2011年1月5日発行17号( 毎月1回5日発行) 117号 january ......(ibu mertuaku) 、...

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[ セニョ〜ム ] January 2011 17 号 1 毎月5日発行 マレーシアがもっと好きになる ライフスタイルマガジン FREE 2011 年 1 月 5 日発行 17 号 ( 毎月1回 5 日発行)KDN No. PP 16491/06/2011(028569) 特 集 タウンガイド  アップタウン Damansara Utama 編 2011 年カレンダー付

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Page 1: 2011年1月5日発行17号( 毎月1回5日発行) 117号 January ......(Ibu Mertuaku) 、 一夫多妻制をコミカルに描いた『マドゥ・ティガ』 (Madu Tiga) れ続けているのは、非常に興味深い。いるが、何十回、何百回放映されても飽きられることなく支持さなど、今日でもいまだに各テレビ局が繰り返し放映し続けて

[ セニョ〜ム ]January 201117 号1

毎月5日発行マレーシアがもっと好きになる ライフスタイルマガジン FREE

2011年1月5日発行17号(毎月1回5日発行)KDN No. PP 16491/06/2011(028569)

特 集

ようこそ

ようこそ

マレーシア映画

マレーシア映画

             

             

の世界へ

世界へ

●タウンガイド アップタウンDamansara Utama 編2011 年カレンダー付

Page 2: 2011年1月5日発行17号( 毎月1回5日発行) 117号 January ......(Ibu Mertuaku) 、 一夫多妻制をコミカルに描いた『マドゥ・ティガ』 (Madu Tiga) れ続けているのは、非常に興味深い。いるが、何十回、何百回放映されても飽きられることなく支持さなど、今日でもいまだに各テレビ局が繰り返し放映し続けて

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ようこそ、マレーシア映画の世界へ!映画が娯楽の要の1つとなっているマレーシア。都市の大型ショッピングモールには必ずといっていいほど映画館があります。上映されている作品はハリウッド映画、香港映画などが主流ではありますが、最近、国産のマレーシア映画もなかなか元気です。マレーシアに住んでいるからこそ分かる、ここでしか観られないから面白い、そんなマレーシア映画にぜひチャレンジしてみませんか? ようこそ、マレーシア映画の世界へ!(文:アティカ)

