第7章 経済連携下の援助政策―aseanにおける競争と支援のバランス

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第7章 経済連携下の援助政策―ASEAN における競争と支援のバランス 三浦 有史 はじめに 東アジアは多様性に満ちている。 この地域は発展段階の全く異なる国々から構成されており、 「共同 体」 の先行きを見通すことは容易ではない。 国単位でみれば1人当たり GDP が1万ドルを超えるのは 日本、 韓国、 シンガポールの3カ国のみであり、 地域の人口の9%を占めるに過ぎない。 その一方で、 日本の無償資金協力供与の目安となる1人あたり GDP が2,000ドルを下回る人口の割合は86%に達する。 これは、 EU や FTAA (Free Trade Area of Americas) とは異なる東アジア固有の特徴であり、 「共同体」 はもちろん、 FTA (Free Trade Agreement) やEPA (Economic Partnership Agreement)、 でさえ、 先例のない試みといえる。 それは、 南北問題を抱える地域で市場統合が成立するのか、 あるい は、 援助と競争を原則とする市場原理がどのように共存しうるかという問題を提起している。 ASEAN (東南アジア諸国連合) は東アジアで唯一機能している地域協力体である。 東アジア全体を 覆う FTA ないし EPA が十分な説得性を持たない以上、 日本にとって重要なことは ASEAN 諸国との EPA を少しでも開放性と機能性に富んだ質の高いものにし、 東アジアにおける規範的な制度的枠組み に仕立てることである。 そのためには、 ASEAN は統合の深化とともに結束を強化する存在でなければならない。 本稿は、 ASEAN を取り巻く環境の変化に伴って原加盟国と新規加盟国の関係がどのように変化してきたか、 そ して、 新規加盟国が ASEAN における統合の深化や中国の躍進を受けてどのような問題に直面してい るかを整理した上で、 日本の援助戦略の在りようを検討する。 1. ASEAN 再考 統合への歩みを始めた東アジアにおいて ASEAN はどのような役割を担っているのか。 日本にとっ ての ASEAN の意義は何か。 そして、 ASEAN は統合の深化とともに信頼関係を深める地域協力体た りうるのか。 日本はそのことにどのような影響を与えてきたのか。 以下では、 ASEAN を取り巻く環境 の変化を振り返り、 それらの問題を考える。 1.1. 何故、 ASEAN が重要か 日本と ASEAN (ASEAN+1) の首脳会議の歴史は決して深いとはいえない。 1977年に最初の日・ ASEAN 首脳会議が開催され、 日本が非軍事大国化と信頼関係の構築を謳ったいわゆる 「福田ドクトリ ン」 を発表したことは広く知られている。 10年後の87年に第二回目の首脳会議が開催され、 ASEAN の 民間部門の発展を促そうとする 「平和と繁栄へのニュー・パートナーシップ」 が確認されたものの、 ASEAN+1が定例化されたのはさらに10年を経た97年のことであった。 1997年の ASEAN 創設30周年を機に橋本首相 (当時) は 「日本・ASEAN 新時代への改革―より広 くより深いパートナーシップ」 を打ち出した。 日本は ASEAN との首脳会議を定期的に開催すること ― 141 ―

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第7章

経済連携下の援助政策―ASEANにおける競争と支援のバランス

三浦 有史

はじめに

東アジアは多様性に満ちている。 この地域は発展段階の全く異なる国々から構成されており、 「共同

体」 の先行きを見通すことは容易ではない。 国単位でみれば1人当たり GDP が1万ドルを超えるのは

日本、 韓国、 シンガポールの3カ国のみであり、 地域の人口の9%を占めるに過ぎない。 その一方で、

日本の無償資金協力供与の目安となる1人あたりGDPが2,000ドルを下回る人口の割合は86%に達する。

これは、 EU や FTAA (Free Trade Area of Americas) とは異なる東アジア固有の特徴であり、

「共同体」 はもちろん、 FTA (Free Trade Agreement) や EPA (Economic Partnership Agreement)、

でさえ、 先例のない試みといえる。 それは、 南北問題を抱える地域で市場統合が成立するのか、 あるい

は、 援助と競争を原則とする市場原理がどのように共存しうるかという問題を提起している。

ASEAN (東南アジア諸国連合) は東アジアで唯一機能している地域協力体である。 東アジア全体を

覆う FTAないし EPAが十分な説得性を持たない以上、 日本にとって重要なことはASEAN諸国との

EPAを少しでも開放性と機能性に富んだ質の高いものにし、 東アジアにおける規範的な制度的枠組み

に仕立てることである。

そのためには、 ASEAN は統合の深化とともに結束を強化する存在でなければならない。 本稿は、

ASEANを取り巻く環境の変化に伴って原加盟国と新規加盟国の関係がどのように変化してきたか、 そ

して、 新規加盟国がASEAN における統合の深化や中国の躍進を受けてどのような問題に直面してい

るかを整理した上で、 日本の援助戦略の在りようを検討する。

1. ASEAN再考

統合への歩みを始めた東アジアにおいてASEAN はどのような役割を担っているのか。 日本にとっ

ての ASEAN の意義は何か。 そして、 ASEAN は統合の深化とともに信頼関係を深める地域協力体た

りうるのか。 日本はそのことにどのような影響を与えてきたのか。 以下では、 ASEANを取り巻く環境

の変化を振り返り、 それらの問題を考える。

1.1. 何故、 ASEANが重要か

日本とASEAN (ASEAN+1) の首脳会議の歴史は決して深いとはいえない。 1977年に最初の日・

ASEAN首脳会議が開催され、 日本が非軍事大国化と信頼関係の構築を謳ったいわゆる 「福田ドクトリ

ン」 を発表したことは広く知られている。 10年後の87年に第二回目の首脳会議が開催され、 ASEANの

民間部門の発展を促そうとする 「平和と繁栄へのニュー・パートナーシップ」 が確認されたものの、

ASEAN+1が定例化されたのはさらに10年を経た97年のことであった。

1997年の ASEAN 創設30周年を機に橋本首相 (当時) は 「日本・ASEAN 新時代への改革―より広

くより深いパートナーシップ」 を打ち出した。 日本は ASEAN との首脳会議を定期的に開催すること

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を提案し、 加盟国が10カ国に拡大したASEAN が日本にとって重要なパートナーであるという認識を

