朗文堂:robundo ‘we love typography’ -...

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文字講座 

知識としての文字

石のエクリチュール

行きつ、戻りつ 

パレオグラフィ・タイポグラフィ

Écriture文字として書かれたもの

フランス語のエクリチュールは意味領域がひろく

1. 書くこと

2. 書き方、書体、文体

3. 書かれたもの。文字。文書などをあらわす。

HONORÉ de BALZAC1799–1850

フランス近代リアリズム文学における大作家。

長短 90 余編が織りなす『人間喜劇』はあま

りにも有名だが、パリの名門活字鋳造所「ド

ベルニ・ペイニョ活字鋳造所」の創設に深く

関わるタイポグラファとしての側面はあまり

知られていない。

オノレ・ドゥ・バルザックの墓標

ペール・ラシェーズ墓地(Cimetiere Pere Lachaise)パリ

TypographyTypography ≒ 書籍形成法

タイポグラフィの原義は「金属活字に変換し、描き記

録する形式」である。しかし金属活字版印刷は急速に

衰退しているので、「金属活字」を「印刷用文字活字」

として捉え直し、それを再定義すると「言語を印刷用

文字活字に変換し、複製のために活字を紙に定着させ、

描き、記録し、伝達させる行為」となる。

参考/『タイポグラフィの領域』(河野三男 朗文堂)

PaleographyPaleography = 古書体学

英語のPaleographyとは古文書学ではなく、古書体学で

ある。パレオグラフィとは、あらゆる時代の、あらゆ

るものに書かれたものを扱うが、一般には近世以前に、

蝋板・パピルス・羊皮紙・布・紙などの柔らかい材料

に書かれ、彫られたりした、古い書体の解読と、その

字体の変遷を研究する学問である。

参考/『英語学事典』(大修館 1994)

彫った文字と書いた文字彫刻系字様・書体/書写系字様・書体

漢字の部首「しんにゅう」は何画ですか ?

漢字の部首「しんにゅう」は何画ですか ?

辺 邊 邉

正解 : 7 画

古代文明において、文字は彫られるものであった。

エジプト ヒエログリフ

チグリス・ユーフラテス文明 くさび形文字

黄河(河水)文明 甲骨文

篆説文大除本

隷隷辮

行王羲之

草王羲之

楷五経文字

『五體字類』改訂第三版 西東書房発行 1998

『印刷術教科書』ヨゼフ・ナジ著 

帝都育英工業高等学校発行 1952

和文金属活字組版の文選作業を効率的におこなうためには、部首に

よる字種の分類法を会得する必要があった。ここでは分類の基本と

なる 214 種類の漢字の部首が 4 頁にわたって丁寧に紹介されている。

紙の発明・筆記用具の変化・字体の変遷

書写系柔らかい線質

彫刻系硬い線質

澤 沢

彫られた文字をたずねて掃 苔 会の活 動

S OU TAI KA Iそうたいかい

タイポグラフィとパレオグラフィを学ぶための任意の

研究会の名称。本来の掃苔(そうたい)とは文字どおり

苔を掃くことを意味し、転じて墓参り、とりわけ盂蘭

盆の墓参のことをいう。したがって掃苔会では、自然

の草木・景観・町並みを楽しみながら、タイポグラフィ

の先賢の墓標をたずね、その前にこうべをたれ、偉大

な先輩とのひとときの会話を愉しむ会である。

A D O L F L O O S 1870–1933ウィーン中央市民墓地

掃苔会のおもな活動

掃苔会のおもな活動

Rosetta stoneパレオグラフィの象徴的な存在

・ 王および王の子孫に敬意を表すること。

・ 王の像をエジプトの各神殿に安置し、1 日 3 回礼拝する。

・ 王の像を安置した祠と像を装飾し、祭日にはパレードをおこなうこと。

・ 王の誕生日と即位式当日を記念するために、毎月祭典をおこなうこと。

・ 月のはじめの 5 日間を礼拝日と定めて花輪を捧げること。

・ この布告を実行する神官たちは特別の権限を保持し、その姓名を永遠に

記録すること。

・ 市民は自由に聖堂を建設でき、毎年毎月祭典をおこなうことを許可する。

・ この布告は堅い石に彫刻し、ひとつには神官の文字をつかい、ひとつに

は民衆の文字をつかい、ひとつにはギリシャの文字をつかうこと。この

布告はエジプト国の第 1 ・2・3 等級に属する神殿内部の、王の像の傍

らに建設するものとする。

井伊 掃部頭直弼墓井 伊 直 弼

1815–60

彫刻系彫刻風楷書体/類例がすくない明朝体による墓標

世田谷区・豪徳寺内 井伊家募域

苔 掃会のおもな活動

拓本

拓本 デジタル書体反転像

宗觀院殿正四

位上前羽林中郎將柳暁覺翁大居士

複刻 / 覆刻 / 復刻

彫刻系の特徴が際だった「かぶせ彫り」

巷間、わが国の明朝体のはじめとされる

鐵眼禅師と黄檗山宝蔵院の一切経は少し

恥ずかしい覆刻本

重要文化財

黄檗山萬福寺の一切経

日本・延宝 6 年(1678)に鐵眼禅師が覆刻した『鐵眼一切経』明王朝・万暦 17 年(1589)に中国で刊刻された『嘉興蔵』

現在のデジタル・タイプの明朝体(本明朝)で追試組版を試みた明王朝・万暦 17 年(1589)に中国で刊刻された『嘉興蔵』

東京都指定旧跡

一 行院と徳本行者

東京都指定旧跡/一行院 文京区千石 1–14–1

徳本行者の署名と花押

東京・小石川の伝通院の名号碑

長野県飯山・忠恩寺の名号碑

東京・小石川の一行院の名号碑

序文印影

『徳本行者伝』行誠上人著 1867(慶応 3)