たのが、ユソッフ・ハスラム監督の作品。人

気俳優や歌手を巧みに起用し、恋愛、家族の

確執、嫉妬、出身層の違いなどの問題を混ぜ

込んだ作品の数々は、次々と大ヒットを記録

していきます。

2000年代に入り、マレーシア映画界に

大きな変化をもたらしたのが、マレー語以外

でつくられたインディペンデント映画の台頭

でしょう。70年代以降、劇場で公開される映

画がマレー語によるマレー系観客のみをター

ゲットにしていくようになったのに対し、新

しいこのインディペンデント系の監督たちは、

中華系の人は北京語や広東語、インド系の監

督はタミール語、英語を日常的に使う人たち

は英語とその他言語のミックスで、自分たち

に身近な世界を描き始め、その新しい動きが

海外の国際映画祭シーンにおいて「マレーシ

ア新潮(M

alaysian New Waves

)」と呼ばれ

るようになっていきます。この頃から、商業

ベースのマレー語でつくられた映画を「マレー

映画」、それ以外の言語でつくられたもの、あ

るいはマレー語でつくられていても従来のマ

レー映画と異なる新しいスタイルのものを「マ

レーシア映画」と、呼び分けられるようにな

りました。

ヤスミン・アーマッド

新しいマレーシア映画として世界でもっと

も注目を集めたのは、おそらくヤスミン・アー

マレーシア映画の流れ

マレーシア映画の歴史は1934年にス

タートしました。その後1960年代までは、

当時マラヤのハリウッドともいうべきシンガ

ポールで制作されていましたが、何といって

もその時代のマレーシア映画を語るのに絶対

に欠かせない存在は、P.ラムリー。マレー

シア映画の黄金期を築いた超重要人物で、監

督、役者、作曲、歌手とすべてを巧みにこなし、

老若男女問わず今でも皆に愛される彼ほどの

スーパースターは、おそらくもう現れること

はないでしょう。

1964年のシンガポール独立に伴うマ

レースタジオの廃止により、映画制作の現場

はマレーシアへと拠点が移されますが、機材、

資金共に不足していた状況のもと、その後70

年代は停滞期を迎えてしまいます。

しかし80年代になると、大衆に受け入れら

れやすいコメディや恋愛ものなどが再び多く

つくられるようになり、大ヒット作は出ない

ものの、劇場に人々が再び足を運び始めるよ

うになります。また、ロケ地としてはキャメ

ロンハイランドが頻繁に登場し、イギリスが

舞台のはずなのに、これはキャメロンでは?

と映画を観ながら思わず問いかけたくなるこ

ともしばしばです。

そして90年代、数多くの作品が発表される

なか、なんといってもダントツの人気を集め

りまでは、検閲にてタブーとされるものは

「VHS(Violence:

暴力、H

orror:

ホラー、Sex:

性描写)

」とされてきましたが、その後なぜ

かホラーが解禁に。検閲内容は政治情勢にも

左右されるといわれ、総選挙前には厳しくな

るとか、政府のキャンペーンに合わせて取り

締まり項目が変わる(禁煙キャンペーンを行っ

ていた時はすべての喫煙シーンがカットと

なった)など、まちまちです。政府を批判す

るものや、マレーシア国民がセンシティブに

反応しそうなテーマを取り上げている作品は、

上映禁止になることもあります。

ホラー解禁

東南アジアの人々はホラー好きなのでしょ

うか、タイやインドネシアでもホラー映画は

たくさんありますが、ここマレーシアでもホ

ラー解禁となってからはどんどん制作されて

います。ちなみに、2010年に商業公開さ

れた長編作品38本のうち8本がホラー映画。

サイコホラーよりも、血みどろのおぞましい

ものが主流です。最近では、従来のドタバタ

コメディーにホラーの要素を加えた作品も多

く、ここからもホラー映画がいかに多くの観

客を動員できるのかが伺えます。

宗教関連映画

また、インドネシア映画の影響か、イ

スラム教に関わる作品も増えてきました。

2009年に大ヒットしたTVドラマ『ヌル・

カシ』(Nur Kasih

)のように、イスラム教徒

として生きるとは? 

一夫多妻制とは? 

ど、すぐ身近に暮らすイスラム教徒の人々に

対して、基本的な知識や漠然としたイメージ

しかない方には、もう一歩踏み込んだイスラ

ム教徒の人々の生活が見えてくる手助けにな

るかもしれません。

映画を通して見えてくるマレーシアの社

会、人々の生活や考え方は、あなたのマレー

シア生活をより深いものにしてくれるでしょ

う。お気に入りの1本がきっと見つかるはず

です!

マッド監督の作品でしょう。広告業界で活躍

し、数多くの感動的なTVコマーシャルをつ

くり出してきた彼女は、糖尿病が悪化し体調

を崩していく最愛の父親のために、2003

年、49歳にしてはじめて、両親をモデルにし

た作品『ラブン』(Rabun

)でメガホンをとり

ます。そしてその後2004年に制作した『セ

ペッ』(Sepet

)が国内外で話題を呼びますが、

非常にオープンなマレー系の家族と、中華系

の少年とそのニョニャの母親など、人種や言

葉の入り混ざった彼女の描く世界に対しては、

自分の世界に近いと賞賛する人、こんなのは

理想像に過ぎないと切り捨てる人など賛否両

論。しかし、そのような論争やヤスミンと検

閲局との戦いが新聞で頻繁に取り上げられた

のも興味深い一面でした。

検閲現

在、マレーシアで劇場公開あるいは

TV放映されるすべての映画は、必ず映画

検閲局にかけられます。2002年あた

特集

永遠のスターP. Ram

lee

P.

ラムリー (Tan Sri D

ato Amar D

r. P. Ramlee 1929-1973)

は、1950年代、60年代のマレー映画黄金期を代表するマレー

シアの映画スター。多くの作品にて制作、監督、主演を務めるほ

か、劇中歌を作詞、作曲し自ら歌っていた。その甘いルックスと声、

そしてコメディもシリアスもこなす演技力で、亡くなってから37

年経った現在でもその人気は根強い。

出身地ペナンでミュージシャンとして活躍していたP.

