 年 11 月にアレクサンダー・ダウナー外

務大臣名で提出された「より良い将来に向けたより良い援助(Better Aid for a Better Future)153」が挙げられる。これは 1997 年 5 月発表のサイモンズ・レポート154の提言に

基づいている。 同書ではまず、援助プログラムの上位目標として、「途上国の貧困削減および持続可能な

開発の達成を支援することによって、オーストラリアの国益を促進すること」を掲げてお

り、これは外務貿易省のホワイトペーパーで示された外交政策の方向性とも一致している。

援助における 6 つの原則として、以下の 6 点が掲げられている。 途上国および他の開発パートナーとのパートナーシップに力点を置く。 緊急のニーズおよび開発のトレンドに対応する155。 オーストラリアができることを見極めて、現実的なアプローチで対応する。 優先付けを行い、ターゲットを絞る。 オーストラリアの価値を反映させて、オーストラリアのアイデンティティを示す。 外向きの姿勢を示し、新しいアプローチに柔軟に対応する。

上述の目標と原則に従って、プライオリティを以下のように定める。

152 竹田、前掲書。 153 The Hon Alexander Downer MP, Minister for Foreign Affairs (18 November 1997) Better Aid for a

Better Future: Seventh Annual Report to Parliament on Australia’s Development Cooperation Program and The Government’s Response to the Committee of Review of Australia’s Overseas Aid Program.

154 1996 年 6 月にダウナー外相が Paul Simons に委託し、援助政策諮問委員会が設立された。サイモン

ズ・レポートとは同委員会の報告書を指す。ここでは、援助政策について 79 に上る提言が提示され

た。 155 自然災害等に対して、迅速に救済を行うことを指す。

Page 112: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-111

途上国とのパートナーシップを構築する。 セクターのプライオリティを、①保健、②教育、③農業・農村開発、④インフラ、

⑤ガバナンス、の 5 分野とする。 ダイナミックな民間セクターを支援する。 市民および政治的権利を推進する。 キャパシティ・ビルディングを進める。 分野横断的な課題(ジェンダー、環境)に対応する。 地理的には、引き続き、アジア太平洋地域に集中する。パプアニューギニア、太平

洋諸国、東アジアは今後とも 重点地域であるが、南アジア、アフリカ、中東諸国

に対しても選択的に援助を実施する。 GO や国際ドナーとの連携を図る。 段階ではオーストラリアの援助形態はグラントのみだが、サイモンズ・レポートは

アンタイドのソフト・ローンの導入を提案している156。ローンの導入については今

後の検討課題として残される。 さらに、援助をより効率的に管理し援助成果を高めるために、常設の諮問委員会設置等、

複数の施策が採用されることになった。また、併せて AusAID の組織改革も実施するが、

その主なものとして、AusAID 内に主要セクターのアドバイザリー・グループを設立する、

「レビュー・評価室」を設置する、契約業務を強化する、等が挙げられる。援助の規模に

ついては、国連の対 GNP 比 0.7%目標を引き続き支持するものの、実際の支出は国内の財

政状況に縛られるとしている157。 なお、同時多発テロ等の国際情勢の変化を受けて、政府は 2002 年 9 月に「オーストラ

リア援助:成長・安定・繁栄への投資(Australian Aid: Investing in Growth, Stability and Prosperity)」を発表した。これは前述の文書で示された原則を踏襲しているが、その後の

国際的・地域的状況の変化や援助の有効性を追求する議論を反映させて作成されたもので

ある。ここでは、開発援助の課題として新たに打ち出された 5 点を紹介する158。 ガバナンス:被援助国政府のガバナンスを改善し、民主化を進める。 グローバリゼーション:被援助国の貿易、投資、IT による恩恵を 大化する。 人的資源:教育、保健、水等の基本的サービス・デリバリーの提供によって、途上

国の人材を育成し、生産性の向上と貧困層の選択肢の増大および社会への参加を促

進する。 安全保障:貧困は紛争のリスクを高め、紛争は貧困の原因となりうる。被援助国政

府の紛争予防能力の強化によって、地域的安全保障を強化する。 持続可能な資源管理:環境のマネージメントおよび希少天然資源の活用に際しては、

持続可能な取り組みを進める。

156 ローンの実施により、より大型のプロジェクトの実施が可能になり、レシピエント政府により良い財

政規律を促すことができ、援助の譲許性に柔軟性を有することができることをその理由としている。 157 ODA の対 GDP 比は 1960 年代後半に 0.45%に到達した後は低下傾向にあり、現在では 0.2%を下回る

水準にある(図表 A1-8-3③)。 158 The Hon Alexander Downer MP, Minister for Foreign Affairs (September 2002) Australian Aid-

Investing in Growth, Stability and Prosperity, Eleventh Statement to Parliament on Australia’s Development Cooperation Program.