明確にした。

しかし、 中国が警戒感を抱くことを懸念した ASEAN は日本に ASEAN+3を逆提案した (田中

[2003])。 1997年7月にはタイ・バーツが暴落し、 通貨危機は瞬く間に他のアジア諸国に伝播した。 こ

うした中、 同年末、 ASEAN首脳会議に日韓中の首脳が招待されるかたちで、 ASEAN+3の首脳会議

が開催された。 ASEAN+3は決して日本のリーダーシップによって実現したものではない。

実は、 ASEAN+3の初めての首脳会議は、 ASEM (アジア欧州会議) の準備会合として96年2月に

開催されている。 ASEMは東アジア戦略の立ち遅れを挽回しようとしていた EUが ASEAN との間で

定期的な首脳会議を開催することを呼びかけたことに端を発する。 ASEANで問題となったのはアジア

側の出席者であった。 ASEANはASEAN+3を想定していたが、 日本は、 米国の反発を懸念して、 オー

ストラリアとニュージーランドを加えるよう提案したとされる。

しかし、 人権問題で欧米諸国との対立を深めていたマレーシアが両国を加えることに強く反対したた

め、 アジア側の出席者はASEANの意向に従って調整が進められた。 1995年2月のAPEC 閣僚会議に

おいてASEMの準備会合という名目で初のASEAN+3の経済相会議が、 同じメンバーで外相会議と

経済相会議が相次いで開催され、 ついにASEAN+3の首脳会議が実現した。

ASEMという大きな枠組みの一部として、 それまでタブー視されていた EAEC1の首脳が一同に会す

ることとなった。 米国のクリントン政権 (当時) が前政権のように東アジアの地域化に対して拒絶反応

をみせなくなっていたことがそれを可能にした最大の理由であるが、 東アジアの地域化の第一歩が 「裏

口」 (田中 [2003]) から実現したことは、 東アジアにおける経済連携のあり方を暗示する教訓と捉える

べきであろう。

橋本首相 (当時) が ASEAN+3ではなく、 ASEAN+1の首脳会議の定例化を提案したことからも

わかるように、 日本は必ずしもASEAN+3の推進には積極的ではなかった。 ASEAN+3を定例化す

ることに合意したのは1998年12月の首脳会議である。 通貨危機がアジアの一体感を高め、 ASEAN+3

の重要性を認識させたといえよう。

99年11月のASEAN+3の首脳会議で、 初の共同声明 「東アジアにおける協力に関する共同声明」2が

採択された。 また、 蔵相会議が ASEAN+1を飛び越えて ASEAN+3で開催され、 2000年5月には

ASEAN諸国、 中国、 韓国とともに、 通貨危機への備えとしての通貨スワップ協定のネットワーク構想

である 「チェンマイ・イニシアティブ」 に合意した。

東アジアにおける地域化の動きが活性化したのはここ数年のことである。 日本や中国といった大国の

イニシアチブではなく、 ASEAN の日中両国に対する配慮が ASEAN+3の実現に貢献したことは、

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 142 ―

11990年12月、 マレーシア訪問中の中国の李鵬首相 (当時) にマハティール首相 (当時) が提案したもので、 も

ともとの呼称は 「東アジア経済グループ (East Asia Economic Group: EAEG)」。 GATTのウルグアイラウン

ドの停滞を受けて、 当時のASEAN6カ国に日本、 韓国、 中国、 インドシナ諸国を加えた国々で貿易圏をつく

ろうという構想であった。 しかし、 米国がAPECの活動を阻害する経済ブロックになりかねないとの懸念を表

明したため、 東アジアにおける米国抜きの地域化は一種のタブーとされるようになった。 1991年の ASEAN経

済相会議でEAEGは EAEC (East Asia Economic Caucus) と改名され、 実質的にその議論は封印された。2その内容は、 ①貿易、 投資、 技術移転を加速させる努力の強化、 ②金融、 通貨および財政問題に関する政策対

話、 調整および協力の強化、 ③経済的社会的格差を緩和する社会開発及び人材育成の強化、 ④科学・技術開発

の分野における能力開発の強化、 ⑤人的交流の強化および文化に対する理解、 親善および平和を促進、 ⑥

ASEAN の開発努力に対する支援の開始などからなる。 詳細は、 外務省ホームページ (http://www.mofa.

go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/s_obuchi/arc_99/asean99/kyodo.html) 参照。

ASEANが東アジアの地域バランスを保つ役割を担い、 東アジアにおける地域化がどのような方向に進

もうとも、 ASEANがその核として機能する存在であることを示している。

政府は2004年末の経済連携推進関係閣僚会議において、 経済連携協定 (Economic Partnership

Agreement: EPA) を、 日本および相手国の構造改革を推進し 「東アジア共同体」 の構築を促すものと

位置づけた。 2005年末には 「東アジア共同体」 創設に向けて 「東アジア首脳会議」 が開催された。 果た

して 「共同体」 と呼べるものが、 近い将来、 東アジアに登場するのであろうか。

渡辺 (2005) は、 これに対して 「( 「共同体」 を労働力や資本の域内自由移動を保障した統合体とみ

なすとすれば) 予見しうる将来において不可能であろう」 とし、 「東アジアの統合体は FTA・EPAと

いう機能的制度構築を最終目標とすべき」 としている。 足元の現実-政治体制や安全保障枠組みの相違

や容易に緊張が解けない日本と中韓両国との政治関係-に目を向けることによって導かれた冷徹な判断

といえよう。

その一方で、 日本ではASEANとのFTAで中国に先を越されたことに対する焦燥感が強まっている。

しかし、 中国のこうした動きにことさら神経質になる必要はあるまい。 中国・ASEANの FTAはわず

か40条からなる協定であるが、 日本・シンガポール新時代経済連携協定 (Japan Singapore Economic

Partnership Agreement: JSEPA) は153条もの条文から構成されている。 日本は ASEAN と FTA で

はなく、 より広い経済関係の強化を目指す EPA の締結を目指しており、 EPA が実現した時には、 そ

れが一層の貿易や投資を誘発する十分な基盤をASEAN各国に築いてきた。

日本に求められるのは、 「東アジア共同体」 の形成に向けた中国との主導権争いではなく、 東アジア

における日本のあるべき姿を見据え、 国内の改革およびASEAN各国との EPAの締結に全力を傾注す

ることであろう。 ASEAN が統合の深化とともにその結束を強化する存在であり、 その ASEAN との

EPAを少しでも質の高いものにすることができれば、 その全貌が定かでない 「東アジア共同体」 や中・

ASEAN間の FTAに惑わされる必要はない。

東アジアにおける EPAのネットワーク形成に向けた道筋を考えると、 第一がASEAN原加盟国およ

び韓国、 次が ASEAN 新規加盟国、 最後が中国というのが日本にとっての現実的なシナリオではなか

ろうか。 このシナリオは決して中国の重要性を軽視するものではない。 むしろ、 中国が重要であるから

こそ、 まず、 日本・ASEANの EPAを通じて東アジアにおける規範的な制度的枠組みを構築し、 そこ

に中国を取り込むというのが、 日本にとって最も好ましいプロセスであると主張しているのである。

1.2. ASEANのジレンマ:2+Xと IAI

ASEANは、 1997年末の第二回ASEAN非公式首脳会議で、 2020年までに 「ASEAN共同体」 の実現

を目指す 「ASEAN Vision 2020」 を採択し、 共同体づくりに向けた動きを本格化させた。 これを具体

化する中期計画として98年末に 「ハノイ行動計画 (1999~2004年)」 が、 2004年末に 「ビエンチャン行

動計画 (2005~2010年)」 がそれぞれ打ち出された。 「ASEAN 共同体」 は、 「ASEAN 安全保障共同体

(ASC)」、 「ASEAN経済共同体 (AEC)」、 「ASEAN社会・文化共同体 (ASCC)」 の3つの共同体から

なる。

しかし、 各共同体の方向性が記された 「第二 ASEAN 共和宣言 (バリ・コンコードⅡ)」 (2003年10

月採択) を見ると、 「ASEAN 共同体」 は一般的に 「共同体」 としてイメージされるものとは程遠いも

のであることがわかる。 ASC は各国の安全保障上の利益がリンクしているとしながらも、 共同外交政

策を目指すものではない。 そもそも ASEAN は領土問題を始めとする二国間問題を解決する手段を未

だに持たない3。 同様にAEC は単一市場 (single market) の構築を目指すと謳いながら、 人の移動を

第7章 「経済連携下の援助政策」

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熟練労働者に制限し、 関税同盟についての言及もない。 このような理想と現実が入り乱れた 「ASEAN

共同体」 に過剰な期待を抱くべきではない。

実際、 ASEAN加盟国間では領土や宗教を巡る対立によって二国間関係に緊張が走る場面が少なくな

い。 2003年1月のタイ人女優の 「アンコールワットはタイのもの」 という発言がプノンペンのタイ大使

館襲撃に繋がった事件、 タイ南部でイスラム過激派によるとみられるテロが頻発し、 2004年12月にタイ

の首相が 「マレーシアやインドネシアで訓練を受けた」 と発言し、 両国との関係が悪化した事件、 2005

年3月にカリマンタン島沖の石油・ガス鉱区の開発を巡ってインドネシアとマレーシアの双方が周辺海

域に軍艦を派遣するにいたった事件など、 域内には火種が絶えない4。

こうした問題が増えることはあっても減ることはないであろう。 二国間に横たわる火種が統合の深化

に伴いその他の問題とリンクして、 発火しやすくなるからである。 カンボジアにおけるタイ大使館襲撃

の背景には、 存在感を強めるタイに対する脅威や拡大する所得格差に対する不満、 また、 インドネシア

においてマレーシア批判を先鋭化させた背景には、 マレーシアにおけるインドネシアからの不法就労者

の排斥や一向に改善しない国内の雇用情勢があったとみるべきであろう。 相互依存関係の深化によって

火種は拡散し、 一端発火した場合にその勢いを止めることは容易ではないと考えるべきである。

経済面ではどうであろうか。 ASEAN は ASEAN 自由貿易地域 (ASEAN Free Trade Area:

AFTA) に向けて関税の引き下げを実施してきており、 統合に向けた協調が最も進んでいる分野とい

えよう。 しかし、 AEC への道のりは決して平坦なものではなく、 経済格差を背景にした原加盟国と新

規加盟国の対立はむしろ深刻の度を深めているようにみえる。

原加盟国、 とりわけ、 AECの導入役となったシンガポールとタイは、 AECを出来るだけ早期にかつ

レベルの高いものとして完成させ、 ASEAN の存在感、 ひいては ASEAN における自らの地位を高め

たいと考えている。 しかし、 10カ国の全てが賛成しなければ何事も前に進まない全会一致方式では、

AEC は到底実現できない。 このため両国は2003年10月の ASEAN首脳会議で2+Xという新しい意思

決定の手法を持ち込んだ。 欧州の統合が仏独のイニシアチブによって進められたことを参考に、 二カ国

で自由化を先行させ、 その他の国は準備が整った国からその枠組みに参加するというものである。

原加盟国は何故それほどまでに統合のスピードを上げなければならないのか。 その背景には、

ASEANを取り巻く環境の変化がある。 統合のスピードや程度はもはや加盟国の利害調整の結果として

ではなく、 中国の台頭や東アジアにおけるFTA網の進展などの外部環境によって規定されるようになっ

てきた。 ASEAN は AFTAスケジュールの前倒しや2+Xを通じて東アジアで最も自由化が進んだ地

域であることを示す必要がある。

新規加盟国は 「経済格差の拡大を促進しないこと」 を条件に2+Xを認めた5。 統合のスピードアッ

プが負担の増加になることは避けられないものの、 新規加盟国に統合のスピードを遅らせる、 あるいは、

ASEANを脱退するという選択肢はないからである。 ASEANにとどまったからといって自らの経済発

展について明確な展望が開けるわけではないが、 ASEANを離れた場合に直面する政治的・経済的な孤

立は是が非でも回避しなければならない。

ASEANとして統合のスピードを緩めることが出来ないならば、 新規加盟国が採りうる自己防衛策は、

経済格差の問題を持ち出し原加盟国から出来る限りの支援や執行猶予を引き出すこと以外にない。 新規

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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3そのために設置されたはずのASEAN高等裁判所が扱った案件はひとつもない (エリック、 チュウ [2004])。4このほかにもASEAN加盟国間には、 未解決の領土や不法入国などの問題が山積している。 詳細はエリック、

チュウ (2004) を参照。5“A Tango Speeds ASEAN Integration”Far Eastern Economic Review 23 Oct 2003

加盟国の所得水準は原加盟国に比べて極端に低い。 戦争の残滓および国際社会への復帰の遅れによって

インフラが未整備であるなど、 経済発展の初期条件においても原加盟国と全く異なる環境に置かれてい

る。 域内の経済格差を1人当たり GDP に置き換えてみれば、 縮小傾向にはあるとはいえ、 依然として

70倍程度の格差がある。

2000年11月のASEAN首脳会議では、 ベトナムのファン・バン・カイ首相が 「ASEANは発展のギャッ

プを埋めるための効果的な方策を打ち出すべきだ」 と主張し、 経済格差に対する原加盟国の対応を促し

た。 これを受けて、 同会議では域内の経済格差の縮小を目的とした ASEAN 統合イニシアチブ

(Initiative for ASEAN Integration: IAI) を設立することとなった。 IAI は、 原加盟国や先進国から

資金を募り、 ①人的資源開発、 ②インフラ整備、 ③情報通信技術支援、 ④地域経済統合の四つの分野に

おける新規加盟国の開発を促進する経済協力の枠組みである。

IAI は2005年5月までに100件、 総額1,796万ドルのプロジェクトを立ち上げたとされる。 プロジェク

ト総額の15.9%を原加盟国が、 残りを韓国、 日本、 ノルウエー、 オーストラリア、 EU が拠出している

ものの、 実際にはタイにおける人材育成とシンガポールによる IT (情報技術) 支援が中心的なプロジェ

クトとなっている。 プロジェクト総額は日本の新規加盟国向け援助の2.6%に過ぎないことからもみて

も、 経済格差の縮小という面での効果は限定的である。

相次ぐAFTAスケジュールの前倒しにもかかわらず、 IAI が多分に名目的な役割しか果してないこ

とに、 新規加盟国が強い危機感を覚えたとしても不思議ではない。 2+X は新規加盟国を実質的に

ASEANから切り離そうとする原加盟国の意思表示のようにみえる。 2004年末のASEAN首脳会議で、

ベトナム、 ラオス、 カンボジアの三カ国が集まり、 改めて格差是正への取り組みを求めたのは、 こうし

た動きを懸念した 「弱者連合」 の示威行動にほかならない。

1.3. 日本の ASEAN関与

ASEANは開発途上国を主な構成員とする地域協力体であり、 自らは経済協力という政策オプション

を持っていない。 それはもっぱら米国や日本から提供されるものであった。 ASEANはベトナム戦争に

対する米国の介入が本格化するなか 「反共の砦」 として発足し、 日米両国ともに支援を行う十分な理由

があった。 また、 1980年代までのASEAN は統合の深化を追求する段階にはなかったため、 メンバー

間の信頼関係が問題になることもなかった。

ASEAN に転機が訪れたのは90代に入ってからである。 冷戦崩壊によって ASEAN はもはや 「反共

の砦」 ではなくなった。 また、 中国の台頭を受けて、 経済的にもASEAN の存在感は希薄化した。 92

年に中国が受け入れた外国直接投資は112億ドルと ASEAN の127億ドルを下回っていたものの、 93年

には275億ドルとASEANの166億ドルを大きく上回った (図1)。 危機感を強めたASEANは1992年1

月の首脳会議でAFTAの創設に合意し、 消費市場および生産拠点としての規模の拡大に向けて動き出

す。 ASEANは安全保障上の利益を共有する地域協力体から経済的利益を追求する統合体へと変質して

いった。

1990年代半ばに入るとASEANは地域的な広がりを模索し、 ASEAN10へと拡大した。 カンボジア和

平がそれを可能にした直接的な要因であるが、 東アジアにおいて存在感を増す中国を意識した自衛的措

置でもあった。 新規加盟国を迎えることによって生じる経済格差や政治体制の違いをASEAN が乗り

越えられるかについて疑問視する声があったものの、 当時はそれらを払拭できる力強さがASEAN 各

国に備わっていた。

そのひとつは、 国際社会への復帰に伴う新規加盟国への援助の再開であり、 もうひとつは外国直接投

第7章 「経済連携下の援助政策」

― 145 ―

資の流入である。 当時、 新規加盟国は 「東南アジアに残された最後の市場」、 原加盟国は 「世界の成長

センター」 として評され、 両者がひとつになることでASEAN の価値が高まり、 各国の経済成長は半

ば約束されたもののようにさえみえた。 ASEAN10の下では新規加盟国の経済発展は以下のように想定

されていたようにみえる。

戦火に見舞われてきた新規加盟国の経済成長を促すには、 まず、 国内外の貯蓄を投入する必要がある。

国内の資金は限られているため、 国外、 つまり援助などの公的資本と外国直接投資が必要となる。 前者

は日本や世界銀行 (以下、 世銀) などの国際金融機関 (Multilateral Development Banks: MDBs) に

よって、 後者は日本やNIEs とともに高成長に伴い産業構造の高度化を図っていた原加盟国によって提

供された。 経済規模の点からみても原加盟国の経済発展が新規加盟国におよぶのは確実であり、 新規加

盟国の 「離陸」 は時間の問題であるかのように考えられていた。 この想定のもとでは、 原加盟国は 「東

南アジアに残された最後の市場」 を確保するために民間部門の進出の後押しをするだけで自前の経済協

力を用意する必要はなかった。

しかし、 通貨危機とその後の中国の躍進によってASEAN10を成立させた前提は根底から覆されるこ

ととなった。 中国へ傾斜した外国直接投資がASEAN へ回帰する傾向はみられない。 原加盟国の投資

も中国に向かうようになる。 原加盟国からの外国直接投資は危機以降も中国向けが年間30億ドル前後

(中国側統計、 実行ベース) で推移したのに対し、 新規加盟国向けは急激に減少した (図2)。

原加盟国にとって、 新規加盟国は統合の深化を妨げる 「無気力な勢力」 (エリック、 チャウ [2004])