ラム

リーは、当時マラヤのエンターテインメントの中心地であったシ

ンガポールに移り、1948年に『チンタ』(Chinta 

B.S.

ラジ

ハンス)

で俳優としてデビュー。初期は俳優のほかに音楽も担当

していたが、1955年の『プナリッ・ベチャ』(Penalik Beca

あたりから監督も手がけるようになる。生涯で出演した映画は64

作品、そのうち35作品を自ら監督した。『ブジャン・ラポッ』(Bujang

Lapok)

シリーズ、『ドレミ』(D

o Re Mi

)シリーズなどのコメディ

の他、義理の母によって妻とのなかを引き裂かれた悲しいサック

スプレーヤーを描いた『イブ・ムルトゥアク』(Ibu M

ertuaku)

一夫多妻制をコミカルに描いた『マドゥ・ティガ』(M

adu Tiga)

など、今日でもいまだに各テレビ局が繰り返し放映し続けてきて

いるが、何十回、何百回放映されても飽きられることなく支持さ

れ続けているのは、非常に興味深い。

P.

ラムリーは生涯で3度結婚した

が、3人目の妻サロマは、1961

年の「スニマン・ブジャン・ラポッ」

(Seniman Bujang Lapok

)以降、彼の

監督する作品に出演してきた女優。歌

手としても大変有名で、ジャラ

ン・

アンパンのマレーシア観光

センター内にあるレストラン

「Saloma

」は彼女の名前から付け

られたもの。また、P.

ラムリー

の亡骸はその道を挟んだ斜向か

いの墓地に眠っている。

P. ラムリー博物館(Pustaka Peringatan P. Ramlee)P.ラムリーがシンガポールから戻ってから73年に亡くなるまで住んでいた家。彼が実際に使用していた家具や、代表作の衣装と共に、海外の映画祭で受賞した際のトロフィーや写真も展示されている(1963年、東京で開かれたアジア映画祭で着物姿の日本女性たちと一緒に写った写真もある)。

No. 22 Jalan Dedap, Taman P Ramlee (formerly Taman Furlong), Setapak 53000 KL 開館時間火曜日~日曜日:10 am ‒ 5:30 pm金曜日: 10 am - 12 pm & 3 pm ‒ 5:30 pm月曜休館 (スクールホリデーと国民の休日を除く)入場無料

P. ラムリー生家&ギャラリー(Rumah Kelahiran P. Ramlee & Galeri P. Ramlee)P.ラムリーの生家を移築したもの。両親の写真や家系図、学生時代の写真や通信簿、ミュージシャン時代の写真や楽器などを展示。隣接のギャラリーは、主に映画人として活躍した彼の写真などを展示。

Lot 2180, Jalan P Ramlee, 10460 George Town, Pulau Pinang 開館時間火曜日~日曜日:10 am ‒ 5:30 pm金曜日: 10 am - 12 pm & 3 pm ‒ 5:30 pm月曜休館 (スクールホリデーと国民の休日を除く)入場無料

マレーシア人に聞いてみた好きな男優・女優 TOP3男優の1位はなんとP. ラムリー!男性、女性、子供とどの層にもいまだに人気。ファリッド・カミルは最近監督としてもデビューした若手の代表格。アーロン・アジズは映画、テレビで活躍するシンガポール出身の二枚目俳優。女優の 1位はその美しさが抜きん出るマヤ・カリン。2位のリサ・スリハニは、最近テレビ、映画で大活躍の若手女優。3位のディアナ・ダニエルはアメリカ生まれでハーフのかわいい女優さん。また、中堅ウミ・アイダもランキング入り!