Page 113: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-112

オーストラリア援助の近年の動きとして、援助のアンタイド化が挙げられよう。2001年に OECD/DAC は低開発国(LDC)向け援助の調達をアンタイド化することに合意した

が159、そこでは技術協力と食糧援助だけが例外とされていた。しかしオーストラリア政府

は、2003 年 12 月、バイの枠組みで実施される技術協力も原則的にアンタイドとする旨発

表160、2004 年 1 月 1 日付けで実施に移されることになっている161。 なおオーストラリアは、援助プログラムの策定に当たって他の政策(外交政策、通商政

策等)との政策一貫性に配慮している。具体的には、途上国支援ツールとして援助を供与

するだけでなく、農業分野の貿易自由化を進めことによって途上国に自国の農産物市場を

開放している。

図表 A1-8-1:オーストラリア援助の歴史的変遷 時代 主な特徴 1946~60 年代 旧英連邦諸国との関係強化

東南アジアの共産化阻止 <主な対象地域:PNG、東南アジア、南アジア>

1970 年代 アジア諸国との独立した関係の構築へ 南太平洋島嶼国への援助開始 <主な対象地域:PNG、東南アジア>

1980 年代 ODA 政策の枠組決定(ジャクソン報告) 中国、アフリカ等への援助開始 <主な対象地域:南太平洋、東南アジア>

1990 年代- 地域・セクターの絞込み 成果重視へのシフト <主な対象地域:アジア太平洋地域>

8.3 開発援助に係るプレイヤー分析 (1) 援助実施者 オーストラリアの援助を一元的に実施しているのは AusAID である。AusAID は

Corporate Plan の中で、組織の上位目標として「途上国の貧困削減および持続可能な開

発の達成を支援することによって、オーストラリアの国益を促進すること」を掲げ、途上

国、オーストラリアの民間企業、NGO、国際機関とのパートナーシップの下で、効果的

な貧困削減プログラムを立案・管理を担当するとしている162。また、組織として 10 項目

の主要成果分野(Key Result Area:KRAs)を定め、各活動はそのうちの 1 つもしくは

複数の分野に貢献するものであるべきであるとしている163。KRAs は、以下のとおりで

ある。

159 オーストラリアの援助対象 LDC は、バングラデシュ、カンボジア、東チモール、ラオス、ネパール、

キリバス、サモア、ソロモン諸島、ツバル、バヌアツ、の 10 カ国(2003 年 12 月現在) 160 ただし、業務の特性に応じて、オーストラリアまたはニュージーランドの業者に限られる場合がある

とする。その場合には、入札指示書の中でその旨、明確に記載されることになっている。 161 AusAID (02 December 2003) “Latest News Items: Untying Australian Bilateral Aid to LDCs”. 162 AusAID (2000) AusAID Corporate Plan: 2001-2003. 163 AusAID (June 20, 2003) AusGUIDE: Activity Cycle Overview.

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A1-113

有効なパートナーシップを構築する。 卓越したオーストラリアの援助プログラムを提供する。 保健を改善する。 教育へのアクセスと質を向上させる。 有効なガバナンスを推進する。 基礎的なインフラを提供する。 農業・農村開発を改善する。 環境の持続可能性を 大化する。 ジェンダーの平等を推進する。 人道援助および緊急援助を提供する。

個別のプロジェクトおよび活動は、国別戦略(Country Strategy)に基づく。国別戦略

は、AusAID が各途上国とのパートナーシップに基づいて、当該国の開発戦略およびニー

ズを反映して策定される164。国の状況によってその内容は様々であるが、オーストラリア

政府としてプライオリティ・セクターに定めた前述の 5 分野および分野横断的課題の中か

ら選択的に取り上げられている。なお、各プロジェクトは 5 段階から成るプロジェクト・

サイクルに則って実施されるが、AusGUIDEと呼ばれるAusAIDの業務実施指針の中に、

各段階における主要な活動およびAusAIDや受入国政府等の役割が詳細に規定されている。 第 1 段階:プロジェクト立案、初期審査 第 2 段階:プロジェクト準備 第 3 段階:承認 第 4 段階:動員、実施、モニタリング 第 5 段階:完了、評価