に映るようになり、 その一方で、 ベトナムを除く新規加盟国では国内民間投資が低調なため、 援助への

依存を高める結果となった。 しかも、 彼らの関心は援助の効率性を高め、 民間投資で代替することより

も、 さらなる支援を獲得することに向けられている。

二国間問題や原加盟国と新規加盟国の対立に目を向けずに、 統合の深化とともにASEAN の一体感

が醸成され、 強固な統合体に向かうと考えるのは短絡的にすぎよう。 むしろ、 統合の深化に伴い、

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 146 ―

図1 中国と ASEAN への外

国直接投資 (国際収支ベー

ス)

図2 ASEAN からの新規加

盟国への外国直接投資

(認可ベース、製造業のみ)

(注) ASEAN にブルネイ、

新規加盟国にミャンマー

は含まない。

(資料) World Bank (2005)

より作成

(注) 認可ベース、 金額はプ

ロジェクトコスト (固

定資産+運転資金+操

業前コストベース)

(資料) ASEAN (2002) よ

り作成

ASEAN 内の相互不信が高まる可能性さえある。 ASEAN の抱える最大の問題は、 ASEAN10を成立さ

せた前提が崩れたなかで、 統合の深化とともに原加盟国と新規加盟国の間の信頼関係を深めるようなメ

カニズムを持っていないことである。

原加盟国は、 新規加盟国に改革を推進しなければ競争に敗れるという危機感を与えるだけではなく、

経済格差の問題に真摯に向き合い、 支援するという新規加盟国との信頼関係を強化し、 彼らの 「自助努

力」 を促していく必要があろう。 「競争」 と 「支援」 のバランスが信頼の成熟度を左右し、 「自助努力」

を引き出す鍵となる。

2. 新規加盟国の苦悩

ASEAN10を成立させた前提が崩れた今日、 新規加盟国がどのようなプロセスを経て経済発展を遂げ

ると想定すべきであろうか。 これを描くことは容易ではないが、 いずれにしても当事者である新規加盟

国、 そして、 日本と原加盟国が一体となって取り組まなければならない課題であることは間違いない。

以下では、 新規加盟国がどのような問題に直面しているかを明らかにすることで、 課題の輪郭を捉えて

みたい。

2.1. ネットワークへの参画

雁行的経済発展とよばれるNIEs からASEAN原加盟国へと波及した経済発展のメカニズムははたし

て新規加盟国におよぶのであろうか。 ASEANにおける統合の深化は新規加盟国にどのような展望を与

えるのであろうか。 この点について現時点で結果を問うことは時期尚早かもしれない。 とはいえ、 新規

加盟国がASEAN に加盟してから一定の期間が過ぎたこともあり、 どのような変化が起きているかを

検証し、 新規加盟国の今後を見通すことは可能であろう。

新規加盟国の経済発展が持続的なものとなるか否かは、 東アジアに張り巡らされた生産分業ネットワー

クにどこまで食い込めるかという点に大きく左右される。 原加盟国にとって最大の輸出先は ASEAN

であり、 輸入も同様である。 域内分業を支えているのは外国直接投資によって形成された機械および同

部品の生産分業ネットワークである6。 新規加盟国にとっては、 原加盟国がけん引役となって外国直接

投資および貿易が増加し、 輸出品目が多様化、 高付加価値化していくことが理想であり、 それが現実の

ものとなることによって初めて経済格差に対して明るい展望を持つことができる。 AFTAを中心とし

た貿易自由化に向けた新規加盟国の努力はどのような成果を残したのであろうか。

ASEANの域内輸出比率は1995年に24.6%に達したものの、 その後は通貨危機の影響もあって低迷が

続き、 2003年は22.1%にとどまった (表1)。 ただし、 ASEANの域内輸出はその96.1%が原加盟国によ

るもので (2003年でシンガポールが35.8%、 マレーシアが25.9%、 タイが16.5%、 インドネシが10.6%、

フィリピンが6.5%など)、 新規加盟国はわずか3.9%を占めるにすぎない。

しかも、 各国の貿易相手国・地域の推移をみると、 ミャンマーを除く新規加盟国ではASEAN 向け

輸出の割合が低下している (図3)。 1995年までの期間にカンボジア、 ラオス、 ミャンマーのASEAN

向け輸出の割合が高い理由はタイと国境を接しているという地理的な要因が大きく、 それは逆に新規加

盟国の後進性や閉鎖性を表していると考えるべきであろう。 新規加盟国はASEAN 加盟後、 原加盟国

との関係が希薄になり、 カンボジアやベトナムでは衣類の輸出の急増によって欧米への依存度が高まっ

第7章 「経済連携下の援助政策」

― 147 ―

6ASEAN (2004) によれば、 2003.年で HS84類 (原子炉、 ボイラー及び機械類並びにこれらの部分品) と HS85

類 (電気機器及びその部分品並びに録音機、 音声再生機並びにテレビジョンの映像及び音声の記録用又は再生

用の機器並びにこれらの部分品及び附属品) が域内輸出に占める割合はそれぞれ20.1%と33.5%である。

た。

別の角度からもみてみよう。 図4は各国の東アジア域内輸出に占める機械・輸送機械部品の割合をみ

たものである。 新規加盟国の割合は原加盟国に比べ極端に低い。 ベトナムは、 インドネシアの水準に近

づきつつあるが、 今後も順調に上昇するかどうかは予断を許さない。 カンボジア、 ラオスについても明

るい見通しは開けそうになく、 新規加盟国が東アジアの生産分業ネットワークに組み込まれると楽観す

ることはできない。

このことはASEAN への外国直接投資 (製造業) をみてもわかる。 新規加盟国がASEAN 域内およ

び東アジアにおける分業体制に組み込まれていることを裏付ける要素は少ない。 新規加盟国に対する外

国直接投資はその経済規模の点からみれば決して原加盟国に劣るものではないものの、 経済規模に応じ

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 148 ―

表1 ASEANの国・地域別輸出の推移

(資料) アセアンセンターweb (http://www.asean.or.jp/general/base/index.html) より作成

図3 ASEAN各国の主要地域・国別輸出の変化

(資料) 表1に同じ。

たレベルにとどまっていることは、 新規加盟国の比較優位が評価されておらず、 NIEs や原加盟国にお

いて競争力を失いつつある産業が必ずしも新規加盟国に移転しているわけではないことを示唆している

(図5)。 このことは2004年1月までに承認された ASEAN 工業協力協定 (ASEAN Industrial

Cooperation: AICO) の承認件数235件のうち新規加盟国が含まれるものがわずか3件にとどまってい

ることにも表れている。

2.2. 中国の躍進

ASEANにおける生産分業ネットワークの形成に及ぼす中国の影響を無視することはできない。 前述

したように、 中国の台頭がASEAN における統合の深化を促したことは間違いない。 しかし、 先進国

と遜色のないインフラのもとで新規加盟国と変わらない安価な労働力を提供でき、 しかも、 ASEANを

凌駕する市場規模や成長性を背景にあたかもブラックホールのように外国直接投資を吸収する中国は、

新規加盟国にとって大変な脅威であり、 ASEANの二極化を促進する存在でもある。

図6は、 中国、 韓国、 タイ、 マレーシア、 ベトナム、 カンボジアにおける機械産業の比較優位の変化

を1985年、 95年、 2001年の三時点でみたものである。 横軸はエレクトロニクスや輸送機械など分業が進

んでいると思われる機械部品全60品目のうち顕示比較優位指数 (Revealed Comparative Advantage:

第7章 「経済連携下の援助政策」

― 149 ―

図4 東アジア域内輸出に占める機械・輸送機械

部品の割合の推移

(注) 機械・輸送機械は SITC 分類で7に含まれ

るもの。

(資料) Ng and Yeats (2003) より作成

図5 製造業への外国直接投資

(注) 認可ベース、 金額はプロジェクトコスト

(固定資産+運転資金+操業前コスト) ベー

ス。 NIEs は香港、 台湾、 韓国の三カ国・

地域。 シンガポールはASEANに含まれる。

(資料) ASEAN (2002) より作成

RCA7) が1を超える品目の割合を示している。 機械部品を輸出しているということは、 一般的に部品

産業に競争力があることを示す。 縦軸には、 RCAの輸出統計を輸入統計に置き換えることによって、

労働集約的な組立産業の競争力を示した8。

これによると中国は従来から持っていた組立産業の競争力を維持しながら、 同時に部品産業の競争力

を飛躍的に向上させてきたことがわかる。 中国の機械部品輸出のうち RCAが1を超える品目は1985年

ではわずか4品目であったが、 95年、 2001年にはそれぞれ7品目、 12品目に増加した。 中国は資本集約

的産業と労働集約的産業の両方に競争力を有している。

マレーシアやタイにとっては、 競争力のある分野に資源を投入することで、 中国との 「すみ分け」 の

余地があり、 中国の経済発展を自らの成長の原動力に転換することができる。 一方、 新規加盟国にとっ

て、 中国の台頭はそうした集中や選択の余地すら見出しえない圧倒的なものといえる。 ASEAN加盟は

本当に経済発展を促すのか。 新規加盟国は強い期待を寄せていたこの命題を再考せざるを得ない状況に

置かれている。 とりわけ人口の少ないラオスとカンボジアの状況は深刻である。

仮に ASEAN と中国で異なる生産分業ネットワークが構築されると仮定しても、 新規加盟国に外国

直接投資が振り向けられるようになるとは限らない。 市場統合によって市場の単位が国から地域に移り、

規模の経済が実現すると同時に投資や貿易に関する規制の標準化が進むことから、 生産分業ネットワー

クの構築において産業集積の要素が以前にも増して重視されるようになっている。 労賃よりも集積によ

るコストダウン効果が大きい、 あるいは、 原加盟国で労働節約的な技術開発や投資が行われれば、 労働

集約的な工程が労賃の安い国へ移転するという流れが滞る可能性がある。

また、 新規加盟国が労働集約的な産業を誘致できたとしても、 このことは新規加盟国に対して原加盟

国が経験したような経済発展に伴う産業の高度化を約束するものではない。 人口の多いベトナムにおい

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 150 ―

図6 機械部品の RCA 指数の推移 (85年、 95

年、 2001年)

(注) ベトナムとカンボジアについては1995

年と2001年の2時点の変化のみ

(資料) Ng and Yeats (2003) より作成

7顕示比較優位指数 (RCA) は、 どのような財の輸出に比較優位があるかを示すもので、 指数の値が1を超え

ると当該品目に比較優位があることになる。 例えば、 i 国の j 財の RCAij は (i 国の j 財の輸出額/i 国の総輸出

額)/(j 財の世界輸出額/世界総輸出額) で求められる。8部品は組み立てられるために輸入されるという前提をおき、 相対的に部品輸入が多いことは、 労働集約的な組

立工程に競争力があると想定している (Ng and Yeats [2003])。

ては、 付加価値の低い組立産業を請け負う段階を脱し、 フルセット型の産業を構築しようとしているが、

そうした産業発展戦略が実を結ぶ可能性はほとんどないといえよう。

2.3. 貧困と所得格差

統合の深化にコミットしながら、 国内における貧困と所得格差への対応を図らなければならないこと

も新規加盟国にとって大きな課題である。 東アジアは貧困の緩和に一定の成果を収めた地域であり、 新

規加盟国においても同様の成果がみられる。 図7は東アジアの低所得国を中心に貧困人口比率とジニ係

数の推移を1990年、 2000年、 2005年 (予測値) でみたものである。 全てのベクトルが左を向いているこ

とから貧困人口比率が低下に向かっていることが確認できる。 2乗貧困ギャップ比率もおおむね同様の

傾向にあり9、 極端な貧困状態にある人は大幅に減少している。

しかし、 新規加盟国では人口の過半数が依然として1日2ドルの貧困ラインを下回っており10、 世界

経済あるいは地域経済の変動に伴うショックの程度は原加盟国よりも大きくなるものと予想される。 例

えば、 通貨危機によって、 タイの1日1ドル以下の貧困人口比率は2.2% (1996年) から3.3% (98年)

と微かな上昇にとどまったのに対し、 インドネシアは7.8% (96年) から12.0% (99年) へ急上昇した。

1日2ドル以下の貧困層はショックによって1ドル以下に逆戻りしやすい (世銀 [2002]) ため、 貧困

人口比率の高い新規加盟国におけるグローバル化は社会の不安定化を誘発する危険性をはらんでいる。

所得格差の拡大はより深刻である。 東アジアは、 元来、 相対的に不平等度が低い社会を構築すること

に成功したとされてきた。 フランシス (2000) は、 アジアはアフリカや中南米よりも不平等度が低く、

70~80年代を通じて OECD 諸国の水準に近づいたとしている。 しかし、 1990年代を境に様相は大きく

変化した。 東アジアにおいても不平等度をあらわすジニ係数が上昇しはじめたのである。 図8は1990年

代の各国のジニ係数を地域別にプロットしたものである。 もはや東アジアが他の地域に比べて不平等度

第7章 「経済連携下の援助政策」

― 151 ―

図7 貧困人口比率とジニ係数の推移

(1990、 2000、 2005年)

(注) 貧困人口は1日1ドル以下。

(資料) World Bank (2004)

9世銀 (http://iresearch.worldbank.org/PovcalNet/jsp/index.jsp) によれば、 東アジアのなかでは同比率が最