1 位 P. ラムリー (P. Ramlee) 2 位 ファリッド・カミル(Farid Khamil) 3 位 アーロン・アジズ(Aaron Aziz)

1 位 マヤ・カリン(Maya Karin) 2 位 リサ・スリハニ(Lisa Surihani) 3 位 ディアナ・ダニエル(Diana Danielle)、 ウミ・アイダ(Umie Aida)

ここに行ったらきっと見つかるマレーシア映画DVD販売店リスト

マレーシア映画歴代興行成績 TOP15

1. Adnan Semp-It 766 万リンギ (『アドナン・センピット』/アーマッド・イドゥハム /2010)2. Lagi-Lagi Senario  633 万リンギ (『ラギ - ラギ・シナリオ』/アジズ・M・オスマン /2001)3. Geng : Pengembaraan Bermula  620 万リンギ (『ゲング:プングンバラーン・ブルムラ』/ニザム・ラザック /2009)4. Sembilu 2  610 万リンギ (『スンビル 2』/ユソッフ・ハスラム /1995)5. Jangan Pandang Belakang Congkak  609 万リンギ (『ジャンガン・パンダン・ブラカン・チョンカッ』/アーマッド・イドゥハム /2009)6. Jangan Pandang Belakang 578 万リンギ (『ジャンガン・パンダン・ブラカン』/アーマッド・イドゥハム /2007)7. Evolusi KL Drift 2  567 万リンギ (『エヴォリュシ・KLドリフト2』/シャムスル・ユソッフ /2010)8. Cicakman  515 万リンギ (『チッチャッマン』/ユスリ KRU/2006)9. Maria Mariana  472 万リンギ (『マリア・マリアナ』/ユソッフ・ハスラム /1996)10. Duyung  467 万リンギ (『ドゥヨン』/A・ラザック・モハイディーン /2008)11. Senario The Movie  458 万リンギ (『シナリオ・ザ・ムービー』/アジズ・M・オスマン /1999)12. Gerak Khas The Movie  440 万リンギ (『グラッ・ハス・ザ・ムービー』/ユソッフ・ハスラム /2001)13. Sembilu  439 万リンギ (『スンビル』/ユソッフ・ハスラム /1994)14. Senario Lagi  437 万リンギ (『シナリオ・ラギ』/アジズ・M・オスマン /2000)15. Lagenda Budak Setan 428 万リンギ (『ラゲンダ・ブダッ・セタン』/シャラッド・シャラン /2010)

2010 年 10月 6日現在 sinemamalaysia.com.my

* 1 位の『アドナン・センピット』は田舎から KL に出てきて、バイク便のライダーとして働く、孤児でマッ・レンピット(暴走族とまではいかないが、バイクを猛スピードで乗り回す若者を指す)のアドナンの生活をコメディタッチで描いた作品。

* 4、9、12、13 位のユソッフ・ハスラムは 90 年代に人気スターを多数起用してヒットを飛ばし続けた監督で、7位の監督シャムスル・ユソッフはその息子。父ユソッフのテレビ作品に俳優としてデビューした後、ここ数年はちょっと悪めの若者を描いたスピードものの映画で人気。

* 2、11、14 位はお笑いグループ「シナリオ」のコメディ作品。メンバーの入れ替わりはあるものの、90 年代から現在まで、人気を保持し続けている。

* 3 位はマレーシア初の3Dアニメーション作品。* 8 位はスパイダーマンのマレーシア版ともいえる作品。やもりに変身することもあり、スパイダーマンよりももっとコメディ要素強し。

1930 年代 ショー兄弟がシンガポー

ルとマラヤで映画の配給

をはじめる

シンガポールにおけるマ

レースタジオ時代のス

タート

1934 初のマレー語映画『Laila

Majnun』公開

1950 年代 P. ラムリー の

台頭

マレースタジオ時代の

ピーク

1953 マレーシア初のカラー映

画『Buluh Perinndu』登場

( 保存されておらず)

1956 現存するマレーシア初の

カラー映画『Hang Tuah』

の公開

1960 年代 マレーシア映

画の大きな

転換期

1964 シンガポール独立に伴い

マレースタジオの拠点は

マレーシアへ

ムルデカ・スタジオ(現

FINAS)での撮影がスタート

1970 年代 マレーシア映

画停滞期

*FINAS マレーシア映画

データベース上、この 10

年間で劇場公開された作

品はわずか 37本のみ。

1973 P. ラムリー死去

1980 年代 大衆映画の復

A R バドゥル作品などの

コメディがヒット

1990 年代 人気スターを

起用したユ

ソッフ・ハスラム監督作

品が次々と歴代興行成績

を塗り替える

『Sembilu 2』(1995 年公開、

2010 年 10 月 6 日現在興

行成績歴代 4位)