図表 A1-8-2:AusAID 組織体制

組織名 担当地域または業務 アジア・コーポレート・リソース局 東アジア部 北アジア、東南アジア

インドネシア部 インドネシア 東チモール、人道・地域プログラム 東チモール、中東、南アジア、アフリカ

人道・緊急援助 レビュー・評価部 評価、監査、業務の質改善 リソース部 財務、予算、IT

パプアニューギニア・太平洋・グローバル・プログラム パプアニューギニア部 パプアニューギニア 太平洋部 太平洋諸国 政策・マルチラテラル部 政策、広報 オーストラリア・パートナー部 契約、コミュニティ・プログラム、奨学金

164 Ibid.

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A1-114

AusAID 内では、理事長(Director General)1 名、副理事長(Deputy Director General)3 名から成る理事会が戦略策定およびマネージメントの責任を有する。理事長は援助政策

および援助実務について外務大臣に直接報告を行う。プロジェクト関連の実務を担当する

のは図表 A1-8-2 で示された 2 つの局であり、その下に複数の部が存在する165。 (2) 民間セクター・NGO オーストラリア政府は、NGO との戦略的連携の重要性を認識している166。途上国コミ

ュニティーとの関係構築や業務における柔軟性を NGO の強みとして評価し、オーストラ

リアの援助実施に恩恵をもたらしていると考えている。実務上は、NGO とパートナーシ

ップ協定を締結して共同で小規模な地域プロジェクトを実施している他、地域支援プログ

ラムへの資金援助を実施している。近年、特に国内 NGO との連携姿勢を強めており、

1997-98 年には国内 NGO のシェアは 79.5%であったが、2001-02 年には 87.1%を占める

に至っている167。また、「年次 AusAID・NGO 協議」等が開催されるようになるなど、

AusAID と NGO コミュニティーが定期的に意見交換を行う場も設置されてきている。 近年、資金提供者である政府は、NGO 業務の質の確保を一層重視する傾向にある。NGO

との協働に向けたユニークなシステムとして、AusAID による厳格な認定制度が挙げられ

よう。これは NGO を経由する援助のリスク管理を目的としており、NGO は AusAID か

ら資金を得るため、AusAID から事前に認定を受ける必要がある168。認定を受けるにはま

ず、NGO 活動の調整団体であるオーストラリア対外援助委員会(Australian Council for Overseas Aid:ACFOA)が定める「ACFOA NGO 行動準則(ACFOA Code of Conduct for NGOs、コラム A1-10 参照)」に署名してその規定を満たし、その上で、AusAID による

NGO 認定基準を満たす必要がある。認定の対象となるのはオーストラリアの NGO のみで

ある。本制度導入前は 130 を越す NGO に対して資金が供与されていたが、現在、協働関

係にある NGO は約 50 に減少している169。現段階で完全な認定(full accreditation)を受

けた NGO は 30 あり、これらはプログラム・ベースでの資金提供の対象となっている。基

礎的認定(base accreditation)を受けた 19 の NGO は、プロジェクト・ベースの支援の

み受けられる170。 民間セクターとの協働は、AusAID が実施する援助プログラムの管理および実施の大部

分が民間に委嘱されることによって実現している。オーストラリアの援助は、現地にオー

ストラリア人専門家を長期間に渡って派遣することを特徴とする。アジア諸国においては、

援助額から想定される以上に現地におけるオーストラリア人専門家の存在感が際立ってい

ることが、多くの開発関係者から指摘されている。

165 AusAID (1 January, 2004) “Interim Organizational Structur”e に拠る。 166 The Hon Alexander Downer, MP, Minister for Foreign Affairs (18 November 1997) Better Aid for a

Better Future. 167 AusAID, “Summary of the Official Aid through Australian and Non-Australian NGOs, 1997-98 to

2001-02”. 168 一旦認定を受けると 5 年間有効である。 169 AusAID, “Australian Aid: Making a Difference”. 170 AusAID, “List of Accredited NGOs”.