も大きいカンボジアは90年から2001年に11.3%から3.8%へ低下した。 同様にベトナムは0.21%から0.03%へ、 ラ

オスは0.5%から1.3%へと推移した。10貧困ラインを1日2ドル以下に設定すれば、 2005年時点でもカンボジアで77.5%、 ラオスで70.7%、 ベトナム

で48.2%がその範疇に入る。

が低いという状況にはない。

前述した図7ではカンボジアのジニ係数の上昇が顕著であるものの、 ベトナムとラオスの上昇は緩や

かであると想定されている。 しかし、 ベトナムの家計調査によると、 2004年のジニ係数は0.413となり、

不平等度の拡大は予想を大きく上回るものであったことがわかった。 とりわけ農民の流入に伴う都市内

および民族間の所得格差が鮮明になっている。

貧困と不平等度の縮減が各国の政治的・社会的安定をもたらし、 さらには地域の安定化を促す基盤と

なるという原加盟国の経験が新規加盟国に及ぶと考えるのは安易にすぎよう。 新規加盟国はもちろん原

加盟国においても貧困や不平等の拡大が少数民族問題や体制批判を刺激し、 周辺国との対立に発展する

可能性がある。

第二次世界大戦以前の日本における著しい不平等が軍部の台頭を招いたとする南らの指摘 (南・ウエ

ンラン [1999]) は、 近年の東アジアにおけるナショナリズムの高揚やそれがASEANの統合のプロセ

スに与える影響を考えるうえで重要な示唆を与える。 貿易自由化などの外生的ショックに新規加盟国は

どこまで耐えうるか。 それが貧困層に及ぼす影響や所得格差の拡大が社会的安定に及ぼす影響に原加盟

国はもちろん日本も十分な関心を払う必要がある。

3. 検証:新規加盟国支援

ASEANが統合の深化に伴って相互の信頼関係を深める存在になるためには、 日本は 「支援」 の在り

方を見直す必要がある。 「競争」 と 「支援」 のバランスをどのように保つのか。 「支援」 は新規加盟国の

「自助努力」 を引き出し、 彼らのニーズに応えるものとなっているのか。 新規加盟国に対する日本およ

びMDBs の支援を鳥瞰し、 それらの問題を考える。

3.1. 信頼と自助努力

ASEANは経済格差の問題に何らの展望も持てない状態の中で、 統合の度合いを深めている。 原加盟

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 152 ―

図8 1990年代の地域別のジニ係数

(注) ジニ係数の計測は1985年から2001年の間に

行われたものであるが、 ほとんどが90年代

後半に計画されたものである。 括弧内には

ジニ係数をプロットした国数。

(資料) CIA, World Fact Book 2003より作成

国と新規加盟国の間に立っているのは日本である。 日本は相変わらずASEAN 各国が受け取る援助の

4~7割を負担する最大の供与国であり、 新規加盟国を 「支援」 することに前向きである。

ASEANとの関係強化に向けた日本の姿勢は、 2002年1月に小泉首相がシンガポールで行った政策演

説で示された。 日・ASEANの関係は 「成熟と理解の新たな段階」 に至っているという認識のもと、 一

層の繁栄、 平和、 理解、 信頼を達成するため、 日本はASEANを 「共に歩み、 共に進む」 「率直なパー

トナー」 と位置づけた。

日本は、 1992年から日本・ASEAN経済相会議を定例化してきた実績もあり、 ASEANとの間で、 税

関手続きの調和および簡素化、 基準認証制度や資格制度の整合化、 人の移動の円滑化、 電子商取引の活

性化などを進めてきた。 2003年10月には、 「日本・ASEANの包括的経済連携の枠組み」 に合意し、 同

年末には、 「日本とASEANのパートナーシップのための東京宣言」 とそれを実行に移すための 「日本・

ASEAN行動計画」 (表2) を採択した。

「日本・ASEAN行動計画」 は、 日本がメコン地域のインフラ開発などを支援し、 経済格差の問題に

てこ入れすることで、 統合の深化を促し、 日・ASEAN間の包括的 EPAの締結に向けた環境を整えよ

うとするものである。 内部の結束を保ちながら統合を深化させることが出来るか否かは基本的に

ASEANの問題であり、 日本は部外者である。 しかし、 その成否が将来にわたる中国との関係に大きな

影響を及ぼすという認識が日本とASEAN で共有されているため、 日本は部外者でありながら新規加

盟国の 「支援」 に組み込まれている。

問題は 「支援」 を域外に依存する構造が、 原加盟国と新規加盟国との信頼関係を醸成し、 新規加盟国

の 「自助努力」 を促す作用があるか否かである。 新規加盟国が 「弱者連合」 の形成に動いていることは、

それが好ましい方向に向かっていないことを暗示するものであろう。 「競争」 が ASEANに広がりつつ

あるにもかかわらず、 それに伴うコストを日本の 「支援」 で相殺するかのような構造こそが、 新規加盟

国の不信感を煽り、 「自助努力」 を妨げている要因ではないのか。

逼迫する日本の財政事情や新規加盟国における援助依存度の高まりは、 従来型の 「支援」 を続けるこ

とが出来なくなりつつあり、 そして、 「成熟と理解の新たな段階」 に達している日・ASEAN関係に照

らしても相応しいものではないことを示している。 「支援」 を負担している日本は、 この悪循環を断ち

第7章 「経済連携下の援助政策」

― 153 ―

表2 日本・ASEAN行動計画 (概要)

(資料) 外務省ホームページより作成

切り、 ASEANを強い信頼関係で結ばれた 「自助努力」 を誘発する地域統合体に向かわせる必要がある。

これは日本が 「支援」 を中止することを意味するものではない。 日本の 「支援」 は、 もはや二国間関

係として完結するものではなく、 ASEANにおける統合の深化を左右するものであることを自覚しなけ

ればならないということを強調したいのである。 日本は ASEAN 内の信頼関係や新規加盟国の改革に

向けた 「自助努力」 にどのような影響を及ぼすかを視野に入れた 「支援」 戦略を考えなければならない。

3.2. 政策リスクへの対応

市場統合には様々な段階がある (図9)。 発展段階が均一な国による市場統合と異なる国による市場

統合では統合を推進するための政策のオプションが異なり、 均一性が失われるほどそのオプションは広

がる。 例えば、 発展段階が均一なEUの場合、 統合の深化において最も重要なことは企業の円滑な活動

をいかに支援するかにあり、 政府の役割は国ごとに異なる政策を市場の論理にもとづいて地域レベルで

調和させる 「競争」 の促進であったといえる。

一方、 発展段階が不均一なASEAN の場合、 そうした 「競争」 の促進に加えて、 発展の遅れた国を

「支援」 するという経済協力が重要な意味を持つ。 経済協力には関税引き下げの猶予など何らかのアド

バンテージを与えることなどが含まれるが、 不均一性が大きい場合はインフラ整備などを通じた開発支

援が果たす役割が大きい。 しかし、 経済協力は公的資金の移転を伴うため、 どうしても 「競争」 の促進

と相容れない要素が含まれる。 発展の遅れた国は 「競争」 よりも 「支援」 を求めるため、 「競争」 と

「支援」 のバランスをどのように確保するかという問題に直面する。

統合の深化に伴ってメンバー間の信頼関係を醸成し、 開発の遅れた国の 「自助努力」 を誘発する 「支

援」 とは何か。 原加盟国の応分の負担と 「自助努力」 を支える援助手法の確立が課題となる。 援助で経

済格差をなくすことはできない。 重要なのは経済格差が統合の成果の取り分に直結するのではないかと

いう新規加盟国の不安に日本と原加盟国が真摯に向き合うことである。

「自助努力」 とは市場経済化を進めるための構造改革にほかならない。 インフラの整備によって新規

加盟国に統合の効果が波及しやすくなることは確かであるが、 構造改革によってもたらされる経済効果

に比べれば微々たるものでしかない。 仮に、 インフラを整備し、 自由化や調和化が進展したとしても、

それを支える機能的な制度や政策、 さらには、 官僚機構がなければ、 新規加盟国におよぶ統合の効果は

限られよう。

開発途上国における構造改革には大きなリスクが伴う。 外的環境の変化を受けやすい経済構造下で、

自由化に伴うコストを最小限にとどめ、 その利益を最大限に享受するためにはどのような政策が必要か

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 154 ―

図9 市場統合の各段階

(出所) シンガポール経済産業省 Occasional

Paper, Rise of Regionalism.