『Maria Mariana』(1996年

公開、同上歴代 9位)

1995 U- ウェイ・ハジ・サアリ

監督の『Kaki Bakar』がマ

レーシア映画ではじめて

カンヌ国際映画祭に正式

招待される。

2000 年代 マレーシア新

潮という新

しい動きが海外国際映画

祭で話題になる

若手マレー系監督による

作品が続々登場

2005 ヤスミン・アーマッド監

督の『Sepet』が公開

2006 東京国際映画祭で世界初

のマレーシア新潮特集

* FINAS とはマレーシアフィルム

振興公社のこと

アティカ : マレーシアに暮らして8年。テレビ・映画好きが興じて、マレーシア映画に少しずつはまってしまう。マレーシア文化にどっぷりつかった挙句、気がついたら、すっかりマレーシア人化。

マレーシア映画年表

プルタマ・コンプレックスそごうの向かいにある古い雑居ビル「プルタマ・コンプレックス」は、KL で最初にできたショッピングコンプレックスの1つ。ここはマレーシア映画、特にクラシック~ 90 年代のマレー映画の宝庫です。たくさんお店がありますので、ゆっくり時間をかけて回ってみるのも楽しい。Pertama KompleksJalan Dang Wangi, 50100 KL

Da Huang Pictures オンラインショップインディペンデント系映画の制作を行うDa Huang Pictures のオンラインショップ。リュウ・センタット監督の『フラワー・イン・ザ・ポケット』やアジア最大の映画祭、プサン国際映画祭で2冠に輝いたタン・チュイムイ監督の『Love Conquers All』( 邦題『愛は一切に勝つ』) などが入手可能。www.dahuangpictures.com/shop/

スピーディー各店舗大型ショッピングモールにはたいてい入居している CDショップ「SPEEDY」。最近の作品であれば、たいてい置いてある。ヤスミン監督作品はどこの支店でも、少なくとも2、3タイトルは必ず見つかる。

Silverfi sh Books海外国際映画祭で上映されているマレーシア映画、特にマレーシア新潮初期のアミール・ムハマッドやジェームス・リーなどの作品を積極的に紹介してきた唯一のお店。Silverfi sh books58-1 Jalan Telawi, Bangsar

Baru, 59100 KL (603) 228 44 837 www.silverfi shbooks.com

女優

男優

ー P. ラムリーをもっと知りたい人はー

Page 3: 2011年1月5日発行17号( 毎月1回5日発行) 117号 January ......(Ibu Mertuaku) 、 一夫多妻制をコミカルに描いた『マドゥ・ティガ』 (Madu Tiga) れ続けているのは、非常に興味深い。いるが、何十回、何百回放映されても飽きられることなく支持さなど、今日でもいまだに各テレビ局が繰り返し放映し続けて

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シャリファ・アマニ さん

インディー出身ジェームス・リー監督の長編ホラー映画第2作。中国式の大型棺桶の夜間運搬を急遽依頼されたドライバー2人。その途中でラジオが故障し、退屈な 2人はそれぞれに友人などから伝え聞いた幽霊話を語り始める・・・。

―あなたのデビュー作である『セペッ』は、

東京国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞

するなど、日本のアジア映画ファンにとって

も非常に衝撃的な作品であり、いまだに人気

の高い作品です。ヤスミン監督の最初の4

作品は、「オーキッド4部作」と呼ばれてい

ますが、オーキッドとあなた自身は似ている

と思いますか?

はい。台本をはじめて読んだ時、この役

は私がやらねば、と思いました。オーキッド

は典型的なマレー人とは異なるタイプの少女

で、自分にそっくりでもあるし、また、ヤス

ミン監督の少女時代がモデルでもあるので、

オーキッドはいわば、私とヤスミンのミック

スみたいなものだと思います。ヤスミン監督

と知り合っていろいろ話していくうちに、お

互いの共通点が多いことに気づき、この作品

に出会ったこと、そしてヤスミン監督と出会

えたことは、自分にとって運命だったのだと

思います。

―『セペッ』はマレーシア映画界にどの

ような影響を与えたと思いますか?