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A1-115

【コラム A1-10:ACFOA NGO 行動準則】 オーストラリアでは、NGO 側でも独自に業務の質を高めるべく努力を重ねている。その一例

として、1997 年にオーストラリア対外援助委員会(Australian Council for Overseas Aid:ACFOA)が NGO の活動水準を示すものとして策定した「NGO 行動準則」が挙げられる。こ

の中では、組織的統合、ガバナンス、一般大衆とのコミュニケーション、ファイナンス、人材・

管理慣行、他の規約や基準へのリファレンス、苦情処理とコンプライアンス、モニタリング・プ

ロセス等について規定している。例えば、ガバナンスについては、NGO が年次報告書を作成し、

当該 NGO のメンバーに対しておよびパブリックに対してリクエストに応じて公開することや、

資金調達活動においては団体の性格や目的、プログラム等について正確な情報提示を行うこと、

等を定めている。 本準則に署名した NGO はその内容に縛られる。オーストラリア政府も、NGO のアカウンタ

ビリティを高めるものとして、ACFOA による本試みを高く評価している171。 出所:ACFOA, “ACFOA Code for Conduct for non-government development organizations.”

http://www.acfoa.asn.au/code/Code_of_Conduct.htm 8.4 開発援助政策の実施方針 (1) 重点対象国・地域・セクター オーストラリアは援助草創期から常に対象国を限定し、選択的に供与してきた。1970

年代前半には受入上位 10 カ国で全供与額の 90%を占めていたが、その後少しずつそのシ

ェアは下がり、80 年代半ばに 60-70%になった後は現在に至るまで同水準を維持している

(図表 A1-8-3⑨)。1997 年の援助政策見直し以来、これまで以上に対象を絞り、援助効果

および効率性を上げようとの方向性が導入され、重点地域や国、セクターについて一層の

絞込みが行われている。これは実績にも既に現れており、二国間援助の対象国が 1997 年

には 62 カ国であったものが、2002 年末には 47 カ国に減少した172。 地域としては歴史的にアジア太平洋地域に力点を置いており、特にパプアニューギニア

および南太平洋諸国ではリードドナーとしての役割を果たしている。同地域のシェアは既

に 60 年代から大きかったが、上述の選択と集中を進める政策導入の結果、アフリカや欧

州のシェアが低下し、ますますこの 2 つの地域のシェアが上昇している(図表 A1-8-3⑧)。

実績値では東アジア・太平洋地域の割合が 1995/96 年には 61%に過ぎなかったが、2001/02年には 89%を占めるに至っている173。これは、DAC の援助レビュー(1999 年)でも指摘

されているように、同地域の安定がオーストラリアの安全保障および経済発展に直結して

いることに拠る。2002/03年の国別プログラム予算の約34%はパプアニューギニアが占め、

東アジア 40%、他の南太平洋諸国 16%、南アジア 6%、中東・アフリカ 4%であった174。

アフリカおよび中東向けの援助は極めて選択的で、国際機関や NGO との協働の形で実施

される。所得区分別の援助供与実績では、低所得国および下位中所得国のシェアが 60 年

171 The Hon Alexander Downer MP (September 2003) Australian Aid- Investing in Growth, Stability

and Prosperity: Eleventh Statement to Parliament on Australia’s Development Cooperation Program.

172 AusAID, “Australian Aid: Making a Difference.” 173 オーストラリア人材の海外派遣においても同様の傾向が見られる。海外援助ボランティア・プログラ

ムでは、全ボランティアの 85%がアジア・太平洋地域に派遣されている。 174 AusAID , “Advancing the National Interest: Australia’s Foreign and Trade Policy White Paper.”