という政策のシークエンシング (sequencing) の問題、 また、 政策策定の能力や組織をいかに創り上

げるかという制度能力 (institutional capacity building) の問題に直面するからである。

このような政策リスクに統合に伴う 「競争」 や従来の 「支援」 はほとんど無力であった。 「競争」 に

よって貿易障壁の撤廃を対外的に公約することをせまられても、 「支援」 が必ずしも関連する分野の改

革を促すわけではない。 政府は自由化によってどのような影響を被るかを考慮し、 保護・育成しようと

する産業に補助金を与えたり、 保証をつけた融資を行う。 開発途上国の場合、 それらは往々にして国営

企業となるため、 民営化などを通して企業の経営の独立性と効率性を高める措置を講じることが不可欠

となる。 国営企業改革や金融改革を通じて経営者に改革へのインセンティブを与えておかなければ、 投

入した資源が浪費されかねないからである。

ベトナムにおける不良債権問題の再発はこの問題が顕在化した好例である。 沈静化したかにみえた不

良債権問題は2004年に入り再燃した。 この背景には、 国営企業改革の遅れがある。 大規模国営企業は所

有制の転換が図られることもなく、 また危機に陥っても政府主導の救済策によって再建が図られるため、

銀行は依然として企業の規模や属性 (中央政府管轄か地方政府管轄) にもとづいて融資を行ってきた。

これは、 政府が金融政策に介入することで競争力を失った国営企業を救済していることにほかならない。

貿易自由化は、 国営企業改革や金融改革が不十分であったために、 企業の経営努力を誘発することなく、

政府の偶発債務 (contingent liability) を増大させることになってしまった。

構造改革はいずれも国を挙げての大事業であり、 また、 政治体制と切り離せない問題も含まれるため、

「内政干渉」 という批判を招く可能性がある。 しかし、 モノの自由化はいやおうなく進み、 基準認証や

知的財産保護にかかわる制度の共通化に対するコミットメントも余儀なくされる。 それが、 やがて、 サー

ビス、 ヒト、 カネの自由化に広がることを考えれば、 政策リスクは高まる一方である。 各国の改革の進

捗度合いが必然的に統合の深化を左右するため、 「共同体」 を目指すはずの原加盟国や最大の 「支援」

を行っている日本はこの問題に関与しないわけにはいかないのである。

3.3. MDDs の補完―ベトナムのガバナンスを事例に

新規加盟国における構造改革の取り組みに大きな影響を及ぼすのは世銀・IMF である。 ミャンマー

を除く新規加盟国に対する最大の援助国である日本は、 MDBs とどのように連携をはかるかという問

題を視野に入れる必要がある。

MDBs が開発途上国の開発計画に対して影響力を強めるにいたった背景には、 「包括的な開発フレー

ムワーク (Comprehensive Development Framework: CDF)」11と貧困削減戦略ペーパー (Poverty

Reduction Strategy Paper: PRSP)12の導入がある。 PRSP に盛り込まれた貧困削減、 オーナーシップ、

援助協調というロジックは一国の援助計画を凌駕する優位性を備えており、 被援助国の開発計画および

援助国・機関の協調における世銀の指導性を高める役割を果した。

世銀・IMF は、 1999年のケルン・サミットでの貧困削減と債務削減に関する議論を踏まえ、 すべて

の IDA (International Development Association、 第二世銀) 融資対象国に対して PRSP の作成を義

第7章 「経済連携下の援助政策」

― 155 ―

11この基本概念は、 ①被援助国自身がオーナーシップをもって作成した開発課題に世銀や他のパートナーも参加

し、 共有された計画の下でそれぞれが戦略的に支援すること、 ②被援助国政府、 市民社会、 民間セクター、 援

助国・機関およびその他の開発関係者とのパートナーシップの構築を重視すること、 ③経済成長やインフレな

どのマクロ経済の安定化や構造改革の重要性を認めつつも、 教育や医療などの社会的側面を重視する包括的な

アプローチをとることから構成される。 開発効果を高めるために、 国内のステークホルダー、 援助国・機関と

の協調というプロセスを重視し、 構造改革だけでなく貧困削減を達成目標に加えたことが特徴である。

務づけ、 それにもとづいて支援することを決定した。 これを受けて東アジアでもインドネシアや新規加

盟国 (返済が滞っているミャンマーを除く) において PRSP の導入に向けた取り組みが行われてきた13。

新規加盟国の政策リスクに対応しうるのは、 原加盟国でも日本でもなくMDBs なのである。

しかし、 MDBs のアプローチが新規加盟国の政策リスクに十分に対応しているか否かは疑問の残る

ところである。 それは、 例えば、 ガバナンスと援助をどのようにリンクさせるかという問題にみること

ができる。

世銀は政策・制度環境のパフォーマンスに応じて資金配分額を決定する Performance-Based

Allocation (PBA) 制度を採用している。 評価の基準となるのが国別政策・制度評価 (Country Policy

and Institutional Assessment; CPIA) である。 CPIA は IDAにおける議論を受けてその都度改良され

てきた。 現在の CPIA は、 経済政策 (インフレ、 財政赤字など)、 構造的政策 (貿易・為替政策、 銀行

の効率性など)、 社会的公正 (ジェンダー、 人的資本の開発など)、 公共セクターの管理・制度 (私的財

産権、 汚職など) の6分野20項目を評価することになっている。

1990年代半ば頃、 援助が有効に機能するためには開発途上国のグッド・ガバナンス (Good

Governance) が不可欠であるという実証的研究が相次いで発表されるようになったことを受けて、

MDBs は融資にガバナンスを反映すべきだと考えるようになる。 世銀は98年から CPIA にガバナンス

に関する6つのクライテリア―①開発プログラムの運営とその持続可能性、 ②財産権とルールに基づく

ガバナンス、 ③予算・財務運営の質、 ④歳入動員の効率性、 ⑤行政組織の質、 ⑥公的部門における透明

性、 説明責任および汚職―を設けた。 各項目は均等にウエイト付けされているため、 CPIA におけるガ

バナンス関連項目の割合は3割を占めるようになった。

さらに、 2002年に発表された IDA の融資方針では、 それまで以上にガバナンスを重視する CPR

(Country Performance Rating) の導入が決まった。 具体的には、 従来の CPIAにプロジェクトの進捗

状況などを反映したAnnual Review of Portfolio Performance (ARPP) を加えて、 そこからガバナン

ス関連の項目を抜き出し、 これをガバナンス係数 (Governance Factor) としてCPRを算出する (図10)。

これにより、 ガバナンスの状況がより強く融資額に反映されるようになった。

MDBs には、 開発途上国の経済成長には援助の量的増大ではなく、 ガバナンスの改善が重要であり、

援助はガバナンスの良い国に供与した方がその効率性が高まるという共通認識が形成されている。

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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12PRSP は CDF を国別に具体化した中期の開発計画に相当する。 策定に当たっては、 ①市民の参加を募り、 国

としてのオーナーシップをもつべきこと、 ②貧困層の受益する成果 (Outcome) を重視すること、 ③貧困の多

様性を踏まえた包括的な戦略であること、 ④内外の関係者との協調というパートナーシップを重視すべきこと、

⑤貧困削減に対する長期の見通しを示すべきことが原則として示されている。 また、 開発途上国のオーナーシッ

プ、 貧困削減効果、 財政支出とのリンケージを読み取ることができる開発計画の策定を求めている。13カンボジアは2002年12月、 ラオスは2004年6月、 ベトナムは2003年11月にそれぞれ PRSP を完成させた。

図10 IDA の融資制度

(資料) IDA (2003)