通常劇場で公開されているマレーシア映

画は、ドタバタコメディやホラーなどの現

実の世界からちょっと離れたものが主流で

す。『セペッ』(Sepet

)をはじめとするヤス

ミン監督の映画は、それらとは全く別の、ど

こにも当てはまらない種類の作品で、私はこ

のジャンルを「life

」と呼んでいます。また、

彼女の作品はマレーシア映画に対する人々の

イメージを変えるものになったと思います。

この作品が公開されてから、何人もの中華系、

インド系の人たちが私に歩み寄ってきて、「私

たちをまた映画館に連れ戻してくれてありが

とう」と言ってくれました。

そして、これは『ムクシン』(M

ukhsin

の話ですが、パリでこの作品が上映された

時、不手際があって仏語の字幕が間に合わな

かったんです。お客さんは皆フランス人なの

に、映画のなかの登場人物はみんなマレー語

を喋ってる。それでもなぜかきちんと話が伝

わっていて、みんな笑ったり泣いたり。劇場

の外は真冬でとても寒かったのに、上映して

いたホールはとても温かい雰囲気に包まれて

いたのを覚えています。

―ヤスミン監督が生きていたら実現する

はずだった日馬合作映画、『ワスレナグサ』。

そのロケハンで日本を訪れたそうですが、日

本に対してどんな印象をもたれましたか?

―日本は素晴らしいところでした。ちょう

ど桜のシーズンに訪れることができたので、

ロケハンで訪問した金沢や、小津安二郎のお

墓がある鎌倉など、本当に満喫しました。ま

た、最近では世界中どの大都市も似たような

感じになってしまっていますが、東京で見る

ものは、すべてがここにしかないものといっ

た特別な印象を受けました。そして、食べ物

1つ取っても、多すぎず少なすぎず、甘す

ぎず辛すぎず、すべてのものが“調度よい”

具合に作られていることに感動しました。映

画で共演する予定だった藤竜也さんや南果歩

さんとお会いすることができたのも、とても

うれしかったです。

また、この日本への旅が、ヤスミン監督

と長く一緒に過ごした最後の機会となったの

で、私にとってはとても大切な思い出です。

デビュー以来女優として活躍されてい

ますが、先日監督としてもデビューされまし

たね。

はい。17歳でデビューした後、役者とし

ていろいろな役に挑戦したいと、様々な作品

に出演しましたが、最近では自分でストー

リーを書いてみたいと思うようになりまし

た。はじめて自分で脚本、監督、主演を務め

る短編作品を撮りましたが、とても素晴らし

い経験になったと思います。これからもぜひ

映画をつくっていきたいと思っています。

―今後の作品は、どういう内容のものに

なりそうですか?

ヤスミン監督のように「storyteller(

語り

部)

」でありたいと思いますが、私の場合は

「love

」が話の中心になってくると思います。

それは恋人同士の愛の物語というのだけでは

なく、親子の愛とか、人と人との愛情の物語

です。いろいろなスタイルにも挑戦したいと

思っているので、例えば、SF戦闘ものな

んだけど愛の物語、みたいなね。(笑)

―これからのマレーシア映画はどのよう

に発展していくと思いますか?

マレーシアの映画界は、今とてもエキサ

イティングな時期を迎えていると思います。

競争率も非常に高くなってきていますが、

それは良いことなのではないかと思います。

若手の監督がどんどん出てきていて、新し

いことに挑戦しようとしているので、これ

からもっと面白くなっていくのではないで

しょうか。

―最後に、アマニさんのお気に入りのマ

レーシア映画を教えてください。

そうですね。P.