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A1-116

代から一貫して大きいが、これはオーストラリアが貧困削減を重視して援助を実施した結

果というよりも、重点地域であるアジア太平洋諸国がこの所得区分に所属することに拠る

と考えられる(図表 A1-8-3⑦)。 セクターの絞込みも顕著である。特に重点が置かれているのはガバナンスと教育である。

グッド・ガバナンスは経済成長と貧困削減の基盤として不可欠であるとの認識に基づき、

ガバナンス支援は 1996/97 年の 9%から 2000/01 年には 23%に拡大した175。人的資源分

野では、1996/97 年の 7%から 2001/02 年の 12%に伸びている。個別の援助対象地域およ

び国単位で見ると、対象の特性を反映して選択と集中を行っていることが見て取れる。例

えば太平洋地域では、経済改革およびガバナンス分野が援助の 3 分の 2 を占める。一方、

ベトナムでは、組織改革と農村開発が二大援助分野である。なお、援助の絞込みはプロジ

ェクト数の減少にも顕れている。これは、プロジェクトの本数を減らし 1 件当たりの金額

を大きくすることによって、1 件当たりのインパクトを増大させようとの考え方に基づい

ている。

(2) 援助手法 オーストラリアの ODA では、「国別プログラム」と呼ばれる二国間援助と、「グローバ

ル・プログラム」と呼ばれる多国間援助が占める割合が大きい。二国間援助では現在は有

償資金協力は実施されておらず、無償資金協力と技術協力だけが実施されている。当初は

技術協力に比べて無償資金協力の割合が大きかったが、近年(1995 年以降)、無償資金協

力が減少傾向にある一方で、技術協力の金額に大きな変化はないため、技術協力のシェア

が高まっている(図表 A1-8-3①)。 二国間援助のプログラムとしては、アジア太平洋地域の平和と安全保障を直接的な目的

とした、人道援助、緊急援助、国際難民プログラムも実施している。紛争や天然災害にお

ける脆弱な人々に対するマイナスの影響を緩和することを目的に実施されるもので、近年

の支援例としては、イラクにおける人道救済および復興支援、アフガニスタンの復興支援、

アフリカ南部における深刻な旱魃に対する食糧支援等が挙げられる。地雷および不発弾の

除去も人道支援プログラムの一部として実施されている。なお、これらの活動は、NGOおよび国際機関と連携しながら展開されている。 オーストラリアの ODA の約 25%を占める多国間援助についても、オーストラリアの重

点政策分野に沿った活動を行う国際機関に重点的に拠出するなど、戦略的な取り組みが行

われている。1996 年以来、複数の国連機関に拠出停止や金額削減を行う一方で、オースト

ラリアの政策目標に沿ったプログラムに対しては重点的に支援を行っている176。現段階で

重点機関とされているのは、世界銀行、アジア開発銀行、世界食糧計画、国連開発計画、

国連難民高等弁務官事務所である。アジア太平洋地域重視の姿勢を反映させて、アジア開

175 AusAID, “Australian Aid: Making a Difference.” 176 例えば、保健分野においては国際機関への拠出額自体に変更はないものの、アジア太平洋地域でより

緊急性の高い業務を行うプログラムに集中するよう、支援プログラム数を半減させている。The Hon Alexander Downer MP (September 2003) op.cit.

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A1-117

発銀行を重視する方向にある。 ODA プログラムの一部として、オーストラリアへの留学生を支援する「オーストラリ

ア開発奨学金(Australian Development Scholarship)」、第三国への途上国留学生を支援

する「オーストラリア地域開発奨学金(Australian Regional Development Scholarship)」を有する。受入地域にもオーストラリアの地域的関心が反映されており、パプアニューギ

ニアを始めとする南太平洋諸国、インドネシア、ベトナムを始めとする東南アジアの出身

者が多い。近年の傾向として、アフリカからの留学生の増加が見られる。

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A1-118

図表 A1-8-3:オーストラリアの概況

①ODA供与額(援助形態別)

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODA無償・技術協力

ODA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

③ODA対GDP比

0.00

0.05

0.10

0.15

0.20

0.25

0.30

0.35

0.40

0.45

0.50

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows", World Bank(2003) "World Development Indicators 2003" より作成

④援助額(タイド/アンタイド別)

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1,000

1976 1981 1986 1991 1996 2001年

百万米ドル

アンタイド

タイド

DAC/OECD "Development Cooperation" 各年版より作成

⑥OA供与額(援助形態別)

0

1

2

3

4

5

6

7

8

1990 1992 1994 1996 1998 2000 年

百万米ドル

OAローン(グロス)OA無償・技術協力

OA技術協力

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑤援助(ODA+OA)供与額

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

OAグロス総額

ODAグロス総額

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑧ODA供与額(対象地域別)