本文印影 例言印影

明 智 院 願 譽 壽 誓 法 尼

日本でもっとも美しいお墓

拓本 デジタル書体反転像

明智院願譽

誓法尼

平 野 富 二1846–1892

近代日本の創建に貢献したひと

東京築地活版製造所・石川島造船所(現石川島播磨重工業)の

開設者。わが国の近代タイポグラフィは本木昌造と平野富二の

開設による東京築地活版製造所にはじまったといっても過言で

はない。「平野富二碑」は母・矢次美弥の発願によって生地長崎、

矢次家の靈域に建立された。撰・西道仙、書・平野幾み(碑文

では次女喜美子)。矢次家が断絶したため無縁となり長崎に放

置されていたが、最近になって再発見され、2002 年 12月1日に

平野家墓所に移築・披露された。

 顕彰碑は篆額・榎本武揚、撰ならびに書を福地櫻痴こと源一

郎がになった勇壮なものである。

1871年(明治24)26 歳頃1885 年(明治18)40 歳頃

1914 年(大正 3)『活字と機械』より1877 年(明治 10)『BOOK OF SPECIMENS』より

1903 年(明治36)『活字見本』より

平 野 富 二 墓 碑 ・ 平 野 富 二 碑

谷 中 霊 園   乙 11 号 14 側

榎 本 武 揚 1836–1908

平 野 富 二 顕 彰 碑 ( 甲 1 号 1 側 )

佐 久 間 貞 一1848 –98

大日本印刷の創立者・工場法の制定を推進

佐久間貞一は実業家。幕臣の子として江戸にうまれた。1876 年

(明治 9)秀英舎を創立し、活字版印刷業で成功した。同社は

日清印刷と合併して大日本印刷株式会社となった。また活字書

体の秀英体をつくったことでも著名である。明治の実業界の成

功者として大資産家だったが、工場法の制定を推進し、労働者

の保護・教育・組合の育成にも尽力するなど従業員の立場に立

って物事を判断した。「遺言/裸で生まれてきたから、裸で死

ぬのさ」のとおりに簡素な墓地である。

『株式会社秀英舎沿革誌』1907 年(明治 40)より

秀英舎本社(上)と第一工場(下)の様子

木口木版による佐久間貞一の肖像

『活版見本帖 Type Specimens』1903 年(明治 36)

佐久間貞一追悼碑

撰・書/旧友・榎本武揚

佐久間家墓所

佐久間貞一の墓は向かって左端のもの

真言宗円明山西蔵院 台東区根岸 3-12-38

『追懐録』1910 年(明治 43)に

収められた佐久間貞一の遺墨

福 地 櫻 痴( 源 一 郎 )

1841–1906

メディア勃興の記録者・人生劇場を飾った洒落者

長崎うまれ。オランダ語の通詞となり上京後幕臣となる。海外

渡航をかさね、1868 年(明治元)佐幕派の立場から『江湖新聞』

を発刊してわが国初の発禁処分を受ける。維新後は大蔵官僚と

なり、伊藤博文・井上馨らの長州系派閥からの寵愛をうけ、の

ち『東京日日新聞』主筆・社主となる。歌舞伎改良に尽力、歌

舞伎座を開設したが座主を追われる。のち自己破産したが再起

して衆議院議員となる。戯曲『春日局』、著書『幕府衰亡論』

など。号・櫻痴は吉原の遊女「櫻路に痴れた」自分を洒落て名

乗ったもの。毀誉褒貶が相半ばする人物であり、多くの成功と

失敗を重ねながら、テンとして恥じることなくその人生を活き

きった明治の怪物。

『山猫女於兎塚』

曹洞禅宗永久寺 台東区谷中 4–2

仮 名 垣 魯 文(野 崎 文 蔵)

1829 –94

諧謔風刺の愛猫家・反骨のひと

江戸京橋うまれ。幕末・明治初期の戯作者・新聞記者。諧謔と

風刺に長じ、戯文をもって鳴る。『仮名読新聞』『魯文珍報』を

創刊。戯作『西洋道中膝栗毛』『安愚楽鍋 あぐらなべ』など。

福地櫻痴らの粋人と親友で、『山猫女於兎塚』の書は福地が書

した。「遺言:本来空財産無一物」である。佐久間貞一とも交

遊があり、なにか通底するものを感じる。

仮名垣魯文墓碑 曹洞禅宗永久寺 台東区谷中 4–2

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