ラムリの映画は全部好き

です。特にコメディが大好きです。それから

もちろんヤスミンの作品もすべて好きです

が、一番好きなのは『ムクシン』です。

このインタビューの数日後からは、日本

のインディペンデント映画の撮影が入ってい

るというアマニさん。役者として、そしてつ

くり手として、これからの更なる活躍に期待

していきたい。

シャリファ・アマニ(Sharifah Amani)2003 年制作のヤスミン・アーマッド監督『Sepet』(邦題『細い目』)で鮮烈デビュー。その後、『Gubra』(邦題『グブラ』/2006)『Muallaf』(邦題『ムアラフ‐ 改心』/2009)などに主演し、ヤスミン監督の秘蔵っ子と 称 さ れ る が、 同 時 に『Cinta』(Khabir Bhatia/2006) や『Sayang You Can Dance』(Bjarne Wong/2009) など他のマレー映画やTVドラマにも多く出演。最近では映画監督を目指し、初の短編作品 “Sangkar” を監督した。今後最も活躍が期待される若手映画人の一人。

女優として、映画、テレビで大活躍中

『シニ・アダ・ハントゥ!』(ジェームス・リー /2011 年 2月 10 日公開)

おすすめ映画 アティカと * アサ・ネギシお勧めの映画全 15 作品。コメディ、ギャング、ホラー、恋愛ものなどジャンルに分けて紹介しよう。

近日公開の映画

ヤスミン監督の『Sepet』に先駆けてマレー系と中華系の恋愛を扱った作品。バンドの結成で邂逅し、やがて惹かれ合うことになる二人には、異民族と宗教の大きな溝が横たわる。ホモや性交シーンなど果敢な表現に挑戦した本作は、後に続くマレーシア新潮流の先駆だったかもしれない。

恋愛 Spinning Gasing『スピニング ・ガセン』(テック・タン /2001)

Sini Ada Hantu!

Sepet

東京国際映画祭最優秀アジア映画賞をはじめ、数々の国際映画祭で話題となり、ヤスミン・アーマッド監督の名を世界に知らしめた大ヒット作。マレー系の女子高生オーキッドと海賊版 DVDを売る中華系の青年ジェイソンの、キュートで切ない恋の物語。現代マレーシア映画を語るのに絶対に欠かせない名作。

恋愛『セペッ』邦題『細い目』(ヤスミン・アーマッド /2003)

父子家庭に育つ中華系の兄弟と母子家庭に育つマレー系の女の子の心温まる交流物語。貧しくもたくましく生きる兄弟と、男の子にあこがれる少女を演じる子供たちの演技が素晴らしく、思わず何度も微笑んでしまう。兄弟の父親役は、マレーシア新潮を築いたインディペンデント監督の一人、ジェームス・リー。

ドラマ Flower in the Pocket 『フラワー・イン・ザ・ポケット』(リュウ・センタット /2008)

Gol & Gincu

オシャレにしか興味のない女の子が、ボーイフレンドをフットサルの選手に奪われたことで、自らフットサルチームを設立して見返してやろうと一念発起する。恋に破れ、幼馴染との友情にも亀裂が生じてしまった彼女はどうやって立ち直り、フットサルチームを勝利へと導いていくのか?!マレーシアンポップス満載のサントラ盤もおすすめです。

青春『ゴール&ギンチュ』邦題『ゴールと口紅』(バーナード・チョーリー /2003)

Pontianak Harum Sundal Malam

美しく有能なダンサー、マリアムは、貧しくも心の優しいダニアルと結婚するが、富と権力をもつマルサニは彼女のことを諦めきれない。ある日彼女は殺され、ダニアルも海で命を落とす。その60年後、マリアムにそっくりの少女マリアにマリアムの魂が宿る ・・・。主演のマヤ・カリンはこの映画で第 49回アジア太平洋映画祭主演女優賞を受賞。

ホラー『ポンティアナ・ハルム・スンダル・マラム』邦題『月下美人と吸血女』(シュハイミ・ババ /2004)

マレーシアで映画をつくりたい!と熱く願ったある日本人映画人の思いが実現した、日馬合作映画。仕事も失いお金も底を突いたラムリーは、倒産目前のすし屋ボレ寿司で、時間制限無料食べ放題に挑戦する。敗れたラムリーはボレ寿司で働くことになるが、主人の本当の目的は彼をメンバーの一人として相撲チャンピオンシップに参加させることだった。