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1,000

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

不特定LDC

オセアニア

ヨーロッパ

アジア

アメリカ

アフリカ

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑦援助(ODA+OA)供与額(相手国所得区分別)

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1,000

1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

高所得国(OA)

高所得国(ODA)

上位中所得国

下位中所得国

他の低所得国

低開発国

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

②ODAローン供与額

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000年

百万米ドル

ODAローン(グロス)

ODAローン(ネット)

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

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A1-119

図表 A1-8-3:オーストラリアの概況(続き)

⑩ODA供与額(セクター別)

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1973 1978 1983 1988 1993 1998 年

百万米ドル

社会インフラ 経済インフラ生産セクター マルチセクタープログラム支援 債務削減緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑪OA供与額(セクター別)

0.0

0.5

1.0

1.5

2.0

2.5

3.0

3.5

4.0

4.5

5.0

1990 1992 1994 1996 1998 2000年

百万米ドル

社会インフラ 経済インフラ生産セクター マルチセクタープログラム支援 債務削減緊急支援 その他

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows"

⑫貿易額

0

10,000

20,000

30,000

40,000

50,000

60,000

70,000

80,000

90,000

1980 1985 1990 1995 2000 年

百万豪ドル

輸出

輸入

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑬輸出額(相手地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカ

アジア ヨーロッパ

中東 西半球

その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑭輸入額(相手国地域別シェア)

0%

20%

40%

60%

80%

100%

1980 1985 1990 1995 2000 年

先進工業国 アフリカ

アジア ヨーロッパ

中東 西半球

その他

IMF (2003) "Direction of Trade Statistics"

⑨援助(ODA・OA)供与上位10国

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900

1000

1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年

百万米ドル その他10) バングラデシュ9) フィジー8) 東チモール7) カンボジア6) タイ5) ベトナム4) 中国3) フィリピン2) インドネシア1) パプアニューギニア

OECD(2003) "Geographical Distribution of Financial Flows" より作成

⑮海外直接投資額

-2,000

0

2,000

4,000

6,000

8,000

10,000

12,000

14,000

1980 1985 1990 1995 2000 年

百万豪ドル

OECD以外

OECD諸国

OECD (2003) "International Direct Investment Statistics Yearbook

Page 121: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-120

図表 A1-8-3:オーストラリアの概況(続き)

⑯国防支出

0

1,000

2,000

3,000

4,000

5,000

6,000

7,000

8,000

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑰兵員数

0

10

20

30

40

50

60

70

80

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑱武器貿易額

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1,600

1,800

1989 1991 1993 1995 1997 1999年

百万米ドル

武器輸入

武器輸出

U.S.Department of State (2003) "World Military Expenditureand Arms Transfer"

⑲武器輸出(相手国所得区分別)

0

50

100

150

200

250

300

350

198

0

198

2

198

4

198

6

198

8

199

0

199

2

199

4

199

6

199

8

200

0

200

2年

百万米ドル

低所得国

下位中所得国

上位中所得国

高所得国

SIPRI (2003) より作成

⑳外国人流入者数

0

10

20

30

40

50

60

1983 1985 1987 1989 1991 1993 1995 1997 1999年

千人 ニュージーランドイギリス中国南アフリカインドフィリピンユーゴスラビアフィジー台湾ヴェトナム香港スリランカレバノン米国クロアチアその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

(21) 外国人居住者数

0

200

400

600

800

1,000

1,200

1,400

1981 1983 1985 1987 1989 1991 1993 1995 1997 1999 年

千人英国イタリア前ユーゴスラビアギリシャドイツオランダポーランドヴェトナム中国フィリピンインドマレーシアニュージーランドレバノン南アフリカその他

OECD "Trends in International Migration (2003 及び1997DB)より作成

2000年 (千人)

英国 1215.9イタリア 241.7旧ユーゴスラビア 210.0ギリシャ 141.2ドイツ 12.2オランダ 90.6ポーランド 68.3ヴェトナム 174.4中国 168.1フィリピン 123.0インド 110.2マレーシア 97.6ニュージーランド 374.9レバノン 79.9南アフリカ 80.1その他 1329.2

Page 122: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-121

図表 A1-8-4:オーストラリアの分野別主要事項年表(1):1945-74 年 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