MDBs は融資を受けるための条件となるガバナンスの状況を当該融資だけでなく、 次の融資額の多寡

に反映させる、 つまり、 ガバナンスの良い国への援助を厚くすることにより、 援助全体の効率性を高め

ると同時に被援助国がより積極的に改革に取り組むよう仕向けようとしている。

ここで仮定されるガバナンスの在りようは改革が進むのに伴いガバナンスが改善するという直線的な

ものである。 両者の関係を長期的にみればそれなりの説得力を持つであろう。 しかし、 ベトナムにおけ

る民間企業の育成とガバナンス指数の関係を見ると、 常に上の仮説が支持されないことがわかる。

ベトナムは、 近年、 最も活発な民間投資が行われた国のひとつである。 政府、 とりわけ計画投資省は、

外国直接投資が伸び悩み、 国営企業も改革に伴いその牽引力が弱まることから、 経済発展を維持するに

は民間投資の活性化が不可欠であると考えるようになり、 2000年以降、 企業の設立手続きの緩和や国営

企業が独占してきた貿易業務を民間企業に開放するなどの改革を進めた。

この結果、 90年代後半には年間約3,000社程度にとどまっていた民間企業の新規設立件数が2000年に

は14,000社に達し、 雇用環境の改善にも多大な貢献をした。 民間セクター向け銀行融資残高の GDP に

対する比率は、 98年の9.8%から2000年には35.1%に上昇した。 上昇幅は25.4ポイントと、 世銀の統計で

データが入手可能な国134カ国中第3位であった。

しかし、 一方で98年のガバナンス指数と2000年のそれを比較するとほとんど変化がない。 民間企業育

成のための制度の改正は評価の対象とはならない一方、 民間企業の振興に伴い、 汚職の問題がより深刻

になったことがマイナスの材料となったためである (三浦 [2003])。

能力に基づかない採用や人事評価システムあるいは低い給与によってモラルが低下している公務員に

多くの規制を運用する裁量権が与えられた状況のなかで、 汚職が発生するのは当然であり、 それは必ず

しも改革の後退を示すものではない。 ガバナンスは必ずしも改革に向けた開発途上国の等身大の姿を映

し出すものとはいえず、 また、 事後的にしか計測できないため、 改革を効果的に推進するための政策の

シークエンシングを示すこともなければ、 適切な支援のタイミングを示唆することもない。 日本や原加

盟国がMDBs を補完する余地は十分にある。

4. 新たな 「支援」 戦略

以下では、 日本がとりうる援助政策について、 いくつかの具体的な提案を試みる。 これまでの議論か

ら導かれる支援のポイントは、 新規加盟国の 「自助努力」 を促す枠組み、 地域としての支援の枠組み、

制度や政策への支援である。 援助の増加を許さない日本の財政事情や新規加盟国の高い援助依存度を考

えれば、 援助政策の主眼は、 これまでの資源の配分や様式を大胆に見直し、 その効率性をいかに高める

かにある。

ASEAN内の信頼関係を醸成し、 新規加盟国から 「自助努力」 を引き出すには、 まず、 原加盟国を経

済格差の問題に向き合わせる必要がある。 それを実現するための新たな 「支援」 戦略として連携型援助

が考えられる。 ASEANを統合の深化とともに結束が強化される組織に変えるためには、 原加盟国の応

分の負担が不可欠である。

資源の動員という点では、 シンガポール、 タイ、 マレーシアに応分の資金的負担を求める必要がある。

既に、 対外経済協力基金 (EDCF)、 国際経済協力発展基金 (IECDF) を発足させ、 ASEAN の統合の

進展によって利益を受けるであろう韓国と台湾も連携の対象に含めるべきであろう。

各国の支援は自国企業の進出を支援する側面があり、 連携の理念を共有することは容易ではなかろう。

しかし、 連携の程度や範囲には様々なレベルが想定できる。 信頼関係の醸成を目的とした緩やかな連携

からスタートし、 政策リスクの軽減を視野において連携のレベルを段階的に引き上げていくのが現実的

第7章 「経済連携下の援助政策」

― 157 ―

であろう。 将来の課題としてアジア開発銀行 (ADB) やアジア太平洋経済社会委員会 (ESCAP) など

の地域国際機関を新規加盟国へ移転することなども検討すべきである。

応分の負担には資金だけでなく経験や人材の提供が含まれる。 生産分業ネットワークへの参画を促す

にはどうすべきか。 中国を含む東アジアにおける産業構造はどのように変化するのか。 貧困や不平等の

問題に政府はどのように備えるべきか。 新規加盟国を移転可能な知的財産は域内に少なくないはずであ

る。

一方、 新規加盟国に対しては、 「自助努力」 こそが統合のメリットを享受する最善の道であることを

認識させる必要がある。 日本の財政事情や新規加盟国における援助依存度の高まりはもはや一方的な

「支援」 を許さない。 また、 政策リスクへの対応力を高めることは、 もはや一国の問題ではなく地域の

問題でもあるという認識を共有する必要がある。

日本は開発調査を通じて新規加盟国の開発計画づくりに少なからぬ貢献をしてきた。 しかし、 新規加

盟国における政策リスクに対応するには、 研究を通じて知識を共有する開発調査だけでは不十分で、 無

償資金協力や技術協力を融資とパッケージ化することによって改革を直接的に促すプログラム援助に踏

み込む必要がある。

要請に基づくプロジェクト支援を中心としてきた日本では新規加盟国において必要とされる制度や政

策を支援するための体制が整っておらず、 プログラム援助の経験もほとんどない。 むしろ、 日本政府内

には 「結局のところ、 新規加盟国の改革を促すにはAFTAやWTOなどの自由化の外圧が最も有効」

という認識さえあり、 プログラム援助に主体的に取り組む姿勢が希薄である。 しかし、 日本の援助を巡

る環境やニーズの変化を踏まえれば、 具体的な成果を生み出すプログラム援助が重要な支援形態のひと

つとして浮上する必然性は十分にある。

東アジア向け二国間援助の5割近くを日本が占めていることから、 各国・地域の経験やノウハウを

「支援」 に取り込むには、 日本の援助のアンタイド化が課題となる。 日本の援助のうち、 インフラプロ

ジェクトの建設にあてられる円借款についてはアンタイド化が進んでいるものの、 無償資金協力および

技術協力については 「日本の経験を活かす」 という名目のもとタイドが一般的である14。

しかし、 日本の経験に固執することで、 かえって新規加盟国のニーズが満たされないケースやコスト

が高くなるなどのデメリットがあることが専門家の間で指摘されてきた。 多様な発展段階の国を抱える

東アジアの構造は無償資金協力および技術支援のアンタイド化によって財産に変えることができること

を見逃すべきではない。

プログラム援助は、 絶えず変化する国際経済と新規加盟国のニーズに対応する柔軟性と機動性を備え

ていなければならない。 そのためには、 新規加盟国のマクロ経済に関する情報だけでなく、 制度や政策

はもちろん企業や家計などのミクロの経済主体についての情報を収集し、 実証分析やケーススタディー、

さらには、 分析ツールおよびベストプラクティスの蓄積をはかる必要がある。 こうした作業の積み重ね

が、 発展段階や初期条件の異なる国に対してどういった制度や政策が有効か、 あるいはそのシークエン

シングを議論する政策対話の基盤となる。

日本は 「比較優位がない」 という理由でこの分野における人材育成や情報の蓄積を怠ってきた。 しか

し、 「比較優位がない」 のは目に見える成果をあげることが難しい制度や政策への支援を怠ってきたこ

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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14無償資金協力は、 第一契約者が日本企業となっているものの、 契約者は日本の資材、 サービス、 業務の調達が

義務付けられているわけではないので、 アンタイドとみなすことができる。 しかし、 DACの対日審査評価報告

書では、 資金の会計年度繰越が難しく、 年度内でプロジェクトを実施できるのは日本企業のみで、 無償資金協

力は実質上のタイドと批判している (白井 [2005])。

との結果であり、 原因ではない。 東アジアとの関係が深い日本では各国の経済、 制度や政策についての

知識や情報が蓄積されてきたはずである。 問題はそうした知識や情報がプロジェクトの終了とともにし

まい込まれ、 風化していくことである。

課題となるのは省庁の枠を超えた知的基盤の強化と活用である。 世銀は、 組織としての情報の蓄積・

ネットワークの形成が支援のコストと成果を左右し (世銀 [1999])、 調査・分析作業は政策提言を支え

る基盤となるだけでなく、 プロジェクトそのものの価値を高める効果がある15としている (世銀 [2000])。

日本の援助政策が越えなければならない課題がここに示されている。

知的基盤の整備に取り組むことは政策対話だけでなく、 統合の深化という点からも重要である。 統合

の深化を前提にすれば、 東アジア規模で実施される制度や政策、 家計、 世論などの調査には、 官だけで

なく民からの需要も見込めるようになり (猪口 [2002])、 東アジアにおける知的公共財に発展する可能

性もある。

おわりに

日本が東アジアにおける EPAを模索するようになったことによって、 この地域に対する援助政策も

大きく変化せざるを得ない。 仮に、 日本がこの地域における唯一の経済大国であれば、 「競争」 と 「支

援」 のバランスをどう確保するかは大きな問題とならない。 しかし、 東アジアは発展段階、 経済規模、

政治体制が異なるが故に市場統合に対する思惑も一様ではない国から構成されている。 主導権を掌握す

るに足る国が存在しない中で、 ASEANにとっては、 日本からは援助を、 中国からは市場開放を引き出

すのが、 最良のシナリオであるようにみえる。

しかし、 このシナリオの下で、 ASEANが統合の深化とともに結束を強化する存在に脱皮するとは思

えない。 ASEANにおける統合の深化は、 相互の信頼と新規加盟国の 「自助努力」 なくしてはありえな

い。 経済格差を援助や執行猶予を獲得するための口実にしていては、 ASEANはもちろん日本にとって

も望ましい統合の成果を実現することは出来ない。

経済格差を改革の原動力に転換するためにも、 日本は東アジアにおける自らの位置づけを明確にした

上で、 ASEAN 各国に対する援助を再構築する必要がある。 「やれるところから」 という現実主義に立

脚することは重要である。 しかし、 援助戦略が各省庁の 「したいこと」 や 「できること」 の積み上げで

援助戦略が出来ようはずがない。

現在の 「日・ASEAN行動計画」 が援助戦略に相当するものとは思えない。 「共に歩む、 共に進む」

「率直なパートナー」 とは何か。 これを単なる外交上のスローガンにしないために、 何をすべきか。

EPA をどれだけ質の高いものにできるか、 そして、 ASEAN における統合の深化と結束の強化をどの

ように促すのか。 そこに東アジアにおける日本の将来像が映し出されると自覚する必要がある。

【参考文献】

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ラオス、 ミャンマー、 ベトナム) と ASEAN+3カ国」 伊藤隆敏+財務省財務総合政策研究所編

『ASEANの経済発展と日本』 日本評論社

第7章 「経済連携下の援助政策」

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15例えば、 プロジェクト実施前に調査・分析作業に対する投入 (3,000ドル) を1人・週増やすと、 プロジェク

トの純現在価値が1万2,000ドルから2万5,000ドルへ増加する。 このことはスタッフの時間配分を融資業務から

調査・分析業務へシフトさせるメリットが大きいことを示している。

大野健一 (2003) 『ベトナムの工業化戦略』 日本評論社

白井早由里 (2005) 『マクロ開発経済学―対外援助の新潮流』 有斐閣

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