コメディー Sumo-lah『スモーラー』邦題『相撲ラー』(アフドゥリン・シャウキ /2007)

Kaki Bakar

ウィリアム・フォークナーの小説をベースにU -ウェイ・ハジ・サアリが脚本・監督を手がけたこの作品は、カンヌ国際映画祭で初めて上映されたマレーシア映画。ジャワ出身でそのルーツに強い誇りを持ち続けるカカンは、その伝統や価値観を受け継いでいきながら、マレーシアで4人の子供を育てようとするが…。タイトルは放火犯の意。

ドラマ『カキ・バカー』(U -ウェイ・ハジ・サアリ /1995)

Azura

80 年代のマレーシアを代表するアイドル青春映画として、その主題歌や挿入歌はあまりにも有名。しかし! マッチ好きの方が見ればすぐに分かる、この映画、実は近藤真彦、武田久美子主演『ハイティーン・ブギ』(舛田利雄 /1982)のストーリーとそっくりそのままです。

青春『アズーラ』(デビー・M・ボルハン /1984)

Geng: Pengembaraan Bermula

歴代興行成績第3位にもその名を連ねる、マレーシア初の3Dアニメーション映画。2007年にスタートしたUpinと Ipinの双子が活躍するTVシリーズ “Upin & Ipin”の劇場版。その後、関連グッズが販売されたり、ディズニーチャンネルで英語吹き替え版が放映されたりと、マレーシアでもっとも成功したアニメーションシリーズとなった。

アニメ『ゲング』 (ニザム・ラザック /2009)

不条理で救いのない作風で人間の暗部を描く同監督のデビュー作。映画停滞の 90年代と厳しい表現の制限下にありながら「性と女」を描いた本作は、当時大きな衝撃を社会に与えた。夫に売春婦にされ、刺激のない村落での生活に倦み、不義に走った女の姿を通して、“性 ” の不可思議さをあぶり出した作品だ。

ドラマ Perempuan, Isteri dan …『プルンプアン、イストゥリ ダン…』(U -ウェイ・ハジ・サアリ /1993)

50-60 年代の映画の黄金時代に巨星として輝いた P. ラムリーの代表的悲劇。自分を好かない義理の母親から帰郷した妻が死んだと聞かされ、悲しみから失明したミュージシャンの男が、再び妻に再会するが…。喪失で結ばれる結末と悲運に翻弄される恋愛は、以後も長くマレー映画のモチーフとなっている。

ドラマ Ibu Mertuaku『イブ ・ムルトゥアク』(P. ラムリー /1962)

J ホラーの世界的広がりにより、当地でもホラー作がブームであるが、民族の皮膚感覚の違いから怖さが伝わらないのが正直なところ。この古典作は、女性を手篭めにする「オラン・ミニャ(油男)」が生まれた悲劇を寓話的に描いた作品。妖怪を生み出す人間の業は、古今東西同じであると感じる。

ホラー Sumpah Orang Minyak『スンパ ・オラン ・ミニャ』(P. ラムリー /1958)

新感覚のマレー映画の担い手として名を馳せている同監督の一点の曇りもないドタバタ喜劇。舞台は、ある村落の祭りで行われる余興のステージ・ショー。奇怪な芸を披露する出演者が現れたり、出来レースのミスコン、そしてメインのスターが遅々として到着しないなど、「マレーシアなんだから」を笑いにしているところが秀逸。

コメディー Man Laksa『マン ・ラクサ』(ママッ・カリッド /2006)

麻薬売買組織に付け狙われ、翻弄されていくストリートで生きる若者たちの姿を描いた作品。全編暴力シーンがあり、レイプや死など生々しい場面も続くが、不思議とすんなり入っていけるのは、登場人物たち友愛と根幹となる悲しみがしっかりと描かれているから。当地の薄っぺらな青春映画に活を入れている作品だ。

青春 Anak Halal『アナッ・ ハラル』(オスマン・アリ /2007)

『サンカー』(Sangkar)撮影現場より

(インタビュー:アティカ)

*アサ・ネギシ :マレーシア在住が 10数年になるフリーライター。芸能をはじめ、幅広い分野でマレーシアを切り口にした文章を書いている。http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/