オーストラリア

世界

'50 コロンボ計画提唱

'46パプアニューギニアに援助開始

'50コロンボ計画参加

'74オーストラリ助庁(NDAA)設立

'45国連加盟

'47大量移民計画

'50朝鮮戦争に参加

'48国籍・市民法

'51 ANZ条約締結

'51サンフランシスコ対日講和条約

に署名

'54 SEATO創設

反共運動盛んに

'56メルボルン五輪

'58移民への英語聞き取り

試験廃止

'59鉄鉱石輸出禁止令解

'65-71 ベトナム戦争に参加

'66 通貨を十進法ドルに

'67 アボリジニ政策変更

'71 OECD加盟

'72 アボリジニ問題省設立

'73 豪中貿易協定締結

東南アジア向け援助開始

南太平洋島嶼国向け援助開始

'45 チフリー '49 メンジース(保守) '66ホールト

'67マキュワン

'68 ゴートン '71マクメーン

'72ウィットラム

'47トルーマン・ドクトリン

'55ワルシャワ条約機構

'73拡大

'73石油危機

'49 中華人民共和国 冷戦雪どけデタント

第2次大戦終結 '56スターリン批判

'49 NATO、COMECON '60 アフリカの年

'64第1回UNCTAD

'61DAC創設'50コロンボ・プラン

'60IDA設立 '69ピアソン報告'66ADB、AfDB業務開始

'46IBRD業務開始'45UN発足 '47IMF業務開始

'55アジア・アフリカ会議 '61国連開

発の10年 '70ティンバー

'62キューバ危機 '65-73ベトナム戦争

Page 123: Appendix 1:開発援助の政策目的 - JICA...A1-2 大された。本計画の背景には、1949 年の中国共産化による反共封じ込め政策の重要性の再 認識があげられる5。また、アメリカ企業の対外投資環境整備も援助目的の一つであった。本計画を実施に移すべく「1950

A1-122

図表 A1-8-4:オーストラリアの分野別主要事項年表(2):1974-2003 年

75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03

政治・経済動向

国際開発動向

社会動向

政治動向

<首相>

経済動向

貿易・投資動向

安全保障政策

外交政策

援助政策

オーストラリア

世界

'97サイモンズ・レポート

'99東チモール派兵

'75 ベトナム難民受入

'76東チモール難民流入

'76人種差別禁止法

'76ベトナム・ボートピープル流入

環太平洋構想

'83ニュージーランドと経済緊密化協定

'83賃金物価協定

'83ドル、フロート化

'84自動車産業合理化

政策

'84南太平洋非核地帯設置

条約

'86ケアンズ・グループ結成

'88自由党から、アジア移民制限

'88建国200年祭

'88労使関係法

'89ホーク首相、APEC提

'89中国向け新規援助停止

'91チモール海峡共同開発条約発効

高失業率

'94先住権原法制定

'95安全保障に関する共同宣言(インドネシ

ア)

'99国民投票で共和制を否決

'00シドニー五輪開催

'00付加価値税導入

'77NDAA、外務省参加のオーストラリア開発援助局(NDAB)に

'78オーストラリアと第三世界の関係に関する委員会

'85ジャクソン報告

'87NDAB、オーストラリア開発援助局

(AIDAB)に名称変更

'95AIDAB、オーストラリア国際開発庁(AusAID)に名

称変更

'97援助政策文書発表

'02改訂版援助政策文

書発表

'03アンタイド化

'98東チモール問題正常化へ働

きかけ

財政赤字悪化

'75 フレーザー(保守) '83 ホーク(労働) '91 キーティング(労働) '96 ハワード(保守)

'95新事業移民制度

'96職場労使関係法

'94ASEAN地域フォーラム

'89APEC発足

'79-88ソ連アフガニスタン侵攻

'85ゴルバチョフソ連書記長就

'89東欧民主化

'91ソ連解体

'93パレスチナ暫定自治宣言

'98北アイルランド和平合意

'01同時多発テロ

'97アジア経済危機

'86IMF、SAF構造調整資金設置

'92地球ミット

'75第1次ロメ協定 '79第2次ロメ協定 '84第3次ロメ協定

'94社会開発サミット

世銀構造調整貸付

'96DAC「新開発戦略」

'80-88イラン・イラク戦争

'91湾岸戦争

'00ミレニアム開発目標

'99ケルンサミット